2014年12月29日月曜日

紀彰の会(5)~《砧》Part3

シテの中入りと間狂言の後、ワキの芦屋何某が再び登場。
例の名詞「無慙やな三とせ過ぎぬることを怨み……」となる。

これまで《砧》のワキは、宝生閑・欣哉師のを拝見してきて、
森常好師の芦屋何某を見るのは初めて。
森常好師は好きなワキ方の1人だが、どうしても先の2人と比べてしまう。

宝生閑の「無慙やな……」は別格で、
枯れてかすれた声が発するこの一語に万感の思いが込められていて、
胸にぐっと突き刺さった。

欣哉さんは情感のこもったまなざしで、
静かにシテの思いと怨みを受け止める包容力のあるところが魅力だった。

一方、この日の森常好師は、美声は相変わらず素晴らしかったけれども、
シテに対する思いや愛情がいまひとつ伝わってこなかった。
(そのことが、最後の「法華読誦の力にて」でシテが成仏する場面の唐突感の一因となり、
それがこの舞台での唯一の欠点となったように思う。)



さて、ワキの待謡の後、いよいよ後シテの登場。
そして、いよいよ元伯さんの太鼓の出番となる。

観世元伯さんの能《砧》の太鼓を聴くのはテアトル・ノウに続いて2度目。
テアトル・ノウの時は、鎮魂の鐘の音のような金属音っぽい、高い打音だったように記憶しているけれど、この日の太鼓はどことなく「懴法」を思わせる、重く、低い打音に聴こえた。

冥界から霊を呼び寄せる梓弓の弦の音色も、このように重く沈んだ音なのだろうか。

後シテは白綾壺折に清涼感のある浅葱の大口をまとい、杖をついて現れる。
泥眼の表情には怨みめいた感情はみじんも感じられず、ひたすら悲しげで可憐な目をしている。
つらい恋をしている女の目だ。

シテは地獄のありさまを語り、蘇武の故事にちなんで砧を打ったのに、どうして夢にさえ見てくれなかったのか(私の思いが届かなかったのか)と、夫に激しく詰め寄る。

思いのたけをぶつけたのち、地謡の調子が一変。
夫の法華経読誦の力によって(夫がまだシテを愛していて、シテのもとに帰ってくるつもりだったことがシテに通じて)、シテは成仏することになっているのだけれど、ここが(シテのせいでは決してないのだが)観る者に唐突な印象を与えてしまう。

(テアトル・ノウと比べてばかりで申し訳ないが、味方玄さんの公演の時は、この終曲の場面で、シテ・地謡・囃子・ワキが一体となって、シテの心の浄化・昇天感を生み出し、一条の光とともに天使の梯子が降りてくるのが見えたのだった。見る側の体調や気分の問題もあるのかもしれないけれど。)


そういうわけで、「紀彰の会」ではシテだけが清らかに成仏して、

他がついてこれていない気がした。
シテの動きやリズムはすでにこの世のものではなく異次元にあるのに、

その他の人たちはまだ現世にとどまっているような――(実際、そういう設定になっているのだけれど。あまりにもゆったりとしたテンポに、江戸っ子の大鼓が肌に合わず、いつもの打音の繊細さが存分に発揮できていないように感じた)。

それほど、シテと能面が一体化・融合化していて、
シテの身体は蜻蛉の羽のように朧げに透き通り、
この世ならぬ存在となっていたのだ。
                     
シテは静かに、水中を漂うようにゆっくりと、橋掛りを進み、
ワキが続き、地謡と囃子方が立ちあがる。
                      


                                                                   
そして最後に太鼓方が太鼓と扇を持って、スッと立ち上がり、
揚幕のほうに向き直って
舞台に終止符を打つように特徴的なリズムで半歩下がり、
絶妙な「間」を置いてから歩み出し、橋掛りを去ってゆく。

