2017年2月28日火曜日

狂言《泣尼》・能《春日龍神》~喜多流自主公演

2017年2月26日(日) 12時~16時10分  喜多能楽堂
友枝昭世の《東北》からのつづき

狂言《泣尼》シテ僧 野村萬斎
アド施主 深田博治 小アド尼 月崎晴夫

仕舞《弓八幡》粟谷充雄
   地謡 佐藤陽 佐藤寛泰 谷友矩 高林昌司

能《春日龍神》シテ春日明神の仕人/龍神 塩津圭介
  ワキ明恵上人 御厨誠吾 ワキツレ則久英志 吉田祐一
  アイ春日神社の末社 深田博治
  栗林祐輔 幸信吾 亀井洋佑 観世元伯→徳田宗久
  後見 塩津哲生 谷大作
  地謡大村定 中村邦生 長島茂 狩野了一
     粟谷浩之 高林呻二 友枝雄人 友枝真也


元伯さんが舞台に復帰する夢を見たばかりだったから、
「もしかして!」と期待したけれど、やはり休演の張り紙が。
(張り紙恐怖症になりそう……)
悲しくて不安だけれど、信じて待つしかない。 


狂言《泣尼》
文句なしに面白かった。
やっぱり萬斎さん、うまいなー。間の取り方とか絶妙。

スラップスティック的喜劇になりそうなところを型の美しさで狂言の枠内に引き戻す、
そのさじ加減が萬斎さんならでは。

布施目当ての強欲な僧侶を風刺を込めて演じていて、
こういう分かりやすいユーモアをテレビで放送すれば、
狂言に興味を持つ人も増えるんじゃないかな。


泣尼の面をつけた月崎さんがなんとも可愛らしい。
膝に手をあてて、グッと腰をかがめたまま歩いたりするのって、
自宅でやってみたけど相当ハード。
膝の筋肉がめちゃくちゃ鍛えられる。


喜多流の自主公演は、たっぷりした休憩時間が二度もあるので、
狂言も余裕をもって拝見できます。
(銕仙会だと休憩(10分!)後の狂言に間に合わないこともあるから。)


仕舞《弓八幡》
粟谷充雄さんは初めて拝見する。
喜多流らしい気骨ある芸風。
どことなく梅若の鷹尾維教さんを思わせるのは、同じ福岡の出身だから?



能《春日龍神》
シテの塩津圭介さんはこれまでも能や舞囃子を拝見していて、
若手の上手い方だと思っていたので期待をこめて鑑賞しました。

前場】
春日神社に参詣する明恵上人一行。
御厨さんは高僧の位。しっかりした謡。
ふだん閑・欣哉さんのワキツレを勤めている方はハコビや佇まいがきれいで、
下居の時もぐらぐらせず、ビシッとしている。


栗林さんの笛もさらに深みを増していた。


そこへ、翁烏帽子に白狩衣肩上、白大口姿の老人が登場。

常座に立つ姿はきれい。
しかし細身長身で若いせいか、尉面とのバランスが……。
体型や年齢を差し引いても、重心の高さがその要因かと。



中入】
狂言来序で、末社の神が登場。

この登髭(?)の面はかなり古そう。
面が異様に小さく感じたけれど。
面の口元が深田さんの鼻くらいに来て、
目の位置がおそらくずれているから、ほとんど見えなかったのでは?

狂言面と顔の大きさが違っていてとてもインパクトがあった。



【後場】
ノリノリのはずの早笛が、途中から大小太鼓が噛み合わずちぐはぐに。


シテは「猿沢の池の青波蹴立て蹴立てて」で、水しぶきを上げるような鮮やかな足遣い。

最後は、「地に蟠りて池水を返して失せにけり」で、幕前で左袖を被いて下居。


早春らしい二番、満喫しました。



2017年2月27日月曜日

友枝昭世の《東北》後場~喜多流自主公演二月

2017年2月26日(日) 12時~16時10分  喜多能楽堂

能《東北》シテ里女/和泉式部の霊 友枝昭世
   ワキ旅僧 宝生欣哉 ワキツレ工藤和哉 則久英志
   アイ東北院門前の者 石田幸雄
   一噌隆之 鵜澤洋太郎 亀井忠雄
   後見 香川靖嗣 内田安信
   地謡 粟谷能夫 出雲康雅 粟谷明生 金子敬一郎
      佐々木多門 内田成信 粟谷充雄 大島輝久

狂言《泣尼》シテ僧 野村萬斎
アド施主 深田博治 小アド尼 月崎晴夫
仕舞《弓八幡》粟谷充雄
   地謡 佐藤陽 佐藤寛泰 谷友矩 高林昌司

能《春日龍神》シテ春日明神の仕人/龍神 塩津圭介
  ワキ明恵上人 御厨誠吾 ワキツレ則久英志 吉田祐一
  アイ春日神社の末社 深田博治
  栗林祐輔 幸信吾 亀井洋佑 観世元伯→徳田宗久
  後見 塩津哲生 谷大作
  地謡 大村定 中村邦生 長島茂 狩野了一
     粟谷浩之 高林呻二 友枝雄人 友枝真也



喜多流自主公演《東北》前場からのつづき
【後場】
一声の囃子が奏され、幕が上がる。

シテの姿はまだ見えない。
それでも暁闇の空がしだいに明るみはじめるように、
揚幕の奥の洞窟の向こうからほのかに光が射し、
装束の輝きの照り返しで、シテが近づいてくるのが分かる。


現れたシテは、まばゆく輝く白銀の長絹(露は朱)に緋大口の出立。
面はおそらく前シテと同じ小面だろうか。

この世の喜怒哀楽を超越した天女のような表情の女面が、
シテの人間離れした舞姿の雰囲気と溶け合う。
長絹には、朝顔にも似た梅花らしき花が青やピンクで装飾されている。


白長絹に緋大口という姿は、東北院の白梅に住まう和泉式部の霊にふわさしい。



〈クリ・サシ・クセ〉
クリ・サシで和歌の功徳が解かれ、「天道にかなふ詠吟たり」でユウケン、
ここから舞グセとなり、王城の鬼門を守護する東北院の素晴らしさが讃えられる。


