能《鞍馬天狗・天狗揃》は、これぞ能楽界の佐々木道誉、ザ・マンジロウといった感じの
豪奢で豪快、きらびやかな舞台だった。
まずは前シテの山伏が登場。
この山伏姿がめちゃくちゃ素のままというか、扮装ではなく、
普段着の満次郎さんといった感じで違和感ゼロ。
どちらかというと、鞍馬山に住んでいた中世の本物の山伏が
いきなりタイムスリップして舞台上に現れたような印象だ。
コワモテの外見とはうらはらに、遠くから花を眺めようと、後見座にクツログ奥ゆかしさ。
やがて鞍馬寺の能力の誘いに応じて、牛若を含む8人の花見稚児を先頭に、ワキの東谷の僧(森)と従僧が登場。
脇座から地謡座、そして大小前を越え、太鼓の前近くまで
子方とワキ・ワキツレたちが居並び、能力が小舞を舞い、
にぎやかな花見の宴となるのだけれど、
そこへいつしか(目付柱の辺りに)怪しげな山伏の姿が……。
山伏の存在に気づいた一同は、変な人がいるから今日はもう帰ろうと、
稚児たちを連れて帰っていく(普通に考えると、まともな対応だと思う)。
寂しげな山伏に、一人残った牛若が「一緒に花見をしよう」と声を掛け、
感激した山伏は牛若に恋心を抱く……。
と、この辺りは現代の感覚では、
山伏はいたいけな美少年を狙うれっきとした不審者で超危険人物、
ということになるのだけれど、稚児愛が流行した中世では、
なんら疾しい感情ではなかったのだろう。
時代が変われば、道徳観も変わるものです。
かくして、山伏と牛若の間に心の交流が生まれ、
山伏は、自分はこの山に長年住んでいる大天狗だと正体を明かし、
兵法の奥義を伝授すると約束して、雲を踏んで飛び去っていく。
ここからが、お待ちかねの来序。
元伯さんの高い掛け声が能楽堂に響き渡る(この日、2度目の来序)。
中入をはさんで、一声の囃子で牛若が鉢巻に白大口、長刀といった凛々しい姿で登場。
そして、重厚な「大ベシ」の囃子で大天狗と天狗たちの登場。
この「大ベシ」の囃子が、悶絶しそうなくらいカッコ良かった!!
元伯さんと広忠さんの太大コンビが炸裂し、能舞台に熱気が立ち込める。
(源次郎師は打音はとても美しくクリアなのだけど、最近、掛け声が大人しいのが物足りない。
しっとりした曲の時は最高で、この方にしか出せない音色と情趣が生きてくる。
でも、こういう曲では、舞台にぶつける「気」が足りないように感じる。)
大天狗に続いて、8人の天狗たちが橋掛りに勢ぞろい。
「筑紫には彦山の豊前坊」、「四州には白峰の相模坊」、「大山の伯耆坊」と、一人ずつ名乗っていく。
自分を師と仰ぐ健気な牛若に感動した大天狗は、
兵法の秘事を授かるために師である黄石公による屈辱に耐え、
沓を拾って黄石公に履かせた張良の故事を牛若に語って聞かせる。
(なにしろ舞台上の人数が多いので、後見(宝生和英、辰巳和麿)は大忙し。
8人の天狗たちが羽団扇から榊に持ち替える時も一人ずつに配っている余裕がないので、
最初の天狗に榊を渡してあとはセルフサービス状態だった。
「これだけの舞台を若い2人だけで後見?」って最初は思ったけれど、
若くて小柄なほうが身軽で小回りが利きいて、
舞台上の大人数の間をシュルシュル~と縫うように移動できるため、
この作戦は功を奏していた。)
さらに大天狗は、舞働の囃子に乗って舞台をまわり、
源平合戦における牛若の庇護を約束して、鞍馬山の梢に飛び翔って消えていく。
最後は満次郎さんの地響きのような留拍子で、この絢爛たる舞台は幕を降りたのだった。
面白かったけれど、そうたびたび見たいものではないので、30年に1回くらいがちょうどいいかな。
次は老後に、和麿さんの舞台で天狗揃を拝見できたら感無量かもしれない。
"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2014年11月7日金曜日
満次郎の会「盛衰無常」夜の部・前半の感想
まずは、満次郎さんのご挨拶。
「ご挨拶」といっても、仕舞から狂言語、一調、能に至るまで、
一つ一つのあらすじや醍醐味などを面白く丁寧に解説してくださるので、
この時点で開演から30分以上が経過。
最終的に、夜の部は予定りより40分以上も超過して終演となったため、
遠方からいらした方の中には演能の途中で帰る人もちらほらいらっしゃたほど。
もしかすると、「友枝会」後半のかけもち組の中に到着の遅れた能楽師さん
(粟谷さんとか元伯さんとか)がいらっしゃって、満次郎さんが時間稼ぎされていたのかなー。
この日演じられる《鞍馬天狗》の「天狗揃」の小書は宝生流にしかないもので、
30年ぶりに上演されるとのこと。
総勢40人が舞台に上がる絢爛豪華なお能なのです。
そんなこんなで、満次郎さんの楽しくて長ーい「ご挨拶」のあと、ようやく仕舞のはじまり。
《祇王》は観世流にしかない曲で、以前に宝生流で能は拝見したことがあるけれど、
仕舞ははじめて。
女の栄枯盛衰の物語には、平安末期の白拍子にかぎらず、
女として生まれた者ならば多少なりとも経験する普遍的な感情が盛り込まれている。
祇王に代わって清盛の寵を得た仏御前も、やがて世の無常をはかなんで、
祇王たちの後を追うように落飾する……。
二人の女流能楽師が相舞による優雅な序ノ舞。
和久さん、満次郎さん、山内崇生さん、川瀬隆士さんの地謡も哀調を帯びて、
妍と芸を競う白拍子たちの哀しくも虚しい世界へと、観客を引き込んでいく。
善竹十郎さんの《那須語》。
大蔵流では、《那須之語》ではなく《那須語》というらしく、
型も扇の扱い・所作など、和泉流とはだいぶちがっていた。
「与一、鏑を取ってつがひ、よっぴいてひょうど放つ」の、矢を射るしぐさに
武士の美学が集約されていて、ベルニーニの彫刻を彷彿とさせる。
射ぬかれた扇がはらはらと落ちる場面の描写も見事。
広忠さんと粟谷明夫さんと一調《八島》。
馬上一騎打ちといった迫力!
