2016年9月11日日曜日

銕仙会定期公演9月~能《楊貴妃》

2016年9月9日(金)18時~21時15分 29℃  宝生能楽堂

能《楊貴妃》楊貴妃 観世清和
   ワキ方士 宝生欣哉
   アイ蓬莱国ノ者 中村修一
       一噌仙幸→一噌庸二 曾和正博 安福光雄
   後見 浅見真州 永島忠侈
   地謡 野村四郎 浅井文義 西村高夫 浅見慈一
      長山桂三 谷本健吾 観世淳夫 青木健一

狂言《菊の花》太郎冠者 野村万作 主 石田幸雄

能《小鍛冶 黒頭》童子/稲荷明神 片山九郎右衛門
          ワキ三條宗近 森常好  勅使 舘田善博
          アイ宗近ノ下人 内藤連
     竹市学 幸清次郎 柿原弘和 小寺佐七
     後見 観世銕之丞 清水寛二
     地謡 柴田稔 小早川修 泉雅一郎 馬野正基
        北浪貴裕 谷本健吾 安藤貴康 鵜澤光




先月の観世会定期能につづいて清和+清司による鬘物+切能の組み合わせ。
(九郎右衛門さん、東京では切能が多いので鬘物も観てみたい←切望!)

まずは、宗家の《楊貴妃》から。
おそらく御宗家はこういう曲がお好きなのだろう、曲への愛情が伝わってきた。



【ワキの出→道行→蓬莱宮へ】
このところ連続して欣哉さんのワキを拝見している。
代演もあるから今年は恐ろしく多忙で、一日に何番も勤める日が続き、線の細い方なので御身が心配なほど。
もちろん、どの舞台にも全力投球。
玄人・素人の会を問わず、この方の芸には身体の姿勢と同じく、ピンっと一本筋の通ったゆるぎなく清々しい緊張感が漲っている。



この登場の場面でも、天上界から黄泉の国、常世の国へと、楊貴妃を尋ねて異界をめぐる方士の魔法めいた足取りを、この世離れした美しいハコビで表現していた。


櫻間弓川のハコビを観て芥川龍之介が言った、「実際に触りたい欲望を感じた……平凡な肉体の一部とは思われない」足とは、このような足ではなかったろうか。



作り物の中からの謡】
方士が、太真殿という額のかかった宮の前まで来ると、引廻しのかかった宮の作り物から楊貴妃の声が聞こえてくる。

ここの「昔は驪山の春の園に……あら恋しのいにしえやな」は曲の要ともいうべき箇所。
シテの謡は引廻の中からよく通りつつも、憂いを含んだ響きがあり、気品も感じさせた。


「げにや六宮の粉黛の顔色のなきも理や」で引廻しが外され、床几に掛かった光り輝く姿が現れる。

シテの出立は白っぽいゴールドの唐織壺折に緋大口、天冠。
面は宗家所蔵の増女とのこと。

この増の面は、一見、古風な顔立ちに見えるが、舞台が進むにつれてさまざまな表情を見せてくる。
能面の見せ方・見え方はシテの力量にもよるのだろう。
第一印象は地味でパッとしなくても、時間がたつにつれて、だんだん凄い美人に見えてくる。
そういう人間のほうが魅力的に見えるもので、この面もそういう類の美女に思われた。


楊貴妃を探し当てた証拠が欲しいと方士から所望され、楊貴妃は簪を手渡すが、これはどこにでもある物だから、帝と交わした秘密の言葉を聞かせてほしいと言われ、二人の睦言を明かす。


「天にあらば願はくは比翼の鳥とならん、地にあらば願はくは連理の枝とならん」から「されども世の中の」あたり、地謡がひそやかな懐かしさまで感じさせて、胸にじーんと来るものがある。





【物着→イロエ→序ノ舞】
方士に手渡していた鳳凰の簪が、後見によってシテの天冠の頭頂部に差しこまれ、シテは舞台を一巡する。
イロエで入る笛の追慕の音色が美しい。


やがて楊貴妃は、皇帝との夜遊を偲ぶ霓裳羽衣の曲を舞う。

この日のシテは全般的には申し分なかったのだが、時折、ハコビに安定を欠くことがあり、これは「三重の帯」と詞章にもあるように楊貴妃のやつれてよろける雰囲気を出すための意図的な演出なのか、あるいは低調のためなのかと、測りかねていたのも事実。
でも、この序ノ舞は素晴らしかった。


腕の角度・高さ・身体の線、あらゆるものがお手本的な位置にあり、これぞまさに正統派、家元芸というものかと感じ入る。


そして、二段オロシ。

一噌康二師の笛がしっとりとテンポを緩めて悲しげな音色を響かせ、シテは伏せ目がちに脇正を向いて、甘美な追想に耽る。 
そのとき、


梨花一枝、雨を帯びたり



増の面からキラリとひと粒の涙が零れたように見えた。

そこに佇むのは、一人の打ちひしがれた可憐な女性。



わたしはあっと叫びそうになり、呆然とシテの顔を見つめていた。







片山九郎右衛門の《小鍛冶・黒頭》につづく



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