2016年2月29日月曜日

矢車会

2016年2月20日(土) 11時~17時15分  国立能楽堂
                  観世流太鼓方宗家社中会
番外連調《金札》
舞囃子
《高砂》   シテ 坂井音雅
《吉野天人》   高橋弘
《小塩》     上田公威
《弓八幡・五段》 坂井音晴
《巻絹・神楽留》 梅若玄祥
  笛  藤田次郎/一噌庸二
  小鼓 鵜澤洋太郎/大倉源次郎
  大鼓 安福光雄/柿原弘和

番外一調 
《唐船》 坂井音雅×小寺真佐人
《野守》 上田公威×田中達
《百萬》 中森貫太×麦谷暁夫
《春日龍神》 坂井音晴×林雄一郎

舞囃子 
《賀茂・素働》             観世恭秀
《遊行柳・青柳之舞・朽木留》木月孚行

独鼓《六浦》 坂真太郎
一調《山姥》 藤波重彦
   《西行桜》梅若玄祥

舞囃子
《阿漕》 中森貫太 待謡 森常好
《邯鄲バンシキ》藤波重孝
    大鼓 佃良勝

一調一管《雲林院》梅若玄祥×一噌仙幸
連調《呉服》全員社中の方
  《箱崎》観世元伯・御令嬢

番外一調《杜若》木月孚行×小寺佐七
    《松山鏡》坂井音隆×徳田宗久

舞囃子
《当麻・乏佐之走》観世喜正
      待謡 森常好
《梅》       関根祥六→休演
《養老・水波之伝》 浅見重好
《葛城・大和舞》  武田尚浩
《誓願寺》     角寛次朗
《三輪》      坂口貴信
《難波・五段》   坂井音隆
   笛  一噌仙幸/一噌隆之/寺井宏明
   小鼓 観世新九郎/幸清次郎
   大鼓 亀井忠雄/亀井広忠



今回、出演シテ方は全員観世流。
せっかくなので舞囃子については虚心坦懐に、
初めて能を観る外国人になった気持ちで鑑賞することにしました。


曲の内容や詞章の意味は気にせずに、
身体表現や体軸、腰の位置や重心のとり方、
演者から発せられる「気」とその圧力などにポイントを絞って拝見。


身体が細い、というか身体が薄いと、型の遠心力に振り回されて、
舞いの形がカクカクと角張った印象になりがちです。
重力波ではないけれど、ある程度の重力がないと
舞台の時空間に大きく作用して
観る者をグイグイ惹きつけるのは難しいのかもしれません。
(太りすぎも良くないので、
自分の骨格に合わせて身体をどうつくっていくかという問題もありますが。)


とはいえ、身体がスリムでも、
観世恭秀師や木月孚行師レベルになると腰が安定し身体が充実して、
体軸に沿って気がスーッと通っているため、型に振り回されることなく、
舞の輪郭がしなやか且つ、しっかりして美しい。



認識を新たにしたのが、中森貫太師の舞。
かんた先生については謡いに惹かれることのほうが多かったのですが、
この日は舞姿がほんとうに素晴らしく、訴求力の高さに圧倒されました



坂口貴信さんの舞も久しぶりに拝見したのですが、
さらにさらにグレードアップされていて、
おそらく外国の方が何の予備知識もなく鑑賞されたとしても、
何か神秘的でドラマティックなシーンが展開されているのが
伝わって感じるものがあったのではないでしょうか。
(優れた能役者の芸は言葉を超えて人を感動させるだけのパワーがあると思う。)
坂口さんの高い集中力と曲への没入感には味方玄師のそれを思わせるものがあります。


このほか一流の舞い手ばかりなので、どこで休憩を取るか悩む~。
分身の術を使えたらいいのに。



社中の方々も皆さん、下半身もフォームがしっかり安定していて、
どなたも素晴らしい演奏でした。

なかでも聴きごたえがあったのは《邯鄲バンシキ》と《養老・水波之伝》を打たれた方々。


《養老・水波之伝》は舞の囃子のなかでいちばん好きな曲で、
もしもわたしが太鼓を習っていたとしたら、
絶対に憧れて目標にしていたと思います。


その曲を、一流の方々を相手に堂々と打っていらっしゃって「凄い!」の一語に尽きます。
掛け声も良く通っていて、どれくらいお稽古をされているのだろう。
セミプロレベルでした。
舞台であれくらい打てたら気分爽快だろうなー。



とても勉強になった社中会でした。



2016年2月14日日曜日

能と土岐善麿 《実朝》を観る ~能《実朝》後場

能と土岐善麿《実朝》を観る ~能《実朝》前場からのつづき

能《実朝》シテ老翁/実朝 狩野了一  
     ワキ舘田善博 アイ深田博治
      藤田貴寛 森澤勇司 柿原光博 大川典良

      後見 塩津哲生 佐藤寛泰
      地謡 長島茂 友枝雄人 内田成信 金子敬一郎
          粟谷充雄 大島輝久 友枝真也 塩津圭介



間狂言
夜漁に出た浜の漁師(深田博治)が小舟を漕いでいると、何かがぶつかったようなドーンという大きな衝撃。
どうやら大きな唐船と衝突したらしい。
見てみると、唐船のなかに人影はなく、無人で漂っている様子。
こんな不気味な夜は魚もいないだろうと、漁師が浜へ舟を戻そうとすると、いつのまにか唐船は消えていた――。

という、幽霊船と遭遇する興味深い場面を演じたあと、アイは例のごとく、実朝と大船の話を僧に語って聞かせます。

ひねりのある洒落た間狂言で、アイの深田さんの装束にも碇の模様が白抜きで染められていてオシャレでした。



後場
ワキの待謡のあと、出端の囃子に乗って後シテ登場。
大川さんの太鼓の響きが殊更きれい。

後シテ実朝の亡霊は、深い海を思わせる緑がかった金地の狩衣を衣紋に着け、
紫の指貫に初冠・黒頭という出立。
(黒垂でなくボサボサの黒頭にした理由をあとで能楽師さんにうかがったところ、
《雷電》の菅相丞のような怨霊のイメージだからとのこと。なるほどー。)

面は、中将と怪士を足して二で割ったような不思議な面で
これもあとでうかがったところ、邯鄲男とのこと。
通常の邯鄲男よりも品のある垢抜けた面立ち。
陰翳に富んだ表情が実朝の鬱屈した心情をあらわしているかのよう。


なんとなく《融》の後シテのような出立をイメージしていたので、
わたしにとっては意表を突く姿で、新鮮な驚きでした!


