第九回 広忠の会 《定家》前場からのつづき
能 《定家》 シテ味方玄
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
アイ野村萬斎
杉信太郎 大倉源次郎 亀井広忠
後見 観世銕之丞 山崎正道
地謡 片山九郎右衛門
観世喜正 坂真太郎 谷本健吾
坂口貴信 林宗一郎 鵜澤光 観世淳夫
ワキ・ワキツレの待謡のあと、習ノ一声の囃子が入る。
この日のもう一人の主役・広忠さんは薄橙色の袴姿。
前場では小鼓の繊細な音色に対して大鼓の打音がきつすぎるように感じたが、
この習ノ一声では、もう、何と言えばいいのだろう、
いま思い出しても胸が熱くなるような大鼓だった。
果てしなく孤独な老狼の咆哮を思わせる長く伸びた哀切な掛け声。
冬の夜空に響き渡る澄んだ音色。
両サイドの二人を終始リードしサポートした源次郎師の洗練された小鼓。
そして全力で舞台に立ち向かった信太郎さんの渾身の笛。
三者が一体となった素晴らしい出端事。
夢かとよ、闇の現の宇津の山。月にもたどる蔦の細道。
暗く、悲しげな声が闇の底の塚の中から響く。
『伊勢物語』で業平が東下りの途上で蔦の細道をたどったように、
蔦葛に這いまとわれた塚の細道を式子内親王の霊がたどってくる。
このとき、光源氏が蔦の細道を通って明石の君のもとに通ったように、
定家が式子内親王のもとに通った日々が二重写しになって
彼女の記憶の底から立ちのぼる。
塚の中のシテと地謡との掛け合いのあと大鼓が入り、
「外はつれなき定家かづら」で引廻が外され、ワキが立ち上がる。
後シテの出立は、浅葱色の大口に青灰色の長絹(露は薄朱色)。
長絹には……桐の模様だろうか、
わたしには蔦葛が絡まっているように見えた。
裾には笹があしらわれている。
見事としかいいようのない配色と文様の取り合わせ。
面は前シテと同じ増だったが、面にも顔映りというものがあるらしく、
後シテの装束にあでやかに映え、シテの気の変化とあいまって、
優婉さと品格がさらに増していた。
薬草喩本の功徳によって定家葛の呪縛が溶ける。
「定家葛もかかる涙もほろほろと解け広がり」でシテは袖を開き、
「よろよろと足弱車の火宅を出でたる」で、立ち上がり塚から出、
「ありがたさよ」で、ワキに向かって合掌。
後シテは僧へのお礼として
宮中での華やかな時代を再現するべく舞を舞う。
序ノ舞の狂おしいほどの美しさ。
式子内親王の霊が憑依したようにシテは彼女と完全に一体となり、
女という悲しい生き物の化身そのものが、
身を焦がすような甘い恋の記憶に耽溺しながら静かに舞う絶美の世界。
被いた袖の下から見つめるまなざしには夢見るような陶酔感がただよい、
煩悩の、妄執のなかこそが安息の地であることへの気づきと悟り、
そして諦観が潜んでいる。
もとのごとく這ひ纏はるるや定家葛、這ひ纏はるるや定家葛の
儚くも形はうづもれて失せにけり
シテはもとのごとく定家葛の纏いつく塚に戻り、
蔦葛の絡まるさまを表現するべく、
見所から見て右前の柱を反時計回りに二度まわったのち、
左前の柱を時計回りに一度まわり
作り物の中央で安座して
何かに抱擁されて安らかに眠るように枕ノ扇。
堂内は水を打ったように静まりかえり、
閉じる扇の骨の音だけが鳴り響く。
あとは、
静寂のなかの無限の余韻。
"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2015年12月25日金曜日
第九回 広忠の会 《定家》前場
第九回広忠の会~序からのつづき
能 《定家》 シテ味方玄
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
アイ野村萬斎
杉信太郎 大倉源次郎 亀井広忠
後見 観世銕之丞 山崎正道
地謡 片山九郎右衛門
観世喜正 坂真太郎 谷本健吾
坂口貴信 林宗一郎 鵜澤光 観世淳夫
装束付 川口晃平 お運び 安藤貴康
橘香会の万三郎の《定家》には冷たい虚無感が漂っていたのに対し、
味方玄の《定家》には、昏い情念のようなものが静かに燃え続けていた。
どちらも甲乙つけがたい名舞台。
同じ曲でも、役者の個性・解釈や地謡・囃子・ワキなどの配役によって
まるで別の曲のように異なる味わいが楽しめることを今回再確認できた。
山より出づる北時雨、ゆくえや定めなかるらん。
欣哉さんはもともとハコビの非常にきれいな人だが、
角帽子・水衣・無地熨斗目着流の出立で銕仙会の橋掛りを進む時は
場の霊気と溶け合って(この能楽堂には霊気が立ち込めている)、
その美しさがいっそう際立ち、
物語のきっかけとなる雨の質感や空気感を感じさせる。
冬枯れの景色なか、にわかに降りはじめた細かい時雨の向こうに
僧たちの姿がかすんで見える。
ゆくえ定まらぬ僧たちがふと見つけた東屋にひととき身を寄せ、
雨宿りをしていると、どこからともなく女の声が呼びかけてくる。
なーうなーう御僧、何しにその宿へ立ち寄りてこそ候へ
「なうなう」をかなり長く引き延ばしたシテの声は、
幕内から舞台に響きつつもすでに粘着性を帯び、
ワキの心に絡みつくように言外に何かを訴えかけている。
「それは時雨の亭とてよしある所なり」で幕から出たシテの出立は、
紅葉のようにも見える色とりどりの桔梗柄の渋い金地の唐織。
手には数珠。
面は増だろうか。
一見、地味で古風な顔立ちだが、これがシテの芸の力によって
驚くほどさまざまに表情を変えていく。
たとえば、ワキとの掛け合いに続く地歌の「庭も籬もそれとなく」で、
シテがじつに精妙に、ほんの微かにゆっくりと辺りを見回した時。
このとき増の面の硬質な肌は柔らかな潤いを帯びるのだが、
かといってそれは現実の人間でもなく、人形でもない。
美しい女の幻影が目の前に立ち現れたような錯覚を見る者に抱かせる。
(面使いの魔法は、後場でさらに発揮される。)
さて、定家が建てた時雨の亭の名の由来となった和歌を説明するくだりから
シテは舞台に入って常座に立ち、今日は弔いの日だからと
蔦葛が這いまとっている石塔に僧を案内する。
「定家の執心葛となって御墓に這いまとひ、互いの苦しみ離れやらず、
ともに邪淫の妄執を」で大鼓が入り、シテは塚前に、ワキはワキ座に下居。
ここから地クリ、シテサシ、居グセとなるのだが、
シテ「昔は物を思はざりし」、地「後の心ぞはてしもなき」で
シテとワキが見つめ合うそのまなざしが、まるで恋に落ちた二人のよう。
視線を交わすシテとワキのあいだで不思議な化学反応が起きているのが見てとれる。
僧が相手を受けとめ、女が心を許せる相手に出会えたことを
二人の視線が物語っている。
味方玄と宝生欣哉という名コンビが織り成す「視線の妙」。
そして、シテとワキの心の化学反応を触媒するのが、
九郎右衛門さん率いる地謡の「息扱いの妙」。
「あはれ知れ」と、せつないため息のように謡い出し、
いにしえの定家と式子内親王との恋のいきさつを語り、
その息扱いで、ある時は彼女の嗚咽を、ある時は彼女の慟哭を表現しつつ、
禁断の恋の苦しみをあざやかに描き出していく。
(同じ観世流とはいえ、銕仙会、九皐会、観世会、片山家、林家の
超混成部隊だったにもかかわらず、驚くほどまとまりの良い地謡。
強吟・弱吟、緩急を変幻自在に操る地頭と、
それに一糸乱れず順従する副地以下の方々に
地謡の醍醐味をあらためて教えていただいた気がする。)
「妄執を助け給へや」と、シテの女は僧に向かって合掌。
そして、「我こそ式子内親王」と正体を明かすと、
いったん塚の作り物に背中をぴたりとつけたのち、
「苦しみを助け給へ」ともう一度懇願して僧に歩み寄り、
右に向いて塚の右手に進み、くるりと時計回りに身体を回転させ、
後ろに進んだあと、再びくるりと身を翻し、
そのまま塚の中へと姿を消して中入り。
中入の物着では、
作り物の奥に川口晃平さん、外に山崎正道さん、お運びに安藤貴康さん。
この三人の連携がじつに見事で、かなり早い段階で物着が終了し、
後シテの装束も美しく決まっていた。
間狂言は橘香会の時と同じく萬斎さんだが、
橘香会の時よりも位を高め、《定家》にふさわしい間狂言になっていた。
数カ月単位で変化し、進化するのはさすが。
第九回 広忠の会《定家》後場につづく
能 《定家》 シテ味方玄
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
アイ野村萬斎
杉信太郎 大倉源次郎 亀井広忠
後見 観世銕之丞 山崎正道
地謡 片山九郎右衛門
観世喜正 坂真太郎 谷本健吾
坂口貴信 林宗一郎 鵜澤光 観世淳夫
装束付 川口晃平 お運び 安藤貴康
橘香会の万三郎の《定家》には冷たい虚無感が漂っていたのに対し、
味方玄の《定家》には、昏い情念のようなものが静かに燃え続けていた。
どちらも甲乙つけがたい名舞台。
同じ曲でも、役者の個性・解釈や地謡・囃子・ワキなどの配役によって
まるで別の曲のように異なる味わいが楽しめることを今回再確認できた。
山より出づる北時雨、ゆくえや定めなかるらん。
欣哉さんはもともとハコビの非常にきれいな人だが、
角帽子・水衣・無地熨斗目着流の出立で銕仙会の橋掛りを進む時は
場の霊気と溶け合って(この能楽堂には霊気が立ち込めている)、
その美しさがいっそう際立ち、
物語のきっかけとなる雨の質感や空気感を感じさせる。
冬枯れの景色なか、にわかに降りはじめた細かい時雨の向こうに
僧たちの姿がかすんで見える。
ゆくえ定まらぬ僧たちがふと見つけた東屋にひととき身を寄せ、
雨宿りをしていると、どこからともなく女の声が呼びかけてくる。
なーうなーう御僧、何しにその宿へ立ち寄りてこそ候へ
「なうなう」をかなり長く引き延ばしたシテの声は、
幕内から舞台に響きつつもすでに粘着性を帯び、
ワキの心に絡みつくように言外に何かを訴えかけている。
「それは時雨の亭とてよしある所なり」で幕から出たシテの出立は、
紅葉のようにも見える色とりどりの桔梗柄の渋い金地の唐織。
手には数珠。
面は増だろうか。
一見、地味で古風な顔立ちだが、これがシテの芸の力によって
驚くほどさまざまに表情を変えていく。
たとえば、ワキとの掛け合いに続く地歌の「庭も籬もそれとなく」で、
シテがじつに精妙に、ほんの微かにゆっくりと辺りを見回した時。
このとき増の面の硬質な肌は柔らかな潤いを帯びるのだが、
かといってそれは現実の人間でもなく、人形でもない。
美しい女の幻影が目の前に立ち現れたような錯覚を見る者に抱かせる。
(面使いの魔法は、後場でさらに発揮される。)
さて、定家が建てた時雨の亭の名の由来となった和歌を説明するくだりから
シテは舞台に入って常座に立ち、今日は弔いの日だからと
蔦葛が這いまとっている石塔に僧を案内する。
「定家の執心葛となって御墓に這いまとひ、互いの苦しみ離れやらず、
ともに邪淫の妄執を」で大鼓が入り、シテは塚前に、ワキはワキ座に下居。
ここから地クリ、シテサシ、居グセとなるのだが、
シテ「昔は物を思はざりし」、地「後の心ぞはてしもなき」で
シテとワキが見つめ合うそのまなざしが、まるで恋に落ちた二人のよう。
視線を交わすシテとワキのあいだで不思議な化学反応が起きているのが見てとれる。
僧が相手を受けとめ、女が心を許せる相手に出会えたことを
二人の視線が物語っている。
味方玄と宝生欣哉という名コンビが織り成す「視線の妙」。
そして、シテとワキの心の化学反応を触媒するのが、
九郎右衛門さん率いる地謡の「息扱いの妙」。
「あはれ知れ」と、せつないため息のように謡い出し、
いにしえの定家と式子内親王との恋のいきさつを語り、
その息扱いで、ある時は彼女の嗚咽を、ある時は彼女の慟哭を表現しつつ、
禁断の恋の苦しみをあざやかに描き出していく。
(同じ観世流とはいえ、銕仙会、九皐会、観世会、片山家、林家の
超混成部隊だったにもかかわらず、驚くほどまとまりの良い地謡。
強吟・弱吟、緩急を変幻自在に操る地頭と、
それに一糸乱れず順従する副地以下の方々に
地謡の醍醐味をあらためて教えていただいた気がする。)
「妄執を助け給へや」と、シテの女は僧に向かって合掌。
そして、「我こそ式子内親王」と正体を明かすと、
いったん塚の作り物に背中をぴたりとつけたのち、
「苦しみを助け給へ」ともう一度懇願して僧に歩み寄り、
右に向いて塚の右手に進み、くるりと時計回りに身体を回転させ、
後ろに進んだあと、再びくるりと身を翻し、
そのまま塚の中へと姿を消して中入り。
中入の物着では、
作り物の奥に川口晃平さん、外に山崎正道さん、お運びに安藤貴康さん。
この三人の連携がじつに見事で、かなり早い段階で物着が終了し、
後シテの装束も美しく決まっていた。
間狂言は橘香会の時と同じく萬斎さんだが、
橘香会の時よりも位を高め、《定家》にふさわしい間狂言になっていた。
数カ月単位で変化し、進化するのはさすが。
第九回 広忠の会《定家》後場につづく
2015年12月23日水曜日
第九回 広忠の会 ~ 序
2015年12月22日(火)冬至 18時30分~21時 銕仙会能楽研究所
一調 《芭蕉》 観世銕之丞 × 亀井忠雄
能 《定家》 シテ味方玄
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
アイ野村萬斎
杉信太郎 大倉源次郎 亀井広忠
後見 観世銕之丞 山崎正道
地謡 片山九郎右衛門
観世喜正 坂真太郎 谷本健吾
坂口貴信 林宗一郎 鵜澤光 観世淳夫
装束付 川口晃平 お運び 安藤貴康
快適な観能環境とはいえなかったものの、
(慣れない体勢で長時間座ってたので太ももが筋肉痛 (>_<))
わたしが見た中では本年屈指の名舞台でした!
