能《望月》 シテ小沢友房 小島英明
ツレ安田友晴の妻 永島充 花若 黒沢樹
ワキ望月秋長 森常好 アイ望月の供人 野村萬斎
一噌隆之 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯
後見 観世喜之 奥川恒治 桑田貴志
地謡 観世喜正 中森貫太 遠藤喜久
鈴木啓吾 佐久間二郎 坂真太郎
月岡耕漁筆《能楽百番・望月》 小島家蔵(碧風會チラシより) 大正時代の能絵ですが、小島英明師をモデルにしたのかと思うほど目鼻立ちが似ている? |
休憩をはさんでいよいよ能《望月》。
定位置に着いた半裃姿の囃子方と地謡は、いつもより少し緊張気味の恐い面持ち。
見所にも緊迫感が充満して、能舞台の空間全体に熱気と気迫がみなぎります。
(わたしは、場の空気に酔ったらしく、しきりにクラクラ目眩がしました。)
さて、素襖上下姿のシテ・小沢刑部友房(小島英明師)が、登場楽もなく静かに登場。
出身は信濃国だが、今は訳あって、近江国の守山で甲屋という宿屋を営んでいることを告げるのですが、口調はかなり重々しく、ふつうの宿屋の主人にはとうてい見えない。
何か暗い過去をもつ、影のある男といった風情です。
そこへ、次第の囃子にのって、子方・花若とツレ・安田庄司の妻が登場します。
子方さんは、小島師が教えていらっしゃる子供能楽教室の方で、小学一年生から稽古を始めて今は六年生とのこと。
この子方さんがとても巧くて、ビックリなのでした!
声は子方特有の甲高いキンキンした声ではなく、よく通る伸びやかな声。
下居する姿も所作も美しく、さすがは大舞台で大抜擢されただけあります。
舞台が進むにつれて、この驚きが感動へと変わっていくのですが、それは後ほど。
いっぽう、ツレの安田友治奥方(永島充)はこれまた美しい出で立ち。
秋花をあしらい、ほどよく退色した枯葉色のシックな唐織に、コクのある渋い色合いの鬘帯。
面は深井でしょうか、近くで見るとゾクッとするほど美しい、憂いを帯びた女面。
装束といい、面といい、《砧》の前シテにしてもおかしくないほどの品位と存在感を漂わせています。
舞台に入ったツレと子方は、甲屋の主人に宿を請い、小沢は二人を宿の中へ案内します。
ここで地謡前にいた小沢は橋掛りへ、常座にいたツレ・子方は地謡前へ移動するのですが、正中ですれ違う際に、小沢が一瞬ハッとした様子で母子に視線を投げかけます。
ここでのシテの、写実に傾きすぎず、能面としての直面の範囲にぎりぎりとどまった形でのさりげない演技という、微妙なさじ加減がじつに見事で、現在能の面白さをきめ細かく表現するとこうなるのだなーと感心したのでした。
(こういう繊細な表現が見所によく伝わるのが、矢来という小空間の良いところ。)
母子が亡き主君の妻子であることに気づいた小沢は、二人の前に名乗り出て、主従は思わぬ再会にむせび泣き、シテは後見座で、ツレ・子方は囃子座後方でクツロギます。
そこへ次第の囃子で、ワキの望月秋長(森常好)とアイの従者(野村萬斎)が登場。
安田友治殺害の科で13年間在京していた望月は、このたび晴れて帰郷を許され、信濃に帰る途上だと述べ、従者に宿を取るよう命じます。
従者は評判の良い甲屋に泊まることにしますが、小沢との問答の中で、自分の主人の名が望月秋長であることを明かしてしまいます。
萬斎さんの登場から、やや硬さのあった舞台の空気が一気にほぐれ、なめらかに進んでいきます。
現在能こそ、さまざまな演劇形態を経験してきた萬斎さんの底力が発揮されるのだと実感。
まさに潤滑油のような存在ですね。
望月の名をうっかり漏らしてしまう場面でも、間の取り方とか声の調子とか、うまいなー。
さて、主君の仇が同宿していることを知った望月は奥方と花若を呼び、三人は橋掛りで作戦会議。
酒宴を開き、三人三様の芸を披露して相手を油断させた隙に、仇討をすることに。
(ツレ子方の物着)
まずは、ツレの奥方が盲御前に扮して、曽我物のなかの一万箱王の話を語ります。
永島さんの細杖の扱いがとても繊細。
ほんとうに目の不自由な人が杖を扱うように、慎重にていねいに、そして武家の奥方らしい品の良さ、奥ゆかしさをひとつひとつの所作に込めて。
その美しい手つきにうっとり。
そして、盲御前の手を引く子方の静かで落ち着いた物腰からも、母を思う子の気持が伝わってくるよう。
杖を置いた盲御前は、子方から渡された鼓を打ちながら、曽我兄弟の幼年期のエピソードを語ります。
実際に語るのは地謡なのですが、ここの地謡が凄かった!
