2015年9月25日(金) 18:00~18:55 インターメディアテク2F ACADEMIA
用事で近くまで来たので、前から気になっていた蓄音機音楽会に初めて参加した。
東大総合研究博物館が所蔵する2台のヴィクトローラ製クレデンザ蓄音機。
この最高級蓄音機で、湯瀬哲が集めたジャズのSP盤コレクションを聴き、デジタル時代とともに失われた音の厚みと奥行きを共有するというのが本イベントの趣旨。
月一くらいの間隔で定期的に開かれているらしい(次回は10月16日)。
東京駅至近のインターメディアテクには、化石や昆虫標本、剥製、ホルマリン漬けの標本が所狭しと展示され、日が暮れると、スミソニアン博物館のナイトミュージアムのような静謐で神秘的な雰囲気が漂う。
背の高い上げ下げ窓の向こうには夕闇に包まれた丸の内の都会的な風景が広がり、ノスタルジックな階段講堂で蓄音機ならではのアナログ感・ノイズ感を味わいながら、ジャズの名盤を聴くのは至福のひととき。
金曜日の夜、1週間の疲れとストレスが紅茶に入れた氷砂糖のようにじわじわと溶け、心も身体もほぐれてゆく。
モデルのような端正な顔立ちと抜群のスタイルの男性(学芸員さん?)が一曲ずつ丁寧に解説してくださるので、20世紀半ばのジャズシーンに疎いわたしでもかなり楽しめた。
というか、初めて聴く曲ばかりだったので、なおさら新鮮で興味深かった。
解説を要約すると、
時は1949年、ビバップに代表されるモダンジャズが旋風を巻き起こした時代、ボプ・ワインストックが「ニュー・ジャズ」というレーベルを立ち上げた。
(その後、「ニュー・ジャズ」は「プレステージ」と改名される。)
「ニュー・ジャズ」は新しいミュージシャンを次々と紹介し、さらにジャズ・レコードの録音方式そのものを根本的に変えた。
1曲1テイクしか録音せず、失敗作のテープを再利用していたため、アウトテイクが少なく、ヴァリエーションに乏しいという批判もあったが、そのいっぽうで即興性を重視し、ジャズの新たな美学を生み出したとされる。
今回は、「ニュー・ジャズ」発足当時の作品11曲を聴くことができた。
そのなかで以下の5曲が印象深かった(単なる覚書)。
Reinhold Svensson(1919-1968)Quintet, Sweet and Lovely 1950年録音
スウェーデンの盲目のピアニスト、ラインホルト・スヴェンソン。
「Sweet and Lovely」はタイトル通り、装飾の多い甘美な曲。
Stan Gets(1927-1991) Bop Stars, Five Brothers 1949年録音
Gerry Mulligan作曲
Stan Gets Quartet, Crazy Chords 1949年録音
ノリが良くて、おしゃれでシャープな曲。
Wardell Gray (1921-1955), South Side 1949年録音
アル・ヘイグ(Al Haig)のピアノがかっこいい曲。
Fats Navarro(1923-1950), Infatuation
Don Lanphere作曲 1949年録音
ジャズらしい黄昏感、グラスを傾けたくなる
"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2015年9月30日水曜日
2015年9月20日日曜日
柿原繁蔵十三回忌追善囃子会
2015年9月20日(日) 10~19時 国立能楽堂
番外連調《海士キリ》 柿原崇志 柿原弘和 柿原光博 柿原孝則
松田弘之 大倉源次郎 桜井均
後見 野村四郎 藤波重彦
地謡 浅見重好 小早川修 馬野正基
長山桂三 坂井音隆 武田祥照
坂井音雅、佐久間二郎、遠藤喜久、小倉健太郎、藤波重彦、角当直隆
佐野登、横井徹、野村四郎、山崎正道、馬野正基、長山桂三、坂井音隆
浅見重好、武田祥照、坂井音晴
柿原ファミリー総出演のお祭りのような囃子方社中会。
思い出の写真入りの豪華な番組に記された「御挨拶」によると、
柿原繁蔵師は崇志師の父(弘和師・光博師の祖父)で、
趣味で能楽を始めて、五人の子を育てながら安福春雄師に師事、
やがて職分となり、高安流大鼓方として福岡で活動したとのこと。
つまり、能楽界での4代にわたる柿原家の繁栄の礎を築いた方らしい。
柿原家は、古くから代々続く大鼓方の家系だと思っていたので意外だった。
それから、同じく高安流大鼓方の白坂信行・保行師は弘和師の従兄弟だそうです。
これも知らなかった。
柿原家囃子方の人々が九州男児の血を引いているというのも分かる気がする。
ロビーには花々で飾られた、大鼓を打つ繁蔵師のお写真が。
手を合わせてから隣のテーブルを見ると、
崇志師が日本芸術院恩賜賞を受賞した際のご家族のアルバムも公開されていて、
追善会だけれど、御先祖孝行の心のこもったおめでたい会なのが伝わってくる。
《三番三》 山本泰太郎
舞囃子の前半の見どころは、なんといっても三番三。
山本泰太郎さんが汗びっしょりの熱演で、
たぶん汗が目の中に入って痛いだろうけど、泰太郎さんは瞬きひとつせず、
全身全霊で、神への祈りを込めるように勤めていらっしゃった。
高いカラス飛びに、集団をエクスタシーに導く昂揚感のある鈴の段のラスト。
社中の方の披きでしたが、揉み出しがかっこいい!
わたしもエア大鼓で揉み出しにチャレンジしたことがあるけれど、
情けないことにすぐに筋肉痛になってしまう。
(とはいえ、エア大鼓でもストレス解消になって気分スッキリ。)
以下は、印象に残った舞囃子のメモ。(柿原ファミリーの番外連調には間に合わず)
《班女》 桑田貴志 深みのある謡。
《蝉丸》 坂井音雅 表現力豊かで情景が目に浮かぶよう。
音雅師のお能は去年《玉鬘》を拝見したきりだけれど、芸をさらに深化させたように思った。要チェックのシテ方さんだ。
《龍田》 遠藤喜久 とにかくきれい。以前に拝見した時よりも心惹かれるものがあった。
《船弁慶・前》 小倉健太郎 だいぶ痩せて体型がすっきり。
先月の薪能で地謡を休演されていたけれど、そのことと関係があるのだろうか。
《砧・後》 藤波重彦 地謡 梅若玄祥、山崎正道、馬野正基
シテももちろん良かったのですが、やっぱり凄い、地謡のこのメンバー!
