2017年8月29日火曜日

第48回 東西合同研究発表会

2017年8月29日(火)11時~16時45分 国立能楽堂

宝生流舞囃子《加茂》石黒空
 高村裕 成田奏 森山泰幸 澤田晃良
 地謡 藤井秋雅 辰巳大二郎 川瀬隆士 上野能寛

喜多流舞囃子《箙》高林昌司
 山村友子 清水和音 柿原孝則
 地謡 友枝雄太郎 谷友矩 友枝真也 狩野祐一

観世流能《半蔀》シテ 樹下千慧
 ワキ野口琢弘 岡本宏懇
 貞光智宣 岡本はる奈 山本寿弥
 後見 味方玄 河村和貴
 地謡 分林道治 橋本忠樹 大江信行
    梅田嘉宏 河村浩太郎 大江広祐

観世流舞囃子《菊慈童》浦田親良
 杉信太朗 清水和音 亀井洋祐 姥浦理紗
 地謡 寺澤拓海 上野雄介 齊藤信輔 山本麗晃

〈休憩〉
大蔵流狂言《土筆》小西玲央 中川力哉

高安流連吟《鵜飼》原陸 有松遼一 岡充

和泉流小舞《名取川》上杉啓太
大蔵流小舞《宇治の晒》茂山虎真
大蔵流小舞《吉の葉》茂山竜正
大蔵流小舞《景清》井口竜也

観世流独吟《田村クセ》西野翠舟

〈休憩〉
金春流舞囃子《花月》金春飛翔
 高村裕 鳥山直也 柿原孝則
 地謡 野村雅 本田布由樹 政木哲司 鎌田氏勝

観世流舞囃子《春栄》大江広祐
 杉信太朗 吉阪倫平 河村凛太郎
 地謡 河村和貴 橋本忠樹 大江信行 梅田嘉宏

金剛流舞囃子《三輪》惣明貞助
 藤田貴寛 鳥山直也 森山泰幸 澤田晃良
 地謡 宇高竜成 宇高徳成 山田伊純
    辻剛史 向井弘記

観世流能《春日竜人》大槻裕一
 ワキ 喜多雅人 村瀬慧 矢野昌平 アイ 山本善之
 山本友子 成田奏 河村裕一郎 中田一葉
 後見 赤松禎友 山本博通
 地謡 寺澤幸祐 上野雄介 齊藤信輔
    寺澤拓海 浦田親良 山本麗晃

 


三年ぶりの東京公演。
ふだんなかなか拝見できない関西勢が多く、しかも、レベルが高い!
夫の転勤が解けたら関西に帰る予定だから(いつになるかは不明だけど)楽しみが増えてうれしい。


さて、初番から観る予定だったのですが、この日は片山家追善能の一般発売日で電話がなかなか繋がらず、宝生流の《加茂》を見逃してしまいました。
最後のほうを少しだけ拝見したのですが、舞・囃子・地謡とも良かったので残念。

無事チケット予約後、見所に入ると、脇正面最後列に大槻文蔵師が端然と座っていらっしゃってびっくり。
佇まいが普通の人と、ぜっんぜん、違う!
(三年前の東京公演の時も九郎右衛門さんがロビーを何気なく歩いていらっしゃって、その後姿があまりにも美しく、今でもあの理想的な姿勢と歩き方を思い出してイメージトレーニングしているくらい。)


喜多流舞囃子《箙》高林昌司
シテは演者唯一の色紋付。
薄い抹茶ミルク地の色紋付が涼し気で、数日前の素謡・仕舞の会を思い出す。
高林昌司さんは細身のせいか、塩津圭介さんを彷彿させる。
二本の扇を用い、一本をシューッと後ろに滑らせるところや飛び返りもシャープに決まっていた。

清水和音さんと柿原孝則さんの大小鼓の組み合わせが良かった。



観世流能《半蔀》樹下千慧
樹下さんは舞囃子・仕舞を何度か拝見しているが、能のシテでは初めて。
まず、前シテの出と幕離れがいい。
花の精とも亡霊ともつかない謎めいた感じが漂っていて、唐織姿が楚々とした可憐な風情。
テノールっぽい甘い美声も夕顔の雰囲気と合っている。
面遣いも巧みで、後場に「さらばと思ひ夕顔の」で半蔀のなかで脇正を向くときの表情に愁いを含んだ陰翳があり、趣き深かった。

