2014年6月17日火曜日

梅若紀彰の《皇帝》~国立能楽堂普及公演


解説 躍動する鍾馗
    ――玄宗・楊貴妃説話との融合  島尾 新

狂言【大蔵流】 止動方角
    シテ・太郎冠者   山本東次郎
    アド・主        山本則孝
    アド・伯父       山本則俊
    アド・馬        山本凛太郎

能 【観世流】  皇帝
   前シテ老人・後シテ鍾馗の霊  梅若紀彰
   ツレ 楊貴妃             山中迓晶
   ツレ 鬼神              角当直隆
   ワキ 玄宗皇帝           高安勝久
   ワキツレ 大臣            岡充  丸尾幸生
   アイ 官人               山本則秀

   笛 一噌幸弘  大鼓 曽和尚靖  小鼓 柿原光博  太鼓 小寺真佐人
   後見 山崎正道  小田切康陽   松山隆之

   地謡 川口晃平 谷本健吾 小島英明 佐久間二郎
       永島充   馬野正基 観世喜正 鈴木啓吾


解説は、日本美術史家の島尾先生のお話。
能の《皇帝》では、楊貴妃に取り憑いた病魔(鬼神)を鍾馗がやっつけるお話ですが、
本来の鍾馗説話では、病に伏した玄宗皇帝の夢枕に鍾馗が現れ、
皇帝に取り憑いた病鬼の目をくり抜いて、鬼を食べてしまう設定になっていたとのこと。

室町時代前期の世阿弥の時代にはそうした「暗い鍾馗」観が一般的だったが、
応仁の乱を境に、スーパーヒーロー的な「明るい鍾馗」観が優勢になり、
絵画にもたくさん描かれるようになる。
(本来は不気味だったけれど、だんだん親しみやすいキャラクターになるところが
水木しげるの鬼太郎と似ています。)

そのような鍾馗ブームの火付け役となったのが、観世小次郎信光がつくった能《皇帝》
だったのではないか、というなかなか興味深いお話でした。


狂言《止動方角》
太郎冠者の主は、当時流行していた茶の湯(闘茶)をやりたいばかりに、
裕福な伯父に茶道具と馬を借りてくるようにと太郎冠者に言いつける。
叔父は気前よく貸してくれるが、馬には悪い癖がついていて、
後ろで咳をすると暴れ出すので、馬が暴れたら
「白蓮童子六万菩薩、鎮まりたまえ止動方角」という呪文を唱えればおさまると太郎冠者に言う。

太郎冠者が戻ると、「遅い」と主に叱られる。
面白くない太郎冠者は、主が馬に乗ると、その後ろで咳をして馬を暴れさせ、主を落馬させる。
太郎冠者が呪文で馬を鎮め、主が再び馬に乗ると、再び落馬させる。
主は落馬に懲りて馬に乗ろうとしないため、太郎冠者が馬に乗って主人気取り。
怒った主と太郎冠者がもみ合っているうちに、馬は逃げていき、二人は馬を追いかけて退場する。

という単純なお話なのですが、シテを中心にみなさん、息が合っていて断然面白い!
それに、馬がなんとも可愛くって! 
(演じてる人は大変そうだけど。)
動物モノには目がない夢ねこです。 見所も爆笑で、文句なしに楽しめました。


休憩を挟んで、とっても楽しみにしていた梅若紀彰さんの《皇帝》。
とにかく、この《皇帝》、
病魔が取り憑く怪異現象あり、
玄宗皇帝と楊貴妃の愛の語らいあり、
派手な立ち回りありと、
信光的要素が凝縮されたホラーアクションラブロマンス。
ハリウッド映画をはるか昔に先取りしたような一大エンターテイメントなのです。


舞台の上も盛りだくさん。
まずは一畳台が2台運ばれ、地ノ前と脇正に置かれます。

地ノ前の一畳台の上には、おそらく能《楊貴妃》と同じ宮の作り物が置かれ、
宮の幕内には楊貴妃が潜んでいる様子。


そして能には珍しく、初っ端から太鼓が鳴り響き、荘重な真之来序が流れるなか、
春は春遊に入って夜は夜を専らとし、後宮の佳麗三千人、三千の寵愛一身にあり」と
玄宗皇帝が大臣たちを引き連れて登場します。

この真之来序がよかった!

一噌幸弘さんの笛、小寺真佐人さんの太鼓がいいのはもちろんですが、
柿原光博さんも気迫のこもった掛け声で聞きごたえがありました。


宮の幕が下ろされて、病に伏せている楊貴妃(山中迓晶)が姿を現します。
まさに梨花一枝雨を帯びたりという、打ちひしがれた風情。
面は小面で、愛らしい可憐なイメージでした。


そこへ、「如何に奏聞すべきことの候」という声がいきなりしたので、
声のする橋掛りを見てみると、そこには謎めいた気品のある老人(梅若紀彰)の姿が……


「鷹」の面をかけた老人は、科挙に落ちたショックで頭を玉階に打ち砕いて死んだ鍾馗の霊だと名乗り、
死後に官位・官服を授かった恩に報いるために、楊貴妃の病魔を退治すると申し出ます。