いや、凄かった!!
先月、Eテレで放送された三響会特集で、広忠さんが
「(八世銕之丞に)お稽古を受けたなかで、いちばん思い入れが深い、
なおかつちばん懇切丁寧に教えていただいた曲」と
おっしゃっていた《定家》。
同番組では「第九会 広忠の会 メイキング」さながらに、
広忠さんの御自宅舞台での九郎右衛門さんとの稽古シーンが流れました。
九郎右衛門さんが、「今は玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば、
忍ぶることの弱るなる。心の秋の花薄」と謡い、
広忠さんがそれに合わせて張扇を打ちながら
お二人で八世銕之丞の教えをたどっていく映像。
これを見て、広忠の会への期待が否が応でも高まったのですが、
実際の舞台は期待をはるかに上回る素晴らしいものでした。
すでに《定家は》は、第1回広忠の会で
梅若六郎(現・玄祥)師のシテで上演されたそうですが、
この曲を再演するにあたり、
広忠師には並々ならぬ思いと覚悟があったようです。
広忠の会パンフレットには
「祖父から寿夫師へ、寿夫師から静夫師及び父へ、その両師から
九郎右衛門氏と小生へ引き継がれているものを同世代の舞台人たちと確かめ合う。
その為の生贄ともいうべきシテは味方玄以外に考えられなかった」
と記され、
つづいて、味方玄師や九郎右衛門さんとの出会いや
彼らとの青春時代の思い出が綴られていて、
たがいに尊敬し合う、気心の知れた兄弟のような間柄なのが
伝わってきます。
大鼓、シテ、そして地頭。
三人の男が三つ巴となり、定家葛のように絡み合い、
全身全霊で生み出した最高の舞台。
このような舞台に立ちあえたことを、このうえなく幸せに思う。
第九回広忠の会 《定家》前場につづく
一調 《芭蕉》 観世銕之丞 × 亀井忠雄
能 《定家》 シテ味方玄
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
アイ野村萬斎
杉信太郎 大倉源次郎 亀井広忠
後見 観世銕之丞 山崎正道
地謡 片山九郎右衛門
観世喜正 坂真太郎 谷本健吾
坂口貴信 林宗一郎 鵜澤光 観世淳夫
装束付 川口晃平 お運び 安藤貴康
快適な観能環境とはいえなかったものの、
(慣れない体勢で長時間座ってたので太ももが筋肉痛 (>_<))
わたしが見た中では本年屈指の名舞台でした!
いや、凄かった!!
先月、Eテレで放送された三響会特集で、広忠さんが
「(八世銕之丞に)お稽古を受けたなかで、いちばん思い入れが深い、
なおかつちばん懇切丁寧に教えていただいた曲」と
おっしゃっていた《定家》。
同番組では「第九会 広忠の会 メイキング」さながらに、
広忠さんの御自宅舞台での九郎右衛門さんとの稽古シーンが流れました。
九郎右衛門さんが、「今は玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば、
忍ぶることの弱るなる。心の秋の花薄」と謡い、
広忠さんがそれに合わせて張扇を打ちながら
お二人で八世銕之丞の教えをたどっていく映像。
これを見て、広忠の会への期待が否が応でも高まったのですが、
実際の舞台は期待をはるかに上回る素晴らしいものでした。
すでに《定家は》は、第1回広忠の会で
梅若六郎(現・玄祥)師のシテで上演されたそうですが、
この曲を再演するにあたり、
広忠師には並々ならぬ思いと覚悟があったようです。
広忠の会パンフレットには
「祖父から寿夫師へ、寿夫師から静夫師及び父へ、その両師から
九郎右衛門氏と小生へ引き継がれているものを同世代の舞台人たちと確かめ合う。
その為の生贄ともいうべきシテは味方玄以外に考えられなかった」
と記され、
つづいて、味方玄師や九郎右衛門さんとの出会いや
彼らとの青春時代の思い出が綴られていて、
たがいに尊敬し合う、気心の知れた兄弟のような間柄なのが
伝わってきます。
大鼓、シテ、そして地頭。
三人の男が三つ巴となり、定家葛のように絡み合い、
全身全霊で生み出した最高の舞台。
このような舞台に立ちあえたことを、このうえなく幸せに思う。
第九回広忠の会 《定家》前場につづく
五雲会《巻絹》《胸突》《忠信》《葛城》《船弁慶》
2015年12月19日(土) 12時~17時40分 宝生能楽堂
成田寛人 鳥山直也 柿原光博 大川典良
後見 宝生和英 大坪喜美雄
地謡 武田孝史 田崎隆三 今井泰行 辰巳満次郎
藪克徳 高橋憲正 今井基 上野能寛
立衆 金森良充 辰巳和麿 金井賢郎 朝倉大輔 藤井秋雅
ワキ安田登
栗林祐輔 飯冨孔明 大倉栄太郎
後見 藤井雅之 小林晋也
地謡 朝倉俊樹 金森秀祥 東川光夫 山内崇生
亀井雄二 田崎甫 木谷哲也 上野能寛
アイ山本凜太郎
藤田貴寛 田邊恭資 高野彰 観世元伯
後見 小林与志郎 高橋亘
地謡 小倉敏克 佐野由於 金井雄資 佐野登
辰巳大二郎 東川尚史 川瀬隆士 木谷哲也
アイ 山本泰太郎
小野寺竜一 森澤勇司 大倉慶乃助 澤田晃良
後見 前田晴啓 高橋憲正
地謡 大友順 野月聡 渡邊茂人 小倉健太郎
佐野弘宜 金森隆晋 當山淳司 金井賢郎
年末だからか、補助席・立ち見も出るほどの盛況ぶり。
能4番狂言2番を見終えたあとは2キロ近く体重が減っていたので、
ダイエットには五雲会フルコースがお勧め。
観能には体力と根性が要ります!
能《巻絹》
前日に観世流の《巻絹・神楽留》を観たばかりだったため、
両流儀の違いがよく分かって面白かった。
(観世流は小書付きだったので、小書による違いもあるだろうけど。)
宝生流は幣を持ったり、扇に持ち替えたり、再び幣を持ったりで
けっこう忙しい。
また、観世流は(小書付だったためか)橋掛りでの演技が多かったのに対し、
宝生流はほとんど本舞台上で演じられていた。
両者を比較することで、観世には橋掛りを有効活用して
華やかに見せる傾向があるのがあらためてよく分かる。
また、前日の観世流では観世流の太鼓で、神楽の前の
「密厳浄土ありがたや」から太鼓が入ったのだけれど、
この日の宝生流では金春流の太鼓で、その場合、
ノットから太鼓が打ち出したのが新鮮だった。
本曲で印象的だったのがツレの川瀬さん。
以前から注目していた方だけれど、
さらに進化されていて謡の巧いことといったら!
朗々と響きわたって聴き惚れる。
存在感もありすぎてシテを食うほどだったのは
ツレとしてどうかとも思うところもあるが、
自己アピールにはなったと思う。
地謡もうまい人が大勢入っていて、とても好かった。
宝生流は一部のベテランをのぞいて、
中堅・若手のほうが謡のうまい人が多い気がする。
狂言《胸突》
前日拝見した和泉流三宅家に比べると、
大蔵流山本家は実直で泥臭いイメージなんだけれど、
そこが持ち味で、なんともいえない面白みがある。
能《忠信》
年末になると、こういう斬組物が多い気がするのは、
赤穂浪士の影響だろうか。
シテの和久荘太郎師は男前で技術力も高いので、
こういう直面での斬り合いが美しくキマッていた。
《忠信》は以前に和英宗家のシテで拝見したことがあり、
そのときは欄干越えなども入っていて豪華な印象だったのだが、
この日は飛び安座と仏倒れだけで比較的あっさり。
(立衆の人数も一人少なめ。)
この手の演目は威勢のいい若手をたくさん揃えてなければできないため、
いま現在上演できるのは観世宗家系と宝生流だけではないだろうか。
大小鼓のノリ拍子がカッコよかった。
能《葛城》
この日の白眉。
ワキツレの吉田祐一師はたぶん初めて拝見する。
ワキの方、台詞がやや棒読みかなー。
先日の《殺生石・白頭》もそうだったけれど、
ワキ方のなかには時折こういう方がいらっしゃる。
葛城山で吹雪に遭い、道に迷った山伏一行は、
薪を背負った女に声を掛けられ、彼女の家に泊めてもらう。
前シテの女は杖を持ち、
クリーム色の水衣に茶紫地の縫箔を腰巻にした出立。
面は深井だろうか、若曲見だろうか。
負柴はクリスマスツリーのように綿雪をかぶり、
頭にかぶった笠にも雪が積もっている。
柴の庵に着いた女と山伏。
女は笠をとり、薪を下ろし、ワキ座に座る山伏の前に松枝を置いて
火をつけ扇であおいで、山伏一行に暖をとらせ、彼らをもてなす。
正中に下居したシテは、蔦葛に身を縛られて三熱の苦しみがあると
山伏に訴え、加持祈祷による助けを求めて中入り。
山本凛太郎さんは《巻絹》に続いて、この日二度目の間狂言。
場数を踏むたびにメキメキと巧くなる伸び盛りの狂言師さん。
ワキ・ワキツレの待謡「夜の行声すみて」から太鼓が入り、
神の登場にふさわしく、やや重々しい荘厳な出端となる。
このときの小鼓と太鼓の輪唱のような掛け合いが
めちゃくちゃカッコイイ!!
