解説 躍動する鍾馗
――玄宗・楊貴妃説話との融合 島尾 新
狂言【大蔵流】 止動方角
シテ・太郎冠者 山本東次郎
アド・主 山本則孝
アド・伯父 山本則俊
アド・馬 山本凛太郎
能 【観世流】 皇帝
前シテ老人・後シテ鍾馗の霊 梅若紀彰
ツレ 楊貴妃 山中迓晶
ツレ 鬼神 角当直隆
ワキ 玄宗皇帝 高安勝久
ワキツレ 大臣 岡充 丸尾幸生
アイ 官人 山本則秀
笛 一噌幸弘 大鼓 曽和尚靖 小鼓 柿原光博 太鼓 小寺真佐人
後見 山崎正道 小田切康陽 松山隆之
地謡 川口晃平 谷本健吾 小島英明 佐久間二郎
永島充 馬野正基 観世喜正 鈴木啓吾
解説は、日本美術史家の島尾先生のお話。
能の《皇帝》では、楊貴妃に取り憑いた病魔(鬼神)を鍾馗がやっつけるお話ですが、
本来の鍾馗説話では、病に伏した玄宗皇帝の夢枕に鍾馗が現れ、
皇帝に取り憑いた病鬼の目をくり抜いて、鬼を食べてしまう設定になっていたとのこと。
室町時代前期の世阿弥の時代にはそうした「暗い鍾馗」観が一般的だったが、
応仁の乱を境に、スーパーヒーロー的な「明るい鍾馗」観が優勢になり、
絵画にもたくさん描かれるようになる。
(本来は不気味だったけれど、だんだん親しみやすいキャラクターになるところが
水木しげるの鬼太郎と似ています。)
そのような鍾馗ブームの火付け役となったのが、観世小次郎信光がつくった能《皇帝》
だったのではないか、というなかなか興味深いお話でした。
狂言《止動方角》
太郎冠者の主は、当時流行していた茶の湯(闘茶)をやりたいばかりに、
裕福な伯父に茶道具と馬を借りてくるようにと太郎冠者に言いつける。
叔父は気前よく貸してくれるが、馬には悪い癖がついていて、
後ろで咳をすると暴れ出すので、馬が暴れたら
「白蓮童子六万菩薩、鎮まりたまえ止動方角」という呪文を唱えればおさまると太郎冠者に言う。
太郎冠者が戻ると、「遅い」と主に叱られる。
面白くない太郎冠者は、主が馬に乗ると、その後ろで咳をして馬を暴れさせ、主を落馬させる。
太郎冠者が呪文で馬を鎮め、主が再び馬に乗ると、再び落馬させる。
主は落馬に懲りて馬に乗ろうとしないため、太郎冠者が馬に乗って主人気取り。
怒った主と太郎冠者がもみ合っているうちに、馬は逃げていき、二人は馬を追いかけて退場する。
という単純なお話なのですが、シテを中心にみなさん、息が合っていて断然面白い!
それに、馬がなんとも可愛くって!
(演じてる人は大変そうだけど。)
動物モノには目がない夢ねこです。 見所も爆笑で、文句なしに楽しめました。
休憩を挟んで、とっても楽しみにしていた梅若紀彰さんの《皇帝》。
とにかく、この《皇帝》、
病魔が取り憑く怪異現象あり、
玄宗皇帝と楊貴妃の愛の語らいあり、
派手な立ち回りありと、
信光的要素が凝縮されたホラーアクションラブロマンス。
ハリウッド映画をはるか昔に先取りしたような一大エンターテイメントなのです。
舞台の上も盛りだくさん。
まずは一畳台が2台運ばれ、地ノ前と脇正に置かれます。
地ノ前の一畳台の上には、おそらく能《楊貴妃》と同じ宮の作り物が置かれ、
宮の幕内には楊貴妃が潜んでいる様子。
そして能には珍しく、初っ端から太鼓が鳴り響き、荘重な真之来序が流れるなか、
「春は春遊に入って夜は夜を専らとし、後宮の佳麗三千人、三千の寵愛一身にあり」と
玄宗皇帝が大臣たちを引き連れて登場します。
この真之来序がよかった!
