2016年6月23日木曜日

東京青雲会 能《胡蝶》・舞囃子《忠度》《海人》など

2016年6月22日(水) 14時~17時10分  宝生能楽堂

素謡《鉄輪》シテ葛野りさ
      ワキ関直美 ワキツレ武田伊左
      地謡 内田朝陽 土屋周子

舞囃子《忠度》 藪克徳
   《海人》 金森良充
   熊本俊太郎 鵜澤洋太郎 亀井洋佑 林雄一郎
   地謡 今井基 佐野弘宜 川瀬隆士 藤井秋雅

仕舞《三輪クセ》 辰巳大二郎
  《玉之段》 朝倉大輔
   地謡 辰巳和麿 金森隆晋 田崎甫 金井賢郎

仕舞《昭君》 土屋周子
    地謡 葛野りさ 内田朝陽 関直美 武田伊左

能《胡蝶》 シテ 上野能寛
      ワキ 野口能弘 アイ 竹山悠樹
          
熊本俊太郎 鵜澤洋太郎 亀井洋佑 林雄一郎

      後見 内藤飛能 朝倉大輔
      地謡 辰巳大二郎 當山淳司 金野泰大 今井基
         木谷哲也 藤井秋雅 金井賢郎 辰巳和麿

         


シテも、地謡も、後見も、すべて若手による公演。
それにしても宝生流は、若手の層が厚い!
そして着実に力をつけている。
このまま切磋琢磨し続ければ、宗家をはじめとしてこの方たちが40~50代になる頃には凄いことになっているのでは? そんな宝生流躍進の未来を予感させる熱い舞台でした。


素謡《鉄輪》
こ、こわい……。
女流による《鉄輪》の素謡は、ある意味、面をつけた能よりも怖い。
シテの葛野りささんと、ワキツレの武田伊佐さん、うまいですね。
とくにシテ。
「または恨めしく」や「いでいで命を取らん」のところ、怨みというか、怨念がこもっていて女流ならではの面白さがある。

地謡も「消えなん命は今宵ぞ、痛はしや」のところなど、迫力ありました。



舞囃子《忠度》
藪克徳さんは舞に関しては、力のある中堅レベルの方だと思う。
青雲会に御出演されるのが不思議なくらい。

非常に抑制が効いていて、内に、内に、力が向かっていく充実感。
派手さはないけど、渋みのある堅実な好い芸です。
年齢が増し、磨かれていくほどに、黒光りのするような芸。


ただ、立ち上がる前の「されどもこの人」の謡は良かったのですが、舞のなかで謡うと声が口の中でくぐもった感じになり、詞が聞きづらくなるのが惜しかった……。


この舞囃子では地謡も良かった!



舞囃子《海人》
金森良充さんは1年前に仕舞、半年前に《舎利》のツレ、それから《忠信》の立衆を拝見したのですが、この方、明らかに上手くなってる!
階段を何段かのぼった感じで、芸格が上がったというか、確実にグレードアップされていた。


重心をグッと低く、重く置いて、体軸がぶれずに引き締まり、型が美しく決まっている。
高い集中力で気を舞台に集め、こちらもぐんぐん引き込まれてゆく。

こんなふうに芸の向上を目の当たりにすると、観ているほうも嬉しくなる。

なんだか、胸がじーんと熱くなりました。



仕舞《三輪クセ》
この日は着信音が何度も鳴ったり、開演中の出入りが多かったりと、見所のマナーがとても悪く、この仕舞の最中もザワザワしていました(こういうのほんと悲しくなります)。

そのせいなのか、
辰巳大二郎さんは上手い方で楽しみにしていたのですが、なんとなく今ひとつ乗りきれていない印象で、集中力がほんの少し途切れたように感じたのは、こちらの注意力が散漫になったからかもしれません。



仕舞《玉之段》
恰幅が良く、能楽師としてのしっかりした骨格を持つ身体。
舞姿にキレと「華」があり、玉之段の見せ場も表現力豊か。
これからが楽しみな方です。



仕舞《昭君》
力強い謡と足腰。
足を傷めていらっしゃるような気がしたけれど(気のせいかも)、迫力のある舞でした。

宝生流は女流の方々もレベルが高いのですね。



能《胡蝶》
シテの上野能寛さんは去年藝大を卒業し、現在は住込みで内弟子修業中とのこと。
宝生能楽堂ではこれが初シテとなるそうですが、落ち着いていらっしゃって初シテとは思えない。

そしてとにかくこの方、謡が巧い!