出端からシテの一セイ「大海の」となり、
地謡の「磯もとどろによるす浪」から、大小太鼓のナガシが入って、
舞台はドラマティックに盛り上がり、観客の胸も否応なく高鳴っていきます。


シテ「われてくだけて」、地「さけて散るかも」から
いよいよ大海ノ舞。

舞の初めには立拝はなく、早舞の途中で黄鐘から盤渉に転じ、
三段目にクツロギが入り、シテが橋掛りを通って幕前に向かうあいだ、
大小鼓はナガシを打ち、太鼓はイロエ地(かな?)を打つ。

シテが幕前まで来ると、囃子は浪が静まるようにスローダウンし、
シテもたゆたうように反時計回りにクルリとまわってサシ込み、
さらに時計回りにまわって袖を被く。

シテが橋掛りを通って舞台に戻るときには、大小太鼓ともにナガシとなり、
シテが舞台に入ったところで、太鼓がキザミに変わり、
急ノ舞へと転じる。


全体的に観世流の《融・舞返》とよく似た構造でしたが、
細かい部分はいろいろ違っていたようです。


狩野師の急ノ舞はシャープでキレが良く、
砕け散る大浪のダイナミックな荒々しさ、爽快感が表現されていました。


最後は、
「八大竜王を呼ぶかとみれば」で、シテは橋掛りに行き、
「磯もとどろに」で二の松にて右足を踏み、
「歌はつきせじ」で左袖を巻きあげ、高く掲げて幕前まで進んで袖をはらい、

われてくだけて、さけて散るかも、さけて散るかも、さけて散るかも

のリフレインのなか幕入り。
ワキが常座まで進んでシテを名残惜しげに見送り、留。



新作能に命をかけた(『後藤得三芸談』)とされる喜多実。

能楽界の革命児の心意気と、
実朝の雄渾な歌、
そして土岐善麿の洗練された文才が溶けあった新作能でした。







2016年2月13日土曜日

能と土岐善麿 《実朝》を観る ~能《実朝》前場

能と土岐善麿《実朝》を観る ~おはなしと解説からのつづき

能《実朝》シテ老翁/実朝 狩野了一  
     ワキ舘田善博 アイ深田博治
      藤田貴寛 森澤勇司 柿原光博 大川典良

       後見 塩津哲生 佐藤寛泰
      地謡  長島茂 友枝雄人 内田成信 金子敬一郎
          粟谷充雄 大島輝久 友枝真也 塩津圭介


1950年に染井能楽堂で初演された新作能《実朝》。
この日は詞章のプリントも配布されました(嬉しい心遣い)。

実朝の十数首の歌が盛り込まれた詞章は流麗な韻律をもちつつ、格調高く端正で、歌人で作詞者たる善麿のセンスが生かされ、曲全体の構成も無駄がなくスッキリと整った印象。


実朝を題材にしているので、《忠度》のように和歌に関する執心がテーマかと思いきや、渡宋を夢見て唐船を造らせたものの、船が大きすぎたため海に浮かべることができずに浜辺で朽ち果ててしまったことを嘆き、渡海という見果てぬ夢への執心と、その思いを詠んだ歌「大海の磯もとどろに」が本曲の主題となっています。


喜多流の変化に富む謡によって、寄せては返す波のリズムや荒れ狂う大波の激しさがドラマティックに表現され、「大海ノ舞」という早舞の替がとても印象深い素敵な曲でした。


前場

次第の囃子でワキの旅僧(舘田善博)登場。

ダークグレーの無地熨斗目着流しにベージュの水衣、
右手に扇、左手に緑の房が美しい数珠。
常座で、次第→名ノリ「都がたより出たる僧にて候」→下歌→道行
着きゼリフ「鎌倉由比の浦とやらんに着きて候」のあと、脇座へ。



一声の囃子が奏され、幕があがり、前シテは幕内でしばらく佇んでから登場。
こちらはブルーグレーの無地熨斗目着流しに茶色の水衣。
面は三光尉。
顎髭が短めで、どこか精悍な感じの尉面です。
シテの狩野了一師は小顔なのか、面はジャストサイズ。

尉髪の髷が水平に長くピンと伸びて額から大きく飛び出し、リーゼントっぽく見えます。
(狩野さんが高齢になったらこうなるのかなと思わせる枯れないかっこいい老人です。)
左手には棹。



辺りには船はないのに漕ぎ出そうとしている老人を見て不審に思った旅僧は老人に、どこまでいくつもりかと声をかけます。


老人が、どこまでいくのは自分にも分からないけれど、唐国に憧れる思いが強くて岸辺から去りがたいと答えると、僧はその昔、源実朝の渡宋への夢が破れたことを思い出す。


シテはクドキで、実朝がつくらせた大船が巌のごとく動かないまま浜辺で朽ち果てたことを語り、「渡宋の志もつひに空しくなる」で、絶望したように竿をぼとりと落とす。


これを見た僧は、将軍の亡魂が今でも迷い出ているのだと察して、実朝の最期をくわしく語るよう老人に促す。



ここからクリ・サシ・クセに入り、シテは正中へ行き、下居して腰に差していた扇を手にする。


居グセでは、実朝暗殺当日の鶴岡八幡宮拝賀前のようすが地謡によって語られます。

束帯の下に(護身用の)腹巻をつけるよう助言を受けたがつけなかったこと。
出かける前に庭の梅の香に誘われて、「いでていなば、主なき宿となりぬとも、軒端の梅よ、春を忘るな」と一首詠じたことなど。


舞台はこうしたしみじみとした「静の場面」から一転して、公卿による実朝暗殺の「動の場面」となり、喜多流の強吟が劇的緊迫感を高めます。



浩々としてかがり火に、雪はかかやく石段の、上にあたってきらめく一閃

映画を見るように情景が鮮やかにイメージできる見事な詞章です。



ここからシテはパッと立ち上がり、扇で暗殺者の太刀さばきと討たれた実朝の最期を一人二役で再現。

「大太刀鋭く切ってかかるに、おん身をかはすひまもなく」で、シテは刀をかわすように時計回りにクルリとまわり、
「尊体かしこくあけに染まって、雪の上にぞ倒れ給ふ」で、後ろによろよろと下がり大小前でガックリと安座。


「そのひまにみしるしを、血しほのままに掻きいだき」で、シテはふたたび立ち上がって、常座で開いた扇を水平にして両手で持ちあげ、
「今こそ別当阿闍梨公卿、父の敵を討ったれと」で足拍子、
「呼ばわる声も夜あらしに、とどろきかはす磯の浪、おとすさまじく更けにけり」で、送り笛とともに悲しげな足取りで中入り。



能と土岐善麿《実朝》を観る ~能《実朝》後場につづく


2016年2月12日金曜日

能と土岐善麿 《実朝》を観る ~おはなしと解説

2016年2月11日(木)建国記念日 14時~17時  喜多能楽堂

おはなし
俳優(わざおぎ)の起源について 三田誠広(武蔵野大文学部教授)
喜多流と武蔵野大学        リチャード・エマート(文学部特任教授)
土岐善麿先生の作詞した校歌  土屋忍(文学部教授)
土岐善麿先生と新作能       岩城賢太郎(文学部准教授)

能《実朝》解説 佐々木多門

能《実朝》シテ老翁/実朝 狩野了一  
    ワキ舘田善博 アイ深田博治
    藤田貴寛 森澤勇司 柿原光博 大川典良

    後見 塩津哲生 佐藤寛泰
       地謡 長島茂 友枝雄人 内田成信 金子敬一郎
                      粟谷充雄 大島輝久 友枝真也 塩津圭介

 
楽しみにしていた喜多流新作能公演 。
武蔵野大学教授陣によるお話と佐々木多門師の解説までついていて至れり尽くせり。
ロビーの階段には土岐善麿関連資料の展示も。 

おはなしを簡単にまとめると以下の通り;

まずは、俳優(わざおぎ)の起源のおはなし(三田氏)。
天の岩戸伝説の際に、アメノウズメが岩戸の前で俳優(わざおぎ)をしたことが始まり。
アメノウズメがサルタヒコと結婚し、猿女(さるめ)と呼ばれたことから猿楽の祖となったとか。