田邊さん、うまくなったなー。
後シテの出立は、藤模様の入った紫長絹に緋大口。
頭に戴く天冠には蔦葛がついている。
面は節木増だろうか、冷たい美形の女神だった。
シテの澤田さんの序の舞はしっとりと奥ゆかしい品のある趣。
終演後に紋付き袴に着替えた澤田師がロビーで馴染みの方々に
ご挨拶をされていたけれど、とてもさっぱりした好い御顔をされていた。
狂言《福の神》
師走なので《福の神》の上演が続きます。
大蔵流は地謡も入って、おめでたさ倍増。
能《船弁慶》
びっくりしたのが、宝生欣哉師が朝哉さんとともに
ワキツレで登場したこと。
おそらくご子息にワキツレ道の手本を見せるためなのだろう。
ワキよりも、位とグッと下げているのが欣哉師の凄いところ。
太鼓方の澤田さんの後見には元伯師。
さすがに太鼓のセッティングはしなかったけれど、
後ろからしっかり監督されていた。
シテ方だけでなく、ワキ方・囃子方も若手育成の場となるのが
五雲会なんですね。
子方さん(野月聡師の御子息)が天使みたいに可愛い!
後シテの勇壮な舞働と活気あふれる囃子で
今年のしめくくりにふさわしい切能となったのでした。
能《巻絹》 シテ水上優 ツレ川瀬隆士
ワキ御厨誠吾 アイ山本凜太郎成田寛人 鳥山直也 柿原光博 大川典良
後見 宝生和英 大坪喜美雄
地謡 武田孝史 田崎隆三 今井泰行 辰巳満次郎
藪克徳 高橋憲正 今井基 上野能寛
狂言《胸突》 山本則孝 山本則秀
能《忠信》 シテ和久荘太郎 義経 小倉伸二郎
トモ金野泰大 金森隆晋 法師 佐野玄宜立衆 金森良充 辰巳和麿 金井賢郎 朝倉大輔 藤井秋雅
ワキ安田登
栗林祐輔 飯冨孔明 大倉栄太郎
後見 藤井雅之 小林晋也
地謡 朝倉俊樹 金森秀祥 東川光夫 山内崇生
亀井雄二 田崎甫 木谷哲也 上野能寛
能《葛城》 シテ澤田宏司
ワキ梅村昌功 ワキツレ野口能弘 吉田祐一アイ山本凜太郎
藤田貴寛 田邊恭資 高野彰 観世元伯
後見 小林与志郎 高橋亘
地謡 小倉敏克 佐野由於 金井雄資 佐野登
辰巳大二郎 東川尚史 川瀬隆士 木谷哲也
狂言《福の神》 山本則秀 山本則俊 若松隆
地謡 山本則孝 山本泰太郎 山本凛太郎
能《船弁慶》 シテ内藤飛能 子方 野月惺太
ワキ則久英志 ワキツレ宝生欣哉 宝生朝哉アイ 山本泰太郎
小野寺竜一 森澤勇司 大倉慶乃助 澤田晃良
後見 前田晴啓 高橋憲正
地謡 大友順 野月聡 渡邊茂人 小倉健太郎
佐野弘宜 金森隆晋 當山淳司 金井賢郎
年末だからか、補助席・立ち見も出るほどの盛況ぶり。
能4番狂言2番を見終えたあとは2キロ近く体重が減っていたので、
ダイエットには五雲会フルコースがお勧め。
観能には体力と根性が要ります!
能《巻絹》
前日に観世流の《巻絹・神楽留》を観たばかりだったため、
両流儀の違いがよく分かって面白かった。
(観世流は小書付きだったので、小書による違いもあるだろうけど。)
宝生流は幣を持ったり、扇に持ち替えたり、再び幣を持ったりで
けっこう忙しい。
また、観世流は(小書付だったためか)橋掛りでの演技が多かったのに対し、
宝生流はほとんど本舞台上で演じられていた。
両者を比較することで、観世には橋掛りを有効活用して
華やかに見せる傾向があるのがあらためてよく分かる。
また、前日の観世流では観世流の太鼓で、神楽の前の
「密厳浄土ありがたや」から太鼓が入ったのだけれど、
この日の宝生流では金春流の太鼓で、その場合、
ノットから太鼓が打ち出したのが新鮮だった。
本曲で印象的だったのがツレの川瀬さん。
以前から注目していた方だけれど、
さらに進化されていて謡の巧いことといったら!
朗々と響きわたって聴き惚れる。
存在感もありすぎてシテを食うほどだったのは
ツレとしてどうかとも思うところもあるが、
自己アピールにはなったと思う。
地謡もうまい人が大勢入っていて、とても好かった。
宝生流は一部のベテランをのぞいて、
中堅・若手のほうが謡のうまい人が多い気がする。
狂言《胸突》
前日拝見した和泉流三宅家に比べると、
大蔵流山本家は実直で泥臭いイメージなんだけれど、
そこが持ち味で、なんともいえない面白みがある。
能《忠信》
年末になると、こういう斬組物が多い気がするのは、
赤穂浪士の影響だろうか。
シテの和久荘太郎師は男前で技術力も高いので、
こういう直面での斬り合いが美しくキマッていた。
《忠信》は以前に和英宗家のシテで拝見したことがあり、
そのときは欄干越えなども入っていて豪華な印象だったのだが、
この日は飛び安座と仏倒れだけで比較的あっさり。
(立衆の人数も一人少なめ。)
この手の演目は威勢のいい若手をたくさん揃えてなければできないため、
いま現在上演できるのは観世宗家系と宝生流だけではないだろうか。
大小鼓のノリ拍子がカッコよかった。
能《葛城》
この日の白眉。
ワキツレの吉田祐一師はたぶん初めて拝見する。
ワキの方、台詞がやや棒読みかなー。
先日の《殺生石・白頭》もそうだったけれど、
ワキ方のなかには時折こういう方がいらっしゃる。
葛城山で吹雪に遭い、道に迷った山伏一行は、
薪を背負った女に声を掛けられ、彼女の家に泊めてもらう。
前シテの女は杖を持ち、
クリーム色の水衣に茶紫地の縫箔を腰巻にした出立。
面は深井だろうか、若曲見だろうか。
負柴はクリスマスツリーのように綿雪をかぶり、
頭にかぶった笠にも雪が積もっている。
柴の庵に着いた女と山伏。
女は笠をとり、薪を下ろし、ワキ座に座る山伏の前に松枝を置いて
火をつけ扇であおいで、山伏一行に暖をとらせ、彼らをもてなす。
正中に下居したシテは、蔦葛に身を縛られて三熱の苦しみがあると
山伏に訴え、加持祈祷による助けを求めて中入り。
山本凛太郎さんは《巻絹》に続いて、この日二度目の間狂言。
場数を踏むたびにメキメキと巧くなる伸び盛りの狂言師さん。
ワキ・ワキツレの待謡「夜の行声すみて」から太鼓が入り、
神の登場にふさわしく、やや重々しい荘厳な出端となる。
このときの小鼓と太鼓の輪唱のような掛け合いが
めちゃくちゃカッコイイ!!
田邊さん、うまくなったなー。
後シテの出立は、藤模様の入った紫長絹に緋大口。
頭に戴く天冠には蔦葛がついている。
面は節木増だろうか、冷たい美形の女神だった。
シテの澤田さんの序の舞はしっとりと奥ゆかしい品のある趣。
終演後に紋付き袴に着替えた澤田師がロビーで馴染みの方々に
ご挨拶をされていたけれど、とてもさっぱりした好い御顔をされていた。
狂言《福の神》
師走なので《福の神》の上演が続きます。
大蔵流は地謡も入って、おめでたさ倍増。
能《船弁慶》
びっくりしたのが、宝生欣哉師が朝哉さんとともに
ワキツレで登場したこと。
おそらくご子息にワキツレ道の手本を見せるためなのだろう。
ワキよりも、位とグッと下げているのが欣哉師の凄いところ。
太鼓方の澤田さんの後見には元伯師。
さすがに太鼓のセッティングはしなかったけれど、
後ろからしっかり監督されていた。
シテ方だけでなく、ワキ方・囃子方も若手育成の場となるのが
五雲会なんですね。
子方さん(野月聡師の御子息)が天使みたいに可愛い!
後シテの勇壮な舞働と活気あふれる囃子で
今年のしめくくりにふさわしい切能となったのでした。
2015年12月20日日曜日
邦楽の旋律とアクセント――中世から近世へ
2015年12月18日(金) 18時~20時30分 東京国立博物館平成館大講堂
講演Ⅰ 明治以前の謡とアクセント 高桑いづみ
実演Ⅰと話 謡の復元 《松風》ほか 味方玄
講演Ⅱ 近世邦楽とアクセント 坂本清恵
実演Ⅱと話 長唄 《鶴亀》ほか
唄 稀音家義丸 三味線 日吉栄寿 杵屋三澄那
水道橋の能楽堂から上野に移動。
公園口から平成館西門まではけっこう遠かったけれど、
冬枯れの夜の上野公園はロマンティックで風情がある。
噴水越しに見るライトアップされた博物館がきれいでした。
肝心の講座はというと、味方人気のおかげかかなりの盛況ぶり。
前方の座席にはお弟子さんらしき女性グループが。
第Ⅰ部の「明治以前の謡とアクセント」はハイレベルでした。
謡本を読めるという前提でどんどん話が進んでいく。
お稽古していないわたしなどはゴマ点の読み方さえ分からないため、
ほとんどついてけなかった。
第一、高桑氏のいう「アクセント」の定義すらよく分からない。
(当時の口語のアクセントという意味だろうか?)
