2016年1月24日日曜日

MOMATコレクション ちょっと建築目線で見た美術、編年体

会期2015年12月22日~2016年2月28日   東京国立近代美術館
                  
今冬の近代美術館は所蔵品展。
撮影可能なので、気に入ったものを愛蔵ブログギャラリーに載せてみました。


川端龍子《金閣炎上》 1950年、紙本彩色

多くの屍とおびただしい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。
                             ――三島由紀夫


金閣寺放火事件の数か月後に描かれた作品。
(その6年後に三島の『金閣寺』が出版された。)


絵巻物に見られる伝統的な火焔表現。
渦巻く紅蓮の炎が、放火した青年の狂気を感じさせる。

火の粉の一部に金粉を用いて、金閣寺のドラマティックな炎上をあらわしている。

美を喪失するときの被虐的な快感と、美を破壊するときの加虐的な陶酔は、
多くの芸術家を魅了した。






上村松園《雪》 1942年、絹本彩色

胡粉を目の周りにハイライトのように用いて、ふっくらとした目元に仕上げている。

帯や襦袢の赤、黒 くっきりとコントラストを効かせ、
青磁色の着物でやわらかな調和を演出した。

毛描きの柔かさ・細さ、豊かな曲線を帯びた頬。

軽やかに降る雪には温かみがあり、ぼってりとした湿り気を帯びている。

清楚で上品な松園美人。





鏑木清方《初東風》 1942年 絹本彩色

鏑木清方の美女は頬もほっそりして、婀娜っぽい。
酸いも甘いも噛み分けた大人の女性。





山川秀峰《序の舞》 1932年 絹本彩色

角で扇を左手に持ち替えて段を取るところを描いた本作は、
良家の令嬢の発表会の一場面だろうか。

中振袖に合わせた模様入りの袴が、長いプリーツスカートのように見える。

緊張した面持ちには初々しい清潔感がある。





藤田嗣治《五人の裸婦》 1923年

五人の女性は五感の象徴で、
布を持つ女性は「触覚」、耳を触る女性は「聴覚」、口を指す女性は「味覚」、犬を伴う女性は「嗅覚」、中央の女性は絵画にとって最も重要な「視覚」を表す。

最近の修復調査の結果、藤田が描く輝くような乳白色の肌は、
薄い麻布に硫酸バリウムを下地に塗り、さらに炭酸カルシウムと鉛白を1対3の割合で混ぜた絵の具を塗り、表層にはベビーパウダーの主成分であるタルクをすりこんで光沢のあるマティエールを創出していたことが分かったという。





松本俊介《Y市の橋》 1943年、油彩、キャンバス

寂寥感の漂う作品だが、どこか懐かい。

この絵を見ていると、孤独であることへの安らぎを感じる。

絵のなかの音のない静謐な世界に身を委ねることで、心が不思議と満たされ、
世間から取り残されることが自分にとっての癒しになることに気づかされる。






2016年1月21日木曜日

壽初春大歌舞伎・夜の部 《廓文章》《雪暮夜入谷畦道》

壽初春大歌舞伎・夜の部のつづき

夜の部終了後のライトアップされた歌舞伎座

三、玩辞楼十二曲の内 廓文章(吉田屋)近松門左衛門原作
藤屋伊左衛門  鴈治郎
吉田屋喜左衛門 歌六
阿波の大尽   寿猿
おきさ     吉弥
扇屋夕霧    玉三郎

竹本連中 常磐津連中


吉田屋も直侍も、花魁(遊女)の口説きの話。
2つ続けてみると、上方と江戸の美学・イケメン像の違いがよく分かって面白い。

お正月のテレビで見た時は、伊左衛門役は仁左衛門の優男のほうがよかったと思ったけれど、実際に見ると、鴈治郎の憎めないアホぼんぶりも可愛らしい。
さすが成駒家のお家芸。

やっぱりこの方、存在感というか、人を惹きつけるオーラがある。

それに手の表現がやさしく、繊細で、いかにも苦労知らずのぼんぼんといった風情。
ほわんとしていて、母性本能をくすぐるんやろね。


そして、なんといっても玉三郎の美しさ。
恋にやつれる傾城の凄みのある妖艶さをここまで出せる人って、この先いないだろうなー。

この美を支える身体能力は驚異的。
雪持ち梅があしらわれた重厚感のある討ち掛けに花魁鬘。
衣裳と鬘で何キロ?

