2017年10月28日(土)13時~15時50分 国立能楽堂
天王寺舞楽からのつづき
能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
後見 武富康之 大槻裕一
地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康
大槻文蔵師に対しては、観能の原体験ともいうべき、トラウマがあります。
大学時代、大槻能楽堂で文蔵師の鬘物を見て爆睡したことがあり、それを機に「能なんか症」に罹患。近年になるまで能の魅力に気づかずにいました。
(もちろん、爆睡したのはわたしが未熟だったせいなのです。)
ただ、相性の問題もあるのでしょうか、まちがいなく当代第一人者のおひとりだと思いますし、人間的にも尊敬できる方のようにお見受けするのですが、正直、ちょっと敬遠気味でした。
前置きが長くなりましたが、《弱法師》、良い舞台でした!
【一声の囃子→シテの登場】
とりわけ心を打たれたのが、一声の囃子。
源次郎師の小鼓は音色が美しいだけでなく、
俊徳丸の身に降りかかった不運、絶望、視力さえ失うほどの悲惨な境遇を切々と物語り、謡いあげる。
シテが出る前から、俊徳丸の気配が漂ってくる。
柿原崇志師の大鼓も冴えわたり、老いてますます盛ん、脂がエネルギッシュに乗り切っている。
後見には孝則さん。
若竹のように伸び盛りの孫に、芸の真髄を身をもって教えることができる現役バリバリの崇志師は、とても幸せな囃子方さんだ。
味わい深い囃子によって、与太者・あぶれ者がたむろする四天王寺界隈の猥雑さ━━弱法師の世界が醸成されたところへ、シテが登場する。
幕離れも美事。
弱法師の面も素晴らしい。
悲哀と諦観が入り混じる複雑な能面の表情が、さまざまな物語性を宿していて、こちらの想像力を掻き立てる。
この弱法師の面にもっともふさわしく、もっとも自然な、胴体と手足、姿勢と所作・挙動を、シテはほとんど理想的な形で表現している。
運命に苛まれた、細くやつれ、うちひしがれた身体。
そして、その内側に潜む若くみずみずしい生気と色気、名家育ちの気品。
《弱法師》の俊徳丸に必要なすべてがシテの姿と挙措に集約されている。
【終曲へ】
俊徳丸が石の鳥居から境内に入るところは、自分を保護する聖域に漂着したような安堵感が感じられ、梅の香を聞くところは、艶めく春の香りがふんわりと漂うよう。
地面に倒れ伏すところは、俊徳丸を押しのけて突き飛ばし、無神経にぶつかってくる群衆を、3D映像のようにリアリティ豊かに感じさせる。
シテは非の打ち所がないように見える。
それをどこか遠巻きに、左脳的に眺めている自分。
【元雅の意図】
《弱法師》を初めて見た時は、「満目青山は心にあり」の箇所がこの曲の眼目だと思い込んでいたけれど、実はそのあとの、群衆に突き飛ばされ嗤われて、「今よりは狂はじ」と心に誓う、その箇所こそが核心部分なのではないかと、この日の舞台を観て気づかされた。
元雅が描きたかったのは、「幸せは心の中にある」という、いかにも悟ったような綺麗事のではないのかもしれない。
俊徳丸が、「今よりは狂はじ」と固く心に決め、感情の発露を胸の内に封じ込めるところ、人の嘲笑を超然とはねつけられず、悟りきれない人間の心情を描いたところに、この曲の醍醐味があると思う。
高安通俊はみずから追放した息子を、夜陰に紛れて連れ帰る。
家に帰った後も、土地の名士である通俊は世間体を気にして、息子を奥座敷に隠し住まわせるような予感がする。
俊徳丸も過剰な期待は抱かず、なかば幽閉状態になることを覚悟で、「今よりは狂はじ」と感情を押し殺し、運命に身を任せて生きていくのだろうか。
孤独でいたいけな少年の姿のまま橋掛りを去っていくシテの後姿が、かつて観た《菊慈童・酈縣山》の前場で深山の流刑地に赴く慈童の姿と少しだけ重なって見えた。
"It could be said that the image of Yugen―― a subtle and profound beauty――is like a swan holding a flower in its bill." Zeami (Kanze Motokiyo)
2017年10月30日月曜日
2017年10月29日日曜日
天王寺舞楽~国立能楽堂企画公演〈四天王寺〉
2017年10月28日(土)13時~15時50分 国立能楽堂
解説からのつづき
天王寺舞楽:天王寺楽所雅亮会(以和貴会)
解説 小野真龍
《採桑老》 一人舞 懸人(1人)
《甘州》 四人舞
《鮮莫者》 一人舞
京不見御笛当役(1人)
打物:鞨鼓1、太鼓1、鉦鼓1
管方:鳳笙3、篳篥3、龍笛3
装束方3
能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
後見 武富康之 大槻裕一
地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康
さて、いよいよ天王寺舞楽公演です。
明治以降、京都・奈良・天王寺の楽人たちが東京に召され、四天王寺の舞楽法要も一時中断しますが、その後、雅亮会が結成され、舞楽法要が再興されます。
それにしても、先日拝見した宮内庁楽部は国家公務員として安定した収入があるのに対し、四天王寺の雅亮会の方々はどうされているのだろう(兼業かな?)。雅楽発祥の地で古式の舞を継承していくことのご苦労がしのばれます。
《採桑老》
左方(唐楽)・盤渉調の一人舞
不老長寿の妙薬を探す老人を表現した舞。この舞を舞うと死ぬという不吉な言い伝えもあるとされるが、平安期には長寿をことほぐ舞だったという。
装束は別装束(冬直衣)で、白地の袍に、浅葱色の指貫。
白地金襴の牟子(頭巾)に笹をつけている。
鳩の作り物のついた鳩杖を持っているのも特徴的。
面は、能の翁面の造形に影響を与えたとされる老人面だが、老人といっても、鼻筋の通った整った顔立ちの美形の老人で、実在の人間をモデルにしたようなリアルさがある。
舞人は老人らしく、鳥兜をかぶった懸人に伴われ、懸人の肩に手をのせたまま、揚幕から橋掛りを通って登場(→退場の時も懸人が付き添う。高齢者介護を舞に取り入れたところが凄い!)。
足を開いて、低く腰を落とす「落居」などの舞楽独特の舞の手が入る。
膝を直角に曲げて腰を落とすスクワットのような手が多用され、大変なエクササイズだ。
四天王寺の楽人が、老人らしさを演出するために振り付けたとされる「洟をかむ」手もあるらしい。
盤渉調の音楽に癒される……。
美しい老人の舞だった。
《甘州》
左方・平調の四人舞。
唐の玄宗皇帝の御遊の際、官女の装束が風になびくさまが、仙女が舞うように見えたため、その様子を舞楽化したものとされる。
装束は襲装束だが、袍の両肩を脱ぐ「前掛(まえだれ)・裾(きょ)」に着装する。
頭には鳥兜ではなく、冠に緌(おいかけ)を着けていて、いかにも平安貴族らしい出立。
曲の構成は、
①破の「延甘州」、②急の「早甘州」の二段に分けて舞われる。
「種子播手(たねをまくて)」などの型があるそうだが、どの動きがそれに相当するのかはわからなかった。
足をあげて踵をつき、上体を前後させる手など、勇壮かつ優雅な舞。
《鮮莫者》
左方・盤渉調、一人の舞人が激しく動き回る走舞。
曲の由来にはおもに二つの説があるが、
聖徳太子が建立した四天王寺では、太子が河内国の亀瀬を渡りながら尺八(古代雅楽に用いられた縦笛のこと)を吹いていたところ、その音色に感動した信貴山の山神が猿の姿で現れ、舞を舞ったという故事にちなんで上演される。
それゆえ、京不見御笛当役と呼ばれる龍笛の音頭(リーダー)が、聖徳太子の扮装をして舞台脇で演奏する。
「京不見御笛(きょうみずのおふえ)」とは、聖徳太子ゆかりの名笛を指し、かつては実際に演奏に用いられたそうだが、現在は自前の笛を吹くという。
聖徳太子に扮した京不見御笛当役の出立は、左方の襲装束に、纓(えい)がプロペラのように大きく左右に張り出した唐冠を被り、腰には太刀を佩いたもの。
この日は、笛座に立って演奏していた。
曲の構成は、
①古楽乱声(こがくらんじょう):舞人が登場し、出手(でるて)を舞う。
②蘇莫者音取
③当曲序
④当曲破
猿のような山神の化身たる舞人の扮装は、毛皮を模したような毛縁裲襠をつけ、その上から蓑を着る。袍は紅地の紗で、袖先を露紐で括る。袴も足首のところで括っている。
手に持つ桴は、ずんぐりしたゼンマイのような独特の形状。
赤い舌を出した金色の面には、長い髪がついている。
舞人の動きも猿を模したように、ぴょこぴょうこ動いたり、小走りになったり、首を片方に傾けてから勢いよく反対側に向けたりするなど、敏捷な動物を思わせる。
笛を吹く貴公子の聖徳太子と、猿に扮した山神の共演。
雅楽の調べとあいまって、古代ロマンを感じさせる幻想的な舞台だった。
能《弱法師》へつづく
解説からのつづき
天王寺舞楽:天王寺楽所雅亮会(以和貴会)
解説 小野真龍
《採桑老》 一人舞 懸人(1人)
《甘州》 四人舞
《鮮莫者》 一人舞
京不見御笛当役(1人)
打物:鞨鼓1、太鼓1、鉦鼓1
管方:鳳笙3、篳篥3、龍笛3
装束方3
能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
後見 武富康之 大槻裕一
地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康
さて、いよいよ天王寺舞楽公演です。
明治以降、京都・奈良・天王寺の楽人たちが東京に召され、四天王寺の舞楽法要も一時中断しますが、その後、雅亮会が結成され、舞楽法要が再興されます。
それにしても、先日拝見した宮内庁楽部は国家公務員として安定した収入があるのに対し、四天王寺の雅亮会の方々はどうされているのだろう(兼業かな?)。雅楽発祥の地で古式の舞を継承していくことのご苦労がしのばれます。
《採桑老》
左方(唐楽)・盤渉調の一人舞
不老長寿の妙薬を探す老人を表現した舞。この舞を舞うと死ぬという不吉な言い伝えもあるとされるが、平安期には長寿をことほぐ舞だったという。
装束は別装束(冬直衣)で、白地の袍に、浅葱色の指貫。
白地金襴の牟子(頭巾)に笹をつけている。
鳩の作り物のついた鳩杖を持っているのも特徴的。
面は、能の翁面の造形に影響を与えたとされる老人面だが、老人といっても、鼻筋の通った整った顔立ちの美形の老人で、実在の人間をモデルにしたようなリアルさがある。
舞人は老人らしく、鳥兜をかぶった懸人に伴われ、懸人の肩に手をのせたまま、揚幕から橋掛りを通って登場(→退場の時も懸人が付き添う。高齢者介護を舞に取り入れたところが凄い!)。
足を開いて、低く腰を落とす「落居」などの舞楽独特の舞の手が入る。
膝を直角に曲げて腰を落とすスクワットのような手が多用され、大変なエクササイズだ。
四天王寺の楽人が、老人らしさを演出するために振り付けたとされる「洟をかむ」手もあるらしい。
盤渉調の音楽に癒される……。
美しい老人の舞だった。
《甘州》
左方・平調の四人舞。
唐の玄宗皇帝の御遊の際、官女の装束が風になびくさまが、仙女が舞うように見えたため、その様子を舞楽化したものとされる。
装束は襲装束だが、袍の両肩を脱ぐ「前掛(まえだれ)・裾(きょ)」に着装する。
頭には鳥兜ではなく、冠に緌(おいかけ)を着けていて、いかにも平安貴族らしい出立。
曲の構成は、
①破の「延甘州」、②急の「早甘州」の二段に分けて舞われる。
「種子播手(たねをまくて)」などの型があるそうだが、どの動きがそれに相当するのかはわからなかった。
足をあげて踵をつき、上体を前後させる手など、勇壮かつ優雅な舞。
《鮮莫者》
左方・盤渉調、一人の舞人が激しく動き回る走舞。
曲の由来にはおもに二つの説があるが、
聖徳太子が建立した四天王寺では、太子が河内国の亀瀬を渡りながら尺八(古代雅楽に用いられた縦笛のこと)を吹いていたところ、その音色に感動した信貴山の山神が猿の姿で現れ、舞を舞ったという故事にちなんで上演される。
それゆえ、京不見御笛当役と呼ばれる龍笛の音頭(リーダー)が、聖徳太子の扮装をして舞台脇で演奏する。
「京不見御笛(きょうみずのおふえ)」とは、聖徳太子ゆかりの名笛を指し、かつては実際に演奏に用いられたそうだが、現在は自前の笛を吹くという。
聖徳太子に扮した京不見御笛当役の出立は、左方の襲装束に、纓(えい)がプロペラのように大きく左右に張り出した唐冠を被り、腰には太刀を佩いたもの。
この日は、笛座に立って演奏していた。
曲の構成は、
①古楽乱声(こがくらんじょう):舞人が登場し、出手(でるて)を舞う。
②蘇莫者音取
③当曲序
④当曲破
猿のような山神の化身たる舞人の扮装は、毛皮を模したような毛縁裲襠をつけ、その上から蓑を着る。袍は紅地の紗で、袖先を露紐で括る。袴も足首のところで括っている。
手に持つ桴は、ずんぐりしたゼンマイのような独特の形状。
赤い舌を出した金色の面には、長い髪がついている。
舞人の動きも猿を模したように、ぴょこぴょうこ動いたり、小走りになったり、首を片方に傾けてから勢いよく反対側に向けたりするなど、敏捷な動物を思わせる。
笛を吹く貴公子の聖徳太子と、猿に扮した山神の共演。
雅楽の調べとあいまって、古代ロマンを感じさせる幻想的な舞台だった。
能《弱法師》へつづく
2017年10月28日土曜日
国立能楽堂企画公演・寺社と能〈四天王寺〉天王寺舞楽・弱法師
2017年10月28日(土)13時~15時50分 またもや雨 国立能楽堂
天王寺舞楽:天王寺楽所雅亮会(以和貴会)
解説 小野真龍
《採桑老》 一人舞 懸人(1人)
《甘州》 四人舞
《鮮莫者》 一人舞
京不見御笛当役
打物:鞨鼓1、太鼓1、鉦鼓1
管方:鳳笙3、篳篥3、龍笛3
装束方3
能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
後見 武富康之 大槻裕一
地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康
国立能楽堂で、雅楽の公演が催されるのは初めてとのこと。
今まで開催されなかった理由は、やっぱり、沓でしょうか……。
能舞台は足袋が基本だし、先日の神楽公演のときも演者は足袋を履いていたし。
観ていて抵抗がなかったといえば……うーん、どうかな。
《張良》でさえ沓は履かずに、投げて、拾いに行くだけですから。
(と、思ったら、調べてみると流儀によっては《張良》で沓を履いて歩く演出もあるのですね。ちょっとびっくりだけど、なるほどー。)
それはともかく、天王寺舞楽自体は素晴らしかったです!
