狂言鑑賞会~《粟田口》、《神鳴》、語《重衝》、《文山立》のつづき
鑑賞会の最後は東次郎さんのお話だったのですが、これが単なる解説ではなく、
まるで「山本東次郎独演会」のように魅力満載の充実した内容でした!
舞台に現れた東次郎さんは黒紋付きに青藍色の袴姿。
この袴の色合いがシックなのに華やかな、絶妙の染め具合で素敵。
(注文してもなかなかこういう色には染め上がらない。腕のいい染色家の仕事ですね。)
東次郎さん、ほんとうにおしゃれ。
まずは、初番の《粟田口》とその類曲《末広がり》とを比較しながらの解説。
このとき、《末広がり》のあらすじを説明するにあたって、普通は座ったままあらすじを語れば済むところを、東次郎さんは脇座から橋掛りまでを縦横無尽に動き回りながら、果報者と太郎冠者とすっぱの三役を一人で演じ分け、最後は傘を持って「我も笠をさそうよ~」と舞を舞うというサービスぶり。
観客に伝えよう、表現しようという情熱、観客を楽しませようという熱意が凄い!
人を楽しませることが何よりも楽しいという気持ちが強い人なのだろう。
(一流の能楽師さんの中にはこういう人が多い気がする。一流であればあるほど大上段に構えることなく、実るほど首を垂れる稲穂のように身体を張って観客を楽しませてくださる。)
あふれ出るエネルギー。
ほんとうにパワフルな人だ。
それにいつまでも枯れずに、艶っぽい。
この方からはいつも、とても心地良い「気」が発散されている。
能楽堂以外の場所で遭遇しても、いつもニコニコ愛らしく、その佇まいから学ぶことが多い。
そんな調子で、この日上演された全曲の解説をエネルギッシュにしてくださった後、番組には書かれていなかったサプライズの小舞を披露。
演者全員が地謡に並び、その前に下居した東次郎さんが「うーん、何にしようか」としばし考えた後、即興的に「酒宴をなして~、かいがいしくも」と謡い出す。
そう、おめでたい《貝づくし》。
格調高く品のある舞。
観客はもう大満足。
みんな幸せそうな笑顔で会場をあとにしたのでした。
"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2015年11月26日木曜日
狂言鑑賞会~《粟田口》、《神鳴》、語《重衝》、《文山立》
2015年11月25日(水)13~16時 國學院大学たまプラーザキャンパス1号館
狂言《粟田口》 シテ大名 山本東次郎
語《重衡》 山本凜太郎
狂言だけの会は初めてだったけど、もう、最高っ!
一気に、東次郎さんと山本家の皆さんのファンになってしまったほど。
内容も盛りだくさんで非常に充実していて、冷たい雨の日だったにもかかわらず、
帰るころにはあったかい寄せ鍋を食べた後のように、心はホッカホカ。
狂言《粟田口》
上演時間40分以上の曲で、大蔵流狂言のレパートリー200番の中でも
5本の指に入るくらい好きだと東次郎さんご自身がおっしゃっていた《粟田口》。
いやー、面白かった!
大名役の東次郎さんが、ふくら雀柄の黒地の素襖姿で登場。
このふくら雀の柄が、東次郎さんをキャラクター化したようなイメージで、なんとも愛嬌があって可愛い。
大名は、粟田口の道具比べがあるので、都で「粟田口」を求めてくるよう太郎冠者(山本則孝)に命じます。
例によって、粟田口が何なのか分からない太郎冠者は、都で自分こそが粟田口だと名乗る男(山本則重)にあっさりだまされ、男を連れて帰ります。
粟田口とは刀の銘のことだと8~9割方思っていた大名ですが、信頼していた太郎冠者に「粟田口とは人のこと」だと言われると、もしかするとそんなこともあるのかなと思ってしまいます。
(人間誰しも自分の知識が100%正しいという自信は持ちえない、そういう人間心理を巧みに突いた心理劇なのだと、番組最後の解説で東次郎さんがおっしゃっていました。)
そこで大名は、粟田口の特徴を記した説明書を読み上げ、男がほんとうに粟田口なのかを確認します。
大名「(粟田口は)身が古い」
すっぱ「自分は生まれてこの方湯風呂を使っていない」
大名「はばきもと黒かるべし」
すっぱ「つねに黒い脛巾(はばき)をはいておる」
大名「(粟田口には)必ず銘がある」
すっぱ「二人の姉にそれぞれ女子(姪)がいる」
大名「刃(は)が強きもの」
すっぱ「(自分の歯は)岩石でも噛み砕ける」
といった大名と男のやり取り、そして問答を取り持つ太郎冠者のせわしなさが可笑しくて、大爆笑。
名曲を名人や演じるとこんなに面白くなるのですねー。
そこで大名は最終確認のために、山の向こうに本物の粟田口を持つ者が住んでいるので、男の二人でそこへ行くことにする。
道中、名を呼ぶと気持ちよく応じる男に心を許した大名は、身を軽くしようと、
男に太刀・刀を預けますが、男はこれ幸いに太刀と刀をもって姿をくらまします。
大名は信頼した男にだまされたことに気づき、しばし呆然と立ち尽くす――。
やがて怒りがこみ上げて来て、「今の粟田口、どれへ行くぞ、捕えてくれ、やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかけていきます。
気持ちが通い合ったと思った相手に裏切られたことを知った瞬間の衝撃、
身体がクラッとするような心の打撃の表現が東次郎さんならでは。
以前、《月見座頭》を拝見した時も思ったけれど、楽しいだけではなく、
人間の暗い影の部分をさりげなく見せるところが東次郎さんの魅力のひとつ。
狂言《神鳴》
雲間を踏み外して地上に落ち、腰を痛めた神鳴を、都落ちした藪医者が助けるお話。
若松さん扮する藪医者のおもしろ真面目な雰囲気がいい味出してる!
