銕仙会定期公演9月~能《楊貴妃》からのつづき
能楽堂の隣に祀られている水道橋稲荷大明神 霊験あらたかなお稲荷さん |
能《小鍛冶 黒頭》童子/稲荷明神 片山九郎右衛門
ワキ三條宗近 森常好 勅使 舘田善博アイ宗近ノ下人 内藤連
竹市学 幸清次郎 柿原弘和 小寺佐七
後見 観世銕之丞 清水寛二
地謡 柴田稔 小早川修 泉雅一郎 馬野正基
北浪貴裕 谷本健吾 安藤貴康 鵜澤光
「黒頭」の小書で観るのは初めて。
九郎右衛門さんらしい独創性を感じさせる見せ場が随所にあり、これまで観た《小鍛冶》のイメージをガラリと変える印象深い舞台だった。
【前場】
「御剣を打て!」との勅諚を、勅使から伝えられた小鍛冶宗近(森常好)。
相槌を打つ者がいないため最初は戸惑うものの、「この上はとにもかくにも宗近が」と腹を括り、稲荷明神に参詣する。
ここまでは常と同じ。
【前シテの出】
そこへ、幕の中から「のうのう」と呼び掛ける声。
……と、思いきや、
またしても九郎右衛門さんにやられてしまった!
コトリとかすかな気配がして振り向くと、シテはすでに幕の外に立っていた。
去年の《殺生石・白頭》と同様、知らぬ間に、忽然と姿を現していたのだ。
ほんとうに幕が上がったのだろうか?
それとも、囃子方みたいに片幕で出てきたのだろうか?
シテの幕離れを観るのが好きなわたしは、大抵の場合、シテが幕に掛かったあたりからその気配を感じとる。
シテが幕から出る瞬間を見逃すことはほとんどないのに、九郎右衛門さんにはいつも出し抜かれてしまう。
ある意味、嬉しいサプライズ!
前シテ童子は黒地縫箔腰巻のモギドウ姿に、片山家所蔵の大喝食。
手には稲穂。
この大喝食は中性的というか、どこか女性的な感じのする少年面で、おすべらかしの喝食鬘や白地に金文様のまばゆい擦箔の装束と相まって、巫女のような神秘的な存在に見える。
【クリ・サシ・クセ】
クリ・サシ・居グセで、剣の威徳を称える中国・日本の故事が語られ、「尊は剣を抜いて」で、シテは立ち上がり、ヤマトタケルによる東征と草薙剣の由来を地謡の謡に合わせて舞い表す。
燃え盛る枯野の草を薙ぎ払うさまを、手にした稲穂で表現するのだが、この稲穂がシャカシャカとマラカスのような音がするのが面白い。
不思議な童子は、わたしには神通力があるから心配無用だと宗近に告げ、わたしが相槌を打つから鍛冶壇を用意して待つよう言い残し、橋掛りを去っていく。
「その時節に参り会ひて御力をつけ申すべし」で、シテは一の松で振り返って欄干に寄り掛かるように下居し、ワキに向かって片手を差しのべる。
欄干越しに差しのべた手の表現や、女性っぽい姿態に情感がこもっていて、まるで去りゆく妻が愛する夫に思いを告げている姿のように、指先から強い「念」が送られているのがわかる。
相槌を打つのに必要な阿吽の呼吸のようなものを、前場からすでに通わせているのが感じられた。
欄干から手を差しだすこの型は、もとから小書にあったのか、それとも九郎右衛門さんの独創なのだろうか。
いつも思うけれど、この方の舞台はクリエイティブで魅力的だ。
【後場】
ノットの囃子で、ワキが鍛冶壇に向かい、神の加護を祈願する。
通常ならば「謹上再拝」で太鼓が打ち出し、早笛となるところが、特殊な囃子となり、
後シテも半幕で姿を現す代わりに、
幕を上げて三ノ松まで出て、欄干から身を乗り出し、かなり長いあいだ見所を眼光鋭く見込む。
(美しく静止したシテの姿が印象深く、いまも目に焼きついている。)
そこから、幕の中に吸い込まれるように素早く後ずさりしながら再び幕に入り、竹市さんの切り裂くような笛が鳴って、今度は早笛の囃子とともに威勢よく登場!
一の松までダダーッと進んで、欄干に足を掛けポーズを決める。
この一連の動作と間の取り方が、九郎右衛門さんならではのカッコよさ!!
後シテは、輪冠狐戴なしの黒頭・緑地立涌文厚板モギドウに半切姿。
面は徳若作・牙飛出とのこと。
(狐蛇は怖すぎるから、牙飛出でよかった♪)
舞台上での舞働が華麗でもっと観ていたかったけれど、あっという間に終了。
宗近との相槌の時の「ちょうと打つ」で打って、グイィッ力を入れて槌を長く引くのが特徴的だった。
かくして見事に打ちあがった稲荷の神体・小狐丸を勅使に捧げたのち、稲荷明神は叢雲に飛び乗り、稲荷の峯に帰っていったのだった。
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