2019年4月28日日曜日

平成最後の観能と本願寺伝道院

2019年4月28日(日)西本願寺南能舞台・書院
「降誕会祝賀能をより楽しむために」片山九郎右衛門
修復のため南能舞台の塀が撤去されていた。
画像は、橋掛り越しに書院を眺めたところ
(1)本願寺と能の歴史と関りについて

(書院にて)
(2)本年の演目解説
・開演前の”触れ”について
・能《田村》について
 能面「童子」「平太」の紹介
・狂言《延命袋》について
・能《百万》について
 能面「曲見」「深井」の紹介

(南能舞台にて)
(3)仕舞《田村キリ》

(書院にて)
(4)《田村》謡の稽古
「今もその名に流れたる」から「おそかなるべしや」

(舞台と書院で)
(5)参加者の連吟で仕舞《田村》を実演

国宝・浪之間玄関の檜皮葺の屋根も無残な状態に
 前日まで観世会例会に行くつもりだったのですが、翌日からGW中盤のハードスケジュールに入るため5時間以上の長丁場の観能は体力的にちょっと自信がなく……急遽こちらに変更。

能《歌占》や《船橋》を見逃したのはとても残念でしたが、平成最後に九郎右衛門さんの仕舞を南舞台で拝見し、謡のお稽古を国宝・対面所(鴻之間)で体験できて、めっちゃ幸せ♪ 一生の思い出になりそう。

わたしの隣に座った女性はお能を観るのははじめてだったそうですが、終演後、とても楽しまれた御様子で「素敵な方ね」と九郎右衛門さんについてもおっしゃっていて、なんだかこちらも嬉しい気分。


それにしても、昨年の降誕会祝賀能の際の拙ブログ画像と比べると、文化財建築物の塀や屋根など、あちこちで地震・台風・大雨の爪痕が生々しく残っていて、復興の大変さをあらためて実感します。檜皮葺などは原皮師が減少して、檜油を含んだ上質の檜皮を得るのさえ困難だろうし。。。


九郎右衛門さんのインタビュー記事が載った冊子

さて、いつもながら楽しいお話が満載だったのですが、いちばん印象に残ったのが、能《田村》の前場についての解説。要約すると;

前場で使われる「童子」の面は、少年の風貌に大人の知謀を兼ね備えた不思議な存在というイメージ、護法童子のようなイメージであらわされる。
前場で童子が箒をもって現れるのは、桜の橋で天と地をつなぐことのできた少年が玉箒を掃きながら向こう側に渡ってゆく伝説がその背景にあるからではないか。
坂上田村麿はほんとうは心優しい人なので、蝦夷の指導者・アテルイとの約束を破ったことについても心を痛めている部分があったのだろう。だから、伝説の少年のように玉箒で清めながらいつかそれを橋に見立てて向こうへ行ってしまいたいという願望を抱いていて、それが前場のような形で表われたのではないだろうか。


という趣旨のことを九郎右衛門さんはおっしゃっていた。
登場人物の内面に深く入り込んだ、ロマンティックな解釈。愛があるよね。能の主人公や登場人物にたいして、身近な存在のように優しいまなざしでみつめている。九郎右衛門さんが語ると、そのキャラクターが自分と同じ悩みや苦しみをもつ血の通った存在として息づいてくる。


講座は70分だけど、物凄く濃い内容。
《田村》の仕舞を二度も舞ってくださった。
最初はキリ。書院から南能舞台まで(けっこう離れている距離)を往復し、橋掛りを歩きながらもいろいろ解説して、さらに舞台では、一人で舞って謡って何役もこなす、というハードさ。


二度目は、清水寺縁起の箇所の謡のお稽古のあと、書院にいる参加者全員が習ったばかりの謡を連吟。それに合わせて、九郎右衛門さんが南能舞台で舞う、というもの。

簡単には覚えられなかったけれど、とにかく、仕舞を舞う九郎右衛門さんまでどうか届け!!と念じながら、渾身の力を込めて謡いました! 全身で謡うのは気持ちいい!
自分たちの謡で、あこがれの方が舞ってくださるなんて夢のよう。

平成最後の素敵な思い出。
九郎右衛門さんと西本願寺さんに感謝!

