2017年11月22日水曜日

狂言《隠狸》舞囃子《三笑》半能《石橋》~片山幽雪追善

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂
能《三輪・白式神神楽》からのつづき
狂言《隠狸》太郎冠者 野村萬 主 野村万作

仕舞《班女》   山本順之
  《江口キリ》 観世銕之丞
  《融》    梅若玄祥
  地謡 片山九郎右衛門 梅田邦久 武田邦弘 橘保向 河村博重

舞囃子《三笑》観世喜之 大槻文蔵 浅見真州  
  一噌幸弘 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七

半能《石橋》シテ 片山清愛
   ワキ 宝生欣也 アイ 野村萬斎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 前川光長
   後見 観世清和 片山九郎右衛門 片山伸吾
   地謡 大槻文蔵 観世喜正 武田邦弘 西村高夫
      味方玄 分林道治 梅田嘉宏 観世淳夫



片山幽雪師の芸については、わたしは仕舞1番と舞囃子1番を拝見しただけですが、その最晩年にかろうじて立ち会えたのは幸いでした。

本公演のプログラムに綴られた、「我が家の風は、『死ぬまで舞台に立ちたい』父の無言の叫びだと思います」という九郎右衛門さんの言葉が、そのまま九郎右衛門さんの舞台生活につながっているように感じます。

それを殊更強く感じたのが、昨年の「延岡天下一薪能」での《道成寺》。
それでなくても危険な鐘入り(しかも、野外のクレーンから吊るした鐘)を、滑りやすい雨のなか、大切な面・装束を濡らして勤められたことを知り、ひとつの舞台にかける九郎右衛門さんの熱意と覚悟に思いを馳せたものでした。
だからこそ、九郎右衛門さんの舞台には、人を感動させる力があるのかもしれません。




狂言《隠狸》
文句なしに面白い!
このお二人の共演は、わたしは初めて拝見したのですが、「狂言のことはよくわからない」という人でも、間違いなく楽しめると思う。
名人同士の呼吸の合わせ方、間合いの感覚って、絶妙だなー。
サラリとした軽み、掛け合いの妙味、芸の闊達さ。
拝見できたことに感謝。
それにしても、タヌキのぬいぐるみ(?)が可愛すぎる!



仕舞《江口キリ》
滋味掬すべき銕之丞師の《江口 キリ》。
思いの深さとか、情の篤さのようなものがにじみ出ている。

追善の舞とは、こういうものをいうのでしょう。
舞い手自身の、人間的な深みを感じさせる。
銕之丞さんの舞台をもっと拝見したいと思った。



 
舞囃子《三笑》
なんとも、すごいメンバー。
舞は三者三様。
観世喜之さんはシテなので、「俺についてこい」的な自由奔放さ。
浅見真州さんは他のお二人に合わせつつ全体のバランスを図っている感じ。
大槻文蔵さんはシテ・ツレに合わせつつも、ご自身の舞の美しさ・完成度の高さのほうを重視して、多少バラバラでも気にしない、という印象。

こちらの目は、おのずと文蔵師に惹きつけられる。
ほかの御二方と比べると、文蔵師は比較的腰高。それでいて、重心はしっかりと安定していて、体軸がスーッと伸び、とにかく端正。
美意識の高さが舞にあらわれている。



半能《石橋》
囃子陣が大御所ぞろい。
忠雄さんが、めちゃくちゃ、かっこいい!
そして、掛け声も若い!
忠雄師が若いころに録音した「獅子」のCDを持っているのですが、あの時とほとんど変わっていない。
今に至るまで、ずーっと大鼓トップを走り続け、他の追随を許さない。
ほんと、凄い人です。
ほかの方々も、三役すべて一流どころで固めた《石橋》。

シテの清愛さんは面はつけず、《望月》のシテのような赤頭に緋縮緬の覆面姿。
とても身軽で、飛び返りや飛び安座の到達点が高い!
それにしても、まだ中学生で国立能楽堂という檜舞台に立ち、シテとして舞台を勤めるのだから凄いなあ。
たぶん、二十歳前後で道成寺を披かれるのでしょう。
ほんとうに厳しい世界。


「獅子団乱旋の~」の前に、シテが正中で飛び返りをして、大小前で両手をついて俯せになった時、後見の九郎右衛門さんが大小鼓のあいだから出てきて、清愛さんの赤頭を整えたですが、

これを見て、わが家宝DVDの「第11回日本伝統文化振興財団賞・片山清司」に収録された《石橋》で、同じように、幽雪さん(当時九世九郎右衛門)が大小鼓のあいだから出てきて、九郎右衛門さん(当時・清司)の赤頭を直している姿を思い出しました。

不思議なことに、幽雪さんが整えた赤頭は、その後どんなに激しい動きをしても、まったく乱れなかったのです!
親から子、師から弟子へ、強い「念」が送られているのですね、きっと。

こうやって芸が受け継がれていくんだなあと、胸にじーんと来るものがありました。







2017年11月21日火曜日

片山九郎右衛門の《三輪・白式神神楽》後場~片山幽雪追善

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂
《三輪・白式神神楽》前場・片山幽雪三回忌追善能からのつづき
白式神神楽でも、この長い橋掛かりが効果的に使われた

能《三輪・白式神神楽》シテ 片山九郎右衛門
   ワキ 宝生欣也 
   アイ 野村万蔵
   杉市和 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
   後見 浅見真州 青木道喜 味方玄
   地謡 梅若玄祥 観世銕之丞 観世喜正 山崎正道
      片山伸吾 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫


拝見するたびに、スケールが大きくなっていく十世片山九郎右衛門。
(そして怖ろしいほど多忙さも増していく。すこし心配なのです。)



【後場】
〈後シテの登場〉
なほも不審に思し召さば、訪ひ来ませ、杉立てる門をしるしにて━━。

女神の三輪明神が、男神の住吉明神に贈ったとされる歌「恋しくは訪ひきませ千早振三輪の山もと杉立てる門」にもとづくこの言葉には、禅竹らしい色めいた魅力が含まれている。

里人の勧めに後押しされるように、玄賓僧都が杉の神木を訪れると、木陰から女神が姿を現す。

「神体あらたに見え給ふ」で、引廻しが下ろされ、後シテがまばゆい姿で出現する。
純白の狩衣を衣紋に着け、白大口、髪は鬘帯の着けないオスベラカシ。
大きな榊を、右手に立てて持っている。



〈クセ・三輪神婚譚〉
三輪神婚譚が語られるクセは、舞グセではなく、作り物に入ったままの居グセ。
玄祥師・地頭、銕之丞師・副地頭、両脇に喜正さん・山崎正道さん、前列には淳夫さん+片山門下の面々という最強の地謡が、神話の世界に描かれた、女の疑念・不信、歎き、衝撃、執着など、今日まで続く女の不幸の根元を謡いあげる。

神婚譚を語る形で静かに佇むシテの全身から、おごそかな光が放射されているよう。シテのまわりが、明かりが灯ったようにぼうっと明るくなっている。

「帰るところを知らんとて」で、シテは立ち上がって作り物から出、「まだ青柳の糸長く」で、左袖に右袖を重ねるように巻き上げる。



〈イロエ〉
シテ「八百万の神遊」、地「これぞ神楽の初めなる」、
シテ「ちはやぶる」で、常座に立って榊を振り、
そこから大小前へ至り、クルクルと回りながら正先で下居。
榊を押しいただき、左右左と振る。端から勢いよく振り、中央でいったん止めて、もう一方の端へやさしく振りきる。そこから立ち上がって榊を振りながら、立廻り。

場が清められ、こちらの罪や穢れも浄化されていく気分になる。

光を放つ、このうえなく清らかな女神。物腰もうっとりするほどエレガントで、幅広の大口との対比で、足首がほっそりとして淑やかに見える。



〈神楽〉
シテは「天岩戸を引き立てて」で、常座に戻り、
地「神は跡なく入り給へば」と、両袖を被いて身をかがめ、
地「常闇の世と早なりぬ」で、かがんだままの姿勢で廻り、
シテ「八百万の神たち」で、下居して両袖を下ろすと、
立ち上がって、

岩戸の前にてこれを歎き━━

「歎き」の語尾は、神々の慟哭をあらわすように、かすれ、尾を引く。

あたりは、漆黒の闇。
光のない世界。

神楽の序は、擦拍子。
打楽器の掛け声はなく、大小太鼓が一粒ずつ打ち、
シテは、暗闇をさぐるように、静かな足拍子を踏む。

杉市和さんの笛の音が木霊する暗闇のなか、
シテの姿だけが白く発光しながら、
こちらに迫ってくる。

ハッと息を呑んだまま呼吸が止まりそうなほど、崇高な感覚に襲われた。
宗教感覚というのは、こういうものかもしれない。
なぜか、身体がふるえて、ふるえながらシテの舞を観ていた。

女神の舞なのか、女神に捧げる舞なのか、そういう区別もなくなり、
男女の性も揺らいで、
シテはこの瞬間、この世で最も美しく、崇高な存在だった。


地直リで、榊から扇に持ち替えたシテは橋掛りに進み、
三の松で、風に揺蕩うようにくるくるとまわったのち、
間を置いて、ゆっくりと左袖を被き、
さらに間を置いて、右手の扇で顔を隠して翁の型。
(九郎右衛門さんのこの「間」! わたしの愛する美しい間の取り方!)


そこから少し後ずさりするように、身を引いたあと、
視界がほとんど効かないなか、大小太鼓のナガシで、
サーッと暁光が射すように、長い橋掛りを駆け抜け、
舞台に至り、さらに作り物に入って下居。




〈終曲〉
「岩戸を少し開き給へば」で、雲ノ扇。
作り物から出て、見所を八百万の神々に見立ててて、
「人の面白々と見ゆる」で、左右を見まわし、
「面白や」と、ユウケン。


シテは一の松で左袖を巻き上げたまま、
「関の戸の世も明け」で、東の空を見上げたのち、
そのまま揚幕の向こうへと消えていった。


覚むるや名残なるらん

玄賓僧都は脇座前で下居して合掌。


シテの居た場所には、光の残影がまだ漂っていた……。





《隠狸》《三笑》《石橋》へつづく




2017年11月20日月曜日

《三輪・白式神神楽》前場~片山幽雪三回忌追善能

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂
能《海士・二段返・解脱之伝》・舞囃子《頼政》からのつづき
帰りは、とっぷり日も暮れて

能《三輪・白式神神楽》シテ 片山九郎右衛門
   ワキ 宝生欣也 
   アイ 野村万蔵
   杉市和 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
   後見 浅見真州 青木道喜 味方玄
   地謡 梅若玄祥 観世銕之丞 観世喜正 山崎正道
      片山伸吾 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫



凄いものを観てしまった。
ずーっと観たかった九郎右衛門さんの白式神神楽は、予想をはるかに超えていた。ヴァーグナーの神話劇のような壮大な世界が目の前で展開して、圧倒されるような迫力、ドラマ性に、文字通り身体がふるえた。

能の醍醐味を余すところなく詰め込んだ巧みな演出と、それを十分に生かした選び抜かれた演者たち。この舞台を拝見できて、ほんとうによかった!!


