2014年6月13日金曜日

荒磯能6月公演《玉鬘》《鵜飼》


観世会荒磯能 612日 観世能楽堂


お話 坂口貴信

仕舞 羽衣クセ 渡邉瑞子
   車僧   武田祥照

能 玉鬘  シテ 坂井音雅、ワキ 舘田善博、アイ 高澤祐介
  笛 寺井宏明、小鼓鳥山直也、大鼓 佃良太郎
後見 上田公威、角幸二郎    
    地謡 木月章行、高梨万里、新江和人、坂井音晴、
       坂口貴信、木原康之、武田尚浩、北浪貴裕

狂言 悪坊  三宅右矩 前田晃一 三宅近成

能 鵜飼  シテ 武田文志、ワキ 大日方寛、アイ 三宅近成
 
笛 杉信太朗、小鼓 古賀裕己、大鼓 亀井洋佑、太鼓 観世元伯
  後見 野村四郎、清水義也    
    地謡 田口亮二、金子聡哉、武田宗典、木月宣行  
     武田友志、松木千俊、山階彌右衛門、岡庭祥大


              
開演前に坂口さんのお話
類曲との比較を混えたとても分かりやすい解説でした。

      
複数の男性に思いを寄せられた結果、死後も苦しむ女性を描いた《玉鬘》と《求塚》。
どちらのシテもそれほど悪いことをしたとは思えないのに、なぜ死後も苦しまなければならないのかとずっと疑問に思っていましたが、坂口さんによると、当時は多くの男性を惑わすだけで「罪深い女」とされたそうです。

ただでさえ女は成仏できないと思われていた時代。その上さらに殿方を惑わすという罪を重ねれば(それほど罪深いとは思えないけれど)、きっと自分は地獄に落ちると当時の美しい女性たちは自責の念に駆られたのでしょうか。

               
いっぽう《鵜飼》の解説では、類曲《阿漕》や《善知鳥》ではそれぞれ後場で狩りの様子を再現するのに対し、《鵜飼》では前場の鵜之段でその様子を舞ってみせます。

(《鵜飼》が他の類曲と違うのは、おそらく世阿弥が改作した際に後場を付け足して、閻魔大王を登場させたからだと思います。《高砂》もそうだけれど、世阿弥は前場と後場のシテのキャラクターを換えて変化をつけるのが好きだったのでしょうね。)


           
開演後の仕舞
期待していた武田祥照さんはやっぱり上手い!
声もきれいだし、声量も豊か。舞も迫力があって、いつまでも見ていたかった。

       

能《玉鬘》
浅葱色の水衣姿の前シテが竿を繰りながら初瀬川を上ってくる。
面は若女かな? 古びた面のくすみがどこか寂しげな表情に見える。

おシテは謡がとてもきれい。
地謡も朗々としていて、ワキの舘田善博さんも美声なので、前場の長い問答や上げ歌を殊の外楽しめた。
「ほの見えて、色づく木々の初瀬山……」のところも山里の秋の情景が浮かんでくるよう。
湿度が高いせいか、小鼓もしっとりと響いて、秋の情趣に味わいを添えている。


(ねこのひとりごと)
寺井宏明さんの美しい所作に憧れていて、この方が出演される時はなるべく笛方が見やすい位置に席をとるようにしています。

垂直に立てていた笛を、水平に寝かせてから口元に運び、
左手の指を右に滑らせて笛を吹くまでの一連の動作がじつに優雅。
こういうエレガントな動きを日常に取り入れられたらいいな。
(ねこのひとりごと終わり)


さて、
シテは玉鬘の亡霊。面は、眉間にしわ、頬にえくぼ、乱れた髪の十寸髪(ますかみ)。
乱れ髪を一筋垂らし、オレンジ色の唐織を片袖脱いで、思い乱れた様子。
「長き闇路や黒髪の」と足早に舞台を一周し、迷いの中で苦悩するさまを舞で表現し、僧の前ですべてを語って舞い尽くすことで心は浄化され、「(迷いの)長き夢路は覚めにけり」と妄執を脱して悟りの境地へと達します。


暗夜行路のなかで霧が晴れたようなエンディング。

      
このとき、とても残念なことが起きました。

最後にシテが留拍子をして、静寂のなか、橋掛りに向かうという最高の瞬間に、あろうことか、正面席後方で携帯の着信音が鳴り響いたのです……。

名画をナイフで切り裂くような極悪非道な冒涜行為はやめてほしいと思うけど、無感覚・無神経な人はあとを絶たない。
ほんとうに悲しくなります。

(つづく)


 
          

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