まさしくお能を見ているみたいに心をガンガン揺さぶってくる。
非常に濃厚で充実した舞囃子だった。
《野守》 馬野正基
飛び返り3回くらいされたんじゃないかな。
しかも、高さと飛距離のあるクオリティの高い飛び返り。
今度はお能で見てみたい。
《巻絹》 長山桂三
長山桂三さんは何度か拝見してるし上手い人とは思っていたけれど、
今までは比較的ニュートラルな感想しか抱いていなかった。
でも、この日はなんというか、それまで強烈な睡魔に襲われていたのに
それが一気に吹き飛んで、目が舞台に釘付けに。
間の取り方や緩急の付け方、重心の置き方などがどことなく関西風で
わたしの好み(神楽などでは関西的な部分が出やすいのかも)。
舞うごとに空気が清浄になっていくような、厳かで魅力的な舞だった。
《野宮・合掌留》 浅見重好
不覚にも休憩を取ってしまって途中から拝見。
素晴らしかった。この方、女面をかけるとすごい美人になりそう。
お能で浅見師の《野宮》を観てみたい。
《春栄》 武田祥照
前にも書いたかもしれないけれど、武田祥照さんは関根祥丸さんとともに
観世流二十代部門で大注目しているシテ方さん(どちらも非凡)。
舞もきれいだし、そして何よりも謡がとびっきりうまい!
九郎右衛門さんや味方玄さんの目にも早速とまって、
すでに舞台を何度か御一緒されている。
今度は九郎右衛門さんのツレで《松風》か《蝉丸》をやってほしい、もちろん東京で!
番外能《猩々乱》
柿原孝則さんの披き。 おめでとうございます!
(後見に控える弘和パパは歳の離れたお兄さんのように見えるけど、
美しく端座する姿からは威厳のオーラ。とっても貫禄があった。)
孝則さんの大鼓ははつらつとしていて、披きにふさわしいフレッシュ感。
そして何よりも彼の凄い点は小鼓や太鼓と合わせるべき時に音のずれがなく、
決めるべきポイントは必ずきっちり決めるところ。
他の囃子の呼吸と合わせたり、
地謡やシテの息使い、舞台の気の流れをつかんだりするのは
通常ならば並大抵のことではないのだろうけれど、
さすがは鼓の家で生まれ育った人、本能的にそれが分かるのかもしれない。
(たぶん、天性の才能もあるのだろう。)
追善と新しい門出、良いお社中会でした。
番外連調《海士キリ》 柿原崇志 柿原弘和 柿原光博 柿原孝則
松田弘之 大倉源次郎 桜井均
番外一調《江口》 梅若玄祥 白坂信行
番外能《猩々乱》シテ武田尚浩 ワキ殿田謙吉
一噌隆之 曽和正博 柿原孝則(披キ)観世元伯後見 野村四郎 藤波重彦
地謡 浅見重好 小早川修 馬野正基
長山桂三 坂井音隆 武田祥照
舞囃子出演シテ方・狂言方(出演順)
観世喜正、坂真太郎、山本泰太郎、広島栄理子、佐藤双早子、桑田貴志坂井音雅、佐久間二郎、遠藤喜久、小倉健太郎、藤波重彦、角当直隆
佐野登、横井徹、野村四郎、山崎正道、馬野正基、長山桂三、坂井音隆
浅見重好、武田祥照、坂井音晴
柿原ファミリー総出演のお祭りのような囃子方社中会。
思い出の写真入りの豪華な番組に記された「御挨拶」によると、
柿原繁蔵師は崇志師の父(弘和師・光博師の祖父)で、
趣味で能楽を始めて、五人の子を育てながら安福春雄師に師事、
やがて職分となり、高安流大鼓方として福岡で活動したとのこと。
つまり、能楽界での4代にわたる柿原家の繁栄の礎を築いた方らしい。
柿原家は、古くから代々続く大鼓方の家系だと思っていたので意外だった。
それから、同じく高安流大鼓方の白坂信行・保行師は弘和師の従兄弟だそうです。
これも知らなかった。
柿原家囃子方の人々が九州男児の血を引いているというのも分かる気がする。
ロビーには花々で飾られた、大鼓を打つ繁蔵師のお写真が。
手を合わせてから隣のテーブルを見ると、
崇志師が日本芸術院恩賜賞を受賞した際のご家族のアルバムも公開されていて、
追善会だけれど、御先祖孝行の心のこもったおめでたい会なのが伝わってくる。
《三番三》 山本泰太郎
舞囃子の前半の見どころは、なんといっても三番三。
山本泰太郎さんが汗びっしょりの熱演で、
たぶん汗が目の中に入って痛いだろうけど、泰太郎さんは瞬きひとつせず、
全身全霊で、神への祈りを込めるように勤めていらっしゃった。
高いカラス飛びに、集団をエクスタシーに導く昂揚感のある鈴の段のラスト。
社中の方の披きでしたが、揉み出しがかっこいい!
わたしもエア大鼓で揉み出しにチャレンジしたことがあるけれど、
情けないことにすぐに筋肉痛になってしまう。
(とはいえ、エア大鼓でもストレス解消になって気分スッキリ。)
以下は、印象に残った舞囃子のメモ。(柿原ファミリーの番外連調には間に合わず)
《班女》 桑田貴志 深みのある謡。
《蝉丸》 坂井音雅 表現力豊かで情景が目に浮かぶよう。
音雅師のお能は去年《玉鬘》を拝見したきりだけれど、芸をさらに深化させたように思った。要チェックのシテ方さんだ。
《龍田》 遠藤喜久 とにかくきれい。以前に拝見した時よりも心惹かれるものがあった。
《船弁慶・前》 小倉健太郎 だいぶ痩せて体型がすっきり。
先月の薪能で地謡を休演されていたけれど、そのことと関係があるのだろうか。
《砧・後》 藤波重彦 地謡 梅若玄祥、山崎正道、馬野正基
シテももちろん良かったのですが、やっぱり凄い、地謡のこのメンバー!
