2015年1月27日火曜日

銀座能楽堂 ~ 狭小空間の有効利用


都内の主な能楽堂をはじめ代々木能舞台、杉並能楽堂など、それぞれに味わい深い趣があります。

でも、東京で唯一訪れたことのなかったのがこの銀座能楽堂。

先日、ここで狂言方・奥津健太郎さんの社中会があったので、拝見させていただきました。



銀座能楽堂ビル外観


1972年に竣工したこのビルは国立能楽堂や梅若能楽学院の設計で知られる建築家・大江宏によるもの。


70年代初期という時代思潮を反映してか、
大江らしい昭和モダニズムの中にも、どこか自由でポップな遊び心が感じられます。


眺めているだけで心が浮き立つキュートな外観♪







おずおずと狭い雑居ビルの中を入っていくと、このような看板が。


エレベーターで9階まで上がり、階段で半階分くらい降りたところに、
ごくごく小さなロビーらしき空間があります。








ロビーの横には、さりげなく和風テイストを取り入れた喫煙室。





脇正面から見た能舞台


見所には段差が多く、時代を感じさせます。




正面席から見た能舞台


狭い入り口が一箇所しかないため、閉所恐怖症には辛い空間。

(大地震が起きたら避難経路が確保できず、床几倒しになるかも……。)



ここの座席で面白かったのは、
新幹線や飛行機の座席のように背面収納のテーブルがついていること。

謡本を広げて置くためのものなのだろうか。

(まさかお弁当を食べるためじゃないよね?)




いずれにしろ、
狭い雑居ビルの最上階に能楽堂を建設した設計者の苦心と工夫に脱帽です。



肝心の社中会は、狂言をお稽古されているお子様たちがメインだったのですが、
皆さん、発声や姿勢も素晴らしく、何よりも溌剌・のびのびと演じていらっしゃって、
狂言素人の夢ねこでもとても楽しめました。

きっと奥津師にはお子さんの才能と可能性を引き出す力があるのでしょうね。



奥津さんの御子息もまだ小学生なのに後見も立派に勤められていて、
すでにプロフェッショナルな風格が。


最後は番外小舞として、野口隆行師の《熊野道者》、奥津健太郎師の《七つになる子》を拝見し、
《靭猿》の附祝言で締めくくり。


初めていった能楽堂で初体験の狂言方社中会という初めて尽くしの楽しい会でした。







        


         

2015年1月17日土曜日

お月さんと戯れる



「私はね、もう哀しみは捨てるんです。最後はお月さんと戯れる、そこだけに絞ってやります。
そしてそのお月さんが照らしている山・姨捨山になったようなかたちで終わりたい」

                      ――片山幽雪、《姨捨》について『能を読む1・翁と観阿弥』より





幽雪師の芸の血脈は次の世代、そしてその次の世代へと確かに続いている。

御子息、御孫さん、門下の方々の芸の中に、幽雪さんはこれからも生き続けると信じています。


謹んで哀悼の意を表します。






























2015年1月14日水曜日

宝生会月並能1月公演 Part2 

狂言《三本柱》は囃子が入ってシャギリ留で終わる、ほのぼのとした舞台だった。


能 《鶴亀・曲入》
真ノ来序の囃子で、大臣・従臣とともに皇帝が登場。



三島元太郎先生が広大な宮殿に鳴り響く銅鑼のような金属的で重々しい打音を奏で、
一噌庸二師の笛のうねりが、大陸風の荘厳な雰囲気を醸し出す。


 

唐冠に袷狩衣姿の武田孝史師。
この人ほど直面の皇帝役が似合う人もそういないと思う。
まさに、はまり役。
簡易の引立大宮も、シテが座っただけで龍の彫刻が施された絢爛豪華な玉座に変貌する。


この日は「曲入(くせいり)」という小書付きなので、クリ・サシ・クセが挿入され、
シテはクセで引立大宮から一旦出て、舞を舞う。

舞い終わってシテが引立大宮に戻ると、
池のほとりにいた鶴亀に舞を舞わせることになり、鶴亀役の子方さん2人が登場。
この2人が背格好も同じくらいで、とっても可愛い!!
2人の相舞(中ノ舞)は短縮ヴァージョンだったけれど、
子方さんたちが出てくると新春らしい華やいだ舞台になる。


