2019年7月30日火曜日

片山九郎右衛門《安達原》~面白能楽館プロデュース

2019年7月27日(土)京都観世会館
面白能楽館「恐怖の館」からのつづき
白川で気持ちよさそうに涼んでいたアオサギさん

能《安達原》シテ片山九郎右衛門
 祐慶 小林努 山伏 有松遼一
 能力 茂山千三郎
 左鴻泰弘 曽和鼓堂 河村大 前川光範
 後見 大江信行 梅田嘉宏
 地謡 河村晴道 味方玄 分林道治
    浦部幸裕 橋本光史 吉田篤史
        河村和貴 大江泰正


やっぱり凄かった、九郎右衛門さん! 
これだから目が離せない。

解説の林宗一郎さん曰く「現代の能楽師が考え得る工夫」を凝らした《安達原》。鬼女の「心の闇と悲しみに迫るところ」と「鬼の形相で出てくる女の勢い」が見どころとのこと。

その触れ込みにたがわず、いや、ふれ込み以上に、随所に工夫が凝らされ、鬼女の内面に迫ったこの日の舞台は、まちがいなく、私がこれまで観たなかで最高の《安達原》だった。

照明がいつもより落として、見所が暗めになっていたのもよかった。こういう曲やしっとりとした深みのある曲は、これくらいの照明のほうが雰囲気が出る。



【前場】
短縮バージョンなので、ワキの次第は地謡が引き受け、道行はカット。名乗りのあと、すぐさま陸奥の安達原に到着(早っ!)。

ワキの山伏一行が着くと、笛の独奏が入る。この左鴻さんの笛から、安達原の荒涼とした空気と、女のわび住まいの寂莫たる雰囲気が醸成されてくる。


〈糸車を回す場面〉
シテは、陸奥の風さながらの寂寥感のある地謡にのせて、古い映写機のようにゆっくりと枠枷輪を回しながら「日陰の糸」「糸毛の車」「糸桜」と糸尽しの歌を謡い、そこに自らの過去を投影させてゆく。

「長き命のつれなさを思ひ明石の浦千鳥」から、命を長らえたくないとでもいうように、糸車を回す速度が速まり、女は感極まって泣きくずれてしまう。
シテのまとう孤独な影が、憐れな女の輪郭をなぞっている。

こういう影の表現が、九郎右衛門さんらしい。
孤独な人間の脆い部分にスーッと入っていける人。
人の心の傷に、自然に寄り添える人なのかもしれない。

そして、ヒロインの気持ちに同化するだけでなく、能面の魂を肉体に憑依させ、その魂を表現できるだけの神業的身体技能をもつ人でもある。

まさに心・技・体の3つが渾然一体となって、九郎右衛門さんの舞台を創り上げていた。



〈鬼の気配〉
「あらうれしや候、かまへてご覧じ候ふな」と、閨のなかを覗かないよう念を押す女の声に、「どうか、わたしを裏切らないで」と哀願するような気持が滲む。

だが、アイの従者に再度念を押すところから、しだいに「鬼」の心が顔を出す。
一の松で立ち止まる場面では、姿は女でも、背後の影は鬼になりかけているような、そんな気配が漂っていた。




【間狂言】
女との約束は裏切られ、閨のなかを覗かれてしまう(聖職者なのに女性の寝室を覗くなんて……)。なかには腐臭漂う死体の山。
(関西の間狂言は東京と比べて、わかりやすいというか、オーバーアクションなんですね。)



【後場】
幕が上がり、鬼女となった後シテ登場。
三の松でしばし佇んだあと、ススーッと後ろに下がって幕のなかへ。
早笛の囃子とともに、ふたたびサッと幕が上がり、勢いよくシテが出て、一の松で謡いだす。

この「焦らし」と「勢い」、「前進」と「後退」のメリハリの効いたシテの出が、めちゃくちゃカッコいい!


照明を落とした舞台のなか、シテが打杖を振り下ろす。般若の面がおぞましくも、恐ろしい。金泥の眼が怨みの炎で鈍く光り、耳まで裂けた口から底なしの闇がのぞき、凄まじい憎悪の念を沸々とたぎらせている。

やがてシテは橋掛りに向かう途中、後見座の前で、背負っていた柴をサラリと落とす。《道成寺》の鱗落としと同じ型だが、どことなくエレガントで品がある。

九郎右衛門さんの鬼女は邪悪に見えつつも、かつては奥ゆかしく美しい女性であったと思わせる気品と恥じらいが、所作や物腰の端々に感じとれる。こういうところに惹かれるのだ。


イノリの囃子のなか、息をつく暇もないほどの迫力ある鬼女と山伏のバトルが繰り広げられる。
燃えたぎるような鬼女の怨念に山伏たちは圧倒されたかに見えたが、「東方に降三世明王……」と山伏たちが神々の名を唱えると、シテの勢いはみるみる衰えてゆく。

この鬼女の忿怒の形相と、呪文の効力に威力を失ってゆくさまとの明暗表現がじつにあざやか。眼に見えない衝撃が鬼女を襲ってゆくのが、手に取るようにわかる。


最後は山伏たちに祈り伏せられ、タタターッと橋掛りを進んでそのまま幕入り。


……かと思ったが、ふたたび幕が上がり、

そこには、
鬼の姿をした女がひとり、

救いのない孤独のなかで、
むせび泣いていた。






2019年7月29日月曜日

面白能楽館「恐怖の館」

2019年7月27日(土)京都観世会館
お話 林宗一郎
組曲「こんなはずじゃなかった」
《鉄輪》 浦田保浩
《善知鳥》杉浦豊彦
《恋重荷》井上裕久
 左鴻泰弘 曽和鼓堂 河村大 前川光範
 後見 味方團
 地謡 浦田保親 越智隆之
    吉浪壽晃 大江信行

能の体験
 謡体験その一・その二
 能面体験
 装束体験・ホラールーム

能《安達原》シテ片山九郎右衛門
 祐慶 小林努 山伏 有松遼一
 能力 茂山千三郎
 左鴻泰弘 曽和鼓堂 河村大 前川光範
 後見 大江信行 梅田嘉宏
 地謡 河村晴道 味方玄 分林道治
    浦部幸裕 橋本光史 吉田篤史
        河村和貴 大江泰正



その名の通り、と~っても面白くて、怖かった、面白能楽館「恐怖の館」。
京都の能楽師さんは皆さん親切で、フレンドリーな方ばかり。いつもよりお客さんの年齢層も若くて、見所もロビーも活気にあふれ、大人も子供も少女漫画みたいに目がキラキラしていた。
なにより企画力がすごい。ヴァラエティ豊かな内容を「これでもか!」ってくらいギュッと詰め込み、幅広い年齢層が楽しめる公演にアレンジされていて、よく考えられている。