このあと、地謡をはさんで、シテは達拝から序ノ舞へ。
シテの舞と地謡の謡との甘美な融合が、ひんやり生温かい春の夜気を漂わせてゆく。


〈序ノ舞〉
友枝昭世の舞と和泉式部の歌が、頭のなかで重なり合う。


冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月

序を踏んだのち、シテは深まる闇のなかをたどるように、そっと、そっと歩を進める。
不可抗力的な情念の闇を、女の足が月を求めてさまよう。



夢にだに見で明かしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ

激しい恋の数々を思い描くように、大小前で開いた扇で華やかに弧を描き、
恋の苦しみの極みを味わった暁を懐しむように、
初段オロシで目付柱の彼方を見つめる。



物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る

二段目で白い袖を巻き上げた時、沢辺から蛍がぼうっと白く立ちのぼり、
オロシで面を遣うその視線が、あくがれ出たみずからの魂を追ってゆく。


どろどろした愛欲、懊悩、煩悩の沼の中から咲き出た純白の梅。

さまざまな色彩が塗り込められた重層的な白を身にまとうシテの姿は、
女という業深き存在を救う女神であり、歌舞の菩薩そのものだった。



〈終曲〉
色こそ見えね、香やは隠るる、香やは隠るる……梅風よもに薫ずなる


巧みな面遣いで、四方に満ちた梅の香を聞いたシテは、
「方丈の灯火を火宅とやなほ人は見ん」で、
情熱の燻りをほのめかすようにワキを見つめ、
常座に至って幕のほうを向いたまま留拍子。



なにか、とても尊いものを見た気がした。




狂言《泣尼》・能《春日龍神》につづく


2017年2月26日日曜日

喜多流自主公演二月~《東北》

2017年2月26日(日) 12時~16時10分  喜多能楽堂

能《東北》シテ里女/和泉式部の霊 友枝昭世
   ワキ旅僧 宝生欣哉 ワキツレ工藤和哉 則久英志
   アイ東北院門前の者 石田幸雄
   一噌隆之 鵜澤洋太郎 亀井忠雄
   後見 香川靖嗣 内田安信
   地謡 粟谷能夫 出雲康雅 粟谷明生 金子敬一郎
      佐々木多門 内田成信 粟谷充雄 大島輝久

狂言《泣尼》シテ僧 野村萬斎
        アド施主 深田博治 小アド尼 月崎晴夫
仕舞《弓八幡》粟谷充雄
   地謡 佐藤陽 佐藤寛泰 谷友矩 高林昌司

能《春日龍神》シテ春日明神の仕人/龍神 塩津圭介
  ワキ明恵上人 御厨誠吾 ワキツレ則久英志 吉田祐一
  アイ春日神社の末社 深田博治
  栗林祐輔 幸信吾 亀井洋佑 観世元伯→徳田宗久
  後見 塩津哲生 谷大作
  地謡  大村定 中村邦生 長島茂 狩野了一
     粟谷浩之 高林呻二 友枝雄人 友枝真也
追加



最初から最後まで、一瞬一瞬がひたすら美しく、
梅花の女神のため息のような、人を酔わせる薫りが舞台から漂ってきて、
こちらはもう、とろとろに溶けて骨抜き状態。

三島由紀夫は《東北》について、
「文学的詞章から離れた全く純粋な人体の美的運動」と言っているけれど、
そうした情念の生々しさのない抽象度の高い曲こそ、
友枝昭世の芸の結晶が最も美しく輝く場だと思う。


この日の友枝昭世さんの《東北》も、これまで観てきた《東北》とは全然違っていて、
これだよね!これが禅竹の《東北》だよね!
と、探し求めていたものをようやく見つけた幸せな気分。


【前場
次第の囃子で、ワキ・ワキツレ登場。
笛の一噌隆之さん、この日は咳き込むなどしてお辛そうだったが
(花粉症かな? 笛だと呼吸困難になるからほんとうに大変そう)、
ヒシギは二回ともきれいだった。

大小鼓は申し分なく、鵜澤洋太郎さんの皮と音の調整はほんと凄い。
どんな天候の時でも、たっぷりと潤いのある弾むような音色。

いつもながら美しいハコビで欣哉さんが登場。
薄茶の水衣に角帽子、グレーの無地熨斗目着流。

ワキツレとの道行では、則久英志の謡が冴えている。
この日は則久さんが二番ともワキツレを勤められたが、
どちらの謡も則久さんが入るとツヤが出て引き締まる。


都に着いた旅僧一行が咲き誇る梅を愛でているところへ、東北院門前の人がやってくる。

「これは和泉式部が植えた『和泉式部』という名の梅ですよ」と言われ、
僧が「ふうん、そうなんだー」と思いながら眺めていると、


〈シテの出〉
幕のなかから「のうのう」の声。
この声を聞いて、ホッと安堵する。

一週間前に国立主催公演の地謡を休演されたため心配していたけれど、
調子の良さを物語るような、
こちらが《東北》の前シテの出はこうあってほしいと望む声で一安心。

シテの出立は紅白段替唐織、面は小面だろうか。
一見すると可憐で愛らしい姿。
それでいて、所作や物腰は「天守物語」の富姫のようにあでやかで﨟長けている。

着付も一分の隙もないほどビシッと決まっていて、
それが中入りまでまったく崩れず、
鬘帯も最後までシテの背中の中心線をまっすぐ貫き、
凛とした後ろ姿を形づくっていた。


無駄な動きや軸のブレが一切ないシテと、隙のない装束付とが響き合い、
精巧無比な彫刻美に魂が吹きこまれる。


情趣豊かな地謡も曲の世界を見事に醸成し、
この地謡・後見・働キ・幕係との相互作用によって、シテの芸が生きてくる。

言わずもがなのことだけれど、ホームグラウンドで観ると、
喜多流らしく一本筋の通った連係プレイの素晴らしさがいっそう強く感じられた。



《東北》後場につづく

(以下はおまけの脱線です)
今月は十六世六平太の一周忌とのことで最後に「追加」があったのですが、それを聞きながら、他のシテ方流儀とは違い、共和制をしく喜多流の先進性について思いを馳せたのです。

(ちなみに、うちの(母校の)大学の能楽サークルも喜多流。指導はA.A師。当時は菊生師もご指導されていたかも。同じ研究室の子が小鼓を打っていたのが懐かしい。)