その流れるような一連の所作を
私は目で追い、舞台の終幕を惜しむように、
彼の人の姿を心を込めて見送るのだった。




                                                     



                     

               

2014年12月28日日曜日

紀彰の会(4)~《砧》Part2

                        
舞台は、北の方の憂愁と孤独を代弁するかのように、
これ以上ないほどゆっくりと(通常の1.4倍くらいのペースで)進行していく。

この奥深く物悲しい舞台のリズムを土台からがっちり支えるのが、
梅若玄祥率いる地謡陣。

シテが抱く《砧》の世界観を完璧に理解している地頭(地謡)、という最強の支援部隊。
強力な後方支援を得たシテは、独自の《砧》の世界を舞台上に自在に描いていく。


シテ「露の玉簾、かかる身の
地「思いをのぶる、夜すがらかな

高くジャンプする前に身をかがめるようにシテは面伏せ、地謡も低く謡った後、
「宮漏高く立ちて、風北にめぐり」と、高く伸びやかな上ノ詠となる。

この波打つようにドラマティックな節まわしが、観る者の胸をぐわんぐわんに揺さぶり、
私は否が応でも号泣モードに入っていく――。



月のいーろー、風のけしき、影に置く霜までもー」

日本のマニエリスト・抱一の描く秋草図の情景が目の前に出現する。
荒涼とした夜嵐の音が聞こえる冷たい銀色の世界。
そのなかで孤独に舞う、臈たけた北の方。
日本美の極致――。

この日は囃子方も名手揃いだったが、お囃子さえ不要と思われるほど、
シテと地謡が圧倒的な力で、《砧》の世界に観客を引き込んでいく。




それにしても、
モダニズム文学さながらに、シテの意識の流れを自然描写と巧みに融合させながら
美しい詞章で表し、心揺さぶる節付けをした世阿弥の前衛性には改めて驚かされる。

猿楽の芸から、一気にここまでの洗練を果たした世阿弥。
時を超えて、いまここで、世阿弥の作品にじかに触れ、感動することのできる幸せ、不思議さ。
紀彰さんの御舞台を拝見しながら、
芸をつないでいくことの奇跡と貴さに思いを馳せたのでした。



「砧の段」を終え、例の物議を醸す言葉「この年の暮れにも御下りあるまじきにて候」を夕霧から告げられ、
シテは双ジオリして、一縷の望みさえも断たれ、ショックのあまり免疫力が低下して帰らぬ人となる。

(この時、夕霧がシテの背後に回って支えるしぐさをするのですが、
その所作に女主人への労わりがさりげなくこもっていて、
谷本健吾さんの夕霧って、やはり好いなと思ったのでした。)















        

                                       
                   

2014年12月27日土曜日

紀彰の会(3)~《砧》Part1

                     
 面の裏側と彼自身の顔との間におけるこのような闇が識られると、彼にはふしぎな体験が起った。つまり彼自身には見えぬ美しい深井の面の表側こそ彼の顔であり、その内側に広大な闇を隔てている彼自身の本来の顔は、顔であることを失って、彼の無意識の「存在」の形になり、まだ知らなかった深い記憶の底から、それがこの闇の広野に直面しているのだと感じたのである。
                 
                         ――三島由紀夫『美しい星』    




                                            
厳かな儀式のように今年最後のお調べが始まる。
あれは松田さんの笛、源次郎師の小鼓、忠雄師の大鼓、そして、なぜか郷愁を誘う元伯さんの太鼓。

       
囃子方が間隔を置いて橋掛りを進み、切戸口から地謡が入ってくる。
静寂が支配する「無の空間」から物語が紡ぎだされようとする――この瞬間がたまらない。

(解説もトークもなく、静かに始まり、静かに終わる。これこそお能の醍醐味だと思う。)



遠い過去を呼び覚ますような名ノリ笛に誘われて、ワキの芦屋何某(森常好)とツレの夕霧が登場。
(ツレを演じる谷本さんは夕霧役最多記録保持者ではないだろうか。)


