能《景清》 シテ 梅若玄祥
ツレ人丸 馬野正基 トモ従者 谷本健吾
ワキ里人 宝生欣哉
杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄
後見 山崎正道 小田切康陽
地謡 観世銕之丞 浅井文義 西村高夫 柴田稔
角当直隆 山中迓晶 川口晃平 観世淳夫
ぜひとも拝見したかった玄祥師の《景清》。
演者の人生そのものが芸の肥やしになる曲ほど、この方の存在感がさらに増して、表現に奥行きが出る。《頼政》も《山姥》も、そして《景清》も、他のシテでは物足りなく思えるくらい、玄祥師の演能にはインパクトがある。
配役も最高だし、玄祥師の芸容の大きさに触れた舞台だった。
〈松門之出〉
小書はないけれど、笛のアシライ・松門之応答(会釈)が入る。
杉市和師の笛が、藁屋住まいのうら寂しく侘びれた風情と、景清の厭世的で孤独な心情を切々と奏で、そこへ作り物の中から、シテの声が響いてくる。
凋落のなかにも枯れてはいない、鈍い艶のある謡。
「あさましや窶れはてたる有様を」で、引廻しが下され、景清が姿を現す。
角帽子(沙門)はつけず、ロマンスグレーのような白垂に墨色の水衣・白大口という、シックな出立。
景清の面にも品格があり、老残・落魄の底でほの白く光る、武士の気概や矜持を強く感じさせる。
床几に掛けるシテの姿は端正で、胸を打つような美しさ。
ふだんの玄祥師のふくよかさや丸みは微塵も感じさせず、芯の通った精神の骨格が衣を着たような直線的な印象さえ受ける。
ツレやトモ、ワキとのやり取りの時でも、シテは面の裏で目を閉じているのではないかと思わせるほど、相手の声を聞いてから顔をそちらのほうへ向ける。
それも、相手に正対して目を合わせるのではなく、わずかに角度をずらすため、いかにも耳だけで反応しているように見える。
杖のつき方も、じつにさりげない。ごく自然に目の不自由な人が身体の一部として使っている様子。
〈父娘の対面〉
欣哉さん扮する人情味あふれる里人の引き合わせで、景清と人丸は対面する。
馬野さんの人丸が、とても可愛らしい。
おそらく謡曲中、最も長い道のり(鎌倉→宮崎)を、父に会いたい一心で旅してきた人丸のひたむきさ、健気さが感じられた。
トモの谷本さんも、人丸の一途な思いをなんとか実らせようと、若い娘を長い道中ずっと守り続けてきた硬派なボディーガードの雰囲気。
父と娘は見つめ合い、「疎き人をも訪へかしとて怨みそしる」で、景清は人丸の頬に愛情をこめて手を当てるような所作。
目が見えない分、せめて頬に触れて、娘の存在とぬくもりをたしかめようとする父の思いが伝わってくる。
〈錣引きの仕方話〉
「景清これを見て」で、鼓の特殊な手が入り、シテは水衣の肩を脱ぎ、
「物々しやと夕日影に」で床几から立ち上がり、
「打物ひらめかいて」と、右手の扇を見、
「斬ってかかれば」で、太刀に見立てた扇を振り下ろし、
「兵は四方へぱっとぞ逃げにける」で、左右に面を切る。
屋島の合戦での武勇伝を語る場面は、玄祥師らしく写実的で大胆な表現になるかと思っていたが、比較的抑制が利いていた。
これが、この日の気格高い景清の雰囲気と合っていて、若き日の自分の姿を俯瞰して追憶しているようにも思える。
武士の誇りを持ち続けつつ、人生に対する未練よりも、達観に近づいている感じを受けた。
〈今生の別れ〉
語り終えた景清は、別れの時が来たことを娘に告げる。
「さらばよ留まる」「行くぞとの」で、景清は諭すように娘の背中を押す。
人丸の背中から離れたその指が、立ち去ろうとする娘を引き留めるように、微かに震えている。
景清の、言葉にできない心の内を、震える指が語っている。
指の先から見えない触手が伸びて、人丸に絡みつこうとしているかのよう。
心と行動の矛盾。
伝えられなかったほんとうの想い。
こういうところの表現が、とりわけ見事だった。