【前場】
〈ワキの登場〉
笛の調べに誘われるように、ワキの玄賓僧都があらわれる。
杉市和さんが奏でる笛の音と、欣哉さんの姿・ハコビが、うら寂しい秋の大和路、三輪山の麓の枯れた景色、冷たく澄んだ空気の質感を映し出す。

『発心集』などを読むと、玄賓僧都は高貴な人妻に恋をしたことがあり、不浄観によって煩悩を克服したという。
玄賓といえば、遁世僧のイメージが強いが、その厭世的な枯淡の風情の奥底に、ほのかな色ツヤ、かすかな余焔が感じられる。欣哉さんの演じる玄賓像にはそんな雰囲気が漂う。



〈シテの登場〉
この次第の囃子もよかった。
広忠さんの抒情的な掛け声。この日は、濁りのない響き。囃子後見には源次郎さん、忠雄さんなど、そうそうたる顔ぶれ。

シテの繊細なハコビが、道なき道をはるばる訪ねてきた女のほそい足を印象づける。
出立は一見シックでも、よく見ると精緻な文様が施された紅無唐織。手には桶。面は、目鼻立ちのはっきりした艶麗な深井。


シテは一の松で立ち止まり、秋の山路を見渡すようにしばし見所を見入ったのち、後ろを向いて、「三輪の山もと道もなし、檜原の奥を訪ねん」と謡いだす。

ここの次第は三遍返し。地取りを受けてのシテの返しは、高音に張った調子で、山道を分け入る感じが強調される。
この時、シテはずっと後ろを向いたまま。

九郎右衛門さんの後姿が美しい。
唐織着流は難しく、名手でも高齢の人は背中が丸まっているし、比較的若い人は隙があって、鑑賞に堪える後姿の人はそう多くはない。

九郎右衛門さんの唐織着流の後姿は、中年の女性が歩んできた人生の翳りのようなものをまとっていて、それがこの女性のどこか後ろめたい罪の意識と、そこから生まれる奥ゆかしさにつながっていた。


(次第の「檜原の奥」にある檜原神社は、元伊勢とも呼ばれており、ここが地理的にも、終曲部で謡われる「伊勢と三輪の神」とが重なり合う土地であることが伏線的に示されている。)



〈庵室へ→シテとワキのやり取り→中入〉
玄賓の庵にたどり着いたシテは、僧との掛け合いののち、左手で「柴の網戸を押し開」く所作をして庵のなかへ入り、「罪を助けてたび給へ」と、手を合わせて懇願する。

ここのところは、イエスの足もとに跪き、香油を塗ったマグダラのマリアを思わせる。なにか、罪深い女の原型のようなもの、そして、それを赦す聖者のイメージと、両者の心の交流の物語が、洋の東西を問わず存在したのかもしれない。
(この場合、樒・閼伽の水が「香油」にあたる 。)


所望した衣を、玄賓から受け取るシテの姿がとても印象的だった。
まるで恋い焦がれた憧れの人から、大切なものを受け取る可憐な少女のよう。はにかむように、悦びを噛み締めるように、左腕に衣を愛おしく抱きしめる。

そして、僧と女は、心を込めてじっとたがいを見つめ合う。

何かが、たしかに、二人のあいだに流れている。
敬慕する側と、敬慕される側。
思いを受け取り、思いを与え合う、そのことがこちらにも伝わってくる。

九郎右衛門さんと欣哉さんならではの、心に残るシーン。
シテからワキへ、演者から観客へ。心より心に伝ふるもの……。





《三輪・白式神神楽》後場につづく







2017年11月19日日曜日

片山幽雪三回忌追善能《海士・二段返・解脱之伝》舞囃子《頼政》

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂

能楽堂前の銀杏並木
連吟《賀茂》
 梅田嘉宏 橋本忠樹 分林道治 味方玄 河村博重 古橋正邦
 青木道喜 武田邦弘 小林慶三 梅田邦久 橘保向 橋本礒道

仕舞《通盛》   観世芳伸
  《松虫キリ》 片山伸吾
  《野宮》   武田志房
  《蝉丸》   山階彌右衛門
  《天鼓》   観世喜正
  《船辨慶キリ》観世淳夫
  地謡 小林慶三 武田邦弘 橋本礒道 青木道喜 梅田嘉宏

能《海士・二段返・解脱之伝》シテ 観世清和
  子方 谷本悠太朗 ワキ 殿田謙吉 御厨誠吾
  アイ 野村万之丞
  藤田六郎兵衛 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯→小寺佐七
  後見 大槻文蔵 山階彌右衛門 坂口貴信
  地謡 観世銕之丞 浅井文義 観世芳伸 清水寛二
     柴田稔 馬野正木 長山桂三 谷本健吾