「今年の暮れには必ず帰るから」という言葉を主から託された夕霧は、数歩の道行ののち、
あっというまに芦屋の里に到着。
案内を請い、後見座にクツログ。


ここから大小のアシライが奏されるが、
森田流笛方の一部では《砧》のアシライ出シだけで奏される「霞ノ呂」という譜があるそうなので、
松田さんの方ばかり見ていたら、期待どおり吹いてくださった。
 
そのロマンティックな名の通り、霞のように儚く、かすれた趣のある調べ。

この繊細な音色に乗って揚幕が静かに揚がり、シテが登場し、三の松に立つ。
              
面はおそらく深井だろうか。
古色を帯びてグレーがかった深緑の唐織には、秋草のほかに紅梅色と白の菊花があしらわれて、
地味ななかにも華やかさがある。
熨斗付の唐織の間から、灰青色と白の横段の摺箔が見える。


奥深い憂いをたたえた美しい女性。
これほど優雅で気品のある深井を見たことがない。
何もしなくても、その佇まいだけで人の心をとらえて放さない。
ため息が出るほど美しい、不思議な魅力のある姿だった。


女面が、待ち望んでいたシテを得て、生気が吹きこまれたように生々しい。
シテも、恋い焦がれた面をつけたようにさらに魅力を増している。
シテと女面が力を与え合い、相思相愛になり、その結晶として生まれたのが、
この《砧》の北の方、芦屋何某の妻のように思われた。

(つづく)








              
             

紀彰の会(2)~語り《那須》・仕舞《山姥》

  
すーっと切戸口が開いて、スルスルッと入ってきた東次郎さん。
                      
10月の「満次郎の会」で善竹十郎さんの那須語を聞いたけれど、

同じ大蔵流でも演じ手が変わると雰囲気も変わる。
どちらが好いということではなく、それぞれに味わいがある。
東次郎さんの《那須》語で特に印象に残ったのは、
柳の五衣に紅の袴を着た絶世の美女が、舟のせがいにはさみ立てて、
源氏方がいる陸のほうへ手招きをする場面。
            
柔らかくしなやかなその手の動きにはえもいわれぬ色気が漂い、
男をとろかす傾城の手そのものだった。

            
かと思うと次の瞬間には、青筋を立てて怒り、那須与一を叱咤する判官となり、
また次の瞬間には、神々に一心不乱に祈り、弓を引く青年与一となる。

                      
きりりと引き絞る弓の弾力の表現。
その変幻自在ぶり。
そして、瞬時に場所を変えて役を入れ替わるその俊敏さ・敏捷さ。
まさに超人的。



梅若玄祥師の仕舞《山姥》は、来月の定式能のプロモーション?

              
仕舞だから直面だけれど、面をかけたように恐ろしい形相の山姥。
季節はめぐり、山をめぐる。
終わりのない輪廻。
山という魔界をさまよう鬼女の凄まじさ。
迫力のある山姥だった。

         
膝と腰をだいぶ傷めていらっしゃるのではないだろうか。
おつらそうに見受けられた。
美食家なのか、体質なのか。
ものすごい運動量だと思うけれど、それでもダイエットは難しいのかしら。



                                

紀彰の会(1)~静かなりし夜、砧の能の節を聞きしに

2014年12月26日(金) 18時15分開演 梅若能楽学院会館

大蔵流 語 《那須》  山本東次郎
仕舞  《山姥》     梅若玄祥


能 《砧》   シテ 梅若紀彰  ツレ 谷本健吾  
  ワキ 森常好 ワキツレ 森常太郎 アイ 山本則重

  松田弘之 大倉源次郎 亀井忠雄 観世元伯

  後見 梅若長左衛門 柴田稔 山中迓晶
  地謡 梅若玄祥 鷹尾維教 馬野正基 鷹尾章弘
      角当直隆 松山隆之 川口晃平 土田英貴




        
                               