(このあと、九郎右衛門さんは観世会館に舞い戻って《熊野》の後見を勤められたのでしょう。ほんと、ハードだ。。。)

西本願寺の門前には仏壇関係のお店が軒を並べる。
その先にある特色ある建物が、本願寺伝道院。



本願寺伝道院、明治45(1912)年竣工、伊東忠太設計
 中国、インド、トルコを旅した伊東忠太がその経験をもとにデザインした東洋趣味にあふれる建築。

大きなドームの下には、イスラム建築風の窓。こういうところは、同じく伊東忠太設計の築地本願寺に似ている。ドームのまわりを欄干が取り囲む装飾も特徴的。




ロマネスク風の幻獣たち。



こちらはグリフォンっぽい。



羽根の生えたゾウさん。




2019年4月23日火曜日

三寿会 ~谷口正喜七回忌追善

2019年4月21日(日) 京都観世会館

舞囃子《国栖・天地之聲》浦田保親
 左鴻泰弘 林吉兵衛 社中の方 前川光長
 地謡 浦田保浩 林宗一郎
    河村和貴 河村和晃

番囃子《大原御幸》片山九郎右衛門
 後白河法皇 浦田保親 
 阿波内侍 片山伸吾
 大納言局 林宗一郎
 万里小路中納言 江崎欽次朗
 杉市和 成田達志 社中の方
 地頭 片山九郎右衛門
 地謡 宮本茂樹 河村和貴 河村和晃

番外一調 浦田保浩×谷口正壽

舞囃子《卒都婆小町》橋本雅夫
 杉市和 林吉兵衛 社中の方
 又三郎 保浩 保親 茂樹

舞囃子《夕顔 法味之傳》片山伸吾
 杉市和 成田達志 社中の方
 九郎右衛門 宗一郎 茂樹 和貴

居囃子《小鍛冶 重キ黒頭》
 杉市和 成田達志 社中の方 前川光長
 九郎右衛門 保親 伸吾 宗一郎

独調《熊坂》林宗一郎
  《花月》浦田保親
  《杜若》片山九郎右衛門
  《鉄輪》浦田保浩

番外舞囃子《融》林宗一郎
 左鴻泰弘 成田奏 渡部諭 前川光長
 橋本雅夫 片山伸吾 河村和貴 和晃

ほか、素囃子、居囃子、別習一調など多数。


私イチオシの大鼓方・谷口正壽さんの社中会。成田達志さん、奏さんと、大好きな囃子方ファミリーが勢ぞろいした、とてもいい会でした。

社中の方々も、大鼓を打つときの姿勢とフォームが美しく、音色もきれい。若い男性も多く、皆さん、お師匠様に似て覇気があり、雰囲気がプロっぽい。金剛流の居囃子《巻絹》で惣神楽を打たれた方、《小鍛冶・重キ黒頭》・《花月》の方、独調を打った方など凄いお弟子さんが多かった。



ハイライトは番囃子《大原御幸》。
昨年の舞台でもっとも感動した梅若万三郎師の《大原御幸》。あのときの谷口正壽さんの大鼓も素晴らしかった。音色と掛け声によって閑寂な気配がいっそう際立ち、山里のうら寂しく澄んだ空気や鬱蒼と生い茂る新緑の香りが漂ってくるような、心に残る名演奏だった。


舞がなく、謡専用とされてきた《大原御幸》は番囃子に打ってつけ。この日の番囃子を聴いていると、ヴィジュアルに頼らず聴覚だけに集中したほうが、謡と語りが生み出す物語の世界がより鮮明にイメージできるようにも思えてくる。