大鼓方(大倉流)の山本寿弥さんは山本哲也さんの御子息なのかな?
斜め上から力いっぱい鼓を叩きつけるような打ち方が山本哲也さんにも似ているし、もっといえば大倉正之助さんにも似ている(とても痛そう)。

貞光智宣さんは、後見に杉市和さんがついていらしゃったので、師事されているのだろうか。ところどころに光るものがある方なので、注目していきたい。

岡本はる奈さんの小鼓は安定していて、音色がいつもながら小気味よい。




観世流舞囃子《菊慈童》浦田親良
シテは間の取り方がよく、
美しい型のイメージ(腕の微妙な角度や体軸の線)をしっかり持っておられて、それをひとつひとつご自分で体現されているから、舞姿もきれい。




大蔵流狂言《土筆》小西玲央 中川力哉
ほのぼのした狂言。

(長丁場なので、連吟・小舞・独吟は休憩してました……。)




金春流舞囃子《花月》金春飛翔
お囃子は東京勢で固めているから、息があっている。
鳥山さんはもう中堅の貫禄。
すでに相当の舞台経験を積んでいる柿原孝則さんも堂々とした演奏。

金春らしい和やかな謡。シテの舞も良かった。



観世流舞囃子《春栄》大江広祐
ビックリした!
吉阪倫平さんって、吉阪一郎さんの御子息でしょうか。
まだ小中学生くらいだと思うのですが、巧いのなんのって!!
掛け声が声変わりしていない声なのをのぞけば、間合いからコミから打音の響きから、何から何まで、まったくふつうに大人のプロとして通用するレベル! 
まさに天才子方囃子方さんです。

河村凛太郎さんもたぶんそっくりだから、河村大さんの御子息ですね。

今回、ジュニアたちの活躍・成長が目覚ましい!
(杉信太朗さんはご自身の会まで成功させた方だから言うに及ばず。)

シテは大江又三郎さんの御子息。日本一ノッポな能楽師・信行さんの弟さんだけあってこちらも上背があり、スッキリしたかっこいい男舞で、謡もGood!

地謡もわたしの好みの地謡で、凄く良かったです。



金剛流舞囃子《三輪》惣明貞助
《三輪》はわたしが謡える数少ない曲のひとつなのですが、観世流と節が別の曲のように全然違う!

面白いのは、囃子の大小太鼓がすべて観世流だったこと。
めったにない組み合わせ。
(とはいえ、どこがどう違うのか、この組み合わせだとどうなるのか、ということはわからなかったけれど。)
太鼓の澤田さんは高音の掛け声がきれいに出ていて、このまま何としても、お師匠様めざして突き進んでほしい。

シテは謡も舞もうまく、舞金剛の名にふさわしい芳醇な舞でした。




観世流能《春日竜人》大槻裕一
シテはまだ十代(もうすぐハタチ)なんですね。
それでこの巧さとは……。 
前場は老いた宮守なのですが、下居姿が美しい。
そしてなんといっても、本領発揮は後シテ・龍神。
キレがあるのはもちろんですが、若いのに緻密で精確。粗雑なところがない。

飛び安座の跳躍も見事。
ちょっと足を傷めたのかな?という場面もあったけれど、最後まで緩みのない舞台。
三年ちょっとの観能歴のなかで、この年齢でここまでの完成度の舞台を観たのは初めて。

小鼓の成田奏さんは掛け声も音色もますます味わいが増し、将来がとても楽しみな方。
藤田流の山本友子さんもうまい方ですね。
河村裕一郎さんは、河村眞之介さんの御子息でしょうか?(違ってたらごめんなさい。)
 
間狂言の山本善之さんの熱演も爽やか。



もちろん、東京の国立能楽堂もそうだけれど、養成会の研究発表会をひんぱんに開いて、後進の育成に力を尽くしている京阪能楽界の並みならぬ熱意が着実に実を結んでいるのを、身をもって感じた素晴らしい会でした!