好きだなー、こういうキャラ。
薬を持ち合わせてない医師は、代わりに巨大な鍼を、神鳴の腰に打ち込みます。
神鳴の手足が痙攣してもの凄~く痛そうなのですが、その鍼をスッと抜く瞬間が何とも気持ちよさそう……。
痛さと、その反動としての快感が手に取るように伝わってくる。
最後に神鳴は治療代として、日照りも干ばつもない状態を800年継続させることを約束し、小舞を舞います(ここで地謡が4人登場)。
この小舞が誠にアクロバティックで、泰太郎さんは華麗に飛び返り。
(能楽堂と違って特設舞台なので、床のクッション性が低く、着地の衝撃が強そう=痛そう。)
治療代の代わりに人々の幸せを願うなんて、藪医者さん、ええ人やってんなー。
語《重衝》
1980年代に浅見真州師によって500年ぶりに《重衝》が復曲された際、間狂言の詞章がなかったので松岡心平氏が新しく書いたものを、狂言師が語りやすいように東次郎さんが
書き直したのが、この《重衝》の語り部分。
松明の火が強風に煽られて燃え移り、東大寺の大伽藍を焼失させた場面など、聞きごたえがあった。
狂言《文山立》
2人の山賊が喧嘩を始める時の飛び返りのキレ、同吟の美しさ、息のあった間合い。
最後は仲直りをして、楽しく歌を歌いながら帰っていく。
こんなふうに争うことの無意味さを誰もが実感できればいいのだけれど。
強さを誇示し合うのではなく、情けなさや弱さを認め合うって、
ほんとうは大切なことなのではないかなーと思わせる一番でした。
狂言鑑賞会~お話&小舞《貝づくし》山本東次郎につづく
狂言《粟田口》 シテ大名 山本東次郎
アド太郎冠者 山本則孝 アド新参の者 山本則重
狂言《神鳴》 シテ神鳴 山本秦太郎 アド医者 若松隆
語《重衡》 山本凜太郎
狂言《文山立》 シテ山賊・甲 山本則俊 アド山賊・乙 山本則秀
お話&小舞《貝づくし》山本東次郎
狂言だけの会は初めてだったけど、もう、最高っ!
一気に、東次郎さんと山本家の皆さんのファンになってしまったほど。
内容も盛りだくさんで非常に充実していて、冷たい雨の日だったにもかかわらず、
帰るころにはあったかい寄せ鍋を食べた後のように、心はホッカホカ。
狂言《粟田口》
上演時間40分以上の曲で、大蔵流狂言のレパートリー200番の中でも
5本の指に入るくらい好きだと東次郎さんご自身がおっしゃっていた《粟田口》。
いやー、面白かった!
大名役の東次郎さんが、ふくら雀柄の黒地の素襖姿で登場。
このふくら雀の柄が、東次郎さんをキャラクター化したようなイメージで、なんとも愛嬌があって可愛い。
大名は、粟田口の道具比べがあるので、都で「粟田口」を求めてくるよう太郎冠者(山本則孝)に命じます。
例によって、粟田口が何なのか分からない太郎冠者は、都で自分こそが粟田口だと名乗る男(山本則重)にあっさりだまされ、男を連れて帰ります。
粟田口とは刀の銘のことだと8~9割方思っていた大名ですが、信頼していた太郎冠者に「粟田口とは人のこと」だと言われると、もしかするとそんなこともあるのかなと思ってしまいます。
(人間誰しも自分の知識が100%正しいという自信は持ちえない、そういう人間心理を巧みに突いた心理劇なのだと、番組最後の解説で東次郎さんがおっしゃっていました。)
そこで大名は、粟田口の特徴を記した説明書を読み上げ、男がほんとうに粟田口なのかを確認します。
大名「(粟田口は)身が古い」
すっぱ「自分は生まれてこの方湯風呂を使っていない」
大名「はばきもと黒かるべし」
すっぱ「つねに黒い脛巾(はばき)をはいておる」
大名「(粟田口には)必ず銘がある」
すっぱ「二人の姉にそれぞれ女子(姪)がいる」
大名「刃(は)が強きもの」
すっぱ「(自分の歯は)岩石でも噛み砕ける」
といった大名と男のやり取り、そして問答を取り持つ太郎冠者のせわしなさが可笑しくて、大爆笑。
名曲を名人や演じるとこんなに面白くなるのですねー。
そこで大名は最終確認のために、山の向こうに本物の粟田口を持つ者が住んでいるので、男の二人でそこへ行くことにする。
道中、名を呼ぶと気持ちよく応じる男に心を許した大名は、身を軽くしようと、
男に太刀・刀を預けますが、男はこれ幸いに太刀と刀をもって姿をくらまします。
大名は信頼した男にだまされたことに気づき、しばし呆然と立ち尽くす――。
やがて怒りがこみ上げて来て、「今の粟田口、どれへ行くぞ、捕えてくれ、やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかけていきます。
気持ちが通い合ったと思った相手に裏切られたことを知った瞬間の衝撃、
身体がクラッとするような心の打撃の表現が東次郎さんならでは。
以前、《月見座頭》を拝見した時も思ったけれど、楽しいだけではなく、
人間の暗い影の部分をさりげなく見せるところが東次郎さんの魅力のひとつ。
狂言《神鳴》
雲間を踏み外して地上に落ち、腰を痛めた神鳴を、都落ちした藪医者が助けるお話。
若松さん扮する藪医者のおもしろ真面目な雰囲気がいい味出してる!