これだけの重量を身につけたまま醸しだす、海老反りのしなやかさ、身体の線の柔和さ、動きの嫋やかさ。

奇跡の65歳!

いったい、どれほどの努力がこの奇跡を支えているのだろう。

忘れがたい艶姿だった。



四、雪暮夜入谷畦道(直侍)浄瑠璃「忍逢春雪解」黙阿弥作
片岡直次郎  染五郎
三千歳    芝雀
暗闇の丑松  吉之助
寮番喜兵衛  錦吾
丈賀     東蔵

清本連中

江戸の粋と情緒を演劇化すれば、黙阿弥のこの作品になるのだろうか。

舞台は、武家制度が崩壊しつつあった幕末。

随所に、ほろびの美学がちりばめられている。

入谷の蕎麦屋で、火鉢にあたりながら、手酌で酒を飲み、蕎麦をすする直次郎。
蕎麦をまったく噛まずにすすっと呑み込むところが江戸っ子。
蕎麦の食べ方から酒の飲み方、キセルに火をつける手際の良さ、懐手にしたポーズなど、江戸の粋のお手本のよう。


染五郎の強烈な色気にたいして、芝雀の三千歳はちょっとパワー不足。
相思相愛の仲というよりも、男をうんざりさせるような重い女になっていた。


芝雀は素顔ではそうでもないけれど、白塗りのせいだろうか、顔がかなり大きく見せる。

英泉が描く猪首の婀娜っぽい美女風ともいえなくもないし、型や所作もどこといって悪いところはなく、たしかに直次郎を一途に思う健気な女性なのだけれど、何かいまひとつ物足りない。


とはいえ、静かに降る雪のなか、清元の他所事浄瑠璃「忍逢春雪解」をBGMにした二人の逢瀬の場面はしっとりとした情趣を感じさせ、全体的には好い舞台だった。



2016年1月17日日曜日

壽初春大歌舞伎・夜の部 《猩々》《二条城の清正》

2016年1月2日~26日   歌舞伎座

夜の部開場前の歌舞伎座

ロビーには紅白繭玉や大凧の新春飾り

、猩々
猩々 梅玉 酒売り 松緑  猩々 橋之助
長唄囃子連中

二、秀山十種の内 二条城の清正 吉田絃二郎作
二条城大広間の場   淀川御座船の場
加藤清正  幸四郎
大政所   魁春

豊臣秀頼  金太郎
井伊直孝  松江
池田輝政  廣太郎
斑鳩平次  錦吾
浅野幸長  桂三
藤堂和泉守 高麗蔵
本多佐渡守 彌十郎
徳川家康  左團次


三、玩辞楼十二曲の内 廓文章(吉田屋)近松門左衛門原作
藤屋伊左衛門  鴈治郎
吉田屋喜左衛門 歌六
阿波の大尽   寿猿
おきさ     吉弥
扇屋夕霧    玉三郎

竹本連中 常磐津連中

四、雪暮夜入谷畦道(直侍)浄瑠璃「忍逢春雪解」黙阿弥作
片岡直次郎  染五郎
三千歳    芝雀
暗闇の丑松  吉之助
寮番喜兵衛  錦吾
丈賀     東蔵

清本連中
 



久々の歌舞伎座。
近松の上方和事と黙阿弥の江戸世話物が観たかったので夜の部へ。
新春らしく豪華な顔ぶれで見どころの多い舞台だった。


まずは《猩々》
能を観るようになり、原曲を知ってから《道成寺》や《三番叟》など歌舞伎流に翻案されたものを見えると意外性や発見があって、これまでとは違った楽しみ方ができるようになる。

この《猩々》も、そのひとつ。

舞台後方には、長唄囃子連中がずらり。
傳左衛門さんがド真ん中で目立つ、目立つ。


舞台中央には酒瓶が置かれ、
まずは酒売りの高風(松緑)が現れて名乗り、それまでのいきさつを語ったのち、能舞台でワキ座にあたるところで床几に掛かる。


そこに、二匹の猩々(梅玉、橋之助)が現れ、高風に柄杓で酒を注いでもらったり、みずから大盃で酒を汲んで飲んだりしながら、陽気に踊り出す。


能と同じく、首を振ったり、足を蹴り上げたりするのだけれど、テンポが速い!