(なんと!)小野妹子の末裔という小野真龍氏の解説では、天王寺舞楽と能との親近性が挙げられていて興味深い。
少し補足して、能と天王寺舞楽(or雅楽全般)との類似性をまとめてみると;
(1)能も雅楽も、秦河勝(もしくはその子息)を始祖とする点
『風姿花伝』には、天下に災いがあった時、聖徳太子が六十六番のものまね(神楽)を秦河勝に演じさせたのが、申楽の初めであることが書かれている。
いっぽう雅楽も、聖徳太子が外来音楽で仏教を称揚するべく、秦河勝の息子や縁者たちに、隋などから伝来した音楽を学ばせたことが始まりとされる。この河勝の子息たちが、四天王寺の四楽家(東儀・林・薗・岡)の祖となった。
(2)散楽(物まね芸)的要素が入っている点
大和申楽には、ものまね芸的な要素が入っているが、天王寺舞楽も、宮内庁の雅楽に比べると、リアルな写実的所作が多く含まれる。
(わたしが先日、宮内庁雅楽演奏会で観た《胡徳楽》にも、ヨタヨタと背中を丸め、腰をかがめて歩く所作など、観客の笑いを誘うようなリアルで物真似的な表現があり、まるで狂言の元祖みたいだと思ったのですが、宮内庁の雅楽にもそうした散楽的要素が残っているようです。)
また、世阿弥は京への進出にあたり、雅楽から序破急の概念を取り入れて、たんなる物真似芸を洗練させたとのこと(能の囃子の「盤渉」や「黄鐘」の概念も、雅楽から採用したものですね)。
(3)神仏習合
近世まで日本の宗教は神仏習合(混淆)が一般的だったが、明治以降、雅楽は天皇を荘厳するためのものとなり、仏教色が排除された。
しかし、天王寺舞楽では、聖徳太子の命日の法要である聖霊会に仏舎利をのせた神輿が出るなど、神仏混淆的要素がいまも残っている。
能楽でも、謡曲の中で神仏が習合されている。
雅楽も能楽も、その由来を聖徳太子と秦河勝に辿ることができるというのが面白い!
天王寺舞楽公演の様子は次の記事に掲載します。
能舞台に出現した舞楽空間 向かって左から、鉦鼓、太鼓、鞨鼓 |
解説 小野真龍
《採桑老》 一人舞 懸人(1人)
《甘州》 四人舞
《鮮莫者》 一人舞
京不見御笛当役
打物:鞨鼓1、太鼓1、鉦鼓1
管方:鳳笙3、篳篥3、龍笛3
装束方3
能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
後見 武富康之 大槻裕一
地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康
国立能楽堂で、雅楽の公演が催されるのは初めてとのこと。
今まで開催されなかった理由は、やっぱり、沓でしょうか……。
能舞台は足袋が基本だし、先日の神楽公演のときも演者は足袋を履いていたし。
観ていて抵抗がなかったといえば……うーん、どうかな。
《張良》でさえ沓は履かずに、投げて、拾いに行くだけですから。
(と、思ったら、調べてみると流儀によっては《張良》で沓を履いて歩く演出もあるのですね。ちょっとびっくりだけど、なるほどー。)
それはともかく、天王寺舞楽自体は素晴らしかったです!
(なんと!)小野妹子の末裔という小野真龍氏の解説では、天王寺舞楽と能との親近性が挙げられていて興味深い。
少し補足して、能と天王寺舞楽(or雅楽全般)との類似性をまとめてみると;
(1)能も雅楽も、秦河勝(もしくはその子息)を始祖とする点
『風姿花伝』には、天下に災いがあった時、聖徳太子が六十六番のものまね(神楽)を秦河勝に演じさせたのが、申楽の初めであることが書かれている。
いっぽう雅楽も、聖徳太子が外来音楽で仏教を称揚するべく、秦河勝の息子や縁者たちに、隋などから伝来した音楽を学ばせたことが始まりとされる。この河勝の子息たちが、四天王寺の四楽家(東儀・林・薗・岡)の祖となった。
(2)散楽(物まね芸)的要素が入っている点
大和申楽には、ものまね芸的な要素が入っているが、天王寺舞楽も、宮内庁の雅楽に比べると、リアルな写実的所作が多く含まれる。
(わたしが先日、宮内庁雅楽演奏会で観た《胡徳楽》にも、ヨタヨタと背中を丸め、腰をかがめて歩く所作など、観客の笑いを誘うようなリアルで物真似的な表現があり、まるで狂言の元祖みたいだと思ったのですが、宮内庁の雅楽にもそうした散楽的要素が残っているようです。)
また、世阿弥は京への進出にあたり、雅楽から序破急の概念を取り入れて、たんなる物真似芸を洗練させたとのこと(能の囃子の「盤渉」や「黄鐘」の概念も、雅楽から採用したものですね)。
(3)神仏習合
近世まで日本の宗教は神仏習合(混淆)が一般的だったが、明治以降、雅楽は天皇を荘厳するためのものとなり、仏教色が排除された。
しかし、天王寺舞楽では、聖徳太子の命日の法要である聖霊会に仏舎利をのせた神輿が出るなど、神仏混淆的要素がいまも残っている。
能楽でも、謡曲の中で神仏が習合されている。
雅楽も能楽も、その由来を聖徳太子と秦河勝に辿ることができるというのが面白い!
天王寺舞楽公演の様子は次の記事に掲載します。
2017年10月26日木曜日
椎葉神楽・悠久の舞~能舞台に神々が舞い降りる
2017年10月26日(木)13時30分~18時 国立能楽堂
主宰者挨拶
基調講演 神楽のはじまりと芸能への進化 神崎宣武
椎葉神楽への誘い 小川直之
神楽公演・第一部
案永(あんなが)、大神(だいじん)、鬼神(きじん)
神楽公演・第二部
ちんち、かんしん、手力男、森の弓、泰平楽、弓通し
昨年の高千穂の夜神楽に続いて、国立能楽堂での2度目の宮崎神楽公演!
今回は、九州山地にある椎葉村の神楽です。
村内26地区に伝承されている椎葉神楽は、地区によって、舞や衣装、太鼓の調子が異なり、この日上演された「向山日添神楽」は、椎葉村の熊本県境に近い20戸100人ほどの向山日添集落に伝わる神楽だそうです。
椎葉神楽の特色としては;
(1)現在も狩猟や焼畑農業を営む山間部の集落であることから、神楽にも狩猟神事が織り込まれ、山の神の贈り物である猪肉を奉納したり、村人たちで肉を切り分けたり、猪の頭を神前に供えたりする。
(2)仏教色を一掃する唯一神道化の影響がみられず、神仏混淆の唱教が多く残されている。
(3)修験道の影響がみられる。たとえば、採物舞では、錫杖のように鉄の輪に遊環(ゆかん)をつけたものを持ち、頭の鉢巻きの下には、修験者の兜巾を模した三角形や五角形のすみとり紙を挟む。
などが挙げられます。
わたしが個人的に感じたのは、
昨年見た日之影神楽や高千穂神楽は。天岩戸伝説などの具体的な物語を演劇的かつ写実的に描いていたのに対して、椎葉神楽は、神話にもとづく「手力男」をのぞけば、抽象的な舞が多く、演劇性に頼らないぶん、舞の技術力・体力に高い水準が求められること。
かなりハードな舞の型が連続し、それが長く続くため、相当のスタミナも要求されます。狩猟や焼畑耕作など日々の労働で鍛え抜かれた身体で舞う男っぽい舞。
厳しい自然と対峙しつつ、自然の恵みに感謝するという、現代の都会生活では忘れ去られている感覚が椎葉神楽には息づいていて、それがとても魅力でした。
神楽公演
それぞれの演目を簡単に紹介します(解説はプログラムを参考にしています)。
①案永(あんなが)
椎葉神楽唯一の楽器・太鼓の由来を説く、唱教のみの演目。
②大神(だいじん)
笠、白張、袴の姿で舞う二人舞。
右手に鈴、左手に、大神幣を持つ。
③鬼神
二人舞。一人は、面、毛笠、白張、袴、青襷、赤緑白の背負い紙。
左手に扇、右手の面棒をバトンのようにくるくる回して舞う。
もう一人は、すみとり紙に赤鉢巻き、白張、袴に赤襷。
鈴と扇で舞う。
④ちんち
4人舞。すみとり紙に赤の名が鉢巻き、白の舞衣に赤の紐帯、稲荷幣を腰に差した姿で舞う。
右手に鈴、左手に扇。
⑤かんしん
4人舞。すみとり紙に赤の長鉢巻、白の舞衣に赤の紐帯、一組は赤、一組は青の長襷の姿で舞う。
男らしく勇壮な剣舞。
⑥手力雄(たぢから)
太夫の一人舞。
手力面にしゃぐま、その上に毛笠をかぶる。白張、袴、赤の腰帯、腰には稲荷幣を2本交差させて差す。
右手に鈴、左手には二本組の大神幣を持つ。
凝った型が続く、難度の高い舞。
⑦森の弓
右手に鈴、左手に弓を持つ二人舞。
こういうところが、いかにも狩猟の民らしい。
⑧泰平楽
観客も立ち上がって、お土産にいただいた幣を持ち、演者と一緒に舞う。
泰平の世を祈願して。
舞はよくわからなかったけど、楽しかった!