2017年8月27日日曜日

喜多流 素謡・仕舞の会~十四世喜多六平太記念能楽堂改修勧進

2017年8月26日(土)15時30分~17時30分 喜多能楽堂

仕舞《白楽天》  佐々木多門
  《敦盛クセ》 粟谷充雄
   地謡 塩津圭介 佐藤寛泰 谷友矩 佐藤陽

素謡《井筒》シテ 友枝昭世
      ワキ 長島茂
   友枝昭世 粟谷能夫 大村定 谷大作 長島茂
   粟谷浩之 金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 友枝真也

仕舞《蝉丸》 長島茂
  《融》  粟谷明生
   地謡 佐藤章雄 塩津圭介 佐藤寛泰 佐藤陽

素謡《金輪》シテ 出雲康雅
   ワキ 狩野了一 ワキツレ 大島輝久
   香川靖嗣 塩津哲生 出雲康雅 粟谷明生 内田安信
   佐々木多門 狩野了一 中村邦生 粟谷充雄 大島輝久



こういう素謡と仕舞だけの会ははじめて。
番組と配役が素敵なので行ってきました。

関東大震災と戦災で二度にわたり能舞台を焼失させるという辛酸をなめた十四世六平太。
その悲願がかない、やっとの思いで再建された現在の喜多能楽堂。

能楽堂入り口の重厚感のある木製の扉は、焼失した能舞台の名残でしょうか。
こうして素謡・仕舞の会で改修勧進が行われ、大切に、大切に補修されている……。



素謡《井筒》
友枝昭世さんは二年半前の「友枝昭世の會」で《井筒》は舞納めにされたという。
自決用の懐刀をしのばせて臨むような覚悟で、ひとつひとつの舞台を舞っている(少なくともわたしにはそう見える)。

「友枝昭世」という究極のブランドについてまわる観客の高い期待。
それを、歳を重ねても決して裏切らない舞台を続けている。
その想像を絶するほどの困難さ。



暁ごとの閼伽の水、月も心や清むらん

あのときの舞台を観ているからだろうか、シテの謡は井筒の女そのものに聞こえ、水桶と数珠を持った唐織姿の美しい女が、陽炎のように半透明になってスーッと舞台に立ち現れる。

井筒の女の美しい姿と、能面の裏側にあったシテの表情が二重写しになり、ああ、あのとき昭世師はこんなふうに謡っていたのか、とか、こんなふうに思いを込めていたのか、ということが素謡の進行に合わせて見えてくる。

昭世師の謡は、謡だけが突出して巧いという類の謡ではなく、その曲を舞っている時とまったく同じように(おそらく心の中で、魂そのものが舞いながら謡っているのだろう)、その時々のシテの所作や動きが視覚化されるような謡。


形見の直衣、身に触れて恥ずかしや。昔男に移り舞

ここのところはとりわけ情感がこもっていて、わたしも感極まって涙があふれてくる。

クライマックスはシテと地謡の謡がともに素晴らしく、二年前の舞台の時に耳にこびりついていた「さながら見みえし昔男の冠直衣は、女とも見えず、男なりけり、業平の面影」で最高潮に達し、井戸に手をかけて中をのぞきこみ、さらにススキをかき分けて井戸を深くのぞいた、あの印象深いシーンがよみがえってくる。

最後は、秋の気配を感じさせる静かな余韻━━。




仕舞四番
こういう会の仕舞って、舞手の色紋付姿もちょっとしたファッションショーみたいで秘かな楽しみ。
着付けの仕方も、襟を鈍角に合わせて詰め気味に着る人や、鋭角に合わせてゆったりと着る人、(おそらく補正で)胸・腹をふくらませる人、逆にお腹がすっきり見えるよう工夫する人など、さまざま。

トップバッターは、品のいいスモークパープルの色紋付の佐々木多門さん。
《白楽天》は能はもとより、舞囃子・仕舞もあまり観たことがないので、ストーリー以外どういうものかわからないのですが、男神の真ノ序ノ舞物だからかなり重い位なのですね。地謡も難しそう。
とにかく、十月の《楊貴妃》がとても楽しみなのでした。

次は粟谷充雄さんの《敦盛クセ》。
こちらはキリリとした黒紋付。たしか二月に仕舞を拝見した時は別の髪型だったと思うのですが、この日は僧侶の剃髪のような頭がジョン・マルコヴィッチのようで素敵でした。

《逆髪》の長島茂さんは薄灰色の色紋付。
わたしはこのとき咳の発作に見舞われそうになり、下を向いて抑えるのに必死だったので、見どころの水鏡に姿を映すところも拝見できず。