ほかにもコサックダンスのような、軽妙複雑な足遣いが随所にあって、難度が高そう。
(途中で高風が躍り出す場面も。)


能と同じく中盤に太鼓入り中之舞の囃子が入るので、なんだかホッと懐かしい気分になる。


《猩々》も歌舞伎になると、いっそうリズムが軽快で、ヴィジュアル的にも華やか。





秀山十種の内《二条城の清正》
昭和8年初演で、秀山こと初代吉右衛門の要望で書き下ろされた作品。
幸四郎にとってはお家芸ともいえる演目で、今回は孫・金太郎との共演。


この金太郎くんが凄かった!
終始、目が釘付けになるほどのオーラと存在感。
天才子役とかいうレベルではなく、もうれっきとしたプロ。
秀頼役として貴公子然と端座するその佇まい、表情、間の取り方、発声など、すべてにおいて子役としての甘えが一切なく、ほかの大人の歌舞伎役者とともに弛みのない舞台を、一人の歌舞伎役者として立派につくりあげていた。


清正役の幸四郎の「上様、御凛々しゅうおなりになりましたな」という熱いセリフには実感が。
(これほど花形歌舞伎役者の資質に恵まれた孫に、もうぞっこんで、メロメロになっているんだろうなーと思わせるような、幸四郎の清正なのでした。)


金太郎の秀頼の「爺、いつまでも生きていてくれ、20年も、30年も生きてくれ」に、大きくうなずく清正役の幸四郎。
こういうのも孫との共演でやるからセリフが生きてくる。


幸四郎の清正には、ラ・マンチャがかなり入っていたかも。




壽新春大歌舞伎・夜の部 《廓文章》《雪暮夜入谷畦道》につづく





2016年1月14日木曜日

池田重子コレクション 日本のおしゃれ展

会期 2015年12月30日~2016年1月18日       松屋銀座

開場入口には、着物愛好家のIKKOさんや市田ひろみさんからのお花も。

明治から大正、昭和初期の贅を尽くしたアンティーク着物、
美術的価値のある精緻な帯留めなどがずらり。

帯留めは、珊瑚や貝を使った芝山細工や七宝・螺鈿細工のものから
宝石をちりばめた根付のようなものや名匠の彫金が施されたもの、
蜻蛉や蝉をモティーフにしたアール・ヌーヴォーのものまで
目を見張るようなものばかり。    ため息……。


泉鏡花や夢野久作、谷崎や乱歩のヒロインってこういう着物を着ていたんだろうな。


昔の着物ってほんとうに凝っていて、現代には出せない色合い。

優れた染色技術や日本刺繍の細密技法で生み出された着物たち。

着物の模様は写実的な花鳥画もあれば、印象派のような甘美な色柄や
トロピカルな柄もあれば、タペストリーのような細かい柄もある。

いま流行りの都会の風景に馴染むベージュやグレーのシックな着物は
着る人を選ぶけれど(わたしは恐ろしいほど似合わない(>_<))、
昔の着物はすべての日本女性の肌を美しく引き立てる。

長羽織のシルエットも、日本の女性をスラリと姿好く、奥ゆかしく見せる。


『細雪』の鶴子のための鶴物語



会場には着物姿の女性がたくさん来場。

はんなり系や粋な着物、渋い着物や、ブーツをはいたハイカラさん風、
アヴァンギャルドな着こなしまで、
ひと口に着物といっても十人十色。

それぞれの個性が光っていて、来場者の着物姿を見るだけでも楽しい。





子供の頃、
奈良町に住んでいた母の従妹がいつも綺麗な着物を着ていて、
町屋の風景と溶け合ってとても美しく、子供心にも憧れていたことを思い出す。


やっぱり、現代風のスーツっぽい垢抜けた着物よりも
アンティーク着物のような着物らしい着物が好きだな。






2016年1月10日日曜日

国立能楽堂普及公演 《仲光》

国立能楽堂普及公演 解説・《麻生》からのつづき

三種の神器に見立てた特大の餅・柿串・小橙、そして裏白、海藻も
本物が使われている国立能楽堂の鏡餅 (さすがに伊勢海老は作り物)


能《仲光・愁傷之舞》 藤原仲光 大槻文蔵 
      多田満仲 観世銕之丞
       美女丸 長山凜三 幸寿丸 谷本悠太朗
      恵心僧都 宝生閑→宝生欣哉 従者 山本則孝
      一噌庸二 大倉源次郎 白坂信行
      後見 赤坂禎友 武富康之
      地謡 浅見真州 浅井文義 泉雅一郎 阿部信之
         浅見慈一 長山桂三 谷本健吾 安藤貴康



