2018年11月29日木曜日

箕面大滝

2018年11月28日(水) 明治の森箕面国定公園
母のリクエストで箕面へ。
落差33メートルの大滝は、ぼーっと見ているだけでリフレッシュできます。




やっぱり、紅葉の名所だけあってきれい。



母は、夏に腰を痛めてほとんど歩けないほどだったのですが、すっかり元どおりの健脚に。この日の歩数は1万4000歩。 
母を治してくださった神様に感謝です!!


おサルさんもいました。
いまは、おサルさんたちを「野生」に戻すために、条例で餌やりが禁止されています。

(昔はお弁当を食べていると襲ってきたり、もみじの天ぷらをかっさらったりと、おサルさんのトラブルが多かったそうです。でもいまは、おサルさんと人間との良い共生関係ができつつあるみたい。)

自力で食べ物を探しているのでしょうか。
毛並みも良く、ころころした肉付き。着々と冬の準備をしているようです。





今年の紅葉は木がだめらしく、紅く色づく前に、茶色に枯れてしまうものも少なくないようです。度重なる異常気象のせいでしょうか。
↑の左手前の紅葉も、赤くならずに、青紅葉が茶色に変色しています。



平日なので人出もそれほど多くなく、ちょうどいいくらい。



台風21号の爪痕。
杉の木が何本も根こそぎ倒れていました。

いまは通行止めが一時解除中ですが、紅葉シーズンが終わると、崩落した山道・滝道の復旧工事が再会されるそうです。













2018年11月27日火曜日

片山九郎右衛門の《海士》~能と狂言の会・国際交流の夕べ

2018年11月20日(火)18時30分~20時45分 京都観世会館
観世会館近くの京都写真美術館。たまにのぞいてみると面白い作品に出会える。

能《海士》海士/龍女 片山九郎右衛門
    藤原房前 片山峻佑
    ワキ 福王知登 是川雅彦 喜多雅人
    アイ浦の男 茂山逸平
    後見 河村博重 味方玄
    地謡 武田邦弘 古橋正邦 分林道治 片山伸吾
       田茂井廣道 大江信行 橋本忠樹 梅田嘉宏



やっぱり、舞衣姿で舞う九郎右衛門さんの早舞は最高!
今年も九郎右衛門さんの数々の素敵な舞台を拝見したが、そのなかでもいちばん感動した。これこそ言葉の壁を飛び越えて、圧倒的な美の力で観る者を魅了する、当代屈指の舞台だった。


【前場】
冒頭、藤原房前一行が、讃岐国志度浦を訪れる。
片山峻佑さんは「芸筋が良い」子方さん。
房前役にふさわしい威厳を品格が漂うハコビと立ち居振る舞い。落ち着いた物腰。それに謡もうまい。将来が楽しみな子方さんだ。

一声の囃子で登場した前シテは、白地摺箔に笹柄の紫縫箔腰巻に、青みがかった墨色の縷水衣という出立。
右手には鎌、左手には杉葉(みるめ)。
深井の面は遠目で観ると若く美しいが、近くで見ると、深く憂いのある陰翳が刻まれている。

浦の海女だという女は、従者に問われるままに、昔、藤原不比等がこの地を訪れ、「面向不背の珠」を龍王から奪還すべく、海女乙女を契りを結び、房前大臣が生まれたことを話す。

これを聞いて驚いた子方・房前が、「やあ、これこそ房前の大臣よ」と名乗ったときの、前シテの表情━━。

目の前にいるのがわが子だと知った時の、母の驚きと感動。
それを表現する所作は、けっして写実的なものではなく、型を忠実に踏襲しているだけである。
しかし、シテの全身から愛情深い母性が熱い湯気のように立ち昇り、オキシトシンが脳内で大量分泌されているのが感じ取れるほど、なんともいえない、慈愛に満ちた表情を浮かべている。

硬質であるはずの能面の、やわらかな表情の動き、目や口元のやさしく柔和な緩み。

物腰や所作のごく微妙な変化だけで、冷たい能面が、こんなにもしっとりと包み込むような、豊かな母の表情を浮かべられるものだろうか。

おそらくシテには、さまざまな人物の心理・心の動きの引き出しがたくさんあって、そこから役柄に応じた心模様を選び出しているのかもしれない。
そしてそれを、高い技術で表現できる人なのだろう。



〈玉之段〉
驚いたのが、「大悲の利剣を額に当て、龍宮の中に飛び入れば」で、パッと飛び込むところ。

シテは、ヒラリと身を躍らせて宙高く飛び上がったかと思うと、音も振動もないまま、ヒタリと静かに着地した。
着地の際に音だけでなく、わずかな振動もないなんて……まるで忍者の特撮かCG映像のよう。人間業ではなかった。


乳の下を掻き切る場面は、8月の仕舞「玉之段」ではほとんど涼しい顔をして、すーっと真一文字に胸の下を扇で斬ったが、この日は、グサリッと胸を抉るように突き刺す、リアルな表現。
外国籍の人にも視覚的にわかりやすいよう、迫真性を高めた「玉之段」だった。