まさしくお能を見ているみたいに心をガンガン揺さぶってくる。
非常に濃厚で充実した舞囃子だった。
《野守》 馬野正基
飛び返り3回くらいされたんじゃないかな。
しかも、高さと飛距離のあるクオリティの高い飛び返り。
今度はお能で見てみたい。
《巻絹》 長山桂三
長山桂三さんは何度か拝見してるし上手い人とは思っていたけれど、
今までは比較的ニュートラルな感想しか抱いていなかった。
でも、この日はなんというか、それまで強烈な睡魔に襲われていたのに
それが一気に吹き飛んで、目が舞台に釘付けに。
間の取り方や緩急の付け方、重心の置き方などがどことなく関西風で
わたしの好み(神楽などでは関西的な部分が出やすいのかも)。
舞うごとに空気が清浄になっていくような、厳かで魅力的な舞だった。
《野宮・合掌留》 浅見重好
不覚にも休憩を取ってしまって途中から拝見。
素晴らしかった。この方、女面をかけるとすごい美人になりそう。
お能で浅見師の《野宮》を観てみたい。
《春栄》 武田祥照
前にも書いたかもしれないけれど、武田祥照さんは関根祥丸さんとともに
観世流二十代部門で大注目しているシテ方さん(どちらも非凡)。
舞もきれいだし、そして何よりも謡がとびっきりうまい!
九郎右衛門さんや味方玄さんの目にも早速とまって、
すでに舞台を何度か御一緒されている。
今度は九郎右衛門さんのツレで《松風》か《蝉丸》をやってほしい、もちろん東京で!
番外能《猩々乱》
柿原孝則さんの披き。 おめでとうございます!
(後見に控える弘和パパは歳の離れたお兄さんのように見えるけど、
美しく端座する姿からは威厳のオーラ。とっても貫禄があった。)
孝則さんの大鼓ははつらつとしていて、披きにふさわしいフレッシュ感。
そして何よりも彼の凄い点は小鼓や太鼓と合わせるべき時に音のずれがなく、
決めるべきポイントは必ずきっちり決めるところ。
他の囃子の呼吸と合わせたり、
地謡やシテの息使い、舞台の気の流れをつかんだりするのは
通常ならば並大抵のことではないのだろうけれど、
さすがは鼓の家で生まれ育った人、本能的にそれが分かるのかもしれない。
(たぶん、天性の才能もあるのだろう。)
追善と新しい門出、良いお社中会でした。
2015年9月18日金曜日
鳩森神社秋季例大祭・神賑能 《井筒》
2015年9月13日(日) 18時半~20時半 鳩森八幡神社能楽殿
火入式
仕舞 《蝉丸・道行》 阪本昂平
《融》 長谷猪一郎
連吟 《松風・ロンギ》 藤田安彦、中市篤志
仕舞 《羽衣・キリ》 櫻間右陣
能 《井筒・物着》 シテ伊藤眞也 ワキ森常太郎
成田寛人 田邊恭資 柿原孝則
後見 櫻間右陣 藤田安彦
地謡 長谷猪一郎 桑原朗 志賀朝男 青木伸夫
阪本昂平 中市篤志 杉井久信 柿沼義孝
お天気も持ちそうだったので東京国立博物館の帰りに、薪能に寄ってみた。
鳩森神社は前から気になっていたけれどいつも素通りで、参拝するのは初めて。
例大祭だけあって神輿が出ていて威勢がいい。
今度は富士塚にも登ってみよう。
金春流の舞台を観たのは2回くらいで、この日のシテ方出演者も初めての人ばかり。
お名前だけは存じ上げていた櫻間右陣師。
もっとお年を召した方だと勝手に想像していたので、思ったよりも若い。
おいくつくらいだろう?
金春流の謡はなめらかで角がなく、丸みを帯びた大和の小高い山々を思わせる。
聴いていて心地良く、催眠効果が高い。
舞もふわっとした印象。
能の装束つけやススキをかき分ける所作などがちょっと……だったけれど、
そういう細かいことは気にしない大らかさ。
神さまも衒いのない大らかな献能を喜ばれたことだろう。
神賑能は神さま(本神社では応神天皇と神功皇后)に捧げる能。
それを見せていただいている立場なので細かい感想は控えるけれど、
終演後、帰り際に、近くにいた二十代くらいの男性二人が、
「なんか、よかったねー」「日本の夏を満喫したって感じ」
「渋谷でこういうが見られるなんて凄い!」「うん、よかった!」と、
とても満足した感想を述べ合っているのを聞いて、
なんだかこちらも心が温かくなった。
わたしもお能を観はじめた頃の、素直なときめきやワクワク感を大切にしたいなーと
思った夜だった。
能楽殿手前には尾花の叢。井筒の作り物に使われたススキとよく似ていた。 |
仕舞 《蝉丸・道行》 阪本昂平
《融》 長谷猪一郎
連吟 《松風・ロンギ》 藤田安彦、中市篤志
仕舞 《羽衣・キリ》 櫻間右陣
能 《井筒・物着》 シテ伊藤眞也 ワキ森常太郎
成田寛人 田邊恭資 柿原孝則
後見 櫻間右陣 藤田安彦
地謡 長谷猪一郎 桑原朗 志賀朝男 青木伸夫
阪本昂平 中市篤志 杉井久信 柿沼義孝
お天気も持ちそうだったので東京国立博物館の帰りに、薪能に寄ってみた。
鳩森神社は前から気になっていたけれどいつも素通りで、参拝するのは初めて。
例大祭だけあって神輿が出ていて威勢がいい。
今度は富士塚にも登ってみよう。
鳩森神社の能楽殿。ふつうの能舞台よりも舞台が高い(首が疲れる~)。 |
金春流の舞台を観たのは2回くらいで、この日のシテ方出演者も初めての人ばかり。
お名前だけは存じ上げていた櫻間右陣師。
もっとお年を召した方だと勝手に想像していたので、思ったよりも若い。
おいくつくらいだろう?