好きだなー、こういうキャラ。
薬を持ち合わせてない医師は、代わりに巨大な鍼を、神鳴の腰に打ち込みます。
神鳴の手足が痙攣してもの凄~く痛そうなのですが、その鍼をスッと抜く瞬間が何とも気持ちよさそう……。
痛さと、その反動としての快感が手に取るように伝わってくる。
最後に神鳴は治療代として、日照りも干ばつもない状態を800年継続させることを約束し、小舞を舞います(ここで地謡が4人登場)。
この小舞が誠にアクロバティックで、泰太郎さんは華麗に飛び返り。
(能楽堂と違って特設舞台なので、床のクッション性が低く、着地の衝撃が強そう=痛そう。)
治療代の代わりに人々の幸せを願うなんて、藪医者さん、ええ人やってんなー。
語《重衝》
1980年代に浅見真州師によって500年ぶりに《重衝》が復曲された際、間狂言の詞章がなかったので松岡心平氏が新しく書いたものを、狂言師が語りやすいように東次郎さんが
書き直したのが、この《重衝》の語り部分。
松明の火が強風に煽られて燃え移り、東大寺の大伽藍を焼失させた場面など、聞きごたえがあった。
狂言《文山立》
2人の山賊が喧嘩を始める時の飛び返りのキレ、同吟の美しさ、息のあった間合い。
最後は仲直りをして、楽しく歌を歌いながら帰っていく。
こんなふうに争うことの無意味さを誰もが実感できればいいのだけれど。
強さを誇示し合うのではなく、情けなさや弱さを認め合うって、
ほんとうは大切なことなのではないかなーと思わせる一番でした。
狂言鑑賞会~お話&小舞《貝づくし》山本東次郎につづく
2015年11月18日水曜日
碧風會 《望月》
碧風會~解説・仕舞など&狂言《鍋八撥》からのつづき
能《望月》 シテ小沢友房 小島英明
ツレ安田友晴の妻 永島充 花若 黒沢樹
ワキ望月秋長 森常好 アイ望月の供人 野村萬斎
一噌隆之 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯
後見 観世喜之 奥川恒治 桑田貴志
地謡 観世喜正 中森貫太 遠藤喜久
鈴木啓吾 佐久間二郎 坂真太郎
定位置に着いた半裃姿の囃子方と地謡は、いつもより少し緊張気味の恐い面持ち。
見所にも緊迫感が充満して、能舞台の空間全体に熱気と気迫がみなぎります。
(わたしは、場の空気に酔ったらしく、しきりにクラクラ目眩がしました。)
さて、素襖上下姿のシテ・小沢刑部友房(小島英明師)が、登場楽もなく静かに登場。
出身は信濃国だが、今は訳あって、近江国の守山で甲屋という宿屋を営んでいることを告げるのですが、口調はかなり重々しく、ふつうの宿屋の主人にはとうてい見えない。
何か暗い過去をもつ、影のある男といった風情です。
そこへ、次第の囃子にのって、子方・花若とツレ・安田庄司の妻が登場します。
子方さんは、小島師が教えていらっしゃる子供能楽教室の方で、小学一年生から稽古を始めて今は六年生とのこと。
この子方さんがとても巧くて、ビックリなのでした!
声は子方特有の甲高いキンキンした声ではなく、よく通る伸びやかな声。
下居する姿も所作も美しく、さすがは大舞台で大抜擢されただけあります。
舞台が進むにつれて、この驚きが感動へと変わっていくのですが、それは後ほど。
いっぽう、ツレの安田友治奥方(永島充)はこれまた美しい出で立ち。
秋花をあしらい、ほどよく退色した枯葉色のシックな唐織に、コクのある渋い色合いの鬘帯。
面は深井でしょうか、近くで見るとゾクッとするほど美しい、憂いを帯びた女面。
装束といい、面といい、《砧》の前シテにしてもおかしくないほどの品位と存在感を漂わせています。
舞台に入ったツレと子方は、甲屋の主人に宿を請い、小沢は二人を宿の中へ案内します。
ここで地謡前にいた小沢は橋掛りへ、常座にいたツレ・子方は地謡前へ移動するのですが、正中ですれ違う際に、小沢が一瞬ハッとした様子で母子に視線を投げかけます。
ここでのシテの、写実に傾きすぎず、能面としての直面の範囲にぎりぎりとどまった形でのさりげない演技という、微妙なさじ加減がじつに見事で、現在能の面白さをきめ細かく表現するとこうなるのだなーと感心したのでした。
(こういう繊細な表現が見所によく伝わるのが、矢来という小空間の良いところ。)
母子が亡き主君の妻子であることに気づいた小沢は、二人の前に名乗り出て、主従は思わぬ再会にむせび泣き、シテは後見座で、ツレ・子方は囃子座後方でクツロギます。
そこへ次第の囃子で、ワキの望月秋長(森常好)とアイの従者(野村萬斎)が登場。
安田友治殺害の科で13年間在京していた望月は、このたび晴れて帰郷を許され、信濃に帰る途上だと述べ、従者に宿を取るよう命じます。
従者は評判の良い甲屋に泊まることにしますが、小沢との問答の中で、自分の主人の名が望月秋長であることを明かしてしまいます。
萬斎さんの登場から、やや硬さのあった舞台の空気が一気にほぐれ、なめらかに進んでいきます。
現在能こそ、さまざまな演劇形態を経験してきた萬斎さんの底力が発揮されるのだと実感。
まさに潤滑油のような存在ですね。
望月の名をうっかり漏らしてしまう場面でも、間の取り方とか声の調子とか、うまいなー。
さて、主君の仇が同宿していることを知った望月は奥方と花若を呼び、三人は橋掛りで作戦会議。
酒宴を開き、三人三様の芸を披露して相手を油断させた隙に、仇討をすることに。
(ツレ子方の物着)
まずは、ツレの奥方が盲御前に扮して、曽我物のなかの一万箱王の話を語ります。
永島さんの細杖の扱いがとても繊細。
ほんとうに目の不自由な人が杖を扱うように、慎重にていねいに、そして武家の奥方らしい品の良さ、奥ゆかしさをひとつひとつの所作に込めて。
その美しい手つきにうっとり。
そして、盲御前の手を引く子方の静かで落ち着いた物腰からも、母を思う子の気持が伝わってくるよう。
杖を置いた盲御前は、子方から渡された鼓を打ちながら、曽我兄弟の幼年期のエピソードを語ります。
実際に語るのは地謡なのですが、ここの地謡が凄かった!
