2017年11月6日月曜日

人でなしの恋 ~友枝昭世の《松風》

2017年11月5日(日)13時~17時  国立能楽堂
友枝会《松風》からのつづき

《松風》シテ 友枝昭世
   ツレ狩野了一 ワキ宝生欣哉 アイ野村万蔵
   杉市和 曽和正博 國川純
   後見 内田安信 中村邦生
   地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 出雲康雅
      佐藤陽 内田成信 大島輝久 谷友矩


前記事でざっと感想を述べたのですが、心に刻んでおきたいので、とくに印象に残った部分を記しておこうと思います。

【ワキの旅僧の登場】
欣哉さんの旅僧は、さまざまな過去を想像させる漂泊の僧。
二人の姉妹の松の墓標に向かう姿にも、真摯で深い、憐みの心が感じられる。
欣哉さんの持ち味のひとつが、この外見上の、共感力の高さだ。



【松風村雨の登場→潮汲み】
登場楽は真ノ一声(簡略形?)。
杉市和さんの笛の音から、妖しく澄んだ月の光と、真珠のようにキラキラ輝く白い砂浜の映像が浮かび上がり、夜の浜辺に美しい姉妹が姿を現す。

舞台に入ったシテ・ツレは、同吟・掛け合いを経て、潮汲みの場面へ。

「寄せては返るかたをなみ(片男波)」で、「寄せる波」と「返る波」をあらわすべく、正中にいたシテが、角に置かれた汐汲車に近づくのと入れ替えに、脇正にいたツレが、常座までタラタラと下がる。

さらにシテは面を遣って、「芦辺の田鶴こそは立ち騒げ」と、水際にいた鶴たちが一斉にはばたくのを目で追い、「四方の嵐も音添えて」で、強風に耳を澄ますように辺りをゆっくりと見渡す。

須磨の浦の美しい光景を、シテの所作と囃子で次々と描写していくのも、この曲の見どころ。
詞章と演者の動き・地謡が呼応し、観客の五感を心地よく刺激する。


汐汲車の前で下居したシテは、「さのみなど海士人の憂き秋のみを過ごすらん」で、せつない思い出を汲み上げるように、開いた扇で舞台外から汐を汲む所作をする。
一度目はたっぷりと、二度目は控えめに。


「見れば月こそ桶にあれ」と、姉妹は月の影が映る桶をのぞきこむ。
「月は一つ」、「影は」「二つ」━━。
月は、一人の乙女の象徴。
影は、一人の乙女が感情(松風)と理性(村雨)に分離した、二つの人格の象徴だと思う。
恋をすると誰しも、感情と理性のはざまで揺れ動く。
その様子を演劇化したのが《松風》であり、だからこそ、その揺れ動き、自制の効かなくなった狂乱に、観客も自分の過去or現在の恋心を重ね合わせてしまうのかもしれない。



【クセ】
クセ地の前あたりから、喜多流の地謡が色艶を増していく。

床几に掛かったシテは、行平の形見の衣を左手に持ち、
「形見こそ今は仇なれ」と、衣を脇へ遠ざけつつも、
「これなくは、忘るる隙もありなと」と、やはり形見を引き寄せて、いとおしげに見入る。

さらに床几から立ち上がり、
「捨てても置かれず」で、衣を振り捨てるような所作をしたのち、
「取れば面影に立ちまさり」と、掻き立てられるように形見を抱きつつ、
「涙に伏し沈む事ぞ悲しき」で、衣を熱く抱擁しながら、小さく回って、松のほうへ近づいていく。

シテの腕のなかの烏帽子と狩衣が、まるで実体のある人形のように見え、
しっとりと、思い込めた抱擁は、江戸川乱歩の『人でなしの恋』を連想させる。

長持ちのなかの美しい京人形に、命懸けの恋をした男の話だ。

シテが狂おしく抱きしめた行平の人形には、過去の恋の亡霊が憑依し、その人形はやがて若き日の松風の姿と重なって、シテは行平とともに、恋に身を焦がした自分自身をも抱きしめているように見える。

乱歩の耽美的で倒錯的な世界とも通じる、官能的なシーンだった。



【物着→シテ・ツレ掛け合い】
正中で水衣を脱ぎ、紫長絹に烏帽子を身につけたシテは、ハッと気づいたように松を見上げ、「あら嬉しやあの松蔭に行平の御立ちあるが……」と狂喜して、立ち上がる。
ここは割と(ちょっと大げさすぎるくらい)、はっきりとした面遣い。

ここから「立ち別れ~」で、シテ・ツレがシオリつつ交差し、ツレは笛座へ、シテは橋掛りに向かう見せ場となるが、この日は比較的あっさりめで、シテは幕際までは行かずに、二の松でUターンして舞台に戻り、中ノ舞に入っていく。



【中ノ舞→破ノ舞→終曲】
中ノ舞は、甘い陶酔に身を任せつつ、過ぎ去った恋を哀悼するような追想の舞。
シテは二段オロシで右袖を巻き上げ、じいっと松を見つめる。

舞を得たシテは、「磯馴松の」で袖を巻き上げて松に駆け寄り、
「なつかしや~」で後ろに下がって左袖を巻き上げたままシオリ返し。

さらに破ノ舞に入り、脇座前で袖を被き、そのまま作り物の松の前、正先ギリギリを駆け抜けていく。


なにかここで、過去の恋への妄執も情念も浄化され、小面の表情から曇りが抜け、月のように澄んでいくのが見て取れた。

ツレを先立てて橋掛りを去ってゆくシテは、三の松の手前で立ち止まり、振り返って袖を被き、懐かしげに松を見つめる。


そのまなざしには、行平への苦しく断ちがたい恋情はなく、
すべては過去のものとして悟り、諦観した、静かな穏やかさがあった。





0 件のコメント:

コメントを投稿