金春流の謡はなめらかで角がなく、丸みを帯びた大和の小高い山々を思わせる。
聴いていて心地良く、催眠効果が高い。
舞もふわっとした印象。
能の装束つけやススキをかき分ける所作などがちょっと……だったけれど、
そういう細かいことは気にしない大らかさ。
神さまも衒いのない大らかな献能を喜ばれたことだろう。
神賑能は神さま(本神社では応神天皇と神功皇后)に捧げる能。
それを見せていただいている立場なので細かい感想は控えるけれど、
終演後、帰り際に、近くにいた二十代くらいの男性二人が、
「なんか、よかったねー」「日本の夏を満喫したって感じ」
「渋谷でこういうが見られるなんて凄い!」「うん、よかった!」と、
とても満足した感想を述べ合っているのを聞いて、
なんだかこちらも心が温かくなった。
わたしもお能を観はじめた頃の、素直なときめきやワクワク感を大切にしたいなーと
思った夜だった。
トーハク女面の表情Part1~若い女面
東博の平常展「女面の表情」展の写真と覚書。
珍しい能面も多く、内容が充実していて、これだけの数が並ぶと違いが分かって
勉強になった。 まずは、若い女面から。
↑ 解説によると、
室町中期の面打・宝来が創作したとされる金剛流固有の若い女面で、
髪筋は3筋、交差せずにまっすぐ描かれ、《楊貴妃》などに用いられるとのこと。
舞台では一度も拝見したことがないので見てみたいけれど、
金剛流の舞台に根気よく通い続けないと、なかなか出合えないということですね。
↑ 班女の専用面。
情の深い一途な女性という印象で、《班女》の花子にぴったり。
↑ 上品で清楚な若女。
写真よりも実物のほうが若々しく可憐でした。
でも、やはり昔の美の基準は、鈴を張ったような丸い大きな目ではなく「引目鉤鼻」。
東博解説によると、「額の中央から少し太く2本、こめかみあたりに細く3本、
その下へ3本の髪筋を描く」とのこと。
ただし、髪筋による見分け方は至近距離では参考になるけれど、
舞台上での使用面を見分ける際の手掛かりにならなない。
↑ 室町末の金剛座太夫・孫次郎が亡き妻の面影をもとに創作した面が原型とされる。
孫次郎と増女の区別がいまひとつ分からなかったけれど、こうして並べてみると、
孫次郎のほうが血の通った艶めかしさがあるのに対し、
増女は近寄りがたい清麗さをもつ、まさにクールビューティ!
東博解説によると孫次郎は、
「額中央から2本、こめかみから3本または4本の髪筋がある」という。
↑ 万媚は孫次郎よりもさらに肉感的で、妖艶。
男好きのする丸いbutton noseに、口角の上がったぽってりした唇。
下ぶくれのぽっちゃり顔。 垂れさがった目尻。
面打ちって、ほんとうに女性の顔をよく研究していますね!
(たぶん同じ傾向を持つモデルが何人かいて、その特徴を合成してるのかも。)
解説によると「額の中央から3本の毛筋が、途中で交差し、3本ないしは4本になる。
安土桃山時代の面打、出目秀満と能をよくした下間少進(しもつましょうしん)が、
色気と妖気を必要とする《紅葉狩》の上臈役のために創作したといわれ、
《殺生石》の里女にも用いられている」とのこと。
↑ この増女さんは、ちょっと年齢が上に見える。
深井にも若々しい面があるので、増女と区別がつかない時がある。
解説によると「額の中央から左右へ2本、こめかみのところは細く3本、
こめかみから頬へ3本の髪筋が描かれる」そうです。
いや、それにしても、お能を見ない頃は、
能面ってのっぺりしたイメージだったのですが、
どれも切れ長とはいえ、くっきり二重の目なのですね。
↑ 近江女って、ヴァリエーションが多くて、つかみどころのない印象だったのですが、
この面と解説のおかげで少し立ち位置が分かったように思いました。
出目満茂の近江女は気品があり、どこか悲しみを秘めているようにも見えます。
しかし、解説によると、
「小面や若女は感情をうちに秘めるが、(近江女は)あえて感情の表現を強く出す。
頬はやや細く、目尻が下がり、下歯を覗かせる。他の若い女面とは異なり、
眼が丸くくりぬかれているのも特徴。恋を捨てきれない女の執念を表し、
《道成寺》などに用いられる」そうです。
近江女で思い出すのは、去年、鎌倉能舞台で《六浦》を拝見した時のこと。
シテの観世喜正さんが増女を持参した際に、
「紅葉しない紅葉の精」という比較的地味な役柄なので、増女よりも近江女のほうが
ふさわしいのでは?という声が囃子方(元伯師たち)からあがったと
中森貫太師が解説していらっしゃいました。
シテと囃子方とで曲の解釈が異なるのが面白かったのと、
そういうことを和気あいあいと言い合えるほど皆さん仲がいいのだなー、と。
こういう楽屋話を聞けるところが鎌倉能舞台の良いところ。
けっきょく舞台では、喜正さんが超美人の増女で優雅に舞って、
満席の見所を大いに満足させたのでした。
↑ 「額から頬にかけ平行に、かつ太くなりながら3本の髪筋を描いているのが特徴」(東博解説)。
《羽衣》の天人、《船弁慶》の静香御前などに用いられるとのこと。
剥落しているからだろうか、あまり小面らしくないように見える。
眼鼻立ちがあいまいなのが昔は美人だったのだなあ。
珍しい能面も多く、内容が充実していて、これだけの数が並ぶと違いが分かって
勉強になった。 まずは、若い女面から。
宝来女「井関大幸坊作」陰刻、室町・安土桃山16世紀、上杉家伝来 |
↑ 解説によると、
室町中期の面打・宝来が創作したとされる金剛流固有の若い女面で、
髪筋は3筋、交差せずにまっすぐ描かれ、《楊貴妃》などに用いられるとのこと。
舞台では一度も拝見したことがないので見てみたいけれど、
金剛流の舞台に根気よく通い続けないと、なかなか出合えないということですね。
班女「洞水打」朱書、江戸期17・18世紀 |
↑ 班女の専用面。
情の深い一途な女性という印象で、《班女》の花子にぴったり。
若女「出目満茂」焼印、江戸期18世紀 |
↑ 上品で清楚な若女。
写真よりも実物のほうが若々しく可憐でした。
でも、やはり昔の美の基準は、鈴を張ったような丸い大きな目ではなく「引目鉤鼻」。
東博解説によると、「額の中央から少し太く2本、こめかみあたりに細く3本、
その下へ3本の髪筋を描く」とのこと。
ただし、髪筋による見分け方は至近距離では参考になるけれど、
舞台上での使用面を見分ける際の手掛かりにならなない。
孫次郎「天下一是閑」焼印、江戸期17世紀 |
↑ 室町末の金剛座太夫・孫次郎が亡き妻の面影をもとに創作した面が原型とされる。
孫次郎と増女の区別がいまひとつ分からなかったけれど、こうして並べてみると、
孫次郎のほうが血の通った艶めかしさがあるのに対し、
増女は近寄りがたい清麗さをもつ、まさにクールビューティ!