興に乗った皇帝も再び正中に出て、国土繁栄を願い「楽」を舞う。
武田師の「楽」には優雅で悠然とした趣があり、王者の威厳と風格がにじみ出ている。

お正月らしい祝言性に満ちた良い舞台でした。




能《東北》
面は宝生流らしい節木増。

この女面はほんとうに不思議な面で、正面から見ると現代的な美女。
左右が微妙に違っていて、斜め右から見るとやや古風な顔立ち。
左から見ると、目の焦点の定まらない精神の不安定な表情になる。
照明の加減や顔の角度でも変わるため、血の通った生身の女のように見える。
前シテ・後シテに同じ面が使われたけど、
装束を変えただけで顔(面)映りが変化し、まったく別の面のように思えた。

この日、九皐会と掛け持ちの松田さんの笛とワキの森常好師の謡にうっとり聞き入る。
節木増は目の保養、笛の音とワキの謡は耳の御馳走。


ところで先日、
国立能楽堂に行った際に公演記録《東北》(シテ三川淳雄、1987年)をデジタルライブラリーで観た。
シテの姿は凛然と美しく、おそらく全盛期だった中谷明師の笛も最高。
そして何といっても、謡がたまらない!
この頃の宝生流は「謡宝生」の名の通り、惚れ惚れするような艶やかな謡だったのだ、
と当時の能楽界を知らない私はちょっと感動。
特に最後の「色こそ見えね、香やは隠るる香やは隠るる」「今はこれまでぞ華は根に、鳥は旧巣に帰るぞとて、方丈のともし火を、火宅とやなほ人は見ん……」の、宝生流独特の謡の節が美酒のような芳醇な香りを添えていた。

あの頃の宝生流はどこ行ったんだ?と思うけれど、
今の宝生流でも中堅や若手の中には謡の上手い人も少なくないし、
宗家和英さんが地頭に入った地謡はとても好き。
「謡宝生」復活の兆しは十分にある。 今後に期待します!







2015年1月12日月曜日

宝生会月並能1月公演 Part1

1月11日(日) 午後1時始め

能 《翁》    翁 小倉健太郎   千歳 今井基
        面持 金田弘明   三番叟 三宅近成
      笛 藤田貴寛   大鼓 柿原光博
      小鼓(頭取)鵜澤洋太郎 (脇鼓)古賀裕己 清水和音
      後見 宝生和英 小林与志郎
      地謡 前田晴啓 田崎隆三 中村孝太郎 金井雄資
          辰巳満次郎 大友順 水上優 高橋憲正


狂言 《三本柱》  三宅右近   
             三宅右矩 高津祐介 前田晃一


能 《鶴亀・曲入》   皇帝 武田孝史  
          鶴 和久凛太郎   亀 野月
惺太
         ワキ 野口敦弘 ワキツレ 野口能弘 野口琢弘
         アイ 前田晃一
         一噌庸二 幸清次郎 安福建雄 三島元太郎
         後見 高橋章 登坂武雄 小林晋也
         地謡 大坪喜美雄 佐野由於 今井泰行 金森秀祥
             小倉伸二郎 野月聡 高橋亘 佐野登


能 《東北》  里女/和泉式部の霊 小倉敏克
         ワキ 森常好 ワキツレ 舘田善博 森常太郎
         アイ 三宅近成
         松田弘之 幸信吾 亀井実
        後見 近藤乾之助 亀井保雄 東川光夫
        地謡 三川泉 三川淳雄 朝倉俊樹 當山孝道
            山内崇生 澤田宏司 和久荘太郎 藤井雅之


 

いつものように金刀比羅東京分社にお参りしてから宝生能楽堂へ。
ここ、こんぴらさんは能楽ともゆかりの深い大物主(三輪明神)を祀る霊験あらたかな神社。
とてもお世話になっています。