夏休みのこういう体験型能楽イベントはお子さま限定がほとんどで、私などは行きたくてもいけなかったから、うれしい機会でした。



組曲《こんなはずじゃなかった》
《鉄輪》《善知鳥》《恋重荷》という怖い3曲の見せ場をピックアップして、リレー形式で上演。京都観世会を代表するシテ方お三方が、面・装束を着け、曲ごとに「祈祷台」「笠」「重荷」の3つのアイテムが出されるという、贅沢な組曲。

3人のシテの充実した芸が次々と披露され、お囃子が曲と曲をスムーズにつないでいく。この日は音響が良く、前川光範さんと河村大さんが華麗な音色と気迫のある掛け声にゾクゾクした。



謡体験
解説者で企画者のおひとりでもある林宗一郎さんのご指導。地取のお稽古というのが斬新だった。あの低く響く声をお腹の底から出すのはなかなか難しいけれど、地取って渋くてかっこいい。謡のお稽古を少し体験しただけでも、その味わい方が違ってくる。


鉄輪の「祈祷台」
ロビーに設けられた作り物体験コーナー。
鉄輪の「祈祷台」では後妻打ちのポーズで写真撮影。



安達原の「萩小屋」と打杖
担当の片山伸吾さんがていねいに説明してくださいました。
打杖、はじめて手に持ったけれど、意外に軽くてビックリ。
お茶の世界で「軽いものは重く」扱うよう教えられるように、舞台で役者さんが扱うと、もっと頑丈で重そうに見えます。

作り方は竹の棒に布を巻いていくのですが、このとき接着剤は使わず、先のほうを糸で縛るだけだそうです。《安達原》では画像のような紺地の布を使い、《道成寺》などでは赤地の布を使うとのこと。簡素な道具にも、細かい部分に工夫やこだわりが施されていて、能楽師さんから直接お話をうかがうのは着物の織元を訪ねるのに似ています。



能面クラフト・コーナー
公演チラシの裏面の般若を切り抜けば、紙の能面になるというなかなかのアイデア。
こういうの作るのは久しぶり。4才の甥にあげようかな。




装束体験
舞台では装束体験。
着付けチーム4組ぐらいで15人の装束付をしていきます。能楽師さんたちも汗だく。

2階はホラールーム。
私は申し込まなかったのですが、アミューズメントパークのアトラクション並みに「きゃあ~!」という叫び声が聞こえてきて、すごく盛り上がっていました。(^^♪




能面体験

お目当ては、この能面体験。
プロの能楽師さんが面をかけた時どんな感じなのかを体験するべく、本物の舞台の時と同じ強さで紐を締めてもらうようお願いしたのですが、これが私にとっての恐怖体験に。

「えっ! こんなに締めるの?!」と思うくらい、能楽師さんが面紐をグイーッと締めていきます。懲らしめられた孫悟空の頭の輪のような締めつけ具合とでもいうのでしょうか、意識が遠のきそう。

立ち上がって歩いてみましたが、視界は狭く、私は顎を引きすぎていたので、能楽師さんに舞台上のふつうの頭の角度に直してもらうと、足元がまったく見えず、おのずとスリ足的な歩き方になっていきます。

それにしても、面を掛けただけで、慣れ親しんだ自分の身体が、別のものになったような不思議な感覚でした。修練を積んだ能楽師さんはもっと深い憑依感覚を味わっていくのでしょうか。そういえばこの日の翌日、金剛家の能面展にうかがったときに、宇髙竜成さんが「能楽師は能面の依代になるために身体をつくってゆく」みたいなことをおっしゃっていました。能面は、お能の「核」なのかもしれません。




2階展示ケースの怖い能面たち
京都観世会の各御家が持ち寄った、怖い能面たち。
チラシの背景に映っていた能面たちは、この子たちの合成?
間近で拝見できてうれしい。

撮影OKだったので、以下に紹介していきます。

狐蛇




貴船女
変わった能面ですね。林家所蔵の「貴船女」だそうです。
きれいだなぁ。
この面を使った《鉄輪》を観てみたいと思ったのですが、実際は使いにくいとか。



野干




生成
素人目にはこちらのほうが使いにくそうに見えるのですが、使い込まれた跡があるので、意外とそうでもなさそうです。



河津(蛙)
私にとって、能面のなかでいちばん怖いのが蛙の面。
この子はわりと愛嬌があるのですが、日氷の蛙は、ほんとうに怖い。





橋姫



般若



鼻瘤悪尉


片山九郎右衛門《安達原》につづく


金剛家 能面・能装束展観「宮廷装束と能装束」~御代替りによせて

2019年7月28日(日)金剛能楽堂


金剛家の能面・装束展へは初めて行ったけど、「面金剛」と言われるだけあって、垂涎ものの名品の数々……。
何度も来ている人に聞いたところ、今年はとくに金剛流でもトップクラスの面が数多く展示されているとのこと。改元記念?

メインとなる展示場は、能舞台と橋掛り。
ここの照明はやわらかみのある電球色だから、展示された能面たちもいちだんときれいに見える。
能面好きにはパラダイスすぎて、御宗家の対談や会場各所に待機していた能楽師さんたちから興味深いお話をうかがっているうちに、2時間半の滞在時間があっという間に過ぎてしまった。

(舞台中央には上村松篁筆の鳳凰長絹が飾られていたのですが、この日の夜にEテレ「古典芸能への招待」で放送された京都薪能では、お家元がこれをお召しになって《羽衣》を舞われていた。なんてタイムリー!)



【対談】
金剛流宗家と、衣紋道山科流若宗家・山科言親氏との対談。

事前に調べた情報によると、衣紋道とは装束着付けの方法のこと。
藤原時代の貴族たちは緩やかでゆったりしたフォルムの装束(柔装束:なえしょうぞく)を着ていたが、平安末期になると、鳥羽上皇の好みや新興勢力・武士たちの気風を反映して、かっちりした装束着付け(剛装束:こわしょうぞく)が好まれるようになる。
剛装束はごわごわとして着にくいため特別な着付けが必要となり、ここから「衣紋」という技術が生み出され、鎌倉・室町期に衣紋道の二流「高倉流」と「山科流」が誕生した。

この山科流の若宗家が、この日の対談相手・山科言親氏。
京都の御曹司を絵に描いたような物腰のやわらかい、品のある方。対談では気さくな感じで、金剛流御宗家のお話をうまく引き出していらっしゃった(金剛流宗家と山科流宗家とは、金剛流御令嬢の嫁ぎ先の御親戚、というご関係のようです)。