また、大化の改新の際には、俳優(わざおぎ)がパントマイムのような芸をして蘇我入鹿を油断させ、腰から剣を外させた。これにより入鹿は暗殺され、クーデターが成功したなどの話。



土岐善麿について(土屋氏)
土岐善麿(1885~1980年)は94歳で没するまで歌人、作詞家、国文学者、編集者(啄木の『悲しき玩具』も土岐が編集)、エスペラント研究者として多彩な活動を精力的に行い、後年の武蔵野女子大(現・武蔵野大)文学部日本文学科の解説にも深くかかわったとのこと。


また能楽界においては、初めは観世流で稽古をしていたが、やがて喜多流に転向して喜多実に師事し、実とともに二人三脚で16編の新作能を創作した。
(一時期、喜多流に転向して同じく喜多実に師事した観世栄夫を思わせる。)



土岐善麿と新作能について発表した岩城氏のおはなしが特に興味深かった。

善麿が初めて新作能(《夢殿》)の脚本を書いた時には、喜多実は「(土岐善麿の書いた詞章は)とても、世阿弥なんか文章としちゃかなわない」と絶賛したという。


善麿の新作能は、1942年から1964年にかけて次々と初演されたが、当時は今以上に新作能に対する風当たりが強かったようで、『摂取の能面』(1946年)には懊悩する土岐善麿の次のような言葉が書かれている。

「能楽に何か新しい曲を作り加える必要があるか、そしてそれはまた可能なのであろうか。必要ならば可能か、可能ならば必要か。必要ではあるが不可能か。それが不可能であることは、現在の多くの能楽人の見解のようであるが、しかも同時に、それは必要のないことなのであろうか。」

(この言葉は現在にも通じる問いかけのようにも思える。)


また、今回上演される《実朝》には、百人一首にもとられた「世の中はつねにもがもな渚こぐ、あまの小舟の綱手でかなしも」の一部や、本曲の鍵となる「大海の磯もとどろによする浪われてくだけてさけて散るかも」など、『金塊和歌集』の13首が詞章にちりばめられているとのこと。



佐々木多門師による能《実朝》の解説
源実朝は鎌倉幕府の三代将軍でありながら実権を北条氏に握られており、そうした状況での自らの鬱屈した思いを和歌の創作にぶつけていた。

新作能《実朝》には実朝の歌「われてくだけてさけて散るかも」が繰り返し強調され、「大海ノ舞」と名付けられた早舞には緩急に工夫が凝らされ、穏やかで静かな海と荒れ狂う激しい海をあらわすとともに、実朝の言葉には表現できない思いも表現されている――。

というような内容を、誠実でおだやかなオーラを静かに漂わせながら話されていらっしゃいました。



能と土岐善麿 《実朝》を観る ~能《実朝》前場後場につづく

2016年2月10日水曜日

旧雨の会 ~舞囃子《西行桜》《船弁慶》、半能《融・思立之出・舞返》

旧雨の会 ~プレトーク、一調、仕舞からのつづき

舞囃子《西行桜》 武田孝史
   一噌隆之 観世新九郎 亀井広忠 三島元太郎
   地謡 朝倉俊樹 金井雄資 藤井雅之 辰巳満次郎

舞囃子 《船弁慶》 粟谷明生
    一噌隆之 観世新九郎 亀井広忠 観世元伯
   地謡 長島茂 狩野了一 内田成信 佐藤陽

半能《融・思立之出、舞返》シテ観世銕之丞 
     ワキ森常好
     藤田次郎 大倉源次郎 佃良勝 金春國直
    後見 梅若長左衛門 清水寛二
      地謡 観世喜正 馬野正基 野村昌司 武田文志
          安藤貴康 武田祥照 観世淳夫 小早川泰輝



さらに休憩をはさんで舞囃子2番と半能。

この公演は流儀の異なる5人の太鼓方の競演でもあり、また同じ流儀でも打ち方やフォーム、芸風が微妙に違っていて十人十色。


舞囃子《西行桜》
武田孝史師にぴったりの曲。
360度、どの瞬間、どの角度から見ても弛みのまったくない、端正で品格のある舞。

空気が乾燥しているからか、小鼓が最初のほうでは調子がいまひとつでしたが、序の舞あたりからコクのある豊かな音色。
新九郎師の掛け声はなんともいえない色気があって好きなのです。

三島元太郎師は魔法使いが杖を振るような独特の撥さばき。
キザミのときも撥を下方に押し込んでいくように打つ。



舞囃子《船弁慶》
40代のアブラの乗った囃子方による早笛→舞働はノリノリ。
広忠さんの大鼓が炸裂していた。



半能《融・思立之出/舞返》

小書「思立之出」なので、「おもひ立つ、心ぞしるべ雲を分け~」を謡いながらワキが登場。
この下歌を謡ってから、ワキ詞「これは東国方より出でたる僧にて候」となり、上歌を経て、舞台に入り着きゼリフ。

「磯枕、苔の衣を片敷きて」の待謡のあと、出端の囃子に乗って後シテが登場する。

装束は立烏帽子に白の狩衣(or直衣?)に紋大口。
白装束なのは、もしかすると源融を國和師に見立てるという意味もあったのかも。


中将の面をかけた銕之丞師はどこから見ても繊細優美な細面の貴公子。
装束の着付けもとてもきれいで、細部まで行き届いている。


藤田次郎師の冴え冴えとした笛の音。
もともと上手い人だけれど、いままで聴いた中でいちばん純度の高い、澄んだ音色に聴こえた。

月の光のように神秘的な音色が響き渡ると、
荒涼とした邸宅跡にいにしえの華やかな情景がよみがえる。

曲水の宴の再現では、シテは広げた扇を床に投げて扇を取るのでなく、
正先ギリギリまで出て、舞台の外を曲水に見立て、盃をすくうように、開いた扇ですくう所作をする。


この型は以前にも、同じ銕之丞師のシテによる「酌之舞」の小書で拝見したことがあるが、相当難度が高いのではないだろうか。
(前場の汐汲みにも正先から出て汐を汲む型があるけれど、それよりも自ら屈んで汲み上げるこの型のほうが難しいと思う。)
印象深い、美しい型だった。

盃をすくったシテは、「受けたり受けたり遊舞の袖」で、笛のユリ掛りとともに達拝。
いよいよ早舞だ!


早舞クツロギって、たぶん舞の囃子のなかではベスト3に入るほど好きで、聴く者の感情の高ぶりを促進する効果がある。

緩急の付け方や盛り上げ方など随所に巧みな工夫が凝らされていて、
昔の人はこんなにかっこいい音楽をよく考えたものだと思う。
ジャズやロックの元祖。

特にこの日の小書「舞返」は特別ヴァージョンで、
わたしが「木魚の囃子」と呼んでいる大小太鼓のナガシに乗ってシテが橋掛りから舞台に戻り、太鼓がキザミに変わり、そこから急テンポに転じた急之舞が速いのなんのって!