観客が会場を出る際には、茅の輪くぐりのように、二本の弓を立てて輪にした間をくぐって、無病息災をお祈りする「弓通し」が行われた。
椎葉村のおもてなしの心に感謝!
舞中心の神楽なので、個人的には昨年以上に楽しめた公演でした!
主宰者挨拶
基調講演 神楽のはじまりと芸能への進化 神崎宣武
椎葉神楽への誘い 小川直之
神楽公演・第一部
案永(あんなが)、大神(だいじん)、鬼神(きじん)
神楽公演・第二部
ちんち、かんしん、手力男、森の弓、泰平楽、弓通し
能舞台の上に再現された神楽の神庭(こうにわ) 去年の高千穂神楽と比べると、シンプルかつシック |
昨年の高千穂の夜神楽に続いて、国立能楽堂での2度目の宮崎神楽公演!
今回は、九州山地にある椎葉村の神楽です。
村内26地区に伝承されている椎葉神楽は、地区によって、舞や衣装、太鼓の調子が異なり、この日上演された「向山日添神楽」は、椎葉村の熊本県境に近い20戸100人ほどの向山日添集落に伝わる神楽だそうです。
椎葉神楽の特色としては;
(1)現在も狩猟や焼畑農業を営む山間部の集落であることから、神楽にも狩猟神事が織り込まれ、山の神の贈り物である猪肉を奉納したり、村人たちで肉を切り分けたり、猪の頭を神前に供えたりする。
(2)仏教色を一掃する唯一神道化の影響がみられず、神仏混淆の唱教が多く残されている。
(3)修験道の影響がみられる。たとえば、採物舞では、錫杖のように鉄の輪に遊環(ゆかん)をつけたものを持ち、頭の鉢巻きの下には、修験者の兜巾を模した三角形や五角形のすみとり紙を挟む。
などが挙げられます。
演奏も太鼓だけというシンプルさ。 |
祭壇上の神楽面のアップ。向かって右側の面が公演で使用された。 |
わたしが個人的に感じたのは、
昨年見た日之影神楽や高千穂神楽は。天岩戸伝説などの具体的な物語を演劇的かつ写実的に描いていたのに対して、椎葉神楽は、神話にもとづく「手力男」をのぞけば、抽象的な舞が多く、演劇性に頼らないぶん、舞の技術力・体力に高い水準が求められること。
このように剣を掲げて、大きく反り返る型を数十回繰り返すなどハードな舞 |
かなりハードな舞の型が連続し、それが長く続くため、相当のスタミナも要求されます。狩猟や焼畑耕作など日々の労働で鍛え抜かれた身体で舞う男っぽい舞。
厳しい自然と対峙しつつ、自然の恵みに感謝するという、現代の都会生活では忘れ去られている感覚が椎葉神楽には息づいていて、それがとても魅力でした。
神楽公演
それぞれの演目を簡単に紹介します(解説はプログラムを参考にしています)。
①案永(あんなが)
案永 |
②大神(だいじん)
大神 |
右手に鈴、左手に、大神幣を持つ。
採物となる幣は左から、稲荷幣、五ツ天皇幣、荒神幣、大神幣 |
③鬼神
鬼神 |
左手に扇、右手の面棒をバトンのようにくるくる回して舞う。
もう一人は、すみとり紙に赤鉢巻き、白張、袴に赤襷。
鈴と扇で舞う。
④ちんち
ちんち |
4人舞。すみとり紙に赤の名が鉢巻き、白の舞衣に赤の紐帯、稲荷幣を腰に差した姿で舞う。
右手に鈴、左手に扇。
⑤かんしん
かんしん |
男らしく勇壮な剣舞。
⑥手力雄(たぢから)
手力男 |
手力面にしゃぐま、その上に毛笠をかぶる。白張、袴、赤の腰帯、腰には稲荷幣を2本交差させて差す。
右手に鈴、左手には二本組の大神幣を持つ。
凝った型が続く、難度の高い舞。
⑦森の弓
森の弓 |
こういうところが、いかにも狩猟の民らしい。
⑧泰平楽
泰平楽 |
観客も立ち上がって、お土産にいただいた幣を持ち、演者と一緒に舞う。
泰平の世を祈願して。
舞はよくわからなかったけど、楽しかった!
お土産にいただいた幣 |
観客が会場を出る際には、茅の輪くぐりのように、二本の弓を立てて輪にした間をくぐって、無病息災をお祈りする「弓通し」が行われた。
椎葉村のおもてなしの心に感謝!
舞中心の神楽なので、個人的には昨年以上に楽しめた公演でした!
2017年10月24日火曜日
万三郎の《当麻》後場・橘香会~古代大和のレイライン
2017年10月22日(日)13時~15時5分 国立能楽堂
《当麻》前場からのつづき (台風接近のため1番のみ拝見)
能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
ツレ化女 八田達弥
ワキ旅僧 福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
アイ門前ノ者 野村万禄
槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
後見 清水寛二 山中迓晶
地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也
能《当麻》の舞台は、彼岸中日の二上山の麓。
二上山の真東には三輪山があり、この古代大和の太陽の道に沿って、春分・秋分の日には、三輪山から昇った太陽が、二上山へと沈んでいく。
小川光三著『大和の原像』(大和書房)によると、二上山と三輪山を東西につなぐレイラインの延長線上には、伊勢神宮の故地とされる伊勢斎宮跡があり、彼岸の中日には斎宮跡から昇った太陽が、三輪山を通って、二上山に沈むという。
ここからは私見だが、
能《三輪》で天岩戸伝説が再現されるのも、偶然ではないと思う。
《三輪》の時節とされる晩秋には、三輪山から見て日の出の方角が、ちょうど現在の伊勢神宮に当たることになる。
つまり、《三輪》の舞台の進行と呼応するように、シテが夜神楽を舞ったのち、「常闇の雲晴れて、日月光り輝けば」で、伊勢の方角から朝日が光輝き、アマテラスの象徴である曙光が三輪山をサーッと照らすと、三輪山頂にある「磐座」に降臨して、文字通り、「伊勢と三輪の神」(天照と大物主)が「一体分身」となるのだ。
大和申楽出身の《当麻》や《三輪》の作者は、先祖代々刷り込まれた古代大和の太陽信仰を無意識に感じながら、これらの名作を作曲したのかもしれない。
万三郎の《当麻》は、太陽の光と存在を感じさせる舞台だった。
【後場】
出端の囃子で、後シテが現れる。
「二段返」の小書を元伯さんの太鼓で観たのは3年前の銕仙会。
もうずいぶん、遠い昔のような気がする……。
この日の太鼓は林雄一郎さん。音色が澄んで、研ぎ澄まされてきた。端正な居住まいもお師匠様の風を受け継いでいらっしゃる。
中将姫の出立は、白蓮の天冠にサーモンピンクの緋大口、唐草文を金で施した輝くような舞衣。
面は、佳麗無比の増。
もしかすると、2年前の《定家》の時と同じものだろうか?
いつまでも飽きることなく眺めていたいほど神々しい女面で、万三郎の中将姫にしっくり合う。シテを選ぶタイプの増の面だと思う。
〈称賛浄土教の伝授〉
〈早舞〉
森田流の破掛リの盤渉早舞。
菩薩の境地に至った中将姫が仏の教えを説く高貴で荘厳な舞のため、速度は速くなく、ゆったりしている。
まばゆい光の粒子をまき散らしながら、純白の袖を翻すシテの姿は、
かぎりなく軽やかで、自由で、天使のように無心に見える。
天冠の瓔珞ゆらめきが、陰翳のうつろいをつくり、
中将姫はうっとりとした法悦の表情を浮かべ、
極楽の世界を垣間見せるその舞姿に、阿弥陀如来の面影が重なり合う。
シテは舞うなかで、
中将姫になり、菩薩になり、阿弥陀仏になり、
さまざまに印象を変えながら、
やがてすべては一体となり、
「さを投ぐる間の夢の」と、常座で左袖を巻き上げ、
万三郎は、こちらに
まっすぐ視線を向けたまま、
一歩、二歩、三歩、
しずかに、おごそかに、後ろに下がりつつ
夕日のような金色の後光に包まれながら、
ゆっくりと、沈んでゆく
あの山の向こうへ
志賀津彦、大津皇子、隼別、天若日子、
俤人、
山越の阿弥陀……
すべては、シテのなかで溶け合い、
ひとつになって、
あの山の向こうへ
消えていった。
《当麻》前場からのつづき (台風接近のため1番のみ拝見)
能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
ツレ化女 八田達弥
ワキ旅僧 福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
アイ門前ノ者 野村万禄
槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
後見 清水寛二 山中迓晶
地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也
能《当麻》の舞台は、彼岸中日の二上山の麓。
二上山の真東には三輪山があり、この古代大和の太陽の道に沿って、春分・秋分の日には、三輪山から昇った太陽が、二上山へと沈んでいく。
小川光三著『大和の原像』(大和書房)によると、二上山と三輪山を東西につなぐレイラインの延長線上には、伊勢神宮の故地とされる伊勢斎宮跡があり、彼岸の中日には斎宮跡から昇った太陽が、三輪山を通って、二上山に沈むという。
ここからは私見だが、
能《三輪》で天岩戸伝説が再現されるのも、偶然ではないと思う。
《三輪》の時節とされる晩秋には、三輪山から見て日の出の方角が、ちょうど現在の伊勢神宮に当たることになる。
つまり、《三輪》の舞台の進行と呼応するように、シテが夜神楽を舞ったのち、「常闇の雲晴れて、日月光り輝けば」で、伊勢の方角から朝日が光輝き、アマテラスの象徴である曙光が三輪山をサーッと照らすと、三輪山頂にある「磐座」に降臨して、文字通り、「伊勢と三輪の神」(天照と大物主)が「一体分身」となるのだ。
大和申楽出身の《当麻》や《三輪》の作者は、先祖代々刷り込まれた古代大和の太陽信仰を無意識に感じながら、これらの名作を作曲したのかもしれない。
万三郎の《当麻》は、太陽の光と存在を感じさせる舞台だった。
【後場】
出端の囃子で、後シテが現れる。
「二段返」の小書を元伯さんの太鼓で観たのは3年前の銕仙会。
もうずいぶん、遠い昔のような気がする……。
この日の太鼓は林雄一郎さん。音色が澄んで、研ぎ澄まされてきた。端正な居住まいもお師匠様の風を受け継いでいらっしゃる。
中将姫の出立は、白蓮の天冠にサーモンピンクの緋大口、唐草文を金で施した輝くような舞衣。
面は、佳麗無比の増。
もしかすると、2年前の《定家》の時と同じものだろうか?