金剛流宗家のお話が、ちょっと他ではうかがえないことばかり。
以下は自分のための断片的なメモ。

〈明治の名人・金剛勤之助〉
宝生九郎と並び称された明治の名人・金剛謹之助(野村金剛家出身。その子息が金剛流宗家・金剛巌)は、蹴鞠や琵琶も習っていて、そうした素養を能《遊行柳》の蹴鞠の型や《絃上》の琵琶を弾く型に生かしたという。
謹之助が蹴鞠に使った鴨沓が野村金剛家に残っていた。その鴨沓には野村家の「沢瀉」の家紋、沓を入れる箱には金剛流の家紋が記されていて、弟子家だった野村家から金剛宗家となる過渡期的な当時の状況がうかがえる。


〈武家出身の野村金剛家〉
野村金剛家が御所の許されたのは、野村家がもとは佐々木源氏系の侍の家だったからである。豊臣秀次が金剛流を贔屓にしていため、家臣だった野村家も金剛流の能を習ったが、秀次失脚の際、野村家も失脚し、のちに能役者に転向したという。


徳川時代になって、能役者は名字帯刀が許されたが、身分制度上は士農工商の下に位置しており、「猿楽師」は禁中への出入りは許されなかった。そこで、武士出身の野村金剛家が御所に出勤し演能を行った(本来の金剛宗家・坂戸金剛家も猿楽師出身なので宮中への出入りは許されなかった)。


〈四座一流が残ったのは秀吉のおかげ〉
足利氏が贔屓にしたのは観世だけだったが、豊臣秀吉は大和猿楽をすべて残そうと応援した。
秀吉自身がパトロンとなったのは金春流だったが、他の大名たちにそれぞれ特定の流派を後援させて、大和猿楽各流派にパトロンをつけさせた。今日、能楽シテ方・四座一流が残っているのは、秀吉のおかげでもある。


〈秀吉は観世流を嫌った?〉
秀吉時代、徳川家康は観世流を贔屓にしていたから、秀吉にも観世の良さを認めてもらおうと、演能の機会を設けた。しかし秀吉は、当時観世流に組み込まれていた日吉(近江猿楽)のほうを評価し、観世には辛い評価をつけた。観世のほうも、秀吉の演能を観る「お能拝見」の折には、そっぽを向いていた。



〈染め分けの露〉
一般に長絹のツユは「一色」だけと決まっていて、「染め分け」を使うのは許されていない。しかし、野村金剛家だけはツユに染め分けを使うことが許されている。



〈金沢は金春流から宝生流へ〉
現在、金沢は宝生流王国だが、かつては金春流の地盤だった。それは、秀吉に仕えた前田家が、秀吉と同じく金春流を贔屓にしていたからだが、徳川時代に入り、徳川何代目かの将軍が宝生流を贔屓にしたため、当時の前田家城主も宝生流に乗り換えたからである。
とはいえ、贔屓にした役者は同じで、役者自身を金春流から宝生流に鞍替えさせたのだった。


などなど、「へえ~、そうなのか~!」という面白いお話がいっぱい。
まだまだ話し足りないような金剛御宗家でしたが、タイムキーパーの宇髙竜成さんから「タイムアウト!」のサインが何度も出て、残念ながら時間切れ。こういう研究者の著書には書かれない興味深いお話、もっと聞きたかったな~。




【能面・装束の展示】
若宗家にうかがったところ、もとの金剛宗家(坂戸金剛家)は、明治期にほとんどの能面・装束を手放してしまい、その多くが三井記念美術館に収蔵されているとのこと。
現在、金剛家が所蔵している名品の数々は、野村金剛家の金剛勤之助が、パトロンだった千草屋などの大坂の豪商の力を借りて集めたものだそうです。

目録などがなかったので、以下はざっとメモ。

(舞台右手に女面が年齢順に展示。女性の顔立ちの経年変化がよくわかる。)
雪の小面:龍右衛門作、室町時代
孫次郎:河内作、江戸時代 妖艶な女面。
増女:是閑作、桃山時代 深みのある美しさ。ずっと見ていたい。
曲見:河内作、江戸時代
檜垣姥:千代若作、室町時代


般若:夜叉作、室町時代。様式化されていない崩れや歪みが能面の恐ろしさを際立たせ、怨念がこもったような面。もっぱら《黒塚》に使われるそうです。とても怖いけれど、強く惹きつけられる。

般若:赤鶴作、室町時代
泥眼:河内作、江戸時代。悲しげで美しい表情。この泥眼で《海士》や《当麻》を拝見したい。
十寸神(ますがみ):増阿弥作、室町時代、古風で神秘的な面立ち。
野干:日氷作、室町時代

喝食:越智作、室町時代
鼓悪尉:赤鶴作、室町時代。悪尉のなかでも鼻が特大。その名の通り、《綾鼓》に使われるのかしら。

黒式尉:日光作、室町時代。
父尉:春日作、室町時代。うわあ、あの伝説的面打ち「春日」の作、神作じゃないですか! かつて神社などでの奉納の際に使われたのか、呪力の強さが伝わってくるよう。

中将:満照作、室町時代
蝉丸:満照作、室町時代
この満照という面打ちは三光坊の甥だそうだけれど、独特の作風。中将はエクスタシーに浸りきっているような、うっとりとしたエロティックな表情をしているし、蝉丸は夢見るような瞑想的な顔立ちで、半開きの口が今にも何かを語り出しそう。
優美でロマンティックな作風の面打ちですね、満照は。

平太:春若作、室町時代
三日月:徳若作、室町時代
大飛出:徳若作、室町時代

小飛出:福来(ふくらい)作、室町時代
猿飛出:赤鶴作、室町時代
大癋見:三光坊作、室町時代

装束も金剛流らしい華やかなものがいっぱい!



2019年7月22日月曜日

夕涼みには祇園祭後祭・宵山

2019年7月21日(日)28~29℃
吉田家住宅主屋(市登録有形文化財)
今年は祇園祭にしては涼しくて、過ごしやすい。
とくに後祭の宵山は人ごみのストレスもなく、ゆっくり散策できて、前祭のにぎやかさとは違う「後の祭り」の独特の郷愁と、祭が終わりに近づいてゆく一抹の寂しさ……この雰囲気がなんか、ええなあと思う。

屏風飾りもゆったりとしていて、夏の夕暮れの気怠いひと時をの~んびり満喫してきました。


藤井絞の屏風飾り
ずうっと奥までお座敷が続いている。
左に見えるのは、北観音山のミニチュア。
調度も建物も、素敵な空間。




役行者山
 まずは、役行者山から。



左から一言主、役行者、葛城神
一言主は2本の角が生えた鬼の姿。ちょっと不気味。
右脇には、能《葛城》でもおなじみの葛城の女神さま。役行者に使役されているらしく、肩身が狭そう。着付は観世流能楽師さんだそうです。きれいな着付けですね。



役行者腰掛け石

今から1300年以上前に、役行者がこの石に坐して精神修行したという「役行者腰掛け石」。役行者がこの石に手を当てて全身のコリをほぐしたことから、身体のコリをほぐすのに効果があるとか。
わたくし、注意書きを読まずに「撫で石」かと思って、風邪が悪化しないように願掛けをしてしまった……コリじゃなくても効果はあるのだろうか?