まるで謡いのジェットコースターのように、クセから緩急を巧みにつけて盛り上げ、「抜いたる刀を鞘にさし、ゆるさせ給へ南無仏、敵を討たせ給へや」でドラマティックに謡い上げ、そこへ間髪いれずに子方の「いざ討たう」が入り、ほとんど同時に「おう討とうとは」でアイとワキが刀の束に手をやって身がまえ、そこへシテの「しばらく候」がかぶさっていく。
劇的空間が最高潮に張りつめた瞬間。
(ここで、シテ小沢のなかに眠っていた武士魂が完全に目覚めた気がする。)
この絶妙なタイミング!
地謡、子方・ツレ、アイ・ワキ、シテの息を呑むような連係プレー。
わたしは感動して心の中で拍手喝采!
そこでシテは、子方が「討とう」というのは八撥(鞨鼓)のことなんですよ、とその場を取り繕い、自分は獅子舞を舞うので、用意をしてきます、と言って、シテは中入り、ツレは橋掛りに杖を投げ捨てそのまま揚幕に入って退場、子方は後見座で物着。
後場は子方の鞨鼓で始まる。
鞨鼓は、けだるい午後のようなアンニュイな雰囲気が漂うわたしの好きな囃子です。
とくに一噌隆之さんの笛には、どこか物憂げな味わいがあります。
鞨鼓が終わるといよいよ乱序。
半幕があがり、シテがちらりと姿をのぞかせます。
お囃子も気合が入って、迫力満点。
それでも囃子方諸師には、疲労困憊した身体にムチ打っているのがところどろこに感じられます。
とりわけ太鼓と大鼓はこの週、福岡に鎌倉にと飛びまわり、この日も東中野と掛け持ち。
疲労の色を隠せないのは致し方ない……。
紅入厚板を被いだシテがダーッと威勢よく登場。
大小前で厚板を羽織って、扇を獅子の口に見立て赤い覆面をした「扇の獅子」姿を披露。
ここから獅子舞になるのですが、矢来は舞台自体の規格が通常のものよりも小さいのか、小島さんが舞うととても狭く感じます。
厚板の裄丈も小島さんには短すぎた気が。
そんな感じで、少し窮屈そうでしたが、ダイナミックで爽快な獅子舞でした。
(《望月》の獅子舞を長袴で舞う方もいらっしゃいますが、この日は大口。なんたって狭いから長袴はキケン。)
地謡の「あまりに秘曲の面白さに~」は、《石橋》の「獅子団乱旋の舞楽のみぎん~」と同じ節回し。
シテは、地謡の「折りこそよしとて脱ぎおく獅子頭」で獅子頭を脱ぎ捨て、モギドウに。
獅子頭を脱ぎ捨てるのには、《道成寺》の鱗落としのように、能楽師にとっての脱皮のような意味合いもあるのかしら?
ワキは自分の身がわりとなる笠をワキ座に置いて切戸口から退場し、シテと子方は望月に見立てた笠を討って本懐を遂げる。
シテは常座で子方の退場を見送り、めでたしめでたし。
楽しかった♪
見応えのある好い御舞台でした!
能《望月》 シテ小沢友房 小島英明
ツレ安田友晴の妻 永島充 花若 黒沢樹
ワキ望月秋長 森常好 アイ望月の供人 野村萬斎
一噌隆之 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯
後見 観世喜之 奥川恒治 桑田貴志
地謡 観世喜正 中森貫太 遠藤喜久
鈴木啓吾 佐久間二郎 坂真太郎
月岡耕漁筆《能楽百番・望月》 小島家蔵(碧風會チラシより) 大正時代の能絵ですが、小島英明師をモデルにしたのかと思うほど目鼻立ちが似ている? |
休憩をはさんでいよいよ能《望月》。
定位置に着いた半裃姿の囃子方と地謡は、いつもより少し緊張気味の恐い面持ち。
見所にも緊迫感が充満して、能舞台の空間全体に熱気と気迫がみなぎります。
(わたしは、場の空気に酔ったらしく、しきりにクラクラ目眩がしました。)
さて、素襖上下姿のシテ・小沢刑部友房(小島英明師)が、登場楽もなく静かに登場。
出身は信濃国だが、今は訳あって、近江国の守山で甲屋という宿屋を営んでいることを告げるのですが、口調はかなり重々しく、ふつうの宿屋の主人にはとうてい見えない。
何か暗い過去をもつ、影のある男といった風情です。
そこへ、次第の囃子にのって、子方・花若とツレ・安田庄司の妻が登場します。
子方さんは、小島師が教えていらっしゃる子供能楽教室の方で、小学一年生から稽古を始めて今は六年生とのこと。
この子方さんがとても巧くて、ビックリなのでした!