いつまでも飽きることなく眺めていたいほど神々しい女面で、万三郎の中将姫にしっくり合う。シテを選ぶタイプの増の面だと思う。
〈称賛浄土教の伝授〉
中将姫の精魂は、ワキ僧に経巻を授け、経巻を広げたワキとともに称賛浄土教を読誦し、阿弥陀如来の教えを説く。
シテと地謡の掛け合いの箇所に特殊な節が入り、「令心不乱、乱るなよ」では「なよぉ~~」、「十声(とこえ)も」では「もぉ~~」と、高音の節でグンッと山をつくるような独特の謡い方をするのが特徴的。
〈早舞〉
森田流の破掛リの盤渉早舞。
菩薩の境地に至った中将姫が仏の教えを説く高貴で荘厳な舞のため、速度は速くなく、ゆったりしている。
まばゆい光の粒子をまき散らしながら、純白の袖を翻すシテの姿は、
かぎりなく軽やかで、自由で、天使のように無心に見える。
天冠の瓔珞ゆらめきが、陰翳のうつろいをつくり、
中将姫はうっとりとした法悦の表情を浮かべ、
極楽の世界を垣間見せるその舞姿に、阿弥陀如来の面影が重なり合う。
シテは舞うなかで、
中将姫になり、菩薩になり、阿弥陀仏になり、
さまざまに印象を変えながら、
やがてすべては一体となり、
「さを投ぐる間の夢の」と、常座で左袖を巻き上げ、
万三郎は、こちらに
まっすぐ視線を向けたまま、
一歩、二歩、三歩、
しずかに、おごそかに、後ろに下がりつつ
夕日のような金色の後光に包まれながら、
ゆっくりと、沈んでゆく
あの山の向こうへ
志賀津彦、大津皇子、隼別、天若日子、
俤人、
山越の阿弥陀……
すべては、シテのなかで溶け合い、
ひとつになって、
あの山の向こうへ
消えていった。
2017年10月23日月曜日
国立の能楽堂で、万三郎の当麻を見た ~橘香会《当麻》前場
2017年10月22日(日)12時30分~17時40分 国立能楽堂
解説 馬場あき子
能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
ツレ化女 八田達弥
ワキ旅僧 福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
アイ門前ノ者 野村万禄
槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
後見 清水寛二 山中迓晶
地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也
狂言《萩大名》シテ大名 野村萬
アド太郎冠者 野村万之丞 茶屋 野村万蔵
仕舞《葛城》 梅若万佐晴
《邯鄲・楽アト》中村裕
伊藤嘉章 遠田修 梅若久紀 根岸晃一
能《山姥》シテ女/山姥 青木健一
ツレ百万山姥 観世淳夫
ワキ大日方寛 舘田善博 梅村昌功
アイ里人 能村晶人
藤田次郎 古賀裕己 佃良太郎 小寺真佐人
後見 加藤眞悟 谷本健吾
地謡 青木一郎 八田達弥 梅若紀長 長谷川晴彦
遠田修 梅若泰志 古室知也 梅若久紀
タイトル通りのことを、ずっと経験したいと願っていた。
帰りは、「星が輝き、雨が消え残った夜道を歩いていた」わけではなく、台風接近中の土砂降りのなか、ずぶ濡れで帰宅したわけだけど、それでも「白い袖が飜り、金色の冠がきらめき、中将姫は、未だ眼の前を舞って」いた。
もちろん、万三郎は小林秀雄が観た万三郎ではなく、当代万三郎、わたしにとって、美しい「花」そのものの万三郎だ。
今年は秋から冬にかけて、このシテでこの曲を観たい!と切望していた舞台がいくつかあり、今、この時、能を観ていてよかったと心から思う。
【前場】
次第の囃子で念仏僧の一行が登場。
ワキは茶水衣に角帽子、ワキツレはブルーの水衣、青灰色の着流。
『一遍聖絵』には、鎌倉期に一遍上人が当麻寺に詣でた際、中将姫自筆の称賛浄土教一巻を寺僧から譲られた話が描かれているから、おそらくこのワキは一遍上人がモデルなのだろう。
ワキ僧が三熊野詣からの帰途に当麻寺に立ち寄るという設定も、熊野権現の本地が当麻曼荼羅に影向するという、当時の信仰が反映されているのかもしれない。
〈シテ・ツレの登場〉
シテとツレが一声の囃子で登場し、それぞれ三の松と一の松に立つ。
シテの出立は、クリームがかった白い花帽子に薄茶の水衣、桔梗などの秋花をあしらった古色の美しい段替唐織。手には杖。
シテの面が、印象的だ。
目じりが下がり、眉間にしわを寄せた通常の「姥」ではなく、
盲目のようなその目は横にスッと伸びる切れ長で、皺が少なく、かすかな若さの残滓が認められる相貌には聡明な輝きと神々しい品格が漂い、表情には慈愛よりも、毅然とした厳しさがある。
シテとツレが、名所教えのように当麻寺と染殿の井を紹介し、シテとワキとの掛け合いのあと、地謡が受けるくだり。
「掛けし蓮の色桜、花の錦の経緯に、雲の絶え間に晴れ曇る、雪も、緑も、紅も」と、錦の綴れのように風景を色あざやかに織り込んでいく詞章が美しい。
シテは、「西吹く秋の風ならん」で、西方浄土からの音信を聞くように、脇正を向いて風の音にそっと耳を澄またのち、
大小前で床几に掛かり、クリ・サシ・クセで、地謡を介して中将姫譚を語っていく。
〈クリ・サシ・クセ〉
当麻曼荼羅の縁起が強吟のクセで語られる。
いつもながら、万三郎の静止の姿はこのうえなく美しい。
水晶を刻んだ彫刻のように、静かに光を透過して、その時々でさまざまな色にきらめきながら、語られた物語を不動のまま紡いでいく。
水晶玉に占いの結果が映写されるように、観ているほうは、老尼の脳裏に浮かぶ映像をのぞいている気分になる。
そして、語られる物語をしっかり受け止めるのが、ワキの念仏僧。
福王和幸さんの下居姿は、万三郎の相手役にふさわしく、重心が天地を繋ぐ軸上に安定しており、シテの「気」を受け止め、見事に共鳴していた。
シテより先に登場し、シテの後に退場して舞台を終始見守るワキ。
その存在は、書類の隅を一カ所だけ留めるホッチキスのようなもの。
パラパラと書類をめくるように展開する物語を、舞台の隅の脇座でしっかり繋ぎとめ、舞台を継続して引き締める。
だからこそ、ワキの下居の佇まいは極めて重要で、物語の展開に即して、どこから見ても美しい姿勢を保つには非常に高い技術力・身体能力が求められる。
和幸さんは技と骨格のしっかりした、良いワキ方さんだと思う。
〈化尼化女(阿弥陀如来・観音菩薩)に変じて中入〉
老尼は物語るうちに正体を明かし、紫雲に乗って昇天する。
シテは「二上の嶽とは」で、床几から立ち上がって前進し、
「二上の山とこそ人はいへど」で、両手を杖の上に置く。
「尼上の嶽とは申すなり」で、脇正に進んだかと思うと、
「老いの坂を登り登る」で、
腰の曲がった老婆のように、腰をグッと低く落として杖を突き、
左、右と向いて、ジグザグに山を登るような特殊な足遣いをしたのち、
「雲に乗りて」で、杖を捨て、
「紫雲に乗りて上りけり」で、雲がたなびくように余韻を残しつつゆっくりと中入。
送り笛はなく、間狂言の途中から笛が入る演出だった。
《当麻》後場につづく
解説 馬場あき子
能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
ツレ化女 八田達弥
ワキ旅僧 福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
アイ門前ノ者 野村万禄
槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
後見 清水寛二 山中迓晶
地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也
狂言《萩大名》シテ大名 野村萬
アド太郎冠者 野村万之丞 茶屋 野村万蔵
仕舞《葛城》 梅若万佐晴
《邯鄲・楽アト》中村裕
伊藤嘉章 遠田修 梅若久紀 根岸晃一
能《山姥》シテ女/山姥 青木健一
ツレ百万山姥 観世淳夫
ワキ大日方寛 舘田善博 梅村昌功
アイ里人 能村晶人
藤田次郎 古賀裕己 佃良太郎 小寺真佐人
後見 加藤眞悟 谷本健吾
地謡 青木一郎 八田達弥 梅若紀長 長谷川晴彦
遠田修 梅若泰志 古室知也 梅若久紀
タイトル通りのことを、ずっと経験したいと願っていた。
帰りは、「星が輝き、雨が消え残った夜道を歩いていた」わけではなく、台風接近中の土砂降りのなか、ずぶ濡れで帰宅したわけだけど、それでも「白い袖が飜り、金色の冠がきらめき、中将姫は、未だ眼の前を舞って」いた。
もちろん、万三郎は小林秀雄が観た万三郎ではなく、当代万三郎、わたしにとって、美しい「花」そのものの万三郎だ。
今年は秋から冬にかけて、このシテでこの曲を観たい!と切望していた舞台がいくつかあり、今、この時、能を観ていてよかったと心から思う。
【前場】
次第の囃子で念仏僧の一行が登場。
ワキは茶水衣に角帽子、ワキツレはブルーの水衣、青灰色の着流。
『一遍聖絵』には、鎌倉期に一遍上人が当麻寺に詣でた際、中将姫自筆の称賛浄土教一巻を寺僧から譲られた話が描かれているから、おそらくこのワキは一遍上人がモデルなのだろう。
ワキ僧が三熊野詣からの帰途に当麻寺に立ち寄るという設定も、熊野権現の本地が当麻曼荼羅に影向するという、当時の信仰が反映されているのかもしれない。
〈シテ・ツレの登場〉
シテとツレが一声の囃子で登場し、それぞれ三の松と一の松に立つ。
シテの出立は、クリームがかった白い花帽子に薄茶の水衣、桔梗などの秋花をあしらった古色の美しい段替唐織。手には杖。
シテの面が、印象的だ。
目じりが下がり、眉間にしわを寄せた通常の「姥」ではなく、
盲目のようなその目は横にスッと伸びる切れ長で、皺が少なく、かすかな若さの残滓が認められる相貌には聡明な輝きと神々しい品格が漂い、表情には慈愛よりも、毅然とした厳しさがある。
シテとツレが、名所教えのように当麻寺と染殿の井を紹介し、シテとワキとの掛け合いのあと、地謡が受けるくだり。
「掛けし蓮の色桜、花の錦の経緯に、雲の絶え間に晴れ曇る、雪も、緑も、紅も」と、錦の綴れのように風景を色あざやかに織り込んでいく詞章が美しい。
シテは、「西吹く秋の風ならん」で、西方浄土からの音信を聞くように、脇正を向いて風の音にそっと耳を澄またのち、
大小前で床几に掛かり、クリ・サシ・クセで、地謡を介して中将姫譚を語っていく。
〈クリ・サシ・クセ〉
当麻曼荼羅の縁起が強吟のクセで語られる。
いつもながら、万三郎の静止の姿はこのうえなく美しい。
水晶を刻んだ彫刻のように、静かに光を透過して、その時々でさまざまな色にきらめきながら、語られた物語を不動のまま紡いでいく。
水晶玉に占いの結果が映写されるように、観ているほうは、老尼の脳裏に浮かぶ映像をのぞいている気分になる。
そして、語られる物語をしっかり受け止めるのが、ワキの念仏僧。
福王和幸さんの下居姿は、万三郎の相手役にふさわしく、重心が天地を繋ぐ軸上に安定しており、シテの「気」を受け止め、見事に共鳴していた。
シテより先に登場し、シテの後に退場して舞台を終始見守るワキ。
その存在は、書類の隅を一カ所だけ留めるホッチキスのようなもの。
パラパラと書類をめくるように展開する物語を、舞台の隅の脇座でしっかり繋ぎとめ、舞台を継続して引き締める。
だからこそ、ワキの下居の佇まいは極めて重要で、物語の展開に即して、どこから見ても美しい姿勢を保つには非常に高い技術力・身体能力が求められる。
和幸さんは技と骨格のしっかりした、良いワキ方さんだと思う。
〈化尼化女(阿弥陀如来・観音菩薩)に変じて中入〉
老尼は物語るうちに正体を明かし、紫雲に乗って昇天する。
シテは「二上の嶽とは」で、床几から立ち上がって前進し、
「二上の山とこそ人はいへど」で、両手を杖の上に置く。
「尼上の嶽とは申すなり」で、脇正に進んだかと思うと、
「老いの坂を登り登る」で、
腰の曲がった老婆のように、腰をグッと低く落として杖を突き、
左、右と向いて、ジグザグに山を登るような特殊な足遣いをしたのち、
「雲に乗りて」で、杖を捨て、
「紫雲に乗りて上りけり」で、雲がたなびくように余韻を残しつつゆっくりと中入。
送り笛はなく、間狂言の途中から笛が入る演出だった。
《当麻》後場につづく
2017年10月21日土曜日
宮内庁雅楽演奏会
2017年10月21日(土)14時30分~16時 皇居・宮内庁楽部
【曲目】
(1)管弦: 盤渉調音取・青海波・千秋楽
(2)舞楽: 陵王・胡徳楽
嬉しいことに、今月は雅楽鑑賞の機会に恵まれ、この日が第一弾!