要するに、
室町から桃山時代までは、アクセントを随所に反映した節で
謡われており、それをゴマの上げ下げで表現していたが、
個人差もあった。
それが、しだいにアクセントに従わない謡い方に変化し、
アクセントではなく、息(息の扱い)の変化で詞を表現する方向へ進み、
ツヨ吟が誕生した。
ということらしい。
また、桃山時代までは京風のアクセントだったのが、
しだいに江戸風に変化したようである。
わたしが思うに、これは江戸時代以降、式楽となり、
能楽や作能の中心が京から江戸に移行したためでもあるのだろう。
第Ⅰ部の後半でようやく味方玄師登場。
あとで邦楽の演奏があるからと、
能楽では珍しい緋毛氈に金屏風という舞台セット。
まずは、永正14年(1517年)観世大夫元広奥書書「松風村雨」に
基づいて高桑氏が復元したという《松風》の謡の実演から。
うーむ、室町末期の《松風》ってこんなだったのか……。
今とはぜんぜん違う。
味方さんが謡うからか、一字一句、聴きとりやすいのだけれど、
表現が平板で、現行の《松風》に比べたら情趣に乏しい。
味方さんの美声と豊かな声量をのぞけば、
素人のめちゃくちゃ音痴な人が、
無理して謡っているようにも聴こえる。
謡い終えた味方さんの率直な感想は、「生理的に合わない」。
そして、すぐに現行の《松風》を謡ってほしいと依頼する高桑氏に、
「いや、ちょっと待ってください。切り替えがすぐにはできないから」、と。
この復元版の《松風》を謡うにあたり、相当お稽古されたようで、
それでも身体が拒絶反応を示したのではないだろうか。
復元版を五線譜に落とし込もうとした高桑氏に、
「いや、それだけはやめてください」と味方さんがおっしゃたそう。
なんとなく、「えらい仕事を引き受けちゃったなあ」という感じが
味方さんから滲み出ていた。
その後、現行《松風》の謡の実演があり、
やはり能の謡って、洗練と工夫を重ねて今の形になったのだと
あらためて実感したのであった。
第Ⅱ部の「近世邦楽のアクセント」は、
長唄《鶴亀》の譜や歌に反映される京阪アクセントと江戸アクセントの
変遷をたどっていくというもの。
配布された資料に長唄《鶴亀》の歌詞が載っていたのですが、
能《鶴亀》の詞章とほとんど同じなんですね。
坂本氏によると、江戸の長唄はおもに三段階に変遷し、
第一期は関西風のアクセント、
第二期は江戸風のアクセント、
幕末になると歌詞が聴きとりやすいようよりはっきり謡う傾向になったとか。
また、長唄《鶴亀》の「瑪瑙の橋」という歌詞を取り上げ、
明治期には京阪式のアクセントだったのが、
大正・昭和期には東京式のアクセントになったとのこと。
後半では、稀音家義丸氏らによる長唄《鶴亀》の演奏。
同じ《鶴亀》でも長唄になるとこんなに違うものかと興味深く拝聴。
なかでも面白かったのが、
能の囃子の「楽」にあたる部分が長唄では「楽ノ合方」というものになっていて、
能の「楽」のような異国風(唐風)の音楽ではなく、まるっきり江戸風だったっこと。
時代や聴衆の好みに合わせてこのように解釈されたのでしょうね。
演奏後の稀音家氏のお話によると、
長唄のアクセントは個人によって違い、それぞれに主張があるとのこと。
それに同じ人でもいつも同じに唄えないともおっしゃっていました。
要するに、「その時の具合でやっちゃう」。
(そう言っちゃうと、坂本氏の研究結果がもとも子もなくなっちゃいますが。)
稀音家義丸は80代半ばでしょうか、お話がとても面白く、
いくつになっても枯れない、艶っぽさのある魅力的な人でした。
そしてサービス精神旺盛な方で、セルフアンコールとして
いきなり「鷺娘」をみずから唄ってくださって、受講者は拍手喝采。
義丸さんに会えただけでも行ってよかった!
そんなわけで
研究者が細かく緻密に研究した結果と、
演者のなまの感覚とのギャップが味える楽しい講座でした。
講演Ⅰ 明治以前の謡とアクセント 高桑いづみ
実演Ⅰと話 謡の復元 《松風》ほか 味方玄
講演Ⅱ 近世邦楽とアクセント 坂本清恵
実演Ⅱと話 長唄 《鶴亀》ほか
唄 稀音家義丸 三味線 日吉栄寿 杵屋三澄那
水道橋の能楽堂から上野に移動。
公園口から平成館西門まではけっこう遠かったけれど、
冬枯れの夜の上野公園はロマンティックで風情がある。
噴水越しに見るライトアップされた博物館がきれいでした。
肝心の講座はというと、味方人気のおかげかかなりの盛況ぶり。
前方の座席にはお弟子さんらしき女性グループが。
第Ⅰ部の「明治以前の謡とアクセント」はハイレベルでした。
謡本を読めるという前提でどんどん話が進んでいく。
お稽古していないわたしなどはゴマ点の読み方さえ分からないため、
ほとんどついてけなかった。
第一、高桑氏のいう「アクセント」の定義すらよく分からない。
(当時の口語のアクセントという意味だろうか?)
要するに、
室町から桃山時代までは、アクセントを随所に反映した節で
謡われており、それをゴマの上げ下げで表現していたが、
個人差もあった。
それが、しだいにアクセントに従わない謡い方に変化し、
アクセントではなく、息(息の扱い)の変化で詞を表現する方向へ進み、
ツヨ吟が誕生した。
ということらしい。
また、桃山時代までは京風のアクセントだったのが、
しだいに江戸風に変化したようである。
わたしが思うに、これは江戸時代以降、式楽となり、
能楽や作能の中心が京から江戸に移行したためでもあるのだろう。
第Ⅰ部の後半でようやく味方玄師登場。
あとで邦楽の演奏があるからと、
能楽では珍しい緋毛氈に金屏風という舞台セット。
まずは、永正14年(1517年)観世大夫元広奥書書「松風村雨」に
基づいて高桑氏が復元したという《松風》の謡の実演から。
うーむ、室町末期の《松風》ってこんなだったのか……。
今とはぜんぜん違う。
味方さんが謡うからか、一字一句、聴きとりやすいのだけれど、
表現が平板で、現行の《松風》に比べたら情趣に乏しい。
味方さんの美声と豊かな声量をのぞけば、
素人のめちゃくちゃ音痴な人が、
無理して謡っているようにも聴こえる。
謡い終えた味方さんの率直な感想は、「生理的に合わない」。
そして、すぐに現行の《松風》を謡ってほしいと依頼する高桑氏に、
「いや、ちょっと待ってください。切り替えがすぐにはできないから」、と。
この復元版の《松風》を謡うにあたり、相当お稽古されたようで、
それでも身体が拒絶反応を示したのではないだろうか。
復元版を五線譜に落とし込もうとした高桑氏に、
「いや、それだけはやめてください」と味方さんがおっしゃたそう。
なんとなく、「えらい仕事を引き受けちゃったなあ」という感じが
味方さんから滲み出ていた。
その後、現行《松風》の謡の実演があり、
やはり能の謡って、洗練と工夫を重ねて今の形になったのだと
あらためて実感したのであった。
第Ⅱ部の「近世邦楽のアクセント」は、
長唄《鶴亀》の譜や歌に反映される京阪アクセントと江戸アクセントの
変遷をたどっていくというもの。
配布された資料に長唄《鶴亀》の歌詞が載っていたのですが、
能《鶴亀》の詞章とほとんど同じなんですね。
坂本氏によると、江戸の長唄はおもに三段階に変遷し、
第一期は関西風のアクセント、
第二期は江戸風のアクセント、
幕末になると歌詞が聴きとりやすいようよりはっきり謡う傾向になったとか。
また、長唄《鶴亀》の「瑪瑙の橋」という歌詞を取り上げ、
明治期には京阪式のアクセントだったのが、
大正・昭和期には東京式のアクセントになったとのこと。
後半では、稀音家義丸氏らによる長唄《鶴亀》の演奏。
同じ《鶴亀》でも長唄になるとこんなに違うものかと興味深く拝聴。
なかでも面白かったのが、
能の囃子の「楽」にあたる部分が長唄では「楽ノ合方」というものになっていて、
能の「楽」のような異国風(唐風)の音楽ではなく、まるっきり江戸風だったっこと。
時代や聴衆の好みに合わせてこのように解釈されたのでしょうね。
演奏後の稀音家氏のお話によると、
長唄のアクセントは個人によって違い、それぞれに主張があるとのこと。
それに同じ人でもいつも同じに唄えないともおっしゃっていました。
要するに、「その時の具合でやっちゃう」。
(そう言っちゃうと、坂本氏の研究結果がもとも子もなくなっちゃいますが。)
稀音家義丸は80代半ばでしょうか、お話がとても面白く、
いくつになっても枯れない、艶っぽさのある魅力的な人でした。
そしてサービス精神旺盛な方で、セルフアンコールとして
いきなり「鷺娘」をみずから唄ってくださって、受講者は拍手喝采。
義丸さんに会えただけでも行ってよかった!
