久々に東京に戻り、川端龍子作品でいちばん好きな絵を観に、竹橋へ。
川端龍子《草炎》、六曲一双・絹本彩色、1930年 |
同時期に山種美術館では、龍子の《草の実》が展示されています。
《草の実》と《草炎》は同趣向の絵ですが、《草の実》の前年に描かれた《草炎》では、構図・題材のうえでも、野放図に繁茂する雑草の生命力の逞しさ・旺盛さがより強く押し出され、それがこの絵を愛する理由のひとつでもあるのです。
炎のように萌えたつ野草たちの饗宴。その迫力は圧巻!
《草炎》部分 |
高く伸びるセイタカアワダチソウの丈夫な葉は濃い金泥で、カナムグラなどの薄手の葉は透明感のある薄い金泥で表現。
路傍や空地で目にするありふれた光景が、魔法のような月の光を浴びて、眩いばかりに輝きだす。
絶妙な濃淡表現が織りなす、贅を尽くした生命への賛歌。
《草炎》部分 |
タケニグサの白い葉裏にはプラチナ泥を施し、葉脈はどこまでも繊細に。
あの草も、この草も、版図をめぐってせめぎ合い、共存しながら、調和を保って生きている。
デューラーも名もなき草花を描いた《芝草》で神の創造物の美を讃えていますが、見慣れたものに目を向け、視点を変えるだけで、美しいものはどこにでも存在することに気づかされます。
誰の手も借りず自力で根を張り、力強く生きている、そんな植物がとても愛おしく思えてくる。
この絵を見ていると、何かとても癒されると同時に、活力を与えられる気がするのです。
他に気に入った作品も備忘録として載せておきます。
川合玉堂《二日月》絹本墨画淡彩、1907年 |
辺りは靄にかすみ、清らかな水が滔々と流れている。
旅人たちはしばし水辺に憩う。
初秋の夕暮れの冷気を感じさせる一枚。
小林古径《唐蜀黍》神本彩色、1939年 |
↑色彩と造形がスタイリッシュなトウモロコシの絵。
身体のしなやかな踊り子たちが優雅に乱舞しているよう。
藤田嗣治《武漢進撃》、油彩、1938-40年 |
↑どこかターナーの絵を思わせる《武漢進撃》。
タイトルを知らなければ、穏やかな海をゆったりと航行する船を描写した映画のワンシーンを見ているような錯覚さえ抱いてしまう。
不気味な静けさと鉛色の雲に包まれた破壊の光景。
松本俊介《黒い花》、油彩、板、1940年 |
↑油彩画なのに水彩画のように透明感のあるブルーの世界。
クレヨンのひっかき絵を思わせる鋭い描線が、画家の過敏な神経を伝えている。
線香花火を逆さにしたような黒い花。
ガラスの花瓶には、囚われた魚たちが無垢な顔で泳いでいる。
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