声は子方特有の甲高いキンキンした声ではなく、よく通る伸びやかな声。
下居する姿も所作も美しく、さすがは大舞台で大抜擢されただけあります。
舞台が進むにつれて、この驚きが感動へと変わっていくのですが、それは後ほど。
いっぽう、ツレの安田友治奥方(永島充)はこれまた美しい出で立ち。
秋花をあしらい、ほどよく退色した枯葉色のシックな唐織に、コクのある渋い色合いの鬘帯。
面は深井でしょうか、近くで見るとゾクッとするほど美しい、憂いを帯びた女面。
装束といい、面といい、《砧》の前シテにしてもおかしくないほどの品位と存在感を漂わせています。
舞台に入ったツレと子方は、甲屋の主人に宿を請い、小沢は二人を宿の中へ案内します。
ここで地謡前にいた小沢は橋掛りへ、常座にいたツレ・子方は地謡前へ移動するのですが、正中ですれ違う際に、小沢が一瞬ハッとした様子で母子に視線を投げかけます。
ここでのシテの、写実に傾きすぎず、能面としての直面の範囲にぎりぎりとどまった形でのさりげない演技という、微妙なさじ加減がじつに見事で、現在能の面白さをきめ細かく表現するとこうなるのだなーと感心したのでした。
(こういう繊細な表現が見所によく伝わるのが、矢来という小空間の良いところ。)
母子が亡き主君の妻子であることに気づいた小沢は、二人の前に名乗り出て、主従は思わぬ再会にむせび泣き、シテは後見座で、ツレ・子方は囃子座後方でクツロギます。
そこへ次第の囃子で、ワキの望月秋長(森常好)とアイの従者(野村萬斎)が登場。
安田友治殺害の科で13年間在京していた望月は、このたび晴れて帰郷を許され、信濃に帰る途上だと述べ、従者に宿を取るよう命じます。
従者は評判の良い甲屋に泊まることにしますが、小沢との問答の中で、自分の主人の名が望月秋長であることを明かしてしまいます。
萬斎さんの登場から、やや硬さのあった舞台の空気が一気にほぐれ、なめらかに進んでいきます。
現在能こそ、さまざまな演劇形態を経験してきた萬斎さんの底力が発揮されるのだと実感。
まさに潤滑油のような存在ですね。
望月の名をうっかり漏らしてしまう場面でも、間の取り方とか声の調子とか、うまいなー。
さて、主君の仇が同宿していることを知った望月は奥方と花若を呼び、三人は橋掛りで作戦会議。
酒宴を開き、三人三様の芸を披露して相手を油断させた隙に、仇討をすることに。
(ツレ子方の物着)
まずは、ツレの奥方が盲御前に扮して、曽我物のなかの一万箱王の話を語ります。
永島さんの細杖の扱いがとても繊細。
ほんとうに目の不自由な人が杖を扱うように、慎重にていねいに、そして武家の奥方らしい品の良さ、奥ゆかしさをひとつひとつの所作に込めて。
その美しい手つきにうっとり。
そして、盲御前の手を引く子方の静かで落ち着いた物腰からも、母を思う子の気持が伝わってくるよう。
杖を置いた盲御前は、子方から渡された鼓を打ちながら、曽我兄弟の幼年期のエピソードを語ります。
実際に語るのは地謡なのですが、ここの地謡が凄かった!
まるで謡いのジェットコースターのように、クセから緩急を巧みにつけて盛り上げ、「抜いたる刀を鞘にさし、ゆるさせ給へ南無仏、敵を討たせ給へや」でドラマティックに謡い上げ、そこへ間髪いれずに子方の「いざ討たう」が入り、ほとんど同時に「おう討とうとは」でアイとワキが刀の束に手をやって身がまえ、そこへシテの「しばらく候」がかぶさっていく。
劇的空間が最高潮に張りつめた瞬間。
(ここで、シテ小沢のなかに眠っていた武士魂が完全に目覚めた気がする。)
この絶妙なタイミング!
地謡、子方・ツレ、アイ・ワキ、シテの息を呑むような連係プレー。
わたしは感動して心の中で拍手喝采!