曲目にちなんで、鼓青海波の地紋入り色無地に向い鶴の袋帯を締めていくつもりだったけど、雨のなか開場前に着物で並ぶなんてムリッ!と思い、断念。
10月なのに雨ばかり……。
開場20分くらい前に着いたのですが、すでに途方もなく長~い列。
でも、ラッキーなことに1階最前列に座れました。
2階のほうが全体を見渡せていいいらしいけど、演者の息遣いや動きを感じたかったから。
↑舞台向かって左にあるのが、左方(唐楽による舞楽)に使われる大太鼓。
縁飾りには、阿吽の昇龍。
鼓面が三つ巴で、竿先に日輪がついているのが特徴。
鼓面の色彩も、下↓の右方用の大太鼓に比べて華やか。
↑向かって右にあるのが、右方(高麗楽による舞楽)に使用される大太鼓。
縁飾りには、鳳凰、鼓面が二つ巴で、竿先には月輪がついています。
↑左右それぞれの大太鼓の脇にある大鉦鼓。
こちらも大太鼓と同じく舞楽用で、左方・右方に合わせてそれぞれ昇龍と鳳凰が火炎形の縁飾りに彫刻されています。
さて、肝心の雅楽演奏はとっても素晴らしく、この空間ならではの独特の雰囲気があって堪能しました。
まずは、「管絃」から。
管絃とは、舞楽のメインとなる「当曲」の部分を管絃編成で演奏するもので、「音取」という短い前奏曲が奏されます。これにより盤渉調や黄鐘調といった、曲の調子の雰囲気が醸成されていくのです。
〈盤渉調音取〉
能楽囃子にも盤渉音取があるけれど、それとはだいぶ違っていて、
音取は、各楽器の音頭(リード奏者)のみが演奏。まずは笙から吹き始め、篳篥、鞨鼓と演奏に加わり、最後に琵琶と筝が弾き始めます。
海面の水平線の彼方が、ほのぼのと白みがかっていくような雰囲気。
〈青海波〉
『源氏物語』の「紅葉の賀」で、光源氏と頭中将が舞ったことで有名な曲。
もとは平調の曲だったのが、9世紀前半の仁明天皇のときに、勅命によって盤渉調に移されたというから、『源氏物語』が書かれたときにはすでに盤渉調だったことになります。
ほかの管絃と同様、横笛から吹き始め、鞨鼓がアンサンブル全体の統一者となって、最初はゆっくりとしたテンポで始め、徐々にテンポをあげていく。
打つ、というよりも、掻き鳴らすような独特の演奏法で、鞠が弾むようなトレモロ奏法を多用。
琵琶がとくに素敵で、能楽師のようなキリッと背筋を伸ばした座り方ではなく、ゆったりと腰を後ろに引き気味に座り、絃を掻き鳴らす手がじつに優雅で、舞の手のように見えます。
音色も穏やかな響きで、旋律を弾くのではなく、清らかな水の雫が零れるような、光のきらめきを感じさせる装飾音を奏でてゆく。
《青海波》の後半には、打楽器のリズムのパターンが変化し、「千鳥懸」や「男波(おなみ)」「女波(めなみ)」などの打法が加わります。
全体的に、波の穏やかな大海原に美しい朝日が昇ってゆく情景を思わせる曲でした。
〈千秋楽〉
これも横笛から始まり、鞨鼓、鉦鼓、小・篳篥が純に加わり、絃楽器が音頭から参加して、もう一人の琵琶奏者も加わって、音に厚みを増していきます。
この曲を聴いていると、錦秋に輝く古刹の伽藍が目に浮かんでくるようです。
さて、休憩をはさんで、いよいよ舞楽。
〈陵王〉:左方舞(唐楽の舞楽)、調子は壱越調
もっともメジャーな舞楽といってもいいほど、有名な曲。
北斉(550~577年)の蘭陵王長恭が容姿があまりにも美しく、軍の士気が上がらなかったため、獰猛な仮面をつけて戦場に臨んだところ、大勝利を収めたという故事にちなんで作曲されたといいます。
陵王に扮した舞人は、龍を戴いた吊り顎の面をつけ(目も上下に動くそうですが目の動きはわからず)、毛縁裲襠という、縁に毛のついた唐織の貫頭衣を身につけます。
曲の構成は以下の通り;
(1)小乱声
(2)乱序→舞人が登場し、出手(でるて)を舞う。
(3)囀(さえずり)→無伴奏部分(ここはカットされたかも?)
(4)沙陀調音取
(5)当曲→曲のメイン
(6)乱序→舞人が入手(いりて)を舞い、退場。
舞楽のメインとなる当曲では、舞人は右手に金の桴を持ち、左では、人差し指と中指を突き出し、他の指を折る「剣印」という印を結んだ恰好で、
手足の動きを組み合わせた「掻合(かきあわせ)」や、足を横に開いて腰を低く落とす「落居」、頭を片方に傾けてから大太鼓に合わせて反対側をキッと向く「見(みる」などのさまざまな舞の手を組み入れて、勇壮かつ優雅に舞っていきます。
舞楽のなかでは比較的テンポの速い走舞とはいえ、唐楽らしく洗練された格調高い舞でした。
〈胡徳楽〉:右方舞(高麗楽の舞楽)、調子は高麗壱越調)
こちらは左方舞とは打って変わって、高麗楽らしい親しみやすさ。
主人と四人の客の酒宴で酒を注ぐ「瓶子取(へいしとり)」が、主人の目を盗んで酒を飲み、最後はへべれけに酔ってしまうという、喜劇調の黙劇。
瓶子取は太郎冠者のようなキャラクターだから、狂言の原型のような舞楽でした。
唐楽とは違い、高麗楽には笙は加わらず、管楽器は篳篥と高麗笛のみ。
また、鞨鼓の代わりに三ノ鼓が使用されるため、あの特徴的な鞨鼓のトレモロも入らず、音楽の雰囲気が左方舞とはかなり異なります。
さらに、高麗楽では退場楽が省略されるので、曲の構成は以下の通り;
(1)意調子→舞人(客役)二人登場したのち、勧盃(主人)、瓶子取、舞人二人の順に登場。
(2)当曲→舞人二人が出手(ずるて)を舞ったのち、所定の位置に着座。後から来た舞人二人が舞っている隙に、瓶子取が酒を盗み飲みする。
客人や主人が遠慮し合って、互いに酒をすすめ合うので、その間を瓶子取が右往左往するのも見どころ。客席からは笑いが。
舞人(宴席の客)四人の出立は、左方の襲装束(袍は着けない)に、酔客らしく、赤ら顔の長い鼻の面をつける。この面は、西域から来た胡人を模したものでしょうか。
面の鼻は、主賓の面以外は可動式で、寸劇の中で、長い鼻が邪魔で盃を飲みにくいのを、瓶子取が鼻を持ち上げて、無理やり飲ませるというオチになっています。
(芥川龍之介の『鼻』を思い出す。)
瓶子取は、牟子という頭巾に笹をさし、腫面という左右非対称に顔の醜く腫れあがった黒い面をつける。この面は、おそらく病を患い、その昔、不当に差別された人の相貌をかたどったものかもしれません。ヨタヨタと腰を曲げ、背中を丸めて歩く姿からも、聖書にも描かれた、彼の人々の暗い歴史が妖気のように漂ってきます。
勧盃(主人)の出立は、この曲が元は唐楽だったためか、左方の襲装束に緋色の袍、唐冠を被り、手には笏を持つ。
面は、「進鮮利古(しんそりこ)」という、神に薄衣を張って、抽象化した人面を描いた雑面。
太秦の牛祭で観た面に似ていて、秦氏との関連で考察してみるのも面白そう。
↑舞楽の時は、管方(楽器演奏者)は、大太鼓の後ろの席へ移動。
大太鼓奏者も、背後から太鼓を打ちます。
能楽堂の白州のような玉砂利があるけれど、観客席の下も玉砂利になっているので、否応なく、玉砂利の上を歩くことに。
2階から見た舞台 手前向かって右から鞨鼓、楽太鼓、鉦鼓。 奥にあるのが、右方用の大太鼓(右)と左方用大太鼓(左) |
【曲目】
(1)管弦: 盤渉調音取・青海波・千秋楽
(2)舞楽: 陵王・胡徳楽
嬉しいことに、今月は雅楽鑑賞の機会に恵まれ、この日が第一弾!