面をかけているのにこの声量。
よく通る声質と、宝生の謡としての味わい。
幕の奥から「の~うのう御僧は」と呼び掛けただけで観客の心をガッツリつかむ。
これは謡の上手い人の大きな強みだと思う。


出立はあでやかな段に檜垣花文様の紅入唐織。
面はおそらく小面。
立ち姿がなんとも可憐で愛らしい。


この若さで、これだけ面が生きているのも凄い。
特に中入前の「昔語を夕暮れの、月もさし入る宮のうち」で、月を見上げる風情で脇正上方を向いたときの、どこか懐かしげで夢見るような表情が印象的だった。


前場でもうひとつ印象的だったのはワキ方の出で立ち。
(薄灰桃色の水衣にグレーの無地熨斗目、藍色の角帽子)

角帽子の上から笠を被って登場するのですね。
名乗りと着ゼリフのところでそれぞれ笠をとるのですが、そのたびに角帽子を手で整え、角帽子がピンと立つのも面白い。
笠で角帽子がペシャンコにならないのが不思議。
(野口能弘さんの待謡もよかった。)


シテの中入のとき、森田流では送り笛を吹かないのだけれど、代わりに間狂言の途中からアシライ笛が入ります。
熊本俊太郎さんのこのアシライ笛がとても美しく、うっとりと聴き入ってしまいました。


やっぱり宝生能楽堂は音響がいいですね。
お囃子も地謡もとてもよく、視覚・聴覚ともに楽しめました。





2016年6月18日土曜日

第三回東京真謡会大会

2016年6月18日(土)  分林道治師社中会    国立能楽堂

番外仕舞《雨之段》  片山九郎右衛門

能《羽衣・和合ノ舞》
    ワキ 福王和幸 ワキツレ 村瀬提
    杉信太郎 成田達志 柿原弘和 観世元伯
    地頭 片山九郎右衛門
    後見 分林道治

他に能《清経》、舞囃子8番(柿原孝則さん5番担当)、仕舞・素謡・連吟・番外仕舞など。
地謡は関西陣+銕仙会+梅若会から角当直隆さんが参加。




セルリアンタワー15周年記念公演以来、心待ちにしてきた番外仕舞!
7~9月の舞台までに九郎右衛門チャージができて有り難い。


九郎右衛門さんの仕舞は、
ほとんど静止しているような微少な動きのなかに、
想像力をかき立てるさまざざなものが凝縮されていて、
わたしにとっては能10番分にも匹敵するほどの価値のあるものなのです。


能《羽衣》の直前に番外仕舞が組み込まれていたため、仕舞の最中でも人が大勢でガサゴソと見所に入ってきたり大声で話し続ける人が多かったりと、わたしが経験した中でワースト5くらいの騒々しく雑然とした状態だったのですが、九郎右衛門さんが舞う空間だけは異次元に属していて、何ものにも侵されず、清浄で閑かな時間が流れていました。



仕舞《雨月・雨之段》

澄み切った秋の夜空。
時雨を思わせる松風の音。

庭には吹き散らされた木の葉が積もり、金色の月の光が降り注ぐ。


月光で満たされた舞台の上で静かに、ゆったりと舞うシテの姿。
一瞬、一瞬が露のしずくのように煌めきながら弾けてゆく。


どの瞬間をとっても、
わずかな弛みも、崩れもなく、

舞台空間に気を漲らせつつも、
余分な力みがまったくない。

肩の力を抜いた高度な緊張感。



積もる木の葉をかき集め 雨の名残りと思はん


この落ち葉をかき集める型に枯れ寂びた趣きがあり、
露に濡れ、紅葉色に染まった袖の色彩や湿り気さえ感じさせる。



九郎右衛門さんが織りなす禅竹の世界。
なんて、きれいなんだろう!

充実した身体が生み出す精巧な表現力に圧倒された。


この日の九郎右衛門さんからは、
1年前には感じなかった透明感のある風格のようなものを感じた。



そして、能《羽衣》で地頭を勤めたあと、片山家当主は翌日の福岡での白式神神楽に備えて国立能楽堂をあとにしたのだった。



能《清経》のシテは分林道治さんの御親族で、有名な実業家の方。
舞台馴れしていて、装束も豪華。とてもきれいでした。


舞囃子《邯鄲》を舞われた方は、たしか昨年の佳名会・佳広会でも、舞囃子《鵺》(シテ片山九郎右衛門)で、大鼓を打っていらっしゃったように記憶。
この日もセミプロレベルのとても魅力的な舞を披露されていました。



お囃子もゴージャスで、とくに元伯×ナリタツの組み合わせは嬉しいかぎり。
序ノ舞の序の小鼓と太鼓の掛け合いが凄くカッコよかった!!