祝言物の多い正月らしくない残酷な曲ながら、
新年早々素晴らしい舞台に巡り合えて幸先の良いスタートとなった。



囃子方・地謡が定位置に着くと、ツレの多田満仲がしずしずと登場し、
ワキ座で床几にかかる。


満仲の出立は、薄浅葱の指貫に墨色の狩衣。

瞬間湯沸かし器のように短気な性格を表すためか、
狩衣には、火花を思わせる鋭い笹葉の模様が金地でちりばめられている。



そこへ美女丸と幸寿丸を先立ててシテの仲光登場。
仲光は、主君・満仲に命じられて、
中山寺に預けられていた美女丸を連れて戻ってきたところ。


シテの装束は、雲と鶴の模様の掛直垂に白大口。
(幸寿を斬る前に物着で肩上げ、のちに物着で元に戻す。)



美女丸は、源氏香と胡蝶の模様が入った鮮やかなコバルトブルーの長絹に大口。
幸寿丸は、朱色系の縫箔に児袴。


一方が他方の身代わりとなり、人生が交差する幼い二人の身の上の対比が
この装束にも反映されている。


現代でいえば、幸寿は美女丸の「首ドナー」となるよう運命づけられた
ある意味、クローンのような存在なのだ。




寺に預けたにもかかわらず経も読めず歌も詠めず管弦もおぼつかない息子に
怒りを爆発させた満仲は、美女丸を手打ちにしようと刀に手をかける。




この満仲役の銕之丞が凄かった! まさに、はまり役。

実子を手に掛けようとするほどの怒りを、感情がむき出しにならないよう
能としての節度を保ったまま表現するのは至難の技だと思う。


それを、「雷を落とす」という言葉通りのビリビリした凄まじい怒号で、
しかも品位を落とさずに、絶妙なさじ加減で演じていた。



前半は切戸口に退くまで、シテの影がかすむほど銕之丞師の存在感が圧倒的だった。
(この方の現代物をもっと見てみたい。)