流儀運営を共和制で行うというのは大変だとは思うけれど、わたしのような全くの部外者が見る限りでは、良い方向にどんどん変わっているように感じます。
それを思いつくままに列挙すると、

(1)流儀のサイトがすばらしく充実!
  「スケジュール」の項目が大変見やすく、自主公演だけでなく個人の会や他流の会などの情報が素早く更新されていき、チラシもPDFで観ることができるので、行きたい公演やチケット発売日がチェックしやすい。
 また、メンバーのプロフィールも載っているので、顔と名前を覚えやすい。

(2)喜多流専用チケットネット販売の開始
 これはもう、一般部外者にとってはほんとうにありがたいシステム!
   ネット販売が導入されて敷居が低くなったのは確か

(3)情報発信力の高さ
 流儀の公式ツイッターで随時情報発信している。
 情報発信のスピードの速さは業界屈指だと思う。

(4)外国人向けのイベント・ワークショップで能のグローバル化を図る

(5)懐が深い
 九郎右衛門さんや味方玄さんの東京での公演チラシを置いてくれている。
 この日も銕仙会のチラシがあった。


こんなふうに喜多流は革新性に満ちていて、
芸の中身は変えず、新奇性に飛び付かず、骨太の芸風を深めていくいっぽうで、
チケットの販売法や情報発信などのシステムは変えていく。

一般客からすれば、これこそ理想の変革。
他流・他家も採り入れてほしいな。



タンポポ会・卯翔会

2017年2月25日(土) 11時~16時45分 国立能楽堂
(拝見したもののみ記載)
 《箕被》 
 《千鳥》 主 茂山千五郎     
 《文山立》
 《那須ノ語》
《鬼瓦》太郎冠者 茂山童司
 《栗焼》  
《樋の酒》 
《魚説経》
 《伯母ヶ酒》
《呼声》
《神鳴》
 
番外小舞《吉の葉》茂山あきら
    《土車》 茂山 茂

 


茂山あきらさんと茂山茂さんの合同社中会。
素人会とはいえ、社中の方には声優・俳優・タレントさんが多いから、間の取り方や発声、魅せ方を心得ている人が多く、狂言のプロでもない、アマでもない、独自のエンターテインメントの世界です。

一昨年末に開かれたタンポポ会では、《唐相撲》など超豪華な番組で満席の会場を沸かせました。

今年も舞台上も見所も華やか。
お友達の声優さんたちが客席に詰めかけ、神谷明さんが撮影係を担当するなど、いつもとは違う能楽堂で面白い。


それにしても、皆さん、個性的なオーラを放っていて、存在感がある!
とくに印象に残ったのは、《樋の酒》で太郎冠者を演じた茶風林さん。
最後に酔っぱらうところなんて、やっぱ表現者はちゃうな、と思ったことでした。


そして、ラストはお目当ての茂山茂さんの番外小舞。

茂山家の地謡って、凄いですね。
気迫と迫力がビンビン伝わってきて、背骨や肋骨でダイレクトに感じる謡。


茂山茂さんの舞は優雅さと品があって、
これまで狂言小舞で美しいと感じたことはなかったけれど、この方の舞はほんとうに美しい。

わたしの隣に座っていた女性グループが、「わあ、きれいな声……」と感嘆を漏らし、舞が終わった時には一斉にため息をついていたけれど、これには激しく同意。
見所も水を打ったように静まって、茂さんの舞に惹きこまれているのが伝わってきた。

謡もいいし、舞もきれいで、そのうえ他の誰にもない独特の表現力と魅力がある。


舞台が楽しみな役者さんが増えてうれしい。




2017年2月16日木曜日

《錦木・替之型》後場~近代絵画と能・国立能楽堂二月定例公演

2017年2月15日(水) 13時~15時40分 国立能楽堂
《錦木・替之型》前場からのつづき

能《錦木・替之型》シテ男の霊 梅若紀彰
  ツレ女の霊 松山隆之
  アイ丸山やすし ワキ高安勝久→休演
  ワキツレ→ワキ原大ワキツレ丸尾幸生
  一噌幸弘 吉阪一郎 河村眞之介 上田慎也
  後見 梅若長左衛門 小田切康陽
  地謡 梅若玄祥→休演 観世喜正 山崎正道 角当直隆 坂真太郎
     永島充 谷本健吾 中森健之介 小田切亮磨
  働キ 川口晃平
 


【後場】
後シテの出〉
ワキ・ワキツレの待謡のあと出端の囃子で、
後見座にクツロいでいたツレが立ち上がって謡い出す。

つづいて塚のなかから、「あら有難の御弔いやな……」と、シテの謡。

地の「現れ出づるを御覧ぜよ」で引廻しが下ろされ、
塚の中で下居した後シテの姿が現れる。

出立は緑の色大口に、御舟の《錦木》の白い衣を思わせる、輝くような象牙色の水衣。
面は、憂悶の表情をした三日月。

あとの黄鐘早舞で、シテは水衣の袖を華麗に巻き上げて翻す。
あのフワッとした袖を勢いよく巻き上げるには、かなりの技術が要るのではないだろうか。
水衣の下に比較的しっかりした生地のものを着ていたのも、そのための工夫なのかも。


〈機を織る女の家を再現〉
「出で出で」「昔を現さんと」で、シテは塚から出、
「女は塚のうちに入りて」で、ツレが塚に入り、「機物を立てて機を織れば」で下居。

「夫は錦木を取り持ちて、さしたる門をたたけども」で、門に見立てた錦木を扇で叩き、
「きりはたりちやう」で、今度は機物に見立てた錦木を扇で叩く。

ツレは塚から出て、脇座で下居(ワキ・ワキツレは地謡前で下居)。


錦塚が女の家に変わるこの場面、
オレンジ色の灯りがともる家のなか、機を織る女の姿がぼうっと浮き上がり、
暗い男の姿が門を叩く、影絵のように印象深いシーン。

きり、はたり、ちやう、ちやう、というシテとツレの掛け合いが、
どこかで通い合う男女の心を感じさせる。



〈クリ・サシ・クセ〉
クセの「夫は錦木を運べば」で、シテは床に置いた錦木を再び手にして、
脇座にいる女のもとへ運んでいく。
ここがちょうど、御舟の《錦木》に描かれた場面。
白い水衣をまとったシテの姿が絵から抜け出たよう。


