2017年1月27日金曜日

オリンピックと能楽・シンポジウム~能楽フェスティバル第二部

2017年1月25日(水)  18時~20時15分  国立能楽堂

半能《高砂》シテ金井雄資
    ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛
    一噌隆之 成田達志 國川純 澤田晃良
    後見 前田春啓 高橋憲正
    朝倉俊樹 水上優 和久荘太郎
    東川尚史 金野泰大 金森隆晋

講演「オリンピック能楽祭」に寄せて 山本東次郎

2020年に向けた文化関連の取組の現状報告 加藤厚士
パネルディスカッション
 佐藤禎一 東京国立博物館名誉館長
 吉本光宏 ニッセイ基礎研究所研究理事
 観世銕之丞 能楽協会理事長




半能《高砂》
囃子方メンバーから勝手に推察すると、当初の太鼓の予定は元伯さんだったのかもしれない(理事だし)。
そう思うと、また胸が沈む。
今ごろ、どうされているのだろう。
二年前の乱能では元伯さん御自身が《高砂・祝言之式・八段之舞》を舞われたのに。

澤田さんのお調べの太鼓の響きはお師匠様の音色に似ている。
澤田さん、大役をよく勤められていた。

成田さんの小鼓は相変わらずかっこよく、
元伯さんとの組み合わせて聴きたかった。



講演 山本東次郎
1964年の「オリンピック能楽祭」に出演した現役能楽師は東次郎さんと野村萬・万作師だけなので、そのときの様子を語っていただこう、という趣旨らしい。

配布されたオリンピック能楽祭パンフレットのコピーによると、当時は先代東次郎が亡くなったばかりで、まだ「山本則寿」の名前で御出演されていたようだ。

東次郎さんのお話で印象深かったのは、(これは御著書のなかでも言われているが)「とにかく楽をしてはいけない」と教えられた、ということ。
「夏は日なたを歩け、冬は日蔭を歩け」と教えられ、おそらくそれをずっと守っていらっしゃるのだろう。

それから、「能舞台は結界なんです。神聖な場所なんです。その舞台で、自分を殺して演じるのが能狂言なのです」という言葉も、心に刻んでおきたい大切な言葉だと思った。

おそらくこの言葉は、観客に対してだけでなく、その場に居合わせた能楽師全員にリマインドしてもらうための言葉だったのではないだろうか。

東次郎さんの講演のために、能舞台上に緋毛氈を敷いて、机と椅子が用意されていたが、東次郎さんはそこには座らず、「柱の陰になって見えないかもしれないので」とおっしゃって、立ったまま、あちこち移動しながら話しておられた。

おそらくこれも、観客への配慮と同時に、机と椅子という日常的なものを神聖な能舞台の上に置くことに、違和感を抱かれたからかもしれない。


能舞台を神聖視する気持ちと、
能舞台上で演じられる芸能は神に捧げるものだという、
申楽の原点に立った心は、能を舞ううえで何よりも大事だと思う。


東次郎さんの芸が、「力が入りすぎている」とか、「武骨で面白味がない」といった批判をされることが時々ある。

それでも東次郎さんが「乱れて盛んになるよりは、むしろ固く守って滅びよ」という先代の教えに従い、なんと言われようとも、江戸式楽に根差した狂言の様式美を守り抜くのも、能舞台は聖域であるという心を持ち続け、聖域に宿る神の存在を感じつつ芸に身を捧げていらっしゃるからではないだろうか。


武骨でも、力が入りすぎていても、そうした芸は力強い。

観る者の心に届く、底知れぬパワーがある。






《隅田川》後半・能楽フェスティバル~1964年オリンピック能楽祭を想う

2017年1月25日(水)  14時30分~16時26分  国立能楽堂
《隅田川》前半「それ、まことの花なり」からのつづき

能《隅田川》梅若丸の母(狂女)野村四郎  
   ワキ渡守 宝生欣哉 ワキツレ旅商人 殿田謙吉
   子方・梅若丸 清水義久
   藤田六郎兵衛 観世新九郎 亀井忠雄
   後見 浅見真州 野村昌司
   地謡 梅若玄祥 武田宗和 岡久広 青木一郎
      清水寛二 駒瀬直也 坂井音隆 松山隆之 



〈シテとワキの問答〉
最初は「面白く舞い狂わないと舟には乗せない」と、狂女を侮る態度を取っていたる渡守に、『伊勢物語』のエピソードや「都鳥」の歌を引いて、狂女が渡守をやり込めるくだり。


都人らしい教養の高さに感服して、狂女への認識を改めるワキの心の動きと、
京の女らしい気品を漂わせるシテの凛とした佇まい、
そして、さりげなく心を通わせていく両者の掛け合いが秀逸だった。


さらに地謡が、《隅田川》の世界を丹念に醸成してゆく。

この日の地謡は地頭級の面々を後列に配し、観世各会から集めた寄木細工のような布陣。
(清水寛二さんが前列にいる地謡って凄い!)
豪華だけれど統率は難しいこの陣営を、玄祥師が見事にまとめあげ、心の襞に沁みわたる謡を奏でていた。

「さりとては渡守、舟こぞりて」で、カンカンッと大鼓の特殊な手が入り、
「乗せさせ給へ渡守」で、シテはワキに向かって下居合掌、
「さりとては乗せてたび給へ」で、笹を打ちつけ、懇願するように跪く。




〈乗船→ワキの語リ〉
狂女とともに乗船した旅商人に問われるまま、渡守は、対岸で催される大念仏の経緯を語り始める。

欣哉さんの語リは、間が少し早く感じるところもあるけれど、血の通った、人間味のあるしみじみとした語リ。

「弱りたる息の下にて、念仏四五遍唱へ」で、「ねん~ぶ~」と引き伸ばして語ったところなど、梅若丸の臨終の息と呼吸を合わせた迫真の語りだった。


いっぽうシテは、
船中でワキの語リを聞きながら、我が子の死を悟り始めるところでも、
ごくごくわずかに面をうつむけ、クモラせていくだけで、
動揺や衝撃を胸のなかにぐっと抑え込む控えめな表現。


狂女は渡守に聞き返し、わが子の死を確認したのち、
「のう、これは夢かや、あら浅ましや候」で、ため込んだ激情がほとばしるように、
手にした笠を投げ捨て、安座してモロジオリ。
抑え込んだからこそ、ここの慟哭の表現が生きて、観客の胸を刺す。



〈塚の前で念仏→終曲〉
狂女が梅若丸の母であることを知った渡守は、
「今は歎きても甲斐あるまじ。かの人の墓所を見せ申し候べし」と、
意を決したように、カランと棹を落とす。

狂女は渡守に背後から支えられて、力なく立ち上がり、
「さりとも逢はんを頼みにこそ」で、ワキともに塚を向いて下居、
草の生い茂る墓所をしばらく呆然と見つめていたが、

激情に駆られたように立ち上がり、笛と地謡が激しくなるなか、
「さりとては人々この土を返して」で、シテは左手で塚を指し示し、
「この世の姿を母に見せさせ給へや」で、泣き崩れるように安座してモロジオリ。


残りても甲斐あるべきは空しくて」から地謡が世の無常を切々と歌い上げ、
その間、ワキが後ろを向き、装束のなかに隠し持っていた鉦鼓を取り出す。


「母の弔いが亡き子の何よりの弔い」と、やさしく諭された狂女は、
渡守とともに塚に向かって念仏を唱える。


(と、ここまでなんとか涙を抑えていたのだけれど、子方さんの声が聞えたら
もうだめで、不可抗力的に号泣モード。視界が滲んで見えにくい。)