一噌幸弘さんの笛、小寺真佐人さんの太鼓がいいのはもちろんですが、
柿原光博さんも気迫のこもった掛け声で聞きごたえがありました。
宮の幕が下ろされて、病に伏せている楊貴妃(山中迓晶)が姿を現します。
まさに梨花一枝雨を帯びたりという、打ちひしがれた風情。
面は小面で、愛らしい可憐なイメージでした。
そこへ、「如何に奏聞すべきことの候」という声がいきなりしたので、
声のする橋掛りを見てみると、そこには謎めいた気品のある老人(梅若紀彰)の姿が……。
「鷹」の面をかけた老人は、科挙に落ちたショックで頭を玉階に打ち砕いて死んだ鍾馗の霊だと名乗り、
死後に官位・官服を授かった恩に報いるために、楊貴妃の病魔を退治すると申し出ます。
そして病魔をおびき出すために、楊貴妃の枕元に明王鏡(明皇鏡)を置くことを進言して、
忽然と姿を消す。
というわけで、前シテは舞台に上がることも無く、
橋掛りの一の松のところまで来て、すぐに揚げ幕の向うに戻ってしまいます。
老翁の佇まいもハコビも、それはそれは美しかったのですが、
それだけに、「もう行っちゃうの~!」と、心の中で叫んでしまいました。
曲の構成がそうなのだから仕方ないわけですが。
シテの中入のあいだも、間狂言にはならずに舞台は進行していて、
ここでは玄宗皇帝と楊貴妃の愛の場面が展開します。
この部分の地謡が凄くよかった!
観世喜正地頭の九皐会メンバー+馬野さん&能楽妄想ナイトのお二人という謡の名手ぞろいだもの
良くないわけがない。
「翠翅金雀とりどりいに、かざしの花もうつろふや。
枕破(ちんば)の斜紅(しゃこう)の世に類なき姿かな」
しかし残念なことに、地謡の前にはワキツレ大臣二人が居並び、作り物が置かれているため、
地謡は完全にブロックされていて、声はすれども姿は見えず……。
「ことぶきなれやこの契、天長く地久しくして尽くる時もあるまじ」と、純粋に謡だけを楽しみました。
ここから場面が急展開。
明王鏡が置かれると、一天にわかにかき曇り、鏡には怪しい影が映り……。
早笛とともに、橋掛りから勢いよく登場したのは、顰の面をかけた鬼神(角当直隆)。
皇帝は剣を抜いて立ち向かうのですが、
鬼神はワキ座でうずくまり、衣を被って姿が見えなくなります。
すると不思議なことに空が晴れて、
後シテの鍾馗の霊が呪文を唱えながら天馬で虚空を翔って颯爽と登場。
赤鶴作の小癋見をかけた後シテの姿を見ると、悪鬼は驚いて柱に隠れますが、
鍾馗の霊が明王鏡に向かうと、悪鬼は通力自在も失せて起きつ転びつ逃げ回ります。
ここで鍾馗の霊と悪鬼は舞台と橋掛りを何往復もして大立ち回りを演じるのですが、
なにしろ一畳台や作り物、ツレ、ワキ、ワキツレなど、人や物が舞台に散在する狭い空間&視野で、
スピード感のある立ち回りをダイナミックに演じなければならないのです。
ハードで危険な演技だったと思います。
それでも、紀彰さんは型の乱れも体軸の傾きも無く、ひたすらきれいでした。
角当さんも、少し苦しそうでしたが、シテと息が合っていたと思います。
最後は仏倒れのはずでしたが、悪鬼がするりと揚幕の隙間から姿を消して、
いつのまにか鍾馗が悪鬼を退治したことになっていました???
悪鬼役の角頭さんは翌日に《碇潜》のおシテをする予定だったので
仏倒れはやめて、大事を取ったのかな?
それとも、練習中に腰を傷めてしまったのだろうか?