とりわけ、シテ兼地頭の九郎右衛門さんの描写力は圧巻だった。

「昨日も過ぎ、今日もむなしく暮れなんとす」と、まるで堂々巡りのような、時間の感覚が麻痺するほどの単調で平穏な日常に埋没することで、過去の記憶を封印し、ひたすら目の前の単純な作業に没頭してきた建礼門院の姿が浮かび上がる。


その静かな水面が、ある日突然、上皇の御幸によってかき乱され、固く塗りこめていた忌まわしい記憶が強制的に呼び覚まされる。

クライマックスの入水の場面。
「十念の御為に西に向かはせおはしまし」では、目を閉じて合掌した幼帝のまぶたの裏に映る、西方極楽浄土のまばゆく輝く黄金の光がサーッと射してくるのが見えた。

「今ぞ……知る……」と、ゆっくり引き延ばされた謡によって、カメラが大きくズームインするように、祖母に抱かれて舟の舳先に立つ安徳天皇の入水直前の姿が大きく写し出される。

「御裳濯川の流れには」から、川の奔流のような勢いのある謡に変わり、激流のように流れたかと思うと、「みずからも続いて沈みしを」より、「動」の謡から一転、「静」の謡へと変化し、すべてを失い、ひとり生き長らえた建礼門院の屈辱と悔恨と深い悲しみがあたりに沈澱する。

最後のシテの謡「女院は柴の戸に」は、か細く後を引くように余韻を漂わせ、その声の先に、山里からしずしずと去り、小さく遠ざかる上皇一行の影が目に見えるようだった。




舞囃子《卒都婆小町》
橋本雅夫師の舞ははじめて拝見する。と思ったら、以前に仕舞を拝見したことがあった。そのときは印象に残らなかったけれど、この《卒都婆小町》はよかった。とくに「あら苦しや、目まひや」と、扇で胸をおさえて苦しそうにする型。無駄な力を抜きつつも、的確な表現力はベテランならではの味わい。



独調《杜若》
九郎右衛門さんの《杜若》の謡を拝聴するのはこれで二度目。前回は、高槻明月能での太鼓方・石井敬介さんとの一調。そのときは、ホール能だったのでマイクを通してだったし、プロ同士のいわば対決のようなものだったけれど、今回はお素人との共演だからか、どことなく、やわらかい優しさがある。
清流のように澄んだ声。初夏の花らしい、みずみずしい生命力のある謡だった。

本家玉壽軒の「かきつばた」
この日、2階ロビーのお茶席でいただいたお菓子も「かきつばた」。黄身餡の斑紋を外郎生地の花被片でくるんだもので、見た目にも美しいお菓子。ありがとうございます。



番外舞囃子《融》
やっぱり、関西のお囃子っていいな。

特別感のある色紋付に着替えた宗一郎さん。貴公子然とした物腰が《融》にぴったり。「あっ!」と思ったのは、林喜右衛門師に似てきたこと。
全体的な雰囲気はもとより、扇の扱いも、間の取り方も……喜右衛門師の舞を観た時に感じた、ゆったりした品格が匂いたつ。以前はシャープなキレの良さが魅力的な宗一郎さんだったが、そこからさらに芸格を上げて、御父上の芸にぐっと近づいた気がする。

名家の当主になるって凄いことだ。
それまで身体の奥底でそっと熟成されてきた先人の教えが、その立場になった時に、一気に芳醇な香りを放つような、時分の花ではないほんとうの花が開きつつあるような、そんな印象を受けた。「地位が人をつくる」というけれど、まさにそういうことかもしれない。


リニューアルされた水車稲荷
白川沿いの小道では、一時期撤去されていた水車稲荷がリニューアルされて戻っていた。よかった。なんだかホッとした。





2019年4月21日日曜日

京都文化博物館別館 ~旧日本銀行京都支店

辰野金吾が設計し、明治39年(1906年)に竣工した旧日本銀行京都支店。
現在は京都文化博物館別館となって、ショップやギャラリー、ホールとして使用されています。この日は、アルバート・ワトソンの写真展とトークショーが開催されていました。