最後は白茶の色紋付の粟谷明生さん。
今まさに身体能力・技術力と豊かな経験が交差した円熟期の舞。
(身体を絞っていらっしゃるのかな……以前と比べて引き締まって見える)
欠けたることもなき望月のような、存在感のある《融》の仕舞でした。




素謡《鉄輪》
《鉄輪》は素謡だと、なぜか狂言役がいないから、前場はほとんどシテ一人の謡。
そんなわけで前場は独り舞台的な感じで終わり、物語は後半へ。

ワキツレ・浮気男の大島さんと、ワキ・安倍晴明の狩野了一さんの掛合が見事。
とくに狩野晴明の祈りの謡「肝胆を砕き祈りけり、謹上再拝」には強い呪力がこもっていて、この曲の素謡の白眉だった。







2017年8月23日水曜日

はじめて能《安達原》~夜の部

2017年8月22日(火) 19時30分~21時10分 観世能楽堂

仕舞《高砂》  角幸二郎
  《羽衣キリ》佐川勝貴
   地謡 小早川泰輝 清水義也 野村昌司 武田祥照

能の解説 山階彌右衛門
 すり足実演 武田祥照
 謡ってみよう!謡入門編《安達原》(糸車の謡) 

解説付ダイジェスト能
《安達原》里女/鬼女 武田宗典
   阿闍梨祐慶 大日方寛 同行山伏 御厨誠吾
   能力 野村太一郎
   藤田貴寛 田邊恭資 原岡一之 林雄一郎
   後見 武田友志 木月宣行 野村昌司
   地謡 坂口貴信 清水義也 高梨万里
      関根祥丸 井上裕之真 久田勘吉郎→武田祥照

仕舞《融》 山階彌右衛門
 地謡 坂口貴信 武田祥照


荒磯能を昼・夜二部式にしたような「はじめて能」。
親子ペアで行くとお得だけれど、さすがに夜の部はお子さんは少なくて、代わりに仕事帰りらしき現役世代が6割ほど。
比較的若くておしゃれな女性たちもちらほら(能ガールさん?)。
立地を生かし、仕事帰りにぶらっと気軽に立ち寄れるよう時間帯・価格帯もよく考えられている。



仕舞
佐川勝貴さんの舞を観るのははじめて。
謡い出しから引き込んでいく。
たっぷりした豊かで厚みのある謡。
舞もきれいで、細身の両腕には羽衣が風をはらんで浮遊していく、天使の羽根のような軽やかさがある。
美しい増女の面とあでやかな装束をつけた舞姿が自然と思い浮かぶ。
思いがけず、良い仕舞を拝見した。


解説
噂には聞いていたけれど、彌右衛門さん、お話が上手で面白い!
ご自身も心から楽しんで話していらっしゃるような。

いろいろ蘊蓄を交えながらお話しをされていて、たとえばすり足の解説では、「あいつは板についてきた」というのは、能のすり足から来ているとか、
「結婚式なんかで『人生の檜舞台に立つ』というのもこの能舞台に由来するのですが、おそらく今後も結婚の予定がないだろうという人もいらっしゃると思うので、せめて能舞台に立ってみては……?」(つまりはお稽古&発表会のおすすめ)などなど。

自虐ネタではなく、観客をネタにするのが彌右衛門さん流。
(他虐ネタって高度なテクニックだと思うのですが、それも彌右衛門さんの陽気なキャラのなせる業。)

「謡ってみよう!」のコーナーでも、枠桛輪を回しながら憂世の辛さを謡うところでは「私はいっつも元気いっぱい幸せですので、皆さんのように人生に疲れきった方々のほうが、このうらびれた感じが出やすいですよ~」みたいな(笑)。




能《安達原》
「解説付ダイジェスト能」ってなんだろうと思っていたら、こ、こういうことだったんだ!
ビックリ!! 面白くて、笑いをこらえるのに苦労しました。
演者の方々も真面目くさった顔でされているのだけれど、心の中では「プッ」と吹き出していたりして……?