いずれにしても、仏倒れは身体の故障の原因になりやすいから、
もう全面的に廃止にしてもいいとは思うけど……。
ただ、揚幕の隙間から引っ込んじゃうだけでは拍子抜けの感が否めないので、
仇討の曲みたいに笠をシンボリックに突き刺すとか、
何かそういう演出の工夫をして、悪鬼退治を表現したほうがよかったかも。
そういうわけで娯楽に徹したお能だったけど、
たまにはこういうのもいいのかもしれない(だから稀曲?)。
シテの出番があまりにも少なかったのがちょっと残念ですが、
夢ねこの好きな太鼓のパートが多かったし、
――玄宗・楊貴妃説話との融合 島尾 新
狂言【大蔵流】 止動方角
シテ・太郎冠者 山本東次郎
アド・主 山本則孝
アド・伯父 山本則俊
アド・馬 山本凛太郎
能 【観世流】 皇帝
前シテ老人・後シテ鍾馗の霊 梅若紀彰
ツレ 楊貴妃 山中迓晶
ツレ 鬼神 角当直隆
ワキ 玄宗皇帝 高安勝久
ワキツレ 大臣 岡充 丸尾幸生
アイ 官人 山本則秀
笛 一噌幸弘 大鼓 曽和尚靖 小鼓 柿原光博 太鼓 小寺真佐人
後見 山崎正道 小田切康陽 松山隆之
地謡 川口晃平 谷本健吾 小島英明 佐久間二郎
永島充 馬野正基 観世喜正 鈴木啓吾
解説は、日本美術史家の島尾先生のお話。
能の《皇帝》では、楊貴妃に取り憑いた病魔(鬼神)を鍾馗がやっつけるお話ですが、
本来の鍾馗説話では、病に伏した玄宗皇帝の夢枕に鍾馗が現れ、
皇帝に取り憑いた病鬼の目をくり抜いて、鬼を食べてしまう設定になっていたとのこと。
室町時代前期の世阿弥の時代にはそうした「暗い鍾馗」観が一般的だったが、
応仁の乱を境に、スーパーヒーロー的な「明るい鍾馗」観が優勢になり、
絵画にもたくさん描かれるようになる。
(本来は不気味だったけれど、だんだん親しみやすいキャラクターになるところが
水木しげるの鬼太郎と似ています。)
そのような鍾馗ブームの火付け役となったのが、観世小次郎信光がつくった能《皇帝》
だったのではないか、というなかなか興味深いお話でした。
狂言《止動方角》
太郎冠者の主は、当時流行していた茶の湯(闘茶)をやりたいばかりに、
裕福な伯父に茶道具と馬を借りてくるようにと太郎冠者に言いつける。
叔父は気前よく貸してくれるが、馬には悪い癖がついていて、
後ろで咳をすると暴れ出すので、馬が暴れたら
「白蓮童子六万菩薩、鎮まりたまえ止動方角」という呪文を唱えればおさまると太郎冠者に言う。
太郎冠者が戻ると、「遅い」と主に叱られる。
面白くない太郎冠者は、主が馬に乗ると、その後ろで咳をして馬を暴れさせ、主を落馬させる。
太郎冠者が呪文で馬を鎮め、主が再び馬に乗ると、再び落馬させる。
主は落馬に懲りて馬に乗ろうとしないため、太郎冠者が馬に乗って主人気取り。
怒った主と太郎冠者がもみ合っているうちに、馬は逃げていき、二人は馬を追いかけて退場する。
という単純なお話なのですが、シテを中心にみなさん、息が合っていて断然面白い!
それに、馬がなんとも可愛くって!
(演じてる人は大変そうだけど。)
動物モノには目がない夢ねこです。 見所も爆笑で、文句なしに楽しめました。
休憩を挟んで、とっても楽しみにしていた梅若紀彰さんの《皇帝》。
とにかく、この《皇帝》、
病魔が取り憑く怪異現象あり、
玄宗皇帝と楊貴妃の愛の語らいあり、
派手な立ち回りありと、
信光的要素が凝縮されたホラーアクションラブロマンス。
ハリウッド映画をはるか昔に先取りしたような一大エンターテイメントなのです。
舞台の上も盛りだくさん。
まずは一畳台が2台運ばれ、地ノ前と脇正に置かれます。
地ノ前の一畳台の上には、おそらく能《楊貴妃》と同じ宮の作り物が置かれ、
宮の幕内には楊貴妃が潜んでいる様子。
そして能には珍しく、初っ端から太鼓が鳴り響き、荘重な真之来序が流れるなか、
「春は春遊に入って夜は夜を専らとし、後宮の佳麗三千人、三千の寵愛一身にあり」と
玄宗皇帝が大臣たちを引き連れて登場します。
この真之来序がよかった!