主君の袖に取りついて制した仲光は、満仲から美女丸を討つよう命じられる。


武士の身として、主君の息子(未来の主君)を討つことをためらう仲光。

そこへ仲光の子・幸寿丸が、自分が身代わりになると申し出る。



自分を斬ってくれという我が子と、
ならば自分も斬ってほしいという主君の子との板挟みになり、
仲光は葛藤の渦中で身を引き裂かれる思い。




死を覚悟して合掌する二人の子方の背後で逡巡していた仲光は、
「思い切りつつ親心の闇討に現なき」で、
太刀を振り上げ、右足をドンと強く踏む。



幸寿丸がバタリと倒れ、
シテは太刀をワキ柱方向に投げ捨て、幸寿は切戸口から退く。





幸寿丸を斬ったあと、一瞬の沈黙があり、
取り返しのつかない恐ろしい現実の重みがずしりと響く。



余計な感情表現を一切排し、型にあくまで忠実な文蔵師だからこそ、
この音のない一瞬が見事に生きてくる。





後半

比叡山の恵心僧都が美女丸を伴って登場。

高僧の位の高さを映しだす欣哉師の人間離れしたハコビによって、
場の空気が一足ごとに塗り替えられてゆく。




橋掛りで案内をこうワキと、対応するシテ。

すべての事情を知り尽くし、仲光の心の内まで見抜いている恵心僧都の登場によって
舞台は新たな展開を見せる。


そのことを観る者に十分に納得させる欣哉師の世俗を超越したような
所作と物腰、そして静謐な佇まいと深い包容力。


この雰囲気を出せる人って、閑師をのぞけば、欣哉さんしかいないだろうな。





本舞台に入ったワキは、ツレの満仲と対峙し、
幸寿が身代わりになったおかげで美女丸が生きていることを明かす。



文蔵師、銕之丞師、欣哉師、名子方・凛三くんと
そうそうたる顔触れがそろった舞台には濃密な気がたちこめ、
充実した舞台空間になっていた。





満仲が美女丸を赦し、仲光は祝いの酒宴を催す。

このとき、満仲親子に扇で酌をしたあと、
シテは、地謡前の恵心僧都の前にも進み出る。



ワキは扇を開いて盃に見立て、シテは盃に酒を注ぐ。

恵心僧都は、仲光の思いを汲みとるように、静かに盃を飲み干して言う。



いかに仲光り、めでたき折りなれば、ひとさし御舞ひ候へ



多くの場合、男舞には酒がつきものになっていて、
ワキに、「ひとさし御舞ひ候へ」と酒宴で言われて
シテが舞うのがほぼ定型となっている。



だから、《仲光》でも
ワキの恵心がこの能天気で無神経ともいえる言葉を
自らの手で実子を殺めた仲光に向かって言うのだと思っていた。



でも、この日の欣哉さんを見て、それだけではないような気がした。



男舞を舞うことには、たんにめでたい席で舞を舞う以上の意味があり、
一人の男の言うに言われぬ思い、
世のあらゆる理不尽さ、不条理、人の愚かさ、罪悪感を
酒とともに飲み干し、胸にぐっとしまい込むという
男の美学の結晶、その表現が、男舞なのではないだろうか。



そういう意味での男舞を舞う機会を、恵心は仲光に提供したのだ。




文蔵師の男舞は、能という芸術形態から一ミリたりとも逸脱しない、
《仲光》という曲の位に沿った極めて抽象化された舞。



だからこそ、見る側はそこに滲み出る悲哀を感じとり、
仲光の心に自分の心を重ね合わせ、
いつしか仲光と一体となって男舞の世界に没入していくことができる。



文蔵師が舞った愁傷之舞――。


一の松で膝をつき、そっとシオリ、
もう一度、あふれ出る感情を押し込むように、ぐいっと深く、長くシオル。


その抽象性のなかに込められた万感の思い。




わが子の幸寿があるならば、美女御前と相舞させ、
仲光手拍子囃し、ただいまの涙を感涙と思はば、いかがは嬉しかるべき


わたしは不覚にも
作者の術中にはってしまい、ここで涙がどっとあふれてきた。





仲光もはるかに脇輿に参り、このたびの御不審人為にあらず、
かまひて手習学問ねんごろにおはしませ



仲光は、恵心とともに寺に帰る美女丸の肩に手を載せ、
学問に精進するよう真剣な目で祈念する。

幸寿を犬死させないためにも。



凛三くんは、今回も不動の下居や立ち姿の美しい非凡な子方ぶりで、
美女丸がこの先、高僧になることを予感させたまま恵心とともに去っていった。



二人を見送った仲光は、安座して、モロジオリをするように深く合掌。




抑制が効いているからこそ伝わるものがある。

過剰にならないからこそ、人の心を動かせる。


そのことを実感した舞台だった。








2016年1月9日土曜日

国立能楽堂普及公演 解説・《麻生》 

2016年1月9日(土)  13時~15時45分   国立能楽堂

関東では松の内は7日までだそうですが、能楽堂の前には角松が。


解説・能楽あんない  林 望

狂言《麻生》麻生何某 山本東次郎
              藤六 山本則重 下六 山本則秀 
              烏帽子屋 山本則俊
       一噌庸二 田邊恭資 白坂信行 林雄一郎

能《仲光・愁傷之舞》 藤原仲光 大槻文蔵 
            多田満仲 観世銕之丞
        美女丸 長山凜三 幸寿丸 谷本悠太朗
            恵心僧都 宝生閑→宝生欣哉 従者 山本則孝
        一噌庸二 大倉源次郎 白坂信行
      後見 赤坂禎友 武富康之
      地謡 浅見真州 浅井文義 泉雅一郎 阿部信之
         浅見慈一 長山桂三 谷本健吾 安藤貴康




超豪華キャストの1月普及公演。
閑師は療養中のため休演でしたが、
欣哉さんが年末の《定家》に続いての名演で感動的な舞台でした。


まずは、リンボウ先生の解説から。

現行の《仲光》(観世流以外では《満仲》という)は、
江戸期には廃曲同然だったのを明治7年に梅若実が復曲したものだそう。
(梅若ではこの時代から復曲がさかんだったのですね。)


また、室町期に流行した幸若舞の《満仲》という曲を脚色して能にしたのが
《仲光》ではないかとのこと。


恵心僧都が美女丸を連れて唐突に現れるのも、
当時の人々ならだれもが知っていたであろう幸若舞の内容を踏まえて
《仲光》が作曲されているから、現代人の目には唐突に見えるだけだろうと
リンボウ先生はおっしゃっていました。