エントランス
屋根には、天窓の明かり採りとなるドーマー窓。
入り口を縁取るアーチ形の庇には猫足のような装飾的な支柱がついていて、ざりげなく凝ったデザイン。



吹き抜けの銀行営業室
広い天井には、格子状に区切られたステンドグラスのような天窓。
屋根の上のドーマー窓から採光した明かりが射しこみ、そこからシャンデリアが吊り下げられるという、三重構造の瀟洒な照明。




客だまりと執務室を区切るカウンター

禁酒法時代を舞台にしたハリウッド映画を思わせる。

カウンター下の大理石は岐阜県大垣市の赤坂産。
フズリナやウミユリなどの化石が多く含まれているそうです。赤と白と黒の大理石を組み合わせたデザインも必見。



今にもギャングが押し入ってきそうな出入り口。



この建物の保存に尽力した古代學協會
旧日本銀行京都支店の建物を利用して平安博物館を創設したのが、古代學協會。同協会がこの建物を京都府に寄贈したおかげで、京都文化博物館が創設されたといいます。

古代学協会ってどんな団体なんだろう? 疑問に思い、サイトを見てみると、マヤ文明やラスコーの洞窟壁画のシンポジウムなどをやっていて、面白そう。
でも、ここ5,6年ほどサイトが更新されていないので、活動内容は不明。謎めいていて気になる。




前田珈琲
かつての金庫室を利用した喫茶店・前田珈琲。
重厚な扉が在りし日の姿を物語っています。

(金庫室といえば『野獣死すべし』を思い出す。)




ノスタルジックな店内。ゆったりした時間。
店員さんもお客さんも親切で、居心地がいい。







2019年4月17日水曜日

「北野天満宮信仰と名宝」展&フィルムシアター

2019年4月13日(土) 京都文化博物館
北野天満宮の神輿(桃山-江戸期)

会期終了間近、いつもながら滑り込みセーフで展覧会場へ。思ったよりもすごい人。予想以上に充実した内容だった。

目玉は何といっても、《北野天神縁起絵巻》(承久本)。これは、北野天満宮で御神体のように扱われる国宝の絵巻物であり、全9巻のうち、1~6巻は菅原道真の一生と怨霊になるまで、7~8巻は日蔵像上人の六道めぐり、9巻は7~8巻の裏面に張り込まれていた白描下絵をまとめたものとなっている。


《北野天神縁起絵巻》(承久本)といえば、天満天神の眷属である火雷火気毒王が清涼殿に禍をもたらす第6巻が有名だが、この巻の展示は前期のみ。
後期の展示は、無間地獄を描いた第8巻と、白描下絵の第9巻だった。

北野天神縁起絵巻・第8巻

第8巻に描かれた地獄が迫力満点。
尻尾が三叉になった幻獣や真っ赤な口の大蛇たちがまるでビームのように炎を吐き、亡者たちは炎に焼かれ、蛇に呑み込まれ、八つ裂きにされている。


つづく餓鬼道では、ガリガリに痩せて骨と皮だけになった亡者たちがお腹を巨大な球体のように膨らませ、仲間の餓鬼たちをむさぼり喰うカニバリズムの世界が展開する

餓鬼のなかには、お腹を破裂させて水を噴き出す者や、背中に石をのせられて火あぶりにされている者もいる。


恐ろしく、残酷な世界。だけど、どこかコミカル。劇画チックなユーモアがそこかしこにあふれている。

生き物のようにグルグル逆巻く炎には、まるで岡本太郎の絵のような強烈なインパクトがある。アヴァンギャルドな絵巻物だ。


後代の北野天神縁起絵巻には見られない洗練されていない粗削りなパワーとプリミティブな生命力が画面全体に躍動する。この絵巻を手掛けた絵師たちは、きっと心底楽しみながら、ノリにノッて描いたのではないだろうか。



