半能《高砂》シテ金井雄資
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛
一噌隆之 成田達志 國川純 澤田晃良
後見 前田春啓 高橋憲正
朝倉俊樹 水上優 和久荘太郎
東川尚史 金野泰大 金森隆晋
講演「オリンピック能楽祭」に寄せて 山本東次郎
2020年に向けた文化関連の取組の現状報告 加藤厚士
パネルディスカッション
佐藤禎一 東京国立博物館名誉館長
吉本光宏 ニッセイ基礎研究所研究理事
観世銕之丞 能楽協会理事長
半能《高砂》
囃子方メンバーから勝手に推察すると、当初の太鼓の予定は元伯さんだったのかもしれない(理事だし)。
そう思うと、また胸が沈む。
今ごろ、どうされているのだろう。
二年前の乱能では元伯さん御自身が《高砂・祝言之式・八段之舞》を舞われたのに。
澤田さんのお調べの太鼓の響きはお師匠様の音色に似ている。
澤田さん、大役をよく勤められていた。
成田さんの小鼓は相変わらずかっこよく、
元伯さんとの組み合わせて聴きたかった。
講演 山本東次郎
1964年の「オリンピック能楽祭」に出演した現役能楽師は東次郎さんと野村萬・万作師だけなので、そのときの様子を語っていただこう、という趣旨らしい。
配布されたオリンピック能楽祭パンフレットのコピーによると、当時は先代東次郎が亡くなったばかりで、まだ「山本則寿」の名前で御出演されていたようだ。
東次郎さんのお話で印象深かったのは、(これは御著書のなかでも言われているが)「とにかく楽をしてはいけない」と教えられた、ということ。
「夏は日なたを歩け、冬は日蔭を歩け」と教えられ、おそらくそれをずっと守っていらっしゃるのだろう。
それから、「能舞台は結界なんです。神聖な場所なんです。その舞台で、自分を殺して演じるのが能狂言なのです」という言葉も、心に刻んでおきたい大切な言葉だと思った。
おそらくこの言葉は、観客に対してだけでなく、その場に居合わせた能楽師全員にリマインドしてもらうための言葉だったのではないだろうか。
東次郎さんの講演のために、能舞台上に緋毛氈を敷いて、机と椅子が用意されていたが、東次郎さんはそこには座らず、「柱の陰になって見えないかもしれないので」とおっしゃって、立ったまま、あちこち移動しながら話しておられた。
おそらくこれも、観客への配慮と同時に、机と椅子という日常的なものを神聖な能舞台の上に置くことに、違和感を抱かれたからかもしれない。
能舞台を神聖視する気持ちと、
能舞台上で演じられる芸能は神に捧げるものだという、
申楽の原点に立った心は、能を舞ううえで何よりも大事だと思う。
東次郎さんの芸が、「力が入りすぎている」とか、「武骨で面白味がない」といった批判をされることが時々ある。
それでも東次郎さんが「乱れて盛んになるよりは、むしろ固く守って滅びよ」という先代の教えに従い、なんと言われようとも、江戸式楽に根差した狂言の様式美を守り抜くのも、能舞台は聖域であるという心を持ち続け、聖域に宿る神の存在を感じつつ芸に身を捧げていらっしゃるからではないだろうか。
武骨でも、力が入りすぎていても、そうした芸は力強い。
観る者の心に届く、底知れぬパワーがある。