瀬織津姫
 こちらは鈴鹿山の瀬織津姫。鈴鹿山の悪鬼を退治したとされる鈴鹿権現と習合しています。なので、右肩を脱ぎ、大長刀をもち、能面をかけるという凛々しいお姿。巴御前をモデルにしているそうです。こちらも着付けは能楽師さん。





橋弁慶山
 先日の七夕の日にも 吉浪壽晃さん父子の《橋弁慶》を拝見したばかり。ちょうどこの日も、片山定期能で《橋弁慶》やってたんですね。京都には可愛い子方さんが多いから《橋弁慶》がよくかかる。




会所2階に飾られていた弁慶と牛若丸
近くで観ると、弁慶の顔がめっちゃリアル。



五条大橋の欄干。
浜千鳥や波濤の彫刻が見事。巡行の時は見えないけれど、細かい部分まで手を抜かないところに町衆の矜持を感じます。





鯉山飾毛綴(重要文化財)
 今年の後祭山一番を引き当てた鯉山のタペストリー。
山一番+登竜門で縁起が良く、重文のタペストリーもあるので会所は大人気。





1600年ころベルギーで制作されたこの『イーリアス』のタペストリーは5枚連作の1枚、「トロイ王プリアモスと王妃ヘキューバの祈り」が主題。鯉山の周囲を飾るため、この1枚が大工のノミで9枚に切断され、見送などの懸装品に仕立てられたそうです。

5枚連作のほかの4枚については、「トロイ歓楽の図」が祇園祭の白楽天山と大津祭の懸装品として使われ、「トロイ王子パリスと美女ヘレンの出会」が金沢前田育徳会に保存され、「トロイ王子ヘクトルの妃および子息との別れ」が祇園祭の鶏鉾・霰天神山と長浜曳山祭の懸装品となり、「トロイ王プリアモスの敵将アキレウス訪問」が芝増上寺で焼失、とそれぞれの運命をたどりつつも、焼失した1枚以外はすべて残っているのはすごいことです。

大津祭と長浜曳山祭、今年か来年あたりに久しぶりに行ってみようかな。



孔雀の羽根やお城、樹木の描写など非常に細かく織り込まれていて、保存状態も素晴らしい。
タペストリーの伝来については、伊達政宗によって派遣された支倉常長が、ローマ法王に謁見した際に贈られたのではないかと考えられているようですが、ではなぜ、京都の祇園祭に使われるようになったのか、謎はまだまだ深まります。



懸装品に仕立てられた時に、こうした東洋風の龍文様の繻子と組み合わされたのも、面白い取り合わせ。祇園祭ならではですね。



こちらは、左甚五郎作と伝えられる「大鯉」。
落語の「ねずみ」じゃないけれど、夜な夜な動き出して、滝を登ってゆくような迫真の表現。鯉山の御神体は奥宮に祀られる素戔嗚尊なんだけど、みなさん、この鯉を拝んでいました。ほんと、これをネタにした新作落語があればいいのに。




『平家物語』の宇治川の合戦(橋合戦)を主題にした浄妙山。


一来法師と筒井浄妙
 巡行では、一来法師が浄妙の頭に手をついて、アクロバティックに飛び越える瞬間が再現されますが、会所ではこんなふうに並んで安置されています。それでも、躍動感あふれる造形には目を見張る。
先日、大津伝統芸能会館とともに訪れた三井寺の僧兵たち。いかに荒々しく、勇壮だったかが偲ばれます。




浄妙山の後縣
 浄妙山の新調した後縣は、長谷川等伯の「楓図」をモチーフにしたもの。近くで観ると、とんでもなく精緻な綴織。




黒主山
能《志賀》にちなんだ山。
桜が咲いているその訳は……会所のなかに。



黒主山の会所に祀られた大伴黒主
黒主が桜を見上げて「春雨の降るは涙か桜花、散るを惜しまぬ人しなければ」と詠んだ場面を主題にしているからだそうです。
こちらも着付けは観世流能楽師さん(どなただろう?) 着付けも佇まいも、能のシテ方さんのように端正。
能《草子洗小町》では悪者扱いですが(可哀そうに)、ほんとうは知的で風流な人だったことがこの御神体からも伝わってきます。





風が出ていて、夕涼みには最適。
お買い物もいろいろしたし。
宵山、満喫しました。



新作能《沖宮》上映会

2019年7月21日(日)京都国立近代美術館講堂

新作能《沖宮》:国立能楽堂上演映像
   シテ天草四郎 金剛龍謹
 ツレ龍神 金剛永謹 あや豊嶋芳野
 ワキ村長 岡充
 杉市和 古田知英 谷口正壽 中田一葉

対談  金剛龍謹×志村昌司


斜め前に見えるのが観世会館の駐車場

今年1月にETV特集で放送された「ふたりの道行~志村ふくみと石牟礼道子の沖宮」を観て以来興味があったから、今回の上映会はよい機会だった。
上映会は、沖宮DVDブックの発売に合わせたプロモーションの一環らしい。


新作能《沖宮》のあらすじと構成はこんな感じ(上演時間70分)
石牟礼道子の育った天草が舞台。
時は島原の乱から少し経ったころ、旱魃に苦しむ村で雨を降らせるべく、天草四郎の乳兄妹である少女あや(子方)が龍神への人柱に選ばれる。
あやは村長(ワキ)とともに「原の砦(島原の乱で一揆軍が籠城した原城址)」に赴き、そこで天青の衣を着た天草四郎の亡霊(シテ)と出会う。
霊力の強い緋の衣を四郎から受け取ったあやが、それを着て雨乞いの舞(神楽)を舞うと、雷鳴が轟き、龍神(ツレ)が早笛の囃子で登場。龍神は舞働を舞って雨を降らす。
やがて、あやは天草四郎と龍神に導かれ、妣(はは)なる國「沖宮」への道行をはじめる、というストーリー。


感想
ひと言でいうと、志村ふくみが監修した装束が主役のお能。
石牟礼道子が原作とはいえ、実際に詞章を書いたわけではなく、彼女の大まかな構想をもとに、志村ふくみが装束をプロデュースし(実際に制作したのは娘さんとお弟子さんたち)、研究者が詞章を書き、能楽師さんたちが構成や節付・振付・お囃子を考えた。

つまり、志村ふくみと石牟礼道子というビッグネームの2人の「思い」を、周囲の人々が具体的な形にしたものが新作能《沖宮》、ということのようだ。


詞章は和歌の研究者が書いたものらしく、格調高い古語で書かれ、節付も違和感がない。ただ、シテとツレの謡が聞き取りにくく(ワキと地謡は聞き取りやすかった)、詞章の配布もなかったので、ところどころの展開が私にはついていけず、なんだかよく分からない部分も多かった。

