東京能楽囃子科協議会九月夜能 《融・笏之舞》前場からのつづき
能《融・笏之舞》友枝昭世
ワキ宝生欣哉 アイ能村晶人松田弘之 鵜澤洋太郎 國川純 観世元伯
後見 中村邦生 狩野了一
地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
佐々木多門 内田成信 友枝雄人 金子敬一郎
後場は珍しい喜多流「笏之舞」。
このシテで、この小書、この演者。
プログラムに書かれた「一期一会の能」という源次郎師の言葉にふさわしい舞台だった。
(以下は「笏之舞」のメモ的なもの。記憶違いは多々あるかもしれません。)
【間狂言】
間狂言の途中からアシライ笛が入り、アイのシャベリが終わる瞬間に、アシライがピタッとおさまるように吹き終わる。
この魔法のような間合いの取り方、さすがです。
【ワキの待謡→出端】
ワキの待謡「夢待ち顔の旅音かな」で、半幕が上がり、まばゆい白狩衣に身を包み、床几に掛かった後シテの姿が現れる。
出端の囃子に誘われて、シテが胸の前で手を合わせて笏を持つ姿(いわゆる聖徳太子のポーズ)でスルスルと登場。
常座で「忘れて年を経しものを」と謡い出し、
脇正で「雪を廻らす雲の袖」と、サシコミ・ヒラキ。
【笏之舞】
通常ならば「受けたり受けたり遊舞の袖」のあと早舞に入るところを、
「序」のような囃子に合わせて大小前で足拍子。
その大小前から、ゆったりとした足取りで角(目付柱)に至り、
目付柱から脇柱に向かう際にのみ、囃子が大小太鼓のゆっくりとしたナガシとなる。
シテは脇柱に至ると、やがて舞台を一巡し、
正中でいったん下居して笏を腰に差し、扇に持ち替える。
ここまで、《翁》のような厳かな儀式を観ている気分。
そこから舞台を小さく廻って、大小前で両袖の露をとって達拝。
囃子はゆっくりとした早舞(?)になり、シテは露を放して舞い始める。
初段オロシのあと笛が盤渉になり、
シテは橋掛りに進むことなく、すべて本舞台の上で五段の早舞を舞いあげる。
個人的な好みでいうと、やはり他の小書のようにシテが橋掛りに行ってそこで舞ったりクツロイだりして何らかの印象的な所作を見せ、囃子もそれを盛り上げるようなドラマティックな手を打ったほうが、観ているほうも胸が高まるような気がした。
本舞台上だけの緩やかなテンポの早舞というのは、どうしても見せ場に欠けてしまう。
(と思うのは、ほかの小書で覚える高揚感を知ってしまったからかも。)
この小書がめったに上演されない理由も、そのあたりにあるのかもしれない。
【終曲】
しっとりとした憂いのある貴公子、友枝昭世師の融がもっとも美しく見えた場面だ。
「月もはや影傾きて」で、雲ノ扇をしたシテの視線が青白く薄れゆく月の光を描き出す。
夢のように朧気に輝きながら月の都に帰るその後ろ姿を、
観客の気持ちを代弁するかのように名残惜しげにワキが見送る。
このときの欣哉さんの表情がなんとも言えない。
次々と大物役者を相手に大きな舞台を勤め、その経験を糧に芸を高めていらっしゃる。
この日の舞台も、友枝昭世師にまったく引けを取らないほどの品格を感じさせ、シテを見送るこの視線によって、月の都に昇る融の姿を見事に表現していた。
もともと上手い方だけど、恐ろしいスピードで芸にさらに磨きがかかっていくその過程を観客として目撃するのは、なんてわくわくする体験なのだろう。
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