東博解説によると孫次郎は、
「額中央から2本、こめかみから3本または4本の髪筋がある」という。
万媚、江戸期17・18世紀、上杉家伝来 |
↑ 万媚は孫次郎よりもさらに肉感的で、妖艶。
男好きのする丸いbutton noseに、口角の上がったぽってりした唇。
下ぶくれのぽっちゃり顔。 垂れさがった目尻。
面打ちって、ほんとうに女性の顔をよく研究していますね!
(たぶん同じ傾向を持つモデルが何人かいて、その特徴を合成してるのかも。)
解説によると「額の中央から3本の毛筋が、途中で交差し、3本ないしは4本になる。
安土桃山時代の面打、出目秀満と能をよくした下間少進(しもつましょうしん)が、
色気と妖気を必要とする《紅葉狩》の上臈役のために創作したといわれ、
《殺生石》の里女にも用いられている」とのこと。
増女「天下一近江」焼印、江戸期17・18世紀 |
深井にも若々しい面があるので、増女と区別がつかない時がある。
解説によると「額の中央から左右へ2本、こめかみのところは細く3本、
こめかみから頬へ3本の髪筋が描かれる」そうです。
いや、それにしても、お能を見ない頃は、
能面ってのっぺりしたイメージだったのですが、
どれも切れ長とはいえ、くっきり二重の目なのですね。
近江女「出目満茂」焼印、江戸期18世紀 |
↑ 近江女って、ヴァリエーションが多くて、つかみどころのない印象だったのですが、
この面と解説のおかげで少し立ち位置が分かったように思いました。
出目満茂の近江女は気品があり、どこか悲しみを秘めているようにも見えます。
しかし、解説によると、
「小面や若女は感情をうちに秘めるが、(近江女は)あえて感情の表現を強く出す。
頬はやや細く、目尻が下がり、下歯を覗かせる。他の若い女面とは異なり、
眼が丸くくりぬかれているのも特徴。恋を捨てきれない女の執念を表し、
《道成寺》などに用いられる」そうです。
近江女で思い出すのは、去年、鎌倉能舞台で《六浦》を拝見した時のこと。
シテの観世喜正さんが増女を持参した際に、
「紅葉しない紅葉の精」という比較的地味な役柄なので、増女よりも近江女のほうが
ふさわしいのでは?という声が囃子方(元伯師たち)からあがったと
中森貫太師が解説していらっしゃいました。
シテと囃子方とで曲の解釈が異なるのが面白かったのと、
そういうことを和気あいあいと言い合えるほど皆さん仲がいいのだなー、と。
こういう楽屋話を聞けるところが鎌倉能舞台の良いところ。
けっきょく舞台では、喜正さんが超美人の増女で優雅に舞って、
満席の見所を大いに満足させたのでした。
小面(重文)、室町期15・16世紀、金春家伝来 |
↑ 「額から頬にかけ平行に、かつ太くなりながら3本の髪筋を描いているのが特徴」(東博解説)。
《羽衣》の天人、《船弁慶》の静香御前などに用いられるとのこと。
剥落しているからだろうか、あまり小面らしくないように見える。
眼鼻立ちがあいまいなのが昔は美人だったのだなあ。
トーハク女面の表情Part2~泥眼・中年女性
トーハク女面の表情Part1~若い女面からのつづき。
↑ 女面の中でも特に好きなのが泥眼。
あのアルカイックな小面から女面がここまで進化したとは!
能面の中でこれほど深い感情をたたえた激動する表情があるだろうか。
愛する人に裏切られたことを知った瞬間の表情。
底なしの悲しみと絶望の淵に突き落とされ、落ちていくときの、
なかば助けを求めるような、それでも相手をまだ信じたいという心の叫びを
無言で発しているような表情をしている。
解説によると、「感情が高ぶり始め、怨霊(時として生霊)が支配しつつあることを示す。
口角をあげ愛らしさを失っている点に、鬼(般若、蛇)に変身する予兆を感じさせる」
そうです。
その名の通り、普通の曲見よりも若いヴァージョン。
頬がふっくらして、肌にハリがある。
解説によると、曲見は深井よりも年上で、《海士》《隅田川》《砧》に用いるとのこと。
上の若曲見と比べると、目力がなくなり、表情が乏しくなり、口元に締まりがなくなる。
面打はエイジングの特徴を冷徹なまでに正確に捉えてゆく。
歳を重ねるごとに自分にも身に覚えのある能面が増えていき、
だからこそより多くの舞台に、より深く感情移入できるようになるのかもしれない。
増女が少し老けたような端正で美しい深井。
憂いと諦念を感じさせる品のある大人の女性。
こういう面を使った《野宮》を見てみたい。
シテは是非、あの方で。
泥眼、安土桃山・江戸期16・17世紀 |
↑ 女面の中でも特に好きなのが泥眼。
あのアルカイックな小面から女面がここまで進化したとは!
