片山九郎右衛門《三井寺・無俳之伝》からのつづき
2階ロビーに展示されていた《天鼓》の唐団扇と鞨鼓 |
能《天鼓・弄鼓之舞》浦田保浩
ワキ福王和幸 アイ茂山千五郎
森田保美 久田舜一郎 谷口正壽 前川光範
後見 杉浦豊彦 深野新次郎
地謡 河村晴久 河村博重 片山伸吾
味方團 吉田篤史 松野浩行
大江泰正 河村和晃
最後の《天鼓・弄鼓之舞》もよかった!
京都観世会は円熟期を迎えた中堅の層が厚く、充実している。シテの浦田保浩さんもいい役者さんだ。とくに王伯のような老人は、こういう若くもなく、老いてもいない、いぶし銀の技を持つ巧者が演ると好いものである。
【前場】
老齢に鞭うつような、途方もない悲劇に見舞われた老人のヨボヨボ感、ヨロヨロ感を出しつつも、所作や姿に内から滲み出るような品がある。
深い悲しみに沈むなかで品格を保つシテの佇まいが、こちらの心を揺さぶってくる。
「忘れんと思ふ心こそ忘れぬよりは思ひなれ」
ほんとうに、そう。やり場のない気持ちはどうあがいても折り合いがつかない。忘れようと思っても、その気持ちこそがつらい……。
シテの心を慰め、やさしく介抱するように、私宅に送り出すアイの茂山千五郎さん。
前日に御父上を亡くされたばかりの千五郎さんが、愛児に先立たれて嘆き悲しむシテに、そっと寄り添う。
いつもより厳しく青ざめた表情の千五郎さんの間狂言には、鬼気迫るものがあり、強い決意のようなものを感じさせた。大切な肉親を失った王伯とアイの気持ちが混じり合い、独特の空気が漂う。
【後場】
出端の囃子で後シテ登場。
前シテの老父とは打って変わって、みずみずしく艶やかな美少年の姿。童子の面もまことに麗しい。豊かに実った秋の果実のような芳醇な香りを放っている。
なによりも、シテのはずむように弾力のある舞姿が目に焼きついている。
これほど幸福に満ちた亡霊がいるだろうか?
盤渉楽の囃子に合わせて、シテは湖面を飛び跳ねるように、軽やかに水しぶきを上げながら、鼓をうち、舞い戯れ、水に潜っては湖上に浮かび、猩々のようにプルプルプル~ッと首を振り、橋掛りへ進んで前髪をつかみ、欄干越しに、さも愛おしそうに鼓を見込む。
青白い月が幻想的な舞台を照らしている。
愛する鼓にふたたび会えた悦び。
愛してやまない鼓を打つ幸せ。
恨みとか、憎しみとか、そういう悪感情から解放された時、人はこんなにも自由に、軽やかに、天真爛漫になって、愛と幸福感で満たされるのだ。
天鼓の愉悦がはちきれそうなくらい胸いっぱいに広がって、天鼓の身体からあふれ出て、能楽堂全体に充満し、こちらの心にも満ちてくる。
かなしくて、幸せな、幸せな天鼓。
最後に、前川光範さんの太鼓が聴けてよかった。
弄鼓之舞でよかった。
ありがとうございました。