大鼓の、片膝を立てて打つ仕草もすっごく男っぽい。
(近くの席の女性が「カ、カッコイイッ!!」と叫んでいた。
……叫ぶのは恥ずかしいと思うけれど、気持は分からないでもない)。
でも、大鼓って、囃子の打楽器の中では、打音に一番変化を付けにくいお道具だと思う。
以前、忠雄さんの一調を拝聴して、大鼓でこれだけ繊細で豊かな音色が出せるのだと
感動したことがあるけれど、
広忠さんはまだどうしても(気迫は満点だけれど)一本調子になってしまう気がする。
前半の部の最後は、武田孝史師と和英宗家による仕舞。
能の《二人静》は、宝生流では廃曲になってしまったそうで、
仕舞や舞囃子の形でしか演じられないとのこと。
いかにも武家の能といった雰囲気の端正で品格ある芸風をもつ武田孝史師は、
私にとって「ミスター宝生」ともいえる存在だ。
この日の武田師の《二人静》は、しっとりと淑やかで、じつに優美。
指の先の先まで手弱女のようなやわらかさ。
ますますファンになってしまった。
この方の鬘物をぜひ拝見したい。
宗家の仕舞《船弁慶》もキレがあって、いつまでも見ていたい気がした。
ただ、最後の扇を取り上げて立ち上がる時、もう少し間をもたせて、
ここにも序破急をつけたほうが、余韻を漂わせることができるのではと少し残念に思った。(たぶん、この方の本来の身体のリズムが少し速いのだろう。油断すると、自分の生まれ持った俊敏さや気の短いところが出てしまうようだ。)
20分の休憩をはさんで、いよいよ《鞍馬天狗・天狗揃》。
休憩の間もロビーには、公募で入選した大癋見の面が展示されていた。
休憩終了後にいそいで回収されて、天狗たちがそれぞれ掛けるのだそう。
(後半に続く)
「ご挨拶」といっても、仕舞から狂言語、一調、能に至るまで、
一つ一つのあらすじや醍醐味などを面白く丁寧に解説してくださるので、
この時点で開演から30分以上が経過。
最終的に、夜の部は予定りより40分以上も超過して終演となったため、
遠方からいらした方の中には演能の途中で帰る人もちらほらいらっしゃたほど。
もしかすると、「友枝会」後半のかけもち組の中に到着の遅れた能楽師さん
(粟谷さんとか元伯さんとか)がいらっしゃって、満次郎さんが時間稼ぎされていたのかなー。
この日演じられる《鞍馬天狗》の「天狗揃」の小書は宝生流にしかないもので、
30年ぶりに上演されるとのこと。
総勢40人が舞台に上がる絢爛豪華なお能なのです。
そんなこんなで、満次郎さんの楽しくて長ーい「ご挨拶」のあと、ようやく仕舞のはじまり。
《祇王》は観世流にしかない曲で、以前に宝生流で能は拝見したことがあるけれど、
仕舞ははじめて。
女の栄枯盛衰の物語には、平安末期の白拍子にかぎらず、
女として生まれた者ならば多少なりとも経験する普遍的な感情が盛り込まれている。
祇王に代わって清盛の寵を得た仏御前も、やがて世の無常をはかなんで、
祇王たちの後を追うように落飾する……。
二人の女流能楽師が相舞による優雅な序ノ舞。
和久さん、満次郎さん、山内崇生さん、川瀬隆士さんの地謡も哀調を帯びて、
妍と芸を競う白拍子たちの哀しくも虚しい世界へと、観客を引き込んでいく。
善竹十郎さんの《那須語》。
大蔵流では、《那須之語》ではなく《那須語》というらしく、
型も扇の扱い・所作など、和泉流とはだいぶちがっていた。
「与一、鏑を取ってつがひ、よっぴいてひょうど放つ」の、矢を射るしぐさに
武士の美学が集約されていて、ベルニーニの彫刻を彷彿とさせる。
射ぬかれた扇がはらはらと落ちる場面の描写も見事。
広忠さんと粟谷明夫さんと一調《八島》。
馬上一騎打ちといった迫力!