子方が塚から出て、「たがいに手に手を取りかはせば」で、
母の抱擁を子方がすり抜けるシーンも芝居に堕することなく、
梅若丸が透き通った亡霊となって母の身体をすり抜けていくような夢幻性があり、

懐かしい母の声を聞いた梅若丸の亡霊が、母恋しさのあまりたまらなくなって
墓から出てきたような、胸を締めつけるほどの母子の切なさが感じられた。


ほのぼのと夜が明けるなか、愛しいわが子の姿も消え去り、
シテは何かを確認するように、塚に生い茂る草に触れ、
最後は塚の前で安座して、どうしようもない悲しみをしまいこむように静かにシオル。


大小鼓の合頭のあとも、六郎兵衛さんの笛が、
狂女の心を包み込むように哀憐を帯びた旋律を奏でつづけた。





2017年1月26日木曜日

能楽フェスティバル第一部~それ、まことの花なり《隅田川》前半

2017年1月25日(水)  14時30分~16時26分  国立能楽堂

狂言《神鳴》シテ山本東次郎 アド山本則俊
   後見 若松隆 
     地謡 山本泰太郎 山本則孝 山本凛太郎

能《隅田川》シテ野村四郎  
   ワキ宝生欣哉 ワキツレ殿田謙吉
   子方清水義久
   藤田六郎兵衛 観世新九郎 亀井忠雄
      後見 浅見真州 野村昌司 
      地謡 梅若玄祥 武田宗和 岡久広 青木一郎

      清水寛二 駒瀬直也 坂井音隆 松山隆之 




《隅田川》は名曲とは思うけれど、演者・演出によっては写実や感情に傾きがちで、
なんとなく苦手な曲でもあった。

でも、この日のシテの演じ方は非常に抑制が利いていて、
三役も地謡もそれぞれがレベルの高い個人芸を融合させて観客を魅了し、
深い悲しみのなかにも品位と透明感のある《隅田川》だった。



〈名ノリ笛→次第〉
藤田六郎兵衛さんの名ノリ笛。
曲趣に合わせて、吹き込みが柔らかく、どこか物哀しい。
肌寒い春風が花びらをのせて吹くような繊細な音色。


笛の音に誘われるように、ワキの船頭が登場する。
《隅田川》で定番となった紺地に桜模様の素袍上下。手には扇。
ハコビはいつもながら美しく、それでいて少し早め。
微妙なさじ加減をどうやってはかるのかは本当に謎で、神業のようだけれども、勅使でも、旅僧でもない、船頭のハコビになっている

欣哉さん演じる船頭は彼自身にも暗い過去があるような、影のある男に見える。

こういう陰翳を自然に滲ませるところが欣哉さんの芸の深みでもある。


次第の囃子でワキツレ登場。
装束は薄茶の素袍上下で、ワキとかぶらない配慮。
殿田さんをワキツレに使う贅沢な舞台(この方の船頭も観てみたい)。


〈一声〉
小鼓の特殊な手が入って狂女越一声となり、
物見高い群衆の歓声や狂女の焦燥感・渇望感のようなものが派手な手組で表現される。
越シの手が終わり、二段目になってシテが登場。

出立は、青みがかった白い水衣に濃紺の縫箔腰巻。笠を被り、手には笹。
面は深井だろうか、美しい中年の女面。

とりわけ謡う時には笹の葉の震えが気になるが、カケリになると手の震えもそれほど気にならず、とくに舞台後半は震えがほとんどなくなり、シテの姿の美しさが際立った。


「尋ぬる心の果てやらん」で、シテは笠の縁に手を掛け、来し方を振り返るように目付柱を少し見上げて、都から遥々隅田川までやって来た、その果てしない道のりをほのめかす。

時間の長さと空間の距離感。
それに比例する我が子への恋しさ。

道中に味わったさまざまな苦難、屈辱、絶望……それでも我が子に会いたいという身を切るような思いをしみじみと感じさせる所作と面使い。


手や面をごくわずか、ほんの微かに動かすだけで、多くを物語り、多くを表現する。
静かで、内に秘めた、暗示的な《隅田川》。




《隅田川》後半につづく








能楽フェスティバル第一部・特別公演《神鳴》

2017年1月25日(水)  14時30分~16時26分  国立能楽堂

狂言《神鳴》シテ山本東次郎 アド山本則俊
   後見 若松隆
   地謡 山本泰太郎 山本則孝 山本凛太郎

能《隅田川》シテ野村四郎  
   ワキ 宝生欣哉 ワキツレ殿田謙吉
   子方 清水義久
      藤田六郎兵衛 観世新九郎 亀井忠雄
      後見 浅見真州 野村昌司
   地謡 梅若玄祥 武田宗和 岡久広 青木一郎
      清水寛二 駒瀬直也 坂井音隆 松山隆之 



1964年のオリンピック能楽祭に着想を得て企画された能の祭典、能フェスです!
第1部は人間国宝を中心とした特別公演というだけあって、シテのみならず、三役&地謡とも豪華な配役。
今月は観能運が低調だったのですが、久々に引き締まった能らしい能を観た気がします。


それにしても、
能楽堂に入ると、能楽協会理事の方々(源次郎さん、銕之丞さん、喜正さん等々)がズラリと並んでお出迎えされるので、めっちゃ緊張します。
こちらは大いに恐縮して固まってしまい、米つきバッタのようにペコペコしながら通り過ぎたのでした(・・。)ゞ
能をお稽古されていて心得のある方なら、優雅に会釈をして微笑みながら通り過ぎるのだろうなー。


さて、特別公演では字幕表示もあるのですが、これがひと工夫されていて、
たとえば、シテが橋掛りから退場する時には、「演者はまだ演じている気持ちで退場します」などの演じ手の心持や、登場楽の説明なども解説されているのが、能楽協会ならでは。
(他の会でもタブレット端末などでやっているのかもしれないけれど。)




狂言《神鳴》
東京を舞台にした曲とのことですが、「東国に下る」と言っているだけで、東京とは言ってないような……。武蔵野の原野あたりが舞台でしょうか。

《神鳴》を観るのは三回目。
三回とも山本家で、
一回目は山本泰太郎×若松隆、二回目は則孝×泰太郎。

一回目の泰太郎さんの神鳴と若松さんの藪医者が凄く良くて、
とくに若松さんが独特の飄々とした感じで、いい味出していました。


泰太郎さんと則孝さんの神鳴は、腰に鍼を槌でトントンと打つタイミングに合わせて、身悶えするように手足を上下させるので、いかにも痛そうな感じがしたのですが、
この日の東次郎さんの神鳴は、鍼を打たれる時、足を上下させて身悶えするタイミングと、医者が鍼を打つタイミングがあまり合っていなくて、ちょっと不思議でした。
とはいえ、それが東次郎家の正統な型なのかもしれません。


それと、鍼を抜いた時の、痛みが取れたスッキリ感も、なんとなく物足りない。
三回目ともなれば、こちらが感じる曲のインパクトが薄れてきたからでしょうか。


それでも、セリフ回しの間の取り方などはさすが。
《隅田川》の野村四郎師のシテを観ても思ったけれど、やはり「間」です、「他とは違うなー」と感じるのは。


「間」というのは、能にかぎらず、日常生活や人間関係にもあてはまることなので、こういう名人の間に接するたびに、いろいろ考えさせられます。

なにか、ほんの少しでも自分のなかに吸収できばいいけれど。






《隅田川》前半につづく





2017年1月23日月曜日

火焔型土器のデザインと機能

2017年1月21日(土)            國學院大學博物館・特別展

国宝・深鉢形土器・火焔型土器(新潟県笹山遺跡)、縄文中期5千年前

日曜美術館のアートシーンでも紹介された「火焔型土器のデザインと機能」展。
ツクシ舞を観たついでに立ち寄ったのですが、予想以上に充実した内容でした。

アンケートに記入すると豪華な図録の進呈まであって、國學院大、太っ腹!
(展示の多くは撮影可能だったので特に気に入ったものを掲載しています。)


新潟県指定有形文化財・深鉢形土器・火焔型土器(沖ノ原遺跡)、縄文中期


それにしても、縄文の人たちの造形力と技術力には圧倒される!
凄まじいパワーとエネルギーが5000年を隔てた今でも伝わってくる!