そんなわけで
研究者が細かく緻密に研究した結果と、
演者のなまの感覚とのギャップが味える楽しい講座でした。
華曄会《巻絹・神楽留》《福の神》《松虫》
2015年12月18日(金) 13時30分~4時30分 宝生能楽堂
藤田次郎 幸正昭 原岡一之 観世元伯
後見 武田尚浩 藤波重彦
地謡 浅見重好 下平克宏 藤波重孝 木原康之
野村昌司 角幸二郎 木月宣行 渡辺瑞子
八反田智子 観世新九郎 佃良勝
後見 木月孚行 藤波重孝
地謡 武田尚浩 小早川修 松木千俊 藤波重彦
野村昌司 角幸二郎 渡辺瑞子 石橋保夫
12月ともなると宝生能楽堂で、観世宗家所属能楽師さんの
公演を拝見するのにもだいぶ慣れてきた気がする。
水道橋はアクセスといい、ロビーや化粧室の広さといい、
なにかと使い勝手が良いのでいちばん好きな能楽堂。
音響も都内能楽堂の中ではいちばんいいんじゃないかな。
能《巻絹・神楽留》
霊夢を得た帝の命により、三熊野に巻絹を納めるべく
山路を急ぐツレの都の男。
途中、音無天神に立ち寄った男は、冬梅の香りに誘われて
歌を一首詠みます。
ツレの木月晶子師の掛素襖の裾が、水色地に
梅模様が白抜きされていて、《巻絹》のツレにぴったり。
謡のしっかりした女流能楽師さんで、
とても安定感のある方でした。
シテの出立は、白地に金の地紋のある長絹に灰水色の露。
手には(おそらく和歌を詠んだことを示す)短冊をつけた白梅の枝。
光り輝くような清らかな姿で、巫女というよりも、
最初から神に近い位と印象で登場します。
神楽では、梅の芳香が漂うような美しい舞姿。
元伯師の太鼓のひと粒ひと粒が優しく弾けて、
白梅の蕾が一輪一輪、ほころんでいくよう。
舞終わり、最後にシテは、
神はあがらせ給ふと云ひ捨つる
で、梅の枝を後方に投げ、神憑りから解き放たれるのですが、
そのとき増の面の瞳が夢から醒めたように
ハッと見開かれ、生身の女性に還ったように見えた。
この鮮やかな変貌と表現力。
長年の修練の結果が凝縮された瞬間を垣間見た気がした。
狂言《福の神》
年末になると必然的に上演が増える演目。
以前にもまったく同じ配役で同じ曲を拝見したのですが、
その時よりも三宅兄弟の息がさらに合っていて、
神社の鐘をジャラジャラ鳴らして、手を合わせたり、
開いた扇を取るタイミングが合わせ鏡のようにぴったり。
見ているこちらも気持がいい。
三宅家の狂言は演者の方々がスラリとしていることもあり、
都会的というか、現代的ですね。
能《松虫》
名優は肩で演技するというけれど、
大松洋一師もそういうタイプの能役者さん。
渋いいぶし銀の芸を見せてくれる。
大松師の《松虫》は、
同性愛をほのめかす妖しげな雰囲気はなかったけれど、
男同士の固い絆を感じさせる硬派の世界をキリッと描き出し、
新九郎師の小鼓と掛け声がその世界を哀しげに彩っていた。
わたしは彼らの世界と、彼の舞に吸い込まれ、
ひたすら耽溺したのだった。
能《巻絹・神楽留》シテ木月孚行 ツレ木月晶子
ワキ村瀬慧 アイ高澤祐介藤田次郎 幸正昭 原岡一之 観世元伯
後見 武田尚浩 藤波重彦
地謡 浅見重好 下平克宏 藤波重孝 木原康之
野村昌司 角幸二郎 木月宣行 渡辺瑞子
狂言《福の神》 三宅右近 三宅右矩 三宅近成
能《松虫》シテ大松洋一 ツレ田口亮二 木月章行 坂井音晴
ワキ野口能弘 アイ金田弘明八反田智子 観世新九郎 佃良勝
後見 木月孚行 藤波重孝
地謡 武田尚浩 小早川修 松木千俊 藤波重彦
野村昌司 角幸二郎 渡辺瑞子 石橋保夫
12月ともなると宝生能楽堂で、観世宗家所属能楽師さんの
公演を拝見するのにもだいぶ慣れてきた気がする。
水道橋はアクセスといい、ロビーや化粧室の広さといい、
なにかと使い勝手が良いのでいちばん好きな能楽堂。
音響も都内能楽堂の中ではいちばんいいんじゃないかな。
能《巻絹・神楽留》
霊夢を得た帝の命により、三熊野に巻絹を納めるべく
山路を急ぐツレの都の男。
途中、音無天神に立ち寄った男は、冬梅の香りに誘われて
歌を一首詠みます。
ツレの木月晶子師の掛素襖の裾が、水色地に
梅模様が白抜きされていて、《巻絹》のツレにぴったり。
謡のしっかりした女流能楽師さんで、
とても安定感のある方でした。
シテの出立は、白地に金の地紋のある長絹に灰水色の露。
手には(おそらく和歌を詠んだことを示す)短冊をつけた白梅の枝。
光り輝くような清らかな姿で、巫女というよりも、
最初から神に近い位と印象で登場します。
神楽では、梅の芳香が漂うような美しい舞姿。
元伯師の太鼓のひと粒ひと粒が優しく弾けて、
白梅の蕾が一輪一輪、ほころんでいくよう。
舞終わり、最後にシテは、
神はあがらせ給ふと云ひ捨つる
で、梅の枝を後方に投げ、神憑りから解き放たれるのですが、
そのとき増の面の瞳が夢から醒めたように
ハッと見開かれ、生身の女性に還ったように見えた。
この鮮やかな変貌と表現力。
長年の修練の結果が凝縮された瞬間を垣間見た気がした。
狂言《福の神》
年末になると必然的に上演が増える演目。
以前にもまったく同じ配役で同じ曲を拝見したのですが、
その時よりも三宅兄弟の息がさらに合っていて、
神社の鐘をジャラジャラ鳴らして、手を合わせたり、
開いた扇を取るタイミングが合わせ鏡のようにぴったり。
見ているこちらも気持がいい。
三宅家の狂言は演者の方々がスラリとしていることもあり、
都会的というか、現代的ですね。
能《松虫》
名優は肩で演技するというけれど、
大松洋一師もそういうタイプの能役者さん。
渋いいぶし銀の芸を見せてくれる。
大松師の《松虫》は、
同性愛をほのめかす妖しげな雰囲気はなかったけれど、
男同士の固い絆を感じさせる硬派の世界をキリッと描き出し、
新九郎師の小鼓と掛け声がその世界を哀しげに彩っていた。
わたしは彼らの世界と、彼の舞に吸い込まれ、
ひたすら耽溺したのだった。
2015年12月13日日曜日
片山九郎右衛門の《殺生石・白頭》後場~国立能楽堂12月普及公演
片山九郎右衛門の《殺生石・白頭》前場~国立能楽堂12月普及公演からのつづき
能 《殺生石・白頭》 シテ里女・野干 片山九郎右衛門
ワキ玄翁上人 舘田善博 アイ能力 河原康生
寺井宏明 幸正昭 亀井広忠 梶谷英樹
後見 味方玄 梅田嘉宏
地謡 観世喜正 山崎正道 馬野正基 永島充
角当直隆 坂真太郎 谷本健吾 川口晃平
後場
ノットの囃子が流れるなか、
源翁上人は殺生石に向かって花を手向け、焼香し、
「急々に去れ去れ」と、払子で地面を二度突き、
さらに払子を投げ捨てて、石塊を回向する。
ここで太鼓が入って、出端の囃子となり、
石中から「石に精あり、水に音あり」と
地底から響くような重々しい声が聞こえてくる。
そして、
「形は今ぞ現す石の」から、囃子が急調に転じ、
「二つに割るれば」で、殺生石がパカッと真っ二つに割れて、
現れたのは床几に掛けた白頭の野干。
面は、眼光鋭く、敏捷性を感じさせる精悍な泥小飛出。
装束は、衣紋付けで着つけた朱色の狩衣に白銀の半切。
白頭の上には九尾の狐のフィギュアが載っている。
この白狐、前脚を突いて、後脚を大きく蹴り上げた姿で、
九つに分かれた尾が菊の花弁のよう華やかに開き、
尾っぽの先がそれぞれ朱色に染まっていて、
か、可愛い! めっちゃキュート!
能に登場する妖怪・老狐・鬼や天狗は、恐いだけでなく
どこかコミカルで、愛嬌があって、憎めない姿をしている。
後シテは一畳台上の床几にかかりながら、野干の正体を明かしていく。
インドでは班足太子の塚の神として千人もの人々を虐殺させ、
中国では幽王の后・褒姒となり傾城の名の如く、周王朝を滅亡させ、
日本に渡ってからは鳥羽院の寵妃・玉藻の前となって王法を傾けようとしたが、
そこへ安倍泰成が現れて――、
ここから後見によって床几がはずされ、
立ち上がったシテは扇を幣に見立てて、
泰成に御幣を持たされ、祈り伏せられたさまを再現し、
「やがて五体を苦しめて」で、
身悶えするように足拍子。
「雲居を翔り海山を越え、この野に隠れ住む」で、
左袖で顔を隠す。
「その後、勅使立って」で、再び床几にかかり、
三浦の介・上総の介に化生退治の命が下ったところで
再び立ち上がり、
両介が数万騎の大軍を率いて那須野に分け入り、
妖狐狩りをする場面から、カケリの囃子が入る。
《殺生石・白頭》へのカケリの導入は八世銕之丞の考案らしく、
先日Eテレで三響會の特集が放送された時もそうだったけれど、
この日も八世銕之丞の兄弟弟子・九郎右衛門師&広忠師の
組み合わせだったこともあり、
老狐狩の場面が自然とカケリの演出になったのかなと勝手に推察。
そして、九郎右衛門さんの狙いが功を奏し、
このカケリによって、
追う者と追われる者の切迫感・疾走感が際立ち、
狩猟の場面がこの日最大の見せ場となったのです。
「顕れ出でしを狩人の」で、シテは橋掛りの欄干に片足をかけ、
「追つつまくつつさくりにつけて」で、舞台に戻り、
「矢の下に射伏せらされ」で、
扇を矢に見立てて腹に突き立て、飛び安座。
ほかにも憶えきれないほどの型の連続なのだけれど、
それがじつに流麗で、
フィギュアスケートの連続技を観るような高揚感と陶酔感を
観者に覚えさせる。
こういうところが、さすがは九郎右衛門さん。
この方の舞台には麻薬のような魅力がある。
いつまでも永遠に見ていたいと思うし、
終わってしまうと、またすぐに次の舞台が見たくなる。
「この後、悪事をいたすことあるべからずと御僧に」で、
シテはワキに向かってお辞儀をし、
最後は、「鬼神の姿は失せにけり」で、
両腕を抱えたまま眠るように安座。
安らかに石になって成仏したことを表しているのでしょうか。
悠久の時を生きた妖狐を哀悼するかのように、
後シテは静かに舞台を去り、
橋掛りの奥へと消えていったのでした。
能 《殺生石・白頭》 シテ里女・野干 片山九郎右衛門
ワキ玄翁上人 舘田善博 アイ能力 河原康生
寺井宏明 幸正昭 亀井広忠 梶谷英樹
後見 味方玄 梅田嘉宏
地謡 観世喜正 山崎正道 馬野正基 永島充
角当直隆 坂真太郎 谷本健吾 川口晃平
後場
ノットの囃子が流れるなか、
源翁上人は殺生石に向かって花を手向け、焼香し、
「急々に去れ去れ」と、払子で地面を二度突き、
さらに払子を投げ捨てて、石塊を回向する。
ここで太鼓が入って、出端の囃子となり、
石中から「石に精あり、水に音あり」と
地底から響くような重々しい声が聞こえてくる。
そして、
「形は今ぞ現す石の」から、囃子が急調に転じ、
「二つに割るれば」で、殺生石がパカッと真っ二つに割れて、
現れたのは床几に掛けた白頭の野干。
面は、眼光鋭く、敏捷性を感じさせる精悍な泥小飛出。
装束は、衣紋付けで着つけた朱色の狩衣に白銀の半切。
白頭の上には九尾の狐のフィギュアが載っている。
この白狐、前脚を突いて、後脚を大きく蹴り上げた姿で、
九つに分かれた尾が菊の花弁のよう華やかに開き、
尾っぽの先がそれぞれ朱色に染まっていて、
か、可愛い! めっちゃキュート!
