狂言《寝音曲》からのつづき
能《巻絹》シテ巫女 豊嶋三千春
ツレ都の男 豊嶋幸洋ワキ臣下 野口能弘 アイ従者 三宅右矩
一噌隆之 幸正昭 谷口正壽 観世元伯→徳田宗久
後見 松野恭憲 豊嶋晃嗣
地謡 宇高通成 金剛龍謹 宇高竜成 坂本立津朗
元吉正巳 田中敏文 宇高徳成 遠藤勝實
今年の元旦、金剛宗家父子による《石橋・和合連獅子》がEテレで放送された。
(2年前の映像だから再放送?)
「和合連獅子」は、子獅子がクルッと宙返りをして一畳台から下りたり(千尋の谷へ蹴落されることを表現した型なのだそう)、台の上でコサックダンスのように足をタタタと交互に上げたり、親子獅子が橋掛りで向き合い下居のまま膝行して入れ違ったりと、それはそれは華やかでダイナミックで、なおかつ格調高い獅子の舞。
さすがは舞金剛!と拍手喝采を送りたくなるほど見応えがあった。
(囃子方も杉信太朗、曽和鼓童、河村大、前川光長、という好い組合せ。)
この《石橋・和合連獅子》と《巻絹》は金剛流にとって特別な曲だという。
金剛宗家によると、かつて金剛流から二回、太夫が宝生流に養子に入った際に、ひとりは《石橋》を、もうひとりは《巻絹》を持って婿入りした。それゆえ、金剛流では《巻絹》の五段神楽だけが残り、《石橋》も、のちに「和合連獅子」という形で復活されるまでは上演されなかったそうである。
新年早々、その特別な二曲を拝見できたのは幸せだった。
上記の理由や、《巻絹》の詞章に「金剛山の霊光」、「金剛界の曼荼羅」などの言葉が盛り込まれていることから、金剛流ではこの曲が重い扱いになっているらしい。
ゆえに金剛流の《巻絹》は小書なしでも、他流で「惣神楽」などの小書付きで扱う特殊演出で上演される。
しかも、金剛流《巻絹》の五段神楽は序無しとはいえ、上掛りの留メとも五段と違い、下掛りなので五段六節たっぷりある本五段。
とにかく、長い!!
神楽があまりにも長いため、このブログを書いている今でも、頭のなかで神楽地がリフレインするほど神楽の呪縛は強力だ。
惣神楽(五段神楽)とは、途中から呂中干の譜になる「直リ」がなく、五段すべてを神楽で舞うもの。
ゆえに、通常、直リで幣を捨てて扇に持ち替える「幣捨」もなく、この日の舞台ではシテは後半の舞グセで扇を開いて舞った以外は、神楽はずっと最後まで幣を持って舞っていた。
通常の直リのある神楽では、巫女が神楽を舞っているあいだに徐々に神憑りして神が乗り移り、完全に乗り移ったところで神舞となる。
しかし、《巻絹》の場合はこれとは異なり、シテの巫女が登場後すぐに「この者は音無の天神にて、一首の歌を詠み、われに手向けし者なれば」と言うように、最初からある程度神憑っているようだ。(おそらくこの時点では、神による遠隔操作くらいの取り憑き加減?)
また、森田操遺稿集『千野の摘草』によると、「巻絹は祝詞(ノット)のうちに物狂いになり、なんとなく神楽を舞うゆえ、神楽に非ず」という。
このあたりのところに注目して舞台を拝見した。
長くなったので、舞台そのものの感想は、
国立能楽堂1月普及公演《巻絹》前半につづく
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