中入前、シテは「この筆の後を御覧じて、普請をなさで弔へや」で、文に見立てた扇を子方に渡す。
そして「波の底に沈みけり」で、海の底に沈んでいくように、立ち姿から徐々に身を沈め、常座で下居。
送り笛に送られながら、橋掛りをゆっくりと去っていった。


【後場】
出端の囃子で登場した後シテは、白地に金で唐草模様をあしらった舞衣に、花七宝の紋大口、頭には見事な龍戴、左手に経巻。
面は、どこか物問いたげな泥眼。

3年前、九郎右衛門さんの後シテで、能楽座自主公演の《海士・解脱之伝》を観た(前シテは銕之丞さん)。
あの時は蓮花の天冠を被り、小書にふさわしい解脱感、狩野芳崖の悲母観音のような菩薩感が強く、この世ならぬ神々しい光に輝いていた。

この日の後シテにはまだ人間味があり、生身の女性のもつ潤いのある母性本能を感じさせた。

シテは、子方に経巻を手渡し、わが子がそれを読誦するあいだ、悲しげにシオリながら、常座へ至り、振り返って子方を見つめる。

そこから達拝となり、盤渉早舞へ。

ここからはもう、頭では何も考えない、感覚だけの世界。
どこまでも無限に広がる舞の美のなかに、ただ心地よく身をゆだね、魂が溶けてゆく感覚。

シテが袖をひるがえすたびに、悲しみの雫のようなものがパッとはじけ、シャボン玉のように消えてゆく。

ただ美しいだけではない、一抹の悲しみと翳りのある龍女の舞。

早舞三段目の途中から、シテは橋掛りへ行き、三の松で、風に舞う花びらのように、クルクル、クルクル、とまわり、しばし佇む。

お囃子も止んだ、完全なる静止、完全なる静寂。
余情をたたえた美しい「間」。

この余白のなかに、観客は龍女の思い、胸のうちを夢想し、舞台と観客の想像力の相乗効果で、一人一人のなかに、オリジナルな《海士》が創られてゆく。

囃子の総ナガシで、橋掛りから舞台に戻った龍女からは、あらゆる迷いも、人間的な苦悩も、すべて消え去り、冴え冴えとした光に包まれていた。








2018年11月26日月曜日

能と狂言の会~国際交流の夕べ

2018年11月20日(火)18時30分~20時45分  京都観世会館
桜紅葉が散り残った晩秋の白川。

狂言《墨塗》大名 茂山千作
    太郎冠者 茂山茂 女 茂山千五郎
    後見 島田洋海

能《海士》海士/龍女 片山九郎右衛門
    藤原房前 片山峻佑
    ワキ 福王知登 是川雅彦 喜多雅人
    アイ浦の男 茂山逸平
    後見 河村博重 味方玄
    地謡 武田邦弘 古橋正邦 分林道治 片山伸吾
       田茂井廣道 大江信行 橋本忠樹 梅田嘉宏


国際交流基金が主催しているだけあって、観客の7割以上が外国籍の方々。
狂言と能それぞれの終演後、何人かに感想をうかがったところ、狂言については、"It's interesting!""It's so simple, but so nice!" 能については、"It's so beautiful! I LOVE this art!!" といった感想が多く、かなりの好感触。


問題となる言葉の障壁に関しては、《墨塗》と《海士》の英訳シノプシスと、1960年に出版された『JAPANESE NOH DRAMA』から抜粋された《海士》のあらすじと詞章の英訳&詳しい注釈の英訳が配布され、外国籍の方々も、古語で書かれた詞章の意味がよく分からない日本人ビギナーと同じような状態で鑑賞できたのではないかなー。


狂言《墨塗》は言葉の意味は分からなくとも、あらすじさえ押さえておけばビジュアル的に可笑しみが伝わるから、良い選曲だった。
茂山家の芸風も、笑いのツボを全身で表現する上方的笑劇の要素を多分に含んでいて、声もよく通って大きいし、外国人受けしやすいように思った(ふだんよりも演技に誇張が加わったように感じたけれど、それは致し方ないのかも→山本東次郎さんなら目くじらを立てるだろうけど)。


このところ、千作さんの体調が悪そうなのがちょっと気になる。かなり無理をして舞台に立っていらっしゃるのかもしれない。



ところで、愛知県の岡崎信用金庫が毎月発行している『Monthly Report(経済月報)』11月号を観世会館でいただいた。
40ページ以上にわたり、片山家と京舞井上流の特集が組まれていて、信用金庫の広報誌としては異例の扱い。
九郎右衛門さんと井上八千代さんのそれぞれのロングインタビューのほか、今年7月に催された能装束・能面展の展示品の一部図版、能の歴史や曲の解説など、驚くほど充実した内容だった。

こんなにすばらしいメセナ活動をする信用金庫が愛知県にあるんですね。
めちゃくちゃ、イメージアップじゃないですか。
こういう企業や金融機関が増えてほしいな。


能《海士》につづく





2018年11月25日日曜日

西宮能楽堂

2018年11月25日(日)  平林会館・西宮能楽堂

番外舞囃子《龍田》シテ 梅若雄一郎
    斉藤敦 上田敦史 中田一葉 山本寿弥

番外仕舞《猩々》 梅若基徳



ブログの更新がなかなか追いつかず、片山九郎右衛門さんの《海士》や梅若万三郎の《井筒》など、アップしたい記事が諸々あるけれど、とりあえず記憶が新しいうちに、行ってきたばかりの西宮能楽堂(梅若基徳さんの社中会「梅基會」)の記事から掲載します。

