残暑がぶり返したように蒸し暑かったけど、 キャンパスでは彼岸花が咲き、金木犀の香りが。 |
京都観世会会長・片山能楽・京舞保存財団理事長 片山九郎右衛門
文化庁芸能部門文化財調査官・武蔵野大能楽資料センター研究員 金子健
能楽資料センター長 三浦裕子
(1)片山九郎右衛門プロフィール紹介
(2)西本願寺南能舞台での降誕会能(5月21日)について
今年の演能《経正》の映像紹介
(3)西本願寺の能舞台の紹介
南能舞台(重文)と北能舞台(国宝)で舞った時の感覚の違い
(4)書院内の座敷能舞台
「本年度の公開講座のハイライト!」と三浦先生がおっしゃったように、わたしにとっても今年のハイライトとなる待ち焦がれた講座。
すっごく楽しくて、幸せな時間だった。
講演後、わたしの隣に座っていた老紳士もいたく感動した様子で、「ああ、今日はほんとうに良い日だった!」と幸せそうにしきりに言っていたし、三々五々に散っていく御婦人たちも「とても良かったわねえ」と満足気だった。
九郎右衛門さんはいつものように気取らず、気負わず、終始穏やかな笑顔。
この方からは人を幸せな気分にする和やかなオーラがふんわりと漂ってくる。
以下は、講座で印象に残ったことの簡単なメモ。
嬉しかったのは、今年5月の西本願寺南舞台で催された降誕会能の映像が一部上映されたこと。
以前、5月の京都新聞電子版に九郎右衛門さんの《経正》の様子が紹介されているのを見たとき、その画像があまりにもきれいなので大事に保存して時々うっとりと眺めていたから、この日の上映は願ってもない粋な計らい(少し期待してたけど)。
九郎右衛門さん曰く、西本願寺の能舞台では、古くて良い面・装束はよく映えるけれど、新しい能面や装束では浮いてしまうとのこと。
自然の微妙な光のなかで装束の色彩がうつろい、能面はさまざまな表情を見せるという。
とくに北能舞台の自然光は、小面のようなのっぺりとした能面でも繊細な陰翳によって目鼻立ちがくっきりと見え、面のもつデッサン力の強さが引き立つそうだ。
装束の紅色が青味がかって見えたりするというから、笹紅(京紅)のような高価な染料が使われていたのだろうか。
普通の着物でも昔の良いものは、織りにも染めにも上質な糸や染料が使われていたから、能装束ではなおさらだろう。
ご自身で舞っていても気持ちの良い舞台なのだそうです。
ただし、雨の日や湿度の高い日は、舞台の床が湿気で滑りにくくなるので、以前はそういう場合、鹿革足袋を履いていたという。
また、屋外の舞台はすぐに足袋が汚れてしまうため、中入りで足袋を履き替えなくてはならないとのこと。
その他、西本願寺書院内の敷舞台の映像も素晴らしく、松鶴図の障壁画や鴻の欄間に囲まれた座敷の舞台は圧巻。
西本願寺以外の普通の能舞台のなかで、舞いにくい能楽堂のお話も面白かった。
九郎右衛門さんのお話によると、舞台の四本の柱を二本同時に見ることはできないので、瞬間瞬間で三角測量のようなことをして自分の位置や見えない柱の位置を把握し、舞っているとのこと。
あの驚異的な空間認識能力は、一瞬ごとの脳内三角測量によるものなんですね。
おもに正中から目付柱までの距離によって、能舞台の広さor狭さを感覚的に感じるというのも興味深い。
能面の裏側で展開されるシテ独自の世界・次元・感覚についてもっとお話を聞いてみたかった。
そこには観る側からはうかがい知れない未知の世界が開けている気がする。
講座終了後、講堂の外に出ると、はるか前方に黒紋付姿の九郎右衛門さんと研究者の方々の行列が、浅草の襲名のお練りのように歩いてゆくのが見えた。
この日の翌日には、わたしの地元のT市で九郎右衛門さんの《清経》の事前講座が開催される。
この事前講座は明月能(ホール能だけど)とともに大変評判がよく、T市在住の人がうらやましい。
東京ではもう当分、九郎右衛門さんの御舞台は拝見できないもの……。