そして病魔をおびき出すために、楊貴妃の枕元に明王鏡(明皇鏡)を置くことを進言して、
忽然と姿を消す。

というわけで、前シテは舞台に上がることも無く、
橋掛りの一の松のところまで来て、すぐに揚げ幕の向うに戻ってしまいます。

老翁の佇まいもハコビも、それはそれは美しかったのですが、
それだけに、「もう行っちゃうの~!」と、心の中で叫んでしまいました。

曲の構成がそうなのだから仕方ないわけですが。


シテの中入のあいだも、間狂言にはならずに舞台は進行していて、
ここでは玄宗皇帝と楊貴妃の愛の場面が展開します。

この部分の地謡が凄くよかった!
観世喜正地頭の九皐会メンバー+馬野さん&能楽妄想ナイトのお二人という謡の名手ぞろいだもの
良くないわけがない。

翠翅金雀とりどりいに、かざしの花もうつろふや。
枕破(ちんば)の斜紅(しゃこう)の世に類なき姿か
な」


しかし残念なことに、地謡の前にはワキツレ大臣二人が居並び、作り物が置かれているため、
地謡は完全にブロックされていて、声はすれども姿は見えず……

ことぶきなれやこの契、天長く地久しくして尽くる時もあるまじ」と、純粋に謡だけを楽しみました。



ここから場面が急展開。

明王鏡が置かれると、一天にわかにかき曇り、鏡には怪しい影が映り……

早笛とともに、橋掛りから勢いよく登場したのは、顰の面をかけた鬼神(角当直隆)。

皇帝は剣を抜いて立ち向かうのですが、
鬼神はワキ座でうずくまり、衣を被って姿が見えなくなります。


すると不思議なことに空が晴れて、
後シテの鍾馗の霊が呪文を唱えながら天馬で虚空を翔って颯爽と登場。


赤鶴作の小癋見をかけた後シテの姿を見ると、悪鬼は驚いて柱に隠れますが、
鍾馗の霊が明王鏡に向かうと、悪鬼は通力自在も失せて起きつ転びつ逃げ回ります。


ここで鍾馗の霊と悪鬼は舞台と橋掛りを何往復もして大立ち回りを演じるのですが、
なにしろ一畳台や作り物、ツレ、ワキ、ワキツレなど、人や物が舞台に散在する狭い空間&視野で、
スピード感のある立ち回りをダイナミックに演じなければならないのです。
ハードで危険な演技だったと思います。


それでも、紀彰さんは型の乱れも体軸の傾きも無く、ひたすらきれいでした。
角当さんも、少し苦しそうでしたが、シテと息が合っていたと思います。


最後は仏倒れのはずでしたが、悪鬼がするりと揚幕の隙間から姿を消して、
いつのまにか鍾馗が悪鬼を退治したことになっていました???

悪鬼役の角頭さんは翌日に《碇潜》のおシテをする予定だったので
仏倒れはやめて、大事を取ったのかな?

それとも、練習中に腰を傷めてしまったのだろうか?


いずれにしても、仏倒れは身体の故障の原因になりやすいから、
もう全面的に廃止にしてもいいとは思うけど……


ただ、揚幕の隙間から引っ込んじゃうだけでは拍子抜けの感が否めないので、
仇討の曲みたいに笠をシンボリックに突き刺すとか、
何かそういう演出の工夫をして、悪鬼退治を表現したほうがよかったかも。


そういうわけで娯楽に徹したお能だったけど、
たまにはこういうのもいいのかもしれない(だから稀曲?)。

シテの出番があまりにも少なかったのがちょっと残念ですが、
夢ねこの好きな太鼓のパートが多かったし、
とにかくゴージャスなあっという間の舞台でした
 
 
             

2014年6月13日金曜日

荒磯能6月公演《玉鬘》《鵜飼》つづき


狂言の《悪坊》
悪名高い悪坊が、1人の僧を無理やり同行させ、腰をもませている間に眠ってしまい、僧侶の持ちものとすり替えられる。目が覚めた悪坊に残されたのは僧侶の所持品。仕方なく出家姿になってみると、これも仏の導きだと改心するお話。

面白い狂言と面白くない狂言を分ける要素のひとつは、「間」の取り方だと思うけれど、この日の狂言は間の取り方も発声も巧くて、楽しめました。



休憩をはさんで、能《鵜飼》
楽しみにしていた武田文志さんの舞台です。
        
ワキ・ワキツレが登場してアイとの掛け合い。
旅僧は村人に宿を請うが、この村ではよそ者に宿を貸すことは禁じられているから、御堂に泊るよう勧められます。
         
旅僧の一行が御堂で待っていると、一世の囃子で、手にたいまつを持った老人があらわれます。
この老人の立ち姿、ハコビがとても美しく、「鵜使ふことのおもしろさに、殺生をするはかなさよ」と、少し老人らしく枯れた味わいのある謡で橋掛りを進んできます。
             
シテが僧に自分が鵜使いであることを明かすと、従僧(ワキツレ)が、数年前にこの鵜使いの家に泊り、丁重にもてなしてもらったことを思い出します。

(この一宿一飯の善行が起因となって、殺生戒を犯した鵜飼が成仏できるので、《鵜飼》では珍しくワキツレがキーパーソンとなっています。)
         

シテはワキに請われるままに、鵜飼の様子を再現して見せるのですが、この鵜之段が凄くよかった!