舞囃子《頼政》シテ 友枝昭世
  藤田六郎兵衛 成田達志 柿原崇志
  香川靖嗣 塩津哲生 粟谷能夫 友枝雄人 狩野了一

能《三輪・白式神神楽》シテ 片山九郎右衛門
   ワキ 宝生欣也 アイ 野村万蔵
   杉市和 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
   後見 浅見真州 青木道喜 味方玄
   梅若玄祥 観世銕之丞 観世喜正 山崎正道
   片山伸吾 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫

狂言《隠狸》太郎冠者 野村萬 主 野村万作

仕舞《班女》   山本順之
  《江口キリ》 観世銕之丞
  《融》    梅若玄祥
  地謡 片山九郎右衛門 梅田邦久 武田邦弘 橘保向 河村博重

舞囃子《三笑》観世喜之 大槻文蔵 浅見真州  
  一噌幸弘 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七

半能《石橋》シテ 片山清愛
   ワキ 宝生欣也 アイ 野村萬斎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 前川光長
   後見 観世清和 片山九郎右衛門 片山伸吾
   地謡 大槻文蔵 観世喜正 武田邦弘 西村高夫
      味方玄 分林道治 梅田嘉宏 観世淳夫


今振り返っても思うのですが、何年かあとにこの日のことを、夢のように幸せだったと、思い返すような気がします。
今をときめく超一流の方々が一堂に会した、ほんとうに夢のように豪華絢爛で、密度の濃い、充実すぎるほど充実した公演!

見所は着物率が高く、井上八千代さん・安寿子さんもロビーでご挨拶をされていて、追善公演だけど華やか。京都から来られた方も多かったようです。


長丁場の割には休憩時間が少ないため、序盤は途中で休憩を入れ、観世喜正さんと淳夫さんの仕舞には間に合うように戻ってきたのですが、「仕舞が終わるまで席に戻らないでください」とスタッフの人に言われ、残念ながら拝見できず。
そんなわけで、感想は能《海士》から。


能《海士・二段返・解脱之伝》
願いが叶うなら、あの方の太鼓で二段返を聴きたかった……。

「解脱之伝」は、2年前の能楽座自主公演で、銕之丞・九郎右衛門の義兄弟共演(前シテ/後シテ)で観たことがある。
前シテ・銕之丞さんが表した純朴な海女のもつ母性のたくましさと、後シテ・九郎右衛門さんが舞った、菩薩となった海女の光り輝く荘厳さ━━どちらも素晴らしく、忘れがたい舞台だった。

清和宗家の《海士・解脱之伝》は、それとはまた趣きが異なる。

〈前場〉
前シテは、水衣は着用せず、
小菊や芝草などを横段にあしらったグリーンの唐織着流(脱下ゲ)。
ウィリアム・モリス調の垢抜けた洋風な色柄で、もしかすると、何年か前に拝見した《芭蕉》の時の唐織なのかも。
面は深井なのだけど、増かと思うくらい、若くて美形の顔立ちをしている。

全体的になにか、こう、高位の品格のある女性のような洗練された雰囲気。
生前、肉体労働をしていた庶民(海女)の亡霊のイメージからはかけ離れている気もするが、きっと、ヴィジュアルを重視されたのだろう。

玉之段はさすがだった。
橋掛りを効果的に用い、手に汗握るような逃亡劇を高い技術力で表現(まさに「玉之段」のお手本)。
それを、銕仙会メインの地謡と最高の囃子陣がさらに盛り上げ、見応え・聴き応え満点だった。


〈後場〉
出端・二段返は、出端越しの後に二段返の手を打つため三段構成となり、厳粛で、重々しい。
途中で半幕があがり、後シテが姿を見せる。
半幕の状態がかなり長く、解脱して菩薩になった海女が、法華経による弔いにしばし聞き入る風情。

後シテの出立は、「解脱之伝」の小書により龍女ではなく、菩薩になったことをあらわすため、菊唐草の紅地舞衣に、金箔で立涌模様を施した白紋大口。
頭には白蓮の天冠を戴き、面は泣増。
左手に経巻をもって現れる。

舞は、これも「解脱之伝」の小書により、早舞がイロエとなり、荘重な囃子で舞いあげる。

地謡・囃子の素晴らしさとともに、子方さんもよかった。
谷本悠太朗さんは、以前拝見した《船弁慶》の義経役でも思ったけれど、立ち居や姿に高貴な役柄にふさわしい品がある。
将来有望な方なので、御兄弟ともども、このまま能楽の道に進んでくれるといいな。



休憩をはさんで、
舞囃子《頼政》
休憩時間が短かったせいか、まだ席に戻ってこられない人が多く、空席が目立つなか舞囃子が始まった。
そして驚いたことに、わたしの席の、通路を隔てた斜め前の女性が、こともあろうに友枝昭世師の《頼政》を見ながら、ずっとお菓子を食べていた!!