聖夜の喧騒も過ぎ去った静かな夜、東中野で今年最後の観能へ。

                                   
どこか懐かしい香りのする昭和モダニズム様式の建物に入り、
階段を上って能楽堂の傾斜を下りていくと、

舞台の周囲に4本の蝋燭が灯され、
磨き抜かれた檜床が、幽かな明かりを水鏡のように映していた。


蝋燭の明りは生き物のようにゆらゆらと移ろい、
凛とした空気がほの暗い能舞台を包む。


細部にまで美意識の行き届いた空間。
開演前から、すでに梅若紀彰の耽美の世界が始まっていた。


私はしばし瞑想に耽るように、
冷えさびた空間にうっとりと身を委ねながら、
物語の始まりを静かに待っていた。







                                                                              
                                               

2014年12月24日水曜日

逆境

               
金春國直さんの太鼓を2か月ぶりに鑑賞した。
(もともと上手い方だったけれど)
さらに格段に巧くなっていらっしゃって、驚くとともに胸が熱くなる。

透明感が増したような、打音の美しい響き。
絶妙な強弱をつけつつ無駄な力を抜いて、ひたすら無心に打つ姿には、宗家の風格さえ漂っていた。

彼の中に胚胎されていたものが一気に芽吹き、開花したように、
芸はたしかに、しっかりと継承されていた。


宝生和英さん、関根祥丸さん、そして金春國直さん。
無限の可能性を感じさせる人たちは、
厳しい逆境と強い意識と自覚によって飛躍し、成長していく。
































                                       


                     

2014年12月17日水曜日

梓弓

                                               
太鼓方・上田慎也師のFBに金春國和師の御遺影と法名の写真が載っていて、
ほんとうに御逝去されたのだと、いきなり現実感が湧いてきて、涙がどっとあふれてくる。

それでも
まだ信じられない。
先月初旬にも御舞台で拝見したばかりなのに。


いまは観世流の太鼓を自主トレしているけれど、
観能を定期的に始めた1年ほど前は、國和師の太鼓をよく拝見していた。
あの手裏剣を投げるような、鮮烈で印象的なバチ捌きにひたすらあこがれたものだった。

年末や来年の公演パンフレットには、まだ國和師の御名前がたくさん載っている。

まだまだあの世になんかいってほしくない。
「御冥福を……」という言葉は、私にはまだ言えない。

毎回、梓弓で呼び出されて、これからも、何度も、何度も、舞台の上で太鼓を打ってほしい。
あの太鼓をこれからも聴かせてほしい。








                                                                                                 

                                  
                                                  

2014年12月15日月曜日

銕仙会12月公演

能 《通小町》シテ深草少将・馬野正基 ツレ小野小町・長山桂三      

                    ワキ 殿田謙吉      
                    一噌隆之   観世新九郎    柿原崇志     
                   地謡 山本順之

狂言 《千切木》 シテ太郎・野村萬斎 
    アド当座・深田博治 
         太郎冠者・月崎晴夫    
        立衆 竹山悠樹 中村修一 内藤連 岡聡史    妻 高野和憲

能 《殺生石》 シテ観世淳夫 ワキ玄翁道人・則久英志     
                     アイ能力・石田幸雄   
                     藤田貴寛   鳥山直也   安福光雄    梶谷英樹   
                    地頭 観世銕之亟



今年最後の銕仙会定期公演。


能《通小町》
準シテ的なツレの里女・小野小町(長山桂三)。

小町が手にした木の実について語る「木の実尽くしの段」は秋らしくていいけれど、物語の内容とは無関係なのでは?
と思っていたけれど、百夜通い伝説によると、小町は、
深草少将が毎日運んできた榧(かや)の実で、少将が通った日数を数えていたという。

そして、深草少将は99日目の雪の日に榧の実を手にしたまま亡くなったとのこと。
(京都の随心院には、小町が蒔いて生長したとされる「小町榧」があるそうです。)