《太刀 銘・安綱 号・鬼切丸》(別名・髭切)11-12世紀・平安期
坂上田村麻呂が鈴鹿山で鈴鹿御前との戦いに使用。
伊勢神宮に奉納されたのち、源頼光の手に渡り、家臣の渡辺綱が一条戻橋で美女に化けた鬼に遭遇し、その腕を斬ったことでも知られる。

さまざまな伝説を孕んだこの霊刀は、最終的に北野天満宮に奉納された。

刀の中ほどに小さな瑕がいくつかついているのは、希代の英雄たちが魔物や鬼と闘った跡だろうか? 鬼の血を吸った妖刀が目の前にあるなんて、ロマンティック。


それにしても、なんて美しいのだろう。
名工・安綱の研ぎ澄まされた技と、最高品質の出雲産砂鉄から作られた最高純度の玉鋼のもつ霊気、平安時代のものとは思えないほどの鋭利なみずみずしさ。
刀剣女子ではないけれど、彼女たちの気持ちがわかるような気がした。



《雲龍図屏風》17世紀・桃山期、海北友松
こちらも、「文道の太祖・風月の本主」たる天神さんに奉納された社宝。
右隻の龍は、雲中というよりも、昏い深海の泥のなかで蠢くような不気味さ。左隻の龍は、直線的な雲の層から鋭い爪と恐ろしい顔をのぞかせる、どこか飄々とした風情。

力強く無駄のない描線と大胆な筆致は、江戸中期の絵師・曽我蕭白を思わせ、時代を先取りしている。





《十一面観音立像》(12世紀・平安期、曼殊院門跡)
縁起文では、菅原道真(北野天神)は十一面観世音菩薩の垂迹とされる。この立像はもとは、神仏習合の聖地だった北野天満宮に安置されていたが、明治の神仏分離によって曼殊院に移されたという。

いかにも平安仏らしい、ほっこりしたやさしいお顔。お姿も輪郭がやわらかく、和やかなオーラをまとっている。お腹がぽっこりしているのも、微笑ましい。

若いころは、鎌倉初期の慶派による仏像の、凛とした精緻な造形が好きだったが、最近は平安初期・中期のおっとりしたお顔の仏像に惹かれる。わたしも少しは人間が丸くなったのかな?



《北野遊楽図屏風》(17世紀・桃山期、狩野孝信筆)
狩野永徳の次男・孝信の筆。
1・2扇には右近馬場あたりで酒宴や遊戯、歌舞音曲を楽しむ人々が、3・4扇には調理・配膳の様子が、5・6扇には経王堂前で輪舞する人々が描かれる。茶店の屋台や、北野名物・みたらし団子を焼く店も見え、生き生きとしたにぎわいが伝わってくる。

女のように美しい若衆や男装した遊女など、当時の倒錯的な美意識も垣間見える。群集の一人ひとりに、その人ならではの生活・人生・個性が感じられ、いつまで見ていても、見飽きない。




展覧会を見た後は、フィルムシアターで黒澤明の初期の作品『素晴らしき日曜日』を鑑賞。
同館の今月のテーマは「映画が伝える 名もなく、貧しく、そして美しい生活」。なので、『素晴らしき日曜日』も終戦直後の貧乏カップルの極貧の生活を描いた作品だ。

クロサワにもこんな時代があったんだ。。。という内容だったが、ヒロインに抜擢された中北千枝子の演技が光っていた。
最初は、平凡な顔立ちの小太りの女性に見えていたのが、映画が進むにつれて、しとやかで献身的な日本女性に見えてくる。うつ伏せになって泣きじゃくるところや、相手役の男性を物問いたげ見つめるまなざしなど、『羅生門』の京マチ子を彷彿とさせる。監督の演出とカメラワークによって新人女優が磨かれていく、その過程がつぶさにわかる作品だった。