緋の衣の制作過程や謂れをシテが語っているところも聞き取れなかったし、最後に橋掛りで、龍神が少女あやの両肩に手をのせ、何か(おそらく感動的なこと)を熱く語りかけているのも、私のヒヤリングが及ばなかった。

そんなわけで、感動するツボのようなところが聞き取れず、「???」という置いてきぼり感があった。


とはいえ、ノットや神楽、早笛や舞働など、お囃子や舞事の聴きどころ・見どころが随所にあり、うまく構成されているなあという印象を受けた。
ただ、肝心のシテの舞がほとんどなく、龍神が登場する前にちょこっと雲ノ扇をして龍神を呼び出す程度だったのが、なんとなく物足りない。お能をメインに観たい人には、シテの舞を中心に据えた構成のほうがよかったかなー。


子方・あやの神楽の舞を新作能《沖宮》の中心に置いたのは、たぶん、彼女が纏う緋の衣をぞんぶんに披露したかったからだと思う。
なんといっても、「石牟礼道子が構想した新作能を、志村ふくみ(監修)の装束で観る!」というのが《沖宮》の主眼なのだから。


緋色の衣には、なんともいえない艶やかな光沢があり、縁に黄色と黄緑のラインが入っていて、十二単のように華やかだった。

とくに印象に残ったのが、天草四郎が身につけた天青の衣。臭木(クサギ)の実を志村ふくみは「天青」と呼んだという。
唐織主体の能舞台で、草木染の装束がどう映るのか? 地味に見えないのだろうか? などとちょっと不安に思っていたが、天青の実で染めたこの水縹色は、地味に見えるどころか、舞台の照明を浴びて、青を基調にした微妙な色彩に変化しながら不思議な輝きを放ち、天草四郎のもつカリスマ性と敬虔な信仰心を際立たせていた。
植物のもつ生命力が織り込まれているようにも感じた。


面白かったのが、龍神の装束。
映像からは、青・黄・オレンジ・白の糸で織られた紬のように見える。紬の袷狩衣(?)が朱色のキンキラ半切と超ミスマッチで、ある意味、斬新な装束だった。

金剛若宗家は「生地感覚が違う」とおっしゃっていたけれど、所作や袖の扱いなど、それ相応のご苦労があったのだろう。


使用面は装束をもとに選ばれたらしく、シテの天草四郎は「十六」(大人びた顔立ちで「中将」のように見えた)、龍神は能《大蛇》の専用面「大蛇(おろち)」。


制作については、途方もなくお金がかかっているだろうし(熊本・京都・東京で開かれた公演でそれぞれワキ方・囃子方の配役が違うのも凄い)、関係者の方々のご苦労も並大抵のものではなかったと思う。
石牟礼道子さんは完成したお能を観ることなく、あの世へ、いや、沖宮へと旅立たれた。

制作サイドの万感の思いがこもった貴重な新作能。拝見できてよかった。







2019年7月21日日曜日

林木双会 ~大和木双会第五回記念

2019年7月20日(土)京都観世会館
(拝見したもののみ記載)
舞囃子《屋島》  浦田保浩
   《紅葉狩》 松野浩行
   《船弁慶》 林宗一郎
   《船弁慶》 上田拓司
   《吉野天人》 井上裕久
   《竹生島》  杉浦豊彦
   《融クツロギ》 深野貴彦

番外別習一調《勧進帳》大江又三郎×林吉兵衛

舞囃子《高砂五段》 宇髙竜成
   《紅葉狩》  杉浦豊彦
         《安宅滝流》 浦田保親
         《羽衣彩色》 浦田保浩

舞囃子《自然居士》金剛龍謹
《百万車之段・笹之段》井上裕久・茂山忠三郎

舞囃子《藤戸》  山本章弘
   《葛城》  大槻裕一

番外一調《女郎花》辰巳満次郎×林大輝

番外居囃子《石橋》
 森田保美 林大和 河村大 前川光長

出演囃子方:左鴻泰弘、森田保美、杉信太朗、河村凛太郎、渡部諭、河村大、井上敬介、前川光長、林吉兵衛・大和・大輝



京都だけでなく京阪の能楽師さんたちも加わった豪華な社中会。どの演目も目が離せないくらいで、どこで休憩しようか迷ってしまう。お社中の方々も、ご指導されている先生方もたいへん熱心で、白熱した良い会でした。

関西のシテ方さんは中堅が花盛り。ほんと、見応えがあります。
この日とりわけ光っていたのが、深野貴彦さん。
以前、1月例会の能《小鍛冶》でシテをされていた時も良かったけれど、この日の舞囃子《融クツロギ》を拝見して、うまい方だなあと感じ入った。
細身なのに、下半身と体幹がしなやかで強靭。鍛え抜かれた肉体から生まれる型の線や緩急のついた舞が流麗で、緩みがなく、魅力的な融の舞でした。


この日は、横浜の《大典》に出演中の前川光範さんを除いて、先日の囃子Laboの出演者が勢ぞろい。井上敬介さんと渡部諭さんが、先日以上に冴えていた。


金剛流では宇髙竜成さんの謡にほれぼれ。
タツシゲさんが地頭に入った舞囃子《自然居士》の地謡、これまで聞いた金剛流の地謡のなかでいちばん印象に残った。


番外別習一調《勧進帳》
囃子Laboで林大和さんと渡部諭さんが初役で勤めた《安宅》(+勧進帳)もエネルギッシュでよかったけれど、大江又三郎さん×林吉兵衛さんの《勧進帳》はベテランらしい濃厚さ。一調の醍醐味を堪能させていただいて、感謝!


番外一調《女郎花》
こちらもグッとくる一調。林大輝さん、覇気のある小鼓で、音色も掛け声もいい。あの大迫力の満次郎さんの謡にもまったく引けを取らず、全力で挑み、互角で闘っていた。良い意味で、ほどよく個性のある小鼓、注目株のお一人だ。



番外居囃子
本日の主催者・林大和さん+ベテラン勢による《石橋》。前川光長さんと河村大さんが本領発揮。熱気にみちた囃子と謡を聴いていると、最強のドリンク剤を飲んだ時のように身体がシャキッとしてきた。