火焔型土器は口縁に鶏頭冠突起と鋸歯状のフリルがあるのが特徴で、
それらが燃え盛る炎のように見えたことから火焔型土器と名付けられたが、
本当のところ、その装飾が何を意味するのかは定かではない。

火焔ではなく動物に見えるという人もいるし、魚に見えるという人もいる。


岡本太郎は火焔型土器を見て、深海をイメージしたという。



土器の内側にオコゲが残っていることや
オコゲの炭素窒素安定同位体比測定および脂質分析により、
遺跡ごとに異なる食品が火焔型土器で煮炊されていたことが判明した。


食物の調理器具でもあった火焔型土器は、
その過剰な装飾のせいで不安定で倒れやすく、
使い勝手が良いとはいえない。


また、火焔型土器には通常の縄文土器のように縄目模様(縄文)がなく、
成形した容器に紐状の粘土を張り付けて、渦巻文やS字文を施したという。


彼らはなぜ、
そこまで手間ひまをかけて、実用に不向きな装飾をあえてつけたのだろうか?


わたしが火焔型土器を目にして感じたのは、
縄文人が調理される食料や獲物の生命にたいして抱いた、
真摯で敬虔な気持ちと、崇高な感覚だった。


生き物を調理して食べるという行為は、
その生命力を自分のなかに摂り込むことであり、
彼らにとって「食べる」という行為は、
聖なる宗教儀式でもあったのではないだろうか。


つまり、彼らにとって調理や摂食は宗教行為であり、
その調理器具である土器は祭具でもあったために、
あのように見事な装飾が施されたのではないだろうか。


植物であれ、動物であれ、
調理される生きものの魂にたいする畏敬と尊重の念が
火焔型土器から強く感じとれるのだ。


土器の美しい姿から、なにか大切なものを教えられた気がした。



シカさんとイノシシの可愛い埴輪


ここは常設展も素晴らしく、とくに神道関係の展示は興味深いものばかりだった。


きれいな勾玉などの装身具


2017年1月22日日曜日

ツクシ舞~神話の詩学ー舞・歌・型

2017年1月21日(土)  13時30分~17時 國學院大學百周年記念講堂


第一部 受け継がれる神話的世界―宮地嶽神社のツクシ舞と巨石古墳
 (1)ツクシ舞と阿曇磯良  浄見譲(宮地嶽神社宮司・ツクシ舞家元)

  (2)ツクシ舞実演 
    ①ツクシ神舞 「浮神」  一人舞
    ②ツクシ神舞 「秋風の辞」二人舞
    ③八乙女舞  「橘」   四人舞

第二部 「神話の詩学」
「記紀歌謡の世界」
 渡邉 卓(國學院大學研究開発推進機構助教)
「神話の詩学」
 アラン・ロシェ(フランス高等研究実習院教授)
司会進行
 平藤喜久子(國學院大學研究開発推進機構准教授)



東京ではほとんど観る機会のない筑紫舞(ツクシ舞)が拝見できるというので行ってきた。

筑紫舞とは、能楽とも縁の深い青墓の遊女や今様を謡った傀儡女と同様、海人族を祖先とする筑紫傀儡子によって伝えられたもので、昭和初期までは宮地嶽神社奥宮の奥行き13メートルの岩屋(石室古墳)のなかでひっそり舞われていたという。

この日は、その筑紫舞のなかでも一子相伝の秘舞とされる「浮神」が実演された。

「浮神」は、海人・安曇族が信仰した安曇磯良の故事にちなんだ舞である。


鈴鹿千代乃著『神道民俗芸能の源流』(国書刊行会)によると;

神功皇后が三韓征伐の折、住吉大神にその方策を相談したところ、海底で眠りをむさぼる安曇磯良を召しだして、これを竜宮城に遣わし、竜王から干満二珠を借りて、珠の威力で攻めれば勝利すると教えられた。
そこで「せいのう」という舞を好む安曇磯良を海底から召しだすために、海中に舞台を構えて舞を奏すると、磯良は鼓を首に掛け、浄衣の舞姿となって亀に乗り、海中より浮かび上がってきたという。
ただし、磯良の顔には海藻や貝殻がびっしりと付着して見苦しいため、磯良は顔に覆いを垂れて舞ったそうである。

(民俗学的解釈によると、「見苦しいため顔を白布で覆った」というのは合理的解釈にすぎず、それは磯良が人間界には属さない、異界の者であることの暗号とされる。)

さらに同書によると、 磯良(イソラ)の舞は、海中の精霊である磯良(海人族の代表者)が、神功皇后(大和朝廷)に服従の誓いとして舞った服従儀礼であったという。


また、宮地嶽神社の浄見宮司のお話では、磯良(イソラ)舞は筑紫舞だけでなく、福岡県吉富町・八幡古表神社の傀儡子の舞・細男舞や、春日若宮おん祭の細男(せいのう)の源流にもなっているとのことである。


この安曇磯良の故事が、実際にどのように舞われたかというと;
(実演は、秋風の辞→橘→浮神が実際の順番。)


①ツクシ神舞(かんまい)「浮神」
一子相伝の秘舞のため、宮地嶽神社宮司でツクシ舞家元の浄見譲氏が舞った。
(浄見氏は九州男児らしいキリッとした男前で、どことなく能楽大鼓方の柿原弘和さんに似ている。)

楽器編成は、横笛(神楽笛or龍笛or高麗笛)と、びんささら。

舞台中央奥の台の上に鼓一丁が置かれており、そのかたわらに後見が控えている。

楽器が奏され、白い浄衣に身を包み、白布を被いた舞人が舞台袖から登場する。

しばらく白布を被いたまま舞ったのち白布をとると、白い布で覆われた舞人の顔が現れる。
ちょうど能《望月》の獅子舞のような、目のところだけあいた覆面姿だ。

被いた白布をとることで、安曇磯良が海底から浮き上がる様子をあらわしたのだろうか?


舞手は台上から鼓を取り、片脚を折り曲げて膝を上げ、その膝の上に鼓を載せて、鼓を打ちながら片足で身体を回転させる。

ルソン足という片足を前に上げる所作をしたり、斜めに移動したりと、独特の型がつづく。

さらに鼓を置いて、今度は能《猩々乱》で片足立ちで甕の中をのぞきこんでクルリと回転するのと似た型をしたり、飛安座で着地時に片足を出してその姿勢で身体を回転させたりと、難度の高い型の連続。

最後は、飛び返りを二回して、また元のように白布を被き、舞台袖に退く。


本来は神前でのみ捧げられる舞というだけあって、厳粛な雰囲気の舞だった。




②ツクシ神舞「秋風の辞」
こちらは宮司とは別の、おそらく神職の方々による二人舞(相舞)。
楽器編成は、和琴、笏拍子&歌、鞨鼓、篳篥、横笛(神楽笛or龍笛or高麗笛)。

装束は、武官束帯に似たもので、闕腋袍に長い下襲の裾、表袴、箭(や)を負い、太刀を佩いている。
装束の色が、一人は袍の色が朱色で、下襲の色が墨色、もう一人が袍の色が墨色で、下襲の色が朱色と、カラーを反転させているところがおしゃれ。

舞は、相似形の相舞で、膝行したり、片足を上げたまま回ったり、ケンケンのように片足で前進したり、スローな飛び返りのような型があったり、舟を漕ぐような所作があったり、何かを指折り数えたり、開いた扇を両手で持ってかざして座ったりと、型どころが多い。

時折、舞人どうしが見つめ合ったりするのがなんだか色っぽい。


残念だったのはこの舞が何を表しているのか説明がなく、歌の言葉も聞き取れなかったこと。

事前の宮司さんのお話で、そういうところが知りたかった。



③八乙女舞「橘」
四人の女性による舞。
「八乙女舞」という名から、本来は八人で舞うのだろうか?