幸若舞《満仲》では、満仲の屋敷を出た美女丸が
比叡山近辺の神社に置かれていたのを、
恵心僧都が見つけて保護したくだりが語られるそうです。



また、「美女丸」という風変わりな名前がつけられているのは、
男児に立派な名をつけると鬼や魔物に魅入られて早世すると考えられたため、
弱々しい女性のような名前をつけ、さらに女装をさせていたからとのこと。

なるほどー。

西洋美術でも女の子のドレスを着た男の子の絵をよく目にするけれど、
男の子は死亡率が高かったので洋の東西を問わず同様の慣習があったのですね。


リンボウ先生の解説にはなかったけれど、
美女丸はその後修行を積んで源賢(げんけん)阿闍梨という高僧となり、
幸寿の回向のために寺院を建立したと言われています。


また、美女丸が最初に預けられていた中山寺は、
わたしが子供の頃、祖父母に連れられて近くの清荒神とともによく訪れたお寺。
観光地というわけではなく、境内にはレトロな出店が立ち並ぶ
関西人にとってはなじみ深い庶民的な寺院です。




狂言《麻生》

上演時間40分の大曲にして稀曲。

シテの麻生何某は在京していましたが、
訴訟が解決したために故郷の信濃に帰ることになります。

帰郷のための晴れ姿として小袖上下と烏帽子を藤六と下六がすでに用意していて、
使用人の行き届いた配慮に感動する麻生何某。

下六が烏帽子やに烏帽子を取りに行っている間に、
藤六が麻生のちょんまげを烏帽子髪に結い直すのですが、
その時の則重さんの手つきが、じつにきめ細かく美しい。


まずは、葛桶から膠鯉煎(きょうりせん)という鬢付油を取り出して、
麻生の髪を丁寧に撫でつけていきます。

それから、ポニーテールのように結った髷(これはカツラ)の紐をはずして、
優しい手つきで梳っていきます。

なんだか、とっても気持ちよさそう。
わたしもやってほしいくらい。

最後に、河童の皿のような五体付けという装飾を頭頂部につけ、
髻を高く結いあげてできあがり!

男の人が髪を結う姿ってカッコよく見えるから不思議。


そうこうしているうちに、下六が烏帽子屋からできたてホヤホヤの烏帽子を受け取ります。

膠がまだ乾いていないので、烏帽子を竹棒に差して麻生の館に戻ろうとするのですが、
どの家も正月の注連縄飾りをしているため、帰る家が分からない。

迎えにきた藤六とともに屋敷が分からなくなった二人は、
「信濃の国の住人、麻生殿の身内に藤六と下六が……」と囃子ながら家を探し回ります。
ここから囃子が入って、舞台は一層華やかに。

やがて麻生も二人の囃子を聴いて浮かれついでに舞いはじめ、
藤六と下六も無事に戻って、最後はめでたくシャギリ留。


なんとなく東次郎さんの調子がノッていないような気もしたけれど、
当時の習俗なども分かって興味深い曲でした。




国立能楽堂普及公演《仲光》につづく



2016年1月4日月曜日

英国の夢 ラファエル前派展

会期2015年12月22日~3月6日        Bunkamuraザ・ミュージアム



今回は、偏愛するウィリアム・ウォーターハウスの作品が3点展示されていて
満足度の高い展覧会だった。


以下は印象に残った作品の自分のためのメモ。

Ⅰ ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
このコーナーでは、1848年に結成されたラファエル前派兄弟団の創設メンバー、ミレイやロセッティの絵とともに、彼らの影響を受けた同時代の画家たちの作品が展示されていた。

《春(林檎の花咲く頃)》 1859年、ジョン・エヴァレット・ミレイ
 咲き誇る林檎の花々を背景に、芝生の上でくつろぐ乙女たち。
上質なドレスのビロードやシフォン、レースの質感表現の見事さ。
肉体的若さと物質的豊かさを享受する彼女たちの隣には、
儚い存在を象徴する大鎌が突き刺さっている。

「死と乙女」のミレイ的解釈。


《ブラック・ブランズウィッカーズの兵士》 1860年、ジョン・エヴァレット・ミレイ
ブラック・ブランズウィッカーズは、ナポレオン戦争で、
英国・オランダ連合軍とともに戦ったプロイセンの部隊。
出征前夜の恋人との別れの場面を描いたこの絵では、
軍服に身を包んだ男性の胸に寄り添う慎ましやかな女性の様子が、
どこか日本女性の奥ゆかしさを思わせる。