2016年6月6日月曜日

第八回 燦ノ会 《桜川》

2016年6月4日(土)14時~17時40分  喜多能楽堂
燦ノ会 《高砂》 狂言《清水》からのつづき

燦ノ会ポスター
能《桜川》シテ桜子の母 佐々木多門
                子方・桜子  大島伊織 
     ワキ磯部寺の住僧 大日方寛 従僧 野口能弘 野口琢弘
     人商人 舘田善博
     栗林祐輔 森澤勇司 安福光雄
     後見 友枝昭世 粟谷浩之
     地謡 香川靖嗣 大村定 中村邦生 長島茂
            友枝雄人 内田成信 友枝真也 谷友規



佐々木多門さんは昨年の能楽会・新会員披露会でキラリと光っていたシテ方さん。
この日の《桜川》も多門さんならではの、どこか温かみのある美しい舞台でした。


前場】
まずは、筑紫日向で桜子を買い取った東国の人商人(舘田善博)が桜子から託された手紙を、桜子の母に渡しにゆく。

幕から登場したシテは青灰と金茶段替の渋い唐織熨斗付に上品な曲見。

夫の忘れ形見で最愛の息子からの文を読み終えたシテは、
「それほど名残惜しいのなら、どうして母と一緒に暮さずに、別れてしまうのか」と、
開いたままの文を左手に持ち、しばし放心したように橋掛りに佇む。

母の苦労を慮って、自らを人商人に売ったわが子。
それを知った母の複雑な心境がその所作に凝縮されているようでした。


(男の子が「桜子」と名付けられたのは木花咲耶姫の氏子だからというのもあるけれど、男児の死亡率が高かった時代に「魔除けとして」に女の子に見せかけて育てたという風習の表われでもあるのでしょう。西洋でもよく男児に女児の恰好をさせていたし。)



シテは陰鬱な足取りで橋掛りを進み舞台に入って、正中にて「どうか桜子を引き留めてください」と木花咲耶姫に両手を合わせて祈りを捧げる。
こういう真摯で敬虔な心情をあらわす型の表現力が、この方の持ち味だと思う。
この表現力のおかげで、観る者が主人公の母の気持ちにスーッと入っていける。


悲しみに打ちひしがれた母親は故郷をあとにして、わが子を探しに彷徨い出てゆく。



ここの中入アシライもよかった!
大小鼓・笛ともに好い組み合わせ。
笛の栗林さん、ほんと、聴くたびに上手くなりはる。
シテの救いのない深い悲しみや喪失感を代弁するような切々とした音色。
安福光雄さんも、大鼓方四十代部門ではいちばん好きな囃子方さん。
表立ってリードするのではなく、囃子全体をしっかり支える堅実な演奏で舞台を盛りたてる。
(掛け声のバランスも心得ていて、気迫がこもっていながらも謡の邪魔をしない。)




後場】
舞台は三年後の常陸の国・桜川。
磯部寺の僧たちが稚児を連れて花見をしていると、一人の女物狂いがやってくる。


一声の囃子で登場した後シテ。
清流を思わせる薄浅葱色の水衣に、笹柄の濃紺の縫箔。
そして桜川そのものをあらわしたような鮮やかな青地に桜模様の鬘帯。
肩に担った桜色のすくい網には花びらが散らされていて、全体的に華やかな印象。



面は前シテと同じ曲見だけど、この面は変幻自在の女面で、
シテの動きや光の加減によって、可憐な少女のように見える時もあれば、
妖艶な美女にも、憔悴しきった中年女性にも、
何かに憑かれた物狂おしい女にも見え、
この女性が歩んできた波乱に満ちた人生の片鱗を垣間見せるような表情を浮かべる。


桜子の母と同化したシテの面の扱いを通して、
観客はこの母の過酷な半生と三年に及ぶ長い旅路に思いをはせる。
ときおり何かを訴えかけるようなまなざしを見せるのが印象深い。