さて、初番の《翁》。

宝生流では(金沢では宗家が勤めるけれど)、
東京の初会では中堅シテ方が順番に翁を勤めることになっている。

翁という大役を初めて授かった能楽師は、

おそらく役者人生のすべてを賭けて翁と謙虚に向き合い、
翁神への絶対的帰依とでもいうような敬虔な祈りの気持ち
(人事を尽くして天命を待つ時の「捨て身」の祈りと畏敬の念)を演能に込めるのだろう。


その真摯な祈りの気持ちに神々が呼応し、
白式尉・黒式尉の憑依力が高まり、
面をかけた役者は並はずれたパワーを発揮することがある。


この日の《翁》もそうした呪術性の高い《翁》で、
最初は緊張して硬くなっていた翁・千歳・三番叟から、
「自己」や「自我」が徐々に抜け落ち、
最後には何かに憑かれたように無心になって舞っているのが伝わってきた。


とくに、最後の《鈴之段》は圧巻で、
曲が急調に転じ、ヒシギが鳴ってテンポがさらに加速するあたりから、
三宅近成は三番叟以外の何者でもなくなり、
宗教的法悦とでもいいたいほどの恍惚感が演者と見所を包み、
神聖な祭祀の中で見る者と見られる者が一体になったような不思議な熱気が立ち込めて、
私は鳥肌が立つような陶酔感を味わった。
















                 



2015年1月8日木曜日

国立能楽堂定例公演 《玉井》「みんなで謡おう!高砂」Part2

能《玉井》
お目当てはツレ三人と三役。
とくに、前川光長師×ナリタツさんの組み合わせは東京ではめったに拝見できないので(5月のテアトル・ノウでも観る予定)必見だ。

ワキの登場は「半開口」の囃子。
笛の音取と小鼓の置鼓の交互の掛け合いが聴きどころなのだけれど、笛と小鼓との力関係がややアンバランス。
鼓の音色と充実した掛け声が冴える。



欣哉さんのハコビは影法師が滑るようで、天孫族のプリンスの降臨もかくやらんと思わせる。
着きゼリフのあと、ワキが、《高砂》の真ノ次第の幕際でやるような、両腕を広げて爪先立ち、かかとを下ろす型を正中あたりでしていたのが印象的だった。
大きな鳥が両翼を広げて降り立つようなこのしぐさは荘重というよりも、どこかユーモラスで可愛らしい。
(天野文雄説によると、この所作は、パトロンだった室町将軍への恭礼だったのではないかとのこと。
ほんとうのところはどうなのだろう。)

        
ワキの彦火々出見尊が籠に乗って波路を進み、たどり着いた「わたつみの都」には、高い門の前に玉のように輝く井戸があった。
尊は、そのほとりの枝葉が生い茂る桂の木の陰に身を潜めて様子をうかがう。

  
そこへ真ノ一声の囃子とともにツレの先導でシテが登場する。
ツレの玉依姫に扮する佐々木多門さんは初めて拝見するけれど、
ハコビも立ち姿も謡いもみずみずしい美しさであふれ、
ツレの独吟の時だけ、雲が晴れたように舞台がパッと明るくなるという不思議な現象が起きていた。
この姿にツレ面ではもったいない。

尊と豊玉姫の結婚後、あっというまに3年の月日が過ぎ、尊は陸上の故国へ帰ることになる。


そして、いよいよ前川光長師の出番。
中入の時の来序が、この日の囃子の中ではいちばんよかった!
品のある端正なバチ捌き。
        
御子息の光範さんが、腕をまっすぐに伸ばして、時計仕掛けのからくり人形のように
タカタカタカタカーッと超人的な腹筋で打ち、絶叫のような掛け声をあげるのに対して、
光長師は無駄な力を抜いて、腕をしなやかに撓らせるように打つ。
どちらがいいというのではなく、それぞれの年代に応じた魅力をもつ大好きな太鼓方父子だ。

それと、気づいたのは、左脇に置いていた太鼓を自分の前に出す際に、光長師は太鼓を引き摺らずに、軽く持ち上げて移動させるということ。
太鼓を脇から前に移動させる際に引き摺る摩擦が気になっていたので(太鼓方がいつも同じ場所を擦るため、檜床に摺り跡がついてしまわないかと思ったのだ)、その繊細な配慮に光長師の芸の細やかさと能舞台に対する敬意を見た気がした。