つまり、「己の願望を満たすために木の実を運ぶ」という深草少将の行為を、前場で小町の霊(里女)は(意識的にしろ、そうでないにしろ)ある意味、追体験していることになる。

もしかすると、深草少将の怨念が自らの苦悩を思い知らせるために、小町の潜在意識を操作して、少将自身の行動をなぞるように仕向けているのかもしれない。
さまざまな解読のできる、興味深い前場。


ツレの小町が後見座に退く中入り後の、ワキの待謡の前のところで、
大鼓の柿原崇志師がぼうっとしていたのか(?)、
中入のあいだ下に置いていた大鼓を取り上げるべきタイミングを逃し、
隣の新九郎さんが小鼓を取り上げてかまえに入った時も、それに気づかずに、袴の中に両手を入れたままだった。
あやうく出を逃すところで、後見の柿原光博さんが崇志師の背中をポンと叩いて知らせたので、事なきを得たけれど、どうされたのだろう?


いよいよ後場になって、一声の囃子でシテの深草少将(馬野正基)登場。
とはいえ、登場後もかなり長いあいだ無地熨斗目をかぶりっぱなしの被衣(かずき)の状態で中腰のままなので、とっても辛そう。
徐々に手や体が震えてきているのが分かるほど。

「包めど我も穂に出でて」で、ようやく被衣をとったシテ。
面は近江作の痩男。
馬野さんはがっちり・むっちりとした体格なのですが、
装束の袖を短く着付けて手首を出し、手の甲の血管が浮き出るように、
手や手首の角度をつねに角張った感じて曲げているので、全体的に骨ばり、痩せて見える。
                               
妄念の塊と化し、やつれたイメージを演出すために、相当研究されたのではないだろうか。
腰をつねに30度くらいかがめ、顎を深く引いて、面の扱いもうまく、陰気な雰囲気を巧みに出していた。

百日通いを再現するシーンも、冷たい相手を怨みながらも、
小町に惹かれずにはいられない、自分ではどうしようもない気持が伝わってきた。

「月は待つらん。月をば待つらん。我をば待たじ。空言や」では、
相手は自分のことを待っていたのではない、それは最初から分かり切っていたことという、
情けなさ、空しさ、躍らされずにはいられなかった哀れな恋心がよく現れていた。

そしてその空しさをダメだしするように、
シテが辛い過去を物語っている間も、
(ワキはシテの気持ちに寄り添うようにシテの方を向いていたのに対し)、
ツレの小町は我関せずとばかりに、涼しい顔であちらの方を向いていた。

空約束を信じて勝手に死んでいった男になんの感情も抱かない、とでもいうように。

小野小町が関心があるのは、深草少将やその苦悩ではなく、
彼が恋い焦がれた若き日の自分の美しい姿にほかならない。


深草少将が酒を飲まず、戒を破らなかったおかげで、少将と小町はともに成仏したことになっているけれど、果たしてほんとうに二人仲良く成仏したのだろうか。
どこまでも通い合わない男女の姿を描いた曲のように思われたのだった。
(安易なハッピーエンドよりも、こういう終わり方の方がいい。)


                                     

                             

                     
狂言 《千切木》は面白かったけれど、ちょっと冗長。萬斎さんが出ると、狂言とかいうジャンルを超越して「萬斎さんの舞台」になるような気がするけれど、それはそれでいいと思う。
最近注目しているのが、深田さん。
独特の雰囲気のある狂言師さんだ。


能《殺生石》
前シテ・里女(観世淳夫)の面は近江作の万眉。
万眉はいかにも男性をたぶらかすような男好きのする顔立ちなのだけれど、ふくよかな丸顔なので、シテの全体的な丸いフォルムが強調されていた。
増女か、無難な若女のほうがよかった気がする。

テレビで《屋島》のツレを拝見した時も思ったのだけれど、淳夫さんはハコビがきれい。
片山家系の上下の揺れの少ない、スーッと平行移動するようなハコビ。

中入りでは、恒例の作り物の中での物着。
後見の野村四郎先生の装束替えにひたすら見惚れていた。
完璧なまでに無駄のない的確な動きというのは、なんて美しいのだろう!