能面の中でこれほど深い感情をたたえた激動する表情があるだろうか。
愛する人に裏切られたことを知った瞬間の表情。
底なしの悲しみと絶望の淵に突き落とされ、落ちていくときの、
なかば助けを求めるような、それでも相手をまだ信じたいという心の叫びを
無言で発しているような表情をしている。
解説によると、「感情が高ぶり始め、怨霊(時として生霊)が支配しつつあることを示す。
口角をあげ愛らしさを失っている点に、鬼(般若、蛇)に変身する予兆を感じさせる」
そうです。
若曲見(重文)、「平泉寺/財蓮/熊大夫作」陰刻、室町期15・16世紀、金春座伝来 |
その名の通り、普通の曲見よりも若いヴァージョン。
頬がふっくらして、肌にハリがある。
曲見、室町期15・16世紀 |
解説によると、曲見は深井よりも年上で、《海士》《隅田川》《砧》に用いるとのこと。
上の若曲見と比べると、目力がなくなり、表情が乏しくなり、口元に締まりがなくなる。
面打はエイジングの特徴を冷徹なまでに正確に捉えてゆく。
歳を重ねるごとに自分にも身に覚えのある能面が増えていき、
だからこそより多くの舞台に、より深く感情移入できるようになるのかもしれない。
深井、室町・安土桃山期16世紀 |
増女が少し老けたような端正で美しい深井。
憂いと諦念を感じさせる品のある大人の女性。
こういう面を使った《野宮》を見てみたい。
シテは是非、あの方で。
トーハク女面の表情Part3~老女・鬼女
トーハク女面の表情part1・part2のつづき
↑ 眼は丸や四角ではなく、全体をくりぬいているそうですが、それでも視界が狭そう。
(デジカメで撮ると、「目つぶりを検出しました」というメッセージが……。)
《高砂》《国栖》の嫗のほかにも《関寺小町》《姨捨》にも用いられるとのこと。
たしかに、顔立ちの整った品格のある老婦人。
歯並びも高齢にもかかわらずこれほどきれいなのは、
室町・安土桃山時代では奇跡ではないだろうか。
だからこそ神がかった役に用いられるのですね。
↑ 《卒塔婆小町》《関寺小町》《姨捨》などで用いられる老女。
解説によると、「姥のような皺はなく、白髪を混ぜるところが痩女とは異なる。
この面は少し意地が悪そうで、小町の品格は感じられない」とのこと。
顔立ちは整っているけれど、
顔つきに生き方や日頃の思考回路が投影された例。
生身の人間も歳を重ねるほど、人品が顔に出てしまう。
人を妬んだり性格がひねくれていたりすると、こういう顔つきになるのかもしれない。
やっぱりマイナスの感情はいけませんね。 能面を観ているとつくづく思います。
↑ この面はどことなく、氷見の河津の女性版のように見える。
なんとなく、品位に欠けるような……。
こうして見ていくと、高齢の女性や痩せこけた女性を
美しく上品に造形化するのは、至難の技だということがよく分かる。
だからたとえば、観世宗家が《求塚》で使用した気品ある痩女が
どれほど名品なのかというのも、こうした面と比べると実感できる。
↑ やはり、山姥は迫力がある。
解説によると、《頼政》でも使用されることがあるので、この面の眉の上に釘があるのは
頼政の鉢巻を留めるためのものだそう。
髪は白髪だけれど、肌に張りがあって若々しく年齢不詳。
人間に恵みを与えつつ脅威ともなる、山の魔力の象徴なのだろう。
↑ 解説によると
「額が白く、目よりしたが赤いのは橋姫に似るが、角、目、口は般若、蛇に近い」とのこと。
市井の女性の怨み・嫉妬の表象化。
下の般若と比べると品格の違いがよく分かり、《鉄輪》の専用面であることも納得。
↑ 《道成寺》や《葵上》で用いられる般若には、怨みよりも悲しみを強く感じさせる。
(上の「鉄輪の面」と比べると、眉の八の字の角度が、こちらのほうがより鋭角で、
富士の裾野のような弧を描いているのが分かる。
この明確な八の字眉こそ、般若の悲哀を伝えるポイント。)
造形もまことにエレガントで凛とした気品があり、ゆるみがない。
この面で、あの方の《葵上》を見てみたい!
↑ 般若との違いは、口がより大きく、口のまわりに鰭状の突起部分があり、
耳が大きくラッパのような形をして、肌を金泥で塗っているところだそう。
人間であることから乖離して、意思の疎通さえ不可能な存在に近づいてゆく。
能面のなかでいちばん恐ろしい女面。
姥(重文)、室町・安土桃山16世紀、金春家伝来 |
↑ 眼は丸や四角ではなく、全体をくりぬいているそうですが、それでも視界が狭そう。
(デジカメで撮ると、「目つぶりを検出しました」というメッセージが……。)
《高砂》《国栖》の嫗のほかにも《関寺小町》《姨捨》にも用いられるとのこと。
たしかに、顔立ちの整った品格のある老婦人。
歯並びも高齢にもかかわらずこれほどきれいなのは、
室町・安土桃山時代では奇跡ではないだろうか。
だからこそ神がかった役に用いられるのですね。
老女「洞水打」朱書、江戸期17・18世紀 |
↑ 《卒塔婆小町》《関寺小町》《姨捨》などで用いられる老女。
解説によると、「姥のような皺はなく、白髪を混ぜるところが痩女とは異なる。
この面は少し意地が悪そうで、小町の品格は感じられない」とのこと。
顔立ちは整っているけれど、
顔つきに生き方や日頃の思考回路が投影された例。
生身の人間も歳を重ねるほど、人品が顔に出てしまう。
人を妬んだり性格がひねくれていたりすると、こういう顔つきになるのかもしれない。
やっぱりマイナスの感情はいけませんね。 能面を観ているとつくづく思います。
痩女、室町期16世紀 |
↑ この面はどことなく、氷見の河津の女性版のように見える。
なんとなく、品位に欠けるような……。
こうして見ていくと、高齢の女性や痩せこけた女性を
美しく上品に造形化するのは、至難の技だということがよく分かる。
だからたとえば、観世宗家が《求塚》で使用した気品ある痩女が
どれほど名品なのかというのも、こうした面と比べると実感できる。
山姥、江戸期17・18世紀 |
↑ やはり、山姥は迫力がある。
解説によると、《頼政》でも使用されることがあるので、この面の眉の上に釘があるのは
頼政の鉢巻を留めるためのものだそう。
髪は白髪だけれど、肌に張りがあって若々しく年齢不詳。
人間に恵みを与えつつ脅威ともなる、山の魔力の象徴なのだろう。
鉄輪(重文)「林喜兵衛作」墨書、江戸期18・19世紀、金春家伝来 |
↑ 解説によると
「額が白く、目よりしたが赤いのは橋姫に似るが、角、目、口は般若、蛇に近い」とのこと。
市井の女性の怨み・嫉妬の表象化。
下の般若と比べると品格の違いがよく分かり、《鉄輪》の専用面であることも納得。
般若、江戸期17・18世紀、金春家伝来 |
↑ 《道成寺》や《葵上》で用いられる般若には、怨みよりも悲しみを強く感じさせる。
(上の「鉄輪の面」と比べると、眉の八の字の角度が、こちらのほうがより鋭角で、
富士の裾野のような弧を描いているのが分かる。
この明確な八の字眉こそ、般若の悲哀を伝えるポイント。)
造形もまことにエレガントで凛とした気品があり、ゆるみがない。
この面で、あの方の《葵上》を見てみたい!