曲目にちなんで、鼓青海波の地紋入り色無地に向い鶴の袋帯を締めていくつもりだったけど、雨のなか開場前に着物で並ぶなんてムリッ!と思い、断念。
10月なのに雨ばかり……。
こちらは1階から見た舞台 |
でも、ラッキーなことに1階最前列に座れました。
2階のほうが全体を見渡せていいいらしいけど、演者の息遣いや動きを感じたかったから。
左方(唐楽)用大太鼓 |
縁飾りには、阿吽の昇龍。
鼓面が三つ巴で、竿先に日輪がついているのが特徴。
鼓面の色彩も、下↓の右方用の大太鼓に比べて華やか。
右方(高麗楽)用の大太鼓 |
縁飾りには、鳳凰、鼓面が二つ巴で、竿先には月輪がついています。
大鉦鼓 |
こちらも大太鼓と同じく舞楽用で、左方・右方に合わせてそれぞれ昇龍と鳳凰が火炎形の縁飾りに彫刻されています。
さて、肝心の雅楽演奏はとっても素晴らしく、この空間ならではの独特の雰囲気があって堪能しました。
まずは、「管絃」から。
管絃とは、舞楽のメインとなる「当曲」の部分を管絃編成で演奏するもので、「音取」という短い前奏曲が奏されます。これにより盤渉調や黄鐘調といった、曲の調子の雰囲気が醸成されていくのです。
〈盤渉調音取〉
能楽囃子にも盤渉音取があるけれど、それとはだいぶ違っていて、
音取は、各楽器の音頭(リード奏者)のみが演奏。まずは笙から吹き始め、篳篥、鞨鼓と演奏に加わり、最後に琵琶と筝が弾き始めます。
海面の水平線の彼方が、ほのぼのと白みがかっていくような雰囲気。
〈青海波〉
『源氏物語』の「紅葉の賀」で、光源氏と頭中将が舞ったことで有名な曲。
もとは平調の曲だったのが、9世紀前半の仁明天皇のときに、勅命によって盤渉調に移されたというから、『源氏物語』が書かれたときにはすでに盤渉調だったことになります。
ほかの管絃と同様、横笛から吹き始め、鞨鼓がアンサンブル全体の統一者となって、最初はゆっくりとしたテンポで始め、徐々にテンポをあげていく。
打つ、というよりも、掻き鳴らすような独特の演奏法で、鞠が弾むようなトレモロ奏法を多用。
琵琶がとくに素敵で、能楽師のようなキリッと背筋を伸ばした座り方ではなく、ゆったりと腰を後ろに引き気味に座り、絃を掻き鳴らす手がじつに優雅で、舞の手のように見えます。
音色も穏やかな響きで、旋律を弾くのではなく、清らかな水の雫が零れるような、光のきらめきを感じさせる装飾音を奏でてゆく。
《青海波》の後半には、打楽器のリズムのパターンが変化し、「千鳥懸」や「男波(おなみ)」「女波(めなみ)」などの打法が加わります。
全体的に、波の穏やかな大海原に美しい朝日が昇ってゆく情景を思わせる曲でした。
〈千秋楽〉
これも横笛から始まり、鞨鼓、鉦鼓、小・篳篥が純に加わり、絃楽器が音頭から参加して、もう一人の琵琶奏者も加わって、音に厚みを増していきます。
この曲を聴いていると、錦秋に輝く古刹の伽藍が目に浮かんでくるようです。
さて、休憩をはさんで、いよいよ舞楽。
〈陵王〉:左方舞(唐楽の舞楽)、調子は壱越調
もっともメジャーな舞楽といってもいいほど、有名な曲。
北斉(550~577年)の蘭陵王長恭が容姿があまりにも美しく、軍の士気が上がらなかったため、獰猛な仮面をつけて戦場に臨んだところ、大勝利を収めたという故事にちなんで作曲されたといいます。
陵王に扮した舞人は、龍を戴いた吊り顎の面をつけ(目も上下に動くそうですが目の動きはわからず)、毛縁裲襠という、縁に毛のついた唐織の貫頭衣を身につけます。
曲の構成は以下の通り;
(1)小乱声
(2)乱序→舞人が登場し、出手(でるて)を舞う。
(3)囀(さえずり)→無伴奏部分(ここはカットされたかも?)
(4)沙陀調音取
(5)当曲→曲のメイン
(6)乱序→舞人が入手(いりて)を舞い、退場。
舞楽のメインとなる当曲では、舞人は右手に金の桴を持ち、左では、人差し指と中指を突き出し、他の指を折る「剣印」という印を結んだ恰好で、
手足の動きを組み合わせた「掻合(かきあわせ)」や、足を横に開いて腰を低く落とす「落居」、頭を片方に傾けてから大太鼓に合わせて反対側をキッと向く「見(みる」などのさまざまな舞の手を組み入れて、勇壮かつ優雅に舞っていきます。
舞楽のなかでは比較的テンポの速い走舞とはいえ、唐楽らしく洗練された格調高い舞でした。
〈胡徳楽〉:右方舞(高麗楽の舞楽)、調子は高麗壱越調)
こちらは左方舞とは打って変わって、高麗楽らしい親しみやすさ。
主人と四人の客の酒宴で酒を注ぐ「瓶子取(へいしとり)」が、主人の目を盗んで酒を飲み、最後はへべれけに酔ってしまうという、喜劇調の黙劇。
瓶子取は太郎冠者のようなキャラクターだから、狂言の原型のような舞楽でした。
唐楽とは違い、高麗楽には笙は加わらず、管楽器は篳篥と高麗笛のみ。
また、鞨鼓の代わりに三ノ鼓が使用されるため、あの特徴的な鞨鼓のトレモロも入らず、音楽の雰囲気が左方舞とはかなり異なります。
さらに、高麗楽では退場楽が省略されるので、曲の構成は以下の通り;
(1)意調子→舞人(客役)二人登場したのち、勧盃(主人)、瓶子取、舞人二人の順に登場。
(2)当曲→舞人二人が出手(ずるて)を舞ったのち、所定の位置に着座。後から来た舞人二人が舞っている隙に、瓶子取が酒を盗み飲みする。
客人や主人が遠慮し合って、互いに酒をすすめ合うので、その間を瓶子取が右往左往するのも見どころ。客席からは笑いが。
舞人(宴席の客)四人の出立は、左方の襲装束(袍は着けない)に、酔客らしく、赤ら顔の長い鼻の面をつける。この面は、西域から来た胡人を模したものでしょうか。
面の鼻は、主賓の面以外は可動式で、寸劇の中で、長い鼻が邪魔で盃を飲みにくいのを、瓶子取が鼻を持ち上げて、無理やり飲ませるというオチになっています。
(芥川龍之介の『鼻』を思い出す。)
瓶子取は、牟子という頭巾に笹をさし、腫面という左右非対称に顔の醜く腫れあがった黒い面をつける。この面は、おそらく病を患い、その昔、不当に差別された人の相貌をかたどったものかもしれません。ヨタヨタと腰を曲げ、背中を丸めて歩く姿からも、聖書にも描かれた、彼の人々の暗い歴史が妖気のように漂ってきます。
勧盃(主人)の出立は、この曲が元は唐楽だったためか、左方の襲装束に緋色の袍、唐冠を被り、手には笏を持つ。
面は、「進鮮利古(しんそりこ)」という、神に薄衣を張って、抽象化した人面を描いた雑面。
太秦の牛祭で観た面に似ていて、秦氏との関連で考察してみるのも面白そう。
舞楽の時は楽人(管方)は舞台奥へ |
大太鼓奏者も、背後から太鼓を打ちます。
白州っぽい玉砂利 |
2017年10月20日金曜日
野崎家能楽コレクション~備前池田家伝来・国立能楽堂特別展
前期2017年10月4日~11月5日 後期11月7日~12月5日 国立能楽堂展示室
備前岡山藩主・池田家に伝来した能楽美術品の数々。
現在、林原美術館に所蔵されているものとは別に、製塩業で財を成した野崎家が明治期以降に池田家から拝領した一大コレクションを東京で初公開するという特別展。
能面の名品・優品が充実していて、能面好きにはたまらない展示です!
まだザッと眺めただけですが、前期展示品のなかで特に目についたのが、以下のもの。(番号は展示番号)
7.娩麗(べんり)、「天下一友閑」、江戸期17世紀
万媚を上品にしたような優婉な女面。
11.増女、「天下一友閑」、江戸期17世紀
17.曲見、「天下一友閑」、江戸期17世紀
19.東来(あずまき)、「天下一近江」、江戸期17世紀
小面を色っぽくしたような印象。
32.長霊癋見、「出目」、江戸期18世紀
左右の瞳の向きが極端に違っていて、右目は斜め下、左目は斜め上を向き。
ユニークな表情。
40.増女、室町期16~17世紀
精神的な奥深さを感じさせる。通常の増と深井の間くらいの年齢に見える。名手の舞台で観てみたい。
49.牙悪尉、江戸期18世紀
下あごに二本の牙。
56.東江(とごう)、江戸期18世紀
喜多流の専用面となった怪士系の男面。
63.弱法師(蝉丸)、江戸期18世紀
通常の弱法師の面のような少年っぽさはなく、壮年の男性の面影。
妻を登場させる、世阿弥自筆本の《弱法師》にぴったり合いそう。
追記:本特別展には、「娩麗」や「東江」、あるいは後期展示の「セイエン」(清艶or凄艶のことかな?)など、聞きなれない名称の若い女面が陳列されているのですが、図版によると、みずから所蔵する小面に池田家がつけた愛称だそうです。各大名家で、愛蔵の名品に固有の愛称をつける習慣があったようです。
そのほか、全期を通じて展示される能人形「高砂」付き能舞台や、和漢図貼交屏風(源氏物語+漢画+能絵の屏風)など、見応えたっぷり。
千駄ヶ谷に行く機会ごとに、覗いてみようと思います。
備前岡山藩主・池田家に伝来した能楽美術品の数々。
現在、林原美術館に所蔵されているものとは別に、製塩業で財を成した野崎家が明治期以降に池田家から拝領した一大コレクションを東京で初公開するという特別展。
能面の名品・優品が充実していて、能面好きにはたまらない展示です!
まだザッと眺めただけですが、前期展示品のなかで特に目についたのが、以下のもの。(番号は展示番号)
7.娩麗(べんり)、「天下一友閑」、江戸期17世紀
万媚を上品にしたような優婉な女面。
11.増女、「天下一友閑」、江戸期17世紀
17.曲見、「天下一友閑」、江戸期17世紀
19.東来(あずまき)、「天下一近江」、江戸期17世紀
小面を色っぽくしたような印象。
32.長霊癋見、「出目」、江戸期18世紀
左右の瞳の向きが極端に違っていて、右目は斜め下、左目は斜め上を向き。
ユニークな表情。
40.増女、室町期16~17世紀
精神的な奥深さを感じさせる。通常の増と深井の間くらいの年齢に見える。名手の舞台で観てみたい。
49.牙悪尉、江戸期18世紀
下あごに二本の牙。
56.東江(とごう)、江戸期18世紀
喜多流の専用面となった怪士系の男面。
63.弱法師(蝉丸)、江戸期18世紀
通常の弱法師の面のような少年っぽさはなく、壮年の男性の面影。
妻を登場させる、世阿弥自筆本の《弱法師》にぴったり合いそう。
追記:本特別展には、「娩麗」や「東江」、あるいは後期展示の「セイエン」(清艶or凄艶のことかな?)など、聞きなれない名称の若い女面が陳列されているのですが、図版によると、みずから所蔵する小面に池田家がつけた愛称だそうです。各大名家で、愛蔵の名品に固有の愛称をつける習慣があったようです。
そのほか、全期を通じて展示される能人形「高砂」付き能舞台や、和漢図貼交屏風(源氏物語+漢画+能絵の屏風)など、見応えたっぷり。
千駄ヶ谷に行く機会ごとに、覗いてみようと思います。
2017年10月12日木曜日
運慶展~興福寺中金堂再建記念特別展
会期:2017年9月26日~11月26日 東京国立博物館 平成館
運慶展、予想以上に素晴らしく、懐かしい仏像たちとの再会に感無量。
とくに今回は、運慶の父・康慶の凄さに目を奪われた。
実物を前にした時の、彫刻空間にみなぎる迫力、像からほとばしる「気」のパワーには圧倒される。
時代や奈良仏師・大和猿楽の違いはあるけれど、現代まで生き続ける画期的な芸術を大成させたという点において、運慶が世阿弥なら、康慶は観阿弥ともいうべき存在。
もっと観阿弥レベルにメジャーになり、評価されてもよいのではないだろうか。
以下は、各コーナーごとの感想&メモ。
【第1章 運慶を生んだ系譜~康慶から運慶へ】
国宝《法相六祖坐像》康慶作 鎌倉期 1189年 興福寺
その康慶の作品。
衣文には、激流を思わせる勢いがあり、彫りが深い。
切れ味の冴えたノミ遣い。
寄せた眉根、深く刻まれた皺、上目遣いの眼の表情など、明治期の生き人形を見るようにリアルで生々しく、六祖それぞれの性格・人間性・感情が活写されている。
重文《四天王立像》康慶作 鎌倉期 1189年 興福寺
康慶の傑作。
息をのむような量塊(マッス)から放出される気迫と威圧的な存在感は圧巻!
何よりも魅力的なのは、邪鬼の表現だ。
巨大な四天王に踏みつけにされ、口を大きく開けて喘ぐ邪鬼からは、『北斗の拳』でケンシロウに殺られたときの「あぽぱ!」みたいな断末魔の叫びが聞こえてきそう。
甲冑の腹部にある海若(あまのじゃく)の、猛烈な噛みっぷりも面白い!