能に登場する妖怪・老狐・鬼や天狗は、恐いだけでなく
どこかコミカルで、愛嬌があって、憎めない姿をしている。
後シテは一畳台上の床几にかかりながら、野干の正体を明かしていく。
インドでは班足太子の塚の神として千人もの人々を虐殺させ、
中国では幽王の后・褒姒となり傾城の名の如く、周王朝を滅亡させ、
日本に渡ってからは鳥羽院の寵妃・玉藻の前となって王法を傾けようとしたが、
そこへ安倍泰成が現れて――、
ここから後見によって床几がはずされ、
立ち上がったシテは扇を幣に見立てて、
泰成に御幣を持たされ、祈り伏せられたさまを再現し、
「やがて五体を苦しめて」で、
身悶えするように足拍子。
「雲居を翔り海山を越え、この野に隠れ住む」で、
左袖で顔を隠す。
「その後、勅使立って」で、再び床几にかかり、
三浦の介・上総の介に化生退治の命が下ったところで
再び立ち上がり、
両介が数万騎の大軍を率いて那須野に分け入り、
妖狐狩りをする場面から、カケリの囃子が入る。
《殺生石・白頭》へのカケリの導入は八世銕之丞の考案らしく、
先日Eテレで三響會の特集が放送された時もそうだったけれど、
この日も八世銕之丞の兄弟弟子・九郎右衛門師&広忠師の
組み合わせだったこともあり、
老狐狩の場面が自然とカケリの演出になったのかなと勝手に推察。
そして、九郎右衛門さんの狙いが功を奏し、
このカケリによって、
追う者と追われる者の切迫感・疾走感が際立ち、
狩猟の場面がこの日最大の見せ場となったのです。
「顕れ出でしを狩人の」で、シテは橋掛りの欄干に片足をかけ、
「追つつまくつつさくりにつけて」で、舞台に戻り、
「矢の下に射伏せらされ」で、
扇を矢に見立てて腹に突き立て、飛び安座。
ほかにも憶えきれないほどの型の連続なのだけれど、
それがじつに流麗で、
フィギュアスケートの連続技を観るような高揚感と陶酔感を
観者に覚えさせる。
こういうところが、さすがは九郎右衛門さん。
この方の舞台には麻薬のような魅力がある。
いつまでも永遠に見ていたいと思うし、
終わってしまうと、またすぐに次の舞台が見たくなる。
「この後、悪事をいたすことあるべからずと御僧に」で、
シテはワキに向かってお辞儀をし、
最後は、「鬼神の姿は失せにけり」で、
両腕を抱えたまま眠るように安座。
安らかに石になって成仏したことを表しているのでしょうか。
悠久の時を生きた妖狐を哀悼するかのように、
後シテは静かに舞台を去り、
橋掛りの奥へと消えていったのでした。
片山九郎右衛門の《殺生石・白頭》前場~国立能楽堂12月普及公演
国立能楽堂普及公演 ~解説、狂言《鶏聟・古式》からのつづき
寺井宏明 幸正昭 亀井広忠 梶谷英樹
後見 味方玄 梅田嘉宏
地謡 観世喜正 山崎正道 馬野正基 永島充
角当直隆 坂真太郎 谷本健吾 川口晃平
休憩をはさんで、お待ちかねの《殺生石・白頭》。
「白頭」の小書がつくと石の作り物を出さない場合もあり、
個人的には作り物なしのヴァージョンを期待していたのですが
(そのほうが九郎右衛門さんの芸をより堪能できると思ったから)、
この日は常のごとく、大小前に一畳台と石の作り物が置かれました。
次第の囃子とともに源翁上人と、佛子を担いだ能力登場。
ワキの舘山さんは相変わらずの美声と美しいハコビ。
最近とみに貫録もついて頼もしい。
道行を経て、奥州から那須野の原に着いた一行。
このとき、ある石の上を飛ぶ鳥たちが次々と落ちていくのを能力が目撃します。
あら(鳥が)落ちるわ落ちるわ落ちるわ
不審に思った源翁上人は、「立ち寄り見うずるにて候」と
石に近づいて(実際にはワキ座に近づいて)行こうとします。
すると、僧に呼びかける声が、
なう、その石のほとりへな立ち寄らせ給ひそ
いつのまに幕が上がったのか、
まるでホログラムで出現したかのように
気配を消したまま幕際に佇む前シテの里女。
面は、口角の上がった肉感的な唇とコケティッシュな目元をもつ万媚。
(近江作で銘は「化生」だそうです。《殺生石》や《紅葉狩》にぴったり。)
装束は鮮やかなダークブラウンの地に、
「狐蘭菊の花に隠れ住む」の詞章を思わせる朱・黄・白の大輪の菊花と
秋草をあしらったインパクトのある唐織。
背後に鬼火がメラメラと燃えるような、
女の強烈な個性と執念を感じさせます。
石に近づいてはいけない理由を尋ねる僧に、女は、
それは触れると、人も動物もたちまち命を落とす殺生石だと
強い調子で答えます。
正直に言うと、この冒頭の詞を聴いた時点で、
九郎右衛門さんが本調子ではないように感じました。
風邪を悪化させてしまったのでしょうか。
発声が苦しそうだったし、
作り物の石に入る時も一畳台の側面に足先をぶつけるなど、
抜群の空間把握能力をもつ九郎右衛門さんらしくない場面もありましたが、
でも、後場ではそういう危惧は覆され、
舞台の後半で九郎右衛門さんの本領が発揮されたのでした。
シテは橋掛りを進みながらワキとの掛け合いをして舞台に入り、
正中下居でクリ・サシ、さらに居グセで地謡によって宮中での怪異が語られ、
居グセの途中の「光を放ち」から立ち上がり、短い舞事に入ります。
そして再び下居し、
自分はかつての玉藻の前で、
いまは殺生石の精であることを明かすのですが、
このとき、源翁上人は意外なことを口にします。
げにやあまりの悪念は、かへって善心となるべし。
禅僧によって語られた悪人正機説のようなこの言葉こそ、
数千年ものあいだ悪の限りを尽くしてきた妖狐が渇望した
救いだったのではでしょうか。
このとき、万媚の面が、フッと憑き物が落ちたように、
優しく、そして少し寂しげな表情を浮かべたのでした。
女は、
昼間は自分のあさましい姿をお見せできないので、
夜になって闇の中に灯火のようなものが見えたら、
それがわたしの姿です、
正体を表して、懺悔の姿をお見せします、と言い残し、
石の影に消えていきます。
追記:
中入での作り物の中での物着は、主副後見&お運びの連係プレーと
装束付けのパフォーマンスが見事。
味方さんの動きは手早く無駄がなく、しかも丁寧で確実。
そして何よりも、姿勢と物腰が美しい。
とても大切な人に大切な晴れ着を着付けているような、
そんな思い入れさえうかがえる。
ちょうど一年前に銕仙会の《殺生石》を観た時の
後見・野村四郎師の装束着付けを思い出す。
一流の能役者は、後見の時も観客を魅了する。
片山九郎右衛門の《殺生石・白頭》後場につづく
能 《殺生石・白頭》 シテ里女・野干 片山九郎右衛門
ワキ玄翁上人 舘田善博 アイ能力 河原康生寺井宏明 幸正昭 亀井広忠 梶谷英樹
後見 味方玄 梅田嘉宏
地謡 観世喜正 山崎正道 馬野正基 永島充
角当直隆 坂真太郎 谷本健吾 川口晃平
休憩をはさんで、お待ちかねの《殺生石・白頭》。
「白頭」の小書がつくと石の作り物を出さない場合もあり、
個人的には作り物なしのヴァージョンを期待していたのですが
(そのほうが九郎右衛門さんの芸をより堪能できると思ったから)、
この日は常のごとく、大小前に一畳台と石の作り物が置かれました。
次第の囃子とともに源翁上人と、佛子を担いだ能力登場。
ワキの舘山さんは相変わらずの美声と美しいハコビ。
最近とみに貫録もついて頼もしい。
道行を経て、奥州から那須野の原に着いた一行。
このとき、ある石の上を飛ぶ鳥たちが次々と落ちていくのを能力が目撃します。
あら(鳥が)落ちるわ落ちるわ落ちるわ
不審に思った源翁上人は、「立ち寄り見うずるにて候」と
石に近づいて(実際にはワキ座に近づいて)行こうとします。
すると、僧に呼びかける声が、
なう、その石のほとりへな立ち寄らせ給ひそ
いつのまに幕が上がったのか、
まるでホログラムで出現したかのように
気配を消したまま幕際に佇む前シテの里女。
面は、口角の上がった肉感的な唇とコケティッシュな目元をもつ万媚。
(近江作で銘は「化生」だそうです。《殺生石》や《紅葉狩》にぴったり。)
装束は鮮やかなダークブラウンの地に、
「狐蘭菊の花に隠れ住む」の詞章を思わせる朱・黄・白の大輪の菊花と
秋草をあしらったインパクトのある唐織。
背後に鬼火がメラメラと燃えるような、
女の強烈な個性と執念を感じさせます。
石に近づいてはいけない理由を尋ねる僧に、女は、
それは触れると、人も動物もたちまち命を落とす殺生石だと
強い調子で答えます。
正直に言うと、この冒頭の詞を聴いた時点で、
九郎右衛門さんが本調子ではないように感じました。
風邪を悪化させてしまったのでしょうか。
発声が苦しそうだったし、
作り物の石に入る時も一畳台の側面に足先をぶつけるなど、
抜群の空間把握能力をもつ九郎右衛門さんらしくない場面もありましたが、
でも、後場ではそういう危惧は覆され、
舞台の後半で九郎右衛門さんの本領が発揮されたのでした。
シテは橋掛りを進みながらワキとの掛け合いをして舞台に入り、
正中下居でクリ・サシ、さらに居グセで地謡によって宮中での怪異が語られ、
居グセの途中の「光を放ち」から立ち上がり、短い舞事に入ります。
そして再び下居し、
自分はかつての玉藻の前で、
いまは殺生石の精であることを明かすのですが、
このとき、源翁上人は意外なことを口にします。
げにやあまりの悪念は、かへって善心となるべし。
禅僧によって語られた悪人正機説のようなこの言葉こそ、
数千年ものあいだ悪の限りを尽くしてきた妖狐が渇望した
救いだったのではでしょうか。
このとき、万媚の面が、フッと憑き物が落ちたように、
優しく、そして少し寂しげな表情を浮かべたのでした。
女は、
昼間は自分のあさましい姿をお見せできないので、
夜になって闇の中に灯火のようなものが見えたら、
それがわたしの姿です、
正体を表して、懺悔の姿をお見せします、と言い残し、
石の影に消えていきます。
追記:
中入での作り物の中での物着は、主副後見&お運びの連係プレーと
装束付けのパフォーマンスが見事。
味方さんの動きは手早く無駄がなく、しかも丁寧で確実。
そして何よりも、姿勢と物腰が美しい。
とても大切な人に大切な晴れ着を着付けているような、
そんな思い入れさえうかがえる。
ちょうど一年前に銕仙会の《殺生石》を観た時の
後見・野村四郎師の装束着付けを思い出す。
一流の能役者は、後見の時も観客を魅了する。
片山九郎右衛門の《殺生石・白頭》後場につづく
国立能楽堂普及公演 ~解説、狂言《鶏聟・古式》
2015年12月12日(土) 13時~15時30分 国立能楽堂
地謡 宮本昇 大蔵教義 大蔵千太郎 吉田信海
寺井宏明 幸正昭 亀井広忠 梶谷英樹
後見 味方玄 梅田嘉宏
地謡 観世喜正 山崎正道 馬野正基 永島充
角当直隆 坂真太郎 谷本健吾 川口晃平
ファン・ゴッホ関連の拙訳書がようやく刊行されて、ほっとひと息。
今年もいろいろあったけれど、
師走に九郎右衛門さんの舞台を拝見できる幸せをかみしめた一日でした。
神さま、ありがとうございます!!