楽器編成は、和琴、笏拍子&歌、鞨鼓、横笛(神楽笛or龍笛or高麗笛)。
女性が笏拍子&歌を担当したので、先ほどの「秋風の辞」と比べると、より穏やかな印象だ。

装束は、日本の巫女風ではなく、大陸or半島風の異国的で色彩豊かな装束。

おそらく五行の色をあらわす長いリボンのついた鈴を持って舞い、途中から扇に持ちかえる。

若くてきれいな女性四人の舞は優雅でゆったりしていて、目と耳に心地よく、脳波がα波になり、セロトニンが分泌されたように、夢うつつの気分になる。

観ていて癒される舞だった。





2017年1月15日日曜日

豊嶋三千春の《巻絹》後半~国立能楽堂一月普及公演

2017年1月14日(土)  13時~15時30分  国立能楽堂
《巻絹》前半からのつづき

能《巻絹》シテ巫女 豊嶋三千春
  ツレ都の男 豊嶋幸洋
  ワキ臣下 野口能弘 アイ従者 三宅右矩
  一噌隆之 幸正昭 谷口正壽 観世元伯→徳田宗久
  後見 松野恭憲 豊嶋晃嗣
  地謡 宇高通成 金剛龍謹 宇高竜成 坂本立津朗
     元吉正巳 田中敏文 宇高徳成 遠藤勝實


【シテの登場】
と、そのとき、幕のなかからシテの呼び掛ける声。
「のうのう」の声の抑揚と、シテの出がいわくありげで謎めいていて、
「これは良い舞台になるかも!」と、好感触。

シテの出立は、白水衣に緋大口、前折烏帽子、
首から木綿襷を掛け、懐に扇を差し、右手に幣を持っている。

面は、一目でそれとわかる十寸髪。
眉間に深くハの字型のシワが寄り、額と口元に二つずつ窪みがある、
ヒステリックで熱情的な表情をした美女の面だ。


前記事で述べたように、巫女は、縛られている男を見て、
この男は昨日音無天神で歌を詠んで、わたしに手向けた者だから、
縄を解くように言う。

この時すでに巫女は神の意志で登場し、しゃべっているのだが、
まだ完全に乗り移っているわけではなく、
神に遠隔操作されているような感じで、それほど狂乱していない。


*ツレは縄を解かれたあと切戸口から引くことが多いが、
この日の舞台では最後まで地謡前で下居していた。



【クリ・サシ・クセ】
男が縄を解かれた後、クリ・サシ・クセでシテが大小前で床几にかかるあいだ、
神仏両道の故事・古歌にちなんだ和歌の徳が地謡によって謡われ、
「婆羅門僧正は行基菩薩の御手を取り」で、
シテは幣を左手に持ったまま右手で扇を広げ、床几から立ち上がり、
「霊山の釈迦の御もと(まみへ)に契りて真如朽ちせず遭ひ見つ(るかな)」
行基の歌から舞グセとなる。



【ノット】
さらに、「謹上再拝」からノットの囃子になり、シテは扇を懐に挿し、下居して幣を振り、
「そもそも当山は」から、エジプトの図像のように両腕を胸の前で交差させて幣を抱き、
「密厳浄土有難や」で、太鼓が入り、神楽に入っていく。



【五段神楽】
前述のように序無し神楽。
「ラァラァヒャーイツ ヒャールラーラ」から始まるカカリの笛は、
吉野・大峯から熊野三山へ続く峻厳・雄大な連峰を思わせる。

カカリではシテは、角→脇座前→大小前と、
ほとんど静止しているようなゆっくり厳かな足取りで進み、
三隅を清めるように立ちどまって、足拍子を一つずつ踏んでいく。

神が降臨する場を、巫女が清めている。

シテの舞は神聖で美しく、厳粛な神事を目の前にしているよう。

しかし、途中で囃子・シテともにピンと張った緊張感が途切れて、
場の気が少し乱れたように感じた。

段を追うごとに徐々にアップテンポになっていくのも、シテの年齢を考慮してか、
アップテンポの度合いが少なく、昂揚感も希薄。


シテは終始、扇ではなく幣を持って舞っていたこともあり、どちらかというと、
巫女が神に憑依されて宗教的法悦のなかで舞っているというよりは、
清浄な場に降臨した神に捧げるべく、巫女が神楽を舞っているという印象が強かった。


そのせいなのか、
舞が終わって「神はあがらせ給ふと云い捨つる」で、
シテが幣を後ろに投げ、両手を突いて頭を下げ、
「声のうちより」で立ち上がり、「狂い覚めて」となった時、
憑依から解かれたような巫女の覚醒感をあまり感じなかった。


以前、木月孚行さんの《巻絹・神楽留》を観た時は
(この時も小鼓は幸正昭さん、太鼓は元伯さんだった)、
増の面の瞳が夢から醒めたようにハッと見開かれたような
覚醒感があったのを思い出す。


おそらく、流儀やシテによって演能意図が違うのだろう。
いろんなパターンがあるのが能の醍醐味なのだから。





《巻絹》前半~国立能楽堂1月普及公演

2017年1月14日(土)  13時~15時30分  国立能楽堂
金剛流の五段神楽からのつづき

能《巻絹》シテ巫女 豊嶋三千春
  ツレ都の男 豊嶋幸洋
  ワキ臣下 野口能弘 アイ従者 三宅右矩
  一噌隆之 幸正昭 谷口正壽 観世元伯→徳田宗久
  後見 松野恭憲 豊嶋晃嗣
  地謡 宇高通成 金剛龍謹 宇高竜成 坂本立津朗
     元吉正巳 田中敏文 宇高徳成 遠藤勝實




前置きが長くなりましたが、ようやく舞台の感想です。

【ワキ大臣・アイ従者の登場】
名乗り笛で、ワキの大臣とアイの太刀持が登場。
両者のハコビがきれい。
とくに能弘さんのハコビには品があり、位の高い大臣の風格を感じさせる。

ワキの出立は、渋いグリーンの長絹に朱色の露、白大口に烏帽子。
アイの肩衣は、白波に大胆な槌車の文様。

急成長中のこのお二人が今回の舞台でも良い味を出していた。



【ツレ(都の男)の登場】
次第の囃子でツレの都の男の登場。

谷口正壽さんと幸正昭さんの大小鼓の組み合わせは初めて体験するけれど、たぶん同年代で実力も拮抗した、音色・掛け声・呼吸ともに良いコンビ。
たまにはこういう珍しい組み合わせて聴くのも楽しい。


ツレの豊嶋幸洋さんも初めて拝見する。
安定した下半身ですっと立つ姿のきれいな、堅実な芸風だ。

ツレの装束は落ち着いた緑地の水衣に白大口。
色の取り合わせがワキの装束とかぶっている。
以前、殿田さんが、ワキはシテ方と装束の色がかぶらないように配慮する(装束を数パターン用意していく)とおっしゃっていたが、そのへんはどうなのだろう?