この時代の女優さんって、しぐさや物腰の端々に女らしさが滲み出ていて、顔が十人並みでも、観ているうちに美人に見えてくる。男性を立てる気配りや、ずけずけとモノを言わない奥ゆかしさが、昔の日本女性を美しく見せていた。





2019年4月13日土曜日

六角堂 春の幻想空間~いけばなライトアップ

2019年4月13日(土)頂法寺(六角堂)

京都文化博物館の帰りに、六角堂の夜間拝観へ。




しだれ桜とお月さま。
花は香り、月はおぼろな春の夜のひととき。
まさに、春宵一刻価千金。




きれいだなぁ。



言祝ぎ
門前に飾られたいけばな。
「新たな時代の到来を数多の祝杯を寄せ合い、歓びます」とのこと。
今の時期にぴったり。ひと際おめでたい作品。




御前立ちの如意輪観音さまに拝礼。寺紋はもちろん輪宝。




善男善女が大勢参拝してました。



昼間はかわいい十六羅漢も、ライトアップされるとちょっと怖い?





境内にはいけばなのディスプライがたくさん。




聖徳太子が水浴したとされる池には、白鳥のカップルが泳いでいました。
一見、優雅そうに見えますが、人に噛みつくので危険とのこと。なかなかワイルドなスワンです。




こちらは人工的なライティングのアレンジ。




こちらは風に吹かれて、だいぶ乱れてしまっていました。


縁結びの柳
嵯峨天皇がお后を探していたところ、「六角堂の柳のもとに行きなさい」という霊夢を蒙り、行ってみると、そこには絶世の美女が。ふたりはめでたく結ばれた、というエピソードから、この柳は「縁結びの柳」といわれているそうです。


去りゆく平成、近づく令和。
散りゆく桜を見ると、花も平成を懐かしんでいるように感じます。
惜春に、平成を惜しむ気持ちが重なって。
夢のような京の春、夢のような平成の御代。






京都能楽養成会 平成三十一年度第一回研究発表会

2019年4月10日(水)17時30分~19時 京都観世会館
雨の白川、名残りの桜

仕舞《田村クセ》 湯川稜
  《花月キリ》 向井弘記
  《国栖キリ》 惣明貞助
 地謡 山田伊純 辻剛史

舞囃子《芦刈》 河村和晃
 左鴻泰弘 吉阪一郎 河村裕一郎
 地謡 片山九郎右衛門 梅田嘉宏
    河村浩太郎 樹下千慧

舞囃子《経正》 樹下千慧
 左鴻泰弘 吉阪倫平 河村凛太郎
 地謡 田茂井廣道 梅田嘉宏
  河村浩太郎 谷弘之助

小舞《土車》 柴田鉄平
  《雪山》 茂山竜正
  《宇治の晒》茂山虎真
 地謡 茂山千作
 茂山千五郎 井口竜也

舞囃子《放下僧》辻剛史
 左鴻泰弘 吉阪一郎 河村凛太郎
 地謡 宇髙徳成 山田伊純
 惣明貞助 向井弘記 湯川稜

舞囃子《鵜飼》河村浩太郎
 ワキ謡 原陸
 左鴻泰弘 吉阪一郎 河村裕一郎 前川光範
 地謡 田茂井井弘道 河村和晃
    樹下千慧 谷弘之助



大神神社の後宴能に行こうか迷ったけれど、冷たい雨のため養成会の発表会へ。出演能楽師さんのなかには三輪さんと掛け持ちの方もいらして、大変そう。。。
でも、鳥肌が立つような舞台が拝見できたから、こちらにしてよかった!