能《小鍛冶》に相槌というのが出てくるけれど、作り物の奥でサポートする清水寛二師とともに、名工同士が刀を打つように息があっていて見事だった。
「後見」というのは、ひとつの独立した芸(アート)だと思う。

後シテの野干の面は、中村直彦作・牙飛出というのだそう。
小さな牙を生やした小飛出なのだけれど、普通の小飛出よりも、ちょっと寝ぼけ眼っぽい顔立ちなのが面白い。
後場は威勢良く一畳台を飛び跳ねて、水を得た魚のよう。

お囃子は、大鼓が気迫がこもっていた。
太鼓がいつになく沈鬱な雰囲気だった理由は、このあと、帰宅後に知ったのだった。










2014年12月13日土曜日

観世会荒磯能12月公演

解説  武田文志

仕舞 《竹生島》    小早川泰輝
   《班女 舞アト》 角幸二郎

能 《三輪》 シテ 坂井音晴 ワキ御厨誠吾 アイ 大藏教義
   囃子 杉信太朗 観世新九郎 柿原弘和 小寺真佐人
   後見 坂井音重 武田尚浩
   地謡 岡久広 津田和忠 小早川修 武田友志(後列)
      

狂言 《鞍馬参り》  大藏千太郎 吉田信海


能 《大仏供養》 シテ岡庭祥大 子方 武田章志 母 野村昌司
  立衆 武田祥照 髙梨万里 武田宗典
  ワキ 殿田謙吉 アイ大藏基誠
  囃子 槻宅聡 田邊恭資 高野彰
  後見 関根知孝 坂井音隆
  地頭 松木千俊 木原康之 藤波重孝 北浪貴裕(後列)


松濤の観世能楽堂に行くのは今年はこれで最後。
小雨が降るなか坂道を登っていくと、銀杏並木が黄金色に輝いていてきれいだった。
松濤の能楽堂の印象とともに、心に留めておこう。


角幸二郎さんの仕舞は、いかにも観世宗家系らしい正統派の端正な舞。 
この方の舞囃子は仕舞はよく拝見するけれど、シテでのお舞台はまだ拝見したことがなかったので、いつか見てみたい。


能《三輪》前シテの里女の面は深井だろうか。
少し面やつれした中年女性だけれど、斜め前から見ると、憂いを含んだ美女に見える。
坂井音晴さんは謡いは深みと奥行きがあるので、色香の褪せゆく女性を演じても違和感はなく、しっくりくる。
唐織は秋草をあしらったオレンジと明るいグリーンを格子様に織り込んだもの。
ワキの御厨誠吾さんも謡いがきれいなので、「山影門に入って」や」「これは妙なる神道の」といった掛け合いの部分も、美しく響いて、耳に心地よい。


後場では作り物の中で物着をしたあと、女体の三輪明神が現れる。
面はたぶん増女?
             
「とても神代の物語、くわしくいざや顕わし、かの上人を慰めん」から、いよいよ再興の見せ場である神楽に入っていくのだけれど、ここでちょっと笛が(いつもはそんなことはないのに)暴走気味(?)になって、お囃子が少し乱れたように感じた。
大鼓と太鼓がアンカーのように重石になって、徐々に安定を取り戻していったけれど、もう少しテンポがゆっくりめの方がよかったかも。


シテの舞も、腰と膝を曲げてお辞儀をするような型(型の名前は知らない)の時、膝を曲げて伸ばすテンポをもう少しゆったりしたほうが神々しい感じが出るような気がした。


間の取り方はほんとうに微妙だけれど、そのわずかな違いが生み出す印象の差は大きい。
芸の魅力の大きなポイントは、間の取り方、緩急の付け方だと思う。

それ以外は、夢から醒めた時のような余韻が楽しめる好いお舞台でした。



狂言《鞍馬参り》の後、初めて見る能《大仏供養》。
岡庭祥大さんのシテも初めて拝見するのですが、これがとても良かったのです!