三熊野に着いた男は、音無神社に参詣する。
(ちなみに音無神社は熊野本宮の末社で、祭神は少彦名命だったが、現在は社殿はないそうだ。)

神社の境内で冬梅の香りに気づいたツレは、香りの源を探るように脇正に向き、「や! げにこれなる梅にて候」と、梅の木を発見し、正先で「南無天満天神」と、下居合掌、心の中で歌を詠む。


この梅の香りを聞いた時の嗅覚による発見と、
梅花そのものを見つけた時の視覚による発見の違いの表現、
そして、音無天神に歌を捧げる時の敬虔な所作が印象的だった。

(観世では「や、冬梅のにほひの聞え候」と、嗅覚による最初の発見にポイントが置かれるが、金剛流では梅花を見つけたところで「や!」という感嘆詞がつくところが面白い。)


道草を食ったために遅れた男は、大臣の怒りを買い、従者によって縛られる。

この時のワキの怒りっぷりが実に好く、アイの右矩さんも「ふてえ野郎だ!」みたいなプリプリした表情。
男が縛られる時の、「その身の科はのがれじと」の地謡もドラマティックに盛り上げて、劇的な場面だった。

先日の、阿佐ヶ谷神明宮奉納能の時も思ったけれど、金剛流の地謡って好いなー。




《巻絹》後半につづく



国立能楽堂1月公演《巻絹》~金剛流の五段神楽

2017年1月14日(土)  13時~15時30分  国立能楽堂
狂言《寝音曲》からのつづき

能《巻絹》シテ巫女 豊嶋三千春
  ツレ都の男 豊嶋幸洋
  ワキ臣下 野口能弘 アイ従者 三宅右矩
   一噌隆之 幸正昭 谷口正壽 観世元伯→徳田宗久
  後見 松野恭憲 豊嶋晃嗣
  地謡 宇高通成 金剛龍謹 宇高竜成 坂本立津朗
      元吉正巳 田中敏文 宇高徳成 遠藤勝實




今年の元旦、金剛宗家父子による《石橋・和合連獅子》がEテレで放送された。
(2年前の映像だから再放送?)

「和合連獅子」は、子獅子がクルッと宙返りをして一畳台から下りたり(千尋の谷へ蹴落されることを表現した型なのだそう)、台の上でコサックダンスのように足をタタタと交互に上げたり、親子獅子が橋掛りで向き合い下居のまま膝行して入れ違ったりと、それはそれは華やかでダイナミックで、なおかつ格調高い獅子の舞。

さすがは舞金剛!と拍手喝采を送りたくなるほど見応えがあった。
(囃子方も杉信太朗、曽和鼓童、河村大、前川光長、という好い組合せ。)



この《石橋・和合連獅子》《巻絹》は金剛流にとって特別な曲だという。
金剛宗家によると、かつて金剛流から二回、太夫が宝生流に養子に入った際に、ひとりは《石橋》を、もうひとりは《巻絹》を持って婿入りした。それゆえ、金剛流では《巻絹》の五段神楽だけが残り、《石橋》も、のちに「和合連獅子」という形で復活されるまでは上演されなかったそうである。

新年早々、その特別な二曲を拝見できたのは幸せだった。


上記の理由や、《巻絹》の詞章に「金剛山の霊光」、「金剛界の曼荼羅」などの言葉が盛り込まれていることから、金剛流ではこの曲が重い扱いになっているらしい。

ゆえに金剛流の《巻絹》は小書なしでも、他流で「惣神楽」などの小書付きで扱う特殊演出で上演される。


しかも、金剛流《巻絹》の五段神楽は序無しとはいえ、上掛りの留メとも五段と違い、下掛りなので五段六節たっぷりある本五段。
とにかく、長い!!

神楽があまりにも長いため、このブログを書いている今でも、頭のなかで神楽地がリフレインするほど神楽の呪縛は強力だ。



惣神楽(五段神楽)とは、途中から呂中干の譜になる「直リ」がなく、五段すべてを神楽で舞うもの。
ゆえに、通常、直リで幣を捨てて扇に持ち替える「幣捨」もなく、この日の舞台ではシテは後半の舞グセで扇を開いて舞った以外は、神楽はずっと最後まで幣を持って舞っていた。


通常の直リのある神楽では、巫女が神楽を舞っているあいだに徐々に神憑りして神が乗り移り、完全に乗り移ったところで神舞となる。


しかし、《巻絹》の場合はこれとは異なり、シテの巫女が登場後すぐに「この者は音無の天神にて、一首の歌を詠み、われに手向けし者なれば」と言うように、最初からある程度神憑っているようだ。(おそらくこの時点では、神による遠隔操作くらいの取り憑き加減?)


また、森田操遺稿集『千野の摘草』によると、「巻絹は祝詞(ノット)のうちに物狂いになり、なんとなく神楽を舞うゆえ、神楽に非ず」という。


このあたりのところに注目して舞台を拝見した。

長くなったので、舞台そのものの感想は、
国立能楽堂1月普及公演《巻絹》前半につづく




2017年1月14日土曜日

国立能楽堂一月普及公演《寝音曲》

2017年1月14日(土)  13時~15時30分  国立能楽堂

解説 和歌の徳と神がかりの巫女 梅内美華子

狂言《寝音曲》太郎冠者 三宅右近 主 三宅近成

能《巻絹》シテ巫女 豊嶋三千春
  ツレ都の男 豊嶋幸洋
  ワキ臣下 野口能弘 アイ従者 三宅右矩
  一噌隆之 幸正昭 谷口正壽 観世元伯→徳田宗久
  後見 松野恭憲 豊嶋晃嗣
  地謡 宇高通成 金剛龍謹 宇高竜成 坂本立津朗
     元吉正巳 田中敏文 宇高徳成 遠藤勝實



昨年末からずっと祈り続けていて、この日も祈りを込めて能楽堂にたどり着く。

でも、
祈りは届かず、「観世元伯、病気療養中のため」の張り紙が。
目眩がして、その場に倒れこみそうになる。
もう1か月以上も休演なんて……。

観能を3年以上も続けてこられたのも、あの太鼓があったからこそ。
この日のチケットを取ったのも、おもに元伯さんの太鼓で惣神楽が聴きたかったから。
去年11月末に或る会で拝見した時の、顔色が悪く、痩せた姿を思い出す。
悲しすぎて、無力感が込み上げてきて、解説も狂言もほとんど上の空だった。



【解説】
梅内さんは喜多流某師の社中の方なので、某会の事前講座などでお見かけする。
いつもお着物をきれいにお召になっていて、お話も上手でわかりやすい。
普及公演の解説にはぴったりだった。



狂言《寝音曲》
横になった体勢で、声量たっぷりに大原木を謡うのはさすが。

最初は気分が沈んでいたので、狂言の世界に入っていけず、まわりが笑えば笑うほど、こちらの悲しみが深まるばかりだったが、最後の、起きあがったら声がかすれるはずのところを太郎冠者が取りちがえて、寝たら声がかすれ、起きたらちゃんと謡えるようになったあたりから、三宅右近さんの芸に引き込まれ、玉之段を舞い謡うところは見入ってしまった。




《巻絹》~金剛流の五段神楽につづく






2017年1月10日火曜日

クラーナハ展 ~ 五〇〇年後の誘惑

2017年1月某日           国立西洋美術館


(ルーベンスやレンブラントのように)色彩の交響のなかに裸体を解き放つのではなく、線と形体のなかに裸体を冷たく凝固させる。裸体をして、われわれの視線に撫でまわされるための、一個の陶器のごときオブジェと化せしめる。これがクラナッハ特有のヌードだ。
                           ――澁澤龍彦 『裸婦の中の裸婦』