【カケリ】
桜が散る風情に刺激されて、シテは焦燥感に駆られたようにカケリに入ってゆく。


カケリの後、紀貫之や藤原基家の和歌が散りばめられた美しい詞章のなかで、
シテはこれまでの経緯をワキの僧に語る。

その間、この箇所の大半を大小前で不動のまま立ち、比較的冷静な正気の状態を表現する。
わずかな脈動でもその振動が網に伝わり、かすかに揺れるすくい網が正気の母の心の奥底に渦巻く不安定な情緒を表わしているかのよう。



イロエ】
そこから、「桜か」「雪か」「波か」「花かと」と、シテ・ワキの掛け合いに入り、シテの気持ちも次第に高揚して、「雪を受けたる袂かな」で、イロエへ。

すくい網から扇に持ち替えたシテは高まる興奮を秘めたまま、舞台を一巡しながら狂いの要素をやや抑えた舞を舞う。




【舞グセ】
イロエのあと、いったんグッと鎮めて、シテは再び大小前で不動の姿勢となり(ここで後見の友枝さんがシテの装束を整えたついでに舞台の塵をさりげなく拾ったのが印象的だった)、地謡が「岸花紅に水を照らし、洞樹緑に風を含む。山花開けて錦に似たり、澗水たたへて藍のごとし」と、漢詩を引用した色彩豊かな風景を描き出す。


この「静」の状態から、舞グセとなり、古今集の序や歌を織り込んだ謡の流れるなか、シテはしっとりとした静かな舞を魅せてゆく。


散る花の儚さにわが身を重ねた、露の煌きのようせつなく甘美な舞。



そこからしだいに母性を強め、「木花咲耶姫の御神木の花なれば、風もよぎて吹き、水も影を濁すな」で、扇面に水鏡の反射を映すように、開いた扇を下向きにかざす。


さらに「花によるべの水せきとめて」で、開いた扇をグッと胸の前にあてる。
この水流を堰き止めるような型には、散りゆく花に桜子の面影を重ねて、わが子を引き留めようとする母の一念がこもっていて、観る者の胸を打つ。



【網ノ段】
散りゆく花に、心をいっそう昂ぶらせたシテは扇からすくい網に持ち替えて、曲中最大の見どころの網ノ段を舞う。
これはほんとうに素晴らしかった!


観世流ではイロエの前の地謡「浮かめ浮かめ」で、網をもったまま両手を上げて足拍子を踏む特徴的な型をするのですが、喜多流では網ノ段の「みよし野の」で、両手を上げ、すくい網を後ろにまわして足拍子を踏みます。


シテの面の扱いや網で掬う所作がじつに巧みで、曲見の面は紅潮したように生気を帯び、川底を泳ぐ魚の群れや水の流れ、雪のようにはらはらと水面に散る桜の花びら、飛び散る水しぶきを感じさせ、夢中になって花を掬う母の渇望や衝動がダイレクトに伝わってくる。
シテも無心で舞っているように見えた。


だが、ここで母はハッと我に返り
掬い集めたものは木々の花で、自分が本当に求めるわが子ではないという現実を正視し、
呆然と網を落としてガクリと安座し、モロジオリ。


そこで、桜子が名乗り出て、母子は感動の再会を果たす。
(長時間座りっぱなしで大変だった子方さんもホッとした表情。)


シテは驚いたように立ち上がり、両ユウケンで歓喜の心をあらわし、
大事そうに、愛おしそうに、わが子の肩に手を載せる。
ほんとうはギュッと思いっきり抱きしめたいような、熱い母性を感じさせる再会のシーン。
わたしもじんわり目に涙。


この日の公演は能・狂言とも、なんだかとっても幸せな気分になる舞台でした!






燦ノ会 《高砂》 狂言《清水》

2016年6月4日(土) 14時~17時40分    喜多能楽堂


能《高砂》 シテ翁・住吉明神 大島輝久
      ツレ姥 佐藤寛泰
      ワキ阿蘇宮神主友成 殿田謙吉
      従者 御厨誠吾 森常太郎
      アイ高砂の浦人 山本凛太郎
            竹市学 田邊恭資 亀井広忠 小寺真佐人
      後見 塩津哲生 金子敬一郎
      地謡 粟谷能夫 出雲康雄 粟谷明生 狩野了一
               粟谷充雄 塩津圭介 佐藤陽 狩野祐一