ツレの前に錦木を置くけれど、女は微動だにせず、草の戸は閉じられたまま。
「夜はすでに明けければ」で、鶏鳴をあらわすように小鼓がコンコンコンと打ち、
シテは立ち上がって、すごすごと帰り、
「恋の染木とも、この錦木を読みしなり」で、左袖を取り、読む所作をする。


シテ謡「思ひきや、榻のはしがき書きつめて」から、扇を開いて舞グセとなり、
シテは恋の苦悩にあえぐ舞を舞う。


そして、苦悶の果てに、
女の前に置かれた錦木を取り上げ、
「あらつれな、つれなや!」で昂った感情をあらわすように
錦木を思いっきり後ろに投げ捨て(錦木は脇座前から一の松手前まで飛んだ)、
情感のこもった男泣きの激シオリ!
替之型らしい独創的な演出だ。

しかし、絶望の淵に突き落とされた瞬間、サッと光明が射し、
錦木が千束になり、今こそは「閨の内見め」「うれしやな!」
世阿弥作らしい、奈落の底からの急展開。

シテは女と盃と交わした気持ちをユウケンであらわし、悦びの舞を舞う。



〈黄鐘早舞→終曲
もうここからは、紀彰さんの真骨頂!
袖をキリリッと巻き上げるところなど、清冽な型が冴えわたる!

小書により、常よりも早い早舞だったようだけど
(一噌幸弘さんの笛だと小書きなしでも早くなりそう)、
三段ではあっという間で、ほんとうは十三段くらい舞ってほしいくらい。


早舞後の「立つるは錦木」で閉じた扇を、要から突き立てるようにグッと立て、
「有明の影恥ずかしや」で、左手の扇で顔を隠し、
「錦木も細布も夢も破れて、松風颯々たる」から地謡が急調になり、


最後の「朝の原の野中の塚ぞとなりにける」で、
《石橋》のクライマックスに一畳台の前でワン、ツーと足拍子して飛び安座をするように、
塚の前で、右、左と足拍子してから塚に入り、くるりと正を向いて飛び安座。

その瞬間、地謡も囃子もピタッと止まり、

鮮やかな静寂が見所に沁みわたった。






近代絵画と能 《錦木・替之型》前場~梅若紀彰、御舟、世阿弥

2017年2月15日(水) 13時~15時40分 国立能楽堂
国立能楽堂二月定例公演《鐘の音》からのつづき
速水御舟《錦木》、絹本彩色、1913年、『巨匠の日本画』より

能《錦木・替之型》シテ男の霊 梅若紀彰
  ツレ女の霊 松山隆之
    アイ丸山やすし ワキ高安勝久→休演
  ワキツレ→ワキ原大 ワキツレ丸尾幸生
    一噌幸弘 吉阪一郎 河村眞之介 上田慎也
  後見 梅若長左衛門 小田切康陽
  地謡 梅若玄祥→休演 観世喜正 山崎正道 角当直隆 坂真太郎
     永島充 谷本健吾 中森健之介 小田切亮磨
  働キ 川口晃平


昨年の《菊慈童・酈縣山》(菱田春草《菊慈童》)に引き続き、紀彰さんによる「近代絵画と能」シリーズ第二弾。今回は速水御舟の《錦木》がテーマ。


世阿弥が書いた《錦木》は、御舟だけでなく、アイルランドの詩人イェーツにも霊感を与えた(『鷹の井戸』の着想源となった)。

また、《錦木》は多様な解釈が成り立つ不思議な曲でもある。
シテの男とツレの女が結ばれたのは、死後であるともとれるし、生前であるともとれる。
男が三年も通い続けた女は、たんなる人間の女ではなく、「人生で追い求めるもの」の寓意とも読み取れる。
世阿弥は、陸奥の珍しい風習を採り入れただけでなく、芸道に邁進する者の心構えのようなものをこの曲に込めたのではないだろうか。


速水御舟の人物画にはなぜかグロテスクなものが多いなか、彼が19歳の時に描いた《錦木》には、御舟自身の自画像のような、愁いのある美青年が描かれている。
この絵を仕上げた数か月後に、画家は母方の「速水」姓を名乗り、画号を「御舟」と改めた。
ゆえにこの絵は、世阿弥が《錦木》に込めた意味を汲み取ったうえで描いた、みずからの画業への御舟の決意表明とも受け取れる。

恋する女性を追い求めるように、絵の道を追求していく。
そうした真摯でひたむきな思いがこの絵からは強く伝わってくる。


梅若紀彰さんの《錦木》はどちらかというと、情念の葛藤を表現した舞台だったが、御舟の《錦木》に見られる品のある清潔感が漂い、とくに後シテの装束などに工夫が凝らされ、御舟の絵と共鳴しつつも、紀彰さんならではの創意が随所に感じられた。



前場】
ワキ・ワキツレ登場〉
高安勝久さんの代演でワキを勤められる原大さんは初めて拝見する。
関西で活躍する中堅の方なのだろうか、ハコビがきれいで、謡も、視線の表現もうまく、ワキツレの丸尾さんとともになかなか好いワキ方さんだった。
ワキ方は、佇まいがスッとしているのが大事。



〈シテ・ツレの登場〉
ワキの着きゼリフのあと、次第の囃子でシテとツレが登場する。

河村眞之介さんの大鼓が、音色も掛け声も熟成を増していて、喉の奥でゴロゴロと、音なき音を立てるような掛け声が渋い。
石井流には、苦みばしった芸風の大鼓方さんがそろっている気がする。


幕から先に出たツレは、可愛らしい小面に紅入唐織という出立。
腕には、狭布の細布をあらわす白い装束を掛けている。
松山隆之さんは過去に仕舞などを拝見しただけで、ツレで観るのは初めてだけれど、今回、美しく下居する姿(とくに後見座でクツログ姿)や立ち居振る舞い、謡のうまさから、相当実力のある方だと思った。
恋焦がれられる若い女性役を意識されたのか、謡はオペラのテノールっぽい声質で、女らしさを醸していた。


続いてシテが登場。
落ち着いた緑灰色の水衣にグレーの無地熨斗目着流。
手には、紅サンゴのような錦木。
直面だけれど、現実の男ではなく、亡霊の化身としての男という、この世とあの世のあいだを漂うような絶妙なハコビ。