今まで見たなかで最速の急之舞。

信じられないほどの速さのお囃子と、それに合わせるシテ。
凄い超絶技巧で、笛も大小鼓も太鼓もシテも、みんなよく見たいのに目が追いつかない。
目が5セット欲しいくらい。
銕之丞師もくるくる回って、袖を翻し、身体を沈みこませ、舞台をすごいスピードで縦横無尽に舞い狂う。早回しのような勢い。

早打ちで知られた國和師への最高のレクイエム。
これを國直さんが打っているのだから、きっと天国で喜んでいらっしゃることだろう。


あら名残惜しの面影や 名残惜しの面影


月の都に帰ってゆく源融の姿にこの日の主役の姿を重ね合わせて、観客はシテを見送り、國直さんの退場の時には満場から拍手が沸き起こった。



心に残るあたたかい舞台でした。





旧雨の会 ~プレトーク、一調、仕舞

旧雨の会 ~序からのつづき

プレトーク「國和さんとの思い出」
     武田孝史 粟谷明生 森常好 観世銕之丞
     司会 辰巳満次郎
     特別出演 金春國直

(休憩15分)
 独鼓《蟻通》  武田文志×大川典良
一調 《笠之段》 櫻間右陣×大倉源次郎
一調 《葛城》  山井綱雄×梶谷英樹
一調 《鳥追》  辰巳満次郎×佃良勝
仕舞 《邯鄲・舞アト》 金井雄資
仕舞 《杜若・キリ》  朝倉俊樹
一調 《おかしき天狗》 山本則俊×観世元伯
一調 《土蜘蛛》    森常好×桜井均



前項で前置きが長くなりましたが、想像以上に充実した各演者渾身の公演でした!


プレトーク

中正面席に向いてずらりと床几が5つ並び、國和師と同年代の能楽師さんたちが思い出トーク。
國和師は稽古や舞台では厳しかったけれど、おっちょこちょいで早とちりしやすい性格だったらしい。

わたしの後ろの席の年配の女性がどなたかのお弟子さんらしく、終始大笑い。
(どうやら見所の大半は出演者のお弟子さんや関係者で占められている模様。お能の会はたいていそうだけれど、この日は特にそんな感じだった。)


これだけ流派や役柄の異なる人のトークを聞くのは珍しいんじゃないかなー。
45分の長さを感じさせない面白いトークでした。
(先輩方を相手にMCをなさった満次郎さん、けっこう独走・暴走する方もいらっしゃって大変そう (・・;) )

みなさん、こってりした個性派ぞろい。


この世代の方々は、《石橋》や《道成寺》などの重要な曲の披きを國和師の太鼓でされたそうで、思い出深いものがあったようです。


銕之丞師は國和師とともに《獅子》の披きをされた時に(当時2人は16歳!)、金春惣右衛門に何度もダメ出しをされて、申し合わせを3度もやり直したという忘れ難い経験をされたとのこと。


武田孝史師は、國和師と喧嘩したり仲直りしたりの「色々あった」間柄。
仲違いして半年くらい口をきかなかったこともあったとか。



能楽界の同年代って幼馴染のようなものだから、思い入れもひとしおなのでしょうね。



それと、國和師はここ何年か肩や腰を傷めていて、太鼓を締めるのもいつも國直さんが代わりにやっていらっしゃったそう。
(だから國直さんがいないと舞台に出られなかったとか。)

たしかに、金春流のフォームで長年打ち続けていると、肩に来ると思う。
床に長時間端座しつづけるのも驚異的だと思っていたけれど、やっぱり腰を傷めやすいみたい。

三島元太郎師のあの独特の打ち方は、肩を長持ちさせるために編み出されたものなのかも。



最後に、國直さんが揚幕からトコトコ登場して皆さんにご挨拶。

國直さんの(掛け声以外の)声は初めて聞くけれど、
江戸っ子らしく短気そうなお父様とは違って、おっとりした甘えん坊さんのイメージ(?)。
こういうタイプは意外に大物だったりする。



休憩をはさんで一調・仕舞のコーナー。
聴きごたえ・見ごたえがあって、これだけでもとても濃い内容。

独鼓《蟻通》
関東で活躍する金春流太鼓方のなかで、たぶんいちばん好きなのが大川師。
掛け声にもシビれるし、撥さばきもきれいで、演奏も安定している。

独鼓って、能の通りの手を打つものだと思っていたけれど、パンフレットの解説によると、金春流では決まった手組をそのまま打つ形式を「独調」といい、一部替手を打つ形式を「独鼓」というらしい。

そんなわけで、この《蟻通》でも、「鳥居の笠木に立ち隠れ……かき消すように失せにけり」の、通常は太鼓を打たない部分でも、太鼓の特別な手が入ります。

大川師の独鼓は、謡いの邪魔をしないというか、謡いを盛りたて、謡いの良さをさらに引き出す太鼓。
こういうところに打ち手の性格が反映される。



一調《笠之段》
櫻間右陣師の扇の扱いが美しい。
謡いも、金春流らしく伸びやかで、まろやか。
笠之段のリズムと相まって、わらべ歌のような味わい。
そのやさしい謡を繭のようにふんわりと包み込む源次郎師の小鼓。


一調《葛城》
なんというか、粘り気のある謡い。
とくに序の舞の前の「よしや吉野の山かずら」の部分が観世流とあまりにも節が違うので、
別の曲かと思うほど。




一調《鳥追》
観世流でいう《鳥追舟》の鳴子之段。
お能って、砧とか鳴り物とか、何かを打つ時に感情移入する場面が多いけれど、これもそのひとつで、満次郎師の謡いには人を強く惹きつける磁力がある。


仕舞《邯鄲・舞アト》
仕舞《杜若キリ》
どちらも良かった!
金井師らしい皇帝の風格、夢から醒める過程のドラマティックな展開。
朝倉俊樹師は一時不調なように思えたこともあったけれど、最近復活してきた気がする。
この《杜若》は初めてみた時の朝倉師の舞のようだった。



一調《おかしき天狗》
《大会》の間狂言の一部が独立した狂言小舞。

則俊×元伯で同曲一調の組み合わせは10年近く前に杉並能楽堂でも上演されたそう。

太鼓って狂言小舞では肩の撥は打たない決まりなのだろうか。
だからこの一調も派手さはなく、控えめでミニマルな太鼓。

いつも思うけれど、あれだけ余分な力が抜けていて、さりげなく見えるって凄い!




一調《土蜘蛛》
ワキ方下宝生と太鼓金春流では、《土蜘蛛》の一調は一子相伝の重い習いだそうです。
(ほかには《羅生門》《張良》が同レベルの重い習い。)

ワキの謡は「その時、独武者進み出で」から「土蜘蛛の首うち落とし喜び勇み都へとてこそ帰りけれ」まで。
太鼓は「彼の塚に向ひ大音あげていふやう」の終わりから構えて打ち、そこからカシラがたびたび入り、その合間にナガシや大撥など派手な手が何度も入り、常好師の美声とあいまってとにかく華やかで盛り上がる。
《おかしき天狗》の一調と対照的だった。


両流儀の特徴がよくあらわれた最後の二番。
これを企画した人ってセンスある!