気を取り直して舞台に集中。

床几に掛けての仕方話もいいけれど、
やはり立ち上がって、左腰に差したもう一本の扇を、刀のようにサッと抜くあたりからが、昭世さんの真骨頂。

「切っ先を揃えて」で、開いた扇を盾のように左手にもち、
「ここを最期と戦うたり」で、右手に持った扇を刀に見立てて振り落とす。
百戦錬磨の武将のような隙のない身のこなし。

「芝の上に扇を打ち敷き」で、開いた扇を床に落とし、
「鎧脱ぎ捨て座を組みて」で、安座し、扇を取りあげて閉じ、
「刀を抜きながら」と、刀に見立てた右手の扇に目をやり、

埋木の花咲くこともなかりしに、身のなるはてはあはれなりけり

最期を覚悟した老武者の、埋木に咲く一輪の花のような艶のある謡。

「埋もれ木」とは言いながら、やりたいこと、やるべきことは、すべてやり尽くしたという燃焼感。
「あはれなりけり」と言いながら、もう充分生きた、生ききった、という潔さ。
サムライのダンディズムが、シテの全身から立ちのぼる。

最後は「扇の芝の草の陰に帰るとて失せにけり」で、枕ノ扇。

チャンドラーの小説を思わせる、どこかハードボイルドなカッコよさのある《頼政》だった。





《三輪・白式神神楽》前場につづく



2017年11月13日月曜日

《鐘巻》黒川能~国立能楽堂特別企画公演

2017年11月11日(土)13時~17時 国立能楽堂
黒川能《木曽願書》《こんかい》からのつづき

能《木曽願書》上座
  
狂言《こんかい(釣狐)》上座

能《鐘巻》下座


休憩をはさんで、いよいよ、下座による《鐘巻》上演です。

前述のように下座の《鐘巻》も、上座の《木曽願書》と同様、明治中期に復曲されたもの。
上下両座の良い意味での競争が、復曲熱に拍車をかけたのですね。


【道成寺との違い】
能《道成寺》との大きな違いは、現行《道成寺》でカットされた部分が、下座の《鐘巻》には残されているということ。
大まかにいうと、現行《道成寺》にはない以下の部分が、黒川の《鐘巻》には残っています(以下は個人的メモ)。

(1)ワキの名ノリのあとの、ワキ・ワキツレのサシと上ゲ歌の部分。
「そもそもこの道成寺と申すは、造立去って七百歳」から「月はほどなく入りがたの……貴賤群衆は遍しや」まで。

(2)シテ白拍子とワキ住僧のやり取りの部分。
ワキ「埒より内に押して入らんと申す女はいづくに候ぞ」から、地「この金は洞庭の撞きたらばこそ聞こえめ」まで。

(3)髪長姫伝説をベースにした道成寺縁起のクリ・サシ・クセの部分。
地「それ祇園精舎の鐘の声は諸行無常の響きたり」から、地「(髪長姫が)雲居に召されける、その勅使をば橘の」まで。
(これが現行《道成寺》では、乱拍子のあと、ワカ「道成の卿承り……道成寺とは名づけたり」と、いきなり道成卿の名が出てくるので、なんのこっちゃ分からない、前後関係が不明な感じになっています。)

(4)終曲部の終わり方。
現行《道成寺》では、後シテ蛇体は「日高の川浪深遠に飛んでぞ入りにける」となり、調伏した僧たちは「わが本坊にぞ帰りける」となっているのに対し、
黒川能《鐘巻》では、「またこの鐘をつくづくと返り見、執心は消えてぞ失せにける」となっている。


そのほか、細かいところでいうと、黒川の《鐘巻》では、五流の《道成寺》のように、鐘を竹棒にかけて担いでくることはなく、横倒しにした鐘を能力たちがじかに持って舞台に運んできます。

鐘も、黒川《鐘巻》のものは、比較的小ぶりで、軽そうでした。
(この小さな空間で、鐘を全く揺らさずに、物着をするのは至難の業だと思いますが、それをシテは見事になさっていました。)

また、アイの能力たちが、橋掛りではなく、脇正でゴロンと転がって寝込んだり、ワキ・ワキツレの僧たちも、能力と同様に寝入ったりするのも、御愛嬌 (=^^=)

間狂言も五流の《道成寺》とは違っていて、能力たちの会話は、
ほら、ナントカ拍子を寺に入れてしまったから……、紫(ムラサキ)拍子? ちゃうちゃう、白拍子やんっ! という、こんな関西弁じゃなかったけれど、これを東北弁にしたようなノリ♪

こういうところも、式楽化していない黒川能の、素朴な持ち味でした。


【前場】
黒川能では、五流に並ぶほど素晴らしい面・装束が使われています。
この《鐘巻》でも、そう。
前シテは、鱗文様の擦箔着付に、黒地縫箔腰巻。
壺折にしたクリーム色の唐織も良い具合に古色を帯びて美しい。

面は、内省的で悲しげな表情の曲見。
深みのある良い顔。名品です。

この優れた女面を、シテはじつに巧く使いこなされていて、
面遣いによって愁いのある翳りが生まれ、怨みの奥底に潜む、「こんなはずじゃなかった」という白拍子の後悔、愛する人に愛されたかった、ただ、それだけなのに、なぜ、こんなことになってしまったのか、という自責の念や悲しみが浮き上がってきます。

黒川独特の謡と囃子が、土俗的な妖しい雰囲気を引き立て、《鐘巻》に描かれた人間心理のドロドロとした陰湿さ、手に負えなさ、悲劇性(そして後場では、蛇のヌメヌメした執念深さ)を醸し出していました。

乱拍子では、巧みな足遣いで蛇の鎌首の動きや執念深さがあらわされ、烏帽子の払い落しも鮮やか。
鐘入りも、小刻みの足拍子の後、ワン、ツー、スリーのジャンプで吸い込まれるように鐘の中に入り、鐘の落すタイミングも見事でした!