内容は、平家の遺臣・悪七平衛景清による仇討。
忠臣蔵のこの時期には、能では曽我物が演じられることが多いのですが、今回は景清物で、年末らしく威勢の良い切組がみどころ。
                            
地謡も、囃子も、聞きごたえがあって、特にお囃子がすばらしかった。
(囃子方は偶然にも、三人とも国立能楽堂研修生出身者。なんだか嬉しい!)
                 

                            
とりわけ最近注目しているのが、笛の槻宅聡さん。
私の偏愛する寺井政数の孫弟子さんで、能管らしい酩酊感のある神秘的な笛の音だ。
この日も槻宅さんの笛に聞き惚れた。
いつまでも、いつまでも聞いていたかった。

《大仏供養》では激しい立ち回りはあまりないと聞いていたけれど、この日はアクション満載。
新婚の武田宗典さんの仏倒れは見事だったし、最後にシテの大庭さんが本舞台から橋掛りに飛び移る欄干越えをきれいに決めて、拍手喝采。
見所はみんな大満足!
            
みんな満ち足りた気分で、能楽堂をあとにしたのでした。





    

                         

  

喪失

日付の上では、もう昨日になってしまったけれど、
宝生能楽堂の銕仙会定期公演から帰ってきて、初めて金春國和師の訃報を知る。


何も知らず、能天気に浮かれていた自分が恥ずかしい。


國和師は3月にお父様を亡くされて以来、掛け声がかすれて力がなく、覇気もなくなり、座っているのも辛そうで、どこかお悪いのだろうとは思っていたけれど、こんなに急に……。
 
                    
もっと早くから治療に専念することはできなかったのだろうか。
やはり、スケジュールが数年分詰まっていると、舞台に穴をあけることはできないものなのか。


ショックとか、悲しいとかを通り越して、どうしようもなく放心状態。
ただただ、強い喪失感。


囃子方、特に、太鼓方は人数も名人も少ない分、ごく一部の人に出演依頼が過度に集中して、「激務」なんて生易しいものではないほど、きつい、苛酷な仕事だ。
                            
               
公演数が増えるのは良いことだけれど、シテ方・公演の数と、囃子方(太鼓方)の数が極めてアンバランスで、能繁期になると週末はいつも複数かけもちが当たり前。
いつ、誰が、過労で倒れてもおかしくないほどだ。


一人が倒れると、さらに他の太鼓方の負担が増し、ドミノ倒しのようになっていく。

この負のスパイラルを断ちきらないと、取り返しのつかないことになってしまう。


これだけの太鼓方を立て続けに亡くした痛手は計り知れない。
芸はまだ、受け継がれていない。

あの鮮やかで華麗なバチ捌きをもう見ることはできない。
                      
この損失は、あまりにも、とてつもなく大きい。

2014年12月6日土曜日

青嶂会・味方團師社中会


先月末に一週間ほど関西に帰省したのだけれど、実家の用事だったため、
能楽堂へは足を運べず。
(実家も私の関西の家も、京都観世会館と大槻能楽堂のほぼ中間に位置する好立地。)


東京に戻ってきたら、腹部の激痛に襲われ救急車で搬送されて入院(結石だった)
というドタバタがあったあとようやく平静に戻り、久しぶりに能楽堂へ。


渋谷のセルリアンタワー能楽堂で行われた味方團さんの社中会へ行ってきました。

林家一門+味方玄さんという構成メンバー。


地謡のレベルが非常に高くて、能や素謡はもちろん、仕舞でも舞囃子でも、
ぐんぐん曲の世界に入っていける!!
もう夢見心地で、休憩を取るのも惜しいくらい。



地謡のメンバーがどの組み合わせでも朗々としていて聞き取りやすいので、
きっと謡の巧い精鋭ぞろいなのだろう。
(夏の「東西合同研究発表会」にご出演された河村浩太郎さんと樹下千慧さんもいらしていた。