クラナッハの裸体画でまず思い浮かぶのは、
なで肩に小ぶりな胸をもつ華奢な上半身と、
ぽっこりつき出た下腹部と豊かな太股の、成熟した下半身、
そして、なよやかな柳腰と、すらりと伸びた長い手足という、
裸体の美化と生々しさの両方をあわせ持つアンバランスな魅力だ――。


彼が描く、日本女性の体型を理想化したようなヌードは、
雪のように白くなめらかな肌に、豪華な宝飾品を身につけ、
陰部を隠すのではなくそこへ視線を誘うようにコケティッシュに薄絹をまとい、
高貴かつ優雅でありながら、
女の体臭を濃厚に感じさせる淫靡なエロティシズムを帯びている。


さらに裸体のみならず、その背景にも性的な暗喩がちりばめられており、
たとえば《泉のニンフ》の、裸で寝そべるニンフの背後には
一目でそれとわかるような泉の湧き出る洞窟が、
露わになった乳房に剣を突き立てようとする《ルクレティア》の背後には
不自然に突き出た不自然な形の崖が、
それぞれ陰と陽の器の象徴として描かれている。


とはいえ、これらの裸体画は
クラナッハ個人がとりわけ好んで描いたわけではなく、
(もちろん、彼自身も楽しんで描いたのだろうが)
王侯貴族の愛好する閨房画として制作したものが爆発的にヒットして、
彼の工房で大量生産されたものと思われる。


彼の裸体画が革新的なのは、
前述のように、イタリア的な黄金比に支配された理想の裸体から逸脱した、
生身の裸体のもつ「崩れ」や「不均衡性」を女体の魅力として描きつつ、
それをマニエリスム的に過度に引き伸ばされた優雅な手足と融合させた点にあり、
さらには、背景を黒にすることで裸体美を際立たせたことにある。

実際、背景をことごとく埋め尽くしたデューラーの版画と比べれば、
クラナッハの手がけた版画には、いかに余白が多いのかがよくわかる。

(同時代のデューラーとクラナッハの版画の違いがよく分かるように展示されていた。
クラナッハの版画には、デューラー作品から構図を借用したものが多いが、
背景が削ぎ落とされ、有翼の蛇が署名として入れられているのが特徴。
版画作品だけで比較すると、圧倒的にデューラーに軍配が上がる。)


「余白の美」の効用にいち早く気づいたクラナッハは、
背景を埋めつくさないほうが大量生産にも向いていることもあり、
黒い背景を裸体画に取り入れたのかもしれない。


彼は良い意味で、作品によって自己表現をする芸術家というよりも
時代と顧客のニーズを敏感に察知し、それを形に表す絵描きであり、
工房経営者であり、超一流の職人だったと思う。


それを端的にあらわすのが「宗教改革の〈顔〉たち」のコーナーに
展示されたルターの二枚の肖像画だ。

「95ケ条の論題」発表の3年後に描かれた《アウグスティヌス修道会士としてのマルティン・ルター》は、いかにも宗教改革に闘志を燃やす修道士といった厳格な顔つきをしており、腐敗したローマ・カトリックへの激しい怒りを世にアピールする宗教改革のプロパガンダ的肖像といえる。

その3年後に制作された《マルティン・ルター》は、ドイツに吹き荒れた農民戦争の嵐を鎮めるべく、民衆に平和的抵抗を訴えたルターの穏健な姿を描いている。

プロテスタントというイデオロギーの推進に一役買ったのが、クラナッハの描くルターの肖像画だった。


今回、わたしの好きなウェヌスとアモール(ヴィーナスとキューピッド)シリーズが一枚も来日しなかったのは残念だったけれど、チラシや看板画にもなっている《ホロフェルネスの首を持つユディト》↓に出会えたのは幸せだった。

クラナッハの描くユディトは、悪鬼を退治する文殊菩薩のように、血塗られた剣を勇ましく、厳かに持ち、氷のように冷たい美を湛えている。

いっぽう首を斬られた猛者はマゾヒストのごとく、それが彼の本望だったとでもいうように恍惚とした表情を浮かべている。

気品と妖しさと毒をあわせもつ、究極のファムファタル像――。


《ホロフェルネスの首を持つユディト》、1525-30年、油彩、板



2017年1月7日土曜日

梅若謡初之式 2017

2017年1月5日(木) 13時始        梅若能楽学院会館
注連縄で結界が張られた神聖・清浄な能舞台

新年小謡《橘》出演者一同

舞囃子《老松》梅若玄祥
   《東北》梅若紀彰
   《高砂》梅若長左衛門
   《弓矢立合》梅若玄祥 梅若長左衛門 梅若紀彰
   松田弘之 鳥山直也 亀井忠雄→原岡一之 林雄一郎

連吟《養老キリ》富田雅子 女流一同

仕舞《八島》  松山隆雄
  《羽衣キリ》角当行雄
  《鞍馬天狗》角当直隆
  《猩々》  川口晃平

連吟《鶴亀キリ》会田昇 出演者一同

 

謡初式の一般公開を毎年継続して行うのは、ほんとうに凄いことだと思う。
振舞い酒まで用意されていて、強風のなか東中野の坂を下ったあとなので、お酒がことさら美味しく感じられ、体がぽかぽか温まる。木六駄の峠の茶屋のようなあたたかさ。


切戸口で切火を打つ音がすると、切火を受けて清められた演者たちが一人ずつ能舞台に入り、謡初という厳粛な儀式が始まる。


梅若の謡初式では、毎年《老松》《東北》《高砂》と《弓矢立合》の舞囃子が行われる。
もしかするとそれは、かつて江戸城の謡初で《老松》《東北》《高砂》の三曲が演奏されていたことや、古代は《弓矢立合》を《翁》の代わりにすることもあったということと関係があるのだろうか。
そんなふうに、江戸式楽の伝統に思いを馳せつつ拝見する。


舞囃子《老松》
この前日に、金春流の能《老松・紅梅天女イロエノ働キ》を観たばかりなので、両者を比較すると、同じ曲でもこんなにも違うものかと新鮮な驚きがある。

玄祥師の序ノ舞の「序」は、《道成寺》の乱拍子さながらの緊張感みなぎるドラマティックな「序」だ。


お囃子は忠雄師が休演なので、笛の松田さん以外は若手三人。
熟練の松田さんに加えて、この三人の覇気に満ちた囃子が、玄祥師の風格と重厚感のある舞に見事に応えていた。

やっぱり玄祥師の老松は好い!
(わたしのなかでは、《山姥》と《老松》=梅若玄祥になっている。)





舞囃子《東北》
いつもながら、どの瞬間、どの視点から見ても、美しい舞姿。
美しい舞の流れ。
それをできるだけ心に留めておこうと、全神経を集中させる。

「見仏聞法のかずかず」で始まり、序ノ舞を省いた短縮バージョン。

「池水に映る月影は」のところの、開いた扇の面を下に向けてかざす型では、菩薩の光が月影となって、ほんのり春めいた水面に反射するきらめきを感じさせ、能楽堂に射し込む自然光とあいまって、そこだけ何かのオーラのように明るく輝いて見えた。


今年は前半だけでも《錦木》、《通盛》と、楽しみな演能予定があり、今から待ち遠しい。



舞囃子《高砂》
どうしたのだろう、体調がひどく優れない御様子で、心配。
ほかにも、心配な能楽師さんが多くて、胸の痛む日々が続く。




仕舞《八島》《羽衣》《鞍馬天狗》《猩々》
角当直隆さんの飛び返りがピタッと決まり、キリッとした《鞍馬天狗》。
以前から謡が好いと思っていた川口さんは、仕舞もきれい。
東京メトロのFind My Tokyoのサイトに、石原さとみさんがこの能舞台で能楽体験をする動画があり、能楽体験の指南役として角当直隆さんと川口晃平さんが御出演されていた。
この動画がとても良く、川口さんの話す声がめちゃくちゃ渋くて、声優さんになれそうなほど好い声でビックリ!