そこでシテは、子方が「討とう」というのは八撥(鞨鼓)のことなんですよ、とその場を取り繕い、自分は獅子舞を舞うので、用意をしてきます、と言って、シテは中入り、ツレは橋掛りに杖を投げ捨てそのまま揚幕に入って退場、子方は後見座で物着。
後場は子方の鞨鼓で始まる。
鞨鼓は、けだるい午後のようなアンニュイな雰囲気が漂うわたしの好きな囃子です。
とくに一噌隆之さんの笛には、どこか物憂げな味わいがあります。
鞨鼓が終わるといよいよ乱序。
半幕があがり、シテがちらりと姿をのぞかせます。
お囃子も気合が入って、迫力満点。
それでも囃子方諸師には、疲労困憊した身体にムチ打っているのがところどろこに感じられます。
とりわけ太鼓と大鼓はこの週、福岡に鎌倉にと飛びまわり、この日も東中野と掛け持ち。
疲労の色を隠せないのは致し方ない……。
紅入厚板を被いだシテがダーッと威勢よく登場。
大小前で厚板を羽織って、扇を獅子の口に見立て赤い覆面をした「扇の獅子」姿を披露。
ここから獅子舞になるのですが、矢来は舞台自体の規格が通常のものよりも小さいのか、小島さんが舞うととても狭く感じます。
厚板の裄丈も小島さんには短すぎた気が。
そんな感じで、少し窮屈そうでしたが、ダイナミックで爽快な獅子舞でした。
(《望月》の獅子舞を長袴で舞う方もいらっしゃいますが、この日は大口。なんたって狭いから長袴はキケン。)
地謡の「あまりに秘曲の面白さに~」は、《石橋》の「獅子団乱旋の舞楽のみぎん~」と同じ節回し。
シテは、地謡の「折りこそよしとて脱ぎおく獅子頭」で獅子頭を脱ぎ捨て、モギドウに。
獅子頭を脱ぎ捨てるのには、《道成寺》の鱗落としのように、能楽師にとっての脱皮のような意味合いもあるのかしら?
ワキは自分の身がわりとなる笠をワキ座に置いて切戸口から退場し、シテと子方は望月に見立てた笠を討って本懐を遂げる。
シテは常座で子方の退場を見送り、めでたしめでたし。
楽しかった♪
見応えのある好い御舞台でした!
2015年11月16日月曜日
碧風會~狂言《鍋八撥》
碧風會~解説・仕舞などのつづき
笛 八反田智子
後見 月崎春夫 中村修一
上演時間45分という質・量ともに大曲で祝言性の高い脇狂言《鍋八撥》。
能《望月》と同様、芸尽くしの狂言なのでとても楽しめました。
まず、小アドの目代(もくだい)が、新たに市を立てるので一番乗りした者を、市司(いちつかさ:市場の代表で、さまざまな特権が与えられる)にするというお触れを出します。
(目代役の岡聡史さんは笑い顔が地顔なので、羨ましいなーと思いつつ拝見する。)
真っ先に駆けつけたのは鞨鼓売りの男。
自分が一番乗りを果たしたことを確認すると、鞨鼓をくくりつけた棒を脇座におろして、夜が明けるまでのあいだ眠ることにします。
そこへ浅鍋売りの万作師が登場。
ドジョウ鍋に使うような底の浅い土鍋をそれはそれは大事そうに持っています。
(きっと割れやすいように作られているのでしょう。
途中で割れちゃったら大失敗だから慎重に慎重に)。
鍋売りは、鞨鼓売りに先を越されたことに気づきますが、相手が寝入っているのを幸いに、鞨鼓売りの前に陣取って、何食わぬ顔でひと寝入り。
やがて目が覚めた鞨鼓売りは当然ながら怒り爆発、二人が言い争っているところへ、目代が仲裁に入り、鞨鼓売りVS鍋売りの芸能バトルが始まります。
ならば、と鞨鼓売りの内藤さんが、シュンシュンシュンッとヌンチャクを振り回すように見事な手さばきで棒を振り回し、最後は脇でバシッと挟んで決めポーズ。
対する鍋売り・万作師は、棒を貸してほしいと鞨鼓売りに頼むがあっさり断られ、しかたなく鍋の耳に通した紐を持って鍋を、割れないように恐る恐るフリフリ。
大事な商売道具を振った鍋売りの心がけに免じて、この勝負は引き分けとなりました。
そこで、鞨鼓売りは、同じく商売道具の鞨鼓を腰につけて、鞨鼓を打ちながら足拍子を踏み、舞を舞います。
ここからは笛が入って、舞台は一段と華やかに。
狂言《鍋八撥》の鞨鼓の舞は、囃子(笛の譜)も舞も能の「鞨鼓」とはぜんぜん違って、軽快な感じ。
これはこれで面白く、見ごたえがある。
いっぽう鍋売りは、鞨鼓売りに貸してもらった撥で、さながらタヌキの腹鼓のように腹にくくりつけた浅鍋を打ちますが、鍋が割れそうになり慌てふためくありさま。
この情けなく滑稽な鍋売りの仕草と表情が絶妙。
ふと見ると、万作さんのお顔は汗でびっしょり。
巧みな間合いで長時間演じ続けるのは、体力・気力を相当消耗するのでしょうね。
(最後の鍋を割る場面では、ゼイゼイと息が切れていらっしゃった。)
それから二人はそれぞれ腹にくくりつけた鞨鼓と鍋を、鞨鼓売りは撥で、鍋売りは(鍋が割れないように)若枝の束で打ちながら、笛に合わせて舞を舞うのですが、鍋売りが鞨鼓売りの真似をしながらワンテンポ遅れて舞うところが笑いを誘います。
最後に、鞨鼓売りは水車返り(側転)をしながら舞台を横切り、そのまま橋掛りを渡って、揚幕の中へダイヴ。