社中の方も皆さんお上手で、お能《百万》のシテをされた方も巧かったし、
舞囃子《阿漕》を舞われた方はセミプロ並みで見応えがあった。



囃子方も若手の名手がそろっていて、
特に舞囃子《融・舞返》はロック魂炸裂していて、最高にカッコよかった!!




それから素謡の《安宅》では強力と太刀持に狂言方の
深田博治さんと高野和憲さんもご出演されていて、なんとも贅沢。
            
                                      

                    
同山役には、林宗一郎さん、河村和貴・和晃、浩太郎さん、
地謡には林喜右衛門さん、味方玄さん、河村和重・晴久さん、樹下千慧さん
と豪華な布陣で、謡だけでもこんなに迫力ある世界を堪能できるのだと、
謡いのパワーとともに京観世のパワーを改めて実感。




そして、そして、なんといっても番外仕舞が凄かった!
                     

                      

まずは林喜右衛門師の《鐘ノ段》。
喜右衛門さんの舞を拝見するのは昨年の喜右衛門さんの社中会ぶり。
このときは《乱》の双之舞を宗一郎さんとされて、
それが林父子のファンになるきっかけだった。
今日の仕舞も鉱物の結晶のように凝縮された、この上なく完成度の高い舞。
足拍子をしても、頭の位置は微動だにしない。

                 
どうしてこの方をおシテにした能を国立能楽堂主催の公演でしないのだろう。
(国立能楽堂主催の公演って、出演者に偏りがあるといつも思う。「国立」なのに……。関西にも名手が大勢いらっしゃるので、もっといろんな方を出してほしい。)



次が、林宗一郎さんの《歌占》。
宗一郎さんの舞を拝見するのは、坂口貴信之會以来。
          

若手の中では人気・実力とともに坂口貴信さんと並ぶ西の雄だけれど、
洗練度では宗一郎さんのほうが高いと個人的には思う。
(芸風の好みかもしれないけれど。)
まだまだ先だけれど、1年後の12月19日に梅若能楽学院で《山姥》を
されるそうなので楽しみ。



そして、味方玄さんの《錦木》! 
玄さんの舞は来年のテアトル・ノウまで拝見できないと思っていたので、
ほんとうに嬉しい! 神様、ありがとうございます!
                            

陶酔するように幸福感に包まれて拝見していたら、
あっという間に終わってしまった……。
覚むるや名残なるらん。
5月の《三輪》をひたすら待つばかり。




それから父君・味方健師の《柏崎》。
健師はたしか80代だったと思うけれど、
この年齢でこれほど衰えの知らない能楽師(狂言師は除く)を私は知らない。
手の震えはまったくないし、身体の軸がまったくブレない。
ハコビがとても美しい。
関西の能役者さんって、凄い方がほんとうに多い思う。
東京のお能ばかり見慣れた目には、良い意味で驚異的だ。



そして最後は主催者・味方團さんの《高砂》。
力強さよりも繊細さが勝る、馥郁たる香りが漂ってくるような華やかな舞。
とても長い一日、しかもアウェイでの社中会開催はご苦労の連続だったと思います。
でも夢のような一日でした。
私にとっては、サンタさんからのプレゼントのような素敵な素敵な社中会。
                           

團さん、ご出演された皆さん、ありがとうございました!


追記:林定期能や片山定期能の東京公演があったらいいのに。
今日も見所は最後まで盛況だったし、ぜったいに需要は高いと思うのだけど。
テリトリーの問題とかがあるのだろうか……。
交通費のことを考えると、チケット代が少々高くても「行きたい!」と思う人は多いはず。