面の裏側と彼自身の顔との間におけるこのような闇が識られると、彼にはふしぎな体験が起った。つまり彼自身には見えぬ美しい深井の面の表側こそ彼の顔であり、その内側に広大な闇を隔てている彼自身の本来の顔は、顔であることを失って、彼の無意識の「存在」の形になり、まだ知らなかった深い記憶の底から、それがこの闇の広野に直面しているのだと感じたのである。
――三島由紀夫『美しい星』
厳かな儀式のように今年最後のお調べが始まる。
あれは松田さんの笛、源次郎師の小鼓、忠雄師の大鼓、そして、なぜか郷愁を誘う元伯さんの太鼓。
囃子方が間隔を置いて橋掛りを進み、切戸口から地謡が入ってくる。
静寂が支配する「無の空間」から物語が紡ぎだされようとする――この瞬間がたまらない。
(解説もトークもなく、静かに始まり、静かに終わる。これこそお能の醍醐味だと思う。)
遠い過去を呼び覚ますような名ノリ笛に誘われて、ワキの芦屋何某(森常好)とツレの夕霧が登場。
(ツレを演じる谷本さんは夕霧役最多記録保持者ではないだろうか。)
「今年の暮れには必ず帰るから」という言葉を主から託された夕霧は、数歩の道行ののち、
あっというまに芦屋の里に到着。
案内を請い、後見座にクツログ。
ここから大小のアシライが奏されるが、
森田流笛方の一部では《砧》のアシライ出シだけで奏される「霞ノ呂」という譜があるそうなので、
松田さんの方ばかり見ていたら、期待どおり吹いてくださった。
そのロマンティックな名の通り、霞のように儚く、かすれた趣のある調べ。
この繊細な音色に乗って揚幕が静かに揚がり、シテが登場し、三の松に立つ。
面はおそらく深井だろうか。
古色を帯びてグレーがかった深緑の唐織には、秋草のほかに紅梅色と白の菊花があしらわれて、
地味ななかにも華やかさがある。
熨斗付の唐織の間から、灰青色と白の横段の摺箔が見える。
奥深い憂いをたたえた美しい女性。
これほど優雅で気品のある深井を見たことがない。
何もしなくても、その佇まいだけで人の心をとらえて放さない。
ため息が出るほど美しい、不思議な魅力のある姿だった。
女面が、待ち望んでいたシテを得て、生気が吹きこまれたように生々しい。
シテも、恋い焦がれた面をつけたようにさらに魅力を増している。
シテと女面が力を与え合い、相思相愛になり、その結晶として生まれたのが、
この《砧》の北の方、芦屋何某の妻のように思われた。
(つづく)
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