旧雨の会 ~舞囃子《西行桜》《船弁慶》、半能《融・思立之出・舞返》につづく




旧雨の会 ~序

2016年2月9日(火)  17時30分~21時  国立能楽堂

プレトーク「國和さんとの思い出」
          武田孝史 粟谷明生 森常好 観世銕之丞
     司会 辰巳満次郎
     特別出演 金春國直
 
独鼓《蟻通》  武田文志×大川典良
一調 《笠之段》 櫻間右陣×大倉源次郎
一調 《葛城》  山井綱雄×梶谷英樹
一調 《鳥追》  辰巳満次郎×佃良勝
仕舞 《邯鄲・舞アト》 金井雄資
仕舞 《杜若・キリ》  朝倉俊樹
一調 《おかしき天狗》 山本則俊×観世元伯
一調 《土蜘蛛》     森常好×桜井均

舞囃子《西行桜》 武田孝史
   一噌隆之 観世新九郎 亀井広忠 三島元太郎

舞囃子 《船弁慶》 粟谷明生
    一噌隆之 観世新九郎 亀井広忠 観世元伯

半能《融・思立之出、舞返》シテ観世銕之丞 
     ワキ森常好
     藤田次郎 大倉源次郎 佃良勝 金春國直
    後見 梅若長左衛門 清水寛二
    地謡 観世喜正 馬野正基 野村昌司 武田文志
       安藤貴康 武田祥照 観世淳夫 小早川泰輝

 

金春國和師が急逝して一年と少し。

わたしは師の太鼓を一年ほどしか拝見していないが、お能を見始めて最初のころに國和師の舞台に接する機会がたびたびあり、わたしが太鼓好きになったのも師の影響が大きいと思う。

それに、わたし自身が20代のころに50代の父を亡くし、父の死と同じ年に祖父も亡くしたこともあり、國直さんにわが身を重ねることもしばしば(もちろん背負うものが全然違うけれど)。


そんなわけで國和師を追悼し、國直さんを応援する機会があればいいのにとずっと思っていたので、今回の旧雨の会は、個人的にも待ち望んだ会なのだった。

ロビー正面には國和師の遺影と花束。
ようやく手を合わせることができた。
(奇しくも、この夜は宝生閑師の通夜でもあった。)


パンフレットには出演者の方々の追悼文と國和師の写真の数々が添えられている。

それぞれの思いが込められた文章に目頭が熱くなる。

そのなかで源次郎師の「彼が今、居なくなる事は友達が居なくなるとかの次元ではなく、能楽にとって間違いなく大きな危機を迎えるということだ」という言葉にわたしは大きく頷いた。


どの分野でもそうだが、やり終えないまま逝ってしまうのがいちばんやりきれない。


ましてや少数精鋭の能楽囃子方。
50代後半まで知識と経験を積み、技を磨くまで、どれほどの労力と時間とどれだけの方々の助力・尽力が必要だったか。

それが、次世代にきちんとバトンタッチされないまま、円熟期のさなかに失われてしまったのだ。


途轍もない損失。 はかりしれない喪失。


この日も、國直さんの後見に三島元太郎師がついていたが、三島・前川父子は関西、吉谷潔師は福岡在住で、関東には國直さんに技を受け渡す人がいないのが現状だ。


偉大な師の後ろに何百回も座って、座って、座り続けて、技を盗んでいくものなのに、國直さんにはその師がいない。

観世と金春。
太鼓方の両流派が拮抗し合ってそれぞれの特性を生かすことで、お囃子に豊かなヴァリエーションが生まれ、観客は能の醍醐味を味わうことができる。


前途多難だけれど、この一年、國直さんは長足の進歩を遂げられている。
打音のひと粒ひと粒に魂が込められ、音色が美しく澄み、宗家らしい風格と格調の高さも感じられる。

この方はきっと好い太鼓方さんになると思う。



旧雨の会 ~プレトーク、一調、仕舞舞囃子《西行桜》《船弁慶》、半能《融・思立之出・舞返》つづく




2016年2月8日月曜日

能楽協会主催シンポジウム「江戸式楽、そして現代」 ~『式能』を軸に能楽を取り巻く現状を考える~

2016年2月4日(木)  18時30分~20時30分  国立能楽堂

Ⅰ.実演 半能 観世流《石橋・大獅子》
   白獅子 観世銕之丞   赤獅子 観世淳夫 
      ワキ森常好
   一噌隆之 大倉源次郎 國川純 観世元伯
   後見 武田尚浩 山崎正道
   地謡 武田宗和 浅見重好 井上裕久
      藤波重彦 加藤眞悟 坂真太郎

.基調講演  野村萬

.パネルディスカッション
 近藤誠一 近藤文化・外交研究所代表(前文化庁長官)

 水野正人 元2020東京オリンピック・パラリンピック招致委員会CEO
 野村萬  公益社団法人能楽協会 理事長、能楽師

 観世喜正 公益社団法人能楽協会 理事、能楽師(急遽、特別参加)

 司会 山田浩司 NHK音楽・伝統芸能番組部チーフ・プロデューサー




能楽協会主催の第一回シンポジウム。
もちろん!《石橋》目当てだけど、半能だからたったの15分なのね。


で、その半能《石橋》。

予想通り、お囃子が迫力満点。
1か月半ぶりに聴く元伯師の太鼓は相変わらずカッコイイ!
天高く響くような掛け声も冴えていてやっぱり宇宙一の太鼓方さんだ。

冒頭の威勢のいい囃子のあと半幕があがり、
白獅子の姿をチラ見せしてから、いったん鎮まって露の拍子。
その後、出の囃子で本幕があがり、白獅子が勇壮に登場。

そして、大小太鼓のナガシに乗って赤獅子が勢いよく登場!

淳夫さんの舞台を見るのは久しぶり。
去年夏の《善界》は九郎右衛門さんのツレだったから、
その前の《殺生石》のシテぶりだろうか。

淳夫さんって一畳台物が得意なんだろうなー。
この日も若獅子らしく、思い切りのいい飛びっぷりで清々しい。

《道成寺》の披きに向けて着々と成長されていて、
見ているこちらも胸がじーんと熱くなる。

好むと好まざるとにかかわらず、
能楽界のサラブレッドとして生まれ育ち、
能が嫌になるような、逃げ出したい時期もあったに違いない。


でも、ある時から運命を受け入れて
全力を尽くす覚悟が決まったのだろうか。
この日の淳夫さんの姿を見ていて、なんとなくそんな気がした。


淳夫さんが幕に帰る時、盛大な拍手を送りたかったけれど、
拍手する人が少なかったので、心のなかで精一杯の拍手を送った。
赤獅子、よかったです!!



基調講演

本音を言うと、半能を見たら帰りたかったけれど、
タダで拝見してさずがにそれはアカンやろと思い、最後まで居残り。
(帰るひと、けっこういらっしゃいました。)

後方の席に移動して、本を読みながらぼーっと聴いていましたが、
わりと面白かったです。

配布された参考資料が興味深い。

資料の表面には昭和36年の「第一回 式能」の番組が載っていて、
宝生九郎・松本健三の《草紙洗》や喜多実・森茂好の《大江山》など、
伝説の能楽師による能5番、狂言4番の番組で、場所は水道橋能楽堂。

チケット代はなんと、指定席1000円、自由席500円!

1960年代の初めでこの値段って、現在の金額に換算すれば
日銀のサイトによると当時の物価は現在の約1/2だったらしいから、
指定席で2000円、自由席で1000円!
現在の金額に換算しても激安です。

公演数も当時のほうがずっと少なかっただろうし。
観客離れとか言っているけれど、
能楽は現在のほうがはるかに隆盛しているのでは?