【後場】
鐘が上がると、蛇体は両手をついて俯けに伏せた状態で姿を現します。
後シテの扮装は、赤頭ではなく、黒頭。
般若の面は、凄みのある形相ですが、その奥から悲痛な叫びが聞こえてきそう。
恋しすぎて狂乱した女の哀しい姿かもしれません。

体に巻いた衣を落とす鱗落しは、橋掛りではなく、後見座の前。

柱巻は蛇の執念深さというよりも、追い詰められた感じ。

実のところ、後シテには前場のような勢いがなく、動作がやや緩慢で、もしかすると、鐘入りの際に怪我をされたのかと少し心配に。
よくわからないけれど、もともとそういうものなのかな?

最後は僧たちに祈り伏せられ、「執心は消えてぞ失せにけり」と、揚幕の奥に消えていきますが、その前に蛇体の女は、「また、この鐘をつくづくと返り見」と、一の松で立ち止まり、振り返って鐘を見ます。
その時のシテの姿が、とても印象的でした。


《木曽願書》《こんかい》《鐘巻》、いずれも民俗芸能としてとても良い舞台でした。
ほんとうに、拝見できてよかった!






黒川能《木曽願書》《こんかい》~国立能楽堂特別企画公演

2017年11月11日(土)13時~17時 国立能楽堂

橋掛りの壁に掛けられた、春日神社の社紋「六つ目結の紋」
これは、12~16世紀に領主として黒川能を庇護した武藤氏の家紋でもある

能《木曽願書》上座
  
狂言《こんかい(釣狐)》上座

能《鐘巻》下座



先月の椎葉神楽、四天王寺舞楽の国立能楽堂公演に続き、今回は黒川能。
東京に居ながらにして楽しめるのが嬉しい。

今回上演された《木曽願書》と《鐘巻》は、それぞれ上座と下座によって明治中期に復曲されたもの。
幕末までは藩主・酒井氏の庇護のもとで発展してきた黒川能が、維新の混乱ののち、上下両座が競って実演曲を開拓。五流では廃曲になったものも、次々とレパートリーに加えられたという。
(これって、凄いことだと思う!)

権力者の庇護もなく、観光や町おこしのためでもなく、ただ黒川能と王祇祭への純粋な情熱に突き動かされ、集落の結束力・組織力に支えられて展開してきたというところに、黒川の人々の並ならぬパワーと努力を感じる。

さらに、演能の最初と最後に、一同が両手をついて深々と総礼をするのも、黒川能の特徴だ。
ちょうど《翁》でシテが正先で神々に向かって恭しく一礼するような、美しく敬虔なお辞儀で、「ああ、これは神事なんだ!」と素直に納得させる。
神の存在、神への畏敬の念のようなものが随所に感じられるのも、黒川能の魅力だった。


ふだん五流の能を観ている者の目には、黒川能は何かとても、前衛的でアヴァンギャルドに映った。
とにかく、ぶっ飛んでいたのだ!


能《木曽願書》上座
木曽義仲の倶利伽羅落の説話を舞台化したものだが、江戸中期に大幅に改作された観世流の《木曽》では、シテが太夫坊覚明なのにたいし、黒川能の《木曽願書》では義仲がシテとなる。
三読物のひとつとされる木曽願書を読み上げるのも、観世流では覚明だが、黒川能では義仲が勤める。

また、黒川能では酒宴のシーンと男舞がカットされ、代わりに源平戦闘場面(斬組)が残されている。

と、いうところまではあらかじめ知っていたのですが、後場の思わぬ展開にビックリ!!

【前場】
まず、笛片を先頭に、囃子方4人→地謡4人が揚幕から登場します(切戸口は後見のみが使用)。
地謡が脇座のところまで舞台前方にずれ、代わりに笛方が、通常の笛座ではなく、地謡前列右端の位置に着座します。

ん? 囃子方が4人?

直面物の現在能なのに、なぜ、太鼓が入るのだろう?
と、思ったら、これは後場への伏線でした。

一声(?)らしき囃子で、シテとツレの立衆が登場。
どこか森田流の寺井政数を思わせる、魔的な短調系の笛が味わい深い。

大小鼓の掛け合いも独特で、アイヤアーハー×3、ア、イヤイヤ、アーハー、ハイヤーアーハー、のような感じ。
時折、「ハッホンヨー」的な掛け声もあるが、聞きなれたものとはずいぶん違っていて地方色が強い。
地頭が前列端に座るのも、黒川流。

謡は、東北地方独特の方言なまりが混じり、なにかの呪文のような響き。
一音一音のあとに、「ナビキ」という、音の末尾の高さを変えたり、上下に震わせたりする謡い方をするのが、黒川の特徴とされている。

登場したシテ・ツレは、黒川能独特のカマエのまま、橋掛りを進んでくる。
両手の人差し指をまっすぐに伸ばし、両腕をかなり開いた状態に保つのが、黒川の基本のカマエ。
このカマエの形が、上掲写真の「六つ目結の紋」の形に似ていて、興味深い。


前場は、シテが義仲になって木曽願書を読み上げる以外は、観世流の《木曽》とだいたい同じ。
前述のように、黒川流の謡で読み上げられた願書には、祝詞のような呪術性があり、今にして思えば、それが後シテの登場へとつながっていた!


【後場】
早笛っぽい囃子で、ツレの立衆が登場。

カケリ風の囃子のなか、立衆たちが倶利伽羅峠での戦いを斬組(源氏は白鉢巻、平家は赤鉢巻)で再現していたかと思うと、
囃子が変わって揚幕が上がり、

なんと、
羽生八幡の神霊(後シテ)登場!!