前シテ・ツレの退場後、来序に乗って間狂言のオモアイ・サザエの精が登場し、これまでの経緯を語る。
サザエの精に続いて、四人の貝の精たちも登場(萬斎さんが先頭で、その次がおたふくの面をつけた女貝役の深田さん)。
神の婚礼にあやかって貝たちの酒宴が始まる。
間狂言そのものよりも、謡や舞を交えたにぎやかな酒宴をクールに見つめるポーカーフェイスの地謡・囃子・ワキ方と、はしゃぎまわる貝たちとの対比がシュールで可笑しい。



さて、間狂言の退場後、出端の囃子で、それぞれ潮満玉・潮干玉を捧げた豊玉・玉依姫が登場。
透明な緑色と金色の玉の小道具は初めて見るけれど、アクリルか何かでできているのだろうか。
豊玉姫は万媚の面に天冠、紫の長絹、緋大口。
玉依姫は小面の面に天冠、紅の長絹、白大口。
若々しく愛らしい印象の姫宮姉妹の登場で、舞台は一気に華やかに。


さらに、大ベシの囃子で後シテ・海神の登場。
(もっと重々しい太鼓を期待していたけれど、この時は軽め。)
悪尉の面に、目を見張るように大きな大龍戴をいただき、袷狩衣に半切姿。
ヨーダがつくような鹿背杖をつき、尊が探していた釣針を持っている。
シテの身体の震えが神がかった魔力を醸し出し、もはや前場で感じたような違和感はみじんもない。

心地よい眠気を誘う天女の相舞のあと、《玉井》特有の静かな舞働で、わたつみの宮主たる老竜王が厳かに舞う。
(後シテの登場から舞台が徐々に間延びしていったけれど、いたしかたない。)

ワキ、ツレ、シテの退場の後、いつものように地謡、囃子方も退場。
光長師の退場は実に見事で、舞台の幕引きにふさわしい厳粛な儀式を見ているよう。
坐する佇まいの美しさと品格の高さでは元伯さんと東西の双璧を成している。




みんなで謡おう! 《高砂》
前ツレ玉依姫の装束から紋付袴に着替えた佐々木多門さんが講師を担当。
(必要に迫られてのことだろうけれど)能楽師さんってみなさん、お話もうまいし、教え方もうまい。
息を吐き切ってから息を吸って謡い出す、とか、お腹を引き締めて背筋を伸ばし、顎を引いて謡うとか、説明もていねいですごくわかりやすい。
御指導通りに謡ったら、普段自分の話す声とはまったく違う、自分の声とは思えないような太く大きな声が胎の底から出た感じで、新鮮な驚きと感動!
胸が開いて、頭もスッキリ、もやもやしたストレスも吹き飛ぶ。
謡う楽しさが少しだけ分かった気がする。

とても良い企画だと思うので、年に1度といわず、余韻に浸らずにサクッと終わる脇能や切能の後で、他の祝言曲の「みんなで謡おう!」シリーズを各流派で行えば、格好のPRになるのではないだろうか。

お正月らしい楽しい公演でした。




           

2015年1月7日水曜日

国立能楽堂定例公演《神歌》《玉井》Part1

素謡 《神歌》 観世流
  翁 関根祥六    千歳 関根祥丸
  地謡 上田公威 関根知孝 坂井音重 
      山階彌右衛門 浅見重好


能 《玉井》 喜多流
  前シテ豊玉姫/後シテ海神 塩津哲生
  前ツレ玉依姫 佐々木多門
  後ツレ豊玉姫 友枝雄人  後ツレ玉依姫 友枝真也
  ワキ 彦火々出見尊 宝生欣哉
  ワキツレ 大日方寛 御厨誠吾