2019年7月17日水曜日

囃子Labo Vol.5

2019年7月15日(月)京都府立文化芸術会館
京都府立文化芸術会館(1969年、富家宏泰設計)
オープニング《船弁慶》より
 早笛・舞働スペシャルメドレー

太鼓流派の比較 光範×井上

一調《野守》井上敬介×竜成

居囃子《安宅》
 信太朗 大和 渡部 光範

居囃子《石橋》
 信太朗 大輝 渡部 光範

〔メンバー〕杉信太朗、林大和、林大輝、渡部諭、前川光範 〔ゲスト〕井上敬介、金剛龍謹、宇髙竜成


初参加の囃子Labo、お囃子と謡の魅力がギュッと詰まった密度の濃~い内容で、楽しかった~!
その名のとおり、ほかでは体験できない実験的試みが満載。お囃子好きの私は興味津々で聴き入ってました。
スギシンさんの噛み噛みのMCも可愛くて、アットホームな和室のなか、至近距離で聴く囃子と謡の生演奏は最高!(囃子方さんたちの地声は聞いたことがなかったから、こういう声なのか~、という意外性も。)


【太鼓の流派の比較】
なかでも面白かったのが、太鼓の流派の比較。
あらためて比べてみると、へえ~、こんなに違いがあるんだ!と目からウロコの連続でした。
自分用の覚書として以下に違いを列挙すると(用語は曖昧です (;^_^A)

(1)バチの持ち方
観世:中指・薬指・小指の三本で持つ。スナップはあまり利かせない。
金春:親指・人差し指・中指の三本で持つ。

(2)バチの構え方
観世:両バチ均等にバチを構える
金春:右のバチは伏せて手のひらを下に向け、左のバチは起こして手のひらを上に向ける。

(3)ツケガシラ?
観世:カシラの前に「ツクツ」と打つ。
金春:「ツクツ」が入らない。

(4)オロシの掛け声が違う

(5)調べの掛け方や結び目
観世:縦締めを観客側、横結びを奏者のほうへ向ける。
金春:結び目を奏者のほうへ向ける。

(6)太鼓を横に立てておく時の撥革の向き
観世:外側に向ける
金春:奏者のほうへ向ける


と、こんな感じで、観世流の石井敬介さんと金春流の前川光範さんが実演を交えながら解説。
その後、「皆さんも打ってみましょう!」ということになり、全員でカシラの撥扱いをエア太鼓で練習したのですが、このエア太鼓、楽しすぎて、もっとやりたかったくらい。やっぱり、太鼓が好きだなぁ。

メモ:カシラを打つ時、観世流では左脇を締め(刀)、金春流では左脇を水平に上げる(弓)。



【太鼓+謡で観世・金春の太鼓比較】
次に、金剛流若宗家とタツシゲさんも加わり、光範さんと井上さんが《嵐山》を同時に打って、どれだけ二流派が違うのかを比較。
こうして聴くと、手組がずいぶん違う。全体的に金春のほうが手数が多い感じ?



【太鼓+謡+小鼓二丁で、太鼓の流派に合わせた時の小鼓の手組の比較】
太鼓が入ると、太鼓がお囃子を主導し、ほかのパートは太鼓の流派に合わせます。
そこで、太鼓の流派が違うと、小鼓の手組がどのように変化するのかを実験するべく、林大和・大輝兄弟が加わり、それぞれ観世流と金春流の太鼓に合わせて演奏。

観世・金春の太鼓と、太鼓それぞれに合わせた小鼓2丁が《鶴亀》を同時に演奏するのを聴いたのですが、なるほどー、小鼓の手組がかなり変わります。

おそらくシテ方の流儀が変わると、また違ってくるだろうし、お囃子・シテ方の流儀の違いや、曲によってはワキ方の流派の違いによって、いろんなヴァリエーションが生まれるのでしょう。それらをすべて把握して舞台に臨まなければならないなんて! 実際に聴いてみると、その凄さ、大変さをあらためて実感します。


一調《野守》
井上敬介さんとタツシゲさんの火花散るような熱い一調。

一調の前にお二人のお話があったのですが、井上敬介さんは恰幅といい、話し方といい、どことなく噺家さんっぽい雰囲気。
太鼓方観世流のお家元(元伯さんのお父様・元信師)が語ったというお話が興味深い。
それによると、終戦直後、少年だった元信師は、「これからは能の舞台なんてなくなるから、能の稽古はしなくていい」と言われ、一調のお稽古しかさせてもらえなかったとのこと。
のちに元信師は大鼓方の亀井俊雄(忠雄師のお父様)から太鼓を教わったと、元伯さんがインタビューで語っていらっしゃいましたが、その背景にはこういう事実があったんですね。



居囃子《安宅》
勧進帳+男舞の部分を中心に。
大小鼓の大和さんと渡部さんは、勧進帳(重い習物)の初役だそうです。
お二人ともめちゃくちゃ気合入ってました!
この日は演者全員が爽やかな白紋付だったのですが、その姿が、切腹を覚悟した白装束のサムライに見えたほど。
大鼓の渡部さんは、まるで短刀でハラを掻き切るように右腕を構え、脇に抱えた鼓を打っていて、鬼気迫るものがありました。
精悍な感じの大鼓方さん(師匠の谷口正壽さんが見守っていらっしゃっいました)。



居囃子《石橋》
シメは石橋。
お囃子も謡もエネルギッシュでかっこよかった!
露之拍子の小鼓が、まるで時間が止まったかのように「間」を長~くとったのが印象的(一瞬、忘れてるのかと思ってしまった (^-^;)。
上から落ちてくる露が谷底にたどり着くまでの長い時間。大輝さんがとった長い「間」が描いた、とほうもなく深い渓谷の気配。

次の土曜日に開かれる林木双会では、今度は大和さんが番外居囃子で《石橋》を打つ予定だそうです。こちらも楽しみ。



2019年7月16日火曜日

片山九郎右衛門の《杜若・素囃子》~能楽にみる自然・人を超えた「いのち」の世界

2019年7月15日(月)大津市伝統芸能会館
琵琶湖の対岸、左に見える小高い山が、
俵藤太の大ムカデ退治で有名な「近江富士」三上山。
【番組】
お話 林和清

能《杜若・素囃子》片山九郎右衛門
 ワキ旅僧 江崎欽次郎
 杉市和 吉阪一郎 河村大 前川光範
 後見 味方玄 大江信行
 地謡 青木道喜 古橋正邦 分林道治
    橋本忠樹 梅田嘉宏 大江広祐


路面電車に乗ってちょっとした遠足気分♪
鎌倉能舞台へ向かう江ノ電みたい。

はじめて訪れた大津伝統芸能会館。
三井寺の茶店で実演販売されていた力餅と弁慶ひきずり鐘饅頭をいただいてから向かいました(美味しかった♡)。

さて肝心の舞台は、九郎右衛門さんのシテなので、さぞかし妖艶な《杜若》になるかと思いきや……さにあらず。
小書や装束の色合いが変わるだけで「これほど見えてくる世界が違うのか」と新鮮な驚きを覚えるほど、予想外の《杜若》だった。やっぱり九郎右衛門さん、意表を突いてくる。