重文《阿弥陀如来および両脇侍坐像》 平安期 1151年 長岳寺
長岳寺・阿弥陀如来は日本最古の玉眼仏。
猫背気味の丸い背中や、おっとりした眠たげな目もとなど、定朝様の平安仏の面影を示している。
国宝《大日如来坐像》運慶作 平安期 1176年 円成寺
運慶20代、最初期の作。
一般に玉眼は、頭部の内刳の内側から凸状にした水晶片を嵌め込み、その水晶レンズの裏側から瞳や虹彩を描き、その上から和紙をあて、木と竹釘で固定する。
ギャラリースコープで各像の玉眼を観ていくと、それぞれの年齢や個性に合わせて、運慶がいかに微妙かつ精巧に、玉眼に変化を持たせているのかがよくわかる。
この伏し目で切れ長の目をした円成寺・大日如来像では、虹彩に艶のある紅が施され、白目の部分には少し濁りのある和紙が当てられていて、引き締まったみずみずしい体躯とは裏腹に、峻厳なほど老成した表情に仕上げられている。
瓔珞には青の宝玉、宝冠には赤い珠が残され、唇に入れられた紅の彩色も当時の名残りがをとどめていて、あでやか。
【第2章 運命の彫刻~その独創性】
国宝《毘沙門天立像》運慶作 鎌倉期 1186年 静岡・願成就院
康慶作・四天王寺立像の直後に観たからか、全体的にきれいにまとまりすぎているように見える。
とりわけ甲冑の表現があまりにも整いすぎていて、規格化された印象すら受ける。
もちろん、生命力あふれる逞しい肉体には充実したハリがあり、腰をひねったポーズも洗練されていて、名作なのは間違いないが、邪鬼も大人しく小さくまとまり、個人的には何かひとつ、面白みに欠ける気がした。
重文《地蔵菩薩坐像》運慶作 鎌倉期12世紀 六波羅蜜寺
今回の運慶展のなかで個人的にいちばん好きな像。
運慶作にしては珍しい一木造。
衣文表現が極めて流麗で、全体的には落ち着いた静謐な造形。
瞑想的な目はほとんど閉じているようでいて、心の奥底までしっかり見ていてくださる、分かってくださるように見える。
同じ空間にいるだけで心が癒されるような、美しい地蔵菩薩坐像だった。
国宝《八大童子立像》運慶作の6体 鎌倉期1197年 高野山金剛峰寺
どれも素晴らしいが、とりわけ制多伽童子は秀逸。
利発そうな顔立ちを引き立てているのが、玉眼の表現。
白目の部分は輝くように白く、黒曜石のような光を宿した瞳をとりまく虹彩の石榴色の赤は、少年らしい生気と色気を感じさせる。
黒目の大きさと視線の向きを左右で変えることで、まるで生きているように人間味のある精彩に富んだ表情を与えている。
(生身の人間も、通常、黒目の大きさが若干違う。)
衣に残された截金文様がライトを浴びてキラキラと光っているのも、少年期の輝きを伝えているよう。
国宝《無著・世親菩薩立像》運慶作 鎌倉期1212年ころ 興福寺
4世紀末~5世紀初頭に北インドで活躍した法相教額の大成者・無著世親兄弟。
実際に手掛けたのも運慶の二人の息子兄弟で、運慶が統括したとされる。
老年の無着の眼は、白目が鈍く濁った玉眼で、虹彩にも紅は入れられず、瞳がグラデーション的に茶色くぼかされ、眼輪筋にもたるみがあるが、世俗的な感情を超越したような、精神的な深みを湛えている。
左の目と頬を貫く二筋のヒビが、焼き物の金継ぎのような趣き。
手の表現が極めて精緻で、左爪が薄く伸び、皺のある手の甲には骨と血管が浮き出ている。
西域らしいエキゾチックな世親の鷲鼻も印象的だった。
国宝《四天王立像》運慶作か? 鎌倉期13世紀 興福寺南円堂
近年、運慶作である可能性が濃厚とされつつある4体の立像。
康慶の四天王立像の作風を受け継ぐような力強い量塊感。
おそらく運慶が子息や弟子たちに分担してつくせたのだろう、4体の出来にいくぶん差があり、増長天と多聞天が躍動感やポーズの勢い、体躯のプロポーション、顔の表情の気迫の点で抜きん出ている。
【第3章 運慶風の展開~運慶の息子と周辺の仏師】
国宝《重源上人坐像》 鎌倉期13世紀 東大寺
萎びてたるみきった肌の質感、頸の後ろの骨々しさなど、まるで即身成仏した高僧のようにリアルすぎるほどリアル。
この実体感・実在感からは、崇高なオーラさえ感じた。
国宝《天灯鬼・龍燈鬼立像》 龍燈鬼・康弁作 鎌倉期1215年 興福寺
天燈鬼の舌をそり上げ、歯をむき出しにした口からは豪放な叫び声が聞こえてきそう。
康慶作・四天王の邪鬼を思わせる闊達な表現。
重文《十二神将立像》 鎌倉期13世紀 浄瑠璃寺伝来
運慶没後の慶派仏師集団の作とされる。
頬杖をついてひと休みする者や、見栄を切る者、ディズニーキャラクターのような表情の者など、じつにユーモラス。
12体が勢ぞろいしたのは42年ぶりというから、仲間たちと再会できて神将像たちも楽しそう!
重文《子犬》 湛慶作か? 13世紀 高山寺
丸山派の絵画に出てきそうななんとも愛らしいワンちゃん。
耳がまだねていて、尻尾がクルリ。
首を傾げたポーズが、ビクター犬を思わせる。
運慶展、予想以上に素晴らしく、懐かしい仏像たちとの再会に感無量。
とくに今回は、運慶の父・康慶の凄さに目を奪われた。
実物を前にした時の、彫刻空間にみなぎる迫力、像からほとばしる「気」のパワーには圧倒される。
時代や奈良仏師・大和猿楽の違いはあるけれど、現代まで生き続ける画期的な芸術を大成させたという点において、運慶が世阿弥なら、康慶は観阿弥ともいうべき存在。
もっと観阿弥レベルにメジャーになり、評価されてもよいのではないだろうか。
以下は、各コーナーごとの感想&メモ。
【第1章 運慶を生んだ系譜~康慶から運慶へ】
国宝《法相六祖坐像》康慶作 鎌倉期 1189年 興福寺
その康慶の作品。
衣文には、激流を思わせる勢いがあり、彫りが深い。
切れ味の冴えたノミ遣い。
寄せた眉根、深く刻まれた皺、上目遣いの眼の表情など、明治期の生き人形を見るようにリアルで生々しく、六祖それぞれの性格・人間性・感情が活写されている。
重文《四天王立像》康慶作 鎌倉期 1189年 興福寺
康慶の傑作。
息をのむような量塊(マッス)から放出される気迫と威圧的な存在感は圧巻!
何よりも魅力的なのは、邪鬼の表現だ。
巨大な四天王に踏みつけにされ、口を大きく開けて喘ぐ邪鬼からは、『北斗の拳』でケンシロウに殺られたときの「あぽぱ!」みたいな断末魔の叫びが聞こえてきそう。
甲冑の腹部にある海若(あまのじゃく)の、猛烈な噛みっぷりも面白い!
重文《阿弥陀如来および両脇侍坐像》 平安期 1151年 長岳寺
長岳寺・阿弥陀如来は日本最古の玉眼仏。
猫背気味の丸い背中や、おっとりした眠たげな目もとなど、定朝様の平安仏の面影を示している。
国宝《大日如来坐像》運慶作 平安期 1176年 円成寺
運慶20代、最初期の作。
一般に玉眼は、頭部の内刳の内側から凸状にした水晶片を嵌め込み、その水晶レンズの裏側から瞳や虹彩を描き、その上から和紙をあて、木と竹釘で固定する。
ギャラリースコープで各像の玉眼を観ていくと、それぞれの年齢や個性に合わせて、運慶がいかに微妙かつ精巧に、玉眼に変化を持たせているのかがよくわかる。
この伏し目で切れ長の目をした円成寺・大日如来像では、虹彩に艶のある紅が施され、白目の部分には少し濁りのある和紙が当てられていて、引き締まったみずみずしい体躯とは裏腹に、峻厳なほど老成した表情に仕上げられている。
瓔珞には青の宝玉、宝冠には赤い珠が残され、唇に入れられた紅の彩色も当時の名残りがをとどめていて、あでやか。
【第2章 運命の彫刻~その独創性】
国宝《毘沙門天立像》運慶作 鎌倉期 1186年 静岡・願成就院
康慶作・四天王寺立像の直後に観たからか、全体的にきれいにまとまりすぎているように見える。
とりわけ甲冑の表現があまりにも整いすぎていて、規格化された印象すら受ける。
もちろん、生命力あふれる逞しい肉体には充実したハリがあり、腰をひねったポーズも洗練されていて、名作なのは間違いないが、邪鬼も大人しく小さくまとまり、個人的には何かひとつ、面白みに欠ける気がした。
重文《地蔵菩薩坐像》運慶作 鎌倉期12世紀 六波羅蜜寺
今回の運慶展のなかで個人的にいちばん好きな像。
運慶作にしては珍しい一木造。
衣文表現が極めて流麗で、全体的には落ち着いた静謐な造形。
瞑想的な目はほとんど閉じているようでいて、心の奥底までしっかり見ていてくださる、分かってくださるように見える。
同じ空間にいるだけで心が癒されるような、美しい地蔵菩薩坐像だった。
国宝《八大童子立像》運慶作の6体 鎌倉期1197年 高野山金剛峰寺
どれも素晴らしいが、とりわけ制多伽童子は秀逸。
利発そうな顔立ちを引き立てているのが、玉眼の表現。
白目の部分は輝くように白く、黒曜石のような光を宿した瞳をとりまく虹彩の石榴色の赤は、少年らしい生気と色気を感じさせる。
黒目の大きさと視線の向きを左右で変えることで、まるで生きているように人間味のある精彩に富んだ表情を与えている。
(生身の人間も、通常、黒目の大きさが若干違う。)
衣に残された截金文様がライトを浴びてキラキラと光っているのも、少年期の輝きを伝えているよう。
国宝《無著・世親菩薩立像》運慶作 鎌倉期1212年ころ 興福寺
4世紀末~5世紀初頭に北インドで活躍した法相教額の大成者・無著世親兄弟。
実際に手掛けたのも運慶の二人の息子兄弟で、運慶が統括したとされる。
老年の無着の眼は、白目が鈍く濁った玉眼で、虹彩にも紅は入れられず、瞳がグラデーション的に茶色くぼかされ、眼輪筋にもたるみがあるが、世俗的な感情を超越したような、精神的な深みを湛えている。
左の目と頬を貫く二筋のヒビが、焼き物の金継ぎのような趣き。
手の表現が極めて精緻で、左爪が薄く伸び、皺のある手の甲には骨と血管が浮き出ている。
西域らしいエキゾチックな世親の鷲鼻も印象的だった。
国宝《四天王立像》運慶作か? 鎌倉期13世紀 興福寺南円堂
近年、運慶作である可能性が濃厚とされつつある4体の立像。
康慶の四天王立像の作風を受け継ぐような力強い量塊感。
おそらく運慶が子息や弟子たちに分担してつくせたのだろう、4体の出来にいくぶん差があり、増長天と多聞天が躍動感やポーズの勢い、体躯のプロポーション、顔の表情の気迫の点で抜きん出ている。
【第3章 運慶風の展開~運慶の息子と周辺の仏師】
国宝《重源上人坐像》 鎌倉期13世紀 東大寺
萎びてたるみきった肌の質感、頸の後ろの骨々しさなど、まるで即身成仏した高僧のようにリアルすぎるほどリアル。
この実体感・実在感からは、崇高なオーラさえ感じた。
国宝《天灯鬼・龍燈鬼立像》 龍燈鬼・康弁作 鎌倉期1215年 興福寺
天燈鬼の舌をそり上げ、歯をむき出しにした口からは豪放な叫び声が聞こえてきそう。
康慶作・四天王の邪鬼を思わせる闊達な表現。
重文《十二神将立像》 鎌倉期13世紀 浄瑠璃寺伝来
運慶没後の慶派仏師集団の作とされる。
頬杖をついてひと休みする者や、見栄を切る者、ディズニーキャラクターのような表情の者など、じつにユーモラス。
12体が勢ぞろいしたのは42年ぶりというから、仲間たちと再会できて神将像たちも楽しそう!