間狂言・和泉流 「貝尽」
   栄螺の精 石田幸雄  貝の精 野村萬斎 深田博治
                      高野和憲 武山悠樹

 お囃子 一噌隆之 成田達志 柿原崇志 前川光長

 地謡 香川靖嗣 長島茂 内田成信 狩野了一
     大島輝久 塩津圭介 金子敬一郎 粟谷充雄


みんなで謡おう!《高砂》        佐々木多門





海幸・山幸の物語で真っ先に思い浮かぶのが、青木繁の《わだつみのいろこの宮》。

「湯津の桂の木陰に立ちより、身を隠しつつ佇む」彦火々出見尊と、
「玉の釣瓶を沈めんと、玉井に立ちより」、水面に映った人影に驚いて見上げる豊玉・玉依姫が
視線を交わして恋に落ちる運命の瞬間を、モローやラファエル前派を思わせる幻想的な雰囲気で描いた絵だ。

この日の能《玉井》は、絵画で想像していたような神話世界のラヴロマンスとはだいぶ違ったけれど、
とにかくお正月らしく華やかな舞台だった。


しめ縄が張られた能舞台。
切戸口で切り火が行われた後、いよいよ開演。
素謡《神舞》はシテ・地謡はもちろん、千歳の関根祥丸さんが特に素晴らしかった。
この人の中には「凄み」を感じさせる何か、鋭利な何かが蠢いている。



追記

終演後、国立能楽堂の展示室でこの日から始まった『松井家の能』展へ。
いずれも名品・優品ぞろいで保存状態も素晴らしく(松井文庫が管理しているらしい)驚いて見ていると、

私服に着替えた喜多流の若手の方々と太鼓方さんが入ってこられた。
能楽師同士で展示品について話していらっしゃるそばで、「ふむふむ、なるほどー」と拝聴。
実際に使っていらっしゃる方々の生の声は貴重で参考になる。
「近くでは良い面に見えても、舞台上で見るとそうでもなかったりする」とか、面や装束選びも試行錯誤。でも、それが舞台の成否を分ける大きなポイントの1つだったりする。

また、「紫調 金春惣右衛門 国惟」の銘の入った扇夕顔蒔絵の幕末期の太鼓胴も展示されていた。
陳列されている蒔絵はいずれもため息が出るほど精緻で素晴らしく、それらを間近で鑑賞できるのは幸せなことだけれど、太鼓や大小鼓たちもほんとうは展示・保管されているよりも、舞台でバリバリ活躍したいだろうなー、きっと。
垂涎のまなざしで御覧になっていた太鼓方さんに、この太鼓胴が「どうか皮を張ってください! 私を太鼓としてもう一度よみがえらせてください!」と訴えかけているような気がした。

(個人的には「負柴桜雲巣蒔絵小鼓胴」が、繊細緻密な中にも妖しい美しさを放っていてとても気になった。

『あやかしの鼓』みたいな謂れのありそうな、物語性を感じさせる。)

会期中、展示替え(総入替)もあるそうなので、何度か足を運んでみるつもり。


 





   


   

2015年1月2日金曜日

阿佐ヶ谷神明宮・迎春奉納能





舞台清祓いの儀

大蔵流狂言 《鬼瓦》  シテ 大蔵吉次郎  アド 大蔵教義  後見 宮本昇

金剛流半能 《淡路》  シテ 工藤寛     ワキ 安田登
           槻宅聡 住駒匤彦 柿原光博 徳田宗久

                   後見 山田純夫  田村修
                   地謡 廣田幸稔 宇高竜成 見越文夫 元吉正巳




正月二日は去年と同様、初詣がてらに家族で阿佐ヶ谷の奉納能へ。
開演ぎりぎりに行ったのですが、この日は極寒だったせいか、見やすい席でも余裕で座れました。
巫女さんが使い捨てカイロを配ってくださるという温かい心づかい。

開演前の舞台清祓いの儀では、榊で舞台の四隅と見所(この間、観客も頭を下げている)をお祓いした後、
破魔弓で破魔矢を射る儀式も執り行われ、厳粛な雰囲気。
舞台だけでなく、見る側も祓い清められた気分になります。


《鬼瓦》は、京に滞在中の大名が因幡堂の鬼瓦を見て、故郷の妻を思い出すお話。
私と夫はボーっと見ていたけれど、後ろの席の女性がリアクションの良い人で、終始大笑い。
あんなふうに楽しんでもらえると演じる方もやりがいがあるだろうな。