1階ロビー

昨年12月に竣工した西宮能楽堂。
外装も内観もコンクリート打ち放しで、東京で言うと、青山にある銕仙会の能楽堂に近い感じだろうか。
銕仙会と同じく、こちらも玄関で履物を脱いで上がるシステム。



館内には、能をテーマにした絵画が何枚か飾られていた。




見所は2階。
上の画像は、2階ロビーから観た踊り場と外の風景。




こちらが能舞台。

真新しい檜舞台には、遷宮を終えたばかりの神社のような清らかな美しさがある。


舞台の高さは、脚の膝くらい。
鎌倉能舞台や代々木能舞台など、これまで体験した至近距離の舞台では床の上にじかに座ってみるパターンが多かった。

しかしここでは、椅子に座って鑑賞するため、ほかの能楽堂とは視点の高さや演者を観るアングルが異なる。
至近距離から演者を見上げるというよりも、演者を同一平面上で観ているような感覚。
鑑賞の未体験ゾーンに踏み込んだ感じだ。

とにかく、演者の舞や息遣いがド迫力で感じられる。

番外舞囃子では、シテや囃子方さんたちの若いエネルギーが炸裂し、あふれんばかりの気迫がダイレクトに伝わってくる。
シテの梅若雄一郎さんの神楽は、繊細端麗な梅若らしい舞で、惹き込まれる。
つぼみがほころびかけた時分の花の美しさ。

若手囃子方成長株の揃ったお囃子も素晴らしく、神楽の笛も小鼓の神楽地も良かったし、太鼓も見事。
そして、気力の充実した山本寿弥さんの大鼓がとりわけ魅力的だった。


社中の方もうまい方が多く、とくに《歌占》の舞囃子を舞った女性がお世辞抜きで凄かった。舞だけでなく謡もうまく、プロとしても十分通用すると思うくらい。
休憩時間にその方とロビーでお会いして、舞を拝見して感激したことをそのままお伝えすることができてよかった。



鏡板の勇壮な老松。
梅若だけに、蕾のついた「梅」も存在感を放っていた。

写真に撮るのを忘れたけれど、能舞台正面にはもちろん、「橘」の家紋。
関西で「梅若」の香りを感じられる場所だ。




高窓からは自然光が射しこむ。

時間や季節の移ろいによって光の加減が変化し、さまざまに表情を変えていく能舞台。

なんとなく、東中野の梅若の能楽堂を思わせる。
新しいけど、どこか懐かしい。




橋掛りの松には、松ぼっくりがついていて、可愛らしい。
これに飾り付けをしたら、クリスマスツリーになりそう。








2018年11月21日水曜日

能《融・遊曲・思立ノ出・金剛返》~曽和博朗三回忌追善会

2018年11月17日(土)11時~19時45分 金剛能楽堂

能《融・遊曲・思立ノ出・金剛返》シテ 金剛永謹
   ワキ 小林努 アイ 茂山千作
   杉市和 社中の方 谷口正壽 前川光長
   後見 宇髙通成 向井弘記 惣明貞助
   地謡 種田道一 松野恭憲 金剛龍謹 種田和雄
      谷口雅彦 今井克紀 重本昌也 田中敏文




よく考えたら、金剛流お家元の能を拝見するのは初めて。
京都では金剛流を拝見する機会も増えるだろうと思っていたけれども、金剛定期能は京都観世会例会と日程がかぶるため、なかなか拝見できずにいる。
(来年2月の宇髙竜成さんの《箙》を観たかったけど、この日も味方玄さんの《弱法師》とみごとに重なっている。)

能《融》で小鼓を打つのは、表千家・長生庵の若宗匠。
ロビーには御茶席が設けられ、お菓子は嵯峨菊をイメージしたとらやの「小倉野」のほか、能《融》にちなんで塩釜から取り寄せた干菓子「しおがま」が用意されていた。
藻汐と紫蘇の爽やかな香りを楽しみながら《融》の世界に思いをはせるという、なんとも風雅な趣向。お能の前に、素敵なお庭を眺めながら一服いただくなんて……京都はいろんな面で凄いなあと思う。


さて、小書のたくさんついた《融》。
金剛流で観るのも観るのもはじめてなので、以下は気づいたことのメモです。

【前場】
小書「思立之出」はワキ方関係の小書なので、内容は観世流と同じ。
いきなり下歌の「思ひ立つ心ぞしるべ雲を分け」と謡いながら登場し、「千里も同じ一足に」と一の松まで至ったあと、「これは東国方より出でたる僧にて候」と名乗りになる。