まず、お調べが始まったあたりから彌右衛門さんがマイク片手に舞台に立ち、お調べの意味や、入場してくる囃子方を「これは笛、この人は小鼓……」と紹介していきます。

囃子方の皆さんはいつものごとく厳粛にしずしずと舞台に入ってくるので、彌右衛門さんのハイテンションなノリとの取り合わせがなんともコミカル。


やがてワキ・ワキツレが登場し、名乗りをしたあたりで、「ハイ、ここで、ストップ!」と、彌右衛門さんから待ったがかかり、演者一同、凍り付いたように静止。

マネキンのように動きを止めたワキ(大日方さん)の横に彌右衛門さん立ち、山伏の装束や道行の解説をしてゆくのですが、可笑しさと真面目さが入り混じった前衛的なパフォーマンスのよう。

こんな感じで、前場二カ所と中入りに解説が入り、後場はノーカット。
シテの宗典さんは品のあるきれいな鬼女で、中入り前に「(閨の中を)御覧じ候ふな」と何度も念を押すところにも、鬼気迫るものがあり、見応えがありました。


お囃子カルテットの早笛・イノリを聴くと、やっぱり能の囃子っていいなあと思う。
(この大小鼓の組み合わせはわりと好きなのです。)
田邊さんは以前から物腰が源次郎さんによく似ていらしたのですが、久しぶりに拝見すると、掛け声や仕草・姿勢、シテを射抜くように見つめる鋭い目つきまで、お師匠様にそっくり!
音色の響きも美しく心地よい。


そして印象に残ったのが、鬼女と山伏とのバトル。
宗典さんと大日方さんの長身細身どうしのバトルは、能的にどうこうというよりも、ヴィジュアル的に従来のシテ・ワキのバトルとは違っていて、このシューボックス型の縦長空間にしっくり馴染む。

そう思って舞台を見渡せば、囃子方も地謡も間狂言も、ほとんどの方が小顔でシュッとしている。
全体的に現代的というか。
時代や場所の空気を吸いながら能の雰囲気も観客も変化して、ひとつのヴァリエーションになっていくのだと、妙に感心した舞台でした。









2017年8月21日月曜日

アルチンボルド展

会期:2017年6月20日ー9月24日     国立西洋美術館





お盆過ぎとはいえ上野公園は例年にも増してすごい人。
パンダブームのせいもあるのかしら?
ちなみに、パンダの赤ちゃんの名前は「ルンルン♪」で応募しました。
明るく元気に、幸せに育ってほしいから。

アルチンボルド展も親子連れや子供たちでいっぱい!
自分の顔をアルチンボルド風に描いてくれるマシーンも3台設置され、長蛇の列ができていました。
わたしは並ばなかったけれど、人のを見ていると、この顔がこんな風になるのかと、なかなか面白い。とくに美男美女がやると、ギャップが……。


さて、肝心の展覧会。
すごい人でじっくり観れなかったのが残念だけれど、いちばん人気は、皇帝マクシミリアン2世の顔を春の花々で描いた《春》(1563年)。
(これを観ていると、あちこちから「可愛い!」の声が。)

首から上は、世界中の色鮮やかな花々で彩られ、首から下は、さまざまな色や形の草の葉で構成され、草の葉の間から可愛らしい木苺の赤い実がのぞいている。
草花の精緻で細密な写実描写と、パズルのような肖像画の奇抜な表現。
この個性的なコントラストが、アルチンボルドを唯一無二の画家に仕立てている。


【追随者作品との比較】
事実、彼の構成力と色彩感覚、写実描写の技術は卓越していて、彼の追随者・模倣者の作品と比べれば、その差は一目瞭然。
追随者のアルチンボルドもどき、いわゆるバッタもんの作品(たとえば水生生物で構成される《水》という作品)は、画面が弛緩していて、魚には生気がなく、アルチンボルドが描く魚たちとは明らかに鮮度が劣る。
アルチンボルドがいかに緻密に動植物を配置し、構成したかがよくわかる。


【パトロンとのコラボ】
そして、やはりいつも思うのは、こうした傑出した天才・異才の活躍は、その真価を理解できる審美眼の高いパトロンの存在なしにはありえないということ。

フェルディナント1世・マクシミリアン2世・ルドルフ2世のハプルブルク家三代の皇帝の、世界のすべてを掌握し収集したいという欲望や博物学への関心を汲み取り、それを絵画に巧みに取り込んで、帝国の繁栄を称揚したアルチンボルド。
先見の明のある強大なパトロンと、たぐいまれな才能をもつ芸術家との相互作用によって、後世に残るに足る画期的な作品が生まれる━━。

