新作能《沖宮》:国立能楽堂上演映像
シテ天草四郎 金剛龍謹
ツレ龍神 金剛永謹 あや豊嶋芳野
ワキ村長 岡充
杉市和 古田知英 谷口正壽 中田一葉
対談 金剛龍謹×志村昌司
斜め前に見えるのが観世会館の駐車場 |
今年1月にETV特集で放送された「ふたりの道行~志村ふくみと石牟礼道子の沖宮」を観て以来興味があったから、今回の上映会はよい機会だった。
上映会は、沖宮DVDブックの発売に合わせたプロモーションの一環らしい。
新作能《沖宮》のあらすじと構成はこんな感じ(上演時間70分)
石牟礼道子の育った天草が舞台。
時は島原の乱から少し経ったころ、旱魃に苦しむ村で雨を降らせるべく、天草四郎の乳兄妹である少女あや(子方)が龍神への人柱に選ばれる。
あやは村長(ワキ)とともに「原の砦(島原の乱で一揆軍が籠城した原城址)」に赴き、そこで天青の衣を着た天草四郎の亡霊(シテ)と出会う。
霊力の強い緋の衣を四郎から受け取ったあやが、それを着て雨乞いの舞(神楽)を舞うと、雷鳴が轟き、龍神(ツレ)が早笛の囃子で登場。龍神は舞働を舞って雨を降らす。
やがて、あやは天草四郎と龍神に導かれ、妣(はは)なる國「沖宮」への道行をはじめる、というストーリー。
感想
ひと言でいうと、志村ふくみが監修した装束が主役のお能。
石牟礼道子が原作とはいえ、実際に詞章を書いたわけではなく、彼女の大まかな構想をもとに、志村ふくみが装束をプロデュースし(実際に制作したのは娘さんとお弟子さんたち)、研究者が詞章を書き、能楽師さんたちが構成や節付・振付・お囃子を考えた。
つまり、志村ふくみと石牟礼道子というビッグネームの2人の「思い」を、周囲の人々が具体的な形にしたものが新作能《沖宮》、ということのようだ。
詞章は和歌の研究者が書いたものらしく、格調高い古語で書かれ、節付も違和感がない。ただ、シテとツレの謡が聞き取りにくく(ワキと地謡は聞き取りやすかった)、詞章の配布もなかったので、ところどころの展開が私にはついていけず、なんだかよく分からない部分も多かった。
緋の衣の制作過程や謂れをシテが語っているところも聞き取れなかったし、最後に橋掛りで、龍神が少女あやの両肩に手をのせ、何か(おそらく感動的なこと)を熱く語りかけているのも、私のヒヤリングが及ばなかった。
そんなわけで、感動するツボのようなところが聞き取れず、「???」という置いてきぼり感があった。
とはいえ、ノットや神楽、早笛や舞働など、お囃子や舞事の聴きどころ・見どころが随所にあり、うまく構成されているなあという印象を受けた。
ただ、肝心のシテの舞がほとんどなく、龍神が登場する前にちょこっと雲ノ扇をして龍神を呼び出す程度だったのが、なんとなく物足りない。お能をメインに観たい人には、シテの舞を中心に据えた構成のほうがよかったかなー。
子方・あやの神楽の舞を新作能《沖宮》の中心に置いたのは、たぶん、彼女が纏う緋の衣をぞんぶんに披露したかったからだと思う。
なんといっても、「石牟礼道子が構想した新作能を、志村ふくみ(監修)の装束で観る!」というのが《沖宮》の主眼なのだから。
緋色の衣には、なんともいえない艶やかな光沢があり、縁に黄色と黄緑のラインが入っていて、十二単のように華やかだった。
とくに印象に残ったのが、天草四郎が身につけた天青の衣。臭木(クサギ)の実を志村ふくみは「天青」と呼んだという。
唐織主体の能舞台で、草木染の装束がどう映るのか? 地味に見えないのだろうか? などとちょっと不安に思っていたが、天青の実で染めたこの水縹色は、地味に見えるどころか、舞台の照明を浴びて、青を基調にした微妙な色彩に変化しながら不思議な輝きを放ち、天草四郎のもつカリスマ性と敬虔な信仰心を際立たせていた。
植物のもつ生命力が織り込まれているようにも感じた。
面白かったのが、龍神の装束。
映像からは、青・黄・オレンジ・白の糸で織られた紬のように見える。紬の袷狩衣(?)が朱色のキンキラ半切と超ミスマッチで、ある意味、斬新な装束だった。
金剛若宗家は「生地感覚が違う」とおっしゃっていたけれど、所作や袖の扱いなど、それ相応のご苦労があったのだろう。
使用面は装束をもとに選ばれたらしく、シテの天草四郎は「十六」(大人びた顔立ちで「中将」のように見えた)、龍神は能《大蛇》の専用面「大蛇(おろち)」。
制作については、途方もなくお金がかかっているだろうし(熊本・京都・東京で開かれた公演でそれぞれワキ方・囃子方の配役が違うのも凄い)、関係者の方々のご苦労も並大抵のものではなかったと思う。
石牟礼道子さんは完成したお能を観ることなく、あの世へ、いや、沖宮へと旅立たれた。
制作サイドの万感の思いがこもった貴重な新作能。拝見できてよかった。
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