また「金剛返」は、金剛流に特有の小書ではなく、ワキ方高安流と囃子方関連の小書で、高橋葉子氏の『「金剛返」考』によると、道行「夕べを重ね朝ごとの」のあとの〈打切)が、〈刻返〉という短い手に代わり、返シは「朝ごとの」だけになるという。つまり、囃子の手も謡の返シも短くなり、ノリを崩さずして全体のリズムを変化させるのが、「金剛返」だそうだ。
どうやら「金剛返」は、ちょっとしたところに変化を持たせる好みの小書のようだ。


「げにや眺むれば、月のみ満てる塩釜の」で流れる杉市和さんの笛の音が、千賀の塩釜を再現した庭園の寂しく荒れ果てた景色を描いていて、心に痛いほど沁みてくる。
お囃子は京都の最強メンバーで、社中の方も玄人はだし。
いいなあ、としみじみ聴き惚れながら、《融》の世界に浸っていた。

金剛流の地謡は微動だにせずじっと座っているのが、観ていて気持ちいい。
さすがに後場になると年配の方は辛そうだったが、座る姿勢は地謡の手本のよう。


【後場】
後場の演出は、どこまでが小書「遊曲」の演出で、どこからが金剛流オリジナルの型なのか分からないけれど、とにかくかなり凝っていた。
(以下、覚束ない記憶なので、誤りは多々あると思います。)

装束の一部も、通常の《融》のものとは違っていて、狩衣・指貫は同じだけれど、初冠ではなく風折烏帽子を被り、烏帽子には金色の木の実と葉っぱのようなものがついている(目を凝らしてみたが、なにが付いているのか分からなかった)。

「あら面白や曲水の盃」「浮けたり浮けたり遊舞の袖」で、囃子が総ナガシになり、一の松にいたシテは、扇で酒を汲む所作をし、そのままナガシで幕際まで後退、三の松でしばし佇む。

再び囃子が入り、シテは橋掛りをゆっくり前進→常座へ至る。
囃子が特殊な手を打ち →シテは常座から角へ →角で両袖を巻いたまましばし留まる。やがて脇座前へ至り→総ナガシで大小前へ至って、達拝→盤渉早舞へ。

こういう舞台上の移動のしかたが、2年前に東京能楽囃子科協議会で観た喜多流の《融・笏之舞》(シテ友枝昭世、太鼓・観世元伯)を彷彿とさせる。

《融》は追善の会でよく上演されるから、いろいろ思い出す。
金春國和師を偲ぶ「旧雨の会」での「思立之出・舞返」とか。
月の世界に還ってゆく融の姿は、懐かしい人の面影とも重なる。


良い会でした。
ありがとうございます。





2018年11月20日火曜日

曽和博朗三回忌追善会~舞囃子・居囃子など

2018年11月17日(土)11時~19時45分 金剛能楽堂

舞囃子《当麻》片山九郎右衛門
  森田保美 曽和伊喜夫 柿原孝則 小寺佐七
  地謡 青木道喜 橋本光史 田茂井廣道

独調《知章ロンギ》  田茂井廣道×成田奏
  《鐘ノ段》    河村和重×大村華由
  《龍田》     武田文志×丹下紀香
  《梅枝・楽アト》 橋本光史×森貴史
  《錦木キリ》   宇髙通成×古田知英
  《高野物狂・道行》林宗一郎×成田達志

居囃子《三輪・白式神神楽》
   杉市和 社中の方 柿原崇志 前川光長
   地謡 片山九郎右衛門 青木道喜 橋本光史 武田文志

舞囃子《玉鬘》林宗一郎
   左鴻泰弘 社中の方 柿原孝則
   地謡 河村和重 橋本光史 田茂井廣道 武田文志

番外一調《江口》   大江又三郎×曽和正博
    《鵜飼》   種田道一×小寺佐七
    《女郎花》  金剛龍謹×幸正佳
    《花筐クルイ》武田伊左×曽和鼓童

能《融・遊曲・思立ノ出・金剛返》シテ 金剛永謹
   ワキ 小林努 アイ 茂山千作
   杉市和 社中の方 谷口正壽 前川光長
   後見 宇髙通成 向井弘記 惣明貞助
   地謡 種田道一 松野恭憲 金剛龍謹 種田和雄
      谷口雅彦 今井克紀 重本昌也 田中敏文

ほか、囃子、一調、独調など多数


開演前、ロビーの遺影に御焼香をさせていただく。追善会にふさわしい番組と内容で、社中の方々の演奏もとても素晴らしかった。


まずは、九郎右衛門さんの舞囃子《当麻》から。
今年2月の能《当麻》は拝見できず、痛恨の極みだったから、この舞囃子はうれしい。
小鼓は故・博朗師のお孫さんの伊喜夫さん、大鼓は柿原孝則さんで、九郎右衛門さんとの組み合わせも珍しい。

舞囃子とはいえ早舞の箇所だけでなく、出端から始まるので、ワキなしの半能・袴能のような形式。
九郎右衛門さんの中将姫は「天上の存在」としての菩薩感が強く、天冠や装束をつけていなくても、光り輝く後光に包まれているように見える。

とりわけ、独特の節回しの「慈悲加祐……乱るなよ~」のところでは、力強く、気高い声で衆生を教え導く、荘厳な崇高美が全身から立ち昇り、思わず、手を合わせたくなるような神々しさだ。

早舞は、女体による法味の舞のため黄鐘早舞。とくに追善の会の初番で出される時は、盤渉調は敬遠すべきものだという。
近日、同じシテによる《海士》を拝見する予定なので、《当麻》の早舞とどう違うのか、比較しながら味わってみようと思う。


居囃子《三輪・白式神神楽》
九郎右衛門さんの白式神神楽の舞囃子地謡を聴くのは、これで3度目くらい。
毎回あらたな感動を覚えるが、そのなかでもこの日の白式は最高だった!

