2019年7月11日木曜日

源融ゆかりの寺~太融寺

2019年7月10日(水) 太融寺

お初天神をあとにして、近くの太融寺へ。
その名が示すとおり、源融ゆかりのお寺です。




太融寺は、嵯峨天皇の勅願により、821年に弘法大師が創建したといいます。

なぜ、この地が選ばれたのか?
その理由を僧侶の方にうかがったところ、次のような縁起を語ってくださいました。

平安初期のこと、この地に香木が落ちていたのを弘法大師が見つけ、その香木で千手観音を彫り、嵯峨天皇に献上。「香木が落ちているくらいだから、この地は神聖な場所に違いない」。そう考えた嵯峨天皇は、弘法大師に命じて開山させたそうです。

そして、この寺の七堂伽藍を建立したのが、嵯峨天皇の皇子である源融です。

彼の邸宅だった六条河原院や嵯峨野の別荘「栖霞観」のエピソードから想像するに、源融という人は、建築や作庭に優れたセンスを発揮した人なのかもしれません。



九山八海の庭
須弥山を取り囲む「九山八海」の庭。
なんと、借景はラブホテル。

この辺りはお寺が多いのですが、それを取り囲むのが無数のホテル。
人間界の縮図のように、聖俗入り乱れた風景が広がっています。




そういえば、同じく源融のゆかりの地である六条河原にも、のちに五条楽園(七条新地)という遊里が栄えました。

大坂の北(堂島)新地と京都の七条新地。色町に残る源融の旧跡。

源融には、在原業平のような恋愛遍歴は具体的には伝わっていませんが、正妻以外の女性たちとの間に何人も子をもうけていますし、光源氏のモデルとなった人ですから、業平のような「男女和合の神」的側面もあったのでしょうか。

光源氏の六条院のごとく、塩竈を移した六条河原院に多くの女性を住まわせていて、それが『源氏物語』の着想源になったのかも?などと想像するのは飛躍しすぎかもしれませんが、「融の大臣」の鬼のイメージといい、暗い影の部分をもつ謎の多い人物ですね、源融は。

聖と俗、善悪一如、煩悩即菩提。
境内の九山八海庭に美しく咲く蓮の花のような「泥中の清」を、この寺は体現しているようにも思えます。



本堂内部
本堂は1960年に再建されたもの。
飛龍の欄間彫刻と格天井の絵が見事。

あとで紹介する白龍大神・龍王大神からも分かるように、ここは龍が守護するお寺なんですね。
お初天神(露天神社)と同様、水と縁が深い聖域です。



宝塔
ビル群に囲まれた三層の宝塔には、大日如来が安置されています。



一願堂と不動明王
一願堂に安置された不動明王と矜羯羅・制吒迦童子は戦後に再刻されたもの。
一願成就の御利益があるそうです。




一願堂の奥の洞窟
一願堂の奥には、お滝の洞窟(奥の院)があり、こちらには古い不動明王が安置されていました。
凛とした空気が漂う神聖な空間です。



白龍大神
境外社に龍王大神が祀られていて、龍王が雄神、境内にあるこの白龍大神が雌神で、雌雄一対で太融寺を守護しています。

女性は白龍大神、男性は龍王大神をお参りするとよいそうです。




淀殿之墓
白龍大神の奥にあるのが、淀殿の墓。

大坂夏の陣のあと、淀殿の遺骨は弁天島に埋められ、淀姫神社として祀られていましたが、明治期に太融寺の境内に移祀されたそうです。

淀殿も戦乱の世の犠牲となった哀しい女性のひとり。
白龍大神が、そっとお守りしているのですね。





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