一噌幸弘さんの笛、小寺真佐人さんの太鼓がいいのはもちろんですが、
柿原光博さんも気迫のこもった掛け声で聞きごたえがありました。
宮の幕が下ろされて、病に伏せている楊貴妃(山中迓晶)が姿を現します。
まさに梨花一枝雨を帯びたりという、打ちひしがれた風情。
面は小面で、愛らしい可憐なイメージでした。
そこへ、「如何に奏聞すべきことの候」という声がいきなりしたので、
声のする橋掛りを見てみると、そこには謎めいた気品のある老人(梅若紀彰)の姿が……。
「鷹」の面をかけた老人は、科挙に落ちたショックで頭を玉階に打ち砕いて死んだ鍾馗の霊だと名乗り、
死後に官位・官服を授かった恩に報いるために、楊貴妃の病魔を退治すると申し出ます。
そして病魔をおびき出すために、楊貴妃の枕元に明王鏡(明皇鏡)を置くことを進言して、
忽然と姿を消す。
というわけで、前シテは舞台に上がることも無く、
橋掛りの一の松のところまで来て、すぐに揚げ幕の向うに戻ってしまいます。
老翁の佇まいもハコビも、それはそれは美しかったのですが、
それだけに、「もう行っちゃうの~!」と、心の中で叫んでしまいました。
曲の構成がそうなのだから仕方ないわけですが。
シテの中入のあいだも、間狂言にはならずに舞台は進行していて、
ここでは玄宗皇帝と楊貴妃の愛の場面が展開します。
この部分の地謡が凄くよかった!
観世喜正地頭の九皐会メンバー+馬野さん&能楽妄想ナイトのお二人という謡の名手ぞろいだもの
良くないわけがない。
「翠翅金雀とりどりいに、かざしの花もうつろふや。
枕破(ちんば)の斜紅(しゃこう)の世に類なき姿かな」
しかし残念なことに、地謡の前にはワキツレ大臣二人が居並び、作り物が置かれているため、
地謡は完全にブロックされていて、声はすれども姿は見えず……。
「ことぶきなれやこの契、天長く地久しくして尽くる時もあるまじ」と、純粋に謡だけを楽しみました。
ここから場面が急展開。
明王鏡が置かれると、一天にわかにかき曇り、鏡には怪しい影が映り……。
早笛とともに、橋掛りから勢いよく登場したのは、顰の面をかけた鬼神(角当直隆)。
皇帝は剣を抜いて立ち向かうのですが、
鬼神はワキ座でうずくまり、衣を被って姿が見えなくなります。
すると不思議なことに空が晴れて、
後シテの鍾馗の霊が呪文を唱えながら天馬で虚空を翔って颯爽と登場。
赤鶴作の小癋見をかけた後シテの姿を見ると、悪鬼は驚いて柱に隠れますが、
鍾馗の霊が明王鏡に向かうと、悪鬼は通力自在も失せて起きつ転びつ逃げ回ります。
ここで鍾馗の霊と悪鬼は舞台と橋掛りを何往復もして大立ち回りを演じるのですが、
なにしろ一畳台や作り物、ツレ、ワキ、ワキツレなど、人や物が舞台に散在する狭い空間&視野で、
スピード感のある立ち回りをダイナミックに演じなければならないのです。
ハードで危険な演技だったと思います。
それでも、紀彰さんは型の乱れも体軸の傾きも無く、ひたすらきれいでした。
角当さんも、少し苦しそうでしたが、シテと息が合っていたと思います。
最後は仏倒れのはずでしたが、悪鬼がするりと揚幕の隙間から姿を消して、
いつのまにか鍾馗が悪鬼を退治したことになっていました???
悪鬼役の角頭さんは翌日に《碇潜》のおシテをする予定だったので
仏倒れはやめて、大事を取ったのかな?
それとも、練習中に腰を傷めてしまったのだろうか?
いずれにしても、仏倒れは身体の故障の原因になりやすいから、
もう全面的に廃止にしてもいいとは思うけど……。
ただ、揚幕の隙間から引っ込んじゃうだけでは拍子抜けの感が否めないので、
仇討の曲みたいに笠をシンボリックに突き刺すとか、
何かそういう演出の工夫をして、悪鬼退治を表現したほうがよかったかも。
そういうわけで娯楽に徹したお能だったけど、
たまにはこういうのもいいのかもしれない(だから稀曲?)。
シテの出番があまりにも少なかったのがちょっと残念ですが、
夢ねこの好きな太鼓のパートが多かったし、
とにかくゴージャスなあっという間の舞台でした♪