資料裏面には、昭和39年に開かれた「オリンピック能楽祭」の番組。
これも、近藤乾三、後藤得三、梅若六郎(先代?)、銕之丞(先代?)などの
伝説の能楽師が勢ぞろい。


こういう時代の演能映像の上映会を能楽協会で主催してくれたらいいのに。
わたしも是非見たいし、需要はあると思うけれど。



パネルディスカッション

前文化庁長官の近藤誠一氏が羽織袴姿で参加。
前衛華道家のようなアーティスティックな風貌の超エリート官僚。
この方、モテるだろうなー。

日本を動かしてきただけに近藤氏が地に足のついたことをおっしゃっているのに対し、
元オリンピック招致委員会CEOの水野氏は、能楽の観客を増やすには、
歌舞伎のように宙吊りをやればいいとか、奇抜さ先行のアイデアばかり。
派手にすればいいってものでもないのだから……。


いっぽう能楽協会側は野村萬師の要請で、急遽、観世喜正さんも参加。

野村萬師は厳めしい方だと勝手に思い込んでいたけれど、
面白くてキュートな方だった。
時々、助けを求めるように喜正さんのほうを見るのも可愛らしい。
(85歳には見えません。)


喜正さんはいつもほんとうにそつがない。
座る姿勢もきれいだし、
ご自分がしゃべった後の、マイクを萬師の前に丁寧に置く所作も美しい。
出しゃばりすぎず、余計なことは言わずに、
でも話す時はユーモアを交えながらの面白いトーク。
パネリストの御三方が退場した後も、
司会のNHKプロデューサーの紹介を忘れずになさるところなど、
気配りが行き届いている。

「能楽タイムズ」今月号の対談では神遊最終公演に向けて
いまは《姨捨》のことしか頭にないというようなことをおっしゃっていたけれど、
チケットも早々に完売して、来月の公演がほんとうに楽しみ。






2016年2月5日金曜日

国立能楽堂2月企画公演 復曲再演の会《菊慈童・酈縣山(てっけんざん)》

国立能楽堂2月企画公演 復曲再演の会 復曲狂言《若菜》からのつづき

菱田春草《菊慈童》部分、『別冊太陽・菱田春草』平凡社より

謡曲を主題にした近代絵画を、その着想源となった能作品に絡めて上演するという面白い企画。

とはいえ、絵画作品の展示はなく、画像がプログラムに掲載されているだけなので、絵の複製でもいいからロビーに展示されていたらよかったかなー。



さて、今回上演される《菊慈童・酈縣山》(村上湛・小田幸子両氏の協力により梅若会が10年前に復活させた)と、現行観世流《菊慈童》との主な違いは以下の通り。

(1)前場が復活
  周の穆王の枕を跨いだ罪で、慈童が深山へ流刑されるシーンが復活。

(2)二場構成になったので、間狂言(立シャベリ)が挿入された。
      新規に作成された間狂言(村上湛氏執筆)が加えられた。


(3)二場構成になったため、作り物のなかでの物着がある。

(4)後場でシテ「さて穆王の位は如何に」とワキ「今、魏の文帝前後の間」の詞章あいだに、周・秦・前漢・後漢の歴代王を列記する詞章が挿入された。
 国立能楽堂プログラムによると、これにより周から魏に至るまで、釈迦直伝の偈とともに王権が継承されたことが暗示されるとのこと。

(5)「楽」の前に、クリ・サシ・クセが挿入された。
  周の穆王が8頭の駿馬が引く馬車に乗って天竺に赴き、霊鷲山での釈迦の説法の席に連なり、釈迦から四海領掌の偈(帝王の偈)を授かることが謡われている。

 周の穆王は釈迦と同時代人。
 当然ながら、この時代には中国に仏教はまだ伝わっておらず、ましてや法華経が漢訳されるのはもっと後の時代なので、現行の《菊慈童》では穆王が慈童の枕に偈を記すことが可能である理由が不明だったのだが、クセの挿入により、周の王が法華経の文言を知り得た背景が分かるようになった(釈迦の説法をライブで聴いていたとは!)。

《菊慈童》の原典が『太平記』第13巻だというのもわたしは今回初めて知った。
(ちなみにこのクリ・サシ・クセの部分は、喜多流などの他流には現行《枕慈童》に入っている。)

朦朧体で描かれた菱田春草《菊慈童》全体(前掲書より)
深山幽谷を流れる水、移ろう季節のなかで、慈童の時間だけが止まっている

《菊慈童・酈縣山》の感想

前場
正先に菊花に縁取られた一畳台。
台の中央には(おそらく)菊の生花が敷かれている。

庵の作り物が笛座前に設置されたため、大小前に作り物を置く現行《菊慈童》よりも舞台が広く感じる。
(このほうが、物着の際の雑多なあれこれも観客からは見えにくい。)

作り物の装飾にも白菊の生花。


幕があがり、菊慈童を載せた輿と、周の穆王の官人が登場。
やや後ろに控えた2人の輿舁が、慈童の頭上に輿を差し掛けながら、
一行は刑場に向かうように静々と進んでいく。


頭巾を被り、右手に数珠をもつ慈童は、尼僧のようでもあり、
中性的、あるいは両性具有的な存在に見える。


寄る辺のない、打ちひしがれた様子で、
赤子を抱くように枕をさも大事そうに、愛おしそうに抱いていて憐れみを誘う。

なんて幼気で、か弱いのだろう!
悄然としたシテのハコビに胸が締めつけられる。


シテの面は、龍右衛門作「童子」。
いつも思うけれど紀彰師が面を掛けると、それが名品であればあるほど、
そこに血の通った生気が宿り、人が面をつけているのではなく、
面から身体が生えているようななまなましい感覚に陥る。

シテと面が気を通わせて、たがいに力を与えあっているような、そんな感じだ。

見る者の目と脳は魔法をかけられたように、
そこに、絶望の淵に立たされた無垢な慈童のリアルな幻影を見る。



深山に入る橋の手前で、輿から下ろされた慈童は震える声で哀願する。


いや待てしばし情けなし……かけたる橋も一筋に聞きし三途の橋なるべし
とても冥途に行く身なれば、なき身となりて渡らばや、憂きを思ひて何かせんと


この橋を渡るのは、生きながらにして三途の橋を渡るようなもの。
それはあまりにも無情だと涙ながらに訴えるが、官人に追い立てられ、
慈童は泣く泣く橋を渡る。

さらに官人は太刀を抜いて、慈童が戻れないよう吊り橋の縄を切るという念の入れよう。

シテはがっくり膝をついて、深くモロジオリ。
無限の孤独のなかに取り残されたのだった――。


この前場、素晴らしい! 「ブラヴォー!」と喝采したいほど。
恐ろしい悲痛な体験な境遇を経て、何百年もの(実際には1200年)歳月ののちに仙人になるという壮大な時間の奥行きが前場によって生み出される。

この奥行きや深みは紀彰師だから表現できたのかもしれない。


全体を通じて思ったのは、この復曲ヴァージョンを舞うのは巧いシテ方限定で、
並みの人がやると、ひたすら冗漫で眠気を誘うだけになるかもしれないということ。

そういう危険性があったから、現行のようにいろいろカットされたのだろう。



後場
などと思っているうちに間狂言が終わり、
物着も済んで(この日は後見が二人も休演して、
山中迓晶師が地謡と物着後見を兼務したりと大変そうだった)、
次第の囃子とともに、魏の文帝の臣下(ワキとワキツレ2人)が登場。