舞囃子《芦刈》 
河村和晃さんの舞は初めて拝見する。
謡が素敵で、キリリとした舞。恰幅のいい方なので男舞がすっきり似合う。直面物だし、年齢的にもシテの日下左衛門と重なる部分があり、すんなりと曲のなかへ入ってゆける。

地頭は片山九郎右衛門さん。昨年の後援会能の《芦刈》を思い出す。シテで舞った時と、地謡で謡った時とでは、こちらの見える世界が違ってくる。
吉阪一郎さんと河村裕一郎さんの大小鼓の息も合っていて、良いお囃子だった。



舞囃子《経正》 
凄い! 

シテの樹下千慧さんの舞は、わたしが東京にいた頃からだから、かれこれ4年以上は拝見しているだろうか。はじめて観た時から上手い方だと思っていたが、伸び盛りの若竹のような成長ぶりには目を見張る。東京でいうと、武田祥照さんを観た時のようなたしかな手応えを感じさせる。

冒頭のシテの謡「いや雨にてはなかりけり、あれ御覧ぜよ雲の端の」からグッと観客の心をつかむ。舞グセで夜遊の面白さを表現したかと思えば、そこから一転、シテが足拍子を力強く踏むと、突如としてただならぬ気配が舞台を包み、シテの様相が豹変。カケリを舞うシテの視線の先に無数の敵が見えてくる。経正の猛り狂うような怒りが凄まじい気となって放出され、紅蓮の炎が雨のようにシテに降りかかる!

この、舞台の空気をガラリと変える足拍子の表現、見えないものを観客の目の前に出現させる力量。凄すぎて、身震いがした。

吉阪倫平さんは弾けるように小気味よい音色。いつもながら、チ・タ音がとりわけきれい。河村凛太郎さんはフォームから掛け声をかけるときの顔の筋肉の動かし方まで、お父様にそっくり。




舞囃子《鵜飼》
河村浩太郎は緩急のついた舞。下半身が安定していて、どの角度からみても、舞の輪郭が美しい。

 
金剛流の舞は流れるような感じで、湯川稜さんの謡と、惣明貞助さんの個性を感じさせる舞、そして《放下僧》の地謡が特に印象に残った。








2019年4月9日火曜日

京舞井上流 澪の会《三面椀久》

2019年4月7日(日)19時~21時 片山家能楽・京舞保存財団

第1部 義太夫上方唄《三面椀久》
  椀久  井上八千代
  面売り 井上安寿子

第2部 座談会

祇園白川の夜桜
桜が見頃を迎え、京都はいつにも増して観光客でごった返し、澪の会も休日だったこともあり、あっという間に満員御礼に。整理券を求めて並ぶ行列のなかには、「都をどり」の出演を終えて南座から駆けつけた女義太夫の方々のお顔もあった。


さて、この日の演目は《三つ面椀久》。
井上流ではめったに上演されない大曲で、八千代さん自身は五世井上八千代襲名公演以来、なんと18年ぶりに舞われるという。

能楽片山家と京舞井上流が共有する稽古舞台
歴代当主と家元の写真が見守っている

「18年前に初めて舞った曲が自分のなかにどれくらい残っているのか試してみたかった」と、八千代さんはおっしゃっていたが、わたしには名人芸を通り越して、人間離れした超人芸に見えた。襲名披露公演での《三面椀久》は拝見していないが、おそらく、そのころに比べて長い時間をかけて熟成発酵させた、味わい深い内容だったのではないだろうか。


《三つ面椀久》はその名の通り、田舎大尽・傾城・幇間の三種の面で三役を舞い分けるのが見どころ。コミカルな舞だが、それを舞いこなすには極めて高度な技と芸力と身体能力が要求される。義太夫と上方唄の掛け合いも聴きどころのひとつ。


また、《三つ面椀久》の前半部分には、一中節の《賤機帯(しずはたおび)》からの引用も含まれている。《賤機帯》は、能《隅田川》《桜川》《班女》に取材したもので、愛しい相手を求めてさまよう狂女の心情が、傾城松山に恋い焦がれて精神を病んでいく椀久の姿と折り重なる。それゆえ、椀久の狂いには、少し女っぽい風情があるという。