〈シテ・ツレ同吟→シテの語リ→中入〉
舞台に入った男女は、錦塚をはさんで向き合い、報われぬ恋の苦しみをうたいあげたシテ・ツレの同吟がつづく。
この部分がけっこう長く、節も比較的単調で、間を持たせて見所を引き込むのは誰にとっても難しそう。
シテ・ツレとも立ち姿がきれいなので一幅の絵になり、耳よりも、目に美しい。

その後、正中下居のシテによる錦木・細布の故事と錦塚のいわれの語リが続く。

男女は、ワキの旅僧を錦塚まで案内したのち、ツレは後見座でクツロギ、シテはサシコミ・ヒラキの後、身をひるがえすようにクルリと回って、塚のなかへと消えてゆく。



間狂言
鳥の羽で織られた細布には、鷲にさらわれないよう幼子を守る働きがあり、女が細布を織っていたのもそのためであることがほのめかされる。
また、錦木の男は思いが叶わず死に、それを聞いた女も間もなく亡くなたため、二人を憐れに思った女の両親が、朽ちた錦木とともに二人を錦塚に埋葬したことが語られる。


《錦木・替之型》後場へつづく





2017年2月15日水曜日

国立能楽堂二月定例公演~《鐘の音》

2017年2月15日(水) 13時~15時40分 国立能楽堂

狂言《鐘の音》シテ茂山茂
  アド主人 茂山千作 アド仲裁人 網谷正美

能《錦木・替之型》シテ男の霊 梅若紀彰
  ツレ女の霊 松山隆之
  アイ丸山やすし ワキ高安勝久→休演
  ワキツレ→ワキ原大  ワキツレ丸尾幸生
  一噌幸弘 吉阪一郎 河村眞之介 上田慎也
  後見 梅若長左衛門 小田切康陽
  地謡 梅若玄祥→休演 観世喜正 山崎正道 角当直隆 坂真太郎
     永島充 谷本健吾 中森健之介 小田切亮磨
  働キ 川口晃平



インフルエンザが流行っているせいか、休演の張り紙が二枚も。
地頭の玄祥師と、ワキの高安勝久さん。
喜正さんと原大さんがそれぞれ地頭とワキに繰り上がり、どちらも力のある方なので、舞台にはそれほど支障はなく(もちろん玄祥師の地頭は最強だけれど)、事なきを得たようです。


さて、狂言《鐘の音》。
茂山茂さんを初めて観たのは、《邯鄲・夢中酔舞》のアイ。
観能最初期だったこともあり、茂さん扮する宿の女将は印象に残っていました。

元旦に放送された《花子》でも、わわしい妻を好演していたこともあり、
わたしのなかでは茂山茂さんはビナン鬘の似合う「狂言界の女形」というイメージ。
今回初めてシテでの舞台を拝見するので楽しみにしていました。


主人役の千作さんに続いて、
白梅を染め抜いた灰黒茶地の肩衣にクチナシ色の半袴姿の太郎冠者が登場。

狂言方らしく、中腰の姿勢が美しい。
両膝を強く折り曲げ腰を低くかがめているものの、上半身は背中に定規でもいれたようにピシッと伸びていて、しかも余計な力は入っておらず、じつに自然。

ハコビも所作も、お豆腐狂言なので、格式張っていないけれども、ほんのりと品がある。

伽藍や山門の大きさも、声量のある良く通る声と豊かな表現力で巧みに描き出していた。


そして、太郎冠者が「金の値」を「鐘の音」と勘違いしていたと分かった時の、千作さんの怒りようがなんとも可愛い!
やっぱり関西なまりって、怒っていてもどこか愛嬌がある。

ほわんとした、お豆腐のように柔らかい親しみやすさと、適度な品位とのバランスの良さが、なんともいえない味わい。


最後に、太郎冠者が小舞を舞って、鎌倉で体験した鐘の音の響きを表現するのですが、これがすっごく好かった!
茂山茂さんは型がしっかりしていて、動きがどことなく優雅。
小舞とはいえ、けっこうボリュームのある舞を、豊かな声量で謡いながら舞うのだからかなりハードだと思うのだけれど、思わず引き込まれていくような魅力のある舞でした。


この半年で、《鐘の音》を三回、それぞれ山本則俊さん、野村萬さん、そして茂山茂さんのシテで観てきたけれど、流儀も、家も、年代も、芸風も、演出もまったく違っていて、それぞれに別の楽しみ方ができて面白かった。

茂山茂さん、これからも注目していきたい役者さんです。




《錦木・替之型》前場につづく



2017年2月13日月曜日

《鶴》を観る~能と土岐善麿

2017年2月12日(日) 14時~16時40分  武蔵野大学雪頂講堂
対談・解説からのつづき
対談 土岐善麿と新作能
   塩津哲生×リチャード・エマート
解説 金子敬一郎

新作能《鶴》シテ女/鶴の精 佐々木多門
      ツレ都の男 塩津圭介
    藤田貴寛 森澤勇司 原岡一之 林雄一郎

    後見 塩津哲生 友枝真也
    地謡 長島茂 友枝雄人 内田成信 金子敬一郎
       粟谷充雄 大島輝久 佐藤寛泰 佐藤陽


ツレの登場→シテの登場
幕が上がり、ツレが登場。
休暇をとって紀伊国へふらっと旅に出た都の男という風流人らしく、
立涌文緑地の長絹に落ち着いたイエローの色大口という、風雅な出立。
細身長身のツレは役柄にふさわしい、都会的で垢抜けた印象です。


白い波が打ち寄せる美しい和歌の浦。
「沖つ島ありその玉藻潮干満ちて~」と、旅人が古歌を口ずさんでいると、
どこからともなく、木霊のように同じ歌を口ずさむ声が聞こえてくる。


山部赤人の歌を、姿を見せずに、幕のなかから謡い出すシテ。
この幕内からの謡には和歌の浦の潮騒と溶け合うような、
濁りのない、清明無垢な響きがあって、ここでグッと心を掴まれる。


ツレとシテとの同吟でも掛け合いでもなく、
ツレの謡をシテの謡が輪唱のように追いかけるという、斬新な演出。

シテの幕離れもよく、
松・竹・折鶴文のクリーム地縫箔に緋色の水衣という独特の出立が、
気品あるハコビとあいまって、どこか人間離れした神秘性を漂わせている。



シテ床几に掛かり和歌の創作秘話を語る】
その後、ツレは脇座で下居。

シテは常座にてしばらくやりとりしたのち、
赤人の歌「和歌の浦に潮満ちくれば」の歌が詠まれた当時の様子を
大小前で床几に掛かって語り始める。

(新作能《鶴》のツレは通常はワキがやるような役柄をツレが演じるようにしたのですね。
ワキ方を呼ばずとも流儀内でまかなえるように?)


