お初天神をあとにして、近くの太融寺へ。
その名が示すとおり、源融ゆかりのお寺です。
太融寺は、嵯峨天皇の勅願により、821年に弘法大師が創建したといいます。
なぜ、この地が選ばれたのか?
その理由を僧侶の方にうかがったところ、次のような縁起を語ってくださいました。
平安初期のこと、この地に香木が落ちていたのを弘法大師が見つけ、その香木で千手観音を彫り、嵯峨天皇に献上。「香木が落ちているくらいだから、この地は神聖な場所に違いない」。そう考えた嵯峨天皇は、弘法大師に命じて開山させたそうです。
そして、この寺の七堂伽藍を建立したのが、嵯峨天皇の皇子である源融です。
彼の邸宅だった六条河原院や嵯峨野の別荘「栖霞観」のエピソードから想像するに、源融という人は、建築や作庭に優れたセンスを発揮した人なのかもしれません。
九山八海の庭 |
なんと、借景はラブホテル。
この辺りはお寺が多いのですが、それを取り囲むのが無数のホテル。
人間界の縮図のように、聖俗入り乱れた風景が広がっています。
そういえば、同じく源融のゆかりの地である六条河原にも、のちに五条楽園(七条新地)という遊里が栄えました。
大坂の北(堂島)新地と京都の七条新地。色町に残る源融の旧跡。
源融には、在原業平のような恋愛遍歴は具体的には伝わっていませんが、正妻以外の女性たちとの間に何人も子をもうけていますし、光源氏のモデルとなった人ですから、業平のような「男女和合の神」的側面もあったのでしょうか。
光源氏の六条院のごとく、塩竈を移した六条河原院に多くの女性を住まわせていて、それが『源氏物語』の着想源になったのかも?などと想像するのは飛躍しすぎかもしれませんが、「融の大臣」の鬼のイメージといい、暗い影の部分をもつ謎の多い人物ですね、源融は。
聖と俗、善悪一如、煩悩即菩提。
境内の九山八海庭に美しく咲く蓮の花のような「泥中の清」を、この寺は体現しているようにも思えます。
本堂内部 |
飛龍の欄間彫刻と格天井の絵が見事。
あとで紹介する白龍大神・龍王大神からも分かるように、ここは龍が守護するお寺なんですね。
お初天神(露天神社)と同様、水と縁が深い聖域です。
宝塔 |
一願堂と不動明王 |
一願成就の御利益があるそうです。
一願堂の奥の洞窟 |
凛とした空気が漂う神聖な空間です。
白龍大神 |
女性は白龍大神、男性は龍王大神をお参りするとよいそうです。
淀殿之墓 |
大坂夏の陣のあと、淀殿の遺骨は弁天島に埋められ、淀姫神社として祀られていましたが、明治期に太融寺の境内に移祀されたそうです。
淀殿も戦乱の世の犠牲となった哀しい女性のひとり。
白龍大神が、そっとお守りしているのですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