蛇、江戸期17・18世紀 |
↑ 般若との違いは、口がより大きく、口のまわりに鰭状の突起部分があり、
耳が大きくラッパのような形をして、肌を金泥で塗っているところだそう。
人間であることから乖離して、意思の疎通さえ不可能な存在に近づいてゆく。
能面のなかでいちばん恐ろしい女面。
2015年9月14日月曜日
トーハク・根付・面装束・絵画など能楽関連美術
2015年9月13日(日) 東京国立博物館
会期終了間近の特別展「クレオパトラとエジプトの王妃」展を観たあと、平常展へ。
トーハクの平常展は一部を除いて写真撮影可能だからうれしい。
以下は能楽関係の作品を中心に、記録・メモ。
↑ こちらは高円宮コレクションの根付。
道成寺のシテが鏡の間で、祈りを込めて面をつけるところ。
装束の文様もじつに精緻で、シテの敬虔で真摯な思いが伝わってくる。
わずか数センチのミニチュアの小宇宙。
↑ こちらも高円宮コレクション。
根付の海外コレクターは多いけれど、外国人作家の根付は初めて見た。
エジプトのミイラの石棺やスカラベなどの副葬品を根付や印籠・緒締にするという
斬新な発想が面白い。
海外作家によって根付のアイデアの可能性が無限に広がりそう。
↑ こちらはトーハク収蔵の根付。
頼政(猪の早太?)に討たれる鵺。
四天王に踏みつけられる邪鬼のようにも見える。
↑ 眼に金銅板が嵌め込まれた顰。
《大江山》の酒呑童子や《土蜘蛛》などに用いられるとのこと。
造形がまことに美しく、
もしかすると「顰」は歌舞伎の隈取の原型ではないだろうか。
↑ 贅を凝らした美麗な能装束は保存も行きとどき(修復技術も素晴らしい!)、
トーハクの巧みなライティングと相まって、独特の異空間になっていた。
昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、
年を経てよばわたりけるを辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、
「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。
二条后(高子)を盗み出し、芥川のほとりを連れていく在原業平。
美しく儚い愛の逃避行、《雲林院》の世界。
夏衣薄き契はいまはしや、君が命は長き夜の
砧を打つ手をとめて、月を眺める美人を描いた肉筆浮世絵。
能の《砧》からは想像もできない頽廃的なイメージはいかにも幕末浮世絵らしい。
砧を打っていたこの時から、北の方の精神の崩壊は始まっていたのだろうか。
筒井筒、井筒にかけしまろがたけ、過ぎにけらしな妹見ざる間に
くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき
月岡雪鼎ってトーハクの平常展には陳列できない淫靡な作品も多いのだけれど、
この絵のように清潔感のある上品な肉筆画も少なくない。
瓜二つの幼い男女がやがて結ばれ、そして離れ、
死を経て、廃墟と化した在原寺で、
女の霊の思いの中で完全にひとつになり、昇華される。
画中の井筒の中に映し出されたのは、
分身のような二つの影が重なり合い、「女とも見えず、男なりける」となった
懐かしくも切ない二人の未来の姿かもしれない。
会期終了間近の特別展「クレオパトラとエジプトの王妃」展を観たあと、平常展へ。
トーハクの平常展は一部を除いて写真撮影可能だからうれしい。
以下は能楽関係の作品を中心に、記録・メモ。
『道成寺・鏡向にて』岸一舟、1991年 |
道成寺のシテが鏡の間で、祈りを込めて面をつけるところ。
装束の文様もじつに精緻で、シテの敬虔で真摯な思いが伝わってくる。
わずか数センチのミニチュアの小宇宙。
『印籠・エジプトの石棺、根付・壷、緒締・スカラベ』アーミン・ミュラー、1997年 |
↑ こちらも高円宮コレクション。
根付の海外コレクターは多いけれど、外国人作家の根付は初めて見た。
エジプトのミイラの石棺やスカラベなどの副葬品を根付や印籠・緒締にするという
斬新な発想が面白い。
海外作家によって根付のアイデアの可能性が無限に広がりそう。
『鵺退治牙彫根付』(線刻銘「正次」)江戸時代19世紀 |
↑ こちらはトーハク収蔵の根付。
頼政(猪の早太?)に討たれる鵺。
四天王に踏みつけられる邪鬼のようにも見える。
顰 江戸時代17~18世紀 |
↑ 眼に金銅板が嵌め込まれた顰。
《大江山》の酒呑童子や《土蜘蛛》などに用いられるとのこと。
造形がまことに美しく、
もしかすると「顰」は歌舞伎の隈取の原型ではないだろうか。
唐織・金紅萌黄段敷瓦菊薄模様、金春座伝来、江戸期18世紀 |
長絹・縹地桐模様、金春座伝来、江戸期18世紀 |
唐織・紅茶浅葱段青海波花束籬秋草模様、江戸期18世紀 |
↑ 贅を凝らした美麗な能装束は保存も行きとどき(修復技術も素晴らしい!)、
トーハクの巧みなライティングと相まって、独特の異空間になっていた。
『伊勢物語絵巻・巻第一』住吉如慶、紙本着色、江戸期18世紀 |
昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、
年を経てよばわたりけるを辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、
「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。
『伊勢物語』第六段
二条后(高子)を盗み出し、芥川のほとりを連れていく在原業平。
美しく儚い愛の逃避行、《雲林院》の世界。
『月下砧打美人図』森玉僊、絹本着色、江戸期19世紀 |