右手にたいまつ、左手には鵜籠に見立てた扇を持ち、鵜を自在に操りながら、魚を取るさまを舞で表現します。
         
おもしろの有様や、底にも見ゆる篝火に、驚く魚を追ひまはし、かづき上げすくいあげ、隙なく魚を食ふ時は、罪も報も後の世も、忘れ果てておもしろや。
 

闇夜でたいまつの明りだけが灯り、水面に無数の鵜の姿が見え隠れする情景が浮かんでくるようで、「殺生がおもしろくてたまらない」という鵜飼の気持ちが生き生きと描写されていました。
         
そして「思い出たり、月になりぬる悲しさよ」で、シテはたいまつと扇を投げ捨て、悲しげな足取りで、闇路(冥途)へと帰っていきます。

         
中入後、早笛で、後シテの閻魔大王が登場。
         
たぶん小癋見の面、唐冠、赤頭が重いのか、おシテは少しバランスが取りにくそうでしたが、跳び安座や足拍子など、激しい動きの舞を舞いながら、鵜飼が僧侶をもてなした善行により成仏できたことを僧に伝え、法華経の功徳を称えて去っていきます。

           *  *  *  *  *

帰りは土砂降り覚悟でしたが、能楽堂を出ると、澄んだ夜空に明月が出ていて、「ああ、いい舞台だったなあ」としみじみ感じながら帰途に着いたのでした。


荒磯能6月公演《玉鬘》《鵜飼》


観世会荒磯能 612日 観世能楽堂


お話 坂口貴信

仕舞 羽衣クセ 渡邉瑞子
   車僧   武田祥照

能 玉鬘  シテ 坂井音雅、ワキ 舘田善博、アイ 高澤祐介
  笛 寺井宏明、小鼓鳥山直也、大鼓 佃良太郎
後見 上田公威、角幸二郎    
    地謡 木月章行、高梨万里、新江和人、坂井音晴、
       坂口貴信、木原康之、武田尚浩、北浪貴裕

狂言 悪坊  三宅右矩 前田晃一 三宅近成

能 鵜飼  シテ 武田文志、ワキ 大日方寛、アイ 三宅近成
 
笛 杉信太朗、小鼓 古賀裕己、大鼓 亀井洋佑、太鼓 観世元伯
  後見 野村四郎、清水義也    
    地謡 田口亮二、金子聡哉、武田宗典、木月宣行  
     武田友志、松木千俊、山階彌右衛門、岡庭祥大


              
開演前に坂口さんのお話
類曲との比較を混えたとても分かりやすい解説でした。

      
複数の男性に思いを寄せられた結果、死後も苦しむ女性を描いた《玉鬘》と《求塚》。
どちらのシテもそれほど悪いことをしたとは思えないのに、なぜ死後も苦しまなければならないのかとずっと疑問に思っていましたが、坂口さんによると、当時は多くの男性を惑わすだけで「罪深い女」とされたそうです。

ただでさえ女は成仏できないと思われていた時代。その上さらに殿方を惑わすという罪を重ねれば(それほど罪深いとは思えないけれど)、きっと自分は地獄に落ちると当時の美しい女性たちは自責の念に駆られたのでしょうか。

               
いっぽう《鵜飼》の解説では、類曲《阿漕》や《善知鳥》ではそれぞれ後場で狩りの様子を再現するのに対し、《鵜飼》では前場の鵜之段でその様子を舞ってみせます。

(《鵜飼》が他の類曲と違うのは、おそらく世阿弥が改作した際に後場を付け足して、閻魔大王を登場させたからだと思います。《高砂》もそうだけれど、世阿弥は前場と後場のシテのキャラクターを換えて変化をつけるのが好きだったのでしょうね。)


           
開演後の仕舞
期待していた武田祥照さんはやっぱり上手い!
声もきれいだし、声量も豊か。舞も迫力があって、いつまでも見ていたかった。

       

能《玉鬘》
浅葱色の水衣姿の前シテが竿を繰りながら初瀬川を上ってくる。
面は若女かな? 古びた面のくすみがどこか寂しげな表情に見える。

おシテは謡がとてもきれい。
地謡も朗々としていて、ワキの舘田善博さんも美声なので、前場の長い問答や上げ歌を殊の外楽しめた。
「ほの見えて、色づく木々の初瀬山……」のところも山里の秋の情景が浮かんでくるよう。
湿度が高いせいか、小鼓もしっとりと響いて、秋の情趣に味わいを添えている。


(ねこのひとりごと)
寺井宏明さんの美しい所作に憧れていて、この方が出演される時はなるべく笛方が見やすい位置に席をとるようにしています。

垂直に立てていた笛を、水平に寝かせてから口元に運び、
左手の指を右に滑らせて笛を吹くまでの一連の動作がじつに優雅。
こういうエレガントな動きを日常に取り入れられたらいいな。
(ねこのひとりごと終わり)


さて、
シテは玉鬘の亡霊。面は、眉間にしわ、頬にえくぼ、乱れた髪の十寸髪(ますかみ)。
乱れ髪を一筋垂らし、オレンジ色の唐織を片袖脱いで、思い乱れた様子。
「長き闇路や黒髪の」と足早に舞台を一周し、迷いの中で苦悩するさまを舞で表現し、僧の前ですべてを語って舞い尽くすことで心は浄化され、「(迷いの)長き夢路は覚めにけり」と妄執を脱して悟りの境地へと達します。


暗夜行路のなかで霧が晴れたようなエンディング。

      
このとき、とても残念なことが起きました。

最後にシテが留拍子をして、静寂のなか、橋掛りに向かうという最高の瞬間に、あろうことか、正面席後方で携帯の着信音が鳴り響いたのです……。

名画をナイフで切り裂くような極悪非道な冒涜行為はやめてほしいと思うけど、無感覚・無神経な人はあとを絶たない。
ほんとうに悲しくなります。

(つづく)