和歌の浦で、帝から歌を詠むよう命じられた赤人が、
飛び立つ鶴の群れを見て、インスピレーションを得る場面。

「赤人おどろきたちどころに」で、シテは両腕を横に広げてから、
ハッとひらめいたように胸前で手をパンッと打ち合わせ、
「これなりけりとよろこびの、筆とりあえず」で、扇を広げ、
「和歌の浦に潮満ちくれば~」で、右手に持った広げた扇の端に左手を添え、
短冊に書かれた和歌を詠む所作をする。

この一連の型は比較的写実的だけれども、
シテの手の表情がこまやかで美しく、品格を失わない。


佐々木多門さんの舞台姿を見ると、たぶんこの方は
日常においても立ち居振る舞いが美しいのだろう、
美しくあろうと常に心がけていらっしゃるのだろう、と思う。
だから、地謡にいても、後見にいても、作り物を運ぶ時でも、
いつも姿や所作が美しく、つい見惚れてしまう。


【物着】
物着アシライが入る。
ホールで音響がいまいちなので、囃子方は苦労されたのではないだろうか。
原岡さんの佇まいと打音・掛け声がさらに精悍になっていた。
林雄一郎さんには、(わたし自身の気持ちを反映してか)どこか疲労感のようなものが感じられ、最近は林さんを見ると、「お師匠様はいったいどうされて……?」と聞きたくなる。
安否がわからないというのは辛い……。

と、こんなことを考えているうちに、後見の友枝真也さんがテキパキと着付けを済ませ、シテは奇抜な緋水衣を脱いで、金紋白地の舞衣をまとい、丹頂に見立てた緋色の布をつけた天冠を被って再び本舞台に入る。

舞衣は、通常ならば折った袖口を手に持ちながら舞うところを、袖口を折らずに、長い袖幅を生かして鶴の翼に見立てる工夫。

曲の随所に作者の創造性が生きている。


鶴ノ舞】
初演時の囃子方、藤田大五郎、幸円次郎、安福春雄、金春惣右衛門の協力による創作。

盤渉で奏され、猩々乱の「オヒーリーツラロー」と似た譜が織り込まれているが、
メインの部分は「鶴ノ舞」独特の、他曲にはない旋律が繰り返される。
太鼓も三拍子の手が続く。

メインの「ヒュルリホーオー」(耳で聞いて唱歌に落としこむことはできないので唱歌ではありません)という旋律が繰り返され、
その囃子に合わせて、シテは左を向いて、鳥が羽ばたくように両腕を斜め上にヒュッと上げ、前に下げ、左右の足を片足ずつ上げる。
また右を向いて、同様の所作をする。


装束着付けで工夫した長い舞衣の袖の効果もあって、
ほんとうに丹頂鶴が水辺で優雅に翼を広げて滑走し、飛び立っていくように見える。


新作能はそれほど見たことがないけれど、舞の型までここまで独創的なものは初めて観た。
これを能の型として美しく舞うことや、長い袖幅を使いこなしすことは難しいのではないだろうか。
ましてやここは仮説の舞台――。


シテは橋掛りへ行き、
三の松で左袖を巻き上げて時計回りに、右袖を巻き上げて反時計回りにまわり
二の松で両袖を巻き上げたまま反時計回りに回って、そのまま腕を上げ片足を上げる。


この、鳥が飛翔するように両腕を上げたまま片足を上げるという所作も特徴的。

そういえば、北斗の拳に登場した南斗水鳥拳にこういう華麗な型があった気がする。



【終曲】
シテは本舞台に戻り、囃子も地直リになり、呂中干系の譜が演奏される。

舞台中央に出たシテは太鼓のカシラ「イヤー」の掛け声で、両腕を上げて片足を上げる。

最後の地謡「翼をはりつつ」で、シテは風をはらむように両袖を広げ、
「風に乗って」で、正先にて右袖巻き上げ、袖を返して
「あとよりあとより」で、両袖を翼のように羽ばたかせながら橋掛りへ進み、
「雲立ち騒ぐ」で、二の松で左袖、右袖と巻き上げ、
「遠くはるかに消えゆくや、浦波をあとに」で、
大空を舞い飛ぶ鶴のように、巻き上げた両袖を広げたまま幕入り。


ツレが常座で、空高く飛び去ってゆく鶴を見送る。
留拍子はなく、余韻を残したまま終曲。


型に徹するシテのひたむきさが結晶して鶴の飛翔となった舞台だった。









2017年2月12日日曜日

能と土岐善麿~《鶴》を観る・対談と解説

2017年2月12日(日) 14時~16時40分  武蔵野大学雪頂講堂
進行 岩城賢太郎
講演 土岐善麿の作詞した校歌一覧 丹治麻里子
対談 土岐善麿と新作能

   塩津哲生×リチャード・エマート
解説 金子敬一郎

新作能《鶴》シテ女/鶴の精 佐々木多門
      ツレ都の男 塩津圭介
    藤田貴寛 森澤勇司 原岡一之 林雄一郎

    後見 塩津哲生 友枝真也
    地謡 長島茂 友枝雄人 内田成信 金子敬一郎
       粟谷充雄 大島輝久 佐藤寛泰 佐藤陽



昨年に引き続いて土岐善麿の新作能上演会。
《実朝》を観た時、「次は佐々木多門さんのシテで拝見したいなー」と思っていたら、さっそく願いが叶ってうれしい! 
発表があった時には思わずガッツポーズしたくらい。