曲芸師のような軽快な技に見所大拍手。
残された鍋売りは水車返りの真似をしようと、おずおずと横ばいになって、床をゴロゴロ転がっているうちにバキッと音が……。
起き上がってみると、腹に括りつけた浅鍋が粉々に割れていたので、鍋売りはひと言、「おおっ! 数が多なってめでたい!」
落語のオチのような最後でめでたしめでたし。
名人芸と若手狂言師の軽妙な芸の数々、堪能しました♪
碧風會《望月》につづく
狂言 《鍋八撥》 シテ鍋売り 野村万作
アド鞨鼓売り内藤連 小アド目代 岡聡史笛 八反田智子
後見 月崎春夫 中村修一
上演時間45分という質・量ともに大曲で祝言性の高い脇狂言《鍋八撥》。
能《望月》と同様、芸尽くしの狂言なのでとても楽しめました。
まず、小アドの目代(もくだい)が、新たに市を立てるので一番乗りした者を、市司(いちつかさ:市場の代表で、さまざまな特権が与えられる)にするというお触れを出します。
(目代役の岡聡史さんは笑い顔が地顔なので、羨ましいなーと思いつつ拝見する。)
真っ先に駆けつけたのは鞨鼓売りの男。
自分が一番乗りを果たしたことを確認すると、鞨鼓をくくりつけた棒を脇座におろして、夜が明けるまでのあいだ眠ることにします。
そこへ浅鍋売りの万作師が登場。
ドジョウ鍋に使うような底の浅い土鍋をそれはそれは大事そうに持っています。
(きっと割れやすいように作られているのでしょう。
途中で割れちゃったら大失敗だから慎重に慎重に)。
鍋売りは、鞨鼓売りに先を越されたことに気づきますが、相手が寝入っているのを幸いに、鞨鼓売りの前に陣取って、何食わぬ顔でひと寝入り。
やがて目が覚めた鞨鼓売りは当然ながら怒り爆発、二人が言い争っているところへ、目代が仲裁に入り、鞨鼓売りVS鍋売りの芸能バトルが始まります。
ならば、と鞨鼓売りの内藤さんが、シュンシュンシュンッとヌンチャクを振り回すように見事な手さばきで棒を振り回し、最後は脇でバシッと挟んで決めポーズ。
対する鍋売り・万作師は、棒を貸してほしいと鞨鼓売りに頼むがあっさり断られ、しかたなく鍋の耳に通した紐を持って鍋を、割れないように恐る恐るフリフリ。
大事な商売道具を振った鍋売りの心がけに免じて、この勝負は引き分けとなりました。
そこで、鞨鼓売りは、同じく商売道具の鞨鼓を腰につけて、鞨鼓を打ちながら足拍子を踏み、舞を舞います。
ここからは笛が入って、舞台は一段と華やかに。
狂言《鍋八撥》の鞨鼓の舞は、囃子(笛の譜)も舞も能の「鞨鼓」とはぜんぜん違って、軽快な感じ。
これはこれで面白く、見ごたえがある。
いっぽう鍋売りは、鞨鼓売りに貸してもらった撥で、さながらタヌキの腹鼓のように腹にくくりつけた浅鍋を打ちますが、鍋が割れそうになり慌てふためくありさま。
この情けなく滑稽な鍋売りの仕草と表情が絶妙。
ふと見ると、万作さんのお顔は汗でびっしょり。
巧みな間合いで長時間演じ続けるのは、体力・気力を相当消耗するのでしょうね。
(最後の鍋を割る場面では、ゼイゼイと息が切れていらっしゃった。)
それから二人はそれぞれ腹にくくりつけた鞨鼓と鍋を、鞨鼓売りは撥で、鍋売りは(鍋が割れないように)若枝の束で打ちながら、笛に合わせて舞を舞うのですが、鍋売りが鞨鼓売りの真似をしながらワンテンポ遅れて舞うところが笑いを誘います。
最後に、鞨鼓売りは水車返り(側転)をしながら舞台を横切り、そのまま橋掛りを渡って、揚幕の中へダイヴ。
曲芸師のような軽快な技に見所大拍手。
残された鍋売りは水車返りの真似をしようと、おずおずと横ばいになって、床をゴロゴロ転がっているうちにバキッと音が……。
起き上がってみると、腹に括りつけた浅鍋が粉々に割れていたので、鍋売りはひと言、「おおっ! 数が多なってめでたい!」
落語のオチのような最後でめでたしめでたし。
名人芸と若手狂言師の軽妙な芸の数々、堪能しました♪
碧風會《望月》につづく
2015年11月15日日曜日
碧風會~解説・仕舞など
2015年11月15日(日) 14~17時10分 矢来能楽堂
解説 観世喜正
仕舞 《放下僧・小歌》 観世喜之
《富士太鼓》 観世喜正
地謡 奥川恒治 鈴木啓吾 桑田貴志 中森健之介
笛 八反田智子
後見 月崎春夫 中村修一
(休憩15分)
ワキ望月秋長 森常好 アイ望月の供人 野村萬斎
一噌隆之 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯
後見 観世喜之 奥川恒治 桑田貴志
地謡 観世喜正 中森貫太 遠藤喜久
鈴木啓吾 佐久間二郎 坂真太郎
前日から降り続いた雨も、小島英明師の強力な晴れ男パワーで晴れ上がり、
わたしが家を出る頃には青空が広がって《望月》披きにふさわしい好天気に。
見所は満席で人いきれがするほど。
ともあれ、リニューアル前のクラシカルな矢来能楽堂で拝見できてよかった!