 
          

2014年6月10日火曜日

イェイツと能


イェイツ・デイ第2回イベント「イェイツと能」に参加しました。
会場は両国のシアターX(カイ)。 
進行役は演出家の笠井賢一氏。
          
まずは駐日アイルランド大使のご挨拶。
日本の能にはドラマティックな展開もなく、西洋の演劇とあまりにも違うので最初は戸惑ったけれど、
お能は感性で味わうものだと徐々に分かってきたという趣旨のことを聞きとりやすい英語で語っていらっしゃいました。
             
      
挨拶の次が、2005年にニューヨークで上演された能《鷹姫》の映像(後場)の上映。

この映像が、すっごくよかったです!
           
キャスティングは、老人が観世銕之丞、鷹姫が浅見真州、クーフリン(空賦麟)が野村萬斎、
大小鼓が源次郎&広忠、笛と太鼓は影になっていて顔が全く分からず、
岩も誰が誰だか分かりませんでした。
      
圧巻は浅見真州の鷹姫。
       
面は新作面で、これは観世寿夫が《女王メディア》上演の際に「増女と泥眼の中間くらいの女面」をつくってほしいと面打ちに依頼して制作されたものだそうです。

この能面の謎めいた雰囲気と浅見真州のキレのあるシャープで端正な動きが合わさった、
妖気漂う神秘的な鷹姫の舞にただただ引き込まれた。
(袖をくるんと激しくまわす所作は、鷹の羽ばたきを演出しているのだとか。)

        
浅見真州師の(最近の)お舞台は何度か拝見して、その時は少し消化不良だったけれど、
過去の映像を観ると評判通りだったことが実感できてちょっとうれしい。
ある程度の衰えは仕方がないですよね、70をすぎていらっしゃるのだもの。
でも、このニューヨーク公演の時も、もう還暦をすぎていたはず。
だけど、とてもそんなふうには見えない。
ひたすら美しく、妖しい、魅力的な鷹姫。 素敵すぎます。

         
銕之丞師演じる老人の面は、前シテは髭阿瘤尉、後シテは鼻瘤悪尉。
鼻瘤悪尉の面は渡来系の面といわれれいるように、
ギリシャ悲劇に使っても違和感のないような雰囲気でした。

この老人とクーフリンが立ち回りのようなやり取りをした後、老人が杖を投げ出します。

これは銕之丞師が考案した、老人から若者クーフリンへのバトンタッチを暗示した演出なのだとか。
つまり、今までは老人が涸れ井戸から不老の水が湧くのを待ち続けて老いていったけれど、
今度はクーフリンが不老の湧水を待ちながら老いていく番だという意味だそうです。

         
(イベントとは無関係な夢ねこのひとりごと)
ちなみに、イェイツは『At the Hauk's Well(鷹の井戸にて)』の続編
The Only Jealousy of Emer(エマーの唯一の嫉妬)』を書いていて、
この続編ではクーフリンとその妻および愛人、
そして鷹姫と同一人物と目される妖精の女が登場します。
             
妻のエマーは夫の愛(そして自らの希望)を失う代わりに、
夫の命を救うという究極の選択をする。
妻の選択のおかげで息を吹き返したクーフリンは愛人の腕に抱かれ、
妻のエマーは愛も希望も若さも美貌も失って幕を閉じる、
という救いのまったくない劇なのだ。

これ以降のイェイツの演劇にも救いやカタルシスはなく、ひたすら絶望と喪失感に満ちている。
           
この点では、そのほとんどがめでたく終わる日本の能とは対照的だ。
おそれくそうした違いは、アイルランドの荒涼とした鉛色の風土や抑圧された民族の歴史と
日本の温暖な風土や植民地化されたことのない歴史、
そして日本ではパトロンが為政者だったことなどが影響しているのかもしれない。
(ねこのひとりごと終わり)

                
さて、
上映のあとは休憩をはさんで、俳優で演出家のサラ・ジェーン・スケイフさんによる
イェイツの詩『He wishes for the Cloths of Heaven』および劇『At the Hauk's Well』の朗読。
(この朗読、すごくよかったです。今度、朗読会があれば行きたいくらい。)
            

      

その後は、いよいよ観世銕之丞師による《鷹姫》の謡
および銕之丞家とイェイツ作品との関係に関するお話。
   
銕之丞師は老人、鷹姫、クーフリンの3役を演った経験があるとのこと。
なので、老人とクーフリンと岩の詞章を、声音を使い分けて謡われていて、
それぞれの場面のイメージが鮮やかに浮かび上がるような臨場感あふれる謡でした。
         
お話の部分は、1967年の《鷹姫》初演当初のことなど。
初演の際にはキャスティングはオーディションで決まったとか。
 
その結果、鷹姫を観世寿夫、老人を観世栄夫、クーフリンを野村万作、
そして岩を観世静夫や山本東次郎が演ることになったそうです。
 
当時は、シテ方、ワキ方、狂言方といった分業の枠を超えた新たな試みを
しようとしたという、とても興味深いお話でした。


浅見真州の鷹姫の映像が目に焼き付いて離れません……
本当に参加して良かったイベントでした。


最後に古代アイルランド人の輪廻転生観をうたったイェイツの有名な詩を。


Many times man lives and dies
Between his two eternities,
That of race and that of soul,
And ancient Ireland knew it all.