大鼓の、片膝を立てて打つ仕草もすっごく男っぽい。
(近くの席の女性が「カ、カッコイイッ!!」と叫んでいた。
……叫ぶのは恥ずかしいと思うけれど、気持は分からないでもない)。
でも、大鼓って、囃子の打楽器の中では、打音に一番変化を付けにくいお道具だと思う。
以前、忠雄さんの一調を拝聴して、大鼓でこれだけ繊細で豊かな音色が出せるのだと
感動したことがあるけれど、
広忠さんはまだどうしても(気迫は満点だけれど)一本調子になってしまう気がする。
前半の部の最後は、武田孝史師と和英宗家による仕舞。
能の《二人静》は、宝生流では廃曲になってしまったそうで、
仕舞や舞囃子の形でしか演じられないとのこと。
いかにも武家の能といった雰囲気の端正で品格ある芸風をもつ武田孝史師は、
私にとって「ミスター宝生」ともいえる存在だ。
この日の武田師の《二人静》は、しっとりと淑やかで、じつに優美。
指の先の先まで手弱女のようなやわらかさ。
ますますファンになってしまった。
この方の鬘物をぜひ拝見したい。
宗家の仕舞《船弁慶》もキレがあって、いつまでも見ていたい気がした。
ただ、最後の扇を取り上げて立ち上がる時、もう少し間をもたせて、
ここにも序破急をつけたほうが、余韻を漂わせることができるのではと少し残念に思った。(たぶん、この方の本来の身体のリズムが少し速いのだろう。油断すると、自分の生まれ持った俊敏さや気の短いところが出てしまうようだ。)
20分の休憩をはさんで、いよいよ《鞍馬天狗・天狗揃》。
休憩の間もロビーには、公募で入選した大癋見の面が展示されていた。
休憩終了後にいそいで回収されて、天狗たちがそれぞれ掛けるのだそう。
(後半に続く)
2014年11月3日月曜日
満次郎の会「盛衰無常」夜の部
ロビーのディスプレイ「大癋見と花」 |
ご挨拶 辰巳満次郎
仕舞 《祇王》 石黒実都 柏山聡子
地謡 和久荘太郎 辰巳満次郎
山内崇生 川瀬隆士
山内崇生 川瀬隆士
狂言語 《那須之語》 善竹十郎
一調 《八島》 粟谷明生 大鼓 亀井広忠仕舞 《二人静》 武田孝史
《船弁慶》 宝生和英
地謡 澤田宏司 小倉敏克
山内崇生 亀井雄二
能 《鞍馬天狗
天狗揃》 大天狗 辰巳満次郎
牛若 片桐賢 東谷僧 森常好
天狗 佐野登 山内崇生 小倉健太郎 水上優
小倉伸二郎 澤田宏司 東川尚史 辰巳大二郎
天狗 佐野登 山内崇生 小倉健太郎 水上優
小倉伸二郎 澤田宏司 東川尚史 辰巳大二郎
能力 善竹十郎
木葉天狗 大蔵教義 善竹大二郎 野島伸仁囃子方 一噌隆之 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯
花見稚児 大倉伶士郎 一噌隆晴 鵜澤龍之介
片桐遵 水上嘉 水上達 和久凛太郎
地謡 近藤乾之助 小倉敏克 武田孝史 和久荘太郎
木谷哲也 金森隆晋 亀井雄二 内藤飛能
入選作の中ではこの大癋見が古色を帯びて特に素晴らしかった。 |
能楽堂の入り口でお見かけしたのはスーツ姿の鵜沢洋太郎さん。
ご子息が花見稚児で御出演されるので、見にいらしたのですね。
日曜参観のパパ、といった風情。
(能楽師の私服姿を見ていつも思うのは、紋付袴って意外と着太りするということ。
スーツ姿の洋太郎さんは、舞台上よりもすっきりして素敵でした。)
ロビー内は予想通り華やか。
公募で選ばれた大癋見の面と熊野寿哉氏によるフラワーアートのディスプレイ。
そして、辰巳家所蔵の「十六」「小面」「中将」の展示。
京はやしや特性のお茶とお菓子がいただける満茶屋もにぎわっていました。
お能の感想は別記事にて。
追記: 「満次郎の会」で入選された新進能面作家さんの師匠である岸本雅之さんが
この日ご来場されていて、「第8回十八界展・能面」展の案内をいただきました。
とても気さくな面打ちの先生で、こちらの質問にもいろいろ答えてくださいました。
能面展は、銀座の清月堂画廊で11月4~9日まで開催とのことです。
中庭のディスプレイ |
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