白式神神楽が描き出す、常世の闇の世界、静寂、神々の嘆き、慟哭を、謡と囃子だけでこれほどドラマティックに再現できるなんて!

ちょうど一年前に、国立能楽堂で九郎右衛門さんの能《三輪・白式神神楽》を観た時と同じくらいに、胸が痙攣するほどブルブル震えて、謡の魅力、その素晴らしさにあらためて気づかされた。

こんなふうに心を揺さぶる謡に出逢うと、能楽はバリアフリーだと強く思う。
たとえ感覚の一部に障害があっても、能楽の音の世界の豊かさ、その表現力の高さを存分に発揮した一流の舞台に触れると、能の醍醐味を味わうことができるのではないだろうか。


小鼓の社中の方も熟練者で、特にスリ拍子の箇所で、小鼓→太鼓→大鼓の順番で一粒ずつ打っていくところの漆黒の闇の表現が見事だった。


このあと、九郎右衛門さんは大急ぎで大槻能楽堂へ。
瞬間移動しないと間に合わないようなスケジュールなのに、いったいどうやって移動されたのだろう……?


舞囃子《玉鬘》
玉鬘のシンボルでもある左肩に垂らした一筋の髪。
舞囃子だからもちろん髪は垂らしていないけれど、艶やかな黒髪と千々に乱れる思い、心の狂乱、漠然とした苦しみが、カケリのなかに凝縮して表現されていて、やっぱり宗一郎さんの舞囃子はいいな。



ほかにも見どころ・聴きどころの多い番組で書きたいことは山ほどあるけれど、長くなるので、能《融・遊曲・思立之出・金剛返》の感想は次の記事で。






2018年11月19日月曜日

片山九郎右衛門の《小鍛冶・白頭》~高槻明月能

2018年11月16日(金)18時40分~21時 高槻現代劇場
一調《杜若》・狂言《二人大名》からのつづき
現代劇場のお隣り、野見神社境内の四社明神(稲荷、福神社、磐神社、祖霊社)には、お稲荷さんがいっぱい!


能《小鍛冶・白頭》シテ 片山九郎右衛門
    ワキ 福王知登 ワキツレ 喜多雅人
    アイ 野村太一郎
    森田保美 林吉兵衛 山本哲也 井上敬介
    後見 青木道喜 橘保向
    地謡 古橋正邦 浦田保親 味方玄 片山伸吾
       分林道治 大江信行 橋本忠樹 梅田嘉宏

↑ホールに設けられた特設舞台はこんな感じ。


九郎右衛門さんがプロデュースした高槻明月能は、ホール能の特性を生かし、能楽堂にはない制約を逆手に取った、意外性のある演出だった。

以下は、銕仙会で観た九郎右衛門さんの《小鍛冶・黒頭》と比較しながらの感想です。



【前場】
前シテの出。
銕仙会の「黒頭」では、シテが気配を消したまま、いつの間にか橋掛りに立っていて、三の松で「のうのう」の呼び掛けがあった。

いっぽう、この日の「白頭」では、(揚幕がないため)舞台袖の奥から「のうのう」と呼び掛けがあり、かなり間をおいてから、シテの出となった。
(忽然とあらわれる出現法は、すでに常連客には予測可能だから?)

前シテの出立は「黒頭」のときとよく似ていて、オスベラカシに喝食系の面(大喝食?)、手には稲穂。
ただし、銕仙会の「黒頭」では縫箔腰巻のモギドウ姿だったが、この日の「白頭」では縫箔着流に墨色の水衣という出立。

中入前に、「御力をつけ申すべし、待ちたまへ」と宗近を励ますところは、「黒頭」のときと同じくワキのほうを向いて、橋掛りの欄干に寄りかかる。
ただし、この日は、領巾振る松浦佐用姫のように情感を込めて宗近に手を差しのべる表現はなく、比較的あっさりしていた。


【間狂言】
野村太一郎さんの間狂言は、まさに王道!
この方が野村万蔵家を嗣がなかったのか残念でならないが、芸風は万蔵家の、野村萬師の正統な芸系を、たしかに、しっかりと受け継いでいる。
毅然としつつ、着実に修業を積み、研鑽を重ねた結果が、この日の見事な間狂言だったと思う。
こういう意欲にあふれ、才能と花のある方にこそ、もっと舞台に立ってほしい、もっと舞台の機会を増やしてほしいと切に願う。

心のなかで500人分の万雷の拍手を送った。


【後場】
宗近が鍛冶壇に上がって祈願するところでは、舞台の照明が落とされ、暖色系のアップライトだけがワキの姿を下から照らし、あたかも鍜治場の炎の前で幣を振って、祈りを捧げているような、ちょっと不気味で、臨場感あふれる演出が用意されていた。

「骨髄の丹誠、聞き入れ」くらいから、ピカピカッと稲光のような照明が入り、いきなり後シテが登場!