種族の永遠と魂の永遠、
その二つの永遠のはざまで、
人は生死を繰り返す。
古代のアイルランドはそのことを知り尽くしていた。
(拙訳)



 

2014年6月4日水曜日

第三回・坂口貴信之會(3)


揚幕があがると、いきなりシテの小沢刑部友房が登場。
直面だし、装束も庶民的なので、何の予備知識もなく見れば、アイ狂言が出てきたのかと思うほど。
小沢は、主君の安田庄司が望月秋長に討たれた後、小沢は近江の国守山で宿を営んでいる。
           
そこへ安田の寡婦と遺児・花若が訪れる。
ツレの安田の妻は深井(?)の面をかけ、武家の奥方らしい気品ある物腰と装束を身につけていて、何の予備知識もなければこちらをシテと思ってしまいそう。
やはりオリジナルでは安田の妻がシテだった可能性が濃厚です。

小沢は自分の身元を明かし、三人は懐かしい再会を果たす。
このとき子方の藤波重光くんが、「父に逢ひたる心地して、花若小沢に取りつけば」と、シテに駆け寄っていくのですが、この仕草がなんとも可愛い!
             

思えば《望月》って、子方にとってもとても難しい曲なのですね。
鞨鼓(八つ撥)では、囃子に合わせて撥を打ちながら、囃子とは無関係にすり足をするという、高度な技が要求される。
逆に言うと、こうした複雑な技は、神経回路が柔軟に組み替わる子どものうちからやっておくほうがいいのかもしれない。
《望月》では子方の謡や詞も多いし、「いざ討たう」など、詞を発するタイミングも重要。
    
能楽の家に生まれた人はこうした重要な役を幼少期から勤めて、経験を積んでいく。
(ということは、家の子ではない能楽師の方々は素人が思う以上に相当重いハンディを背負っていることになる。きっと、成人後にこの世界に入ってきた方々は想像を絶するような努力をされているのだろうな……。)
          

話が少し脱線したので元に戻すと、主従が旧懐の念に浸っているところへ、なんと、主君の敵・望月が同じ宿に来合わせる。

望月は身元を明かさないよう従者(アイ)に命じるが、従者は「これは信濃の国に隠れもなき大名、望月の秋長殿、では御座ないぞ」とうっかり漏らしてしまう。

《望月》ではシテの場合、謡が少なく、台詞が多いので、若干やりにくそうなのに対し、こうしたせりふ回しに馴れているアイ狂言は水を得た魚のよう。
ここで従者が望月の名を明かさなければ望月は殺されずに済んだのだけれど、どこか憎めない愛すべき存在をうまく演じていらっしゃった。

             
『幻視の座 能楽師・宝生閑 聞き書き』(土屋啓一郎・著)では、ワキの視点から見た《望月》が述べられていて、望月秋長だけに全面的な非があったわけではなく、それなりの理由があったのかもしれない、だから酒を飲ませて油断させた隙に問答無用で殺してしまうなんて……という旨の記述があった。
《望月》は細かいストーリー展開よりも、芸尽くしを愉しむための曲だから、登場人物の心情を深読みする必要はないのかもしれないけれど、ワキのドラマとして見ていくのも面白い気がする。
         
そういう意味でも、最後に望月が討たれる場面で、ワキ自身は笠だけ残して切戸から退場し、シテと子方がこの笠を望月その人に見立てて刺すという観世流の演出のほうが象徴主義的な能らしくて私は好き。

              
ところで、能《望月》では歌舞伎っぽい劇展開が続くため、囃子方は待機時間が多い。
亀井広忠さんの「広忠舞台日記」によると、「この待ち時間が結構精神的に辛く、囃子方や地謡の座っている姿こそが与える緊迫感といったものが重要になってくる。ただ座っているだけではない。座ってい乍ら気力を発して立ち方にエネルギーを与えていくのである」とおっしゃっている。

この日もいつもの苦み走った凛々しい表情で(ガンを飛ばすような目つきで?)、舞台上に大量の「気」を送っていらっしゃった。ちょっとお辛そうだったけど。
              

望月の宿泊部屋で酒宴が始まり、安田の妻が扮した盲御前が一萬箱王(曽我兄弟)の物語を謡った後、花若の八つ撥が始まり、その間にシテは中入。

            
八つ撥が終わって乱序が始まり、半幕でシテが姿を見せ、獅子の前触れを告げる。
この乱序が迫力満点で素晴らしかった! これだけでも来てよかったと思う。
             
見所の気分が盛り上がったところで、揚幕がさっとあがり、シテが獅子が突進してくるような中腰の姿勢で橋掛りをスピーディーに進んでくる。
かぶっていた衣をとると、赤頭に広げた扇を二本重ねて獅子頭に見立てた座敷芸としての獅子舞の出立。

両手をぴんと張ってカマエながら、反り返ったり、頭を左右に振ったりと激しい動き(この頭を振る型は「獅子身中の虫を払う心」で為すそうです)。

         
こうした激しい動きをしても獅子頭に見立てた二本の扇はけっして落ちることはないのに、望月を討つ直前ではうつ伏せていたシテが、まるで手品かイリュージョンのように赤頭・扇・覆面をするりと取って、元の小沢の姿に戻る。

この座敷芸風獅子頭の早変わりの仕掛けは秘伝とされているそうである。

シテが揚幕に戻るか戻らないうちに、スタンディングオベーション並みの割れんばかりの拍手。
感動を素直に伝える見所のリアクションが新鮮だった。
         
今回のような、狂言がなくて能・舞囃子・仕舞だけで構成されるプログラムって好きだなー。

ちょっとしたお祭り気分で楽しかった!!