注目すべきは後シテの装束。
公演チラシのあでやかな紫長絹とは違い、くすんだ納戸色(ブルーグレー)の長絹。文様の配置・配色もおとなしめ。初冠から日陰の糸を垂らしているが、挿しているのは杜若ではなく、小ぶりの梅花。

長絹の裾にあしらわれた露芝の文様が、『伊勢物語』の芥川の段で詠まれた業平と高子との愛の形見の歌「白珠か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを」を連想させる。


装束の抑えた色調のせいだろうか、これほど悲しげで、内省的な杜若の精は観たことがなかった。どこか《雲林院》にも通じる雰囲気、井筒の女の思慕の念のような思いがしっとりと立ち込める。



「素囃子(シラバヤシ)」の小書ゆえか、クリの前のイロエは省略され、序ノ舞がイロエに似た「素囃子」という舞に代わる。

この「素囃子」の導入部にも序を踏む箇所があるのだが、そのときのシテの足がおどろくほど神々しい。その犯しがたい神聖さゆえに、なおさら禁断を犯したくなるように、芥川龍之介ならずとも「あの足にさわりたい」とさえ思えてくる。

2年前の九郎右衛門さんの《龍田・移神楽》(東京G6にて)で、前シテの巫女が見所に背を向けて下居し、こちらに足の裏を見せたときにも同じ思いを抱いた。九郎右衛門さんが女体を演じるときの足は、生身の美女の足よりもはるかに清らかで美しく見える。

それでいて、たとえば九郎右衛門さんが癋見をつけて天狗などを演じた時の足には、どこかゴツゴツしたむさくるしさが漂い、触りたいという欲望は感じない。


同じ人物の、同じ白足袋をはいた足なのに、ハコビや物腰、全身から醸し出される空気感の違いで、観客にまったく違った感情を抱かせる。こういう表現力が九郎右衛門さんの凄さなんだろうなぁ。



【素囃子】
シテは序を踏んだあと、舞台を時計まわりに半周して、大小前に至り、扇を開いてから正先へ前進。それから反時計まわりに半周して、大小前に至る。

杜若の精と在原業平の姿が二重写しになり、業平と高子の恋の逃避行を思わせる悲しい雰囲気が再現される。

植物的な感じよりも、「杜若の精」という美しい器に、恋する男女の霊が入れ替わり依りついて、最後に両性具有的精霊になったような、そういう印象を受けた。


私の好きな「蝉の唐衣の」で左袖を広げて見つめる型(チラシのポーズ)がなかったのは、小書ゆえなのか、それとも九郎右衛門さんの工夫だろうか。

そのほか、通常と違う箇所がところどころあり、引き裂かれた恋人への思いを表現した、哀慕の舞のようだった。



【照明が……】
惜しむらくは、照明。
大津伝統芸能会館はチラシのデザインは最高なのに、照明が……なんでこんなことするのん?って思うくらい残念だった。

ほかの能楽堂であれば、私の席のあたりから観ると、能面に独特の陰翳が出て、想像力が刺激され、シテの心の動きや内面を思い描くことができるのに、ここの能楽堂では、ライトが前からだけでなく、横からもギラギラと照りつけ、べたっとした均一な舞台照明になっていた。
その結果、シテの動きに合わせて能面に生まれるはずの繊細な陰翳が完全に飛んでしまい、面の表面がテカテカと人工的に光って、舞台芸術としての能の醍醐味が半減してしまっていた。


とはいえ、地謡もみずみずしい清涼感のある謡で、ワキも素晴らしかったし(江崎欽次郎さん、これから注目しよう)、立方以外のシテ方さんが着る白紋付も涼しげで、私にとってひと夏のかけがえのない思い出、幸せな時間だった。




明るすぎる大津市伝統芸能会館の能舞台


このあと、大津市歴史博物館で石田友汀の《蘭亭曲水図》《雪中騎驢・泊船図》《西湖図》などを観てから、囃子Laboへ。


2019年7月13日土曜日

映画『世阿弥』上映会~湊川神社例祭奉祝

2019年7月12日(金)湊川神社・神能殿

挨拶  湊川神社宮司 垣田宗彦
トーク 内田樹

映画『観世能楽堂』(1973年)上映
映画『世阿弥』(1974年)上映
 企画:鹿島守之助
 作・出演:白洲正子
 出演能楽師:
 三世梅若実、四世梅若実
 松本健三 山本東次郎
 藤田大五郎/田中一次
 幸祥光/北村一郎
 安福春雄
 金春惣右衛門
 

湊川神社の御祭神・楠木正成の新暦命日にあたるこの日、幻の鹿島映画『世阿弥』の上映会が開催された。正面席が関係者・崇敬会専用だったこともあり、見所は超満員。補助席も満席で、立ち見の人も大勢いたくらい。

【鹿島映画『世阿弥』】
映画『世阿弥』の内容は、解説の内田樹氏が「白洲正子のムービーエッセイ」と言うように、能や世阿弥に関する白洲正子のエッセイの断片を抜き出して編集し、映像に仕立てたもの(内田樹氏いわく「ヘンな映画」 (;^_^A))。


観阿弥・世阿弥父子の姿に、先代梅若実と当代実父子の舞台映像を重ね合わせ、白洲正子が世阿弥の足跡をたどるように播磨・龍野、伊賀、今熊野、そして佐渡をめぐってゆくのだが、この映画のほんとうの趣旨は、後述するように、世阿弥の親戚筋とされる永富家(鹿島建設中興の祖・鹿島守之助の生家)の由緒を世阿弥の生涯にさりげなく織り込んで映像化することにあるらしい。→まあ、そうですよね。でないと、巨額の費用を投じて映画をつくったりはしないもの。

映画のなかでひときわ目を引いたのが、少年時代の当代実師の舞姿。

当代実師が12,3歳のころの映像だろうか。
千歳と鞨鼓を舞うその姿は、美童時代の世阿弥もかくやらんと思わせるほど、キリリと引き締まった表情と型のラインが美しく、舞の動きがなんともいえぬ優雅な風情をかもしている。

「児姿は幽玄の本風なり」という世阿弥のことばもうなずける。
白洲正子が子方時代の実師にハッとさせられ、魅了されたのもよく分かる。
少年実師の出番は少ないのだが、彼の映像がこの映画のなかでもっとも華やかに輝いていた。


二代梅若実の映像はよくテレビでも放送されるが、先代(三代)梅若実の舞台映像はもしかするとはじめて観るかもしれない。

映画では《井筒》《阿漕》《羽衣》の映像が流れたのだが、《井筒》の前シテはボリュームのある肉付きで、つねに背中を丸めた前かがみの姿勢をとり、アゴが前に突き出ていて、独特の存在感。


映像のつくりやカメラアングル、黒い背景に浮かび上がる地謡の「引き」の映像など、いかにも70年代風で、シテが井筒をのぞき込むところでは、井戸の水面に後シテの顔が映るという加工が施されている(この映像、どこかで見たことがあるような……)。
たしかに、いろんな意味で貴重な映像だ。