「えっ? 早笛が入らずに、シテの登場??」

と思っていると、舞働調の短い囃子が入り、そこからワキの「謹上再拝」となって、シテは再び舞台袖へ姿を消す。

「ん?」

と思ったっ瞬間、片ヒシギが鳴り、早笛の囃子が始まり、後シテが勢いよく再登場!

照明が一気にパアッと明るくなり、白ずくめのシテの装束にまぶしいくらい反射する。

この登場の仕方がかっこよくて、テンションMax!

このステージには揚幕がないので、本来なら半幕でシテの姿をチラ見せするところを、シテがいったん橋掛りに出て、再び舞台袖に下がる、という演出に置き換えたのだろうか。(*追記参照)

後シテの面は、泥飛出かな?
メタリックな面がまばゆい照明を反射して、ステージ映えする。

シテがサッと登場して欄干に足をかけるところでは、仮設のシテ柱がグラグラッと動き、一瞬ヒヤッとしたが、白頭の位らしくどっしりとした舞働は、どこか狐らしい敏捷性も感じさせ、重みと軽みのさじ加減が絶妙だった。

最後は、シテが三の松(のあたり)で留。
ワキツレ橘道成が、小狐丸を大事そうに捧げ持って退場した。


ホール能の定めで、謡がマイク越しなのは残念だったけど、それ以外は凝った演出で楽しい舞台だった。



*追記:思い返せば、半幕の代りに三の松まで出て、その後ふたたび早笛で登場する演出法は銕仙会の「黒頭」の時もあったから、揚幕のない今回のステージに合わせた演出ではなかったのかもしれない。







2018年11月18日日曜日

高槻明月能 ~一調《杜若》・狂言《二人大名》

2018年11月16日(金)18時40分~21時  高槻現代劇場

現代劇場に隣接するカトリック高槻教会と高槻城主の高山右近像

【番組】
プレトーク 井上由理子

一調《杜若》井上敬介×片山九郎右衛門

狂言《二人大名》シテ 野村萬斎
    アド 岡聡史 小アド 内藤連
    後見 野村太一郎

能《小鍛冶・白頭》シテ 片山九郎右衛門
    ワキ 福王知登 ワキツレ 喜多雅人
    アイ 野村太一郎
    森田保美 林吉兵衛 山本哲也 井上敬介
    後見 青木道喜 橘保向
    地謡 古橋正邦 浦田保親 味方玄 片山伸吾
       分林道治 大江信行 橋本忠樹 梅田嘉宏



高槻城址に建つ高槻現代劇場。
劇場の両サイドにはカトリック教会と神社が建ち、近くには歴史館や城跡公園があって、なかなか面白い場所だ。
この日は5時まで、しろあと歴史館で「藤原鎌足展」を観ていて(「多武峰曼荼羅」の展示がずらり!)、6時過ぎの開場まで劇場ロビーで本を読んでいた。

ふと気がつくと、大鼓と太鼓の音がかすかに聴こえてくる。
どうやら地階のホールで能楽公演の申し合わせをしているらしく、時おり、九郎右衛門さんの足拍子も聴こえてくる。
耳を澄ますと、早笛と舞働のあたりを念入りにリハーサルしているようだ。どんな舞台になるのか、期待が高まりワクワクする!



一調《杜若》
九郎右衛門さんの一調。亀井広忠さんとの《勧進帳》はTVで聴いたことがあるけれど、生で聴くのは初めて。この日は声の調子も絶好調だった。

九郎右衛門さんの謡は、「息」そのものが波動となってさざ波のように広がり、聴く者の身体と心にダイレクトに作用する。

詞章の意味が分からなくても、能の予備知識がなくても、波動によって相手の感覚に直接はたらきかける。感度の高い人なら誰もがなにかを感じとり、なにかが心に響いてくる、そんな謡だと思う。

お相手は、観世流太鼓方の井上敬介さん。この方の格調高い太鼓もとても良かった。良い一調だった。

それでも、
観世流の太鼓を聴くと、元伯さんのことをどうしても思い出してしまう。
元伯さんの《杜若》、とくに舞囃子の《杜若》はそれこど数えきれないほど聴いた。
あれ以上の《杜若》の太鼓を聴くことは、この先あるだろうか。

その元伯さんと九郎右衛門さんとの「夢の一調」が実現していたら、どんなにか素晴らしかっただろう!
現実の一調を味わいながら、叶わなかったもうひとつの一調を心のなかで聴いていた。





狂言《二人大名》
人手不足のため、通りがかりの男に太刀を持たせた二人の大名。
「武士の命」ともいえる太刀を行きずりの男に持たせるなんて、完全に平和ボケ。

男は大名たちが油断したすきに、太刀を抜いて二人を脅し、小刀と素襖を取り上げる。
この太刀を抜いたときの、萬斎さんの構えがじつに美しい。

ふつうならば大名たちはまだ小刀2本と太刀1本を持っていて、剣術の心得もあるはずだし、多勢に無勢、一般庶民が太刀を抜いたところで、相手が刀に慣れていないへっぴり腰の男なら、そう恐れることはないはずだ。