                              

第三回・坂口貴信之會(2)


まずはリンボウ先生のお話。

話の内容は『能を読むなどの能楽関連書に書かれていたこととほぼ同じで、簡単にまとめると;

能《望月》は、能の曲の中では変わった構成になっているが、これは、越前の飛太夫という役者が「獅子」の能の相伝を観世十郎大夫に願い出たところ、「石橋」の獅子は一子相伝で教えることはできないので、代わりに「望月之謡」に獅子舞を入れることを許したためであること。

つまり、本来の《望月》には獅子舞はなく、現在の《望月》でツレになっている「安田友治の妻」こそが元はシテだったが、あとから獅子舞が加えられたため、格の高い獅子舞を舞う演者(小澤刑部友房)がシテとなり、安田友治の妻がツレに格下げされたらしいとのことだった。

たしかに、シテが直面であることや、シテの前場の装束がアイ狂言っぽいこと、シテがいきなり出てきて名ノリを始めること、ツレが面をかけてシテのように登場すること、単式の現在能であるのに形式的には中入をはさむ複式であることなどが不思議だったけど、獅子舞が追加された結果、シテがツレになったとすれば説明がつく。

このほか、屋島の「大事」という小書による舞囃子は珍しいことや、《望月》の「甲(かぶと)屋の亭主」は正しくは「篭(はたご)屋の亭主」だったのではないかということなどをユーモアたっぷりの語り口で解説してくださった。



舞囃子 高砂 八段之舞
オープニングは、ノリのいい《高砂・八段之舞》。
広忠さんの大鼓に観世元伯さんの太鼓。
地頭は坂口さんのお父様・信男師。
緩急のついた動きの激しい舞とキレのある囃子に、気分は否が応でも盛り上がっていく。
(コンサートだったらオープニングから総立ちになるくらいの熱気!)



仕舞 前半5番+後半5
坂口さんの盟友ともいえる林宗一郎さんの仕舞を拝見するのは、去年の父子相舞を見て以来。
そのときは喜右衛門師の品格の高い舞に目を奪われたけれど、こうして同世代の中で拝見すると、宗一郎さんが舞も謡も抜きんでている。
           
坂口さんの会ではパンフレットとともに「第六~八回・広忠の会」の速報パンフも配布されていて、それによると1129日に坂口貴信シテ、谷本健吾ツレ、林宗一郎トモ(片山九郎右衛門・地頭)による《朝長》が上演予定とのこと。
観世流若手三名手の共演、 華やかな舞台になりそう。
                  
後半の仕舞では、最年少の関根祥丸さんが光っていた。


休憩を挟んで本日のメインディッシュ(仕舞や舞囃子が盛りだくさんなので、美味しいものが少しずつ出てくる懐石料理を味わっている気分
「望月」へとつづく。


 
 
             

第三回・坂口貴信之會(1)


2014531日 1330分~1715分 観世能楽堂

 

お話  林望

舞囃子 高砂 八段之舞  坂口貴信
  笛・一噌隆之 小鼓・観世新九郎 大鼓・亀井広忠 太鼓・観世元伯

  地謡 関根祥丸 林宗一郎 清水義也 坂口信男 角幸二郎

仕舞 
  難波  木月宣行
  巴   坂井音晴
  半蔀  野村昌司
  班女  坂井音雅
  野守  林宗一郎


舞囃子 屋島 大事  観世清河寿
  笛・一噌隆之 小鼓・観世新九郎 大鼓・亀井広忠

  地謡 上田宜照 坂井音晴 野村昌司 角寛次朗 浅見重好


仕舞
  江野島  坂井音隆
  放下僧  角幸二郎
  井筒   武田友志
  弱法師  清水義也
  善界   関根祥丸



能 望月  シテ坂口貴信 
 ツレ 藤波重彦  子方 藤波重光
 ワキ 森常好   アイ 野村太一郎
 笛・藤田六郎兵衛 小鼓・飯田清一 大鼓・亀井広忠 太鼓・観世元伯
 後見 木月孚行 上田公威 観世芳伸
 地頭 観世清河寿


 地謡 関根祥丸 林宗一郎 清水義也 角幸二郎

    浅見重好 角寛次朗 山階彌右衛門

 

 

5月の最終土曜日、坂口貴信之會初の東京公演へ。

 

この日の観客は観世の常連さんはもとより、比較的若い方やこれまで能楽堂にはあまり足を運んだことのなかった方も多かった様子。

大御所・名手による能楽公演の集中した日だったにもかかわらず、見所はほぼ満員で、坂口師の人気の高さがうかがえます。

 

ロビーでは、坂口さんと面差しのよく似た妹君が御贔屓の方々にご挨拶なさっていました。

 

夢ねこも、こうした個人の会にうかがうのは初めてだったのでワクワクした気分♪

何事も初めての時というのはドキドキして楽しいものです。

 

そんな期待と熱気が漂うなか、公演が始まりました(つづく)。

            

 

