2016年9月3日(土) 14時~17時15分 曇りのち雨 喜多能楽堂
第十一回 香川靖嗣の会~秋 お話と狂言《鐘の音》からのつづき
能《遊行柳》 老人/朽木の柳の精 香川靖嗣
ワキ 遊行上人 宝生欣哉
ワキツレ 大日方寛 御厨誠吾
アイ 里人 山本東次郎
一噌幸弘 鵜澤洋太郎 國川純 観世元伯
後見 塩津哲生 中村邦生
地謡 友枝昭世 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
金子敬一郎 狩野了一 友枝雄人 大島輝久
働キ 友枝真也 塩津圭介
はじめて拝見する《遊行柳》。
まっさらな心で観た《遊行柳》が香川靖嗣師の舞台でよかった!
【前場】
奥州路に向かう遊行上人一行が、白河の関のはずれまでたどり着き、
2本の分かれ道に差しかかると、どこからともなく一人の老人が現れる。
幕内から「のうのう」と呼び掛ける声。
香川師の「のうのう」には、
長い眠りから覚めた何者かが洞窟の奥から呼び掛けてくるような響きがあり、
何かを真摯に希求するまっすぐで純真な心を感じさせた。
《遊行柳》の前シテについて具体的なイメージを持っていたわけではないけれど、
わたしが漠然と抱いていた《遊行柳》の老人像としっくり合う。
ここで心を掴まれた観客は、魂ごとシテに吸い寄せられてゆく。
橋掛りに現れたシテの出立は、
灰緑色の水衣に濃紺の無地熨斗目、左手に茶房の数珠、右手には杖。
面は三光尉だろうか?
やさしく、寂しげな表情の美しい尉面だ。
橋掛りを進む歩みが、
「老足なりともいま少し急ぎたまへ」と遊行上人から言われるほど遅いのは、
老齢のせいだけでなく、
植物が人間に変身して木の根が足になって動いているせいでもあるように見える。
(シテの所作や佇まいには植物的な感じが終始漂っていて、このあたりがさすが。)
老人は、朽木の柳が生える古塚に遊行上人を案内する。
この朽木の柳こそは、その昔、西行が
「道のべに清水流るる柳蔭、しばしとてこそ立ちどまりつれ」と
詠んだ名木だと言い残し、古塚の影に消え失せる。
この日の地謡も素晴らしかった!
詞章が聞き取りやすいうえに、場面に応じた調子で謡いあげていくので、
情景を映像のように鮮明に思い浮かべることができる。
友枝昭世地頭の喜多流の謡は、後場のクセでさらに生きてくる。
【後場】
ワキの待謡のあと、出端の囃子。
元伯さんの太鼓の打ち出しで舞台の空気が一気に濃くなり、
音色と掛け声が時空のひずみをつくってゆく。
老人が消えた古塚が時空のひずみの間隙となり、
そこからシテのサシ謡が聞こえてくる。
いたずらに朽木の柳、時を得て
今ぞ御法にあひだけの
朽木の柳は、ずっと待っていた
長い、長い、長いあいだ、この古塚で、
あの時の遊行上人、あの時の西行法師の生まれ変わりのようなこの上人を!
引廻しがはずされ、柳の精は姿を現す。
床几に掛かったその姿は白灰色の大口に、灰色っぽい単狩衣。
面は皺尉かな?
この狩衣は、多色の糸で織り上げた二重織の凝ったもので、
一見グレーに見えるけれど、シテの動きに合わせて
部分的に緑に見えたり、赤に見たり、さまざまな色に変化する。
時おり見せる赤が、クセで語られる王朝物語の華やかさを感じさせ、
朽木の柳自身の秘めた生命力や夢見る心を思わせる。
「暮に数ある沓の音」で足先で毬を蹴る型とともに、
小鼓がポンポンッと蹴られた毬の音を響かせる。
柳桜をこきまぜて
扇の動きとともに袖がはためき、
玉虫色の狩衣から薄紅と緑が浮き上がり、
京の柳桜が水面に映って揺れているような趣き。
悶死した柏木の悲恋が語られたあと、
「これは老いたる柳色の」とわが身を振り返り、
いよいよ序ノ舞。
香川師の《遊行柳》の序ノ舞は
人間的な生々しさはなく、
かといって枯れてもいない、
夕闇に灯籠が点るようなほんのりとした華やぎのある清浄な世界。
この方にしか出せない、湿り気のない朽ちた植物感。
人々の苦痛を癒してきた薬効の高い柳の木が、
いまその役目を終えて、安らかな眠りに就こうとしている。
肉体でも、物質でもない、その中間の存在が
感謝と慈愛に満ちた典雅な舞を舞っている――。
そして、「他生の縁ある上人の御法」で、ワキと見つめ合う。
この時の欣哉さんのまっすぐな視線と姿勢!
柳の精の思いは上人に受け止められ、
救われたことをこの視線と姿勢が語っていた。
だからこそ、朽木の柳はずっと待っていた、
この人だからこそ柳の精は待ち続け、救われたのだと、
見る者に思わせる視線と姿勢だった。
「秋の風打ち払い」の羽根扇ですべてを打ち払った柳の精は、
今度こそほんとうに露も葉もない朽木となる。
それでも、待ち焦がれた人と御法に出会えたその姿は
どこか満ち足りて見えた。
0 件のコメント:
コメントを投稿