ハンサムな狛犬が守護する氷川神社

2017年1月6日金曜日

国立能楽堂定例公演・狂言《大黒連歌》

2017年1月4日(水)   13時~15時20分  国立能楽堂
《老松・紅梅天女イロエノ働キ》からのつづき
国立能楽堂恒例の豪華な巨大鏡餅

狂言《大黒連歌》シテ大黒天 大藏吉次郎
     アド参詣人 善竹富太郎 大蔵教義
     藤田次郎 住駒匡彦 柿原弘和 桜井均
     地謡 大蔵彌太郎 禅竹十郎 宮本昇 大蔵基誠



「狂言→能」という上演順序が一般的ですが、
今回は初公演ということで、「脇能→脇狂言」という順番になり、
囃子方も入ってお正月らしい、目出度く華やかな舞台となりました。


二人の男が比叡山の三面大黒天にお参りに行き、連歌を奉納すると、
大黒天が現れ、宝の袋と打ち出の小槌を与えるというお話です。



参詣人の二人が扇を広げて膝前に置き、手を合わせる所作は、舞のように美しい。
たぶんこれは、坐する相舞なのですね。

「あらための年のはじめに大黒の」
「信ずる者に福ぞ賜る」

二人が連歌を捧げると、不思議なことに、御殿のなかが振動し、大黒天が現れ、みずからの由来を物語ります。

――延暦寺は伝教大師(最澄)と桓武天皇が建立し、三千人の衆徒を置き、その守護神を安置しようとしたところ、大黒天が現れ、三千人の衆徒を守る奇特を示すため三面六臂に変身したという。


幕が上がり、囃子に乗って現れた大黒天。
ぷっくりとした福耳の大黒面に大黒頭巾を被り、派手な紅地の法被をつけ、福袋を背負って、打ち出の小槌を手にしたその姿は、サンタクロースを思わせます。

大黒天は、インドのマハーカーラ(シヴァ神)が仏教に取り込まれ、日本に来て、大国主信仰と習合したもの。

もしかするとサンタクロースも、マハーカーラが西洋に渡り、キリスト教の聖人信仰(もとは多神教的な土着の信仰)と習合して根づいたのかもしれません。

サンタクロースは、日本のなまはげとの類似性も指摘されていて、人間が求める神・精霊の特徴って、わりとどこでも似ているものなんですね。







2017年1月5日木曜日

国立能楽堂定例公演 《老松・紅梅天女イロエノ働キ》

2017年1月4日(水)  13時~15時20分   国立能楽堂
《老松》「紅梅天女」の小書にぴったりの角松

能《老松・紅梅天女イロエノ働キ》
 シテ老人/老松の精 金春安明
 前ツレ男 金春憲和 後ツレ紅梅殿 本田光洋
 ワキ梅津某 高井松男 ワキツレ則久英志 梅村昌巧
  アイ門前の者 善竹大二郎
 藤田次郎 住駒匡彦 柿原弘和 桜井均
  後見 桜間金記 横山紳一
 地謡 高橋汎 高橋忍 辻井八郎 山井綱雄
    中村昌弘 本田芳樹 井上貴覚 本田布由樹

狂言《大黒連歌》シテ大黒天 大藏吉次郎
    アド参詣人 善竹富太郎 大蔵教義
    地謡 大蔵彌太郎 禅竹十郎 宮本昇 大蔵基誠



国立能楽堂の初公演はお正月らしい雰囲気がいいですね。
今年は来場者に こちら↓ の卓上カレンダーがプレゼントされました。
国立能楽堂のお年賀・卓上カレンダー











「紅梅殿」の小書については、小書なしの《老松》よりも、「紅梅殿」の演出のほうが本来の形に近いと以前から言われていた。

山中玲子氏は「〈老松〉の小書『紅梅殿』の諸相と意義という論考のなかで、その説をさらに推し進め、「若い天女の華やかな舞と老シテのハタラキを組み合わせた『紅梅殿』の演出は、単に《老松》の古い形を示しているというだけでなく、世阿弥時代以前の古い脇能の姿をも映し出しているのではないだろうか」という興味深い仮説を唱えている。

その小書を古風な金春流で観ると、世阿弥以前の脇能の古態らしさがより強く感じられた。

(金春流には「紅梅殿」の小書が二種類あり、ひとつはシテとツレの相舞の演出「紅梅天女相舞」で、もうひとつは今回上演された「紅梅天女イロエノ働キ」。同じ「紅梅殿」でも前者のほうがさらに古く、後者は他流の「紅梅殿」の小書と同類のものらしい。)

さて、以下は、実際の公演の簡単な感想。


【前場】
真ノ次第〉
例のごとく、幕が上がって、ワキが登場、幕前で両袖を広げて上下に振り、爪先立ちに伸び上がって、脇正を向き右腕を突き出し……という脇能独特の一連の型があるのですが、
ワキは、足でも傷めていらっしゃるのだろうか。


囃子はよかったです。お囃子で救われた。
藤田次郎さんは、いまの現役一噌流のなかではいちばん好いと思う。
(一噌庸二さんも良い笛だけど、御高齢なので好不調の波がある。)
藤田次郎さんは安定しているうえに、年々磨きがかかり、
この日のイロエなどは本当に素晴らしかった。


住駒匡彦さんはこの二日前にも聴いたばかりだけれど、
以前から良かった打音に加えて、
掛け声になんともいえない味わいと艶が出てきた。
良い小鼓方さんになりそうな予感。

柿原弘和さんは打音に関してはとてもきれいで好きなのですが、
掛け声に個性がありすぎて、もったいない気がする。
若い頃の公演記録では、お父上そっくりの掛け声なのに。



〈真ノ一声〉
ツレの男を先立てて、前シテ登場。

シテは茶水衣に白大口。
面は古元休(出目満永)作の小尉だそうです。


シテは予想通り、かなり癖のある独特のハコビと謡。
ツレの御子息でさえ、謡に合わせ辛そう。
(ツレは単独で謡う時には声量があるのに、二人で謡う時はシテの声しか聞こえない。たぶん謡がずれて聞こえないように、ツレは声を落としているのだと思う。)


芸に強いアクのある金春宗家ですが、下居の美しさはじつに見事。
スーッと静止した姿に品格が漂い、芸の力の強さを感じさせる。


〈クセ→中入〉
聞かせどころのクセなのに、地謡がどんより。

さらに、中入で、ツレがシテにどんどん接近。
幕前ではツレがシテの真後ろに来ていた。
これまで観たどの舞台でも、ツレがシテのハコビのテンポに合わせていたから、こういうのは初めてだ。
橋掛りの上でシテとツレが込み合って、渋滞している。




後場】
出端の囃子で、まずは後ツレ・紅梅殿の登場。

紅地小鼓文様舞衣に白大口。
面は、友閑作の古風な顔立ちの増。
頭には、紅梅を挿した天冠。
瓔珞がちょっと揺れすぎかな。

その後、後シテが登場。
白地金文様の狩衣に、いかにも老松らしい灰緑の大口。
初冠には松葉。日陰の糸はなし。

面は、伝・石王作の石王尉。
非常に格調高い、神さびた尉面。
これをつけると、前場では気になっていたシテの独特のハコビも、
人間離れした神々しいハコビに見えてくる。