2014年6月2日月曜日

片山九郎右衛門の《邯鄲・夢中酔舞》


(国立能楽堂企画公演「演出の様々な形」(2014529日)の続き)

 

能 邯鄲 夢中酔舞 【観世流】 
  シテ 盧生 片山九郎右衛門  子方 味方梓
  ワキ 勅使 森常好 
  ワキツレ 大臣 森常太郎 舘田善博 梅村昌功  

  輿昇 野口能弘 野口琢弘

  アイ 宿の女主人 茂山茂
  笛 杉市和  小鼓 幸正昭  大鼓 柿原弘和 太鼓 観世元伯
  後見 味方玄 梅田嘉宏
  地謡 谷本健吾 長山桂三 馬野正基 柴田稔
      岡田麗史 清水寛二 観世銕之丞 西村高夫
  引立大宮解体・運搬 安藤貴康 観世淳夫

 

 

アイ(宿の女将)の名ノリと「邯鄲の枕」の紹介の後、シテの盧生が登場。

シテの装束は、邯鄲男の面に唐帽子、名物裂のような上品な色柄の厚板唐織、半切、法被、縫紋腰帯。手にはそれぞれ唐団扇と水晶数珠。

この邯鄲男の面が宝生流のそれとはかなり印象が違っていて、ちょっと埴輪っぽいニュートラルな表情。

このニュートラルな表情の面が、シテの扱いによって豊かな表情へとさまざまに変化していく。

ヘアスタイル(?)も、先日の宝生流宗家が演じた盧生では黒頭を用いたため「悩める青年」といったイメージだったけど、九郎右衛門・盧生は唐帽子を被り、思索的な求道者といった風情。

こうした装束の違いでも、各シテがそれぞれ描こうとした盧生像の違いが分かる

 

「住み馴れし、国を雲路のあとに見て」と道行を謡いながら橋掛りを行く盧生。

相変わらず九郎右衛門さんの足の運びは、地上から1センチくらい浮いているかのよう。
重力の存在を感じさせない美しいすり足。
 
 

邯鄲の里に着いた盧生は、いったん床几に腰かけて、宿の女将との問答の後、粟飯を焚いている間、邯鄲の枕で眠ることを勧められ、仮寝の夢を見ることにする。

 

シテが一畳台の床に横になり、ワキに起こされて譲位の旨を告げられ、玉の輿に乗り、荘重な真之来序が奏されるなか、玉座(先ほどの一畳台)に座すまではほぼ定型通り。

玉座についたシテは、斜め右(目付柱寄り)を向いて絢爛豪華な宮殿の様子を堪能し、「東に三十余丈に」で左を向き、「西に三十余丈に」で右を向いて、「不老門の前には日月遅しといふ心をまなばれたり」で、感嘆したように両手をあげる。

ここも、ほぼ定型通りだったと思う。

 

あっという間に50年が経ち、祝いの酒宴が催される。

「栄花にも栄耀にもげにこの上やあるべき」と子方(味方梓)が夢之舞を舞う。

 

夢之舞の途中からシテは後ろを向き、後見(味方玄)が法被の右袖を脱がせて、邪魔にならないようシテの腰に入れ込む。

 

ここからいよいよ一畳台の上で舞う「楽」に入っていく。

八田達弥師のブログ「ぬえの能楽通信」によると、笛の森田流と一噌流とでは「空下り」の部分の譜がまるで違うという。

太鼓も観世流と金春流とでは「空下りノ手」が異なるのだそうだ。

「笛と太鼓の流儀のコンビネーションによって、シテが足拍子を踏むタイミングや足拍子の数が違う」ため、「シテは笛と太鼓がうまくあたるように型の配分を考え」ねばならず、「笛の森田流と太鼓の観世流の取り合わせが一番複雑になる」と八田師は述べている。

 

この日の笛方は杉市和(森田流)、太鼓方は観世元伯(言うまでもなく観世流)。

一番複雑な取り合わせだ。

(いったいどれほど複雑なのか、素人には想像もつかないけれど。)

 

引立大宮の中で舞う九郎右衛門の「楽」は、まるで水中で舞っているように、たゆたうような夢の中の世界を体現していた。

 

地上の重力の法則は、片山九郎右衛門には及ばない。

引立大宮は透明なアクアリウムと化し、盧生はプルーストの小説に出てくる「水族館のガラスの向こうの魚」のように優雅に漂っている。

私はただもう、美酒に酔いながら甘美な夢を見ているように、ひたすら美しい舞に見入っていた。

 

ここからが九郎右衛門の芸の真骨頂。

「空下り」の後、後ろを向いて一畳台に腰かけ、しばし休息する(「遠見」)のが通常のやり方で、先日の宝生流でもこの「遠見」を挟み、台から下りて、一畳台の前を通って舞台正先に出ていた。

 

でもこの日、九郎右衛門さんは「空下り」の後、何か考えるように下を向く仕草をした後、そのまま一畳台から降りて舞台中央に出て、「楽」の残りを舞っていた。

なるほど、このほうが酔いのうちに興にのって舞っている気分が見所にも伝わってくる。

「遠見」を挟んで、舞の間に休息を入れてしまうと、感興の余り舞うという勢いや連続性がぶつりと途切れてしまうからだ。

夢の中で酔って舞っている、夢中になって酔いしれて舞っているという「夢中酔舞」の演出としては、たしかに九郎右衛門さんのこのやり方のほうがふさわしい。

 