月にはとても寝られぬに、いざいざ衣うたうよ。
砧を打つ手をとめて、月を眺める美人を描いた肉筆浮世絵。
能の《砧》からは想像もできない頽廃的なイメージはいかにも幕末浮世絵らしい。
砧を打っていたこの時から、北の方の精神の崩壊は始まっていたのだろうか。
『筒井筒図』月岡雪鼎、絹本着色、江戸期18世紀 |
くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき
月岡雪鼎ってトーハクの平常展には陳列できない淫靡な作品も多いのだけれど、
この絵のように清潔感のある上品な肉筆画も少なくない。
瓜二つの幼い男女がやがて結ばれ、そして離れ、
死を経て、廃墟と化した在原寺で、
女の霊の思いの中で完全にひとつになり、昇華される。
画中の井筒の中に映し出されたのは、
分身のような二つの影が重なり合い、「女とも見えず、男なりける」となった
懐かしくも切ない二人の未来の姿かもしれない。
心の舞台
2015年9月12日(土) 豊嶋三千春師喜寿記念 セルリアンタワー能楽堂
能《小鍛冶》 シテ 社中の方
ワキ三条宗近 宝生閑 ワキツレ橘道成 野口能弘
ワキ後見 殿田謙吉
アイ 竹山悠樹 働 月崎晴夫
栗林祐輔 住駒匡彦 柿原弘和 大川典良
後見 豊嶋三千春 豊嶋晃嗣 重本昌也
地頭 豊嶋幸洋
一昨日、復帰直後の宝生閑師の御舞台を拝見。
彼の宗近は壮絶だった。
代役の可能性も高いと思っていたので、
揚幕から閑師の姿が現れた時には胸に熱くこみ上げてくるものがあり、
一秒たりとも目が離せなくなった。
閑師によく似合う、あの鶴模様の掛直垂をお召になっている。
ハコビはかつてのような独特の品格のある世にも美しいハコビではなく、
薄氷を踏むように一歩一歩、足元を確かめながら進んでいく。
やせ細った身体を運んでいるのは体力ではなく、気力のみ。
痛々しいし、なぜそこまで……と思うのだけれど、
彼を再び舞台へと導いた凄まじい気力が、
舞台上でも彼の身体を突き動かしているように見えた。
《小鍛冶》のワキは、シテの登場後、地謡前に下居するのだが、
このとき見所のわたしの席からちょうど閑師と対面する形となり、
あらためてこの日の閑師から発せられる鬼気迫る気を実感した。
片山九郎右衛門さんは閑師について
「生半可な力でぶつかっていくと跳ね返されてしまう」とおっしゃっていたけれど、
ほんとうにこちら(観客)が跳ね返されてしまいかねない。
否、それ以上の、対峙する者を射抜くほどの、鋭く、強力な気が発散されていた。
一畳台に上り下りするときは殿田さんに支えられながら。
ワキの謡と詞は全般的に弱かったけれど、
早笛の合図となる「謹上再拝」はしっかり、明瞭に。
そして、要となるシテと相槌を打つ場面は
以前の閑師に戻ったかのような美しく確かな所作で。
分野を問わず、一流のプロであれば
舞台(作品制作)に全身全霊で向かうのは当然のことなのだろう。
だからそれをわざわざ言葉で喧伝したりはしない。
彼らにとって舞台がすべて。
舞台人は言葉によってではなく、舞台(作品)によって語るものなのだ。
宝生閑師の舞台での姿こそが何よりも雄弁に語っていた。
彼の生きざまと、能楽師として生きるとはどういうことかを。
わたしはおそらく人生の節目節目に、
閑師のこの日の姿を思い出し、反芻するだろう。
能《小鍛冶》 シテ 社中の方
ワキ三条宗近 宝生閑 ワキツレ橘道成 野口能弘
ワキ後見 殿田謙吉
アイ 竹山悠樹 働 月崎晴夫
栗林祐輔 住駒匡彦 柿原弘和 大川典良
後見 豊嶋三千春 豊嶋晃嗣 重本昌也
地頭 豊嶋幸洋
一昨日、復帰直後の宝生閑師の御舞台を拝見。
彼の宗近は壮絶だった。
代役の可能性も高いと思っていたので、
揚幕から閑師の姿が現れた時には胸に熱くこみ上げてくるものがあり、
一秒たりとも目が離せなくなった。
閑師によく似合う、あの鶴模様の掛直垂をお召になっている。
ハコビはかつてのような独特の品格のある世にも美しいハコビではなく、
薄氷を踏むように一歩一歩、足元を確かめながら進んでいく。
やせ細った身体を運んでいるのは体力ではなく、気力のみ。
痛々しいし、なぜそこまで……と思うのだけれど、
彼を再び舞台へと導いた凄まじい気力が、
舞台上でも彼の身体を突き動かしているように見えた。
《小鍛冶》のワキは、シテの登場後、地謡前に下居するのだが、
このとき見所のわたしの席からちょうど閑師と対面する形となり、
あらためてこの日の閑師から発せられる鬼気迫る気を実感した。
片山九郎右衛門さんは閑師について
「生半可な力でぶつかっていくと跳ね返されてしまう」とおっしゃっていたけれど、
ほんとうにこちら(観客)が跳ね返されてしまいかねない。
否、それ以上の、対峙する者を射抜くほどの、鋭く、強力な気が発散されていた。
一畳台に上り下りするときは殿田さんに支えられながら。
ワキの謡と詞は全般的に弱かったけれど、
早笛の合図となる「謹上再拝」はしっかり、明瞭に。
そして、要となるシテと相槌を打つ場面は
以前の閑師に戻ったかのような美しく確かな所作で。
分野を問わず、一流のプロであれば
舞台(作品制作)に全身全霊で向かうのは当然のことなのだろう。
だからそれをわざわざ言葉で喧伝したりはしない。
彼らにとって舞台がすべて。
舞台人は言葉によってではなく、舞台(作品)によって語るものなのだ。
宝生閑師の舞台での姿こそが何よりも雄弁に語っていた。
彼の生きざまと、能楽師として生きるとはどういうことかを。
わたしはおそらく人生の節目節目に、
閑師のこの日の姿を思い出し、反芻するだろう。
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