狂言《清水》太郎冠者シテ 山本東次郎 アド 山本則秀

能《桜川》シテ桜子の母 佐々木多門
         子方・桜子  大島伊織 
     ワキ磯部寺の住僧 大日方寛 従僧 野口能弘 野口琢弘
     人商人 舘田善博
     栗林祐輔 森澤勇司 安福光雄
     後見 友枝昭世 粟谷浩之
     地謡 香川靖嗣 大村定 中村邦生 長島茂
            友枝雄人 内田成信 友枝真也 谷友規


公演パンフレットが充実。特に竹市学さんのインタビューが興味深い。
「不良少年だった」というのは、うん、わかる、わかる。
ヤンキーっぽい刺客のような雰囲気を持つ竹市さんの見た目そのものだもの。

歌口の「ヒゲずれ」や空港の荷物検査で能管が引っかかることなど、面白いネタが満載で、
「地方在住の力のあるお囃子方をお呼びする、というのが『燦ノ会』の活動指針の一つ」というのも嬉しい。

そんな竹市さんの加わった今回の公演。
能・狂言ともに番組も配役も囃子方の組み合わせもバランスがいい。
特に囃子方は二曲ですべて流儀を変え、力のある若手・中堅でそろえていて、よく考えられているな、と。


能《高砂》
【前場】
真ノ次第。冒頭から竹市さんの鋭い笛が冴える。
広忠さんもすでに前場から、神舞に向けてアクセルをブンブン吹かしているよう。
笛・大小鼓とも気合入ってます!


前シテは小格子厚板に茶水衣肩上げ、白大口。
面は品格のある小牛尉。
肩にはサラエ(熊手のようなやつ)ではなく、杉箒を載せて登場。
ツレは間道縞の唐織にグレーの水衣。姥の面。


シテの動きは前場から颯爽としていて、橋掛りから舞台に入る際の足取りも軽快で、動きや舞にもキレがある。
このあたりはたぶん、「老翁」といっても住吉明神の化身なので、生身の老人らしさはそれほど必要ないから?

(上掛りでは前シテ・ツレは住吉・高砂の松の精の化身だけど、下掛りでは両明神の化身でこちらが原形。)


大島さんは謡もうまく、居グセの姿もスッキリしている。
ツレが少しぐらついているのを見ると、不動のまま美しく存在することがいかに難しいのかがよく分かる。


「相生の影ぞ久しき」で、シテは左膝をついて箒を置き、肩上げした水衣の袖が、後見によって下ろされる。

作業者としての人間的なものが取り除かれ、シテ・ツレは「高砂住之江の神ここに相生の夫婦と現じ来たりたり」と正体を明かす。


そして、「海人の小舟に打ち乗りて」で舟に乗り、
「追い風にまかせつつ沖の方へ出にけり」で、帆に見立てた袖に追い風を受けるように両腕を開いたまま、正中から橋掛りへ進んで、中入。



【後場】
ワキの晴れやかな待謡のあと、出端の囃子に乗って後シテ登場。
出立は鶴と槍梅模様の縹色の狩衣(露は朱色)に白大口。
透冠・黒垂に邯鄲男。

神舞は達拝なし。
竹市さんの笛の鋭利な切れ味と、大島さんの颯然とした舞。
威勢のいい大小鼓。
太鼓は掛け声がやや不調気味だったけど、打音は健在。


キリリと巻き上げる袖扱いもカッコよく決まって、清冽な神舞でした。

「さす腕には悪魔を祓ひ」で、両ユウケンがないのが印象的。
(たしか宝生流でもなかったから、ここでこの型をするのは観世だけなのかも←別に観世の回し者でも、お稽古をしているわけでもないのですが、なんとなく初期設定が観世流になっているだけなのです)。

最後は常座で留拍子。




狂言《清水》
大好きな東次郎さんの《清水》。

さすがにカマエからして美しい。
型の正確さ、声音の絶妙な変え方、ぶれない体軸、軽やかな動きを支える強靭な足腰。
そして何よりも、神業的な間の取り方。

紺の半袴、縞熨斗目着付に白い芭蕉葉を大胆にあしらった焦げ茶の肩衣。
東次郎さんはいつも装束のセンスが好い。

主人の前で、鬼の様子を「いで食らおう」と再現してみせ、自分が鬼に化けていたことを見破られそうになったのに気付き、「しまった!」とばかりにハッとする太郎冠者。
ここの表現が秀逸。

相手の正体を暴こうとする主人との掛け合いも見事で、見所は大爆笑。

やっぱり山本家の舞台は最高です。

狂言の笑いっておしゃれだなーと思った一番でした。


第八回 燦ノ会 《桜川》につづく