貴重といえば、白洲正子の映像も貴重だった。
写真で見るかぎり、もっと線の細い人かと思っていたが、意外とガッチリしていて、手も足も、全体的に太さと重量感がある。おそらく白洲正子が60代の頃だと思うが、全国を精力的に旅した人ならではのスタミナと精神力を感じさせる。


また、春日若宮おん祭で若宮をお旅所にお遷しする「遷幸の儀」が映し出され、能《翁》の翁渡りはこうした神渡りの儀式を模したものだという説が展開されたのも、興味深かった。




【上島文書(伊賀観世系譜)】
鹿島映画『世阿弥』は、俗に「上島文書」と呼ばれる、伊賀の旧上島家所蔵の観世家系譜資料(伊賀観世系譜)が本物であることを前提として作られている。
(上島文書の真偽については能楽研究者のあいだで物議を醸し、現在では偽書であるという見方が有力となっている。それについては表章著『昭和の創作「伊賀観世系譜」梅原猛の挑発に応えて』にくわしい)。

いずれにしろ鹿島映画『世阿弥』が上島文書の内容を全面的に肯定して制作されたのは、映画の企画者である鹿島守之助が、伊賀観世系譜において世阿弥の母方にあたる永富家の出身だからにほかならない。


以下は内田樹氏が解説で語ったことの引用;

伊賀観世系譜において観阿弥の伯父とされる楠木正成は、南朝の後醍醐天皇が動員した悪党(ゲリラ的地侍集団)の代表者であり、後醍醐天皇の周辺には悪党以外にも、巫女・遊女・聖などの遊行芸人や山賊といった「異類の者たち」が集まっていた。

だが、南北朝合一(南朝の敗北)とともに「異類の者たち」は敗者となり、観阿弥・世阿弥と近縁だった芸能者たちも差別の対象となって、アウトカースト的存在に堕ちていった。

世阿弥はそうした敗者への鎮魂の念を『平家物語』を典拠とする修羅能に託したのではないだろうか。

江戸時代の歌舞伎がそうであるように、室町時代においてもリアルタイムの政治情勢を劇中に取り上げることはできなかった。そのため、舞台を源平合戦の時代に移したのだろう。南朝側の犠牲者への追悼を込めた修羅能。彼らを殺した張本人である足利将軍にそうした修羅能を見せたところが世阿弥の凄さだと思う(内田樹氏の解説の引用おわり)。


上記の内田樹氏の視点は非常におもしろい!
たしかに南北合一の時期を境に、遊女や巫女、聖(ひじり)たちはその聖性を剥奪され、賤視される傾向が強くなる。ブラックホールへ吸い込まれるように社会の底辺へ落ちていく芸能者仲間を尻目に、世阿弥たちは権力者の愛顧に必死にすがった。その命がけのサヴァイヴァル戦略は、数々の伝書のなかにさまざまな言葉で記されている。

落ちていく仲間の芸能者と、権力者の側にとどまった世阿弥。
彼らに対する後ろめたさ、罪の意識が強くなればなるほど、鎮魂を込めた曲への制作意欲が世阿弥のなかで高まっていったのかもしれない。




2019年7月11日木曜日

源融ゆかりの寺~太融寺

2019年7月10日(水) 太融寺

お初天神をあとにして、近くの太融寺へ。
その名が示すとおり、源融ゆかりのお寺です。




太融寺は、嵯峨天皇の勅願により、821年に弘法大師が創建したといいます。

なぜ、この地が選ばれたのか?
その理由を僧侶の方にうかがったところ、次のような縁起を語ってくださいました。

平安初期のこと、この地に香木が落ちていたのを弘法大師が見つけ、その香木で千手観音を彫り、嵯峨天皇に献上。「香木が落ちているくらいだから、この地は神聖な場所に違いない」。そう考えた嵯峨天皇は、弘法大師に命じて開山させたそうです。

そして、この寺の七堂伽藍を建立したのが、嵯峨天皇の皇子である源融です。

彼の邸宅だった六条河原院や嵯峨野の別荘「栖霞観」のエピソードから想像するに、源融という人は、建築や作庭に優れたセンスを発揮した人なのかもしれません。



九山八海の庭
須弥山を取り囲む「九山八海」の庭。
なんと、借景はラブホテル。

この辺りはお寺が多いのですが、それを取り囲むのが無数のホテル。
人間界の縮図のように、聖俗入り乱れた風景が広がっています。




そういえば、同じく源融のゆかりの地である六条河原にも、のちに五条楽園(七条新地)という遊里が栄えました。

大坂の北(堂島)新地と京都の七条新地。色町に残る源融の旧跡。

源融には、在原業平のような恋愛遍歴は具体的には伝わっていませんが、正妻以外の女性たちとの間に何人も子をもうけていますし、光源氏のモデルとなった人ですから、業平のような「男女和合の神」的側面もあったのでしょうか。

光源氏の六条院のごとく、塩竈を移した六条河原院に多くの女性を住まわせていて、それが『源氏物語』の着想源になったのかも?などと想像するのは飛躍しすぎかもしれませんが、「融の大臣」の鬼のイメージといい、暗い影の部分をもつ謎の多い人物ですね、源融は。

聖と俗、善悪一如、煩悩即菩提。
境内の九山八海庭に美しく咲く蓮の花のような「泥中の清」を、この寺は体現しているようにも思えます。



本堂内部
本堂は1960年に再建されたもの。
飛龍の欄間彫刻と格天井の絵が見事。

あとで紹介する白龍大神・龍王大神からも分かるように、ここは龍が守護するお寺なんですね。
お初天神(露天神社)と同様、水と縁が深い聖域です。



宝塔
ビル群に囲まれた三層の宝塔には、大日如来が安置されています。



一願堂と不動明王
一願堂に安置された不動明王と矜羯羅・制吒迦童子は戦後に再刻されたもの。
一願成就の御利益があるそうです。




一願堂の奥の洞窟
一願堂の奥には、お滝の洞窟(奥の院)があり、こちらには古い不動明王が安置されていました。
凛とした空気が漂う神聖な空間です。



白龍大神
境外社に龍王大神が祀られていて、龍王が雄神、境内にあるこの白龍大神が雌神で、雌雄一対で太融寺を守護しています。

女性は白龍大神、男性は龍王大神をお参りするとよいそうです。




淀殿之墓
白龍大神の奥にあるのが、淀殿の墓。

大坂夏の陣のあと、淀殿の遺骨は弁天島に埋められ、淀姫神社として祀られていましたが、明治期に太融寺の境内に移祀されたそうです。

淀殿も戦乱の世の犠牲となった哀しい女性のひとり。
白龍大神が、そっとお守りしているのですね。