ええっ! 
《木曽願書》って、現在物じゃなかったの!?

予期せぬ展開に驚きつつ、息を呑んで観ていると、
怪士系の面をつけ、男神の出立に身を包んだ後シテが、手にした弓にいきなり矢をつがえ、平家軍めがけて発射!

これには平家軍もひとたまりもなく、義仲軍は大勝を収めたのでした!
(たしかに神霊が出現したほうが、木曽願書の効力が視覚化されて分かりやすい。なるほどー。)


狂言《こんかい》上座
《釣狐》の別名だそうですが、黒川能では秘曲扱いではなく、「こんかい」には「後悔」の意味が重ねられているといいます。

《釣狐》では、後シテはキツネの着ぐるみを体全体に着るのに対し、黒川では、狐の面をかけ、毛皮のようなものを背中に被るのみ。

またキツネの罠も、《釣狐》は、木枠でつくった簡素なものに黒いネズミっぽい餌が載っている形ですが、黒川の罠には、尻尾のついた黒いネズミの餌が吊り下げられ、それを覆う熊笹のような草木が付けられていて、本物っぽい。
おそらく、実際に罠を仕掛けていた村人たちの実体験に基づく形状なのでしょう。

大習や極重習という大曲扱いではないものの、黒川の《こんかい》でも、シテのいかにもキツネらしい、獣性を帯びたリアルな所作に見応えがあります。
重々しくなく、もったいぶらないところも、黒川能の魅力です。

最後は、《釣狐》のようにキツネが罠を外して逃げるのではなく、罠にかかったままで終わってしまいます。
(キツネさんの運命や如何に!?)

こういうところも、自然とじかに対峙してきた黒川の里ならではの展開なのかもしれません。



黒川能《鐘巻》につづく






2017年11月6日月曜日

人でなしの恋 ~友枝昭世の《松風》

2017年11月5日(日)13時~17時  国立能楽堂
友枝会《松風》からのつづき

《松風》シテ 友枝昭世
   ツレ狩野了一 ワキ宝生欣哉 アイ野村万蔵
   杉市和 曽和正博 國川純
   後見 内田安信 中村邦生
   地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 出雲康雅
      佐藤陽 内田成信 大島輝久 谷友矩


前記事でざっと感想を述べたのですが、心に刻んでおきたいので、とくに印象に残った部分を記しておこうと思います。

【ワキの旅僧の登場】
欣哉さんの旅僧は、さまざまな過去を想像させる漂泊の僧。
二人の姉妹の松の墓標に向かう姿にも、真摯で深い、憐みの心が感じられる。
欣哉さんの持ち味のひとつが、この外見上の、共感力の高さだ。



【松風村雨の登場→潮汲み】
登場楽は真ノ一声(簡略形?)。
杉市和さんの笛の音から、妖しく澄んだ月の光と、真珠のようにキラキラ輝く白い砂浜の映像が浮かび上がり、夜の浜辺に美しい姉妹が姿を現す。

舞台に入ったシテ・ツレは、同吟・掛け合いを経て、潮汲みの場面へ。

「寄せては返るかたをなみ(片男波)」で、「寄せる波」と「返る波」をあらわすべく、正中にいたシテが、角に置かれた汐汲車に近づくのと入れ替えに、脇正にいたツレが、常座までタラタラと下がる。

さらにシテは面を遣って、「芦辺の田鶴こそは立ち騒げ」と、水際にいた鶴たちが一斉にはばたくのを目で追い、「四方の嵐も音添えて」で、強風に耳を澄ますように辺りをゆっくりと見渡す。

須磨の浦の美しい光景を、シテの所作と囃子で次々と描写していくのも、この曲の見どころ。
詞章と演者の動き・地謡が呼応し、観客の五感を心地よく刺激する。


汐汲車の前で下居したシテは、「さのみなど海士人の憂き秋のみを過ごすらん」で、せつない思い出を汲み上げるように、開いた扇で舞台外から汐を汲む所作をする。
一度目はたっぷりと、二度目は控えめに。


「見れば月こそ桶にあれ」と、姉妹は月の影が映る桶をのぞきこむ。
「月は一つ」、「影は」「二つ」━━。
月は、一人の乙女の象徴。
影は、一人の乙女が感情(松風)と理性(村雨)に分離した、二つの人格の象徴だと思う。
恋をすると誰しも、感情と理性のはざまで揺れ動く。
その様子を演劇化したのが《松風》であり、だからこそ、その揺れ動き、自制の効かなくなった狂乱に、観客も自分の過去or現在の恋心を重ね合わせてしまうのかもしれない。



【クセ】
クセ地の前あたりから、喜多流の地謡が色艶を増していく。

床几に掛かったシテは、行平の形見の衣を左手に持ち、
「形見こそ今は仇なれ」と、衣を脇へ遠ざけつつも、
「これなくは、忘るる隙もありなと」と、やはり形見を引き寄せて、いとおしげに見入る。

さらに床几から立ち上がり、
「捨てても置かれず」で、衣を振り捨てるような所作をしたのち、
「取れば面影に立ちまさり」と、掻き立てられるように形見を抱きつつ、
「涙に伏し沈む事ぞ悲しき」で、衣を熱く抱擁しながら、小さく回って、松のほうへ近づいていく。