そして、お待ちかねの半能《淡路》。
この奉納能では分かりやすい鑑賞の手引きや詞章が配布されて、初心者でも楽しめるように工夫されていました。
《淡路》の後場は《高砂》の後場ととてもよく似ている、というかほとんど同じ。
シテの面・装束も同じなので、言われなかったらイザナギ神ではなく住吉明神かと思うほど。
特徴的な違いは、
《淡路》では「振り下げし鉾の滴り露凝りて一島となりしを」のところで、
シテが扇を鉾に見立てて、露が滴るさまを表す型があるところでしょうか。

金剛流の能を拝見することは少ないのですが(これはシテの芸風なのかもしれませんが)、
素朴でプリミティヴな味わい。
寺社での野外奉納能の雰囲気にはぴったり。


何よりも正月早々、槻宅さんの笛が聴けたのが嬉しい!
今では幻になりつつある寺井政数ー中谷明系譜の笛。
その独特の音色に聞き入ったのでした。

観能後、あまりの寒さに凍えそうになった夫に
今日のお能は脇能の半能なので、上演時間も短く、テンポも速めだと言うと、
「ええー! これで(テンポが)速くて、短いの?!」とのこと。
やっぱり夫には序ノ舞・中ノ舞系のお能のフルコースは無理かな……。





                 






2015年1月1日木曜日

梅若謡初之式

元旦15時から     梅若能楽学院会館

新年小謡    「梅」   一同

舞囃子 《老松》   梅若玄祥

      《東北》   梅若紀彰

      《高砂》   梅若長左衛門

      《弓矢立合》 玄祥&長左衛門&紀彰

     囃子方 松田弘之 鳥山直也 亀井広忠 林雄一郎


連吟   《養老》キリ     女流一同

仕舞   《羽衣》キリ     川口晃平

      《鞍馬天狗》     松山隆之

      《猩々》        山中迓晶

連吟   《鶴亀》キリ     一同




去年も梅若に始まり、梅若に終わったので、今年も元旦は梅若から。


《老松》と《東北》を意識して、
緑地に梅紋柄の(一張羅の)着物を着る予定だったけど、
粉雪が舞っていたので、急遽、普段着の着物に変更。
元旦早々、我ながら根性なし……。

梅と松のお飾りや着物姿の観客、しめ縄、切り火。
お正月の能楽堂って好きだな。
空気も冷んやり、張りつめていて、身が引き締まる思い。


荘重で重厚な《老松》。
玄祥師の足拍子で、今年一年の活を入れてもらった気がする。


《東北》は、ただただ、うっとりため息……。
(大変失礼ながら)紀彰さんには謡が上手いという印象はあまりなかったのだけれど、
先日の《砧》の時に、舞はもちろん謡も「凄い!」と思い始め、
今日拝見して、さらにその思いが強まった。

面をかけていないこともあり、声がのびやかに通る。
以前に感じた独特の癖も抜けて、美声そのもの。
姿といい声といい、本物の梅の精が謡っているようで、見惚れつつ聴き惚れてしまう。
梅の香がほのかに漂うような甘美な舞。
なんかもう、天下無敵という感じで鳥肌が立った。

去年は《皇帝》とか《大瓶猩々》とか大人数で演じる曲が多かったので、
今年は《野宮》みたいなしっとりした鬘物をもっと拝見したい。



そして、待望の《高砂》!
広忠さんの《高砂》と《石橋》の演奏が特に好きなのだ。
パワー全開でノリノリの高砂を期待していたのだけど、
今日の神舞は短縮ヴァージョンだったのだろうか、
なんか、あっけなく終わってしまった……。


《弓矢立合》の後、連吟を経て仕舞。


川口さんはスリムになって、精悍になっていらっしゃった。
色白の貴公子といった風情で、謡も舞もきれい。
松山さんの《鞍馬天狗》もキレがあって勇壮かつ爽やか。
山中迓晶さんはひそかに注目しているシテ方さん。
いかにも梅若らしく、ふんわりと華やかでありながら折り目正しい。
好きな芸風だ。


今年は観世宗家系の公演もあるし、梅若能楽学院、にぎやかになりそう。