しかし、太刀を抜いた男の構えを見て、自分たちが二人でかかっても、かなう相手ではないことを、大名たちは即座に悟ったのだろう。
そうした3人の心理描写を観る者に納得させるような、萬斎さんの剣の構えだった。

男から「起き上がり小法師」の物真似を命じられた大名たちは、「起き上がり小法師」の小謡やだるま転がりをしているうちに、興に乗ってくる。そのすきに、男は素襖と刀を奪い去ってゆく。

人手不足だからといって、安易な道を採るとトモデモナイことになるという、現代にも通じる戒めかもしれない。


《小鍛冶・白頭》へつづく






2018年11月15日木曜日

誓願寺と誠心院 ~和泉式部ゆかりの寺

新京極通りには、和泉式部ゆかりの2つのお寺が建っています。

こちらは、能《誓願寺》の舞台となった誓願寺。

和泉式部が帰依したころの誓願寺は奈良にあり、宗派も三論宗だったようです。
その後、鎌倉時代に京都の一条小川に移転し、さらに秀吉時代に現在の三条寺町に移され、宗派も鎌倉期に浄土宗になったとされています。

和泉式部が御本尊に教えを受けたころとは大きく様変わりした誓願寺ですが、能《誓願寺》ではすでに念仏の大道場として描かれ、現在とそう変わらないお寺だったのかもしれません。



行ってみると、なんと、「リレー説教大会」なるものが催され、門前では若い僧侶の方々がビラ配りをしていて、「どうぞ! どうぞ!」と本堂へ案内されました。


本堂には立派な阿弥陀如来像が。

誓願寺のもともとの本尊は、天智天皇の勅願により、名仏師・賢問子・芥子国父子が造立したものでした。

賢問子と芥子国は、夜になると地蔵菩薩と観音菩薩に姿を変えて勅願仏を彫っていたという伝説が残されています。
両菩薩は春日大明神の本地であることから、阿弥陀如来は春日大明神がつくられたものとして崇められてきたといいます。

和泉式部が帰依したのも、この賢問子・芥子国が彫った阿弥陀如来でした。

しかし残念ながら、天智天皇勅願の仏像は焼失し、現在安置されているのは、明治期の神仏分離により、石清水八幡宮から移されてきた阿弥陀如来(鎌倉~南北朝期作)だそうです。

とはいえ、八幡神の本地仏として石清水八幡で大切に崇拝されてきただけあって、現在の阿弥陀様も素晴らしい仏像です。


美しいので、仏像のアップ。
(こちらのお寺は太っ腹で、本堂の中も写真撮影OKとのこと。)

「リレー説教大会」というのは、落語の元祖で、優れた説教師でもあった誓願寺第55世策伝上人の遺勲を受け継ぐべく開催されている大会だそうです。

策伝上人は、滑稽な話を集めて『醒睡笑』を著しました。
その『醒睡笑』をもとにして、《子ほめ》《牛ほめ》《唐茄子屋政談》《たらちね》などの落語作品がつくられたというから、たしかに落語の元祖、誓願寺が落語発祥の地と言われるのもうなずけます。

僧侶の方々がやわらかい京都弁で語る説教は、なんとなく落語っぽい。

こちらに来て感じるのは、とくに関西の浄土宗・真宗系の僧侶の方々は、皆さん、噺家なみにお話がうまいということ。
親しみやすい話術のうまさは、ここでは僧侶の必須条件なのかも。

この本堂では落語の奉納以外にも、《誓願寺》の能楽奉納も行われているそうです。




さて、そのまま新京極商店街を歩いていくと、誠心院の山門が見えてきます。

誠心院の初代住職が、和泉式部です。
和泉式部は、藤原道長の娘・彰子に仕えていました。
彰子の勧めにより、藤原道長が和泉式部のために建てた東北寺境内の小御堂が、誠心院の起こりとされています。



山門の右横には、魔尼車(マニ車)の一種「鈴成り輪」がありました。

お寺の解説によれば、和泉式部の古い灯籠の竿と台座を使ったもので、一回廻せば経典を一回読誦した功徳が得られ、さらに知恵授けや恋授けの御利益があるとのこと。



誠心院には、江戸時代の和泉式部縁起絵巻が伝わっており、境内には絵巻のパネルが飾られています。

絵巻の上巻には、娘の小式部に先立たれた和泉式部が、書写山円教寺を訪ねて、そこで性空上人の教えを受け、さらに誓願寺に籠り、本尊の教えによって六字名号を日々唱え、女人往生するまでの物語が綴られています。

↑の図は、和泉式部が誓願寺に参拝したときの様子。



下巻は、能《誓願寺》を絵巻物にしたような内容で、最後は、歌舞の菩薩となった和泉式部が二十五菩薩とともに一遍上人の前にあらわれるさまが描かれています。

↑の図に描かれているのは、和泉式部の墓(宝篋印塔)。




こちらが現在の誠心院。


本堂の脇から裏手にまわると、


式部千願観音像がビル群の前に安置されていました。

和泉式部の面影を偲ぶ、千人の願いを込めた、万人に利益を施す聖観音菩薩という思いでつくられたそうです。


和泉式部誠心院専意法尼の墓所(宝篋印塔)

能《誓願寺》の詞章に、シテ「わらはが住家はあの石塔にて候」、ワキ「不思議やな、あの石塔は和泉式部の御墓とこそ聞きつるに、御住家とは不審なり」というくだりがあります。
誠心院によると、この誠心院境内にある宝篋印塔こそ、能《誓願寺》に登場する石塔だということです。

能の舞台は誓願寺だけれど、石塔(和泉式部の墓)は誠心院にあるということ?