シテは一の松から、常座にいるツレに
「いかに紅梅殿、今夜の客人をば、何とか慰め給ふべき」と呼び掛ける。

こうして観ると、後ツレの紅梅殿を出したほうが謡との整合性がとれるというのがよく分かる。

ここから後シテ・紅梅殿の真ノ序ノ舞なり、
シテは常座で床几に掛かってそれを厳かに眺めている。


このときのシテの、微動だにせずに端座する姿には、
どことなく松の幹の鱗のような乾いた感触があり、
御神体の松そのもののような気がした。

おそらくこのシテは芸だけでなく、人格も高い人なのかもしれない。
(人格者だと思う場面を以前に拝見したことがあるから。)



〈金春流の序ノ舞の「序」〉
ここで少し驚いたのが、
金春流の序ノ舞の「序」では、足拍子はあるけれど
上掛りなどにあるような、爪先を上げ下げする足づかいがないということ。
(もしかすると爪先をわずかに上下させていたのかもしれないが、少なくともわたしの席からは見えなかった)。

いずれにしろ序を踏む型も位置も、流儀によってずいぶん違いがあって面白い。


国立能楽堂定例公演・狂言《大黒連歌》につづく




2017年1月4日水曜日

阿佐ヶ谷神明宮・第十六回奉納迎春能《呼声》《葛城》

2017年1月2日(月)  11時始  阿佐ヶ谷神明宮 
   


舞台清祓いの儀
(1)お祓い
(2)祝詞奏上
(3)鶏鳴の儀・鳴弦の儀(たぶん?)

狂言《呼声》 太郎冠者 大蔵教義
    主 大蔵吉次郎 次郎冠者 宮本昇
    後見 榎本元

半能《葛城》 葛城明神 工藤寛
     ワキ山伏 安田登
     槻宅聡 住駒匡彦 柿原光博 徳田宗久
     後見 山田純夫 田村修
     地謡 廣田幸稔 宇高竜成 見越文夫 元吉正巳


比較的近場で奉納能があるのは嬉しい!
ビックリしたのは2年前よりも観客数が3倍くらい増えていたこと。
椅子席がぜんぜん足りなくて、ほとんどの人が立ち見でした。


まずは、奉納能の醍醐味のひとつ、舞台清祓いの儀
新年にこうした神事を拝見できるのは貴重な経験だし、観客にも大幣でお祓いをしてくださるので、こちらも心身ともに浄化されたような清々しい気分になります。

それにしても、この迎春能は16回とも好天に恵まれ続けたというから、シテの工藤寛さんは強力な晴れ男なのでしょう。
祭神の太陽神を味方につけているのかも。



さて、狂言《呼声》です。
吉次郎狂言会の舞台は、個人的には拝見する機会が少ないのですが、太郎冠者役の大蔵教義さんが以前拝見した時より格段に向上していて、目を見張りました。

この曲は平家節、小歌節、踊節など見せ場も多く、どの音曲でもシテの芸は、時分の花がぱあっと咲いたような華やかさ。

青地に帆舟を白抜きした肩衣姿も目に爽やかで、高らかに笑う声と表情も、新春にふさわしく清新な印象。

(笑い方は狂言方の巧拙をはかる目安のひとつになります。
この日の午後に放送された「さんまのまんま」で、野村萬斎さんが普通の笑いと《福の神》の笑いの違いを実演されているのを観て、さすがだと感心しきり。
何が凄いって、目も完全に笑っているのが凄い!)


教義さんは発声も声量も好く、「シャッキ、シャッキ、シャッキ、ハアー」の踊節も、強い足腰とたしかな型に裏打ちされていて、これからが楽しみな狂言方さん。



半能《葛城》
開演前、出演者の名前がアナウンスされるのですが、太鼓の徳田宗久さんが「むねひさ」というのを初めて知りました。
ずっと「そうきゅう」だと思っていたから(・・。)ゞ

半能とはいえ、
次第の囃子でワキが登場し、常座に至って、次第→名乗り→待謡となり、「一心敬礼」で脇座に行き、出端の囃子が入って、後シテの登場となるんですね。


シテは、金糸(or金箔)で文様があしらわれた白地長絹に緋大口、紅葉した蔦葉の天冠と、全体的に紅白でまとめたお目出度い出立。
長絹の胸紐も紅白になっているところが、TPOに合わせた演出でおしゃれ。
面は増系かな?


地謡がよかったです。
金剛流の謡ってあまり聴く機会がないのですが、やっぱり喜多流に似ている気が。
(喜多のツールだものね。)

今月中旬には京都金剛流の舞台を拝見する予定なので、謡もじっくり味わおうと思います。




2017年1月1日日曜日

白洲正子ときもの展

2016年12月27日-2017年1月16日    松屋銀座



お年賀と正月飾りを買うついでに8階の特別展へ。
(年の瀬だったのでデパ地下は激混みだったけど、展覧会場は人影もまばら♪)


7歳から50歳まで能を習っていた白洲正子。
観る側と演る側の、二つの視点をあわせもつ彼女が書いた数々の能楽関連書は、
能楽師や研究者の書いたものとはひと味もふた味も違っていて、
わたしのような素人にはとっても貴重。
それに、何よりも面白く、読んでいてワクワクする。


本展覧会では、戦時中、白洲正子が師匠である二世梅若実から、
「先生の私物ではない、日本の国のためです」と言って預かり、
鶴川の武相荘に疎開させた江戸期の能装束なども展示されていた。


おそらくこれらの装束のなかには、
維新後のあの激動期に東京に残り、能楽界に残った能役者たちが、
風呂敷を揚幕代わりに使いながら、必死の思いで演能を続けた時や、
震災で焼失した厩橋の舞台を再建した際に使ったものもあるのだろうか。


擦り切れた能装束には、当時の能役者たちの情熱や汗や
血のにじむような思いが沁み込んでいるようで感慨深い。


会場を入るとまず目についたのが、
正子の舞台写真とともに展示されていた黒地紬金擦箔吹き寄せ文着物。

単衣の黒い紬の裾と袖にぼかし技法を使った金の擦箔で
枯葉や毬栗の文様が施された豪華でシックな一枚。

渋い紬で舞囃子を舞うというセンスが、いかにも白洲正子らしい。




鶴見和子が、志村ふくみとの対談集『いのちを纏う――色・織・きものの思想』で、
着物という形なきものに形を与えているのは姿勢であり、
姿に勢いがなければ、着物は着られない、
姿勢の訓練をするには能が一番いい、
というようなことを言っていたが、これにはまったく同感。

姿に勢いのある着姿の典型が、白洲正子のきもの姿だと思う。

一見、無造作に着ているようだけれど、
普通の人なら似合わないような色柄の着物でもあれだけスッキリと着こなせるのは、
子供のころから稽古によって鍛えてきた姿勢の美しさ、体幹の強さ、
身体に沁みついた立ち居振る舞い、
そして何よりも、彼女の潔い生きざまがあってのことだろう。


着物の着こなしって、年を重ねれば重ねるほど、
その人の意志の力や生きざま、性格や人間性が反映される。

篠田桃紅さんも、着姿自体が彼女の作品であり、
そこに彼女の生き方そのものがおのずと映し出されている。


さてさて、展覧会のメインは
白洲正子が銀座に構えた染織工芸の店「こうげい」で扱った着物たち。

どれも、織と染の技術の粋が凝らされた渋い着物ばかりで、
工芸の「用の美」と同じく、
着れば着るほど独特の味わいが出るざっくりとした紬の作品が多い。

ほんとうは鑑賞するのではなく、
実際に身につけ、身体に触れて楽しむものなのだろう。

個人的には、梅原龍三郎夫人が買い求めたという田島隆夫作・紬格子文着物の、
深い藍と青に心惹かれた。