土岐善麿関連の講演やお話などがあった後、塩津哲生さんとエマートさんの対談
対談と言うか、エマートさんが聞き手で塩津哲生さんが語り手というインタビュー形式。

新作能《鶴》は土岐善麿作の能のなかでも最も上演回数の多い曲で、哲生師自身も過去15回も(!)舞われたとのこと。

《鶴》が制作されたのは1959年1月で、哲生師が上京して喜多実のもとで御稽古を始めたのも同じ年だったので、制作当初の御様子をリアルタイムで観てこられたそうです。


哲生師のおっしゃる《鶴》の良さとは;
山部赤人の和歌二首だけで成り立っているシンプルな曲で、無駄なものを最初から削ぎ落としているところ。

《鶴》は「能ってこれでいいんだ」と思えるものがある曲。
能が求めるもの、つまり、余計な説明はなく、ただひたすら型を舞うことで、鶴の清々しさや、観る者の心の中にある美しいものを表そうとしているのがこの曲であり、その一途な気持ちがこの曲のなかに込められている。
というような趣旨を述べていらっしゃいました。


「能は(演者が)見せるものではなく、見る側が何かを感じるものなのです」とおっしゃった言葉が大変印象深い。
能にとってとても大切なことですね。

ちなみに、この日のシテの佐々木多門さんは《鶴》を舞うのは二回目だそうです。



金子敬一郎さんの解説
江戸時代には鶴が食べられていた!というショッキングなお話に始まり、新作能《鶴》の丁寧な解説。

この曲は、神亀元年(724年)冬に、聖武天皇が紀伊国に行幸になった折りに、お伴をした山部赤人が帝の命を受けた読んだ以下の二首;

奥つ島荒磯の玉藻潮みちて隠ひなば思ほえむかも

若(和歌)の浦に潮みちくれば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる

をモティーフにして、歌が詠まれた時の模様と歌の情景を再現するかのように創られた曲とのこと。

歌が詠まれた奈良時代には、鶴(たづ)とは、今でいうツルだけでなく、「白くて大きな鳥」全般を指したそうです。

面白かったのは(これはパンフレットもに書かれているのですが)、《鶴》の創作にあたり、土岐善麿は喜多実とともに上野動物園に行ってツルの生態を観察し、園長からも話をうかがうなどして、鶴の飛翔の特徴(サギは立っている位置からすぐ飛び立つが、ツルは翼を広げてしばらく滑走する)を研究したということ。

たしかに、ツルの生態の特徴が型に存分に生かされていると、新作能を拝見して納得。




長くなったので、演能の感想は《鶴》を観るにつづく


2017年2月5日日曜日

能への誘い~解説・能《経正》

2017年2月5日(日) 13時30分~15時30分 高輪区民ホール

能楽の解説  吉田篤史
囃子の解説  左鴻泰弘 林大和 石井保彦
 男舞演奏
謡の体験 《経正》キリ後半 吉田篤史 
《経正》解説  吉田篤史
(以上、英語の同時通訳付き)

能《経正》 シテ井上裕久
   ワキ岡 充
   左鴻泰弘 林大和 石井保彦
   後見 吉田潔司 浅井通昭
   地謡 吉浪嘉晃 浦部幸裕 吉田篤史
       松野浩行 深野貴彦 宮本茂樹 
   


土曜日に引き続き、この日も京観世三昧♪♪
シテ方・ワキ方・囃子方をゴソッと丸ごと京都から産地直送という、なんとも贅沢な公演。

客席には外国の方も多く、立ち見も出るほどで(後で補助席が用意された)大盛況でした。

井上一門の演能はほとんど初見、囃子方も林大和さんは初めてだし、高安流ワキ方の岡充さんも初めて拝見します。
同時通訳の解説も初体験(これ、すごく楽しかった!英語の勉強にもなるから日本人にもお勧め)、何よりも、ロビーでの能面体験がわたしにとってはかねてからの悲願達成だったのです!


【ロビーの展示&能面体験】
能装束や舞台写真が展示され、さらには舞台で使われる美しい能面の数々を、自由に手にとって顔にあててもよいという、願ってもないありがたいサービス。

開演前は、吉田篤史さんの御子息・和史さんがキリッと色紋付を着て、おひとりでテキパキと能面の扱い方を説明したり、来場者の質問に的確に答えたりしていらして、まだ10歳なのに利発でしっかりされていてビックリしました!

さて、わたしが手に取ったのは、中将、増、獅子口、般若、そして、翁の面。
翁面は神さまでもあるので、「ほんまに? い、いいんですか?」という感じだったのですが、OKということなので、畏まりつつ手を合わせて一礼してから面をおしいただいて、顔の前にそっと当てさせていただきました。

増と中将は、能面の視野としてはスタンダードな狭さでしょうか。
想像した通りの狭さだけれど、これをつけて舞うなんて驚異的!
よく言われるように足元は見えません。

視界もまっすぐには見えず、面はテラスとき以外はシテは顎を引いて俯き加減になるので、能面が前を向いた時は、シテ自身は正面の高さから15~20度ほど下を見ることになります。

なので公演中に、シテ(が掛けた能面)と目が合って、「キャ~♡」なんて思っている時は、おそらく能面のなかのシテ自身の視線は、わたしよりももう少し手前にいる観客のほうに向けられているのではないかなー。


獅子口はさすがに視界が広く、能面のなかでは見えやすい。
しかし、重さがかなりあり、これに赤頭をつけて、あの独特の反り返る型をしたり、重い装束をつけて数々のアクロバティックな型(とくに一畳台を使った型)をしたりするというのは、これもまた驚異的!


般若は、獅子口ほどではないけれど、比較的見えやすい。
耳のところを手で持って、間近で見ると、その繊細さが伝わってくる。

そして、の視界はほんとうに狭い。
この視界の狭さは、翁面をつけて神そのものになるということと、関係があるのかしら。



【解説&謡の体験】
囃子の解説
通常の囃子座ではなく、正先に近い前方で横に並んで解説してくださったので、ホールの照明が明るいこともあり、お道具や演奏する手つきがとても見えやすく、わかりやすい。

男舞の実演の時も、通常よりはるかに間近で聴けて迫力満点。

解説では、大小太鼓の掛け声と同様、笛も息づかいでテンポの速さを伝えるというのが目からウロコでした。


謡の体験
講座やワークショップをよくされているだけあって、吉田篤史さんの解説は分かりやすく、面白い。

このところ、すっごく謡いたい気分だったので、謡体験はなおさら楽しかった!
お稽古が病みつきになるというのも分かる気がする。



能《経正》
左鴻さんの名ノリ笛で、ワキの僧都行慶が登場。
高安流のワキって、ほんまに数えるほどしか観たことがないのですが、前にも書いたけれど、謡や着付け方(胴着の厚み)が下宝よりも福王流に似ています。