ヴィクトリア期の英国女性にはどこか耐え忍ぶようなしっとりとした風情があり、
そこが、ラファエル前派が日本人の心の琴線に触れる理由のひとつかもしれない。


《シビラ・パルミフェラ》 1865-70年 ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
タイトル通り、ヤシの葉を持つ巫女を描いた作品には、
ロセッティ好みの象徴性や寓意に溢れている。
ヤシの葉は美の勝利を意味し、
巫女の右側には盲目の愛を表す目隠しをしたクピドと、愛の花・薔薇が描かれる。
だが、彼女の左側には死すべき運命を示す髑髏と芥子の花。
立ち上るお香の上には、霊魂と同様に「プシュケ」と呼ばれた蝶が舞っている。



《パンドラ》 1878年 カラーチョーク、紙、ロセッティ
ウィリアム・モリスの妻でロセッティの愛人だったフェーン・モリスがモデル。
典型的なファムファタルを描いた作品。


《祈りの後のマデライン》 1868年出品 ダニエル・マクリース
キーツの詩「聖アグネス祭前夜」に取材した作品。
ステンドグラスを通して差し込む月明かりに照らされた寝室。
脱衣中の若い女性は、彼女の敬虔な心とは裏腹に
美しく、なまめかしい肌を今まさにさらそうとしている。
(クローゼットには恋人が隠れている。)
陰翳に富む精緻なレースや真珠の表現。
暗がりから打ちあがるアーチ建築。
画家の卓越した技量と美意識がうかがえる。

Anon his heart revives: her vespers done,
Of all its wreathed pearls her hair she frees;
Unclasps her warmed jewels one by one;
Loosens her fragrant boddice; by degrees
Her rich attire creeps rustling to her knees:
Half-hidden, like a mermaid in sea-weed,
Pensive awhile she dreams awake, and sees,
In fancy, fair St. Agnes in her bed,
But dares not look behind, or all the charm is fled.
                   "The Eve of St.Agnes"  by John Keats
 



Ⅱ 古代世界を描いた画家たち
 神話や古典的主題を取り入れた歴史画や、舞台を古代世界に設定した風景画などを展示。

《打ち明け話》 1869年 ローレンス・アルマ=タデマ
《バッカス神の巫女(「彼がいるわ!」)》1875年 アルマ=タデマ
《テピダリウム(微温浴室(テピダリウム)にて)》1881年 アルマ=タデマ
《お気に入りの詩人》1888年、アルマ=タデマ

アルマ=タデマの作品には頽廃的エロティシズムと倦怠感が漂う。

同性愛的な妖しさを感じさせる二人の美女を描いた《打ち明け話》と《お気に入りの詩人》。
(描かれた室内装飾はポンペイの遺跡にもとづくという。)

多神教的狂乱が潜む《バッカス神の巫女》。

《テピダリウム》にはエキゾチックな官能性が充満してむせかえるよう。




《ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)》1822年に初出品
 
《シャクヤクの花》1887年に初出品
チャールズ・エドワード・ペルジーニ

ワイルドの『ドリアングレイの肖像』の序文”All art is quite useless."(芸術はすべて無用である)”を体現したような唯美主義的作品。

《シャクヤクの花》に描かれた女性は、あらゆる労働に不向きなほっそりした指と長い首を持つ。
彼女の存在意義はただ、ひたすら美しくあることだけ。

襟元に白いレースをあしらった渋い薄緑のドレスにピンクのシャクナゲの花が
砂糖菓子のように甘美に映える。
ラファエル前派の美意識を象徴するような夢想の世界。



Ⅲ 戸外の情景
ラファエル前派に思想的根拠を提供したジョン・ラスキンは、神の摂理である自然の諸事象をつぶさに観察することにより、画家は神の神秘を享受し、表現しなければならないと説いた。
ここではラファエル前派の一部の画家に見られる自然の細密描写の好例が紹介されていた。


《卵のあるツグミの巣とプリムラの籠》1850-60年頃 ウィリアム・ヘンリー・ハント
水彩、グワッシュ、紙
「神は細部に宿る」という言葉を具現化したような目眩がするほどの緻密な表現。
少し乾燥した土肌や巣の小枝のパキパキした質感、籠のかさついたテクスチャー。
写実的でありながら写真とは異なる感動を観る者に与える。