まずは観世喜正さんの解説。
持ち時間は30分だったらしいけれど、お話が巧いので長さを感じさせず楽しいひととき。
《鍋八撥》と《望月》の内容など。
興味深かったのが、
鎌倉・室町期には、男性視覚障害芸能者が琵琶法師として平家物語を語ったのに対し、
女性視覚障害芸能者は盲御前(めくらごぜ)として鼓を打ちつつ曽我物語を語ったということ。
能《望月》のなかで安田友治の妻が盲御前に扮して、子供時代の曽我兄弟の逸話を語るのは、仇相手の望月に一種の仇打ち予告(殺害予告)をしているのかと思っていたけれど、
そうではなく、曽我物の語りが盲御前の芸の定番だったからなんですね。
かくして能《望月》には、盲御前の語り、稚児による鞨鼓、座敷芸としての獅子舞など、
中世に流行した芸能がタイムカプセルのように保存され、21世紀の現代でも
それらの生きた芸を目にすることができるという、有り難い軌跡を感じさせる解説でした。
芸の継承ってほんと、大切。 先人たちに感謝。
そのほか、《望月》についての解説は、去年拝見した坂口貴信之會《望月》の林望先生のお話も面白かったのでここにかいつまんで付記すると;
本来の《望月》には獅子舞はなく、現行《望月》でツレになっている安田友治の妻がもともとはシテだったのが、後から獅子舞が挿入されたために、位の高い獅子舞を舞う小沢刑部友房がシテとなり、安田の妻がツレに格下げされたという。
だからたぶん、《望月》のツレはシテとほぼ同格といえるほど重要な存在だと思う。
(その重要性は本公演のツレの面・装束にも表われていた。)
ツレが永島充さんなのも、わたしがこちらの公演を選んだ理由のひとつでした。
仕舞2番《放下僧》《富士太鼓》はどちらも仇討にちなんだ曲。
観世喜之師は、以前拝見した時よりも足腰がしっかり。
おそらく筋トレなども取り入れて、相当努力されているのだろう。
今年傘寿を迎えられ、老いてますます気力充実。
全身にみなぎる心身の強さのようなものを感じさせる。
きっと、「場」の力との相互作用もあるのかもしれない。
他の能楽堂で拝見するよりもはるかに素晴らしかった。
碧風會~狂言《鍋八撥》&《望月》につづく
碧風會番組より |
仕舞 《放下僧・小歌》 観世喜之
《富士太鼓》 観世喜正
地謡 奥川恒治 鈴木啓吾 桑田貴志 中森健之介
狂言 《鍋八撥》 シテ鍋売り 野村万作
アド鞨鼓売り内藤連 小アド目代 岡聡史笛 八反田智子
後見 月崎春夫 中村修一
(休憩15分)
能《望月》 シテ小沢友房 小島英明
ツレ安田友晴の妻 永島充 花若 黒沢樹 ワキ望月秋長 森常好 アイ望月の供人 野村萬斎
一噌隆之 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯
後見 観世喜之 奥川恒治 桑田貴志
地謡 観世喜正 中森貫太 遠藤喜久
鈴木啓吾 佐久間二郎 坂真太郎
前日から降り続いた雨も、小島英明師の強力な晴れ男パワーで晴れ上がり、
わたしが家を出る頃には青空が広がって《望月》披きにふさわしい好天気に。
見所は満席で人いきれがするほど。
ともあれ、リニューアル前のクラシカルな矢来能楽堂で拝見できてよかった!
まずは観世喜正さんの解説。
持ち時間は30分だったらしいけれど、お話が巧いので長さを感じさせず楽しいひととき。
《鍋八撥》と《望月》の内容など。
興味深かったのが、
鎌倉・室町期には、男性視覚障害芸能者が琵琶法師として平家物語を語ったのに対し、
女性視覚障害芸能者は盲御前(めくらごぜ)として鼓を打ちつつ曽我物語を語ったということ。
能《望月》のなかで安田友治の妻が盲御前に扮して、子供時代の曽我兄弟の逸話を語るのは、仇相手の望月に一種の仇打ち予告(殺害予告)をしているのかと思っていたけれど、
そうではなく、曽我物の語りが盲御前の芸の定番だったからなんですね。
かくして能《望月》には、盲御前の語り、稚児による鞨鼓、座敷芸としての獅子舞など、
中世に流行した芸能がタイムカプセルのように保存され、21世紀の現代でも
それらの生きた芸を目にすることができるという、有り難い軌跡を感じさせる解説でした。
芸の継承ってほんと、大切。 先人たちに感謝。
そのほか、《望月》についての解説は、去年拝見した坂口貴信之會《望月》の林望先生のお話も面白かったのでここにかいつまんで付記すると;
本来の《望月》には獅子舞はなく、現行《望月》でツレになっている安田友治の妻がもともとはシテだったのが、後から獅子舞が挿入されたために、位の高い獅子舞を舞う小沢刑部友房がシテとなり、安田の妻がツレに格下げされたという。
だからたぶん、《望月》のツレはシテとほぼ同格といえるほど重要な存在だと思う。
(その重要性は本公演のツレの面・装束にも表われていた。)
ツレが永島充さんなのも、わたしがこちらの公演を選んだ理由のひとつでした。
仕舞2番《放下僧》《富士太鼓》はどちらも仇討にちなんだ曲。
観世喜之師は、以前拝見した時よりも足腰がしっかり。
おそらく筋トレなども取り入れて、相当努力されているのだろう。
今年傘寿を迎えられ、老いてますます気力充実。
全身にみなぎる心身の強さのようなものを感じさせる。
きっと、「場」の力との相互作用もあるのかもしれない。
他の能楽堂で拝見するよりもはるかに素晴らしかった。
碧風會~狂言《鍋八撥》&《望月》につづく