二十五菩薩像
江戸期のものということですが、おそらく色が黒ずんでいる彫りの浅いものが江戸期の作で、彫りが深く石が白い像は、もう少し時代が下るのかもしれません。


実際の誓願寺は大きく様変わりして、和泉式部の気配が感じられなかったのですが、こちらの誠心院では、和泉式部信仰がいまなお深く根づいていて、能《誓願寺》の世界を味わうことができたように思います。







2018年11月14日水曜日

藤原定家の京極邸と時雨亭

京都ではふつうに歩いているだけでも、あちこちに面白い発見があります。

寺町通り、行きつけの一保堂の斜め向かい、古梅園の軒先に「此付近藤原定家京極邸址」の石碑がひっそりとたっています。

定家の京極邸は、平安京左京二条四坊十三町にあったと伝えられていますが、このあたりだったのですね。京極邸に住んでいたため、定家は京極中納言と称されました。



藤原定家が小倉百人一首を編んだ時雨亭は、能《定家》でもおなじみですが、その時雨亭跡とされる場所が、小倉山中腹の嵯峨野に3ケ所あります。

そのひとつが、常寂光寺。
先日の嵯峨大念佛狂言終了後に立ち寄ったのですが、すでに閉まっていて、なかには入れず。。。。


↑の案内板のように、常寂光寺の境内には、時雨亭跡の碑があるようです。



時雨亭跡があるとされる2つ目の場所が、二尊院。
(なんか、八ツ橋論争みたいですね。)




ここも閉まっていて中へは入れなかったのですが、こんなふうに時雨亭跡の碑が立っているそうです。




時雨亭跡がある3つ目のお寺が、厭離庵。

こちらは尼寺で、一般拝観は受け付けていないそうですが、名前からして厭世的で、能《定家》の舞台となった時雨亭跡がある場所としてはぴったり。
(写真は撮らなかったので、掲載した画像はただの嵯峨野の風景です。)






こちらは向井去来の草庵・落柿舎。
なんとなく、わたしが抱く時雨亭のイメージはこんな感じです。
定家はどんな庵を営んだのでしょうか。

《定家》の舞台が観たくなってきました。
好きな役者さんの演能が来年あたりにあるといいけれど。







2018年11月13日火曜日

赤山禅院 ~泰山府君と魔除けの猿

2018年11月初旬  赤山禅院
平安時代の888年に創建された赤山禅院は、比叡山塔頭のひとつ。
天台宗の寺院でありながら、赤山大明神という神さまを祀っています。

赤山大明神は慈覚大師・円仁の遺命により、唐の赤山の泰山府君を勧請したもの。
寿命や運命をつかさどる冥府の主宰者・泰山府君には、魔を祓う力もあるため、皇城の表鬼門に祀られました。


↑本殿の入口を縁取る巨大な数珠は「正念珠」。
この数珠をくぐるとき、心に浮かんだ願いを参拝のあいだ思い続ける真言密教の本尊誦の修法を「正念誦」と呼ぶそうです。


いっぽう、お寺を出るときにくぐるのが、↑の「還念珠」。
この数珠をくぐる時、正念誦のときに心に描いた願いに向かってみずから努力することを誓い、神仏の加護を仰ぐと良いとのこと。

お寺の正式な作法では、正念誦の功徳をあらゆる衆生に廻向するための作法が「還珠法」で、次の発願文を唱えるそうです。

願我念誦所生福 奉入本尊智恵海
平等一味同法性 我及衆生共成仏

願わくば 我が念誦により生ずるところの福をもって
本尊の智恵の海 平等一味の同法性に入り奉り
我も衆生もともに仏とならんことを。

自分の願いだけ叶えばいいという自己中な考えではいけないということですね。
反省、反省。



拝殿の屋根の上には、鬼門除けのお猿さんがいました。
(猿が魔除けの動物なのは、「去る」に掛かるから。)

この猿は、かぐら鈴と御幣をもち、皇城を守護しています。
かつて夜な夜な悪さをしたため、逃げ出さないよう金網に入れられているそうです。
(てっきり、ハトのフンフンよけかと思いました。。。)




こちらが、皇城表鬼門・赤山大明神。


あざやかな色彩の狛犬は、王城守護にふさわしい威厳のある顔立ち。
かつてはもっと極彩色だったのでしょう。




紅葉の美しい地蔵堂。







苔むした十六羅漢。味わいがあります。