ここからしばらく現行《菊慈童》と同様に進行する。



それ邯鄲の枕の夢。楽しむこと百年。
慈童が枕はいにしへの思ひ寝なれば目もあはず。


庵の作り物のなかから声がして、引廻が外され、
現れたのは七百歳の齢を得た慈童。

ただしこの慈童は、
遠い昔、山に捨てられ、嘆き悲しみ怯えていた慈童ではなく、
姿は童子でも俗念が洗い清められ、どこか神がかっている仙界の住人だった。


後シテは頭巾から黒頭に替え、渋い金地の半切にサーモンピンクの法被をつけ、
手には唐団扇をもっている。
面は前場と同じ「童子」だけれど、同じ面とは思えないほど趣きが異なって見える。


肉体は若いまま、精神は年長けている。

七百年の時の流れが、瞑想的で泰然自若とした慈童の佇まいから感じられた。


(「楽」の前のクセの大半が、床几に掛かる居グセの変形だったので、
ここは他流のように舞グセのほうが良かったように思う。
舞の美しい紀彰師だから尚更もったいない気がした。)



おだやかで濁りのない、澄み切った楽の舞は、慈童の心そのもの。

袖を翻すたびに、永遠に生きることへの哀しみが漂ってくる。


彼が不老不死を得たのは、枕に記された妙文の功徳とされているが、
シテの天衣無縫な舞を見ていると、
彼が誰も怨むことなく人生を受け入れ、
深山のなかで恬淡と生きたからこそ不老長寿になれたのだとわたしには思えた。



最後は、魏の文帝の臣下に枕を差し出し、文字通り本来無一物となって、
無色透明の無邪気な心で山路の千家に帰ってゆく。


幕出から幕入まで、七百年の時間を描き切った見事な舞台だった。






国立能楽堂2月企画公演 復曲再演の会 復曲狂言《若菜》

2016年2月3日(水) 13時~15時30分    国立能楽堂

節分の日の国立能楽堂中庭

復曲狂言《若菜》シテ大名 山本泰太郎 
     太郎冠者 山本則俊 次郎冠者 若松隆
         小原女 山本則孝 山本則重 山本凜太郎 寺本雅一 山本則秀
     松田弘之 鵜澤洋太郎 柿原光博 小寺真佐人
     後見 山本東次郎

復曲能《菊慈童・酈縣山(てっけんざん)》シテ慈童 梅若紀彰
                ワキ魏の文帝の臣下 森常好
                ワキツレ周の穆王の官人 舘田善博
                ワキツレ輿舁 梅村昌功 大日方寛
                ワキツレ魏の文帝の臣下 森常太郎 野口能弘
                アイ菊花の精 高野和憲
             松田弘之 鵜澤洋太郎 柿原光博 小寺真佐人
        後見 梅若長左衛門 松山隆之
           (梅若玄祥と小田切康陽は休演)
        地謡 山崎正道 馬野正基 角当直隆 永島充
           山中迓晶(物着後見と兼任) 
           坂真太郎 谷本健吾 川口晃平



自分にとっての能閑期もようやく終わり、久しぶりの能楽鑑賞。
歌舞伎もいいけれど、やっぱり能楽堂の雰囲気は何ものにも代えがたい。

この日は復曲再演の会で、狂言・能ともに演者が大人数の豪華版。


まずは、復曲狂言《若菜》
上演時間45分の大曲で、途中からお囃子も入り華やか。

大名と2人の家来が春の野に出て酒宴を楽しんでいると、
5人の小原女たちが「小原木」という売り物の薪を掲げながら登場します。

「小原女」と「大原女」ってどう違うの?って思っていたら、
こちらに大原女と小原女の違いが載っていて分かりやすい。


ざっくりいうと、大原から来た行商女が大原女で、
八瀬から来た行商女が小原女らしい。
出で立ちも若干違っているようで、大原女は着物を短く着て膝を出し、
小原女は膝を出さずに着るようです。


狂言《若菜》の小原女たちもビナン鬘に、
それぞれ鮮やかな色とりどりの縫箔を着流で着つけていました。

小原女の素朴で若々しい生命力と、しっとりと女らしい物腰から
そこはかとない色気が漂ってくる。

大名一行は、小原女たちを酒宴に誘い、
ご当地ソング「小原木」や小謡「雪山」、能「二人静」の替謡などを
謡い舞う。
(「やんや、やんや」と間の手を入れるところが面白い!)



この酒宴の様子がとくにドラマティックな展開のないまま40分近く続くため、
冗漫ともいえなくもないのですが、この冗長さが本曲の味わいのひとつ。
春の気だるいのどかさがよく伝わってきます。


小原女たちが酒宴をあとにして帰っていくときに、
太郎冠者の則俊師が彼女たちを名残惜しげに引きとめる場面が印象的。

ひとときの酒宴のなかで芽生えた淡い恋心も
春の雪のように儚く消えてゆく。

そうした余韻が楽しめる曲でした。


最後のシャギリ留も、どこかせつなく、甘酸っぱい。




国立能楽堂2月企画公演 復曲再演の会《菊慈童・酈縣山(てっけんざん)》につづく

2016年2月3日水曜日

プラド美術館展――スペイン宮廷 美への情熱

2016年1月31日(日)会期最終日    丸の内・三菱一号館美術館

夕闇せまる三菱一号館美術館

このところ寒かったので家に引きこもりがち。
最終日の午後に重い腰を上げて行ってきました。

予想通り、入場制限がかかっていて待ち時間30分。
なかに入ってもすっごい混雑。
この美術館は一室一室が狭いから前に進めず、けっこう大変です。

でも内容はとても良く、夢ねこの好きなムリーリョやルイス・デ・モラーレス、
グイド・レーニやデル・サルトの作品とも久しぶりに対面でき、
さらには名品を収集した歴代スペイン王の芸術への熱い思いも
伝わってくる見応えのある展覧会でした。

冬眠から覚めて行った甲斐があった!(笑)



ムリーリョ《ロザリオの聖母》1650-55年

Ⅰ 中世後期と初期ルネサンスにおける宗教と日常生活

《金細工工房の聖エリギウス》 1370年頃 テンペラ、板
作者はミゼリコルディアの聖母の画家(ピエロ・デッラ・フランチェスカか?)とされているが、ジョット風の画風に見えた。典型的な初期ルネサンス様式。


《聖母子と二人の天使》ハンス・メムリンク、1480-90年、油彩、板
一人の天使がヴァイオリンを奏で(ヴァイオリンはルネサンス期に誕生した当時最新の弦楽器)、もう一人の天使がヴァイオリンを左手に持ち、右手で幼子キリストに果実らしきものを捧げている。
天使と聖母子の間には、マリアのシンボルである白百合が咲き誇り、遠くの山々は空気遠近法で描かれたように青白く霞んでいる。
マリアの顔が斜視になっていて、あまりおごそかに見えないのが残念。


《愚者の石の除去》ヒエロニムス・ボス、1500-10年、油絵、板
当時は、頭の小石が成長すると愚者になると考えられていたとか。
(そもそも、お腹なら分かるけど、なぜ頭の中に小石ができるのだろう?)