さて、まずは解説。
大谷節子先生は歳を重ねても清楚で知的で品があって、こういう女性に憧れます。
解説の内容は、おもに《殺生石》のワキの源翁上人について。
実在の禅僧なのは知っていたけれど、各地に数々の寺院を建立する際に、
山岳信仰(修験道)と結びつくことで、曹洞禅普及を成功させたこと、
また、彼が創設した寺院は「殺生石」をはじめ、さまざまな不思議な伝説を持っていること
などは初めて知りました。
ある寺院などには、キツネ憑きの手法なども取り入れたとか。
化生そのものの存在と寺院建立説話を結びつけ、
それら化生を調伏する源翁心昭自身のマジカルパワーをアピールすることで
民衆を教化したという。
そういうところが、密教的というか、修験道的。
(そのため曹洞宗の既存勢力からは異端視されたとか。)
金槌には「玄翁(ゲンノウ)」という異名があるそうですが、
それは、金槌で殺生石を打ち割った源翁上人の伝説に由来するとのこと。
実際の能の舞台では、源翁は金槌は持っていませんが、
ハンマーで岩石を打ち砕くように、
強力な法力で殺生石の執心を打ち払うようなイメージなんですね。
大蔵流狂言《鶏聟・古式》
先ほどの解説では「古式」と、ふつうの《鶏聟》との違いの説明がなかったのですが、
こういう小書が付いた場合、そこのところがいちばん知りたいところ。
大蔵流では地謡が入るけれど、和泉流では入らないそうです。
シテの茂山良暢さんの素襖はグレー地に蔦葉の白抜き模様。
この大胆にデフォルメされた蔦の葉の形がハートマークになっていて、
聟入り儀式という愛の成就のために、
真剣に闘鶏の真似をする聟の情熱を表しているかのよう。
狂言のほうは、
わたしの周囲の観客は皆さん、爆笑していたので大変に面白かったのだと思う。
(こういう他愛のない内容で人を笑わすのは、ほんとうは難しいのだろうなー。)
片山九郎右衛門の《殺生石・白頭》前場、後場につづく
解説 白狐の正体―障碍と護法― 大谷節子
狂言 《鶏聟・古式》シテ聟
茂山良暢 アド舅 大藏彌太郎
アド太郎冠者 大藏基誠 アド教え子 大藏吉次郎地謡 宮本昇 大蔵教義 大蔵千太郎 吉田信海
能
《殺生石・白頭》 シテ里女・野干 片山九郎右衛門
ワキ玄翁上人 舘田善博 アイ能力 河原康生寺井宏明 幸正昭 亀井広忠 梶谷英樹
後見 味方玄 梅田嘉宏
地謡 観世喜正 山崎正道 馬野正基 永島充
角当直隆 坂真太郎 谷本健吾 川口晃平
ファン・ゴッホ関連の拙訳書がようやく刊行されて、ほっとひと息。
今年もいろいろあったけれど、
師走に九郎右衛門さんの舞台を拝見できる幸せをかみしめた一日でした。
神さま、ありがとうございます!!
さて、まずは解説。
大谷節子先生は歳を重ねても清楚で知的で品があって、こういう女性に憧れます。
解説の内容は、おもに《殺生石》のワキの源翁上人について。
実在の禅僧なのは知っていたけれど、各地に数々の寺院を建立する際に、
山岳信仰(修験道)と結びつくことで、曹洞禅普及を成功させたこと、
また、彼が創設した寺院は「殺生石」をはじめ、さまざまな不思議な伝説を持っていること
などは初めて知りました。
ある寺院などには、キツネ憑きの手法なども取り入れたとか。
化生そのものの存在と寺院建立説話を結びつけ、
それら化生を調伏する源翁心昭自身のマジカルパワーをアピールすることで
民衆を教化したという。
そういうところが、密教的というか、修験道的。
(そのため曹洞宗の既存勢力からは異端視されたとか。)
金槌には「玄翁(ゲンノウ)」という異名があるそうですが、
それは、金槌で殺生石を打ち割った源翁上人の伝説に由来するとのこと。
実際の能の舞台では、源翁は金槌は持っていませんが、
ハンマーで岩石を打ち砕くように、
強力な法力で殺生石の執心を打ち払うようなイメージなんですね。
大蔵流狂言《鶏聟・古式》
先ほどの解説では「古式」と、ふつうの《鶏聟》との違いの説明がなかったのですが、
こういう小書が付いた場合、そこのところがいちばん知りたいところ。
大蔵流では地謡が入るけれど、和泉流では入らないそうです。
シテの茂山良暢さんの素襖はグレー地に蔦葉の白抜き模様。
この大胆にデフォルメされた蔦の葉の形がハートマークになっていて、
聟入り儀式という愛の成就のために、
真剣に闘鶏の真似をする聟の情熱を表しているかのよう。
狂言のほうは、
わたしの周囲の観客は皆さん、爆笑していたので大変に面白かったのだと思う。
(こういう他愛のない内容で人を笑わすのは、ほんとうは難しいのだろうなー。)
片山九郎右衛門の《殺生石・白頭》前場、後場につづく
2015年12月7日月曜日
東京達磨会~成田達志師社中会
2015年12月7日(月) 9時45分~17時半 川崎能楽堂
(以下の番組は11時半から拝見したもののみ掲載)
舞囃子《安宅》 片山九郎右衛門
一噌隆之 社中の方 亀井洋佑
地謡 観世喜正 味方玄 林宗一郎
舞囃子《井筒・段之序》 友枝雄人
松田弘之 成田達志 社中の方
地謡 友枝真也 大島輝久
居囃子《砧》 一噌隆之 社中の方 白坂信行
シテ片山九郎右衛門 ツレ味方玄 河村晴道
舞囃子《山姥》 友枝雄人
一噌隆之 社中の方 白坂信行 小寺眞佐人
地謡 友枝真也 大島輝久
居囃子《三輪・白式神神楽》 松田弘之 社中の方 亀井洋佑 小寺眞佐人
シテ片山九郎右衛門 味方玄 林宗一郎
一調《玉之段》 辰巳和麿 社中の方
居囃子《卒塔婆小町》 松田弘之 社中の方 松田弘之
シテ片山九郎右衛門 ワキ河村晴道 味方玄
舞囃子《桜川》 観世喜正
一噌隆之 社中の方 亀井洋佑
河村晴道 味方玄 林宗一郎
舞囃子《歌占》 味方玄
松田弘之 社中の方 白坂信行
片山九郎右衛門 河村晴道 林宗一郎
舞囃子《弱法師》 林宗一郎
河村晴道 味方玄 観世喜正
舞囃子《砧》 櫻間金記
松田弘之 社中の方 白坂信行
本田光洋 本田布由樹
舞囃子《天鼓・盤渉》 味方玄
松田弘之 社中の方 白坂信行 小寺眞佐人
観世喜正 河村晴道 林宗一郎
舞囃子《清経》 河村晴道
松田弘之 社中の方 白坂信行
片山九郎右衛門 味方玄 観世喜正
舞囃子《融》 味方玄
松田弘之 社中の方 白坂信行 小寺眞佐人
片山九郎右衛門 観世喜正 林宗一郎
番外一調《柏崎・道行》 本田光洋 成田達志
はじめてうかがった川崎能楽堂とナリタツさんの社中会。
能楽研究者のお弟子さんも何名かいらっしゃって、皆さん素晴らしく、
聴きごたえありました。
京観世好きにはたまらないとっても幸せな一日でした。
京観世以外でも、大好きなシテ方さんたちの舞と謡を心ゆくまで堪能しました。
神遊最終公演のチケット争奪戦に参戦してから電車に飛び乗ったので途中から拝見。
九郎右衛門さんの舞囃子にギリギリ間に合ってよかった!
(大島さんの舞囃子は逃してしまった (T_T))
九郎右衛門さんはちょっと風邪気味っぽかったので心配です……。
どうか、どうかご自愛くださいませ。
九郎右衛門さんの舞囃子は一番しかなかったけれど、
地頭で謡いをたくさん拝聴できたので大満足。
土曜日の《殺生石・白頭》、楽しみにしています。
それにしても、成田さんの番組企画のセンスは素晴らしい!
片山家といえば《砧》と《三輪・白式神神楽》、喜多流といえば《井筒》と、それぞれの家や流儀が大切にしている曲を舞囃子・居囃子にするという豪華さ。
それに、最後の舞囃子では地謡に、片山家・林家・矢来観世家の当主・次期当主が並ぶという贅沢ぶり。
こういう組み合わせって、三響會以外ではなかなか拝見できない。
さらに、東京に拠点を置く観世・宝生・喜多・金春の四流派の夢の競演も、ありそうでなかなかない。
この「ありそうで、なかなかない」という取り合わせを実現しちゃうのが成田達志師の人脈と企画力。
だから、だから、TTR東京公演もぜひぜひ実現させてください!!
友枝雄人さんはたぶん、初めて拝見するけれど、舞囃子《井筒》は地謡の巧さと相まって感動的でした。
この社中会では舞囃子も居囃子も、東京の通常のものよりも長めで、それを一流の舞い手と謡い手が担うので、どれも能一番を拝見したような内容の濃さと充実感。
とくに、京観世による居囃子《三輪・白式神神楽》は、もう凄まじいほどの迫力で、
見ている側の身体が自然と反応してガクガク震えるほど。
地謡三人(片山九郎右衛門 味方玄 林宗一郎)だけなのに、
まるで謡のオーケストラを聴いているようなダイナミックな重厚感。
謡の力によって神代の壮大なドラマが時空を超えて能舞台に出現する。
その謡のパワーに圧倒され、全身が共振して、細胞のひとつひとつが躍動するような感覚。
この一番だけで、サンタさんから早めのクリスマスプレゼントをもらったような幸せな気分♪
宝生流から一人だけ参加した辰巳和麿さんの一調《玉之段》もよかった。
和麿さん、謡もうまいなー。
東京観世(そういう言葉があるのかしら?)から一人だけ参加の観世喜正さん。
巧くて、舞姿も美しく、謡いも抜群にうまい。好きなシテ方さんのひとり。
だけど、肩の力が抜けすぎて見えることが、かえって仇になっているのではないかと最近思うことがある。
技術的には申し分ない。
ただ、きれい、美しい、そつがない、という印象だけで終わってしまうのだ。
味方玄さんの舞は一年ぶりに拝見するけれど、この方、ほんとに凄いですね。
身体能力が最高級レベルなのはもちろんのこと、気の込め方と集中力が尋常でないほど並はずれている。
直面は完全に能面化していて、まばたきひとつしないし、
《歌占》舞囃子の冒頭は、かなり長い間、地謡前に下居しているのだけれど、
この時、味方さんはほとんど仏像化・無生物化していて、見事なまでに微動だにせず、
内面では膨大な量の気が充満しているのが感じられる。
この方は人気があまりにも高すぎて、こちらが引いてしまうことがあるけれど、人気の高さは実力の高さにしっかりと裏打ちされている。
認めます、納得です、別格です、凄い人です。
片山家と林家の違いがいちばん良く分かるのが、河村晴道さん。
林喜右衛門の端正で品格のある芸系を忠実に受け継いでいらっしゃる。
全体的に姿形がスラリとしているのも林一門の特徴。
林宗一郎さんでいつも思うのは、口がほとんど開いていないし、口元の筋肉も全然動いていないのように見えるのに、謡いがうまいし声量も非常にボリュームがあるということ。
完全に腹式の謡用の発声なのだろう。
最後の番外一調。
やっぱり成田達志さんの小鼓、好きだなあ。
心地良い豊かでふくよかな音色と響き。
そして、あの幸流独特の色っぽい掛け声。
とくにナリタツさんの掛け声には女性の嗚咽のような、何ともいえない哀調と情念を帯びた色気がある。
いつまでも、いつまでも、聴いていたかった……。
(以下の番組は11時半から拝見したもののみ掲載)
舞囃子《安宅》 片山九郎右衛門
一噌隆之 社中の方 亀井洋佑
地謡 観世喜正 味方玄 林宗一郎
舞囃子《井筒・段之序》 友枝雄人
松田弘之 成田達志 社中の方
地謡 友枝真也 大島輝久
居囃子《砧》 一噌隆之 社中の方 白坂信行
シテ片山九郎右衛門 ツレ味方玄 河村晴道
舞囃子《山姥》 友枝雄人
一噌隆之 社中の方 白坂信行 小寺眞佐人
地謡 友枝真也 大島輝久
居囃子《三輪・白式神神楽》 松田弘之 社中の方 亀井洋佑 小寺眞佐人
シテ片山九郎右衛門 味方玄 林宗一郎
一調《玉之段》 辰巳和麿 社中の方
居囃子《卒塔婆小町》 松田弘之 社中の方 松田弘之
シテ片山九郎右衛門 ワキ河村晴道 味方玄
舞囃子《桜川》 観世喜正
一噌隆之 社中の方 亀井洋佑
河村晴道 味方玄 林宗一郎
舞囃子《歌占》 味方玄
松田弘之 社中の方 白坂信行
片山九郎右衛門 河村晴道 林宗一郎
舞囃子《弱法師》 林宗一郎
河村晴道 味方玄 観世喜正
舞囃子《砧》 櫻間金記
松田弘之 社中の方 白坂信行
本田光洋 本田布由樹
舞囃子《天鼓・盤渉》 味方玄
松田弘之 社中の方 白坂信行 小寺眞佐人
観世喜正 河村晴道 林宗一郎
舞囃子《清経》 河村晴道
松田弘之 社中の方 白坂信行
片山九郎右衛門 味方玄 観世喜正
舞囃子《融》 味方玄
松田弘之 社中の方 白坂信行 小寺眞佐人
片山九郎右衛門 観世喜正 林宗一郎
番外一調《柏崎・道行》 本田光洋 成田達志
はじめてうかがった川崎能楽堂とナリタツさんの社中会。
能楽研究者のお弟子さんも何名かいらっしゃって、皆さん素晴らしく、
聴きごたえありました。
京観世好きにはたまらないとっても幸せな一日でした。
京観世以外でも、大好きなシテ方さんたちの舞と謡を心ゆくまで堪能しました。
神遊最終公演のチケット争奪戦に参戦してから電車に飛び乗ったので途中から拝見。
九郎右衛門さんの舞囃子にギリギリ間に合ってよかった!