シテの腕のなかの烏帽子と狩衣が、まるで実体のある人形のように見え、
しっとりと、思い込めた抱擁は、江戸川乱歩の『人でなしの恋』を連想させる。

長持ちのなかの美しい京人形に、命懸けの恋をした男の話だ。

シテが狂おしく抱きしめた行平の人形には、過去の恋の亡霊が憑依し、その人形はやがて若き日の松風の姿と重なって、シテは行平とともに、恋に身を焦がした自分自身をも抱きしめているように見える。

乱歩の耽美的で倒錯的な世界とも通じる、官能的なシーンだった。



【物着→シテ・ツレ掛け合い】
正中で水衣を脱ぎ、紫長絹に烏帽子を身につけたシテは、ハッと気づいたように松を見上げ、「あら嬉しやあの松蔭に行平の御立ちあるが……」と狂喜して、立ち上がる。
ここは割と(ちょっと大げさすぎるくらい)、はっきりとした面遣い。

ここから「立ち別れ~」で、シテ・ツレがシオリつつ交差し、ツレは笛座へ、シテは橋掛りに向かう見せ場となるが、この日は比較的あっさりめで、シテは幕際までは行かずに、二の松でUターンして舞台に戻り、中ノ舞に入っていく。



【中ノ舞→破ノ舞→終曲】
中ノ舞は、甘い陶酔に身を任せつつ、過ぎ去った恋を哀悼するような追想の舞。
シテは二段オロシで右袖を巻き上げ、じいっと松を見つめる。

舞を得たシテは、「磯馴松の」で袖を巻き上げて松に駆け寄り、
「なつかしや~」で後ろに下がって左袖を巻き上げたままシオリ返し。

さらに破ノ舞に入り、脇座前で袖を被き、そのまま作り物の松の前、正先ギリギリを駆け抜けていく。


なにかここで、過去の恋への妄執も情念も浄化され、小面の表情から曇りが抜け、月のように澄んでいくのが見て取れた。

ツレを先立てて橋掛りを去ってゆくシテは、三の松の手前で立ち止まり、振り返って袖を被き、懐かしげに松を見つめる。


そのまなざしには、行平への苦しく断ちがたい恋情はなく、
すべては過去のものとして悟り、諦観した、静かな穏やかさがあった。





友枝会《松風》~概観

2017年11月5日(日)13時~17時  国立能楽堂

《松風》シテ 友枝昭世
   ツレ狩野了一 ワキ宝生欣哉 アイ野村万蔵
   杉市和 曽和正博 國川純
   後見 内田安信 中村邦生
   地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 出雲康雅
      佐藤陽 内田成信 大島輝久 谷友矩

《茶壺》シテ 野村萬
    アド野村万之丞 小アド野村万蔵

《野守》シテ 友枝真也
   ワキ則久英志 アイ能村晶人
   一噌隆之 森澤勇司 柿原光博 小寺真佐人
   後見 塩津哲生 佐々木多門
   地謡 大村定 長島茂 友枝雄人 金子敬一郎
      塩津圭介 粟谷浩之 粟谷充雄 佐藤寛泰



楽しみにしていた友枝昭世さんの《松風》。
昭世さんや万三郎さん、九郎右衛門さんの舞台を拝見していつも思うけど、名手の舞台には意外性がある。
好い意味で、こちらの予想を裏切ってくれる。

公演記録で観た昭世さんの《松風》は、狂気に突き動かされ、恋の熱情がシテの全身から立ちのぼるような凄さだった。

今回もそういう《松風》を勝手にイメージしていたのですが;

この日の《松風》では、そうした「情念の極み」的な側面は比較的抑えられ、シテは、身を焦がし、身悶えしながら待ち続けた恋の苦悩の日々を、どこか甘く、懐かしい想いで振り返りつつ、追慕の舞っているようだった。


最後には、松風の魂が昇華されて、
その分身だった村雨とひとつになり、
行平の象徴であり、恋の墓標でもある松とも不離一体となって、
松の精とも、月の精ともつかない、朧げに透き通った存在となり、
みずから松風を聞きながら、
引き潮とともに海の彼方へ、
あるいは、月の世界へと還っていくようだった。


万三郎さんの舞台でもいつも感じるように、
友枝昭世さんも拝見するたびに、削ぎ落せるものは削ぎ落しつつ、体の軸が微塵もぶれない強靭な足腰で、舞と型の精髄を、力みのない軽やかさで舞っている。

ほんとうは膨大なエネルギーと細心の注意・神経を使っているのだろうけれど、あらゆる自然の摂理や物理的束縛から解放されて、「型」もほとんど「型」ではなくなったかのように、自由に、自然に、軽やかに舞っているように見える。
とりわけ万三郎師の舞には、そうした印象がある。


世阿弥がしばしば使った「少な少なに」という言葉、
それでいて「花はいや増しに見えしなり」という言葉を想起させる。


そして、この御二人に共通するのは、終曲部でじつに印象深く、意味ありげな視線をこちらに投げかけること。
もちろん、それはこちらの一方的な錯覚&妄想にすぎないのだろう。

でも、シテが面を通して観客に投げかける視線によって、シテとの一体感がさらに高まり、観る者を曲中に深く、強く引きこみ、演者とともに創り上げた独自の物語世界を観者の脳裏に映写させる。
こういうことができるのも、名手のなせる業だと思う。


いま現在の友枝昭世師にしか舞えない唯一無二の《松風》、いまの昭世師独自の《松風》の世界を堪能できた至福……。




前置きが長くなったので
細かい内容は、友枝昭世の《松風》に続きます。