そういう意味で、自分の顔をカリカチュア的に描かせて悦んだ皇帝のユーモアのある美的センスにも思いを馳せたのでした。
(彼ら三代の皇帝に見いだされなかったら、アルチンボルドはあまりにも斬新すぎて、忘れ去られた名画家のひとりになっていたかもしれない。)


【いちばん気に入った作品】
個人的に今回とくに気に入ったのが、冒頭に展示されていたアルチンボルド最晩年の作品《四季》(画像はこちら)。
「四季」といっても、人生の春、夏、秋を経て、冬も終わりに近づいた人間の顔が、四季の植物で構成されている肖像画だ。

衣服には華やかな花々、頭にはみずみずしい果実が描かれ、春・夏・秋が表現されているが、顔の大半は枯れた木の瘤や切断された枝で構成され、頭には鹿の角のように二股・三股に分かれた枝をはやしていて、そのことが肖像画の冬のイメージを強めている。

その鹿の角のように頭から生えた枝の一部から樹皮がペロリと剥けていて、樹皮の剥がれた木目にアルチンボルドのサインが記されており、この絵はアルチンボルドの自画像ではないかといわれている。

この絵を観ていると、能の《遊行柳》を観た時とよく似た感慨に打たれる。
また、いつか、この絵と出会いたい。
今よりも歳を重ねた時、自分はどんな思いでこの絵と向き合うだろうか。








2017年8月18日金曜日

川端龍子《草炎》~雑草たちへの賛歌

2017年8月  東京国立近代美術館

久々に東京に戻り、川端龍子作品でいちばん好きな絵を観に、竹橋へ。

川端龍子《草炎》、六曲一双・絹本彩色、1930年

同時期に山種美術館では、龍子の《草の実》が展示されています。

《草の実》と《草炎》は同趣向の絵ですが、《草の実》の前年に描かれた《草炎》では、構図・題材のうえでも、野放図に繁茂する雑草の生命力の逞しさ・旺盛さがより強く押し出され、それがこの絵を愛する理由のひとつでもあるのです。

炎のように萌えたつ野草たちの饗宴。その迫力は圧巻!


《草炎》部分

高く伸びるセイタカアワダチソウの丈夫な葉は濃い金泥で、カナムグラなどの薄手の葉は透明感のある薄い金泥で表現。

路傍や空地で目にするありふれた光景が、魔法のような月の光を浴びて、眩いばかりに輝きだす。
絶妙な濃淡表現が織りなす、贅を尽くした生命への賛歌。



《草炎》部分

タケニグサの白い葉裏にはプラチナ泥を施し、葉脈はどこまでも繊細に。
あの草も、この草も、版図をめぐってせめぎ合い、共存しながら、調和を保って生きている。

デューラーも名もなき草花を描いた《芝草》で神の創造物の美を讃えていますが、見慣れたものに目を向け、視点を変えるだけで、美しいものはどこにでも存在することに気づかされます。

誰の手も借りず自力で根を張り、力強く生きている、そんな植物がとても愛おしく思えてくる。
この絵を見ていると、何かとても癒されると同時に、活力を与えられる気がするのです。


他に気に入った作品も備忘録として載せておきます。


川合玉堂《二日月》絹本墨画淡彩、1907年
↑東の空には、針のように細い二日月。
辺りは靄にかすみ、清らかな水が滔々と流れている。
旅人たちはしばし水辺に憩う。
初秋の夕暮れの冷気を感じさせる一枚。




小林古径《唐蜀黍》神本彩色、1939年

↑色彩と造形がスタイリッシュなトウモロコシの絵。
身体のしなやかな踊り子たちが優雅に乱舞しているよう。




藤田嗣治《武漢進撃》、油彩、1938-40年

↑どこかターナーの絵を思わせる《武漢進撃》。
タイトルを知らなければ、穏やかな海をゆったりと航行する船を描写した映画のワンシーンを見ているような錯覚さえ抱いてしまう。
不気味な静けさと鉛色の雲に包まれた破壊の光景。





松本俊介《黒い花》、油彩、板、1940年

↑油彩画なのに水彩画のように透明感のあるブルーの世界。
クレヨンのひっかき絵を思わせる鋭い描線が、画家の過敏な神経を伝えている。

線香花火を逆さにしたような黒い花。
ガラスの花瓶には、囚われた魚たちが無垢な顔で泳いでいる。