まるで謡いのジェットコースターのように、クセから緩急を巧みにつけて盛り上げ、「抜いたる刀を鞘にさし、ゆるさせ給へ南無仏、敵を討たせ給へや」でドラマティックに謡い上げ、そこへ間髪いれずに子方の「いざ討たう」が入り、ほとんど同時に「おう討とうとは」でアイとワキが刀の束に手をやって身がまえ、そこへシテの「しばらく候」がかぶさっていく。
劇的空間が最高潮に張りつめた瞬間。
(ここで、シテ小沢のなかに眠っていた武士魂が完全に目覚めた気がする。)
この絶妙なタイミング!
地謡、子方・ツレ、アイ・ワキ、シテの息を呑むような連係プレー。
わたしは感動して心の中で拍手喝采!
そこでシテは、子方が「討とう」というのは八撥(鞨鼓)のことなんですよ、とその場を取り繕い、自分は獅子舞を舞うので、用意をしてきます、と言って、シテは中入り、ツレは橋掛りに杖を投げ捨てそのまま揚幕に入って退場、子方は後見座で物着。
後場は子方の鞨鼓で始まる。
鞨鼓は、けだるい午後のようなアンニュイな雰囲気が漂うわたしの好きな囃子です。
とくに一噌隆之さんの笛には、どこか物憂げな味わいがあります。
鞨鼓が終わるといよいよ乱序。
半幕があがり、シテがちらりと姿をのぞかせます。
お囃子も気合が入って、迫力満点。
それでも囃子方諸師には、疲労困憊した身体にムチ打っているのがところどろこに感じられます。
とりわけ太鼓と大鼓はこの週、福岡に鎌倉にと飛びまわり、この日も東中野と掛け持ち。
疲労の色を隠せないのは致し方ない……。
紅入厚板を被いだシテがダーッと威勢よく登場。
大小前で厚板を羽織って、扇を獅子の口に見立て赤い覆面をした「扇の獅子」姿を披露。
ここから獅子舞になるのですが、矢来は舞台自体の規格が通常のものよりも小さいのか、小島さんが舞うととても狭く感じます。
厚板の裄丈も小島さんには短すぎた気が。
そんな感じで、少し窮屈そうでしたが、ダイナミックで爽快な獅子舞でした。
(《望月》の獅子舞を長袴で舞う方もいらっしゃいますが、この日は大口。なんたって狭いから長袴はキケン。)
地謡の「あまりに秘曲の面白さに~」は、《石橋》の「獅子団乱旋の舞楽のみぎん~」と同じ節回し。
シテは、地謡の「折りこそよしとて脱ぎおく獅子頭」で獅子頭を脱ぎ捨て、モギドウに。
獅子頭を脱ぎ捨てるのには、《道成寺》の鱗落としのように、能楽師にとっての脱皮のような意味合いもあるのかしら?
ワキは自分の身がわりとなる笠をワキ座に置いて切戸口から退場し、シテと子方は望月に見立てた笠を討って本懐を遂げる。
シテは常座で子方の退場を見送り、めでたしめでたし。
楽しかった♪
見応えのある好い御舞台でした!
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