岡充さんの謡は重厚で、声の良く通る謡。
沙門帽子、掛絡、茶水衣、白大口、小格子厚板という高僧の出立にふさわしい、やや重めのハコビ。

「げにや一樹の蔭に宿り」から、脇座で床几に掛かり、経正のために管弦講を執り行っていると、ゆらめく灯火のなかからフッと立ち現れる人影――。

ホールなので揚幕はなかったのですが、笛方がチラッと横目で観た視線の先をたどると、いつのまにか舞台の上にはシテの姿が。

シテは、儚さを象徴する蝶をちりばめた鮮やかなオレンジ地の縫箔に、水色の雲と金箔の千鳥をあしらった濃紺長絹(露は朱)肩脱、梨打烏帽子。
面は、憂いを帯びた中将。


井上一門は、シテも地謡も、謡の良さが際立ち、
吸引力のある謡が主軸となって、物語を展開していく。

一言一句聞き取りやすく、味わい深い謡。
だから、心のなかに場面や情景があざやかに浮かんでくる。


シテの舞姿も、美しく、下半身が安定ていていてバランスがとれている。
ひるがえす袖で経正の繊細さを、堅固な足拍子で修羅の烈しさをあらわす。


シテの井上裕久さんは経験と芸の熟成度と身体的生命力・体力が好い具合につり合って、咲き誇る花のような凄味がある。
面の扱いも卓越していて、「不思議や晴れたる空かき曇り」で面をテラして空を見上げる時の表情や、「昔を返す舞の袖、衣笠山も」で目付柱方向の遠くを見る表情が、経正の心の奥底のさまざまな感情を雄弁に語っていて、印象に残った。





生け花と能の会~装束仕舞《胡蝶》

2017年2月4日(土) 11時45分~12時45分  KITTEアトリウム
笹岡さんの生け花
その下の黒いパネルに見えるのが、三木さんの「波」をイメージした漆芸オブジェ
舞妓の舞披露
 春雨
 祇園小唄
 
生け花と能の会:「梅と胡蝶」
 シテの挨拶
「梅」を主題とした生け花パフォーマンス×小鼓演奏
 漆芸オブジェの展示
 笹岡&三木トーク(シテは楽屋で装束付け)
 仕舞《胡蝶》~梅の生け花に戯れる胡蝶をイメージして

 橋本 忠樹
 曽和 鼓堂
 
笹岡 隆甫(華道未生流笹岡家元)
 三木 啓樂(漆工芸家)
 
 

二月初めの週末は大好きな京観世三昧♪
土曜日は、「京あるきin東京2017」のオープニングイベントへ。

椅子席がほとんどなく、しかも大半が関係者席なので立見だったのですが、
舞妓さんの舞も、「生け花と能の会」も密度の高い内容で大満足!


【舞妓の舞披露】
だらりの帯を締めた舞妓さん二人が立方、芸妓さんが地方(三味線と歌)を担当。
舞妓さんがとても小柄で(150センチくらい?)可愛らしい。
芸妓さんは妖艶で美しく、歌もうまい。


《春雨》は薄紫の紗の傘で舞うもので、ヴェールの向こうに舞妓の姿が見え隠れして、霞のような春雨のなかで戯れる趣き。

《祇園小唄》は「しのぶ思いを振袖に祇園恋しや だらりの帯よ」と祇園らしい風情。
灯りが映る夜の石畳を通り過ぎるおこぼを履いた舞妓さんの後姿が目に浮かぶ。

先の先まで行き届いた指の表現。
地髪で結いあげた髷のつややかさ。

そして何よりも、舞のはじめと終わりにする舞妓さんのお辞儀のきれいなこと!
身体の動き、しなやかさ、しとやかさ。普通の女性と全然ちゃう!
さすがは花街、観ていて心がとろけそうになる。


【生け花と能の会】
さて、主催者挨拶のあとは、お待ちかねの能の会です。

橋本忠樹さんはお顔とお名前だけは存じ上げていましたが、
舞は未見だったので楽しみにしていました。

黒紋付姿の橋本さんのご挨拶のあと、
橋本さんはいったん幕入り(たぶん楽屋で装束付け)。

次に、小鼓方の鼓堂さんが登場し、地謡前あたりに着座。
鼓堂さんは若草色の色紋付にベージュの袴という春らしいスタイル。
舞台下手前に置かれた花瓶に向かって、鼓を打ち出します。

すると、華道家の笹岡さんがあらわれて、花瓶に花を生けていきます。
いわゆる「生け花パフォーマンス」。

大きな梅の枝から順に、梅4本、椿の葉、菜の花、ピンクのバラなど、
お弟子さんらしき二人の女性から手渡された花木を次々と生けていきます。

パフォーマンスといっても、気負いはなく、笹岡さんらしい、さりげなく、自然な所作。


そして、笹岡さんの生け花の所作に合わせて、鼓堂さんが鼓を打っていく。

わたしは地裏にあたる場所で立見をしていて、
鼓堂さんを左斜め後ろから見るかっこうになったのですが、
いつもとは違うアングルからとらえる囃子方さんの姿は新鮮。


鼓堂さんの掛け声の時の、あごの筋肉の動かし方が、
崖に立ち、月に向かって吠える孤狼を思わせました。

「月」はシテであり、この場合は生け花の「花」なのです。


その後、笹岡さんと三木さんのトークを経て、いよいよ仕舞《胡蝶》。


地謡はどうするのかと思ったら、二人の能楽師さんも登場。
ひとりは坂真太郎さんかな? もうおひと方は分からず。


仕舞とはいえ、
シテは蝶冠、灰青色の長絹(露は朱)に腰巻という、きちんと装束をつけた出立。

薄桃地に大胆な蝶をあしらった腰巻着付は、しっとりした生地だったので、もしかすると通常の縫箔ではなく、女性の着物のような装束だったのかも。

装束の工夫が、蝶の薄い翅のような舞姿の軽やかさを引き立てていた。


面は、増だろうか。
美形の女面で、梅の生花に彩られた舞から甘い春の香りが漂ってくるよう。

謡も素敵だし、もっと、ずーっと観ていたかった。



生け花とのコラボは、仕舞だけの舞台とは一味違う独特の世界でした。