舞台で舞っていたシテがさらに感極まって橋掛りでも舞い興じていると、太鼓がダダダッとダイナミックな転調をして、ワキツレ・子方が切戸からさっと消え、シテは一気に舞台を横切り、一畳台上に飛び込んでいく。

シテが横になった勢いで唐帽子が脱げたけど、後見がそつなく対処していた。

(このあたりが九郎右衛門と味方玄の阿吽の呼吸。)

ただ、枕に頭を打ち付けたような感じだったため、シテが脳震盪を起こしたのではないかと少し心配になったほど。

 

シテがゆっくりと身を起こす。

舞台も見所も水を打ったように静まり、「永遠の一瞬」ともいえるほどの長い間。

一秒、二秒、どれくらい経っただろうか、ようやくシテが「盧生は夢覚めて」と沈黙を破る。絶妙の間だ。観世寿夫が井筒をのぞいた時のような、計算され洗練され尽くした絶妙の間。

ここからの、夢から現への移行、そして悟りの瞬間への移り変わりが素晴らしかった。

「つらつら人間のあり様を案ずるに」で膝を抱えて思索し、「栄花の望みも齢の長さも……何事も一炊の夢」で面をテラして悟りの瞬間を表現し、「知識はこの枕なり」で枕にお辞儀をする。

 

《邯鄲》でよく言われるのが、夢を見たくらいでそんなに簡単に悟れるものだろうか、という疑問だけれど、九郎右衛門さんが丹念に演じた覚醒からの一連の所作は、そうした疑問を払拭させるほどの、説得力のあるものだった。

 

九郎右衛門さんのお舞台をもっと拝見したい!

 

国立能楽堂 企画公演 演出の様々な形5月29日


おはなし 松本雍


仕舞 砧  片山幽雪
       地謡 馬野正基 観世銕之丞 味方玄 梅田嘉宏
 
狂言 船渡聟 【大蔵流】 
  シテ 聟 茂山逸平   アド 舅 茂山七五三  

  太郎冠者 茂山童司  船頭 茂山あきら

能 邯鄲 夢中酔舞 【観世流】 
  シテ 盧生 片山九郎右衛門  子方 味方梓
  ワキ 勅使 森常好 
  ワキツレ 大臣 森常太郎 舘田善博 梅村昌功  

  輿昇 野口能弘 野口琢弘

  アイ 宿の女主人 茂山茂
  笛 杉市和  小鼓 幸正昭  大鼓 柿原弘和
    太鼓 観世元伯
  後見 味方玄 梅田嘉宏
  地謡 谷本健吾 長山桂三 馬野正基 柴田稔
      岡田麗史 清水寛二 観世銕之丞 西村高夫
  引立大宮解体・運搬 安藤貴康 観世淳夫




まずは、松本雍先生のお話。

 《邯鄲》の小書「傘之出」は、傘を差した道行きや最後に「また、重ねてお参り候へや」
という宿の女将(アイ)の台詞が加わるなど、通常の《邯鄲》との演出上の違いが分かりやすい構成になっているけれど、「夢中酔舞」ってどうなの? 普通の《邯鄲》とどこがどう違うの? と疑問に思っていて、そこのところを解説してくださるのかと思っていたら、予想に反して「夢中酔舞」の演出上の特異性は明確にされず、基本的なお話に終始していました。  残念!

 ただ、松本先生が公演当日に楽屋でシテの片山九郎右衛門師に、どのような演出でやるのかとうかがったところ、「まだ悩んでいます」との答えが返ってきたとか。

 どうやら、ひと口に「夢中酔舞」といっても、その解釈・演出はおシテの裁量にかなり委ねられるようです。

 この自由さがいかにも観世流らしい。

 

仕舞は片山幽雪の《砧》。

下ニ居から立つ時の膝の動きがお辛そうでしたが、身体の軸はぶれず、「気」が充実していて、手の所作がこの上なく美しい。

能へのまっすぐな思いが凝縮されたような気迫のこもったサシコミ。

 つい先日も、《隅田川》のおシテを勤められたばかりだとか。
仕舞《砧》を拝見しただけでも幸せ♪ 地謡もよかった!

 

狂言は、大蔵流の《船渡聟》。
今月上旬の銕仙会定期公演で 野村萬アド(舅)の和泉流《船渡聟》を観ていたおかげで
大蔵流との違いが分かりやすかった。

 
先日の和泉流では、船頭と舅が同一人物なので、
登場するのは、シテの婿とアドの船頭(舅)、小アドの船頭の妻の三人。
自分の婿とは知らず、舟中で婿の手土産の酒を所望して酔っぱらった船頭が、家に帰って、妻から婿の来訪を告げられ、あわてて髭を剃って、先ほどの船頭ではないように工作するのが見どころ。

 いっぽう、昨日の大蔵流では、船頭と舅が別人なので、登場するのは、シテの婿とアドの舅、太郎冠者、船頭の計四人。

婿が舅の家を初めて訪ねるにあたり、酒樽を手土産に舟で川を渡っていると、船頭に酒を所望され、仕方なく酒をふるまううちに、自分も調子に乗って酔っぱらい、酒樽を空にしてしまう。
舅宅で土産の酒樽が空であることが露見し、婿は恥じ入りながら逃げていく。

 逸平さんは愛嬌があって上手いなー。
狂言が特に好きなわけではない夢ねこでも楽しめました。

 
《邯鄲》夢中酔舞の感想は別項にて。