偽医者が「お人よしの愚者」という名の患者の頭から石を取りだすふりをして、
チューリップを取りだすところを描いているのだが
(チューリップを頭から出すのも難しそうだけど)、
でも、こういう偽医者・藪医者・怪しげなヒーラーや教祖の類と
それにだまされる患者は、
ルネサンス期ならずとも現代にも一定の割合で存在し、
一定の間隔で報道されています。

悲しいかな、いつの世も、愚かで弱い人間の本質は変わらない。


他にもヘラルト・ダーフィットなど、初期フランドルは特有の細密描写に目眩がした。



Ⅱ マニエリスムの世紀:イタリアとスペイン

《洗礼者聖ヨハネと子羊》 アンドレア・デル・サルト、1510年、油彩、板
盛期ルネサンスにも分類されるデル・サルトの作品はもう少し洗練されたものが多いのに、
本作品はいまいちだった。


《十字架を背負うキリスト》 ティツィアーノ、1565年、油彩、カンヴァス
衣服やひげはヴェネツィア派らしい粗いタッチ。
しかし、顔などの重要な箇所は筆跡を残さない緻密なタッチで、
的確に肌の質感を捉えている。
充血した目からは一滴の涙。


《聖母子》ルイス・デ・モラーレス、1565年、油彩、板
幼子を見つめる憂いに満ちたまなざし。
暗闇からぼうっと浮かび上がる聖母子像はスフマート技法を思わせる。
細く長い指と、細面の伏せ目がちの表情。
「聖なるモラーレス」らしい神々しさ漂う作品だった。


《受胎告知》エル・グレコ、1570-72年、油彩、板
赤い服に青い外套のマドンナカラーに身を包んだマリア。
聖書を読んでいた彼女がふと振り向くと、そこには雲に乗った大天使ガブリエル。

天上から天使の梯子が下りてきて、啓示の光がドラマティックに射し込み、
彼女の上には聖霊のハトが舞っている。

絵のなかをアニメーションのように躍動させるエル・グレコの魔術。




Ⅲ バロック:初期と最盛期

《聖アポロニアの殉教》
《祈る聖アポロニア》グイド・レーニ、1600-03年、油彩、銅板
どちらも、大好きなグイド・レーニの作品だったけれど、凡作だった。

《花をもつ若い女》 グイド・レーニ、1630-31年、油彩、カンヴァス
こちらはグイド・レーニらしい誇張された表現はないものの、
ピンクのバラをもつ豊満な女性を描いた甘美な絵だった。


《眠る幼子イエスを藁の上に横たえる聖母》カルロ・マラッティ、1656年、油彩、板
ローにあるサンティシドロ・アグリコラ聖堂アラレオーネ礼拝堂のフレスコ画を模写したものだが、藁の上の幼子イエスを発光させるように描く独特の明暗表現がいかにもバロック的で、印象深かった。


《花弁》ヤン・ブリューゲル(1世)、1600-25年頃、油彩、板
花が生けられたガラス瓶のため息が出るような精緻な表現。
みずみずしく咲き誇る花と、萎れかけて生気を失いつつある花の花弁の質感の違い。
「花のブリューゲル」の呼称にふさわしい見事な作品。



《スモモとサワーチェリーの載った皿》ファン・バン・デル・アメン、1631年、油彩、カンヴァス
青みを帯びたスモモと、赤いゼリーのような透明感のあるサワーチェリー。
観ていて幸せな気分になれる絵。
この展覧会の作品の中で、自宅に飾る絵を選ぶとしたらこの一枚。



《ロザリオの聖母》 ムリーリョ、1650-55年、油彩、カンヴァス
等身大の聖母子像。
衣は粗い筆触でが、肌は入念に描かれ柔らかな表現。
意志の強そうな目の潤いのある質感。
わが子を守り抜く覚悟を込めて毅然とこちらを見つめる聖母。
その腕に抱かれながらも、イエスの目は敢然と未来を見つめている。



Ⅳ 17世紀の主題:現実の生活と詩情

《ローマ、ヴィラ・メディチの庭園》ベラスケス、1629-30年、油彩、カンヴァス
かつて繁栄を極めたメディチ家の庭園。
庭の植栽は手入れされているが、画面中央の建物は板塀が朽ちて崩れ、廃墟の様相を呈している。
メディチ家の盛衰は、どこか平家のそれを思わせる。
無常感が漂う静謐な作品。


《冥府のオルフェウスとエウリュディケ》ピーテル・フリス、1652年、油彩、カンヴァス
地獄を描いた西洋絵画は恐ろしいけれど、どこかコミカル。
いろんな悪鬼や悪魔がいて、観ていてワクワクする。


《アジア》 ヤン・ファン・ケッセル(1世)、1660年、油彩、銅板
当時思い描かれた摩訶不思議なアジアのイメージをあらわすべく、
珍奇な生物たちが描かれている。
凧や深海魚に似た宇宙生物のような軟体動物たち。
たてがみが変なライオンや、タツノオトシゴのような生き物、セイウチっぽい動物、
ハリセンボン、ヨロイサイ、ヘビの共食いなど。

興味深かったのは、カエルが相撲をしているような場面が描かれていたこと。
もしかしたら、この画家は《鳥獣戯画》の模写か何かを見たことがあるのだろうか。



Ⅶ 19世紀:親密なまなざし、私的な領域

《手に取るように》ビセンテ・ポルマローリ・ゴンサレス、1880年、油彩、板
浜辺でパラソルを脇に抱え、双眼鏡を優雅にのぞく現代的な美女。
『ヴェニスに死す』のような物語性を感じさせる詩情あふれる一枚。



ライトアップされた美術館の中庭。カフェのテラスには大きなストーブもついていて外でも温かい。




2016年2月1日月曜日

宝生閑師に捧ぐ


「綺麗に謡っていたんでは駄目だと思うね、能の場合は。内的な力の反動みたいなものが声になって出て来て、表現しなければならない。良い声で、声だけで謡っていると西洋音楽的になってしまうんだよ。そういうのは謡じゃないんで、ある程度語りの要素を持っていて、力みたいなものが出てきたときに本当の言葉が伝えられるんだ。」

             ――土屋恵一郎『幻視の座 能楽師・宝生閑 聞き書き』 




宝生閑師が逝去された。

観能を始めて2年と少し。
そのなかで数々の印象的な舞台を遺してくださったのが閑師だった。

《紅葉狩》の鬼女との格闘で転倒されたのを不安な思いで見守ったこともあった。

《砧》の待謡での、
魂の底から絞りとるようなかすれた声で謡う悔恨と鎮魂の謡に号泣したこともあった。

そして何より、過去記事「心の舞台」に書いたように、
昨秋の鬼気迫る舞台でのお姿と、
舞台人としての壮絶な生きざまを示すあの表情を、
わたしは生涯忘れることはないだろう。


最後まで自己に一切の甘えと妥協を許さず、
正々堂々と闘い抜いた宝生閑師に
心からの敬意と感謝を送りたい。


すべての戦いを終え、
素晴らしい後継者に恵まれた今、
後顧の憂いなく、
どうか安らかにお眠りくださいますよう謹んでお祈り申し上げます。