東京の椀久は、片岡仁左衛門が舞われたような美しい椀久。それに対して、もっさりした垢抜けないところが、上方の椀久の魅力だと、八千代さんはおっしゃっていた。



安寿子さんが担いでいた面売りの屋台

前置きが長くなったが、いよいよ上演。

舞台下手の襖がスッと開き、椀久役の八千代さんがすべるような足取りで入ってくる。舞台が、硬質な空気に一変する。この登場の仕方がなんともカッコいい。

裾模様の入った深緑の着物に半幅帯を貝の口に前結びにして、黒い紗の羽織を狂女風に脱下ゲにつけいる。杖を上方に振る所作は、能《善知鳥》を思わせる。


ところどころに、椀久らしく、肩を詰めて後ろから前に下げる所作や、頭をぐるぐるまわす所作が入る。前者は「傾城松山に気持ちが届かず、しょぼくれた気持ち」を、後者は「どうしたもんや。。。」と途方に暮れた気持ちを表しているという。


やがて、面売り三太郎に扮した井上安寿子さんが登場。名古屋帯を矢の字に結んだ浅黄色の色無地姿に、面売りの屋台を天秤棒で担いでいる。


《三面椀久》は、一応、二人舞ということになっているが、相舞はほとんどなく、椀久と面売りの掛け合いが少しあるだけ。あとは面売り単独の舞のあいだに、椀久が後ろを向いてクツロギ、少し息を整える。椀久のパートは超ハードな舞や技の連続なので、この呼吸を整える休憩タイムは必要不可欠ではないだろうか。


狂言《茸(くさびら)》のように、つま先立ちで座って、膝から下だけを細かく動かしながら8の字に移動する箇所もあったが、その時も、八千代さんの着流しの裾はまったく乱れない! 顔色一つ変えず、息も上がらず、涼しい顔でこの技をこなしておられた。


後半では八千代さんが三つの面をすばやく着け替え、三者三様の所作や物腰、身のこなしを一瞬にして切り替える。その鮮やかさ、見事さに息を呑む。
面は口にくわえる「くわえ面」なので、ただでさえ呼吸困難になりがちなはず。そのハードさたるや、実際に演った者しかわからない辛さ・苦しさがあると聞く。


しかし、大曲の重さ、困難さに反比例するように、八千代さんの舞や所作はじつに軽妙だ。この軽やかさ。超一流の人だけが表現しうる、この「かろみ」。


「年を重ねると、力の抜き方が分かる」「息を詰めるところ、固めるところと、息を抜くところ、身体を楽に遣うところとが、分かってくる」と、八千代さんはおっしゃっていたが、その言葉通り、身体を自由に、軽妙に使いこなしていらっしゃる。


田舎大尽は、「ごつんと、もっさりした」やや武骨な物腰。
傾城は、しどけなく寝そべるなど、艶っぽい所作。
太鼓持ちは、思わず笑いだしたくなるようなひょうきんさ。
この早変わりを、一瞬で表現していく。


要所要所で足拍子が入るのだが、同一平面上のお座敷だからこそ、足拍子の振動がこちらにダイレクトに伝わり、これが身体の芯に共鳴して心地よく作用する。


名人の足拍子は、その役によって周波数を変えるものなのかもしれない。

足拍子の振動を通じて、椀久の狂気、愛しく切ない気持ち、うたかたの享楽に身をゆだねる陶酔がこちらにも伝染し、いつしか椀久と一体となって大尽遊びの快楽のなかに引き込まれていた。

最高の芸とは、観る者の身体に感じさせる芸だとあらためて思う。


整理券を求めて長時間並ぶのは正直しんどいけれど、やっぱり来てよかった!
また来たい、なるべく見ておきたい、いや、また身体で感じたい。



追記:5世井上八千代による《三面椀久》は今年の秋、東京・国立劇場でも上演されるそうです。