(大島さんの舞囃子は逃してしまった (T_T))
九郎右衛門さんはちょっと風邪気味っぽかったので心配です……。
どうか、どうかご自愛くださいませ。
九郎右衛門さんの舞囃子は一番しかなかったけれど、
地頭で謡いをたくさん拝聴できたので大満足。
土曜日の《殺生石・白頭》、楽しみにしています。
それにしても、成田さんの番組企画のセンスは素晴らしい!
片山家といえば《砧》と《三輪・白式神神楽》、喜多流といえば《井筒》と、それぞれの家や流儀が大切にしている曲を舞囃子・居囃子にするという豪華さ。
それに、最後の舞囃子では地謡に、片山家・林家・矢来観世家の当主・次期当主が並ぶという贅沢ぶり。
こういう組み合わせって、三響會以外ではなかなか拝見できない。
さらに、東京に拠点を置く観世・宝生・喜多・金春の四流派の夢の競演も、ありそうでなかなかない。
この「ありそうで、なかなかない」という取り合わせを実現しちゃうのが成田達志師の人脈と企画力。
だから、だから、TTR東京公演もぜひぜひ実現させてください!!
友枝雄人さんはたぶん、初めて拝見するけれど、舞囃子《井筒》は地謡の巧さと相まって感動的でした。
この社中会では舞囃子も居囃子も、東京の通常のものよりも長めで、それを一流の舞い手と謡い手が担うので、どれも能一番を拝見したような内容の濃さと充実感。
とくに、京観世による居囃子《三輪・白式神神楽》は、もう凄まじいほどの迫力で、
見ている側の身体が自然と反応してガクガク震えるほど。
地謡三人(片山九郎右衛門 味方玄 林宗一郎)だけなのに、
まるで謡のオーケストラを聴いているようなダイナミックな重厚感。
謡の力によって神代の壮大なドラマが時空を超えて能舞台に出現する。
その謡のパワーに圧倒され、全身が共振して、細胞のひとつひとつが躍動するような感覚。
この一番だけで、サンタさんから早めのクリスマスプレゼントをもらったような幸せな気分♪
宝生流から一人だけ参加した辰巳和麿さんの一調《玉之段》もよかった。
和麿さん、謡もうまいなー。
東京観世(そういう言葉があるのかしら?)から一人だけ参加の観世喜正さん。
巧くて、舞姿も美しく、謡いも抜群にうまい。好きなシテ方さんのひとり。
だけど、肩の力が抜けすぎて見えることが、かえって仇になっているのではないかと最近思うことがある。
技術的には申し分ない。
ただ、きれい、美しい、そつがない、という印象だけで終わってしまうのだ。
味方玄さんの舞は一年ぶりに拝見するけれど、この方、ほんとに凄いですね。
身体能力が最高級レベルなのはもちろんのこと、気の込め方と集中力が尋常でないほど並はずれている。
直面は完全に能面化していて、まばたきひとつしないし、
《歌占》舞囃子の冒頭は、かなり長い間、地謡前に下居しているのだけれど、
この時、味方さんはほとんど仏像化・無生物化していて、見事なまでに微動だにせず、
内面では膨大な量の気が充満しているのが感じられる。
この方は人気があまりにも高すぎて、こちらが引いてしまうことがあるけれど、人気の高さは実力の高さにしっかりと裏打ちされている。
認めます、納得です、別格です、凄い人です。
片山家と林家の違いがいちばん良く分かるのが、河村晴道さん。
林喜右衛門の端正で品格のある芸系を忠実に受け継いでいらっしゃる。
全体的に姿形がスラリとしているのも林一門の特徴。
林宗一郎さんでいつも思うのは、口がほとんど開いていないし、口元の筋肉も全然動いていないのように見えるのに、謡いがうまいし声量も非常にボリュームがあるということ。
完全に腹式の謡用の発声なのだろう。
最後の番外一調。
やっぱり成田達志さんの小鼓、好きだなあ。
心地良い豊かでふくよかな音色と響き。
そして、あの幸流独特の色っぽい掛け声。
とくにナリタツさんの掛け声には女性の嗚咽のような、何ともいえない哀調と情念を帯びた色気がある。
いつまでも、いつまでも、聴いていたかった……。
2015年12月4日金曜日
国立能楽堂特別展示~一橋徳川家の能
展示期間:2015年9月25日~12月12日
期間中、展示替えが2度あり、Ⅰ期~Ⅲ期まで鑑賞したのですが、
現在展示されているⅢ期が個人的にはいちばん良かった。
(Ⅰ期のみに展示された伝・越智作の泥眼もお気に入りだったけれど。)
Ⅲ期の見所のひとつが二点の鼓胴。
《撫子蒔絵小鼓胴》(江戸期・17世紀)
黒漆地に、抽象化した撫子の平蒔絵と絵梨地(花芯部)を併用して描いた精緻な鼓胴。
請けには、螺旋状に鑿目の入った嵐カンナが施されている。
これで音響効果が高まったのだろうか。
幸家五世宗能による蒔絵銘「幸小左衛門/宗能(花押)」が入っている。
《連翹蒔絵小鼓胴》(江戸期・16~17世紀)は、
室町期の鼓胴に、江戸前期の蒔絵が加飾された鼓胴。
請けには片削カンナが施され、大蔵九郎と宮増弥左衛門の朱漆書銘入り。
中心線に傾きがあり、元は内外ともに手刳だったとのこと。
可憐なレンギョウの花と愛らしい果実の蒔絵が
風に揺らぐようにリズミカルに配された優美な名品。
こういう鼓胴を見ると、その音色をぜひとも聞いてみたくなる。
今度、展示品の鼓胴の音を聞く会、みたいなイベントが国立能楽堂であればいいのに。
連翹蒔絵小鼓胴の横には鼓袋と、鼓袋の意匠を高蒔絵にした鼓筺も展示されていた。
この鼓筺は、袋の締口が錠前につながっているという斬新なデザイン。
桃山時代の豪放な造形感覚の名残をとどめている江戸初期の作品だろうか。
《紅白段唐花模様唐織》も、Ⅲ期のみの展示。
綾形文と檜垣文を紅白段に織り出し、唐花、瑞雲、打板花入亀甲模様の刺繍を施した
豪華な唐織。
深みのあるダークグリーンと鮮やかな緑、水色、パープルの美しい対比に、
濃紺の配色がアクセントになっている。
現在までその輝きをどとめている美しい色合い。
どれほど高価な染料が使われたのだろうか。
当時の染色技術の高さもうかがえる。
伝・春若作とあるけれど、春若忠次は15世紀の面打ちなので
おそらく18世紀につくられた「写し」という意味かしら。
だとすると、大変に優れた写しでした。
勝修羅で使われることの多い「平太」だけれど、この端正な男面にはどこか憂いがあり、
人間としての奥行きが感じられます。
戦うことに倦んだような厭世的な表情――。
ほんとうはこういう名品こそ、実際の舞台で使ってほしい。
能面は、優れた能役者に使用されて初めて生気が吹きこまれるのだから。
チラシポスター下方に掲載されたⅢ期展示中の鼓胴と鼓筺の画像 |
期間中、展示替えが2度あり、Ⅰ期~Ⅲ期まで鑑賞したのですが、
現在展示されているⅢ期が個人的にはいちばん良かった。
(Ⅰ期のみに展示された伝・越智作の泥眼もお気に入りだったけれど。)
Ⅲ期の見所のひとつが二点の鼓胴。
《撫子蒔絵小鼓胴》(江戸期・17世紀)
黒漆地に、抽象化した撫子の平蒔絵と絵梨地(花芯部)を併用して描いた精緻な鼓胴。
請けには、螺旋状に鑿目の入った嵐カンナが施されている。
これで音響効果が高まったのだろうか。
幸家五世宗能による蒔絵銘「幸小左衛門/宗能(花押)」が入っている。
《連翹蒔絵小鼓胴》(江戸期・16~17世紀)は、
室町期の鼓胴に、江戸前期の蒔絵が加飾された鼓胴。
請けには片削カンナが施され、大蔵九郎と宮増弥左衛門の朱漆書銘入り。
中心線に傾きがあり、元は内外ともに手刳だったとのこと。
可憐なレンギョウの花と愛らしい果実の蒔絵が
風に揺らぐようにリズミカルに配された優美な名品。
こういう鼓胴を見ると、その音色をぜひとも聞いてみたくなる。
今度、展示品の鼓胴の音を聞く会、みたいなイベントが国立能楽堂であればいいのに。
連翹蒔絵小鼓胴の横には鼓袋と、鼓袋の意匠を高蒔絵にした鼓筺も展示されていた。
この鼓筺は、袋の締口が錠前につながっているという斬新なデザイン。
桃山時代の豪放な造形感覚の名残をとどめている江戸初期の作品だろうか。
紅白段唐花打板模様唐織(江戸期・19世紀)、チラシより |
《紅白段唐花模様唐織》も、Ⅲ期のみの展示。
綾形文と檜垣文を紅白段に織り出し、唐花、瑞雲、打板花入亀甲模様の刺繍を施した
豪華な唐織。
深みのあるダークグリーンと鮮やかな緑、水色、パープルの美しい対比に、
濃紺の配色がアクセントになっている。
現在までその輝きをどとめている美しい色合い。
どれほど高価な染料が使われたのだろうか。
当時の染色技術の高さもうかがえる。
伝・春若作《平太》江戸期・18世紀、チラシより |
伝・春若作とあるけれど、春若忠次は15世紀の面打ちなので
おそらく18世紀につくられた「写し」という意味かしら。
だとすると、大変に優れた写しでした。
勝修羅で使われることの多い「平太」だけれど、この端正な男面にはどこか憂いがあり、
人間としての奥行きが感じられます。
戦うことに倦んだような厭世的な表情――。
ほんとうはこういう名品こそ、実際の舞台で使ってほしい。
能面は、優れた能役者に使用されて初めて生気が吹きこまれるのだから。