《流れ星》1909年、  ジェイムズ・ハミルトン・ヘイ
澄んだ冬空に流れる星と、屋根に雪が降り積もる民家。
東山魁夷が雪の京の町を描いた《年暮る》を思わせる
近代日本画のような静謐な一枚。



Ⅳ 19世紀後半の象徴主義者たち

《エコーとナルキッソス》 1903年 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
水面に映る自分の姿に吸い寄せられるナルキッソスと、
彼を悲しげに見つめるエコーを描いた作品。
水鏡の神秘はウィリアム・ウォーターハウスが得意とした主題。
ここでも、湖面に映るナルキッソスの影は本人よりもいっそう
妖しく、美しい魔物めいた存在として描かれている。

彼を見守るエコーは報われない恋に胸を傷める悲痛な姿。
この画家の作品によく見られる少女のように肩幅が狭く、華奢で可憐な女性で、
骨格が細く、柳腰の体型、憂愁の漂う横顔は日本人好みでもある。

エコーの傍らにはナルキッソスの化身である水仙が咲き、
ナルキッソスが陶然と見つめる水面には、
死と再生の象徴である睡蓮が浮かんでいる。






2016年1月1日金曜日

梅若謡初之式

2016年1月1日(金)  15時~16時4分   梅若能楽学院会館

一昨年の梅若謡初式の飾り

新年小謡《若》出演者一同
舞囃子《老松》梅若玄祥
舞囃子《東北》梅若長左衛門
舞囃子《高砂》梅若紀彰
舞囃子《弓矢立合》玄祥 紀彰 長左衛門
  松田弘之 鳥山直也 亀井広忠 林雄一郎

連吟《養老キリ》富田雅子 他女流一同
仕舞《羽衣キリ》角当行雄
仕舞《鞍馬天狗》松山隆雄
仕舞《猩々》   井上燎治
連吟《鶴亀キリ》山崎正道 他出演者



注連縄が張り巡らされた能舞台は宗教空間としての色を強め、
冷え冷えとした清浄な空間に身を置くだけで気が引き締まる。


カチカチと切り火が切られ、
切戸口から入った半裃姿の出演者が
地謡座からワキ座までずらりと並んだ様子は壮観。


能楽堂に射し込む傾きかけた陽の光が演者たちの凛々しい顔を照らしながら
特殊な舞台照明のように刻一刻と趣きを変えてゆく。




舞囃子《老松》
少しお痩せになったのだろうか、
お顔が面長になり、下半身が締まって見える。
強い気迫と重厚な謡と舞。
新年にふさわしい神さびた老松の風格。





舞囃子《高砂》
観能を始めてまもない2年前に初めてこの謡初式にうかがった時も
紀彰師は《高砂》を舞われていて、
わたしはその燦爛たる舞姿に心を奪われたのだった。


この日の紀彰師は、ミルクをたっぷり入れた抹茶カプチーノ色の半裃姿。

紀彰師の舞を拝見するのは昨年8月の「紀彰の会」ぶりだったけど、
相変わらず端正で美しい洗練された舞姿。
2月と4月には御舞台もあるので、こちらも非常に楽しみ。

お囃子も、とくに広忠さんと雄一郎さんは猛烈に気合が入っていて、
カッコイイ《高砂》だった。

夢のようにあっという間に終わってしまった。





舞囃子《弓矢立合》
詞章は以下のようなものだそうです。

「釈尊は、釈尊は、大悲の弓の智慧の矢をつまよつて、三毒の眠を驚かし、愛染明王は弓矢を持つて、陰陽の姿を現せり、されば五大明王の文殊は、養由と現じて、れいを取つて弓を作り、安全を現して矢となせり。また我が朝の神功皇后は西土の逆臣を退け、民尭舜と栄えたり。応神天皇八幡大菩薩水上清き石清水、流の末こそ久しけれ。」
    24世観世左近『よくぞ能の家に』(青空文庫)より抜粋



新酒の飲み比べのように三者三様の舞を味わう贅沢な舞囃子でした。

仕舞もベテラン御三方の舞を堪能。
締めには、《鶴亀キリ》の梅若らしい格調高い謡。


謡と囃子と舞で祓い清められた元日となりました。