重文《子犬》 湛慶作か? 13世紀 高山寺
丸山派の絵画に出てきそうななんとも愛らしいワンちゃん。
耳がまだねていて、尻尾がクルリ。
首を傾げたポーズが、ビクター犬を思わせる。
2017年10月9日月曜日
燦ノ会《楊貴妃》
2017年10月8日(日) 14時~16時40分 喜多能楽堂
仕舞《天鼓》《項羽》狂言《咲嘩》からのつづき
能《楊貴妃》 楊貴妃ノ霊 佐々木多門
ワキ方士 宝生欣哉 アイ常世国ノ者 河野佑紀
槻宅聡 森澤勇司 亀井広忠
後見 友枝真也 粟谷浩之
地謡 塩津哲生 大村定 長島茂 狩野了一
金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 大島輝久
観世流でしか観たことのなかった《楊貴妃》。
詞章や道具の扱い、引廻の取り外しや作り物から出るタイミングなど、観世流とはところどころ違っていて興味深い。
(喜多流の詞章は、燦ノ会のHPからダウンロードできるので助かります。)
【宮の中からのシテの謡】
詞章の大きな違いは、太真殿の作り物のなかからシテが謡いだす第一声に「あら物凄の宮中かな、あら物凄の宮中かな」が入るところ。
このあと、「昔は驪山の春の園に……」とつづく。
この作り物の中からのシテの謡には哀切な響きと、思いを秘めたような情感があって、胸にジーンとくる。
今年2月の土岐善麿の能《鶴》のときも、幕の中からの謡だしがとても良く、多門さんの謡が大きく変化したのを感じた。
この日の謡もたんに良いだけではなく、柳眉の麗人が深い眠りから目醒めたような抒情的な味わいがあり、舞台の空気をこのシテならではの曲の色に染めていく。
ワキが蓬莱宮の荘厳華麗なようすを描写したあとの、このシテの謡。
絢爛豪華な宮殿が立ち並ぶなか、独りポツンと置き去りにされた絶世の美女、その孤独さや寂寞感が際立つ「あら物凄の宮中かな」の謡だった。
(個人的メモ)
観世では引き回しが下されるのが「六宮の粉黛の顔色なきも理や」あたりなのが、喜多では「雲の鬢づら」「花の顔ばせ」のシテ・ワキの掛け合いあたりとなり、
シテが作り物から出るのが、観世では「仙宮に至りつつ」or「比翼も友を恋ひ」なのに対し、喜多では地次第「そよや霓裳羽衣の曲」の箇所となる。
【釵は天冠ごと】
それからいちばん驚いたのが、引廻しが下ろされたときに、楊貴妃が天冠をかぶっていなかったこと!!
観世では最初から天冠をかぶっていて、立て物(釵)だけ取り外してワキに渡すのですが、喜多では天冠ごと渡すのですね。
(知らなくて、最初、着け忘れたのかと思ってしまった。)
シテの出立は、秋の草花づくしの豪華な紅入唐織壺折に緋大口。
天冠の立て物は、楊貴妃の気品が引き立つ月輪。
面は小面だろうか。
この女面、はじめはイノセントで可憐な少女のように見え、イロエを舞ううちに蠱惑的な表情を見せ、序ノ舞では憂いのある高貴な女性に見えてきて、楊貴妃の多面性を映し出すよう。
使用された面は黄金比からすると下顎の比率が長いのだが、顔だちが整いすぎていないほうが、角度や陰影によって表情が変化しやすいのかもしれない。もちろん、シテの技量のなせる業でもある。
【ワキの表現力】
欣哉さんのワキを拝見するのもテアトル・ノウぶりで、久々。
同じく禅竹作の《小督》の仲国と同様、ともするとビジネスライクに見えてしまう役柄を、ヒロインの心にそっと寄り添う、深みのある人物像として描いていて、やはり欣哉さんは非凡だと思う。
とくにロンギの「さらばといひて出舟の伴ひ申しかえるさと、思はばうれしさの猶いかならんその心」のところ。
貴妃の魂魄をひとり冥界に残して去るのは忍び難いが、そればかりはいかに方術をもってしてもどうしようもない、死者を現世に連れて帰ることはできない、という苦渋が滲み出ていて、美しい姿勢で楊貴妃に背を向けたその背中が、孤独な佳人への憐憫の情を語っていた。
【序ノ舞→終曲】
貴妃の懐旧の念をそのまま映像化したような序ノ舞。
純白の梨の花が雨に打たれているような、しっとりとした趣きがあった。
舞い終えて自ら冠をとったシテは、「しるしの釵また賜はりて」で冠をワキに渡し、
「暇申してさらばとて」でワキと舞台上ですれ違い、ワキは橋掛りへ。
「気味にはこの世逢ひ見んことも」で、ワキは深くお辞儀をしたのち、シテと思いを込めて見つめ合う。
「恋しや昔」でシテがシオリ、「はかなや別れの」で宮の中へ入ると、
「常世の台に伏し沈みてぞ」で、深い淵に沈みこむようにすーっと下居し、
「留まりける」で、枕の扇。
仕舞《天鼓》《項羽》狂言《咲嘩》からのつづき
能《楊貴妃》 楊貴妃ノ霊 佐々木多門
ワキ方士 宝生欣哉 アイ常世国ノ者 河野佑紀
槻宅聡 森澤勇司 亀井広忠
後見 友枝真也 粟谷浩之
地謡 塩津哲生 大村定 長島茂 狩野了一
金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 大島輝久
観世流でしか観たことのなかった《楊貴妃》。
詞章や道具の扱い、引廻の取り外しや作り物から出るタイミングなど、観世流とはところどころ違っていて興味深い。
(喜多流の詞章は、燦ノ会のHPからダウンロードできるので助かります。)
【宮の中からのシテの謡】
詞章の大きな違いは、太真殿の作り物のなかからシテが謡いだす第一声に「あら物凄の宮中かな、あら物凄の宮中かな」が入るところ。
このあと、「昔は驪山の春の園に……」とつづく。
この作り物の中からのシテの謡には哀切な響きと、思いを秘めたような情感があって、胸にジーンとくる。
今年2月の土岐善麿の能《鶴》のときも、幕の中からの謡だしがとても良く、多門さんの謡が大きく変化したのを感じた。
この日の謡もたんに良いだけではなく、柳眉の麗人が深い眠りから目醒めたような抒情的な味わいがあり、舞台の空気をこのシテならではの曲の色に染めていく。
ワキが蓬莱宮の荘厳華麗なようすを描写したあとの、このシテの謡。
絢爛豪華な宮殿が立ち並ぶなか、独りポツンと置き去りにされた絶世の美女、その孤独さや寂寞感が際立つ「あら物凄の宮中かな」の謡だった。
(個人的メモ)
観世では引き回しが下されるのが「六宮の粉黛の顔色なきも理や」あたりなのが、喜多では「雲の鬢づら」「花の顔ばせ」のシテ・ワキの掛け合いあたりとなり、
シテが作り物から出るのが、観世では「仙宮に至りつつ」or「比翼も友を恋ひ」なのに対し、喜多では地次第「そよや霓裳羽衣の曲」の箇所となる。
【釵は天冠ごと】
それからいちばん驚いたのが、引廻しが下ろされたときに、楊貴妃が天冠をかぶっていなかったこと!!
観世では最初から天冠をかぶっていて、立て物(釵)だけ取り外してワキに渡すのですが、喜多では天冠ごと渡すのですね。
(知らなくて、最初、着け忘れたのかと思ってしまった。)
シテの出立は、秋の草花づくしの豪華な紅入唐織壺折に緋大口。
天冠の立て物は、楊貴妃の気品が引き立つ月輪。
面は小面だろうか。
この女面、はじめはイノセントで可憐な少女のように見え、イロエを舞ううちに蠱惑的な表情を見せ、序ノ舞では憂いのある高貴な女性に見えてきて、楊貴妃の多面性を映し出すよう。
使用された面は黄金比からすると下顎の比率が長いのだが、顔だちが整いすぎていないほうが、角度や陰影によって表情が変化しやすいのかもしれない。もちろん、シテの技量のなせる業でもある。
【ワキの表現力】
欣哉さんのワキを拝見するのもテアトル・ノウぶりで、久々。
同じく禅竹作の《小督》の仲国と同様、ともするとビジネスライクに見えてしまう役柄を、ヒロインの心にそっと寄り添う、深みのある人物像として描いていて、やはり欣哉さんは非凡だと思う。
とくにロンギの「さらばといひて出舟の伴ひ申しかえるさと、思はばうれしさの猶いかならんその心」のところ。
貴妃の魂魄をひとり冥界に残して去るのは忍び難いが、そればかりはいかに方術をもってしてもどうしようもない、死者を現世に連れて帰ることはできない、という苦渋が滲み出ていて、美しい姿勢で楊貴妃に背を向けたその背中が、孤独な佳人への憐憫の情を語っていた。
【序ノ舞→終曲】
貴妃の懐旧の念をそのまま映像化したような序ノ舞。
純白の梨の花が雨に打たれているような、しっとりとした趣きがあった。
舞い終えて自ら冠をとったシテは、「しるしの釵また賜はりて」で冠をワキに渡し、
「暇申してさらばとて」でワキと舞台上ですれ違い、ワキは橋掛りへ。
「気味にはこの世逢ひ見んことも」で、ワキは深くお辞儀をしたのち、シテと思いを込めて見つめ合う。
「恋しや昔」でシテがシオリ、「はかなや別れの」で宮の中へ入ると、
「常世の台に伏し沈みてぞ」で、深い淵に沈みこむようにすーっと下居し、
「留まりける」で、枕の扇。
2017年10月8日日曜日
第十一回 燦ノ会 ~仕舞《天鼓》《項羽》・狂言《咲嘩》
2017年10月8日(日)14時~16時40分 喜多能楽堂
仕舞《天鼓》 大島輝久
《項羽》 友枝真也
佐藤寛泰 金子敬一郎 内田成信 塩津圭介
狂言《咲嘩》 太郎冠者 野村万蔵
主人 野村万之丞 咲嘩 能村晶人
能《楊貴妃》 楊貴妃ノ霊 佐々木多門
ワキ方士 宝生欣哉 アイ常世国ノ者 河野佑紀
槻宅聡 森澤勇司 亀井広忠
後見 友枝真也 粟谷浩之
地謡 塩津哲生 大村定 長島茂 狩野了一
金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 大島輝久
九月は忙しかったから、今月は趣味の時間が持てるといいな。
久々の燦ノ会は、唐物尽し。
仕舞《天鼓》
喜多流の《天鼓》といえば、昨夏の袴能をどうしても思い浮かべてしまう。
あの月夜の湖面を飛び跳ねるような清らかな透明感は、生涯忘れられない。
心の奥底にしまっている大切な宝物だ。
喜多流のキリの謡は美しく、とくに「月にうそむき水に戯れ」の箇所が好き。
大島さんの舞はいつもながら技術的に巧い。
仕舞《項羽》
《項羽》は能でも未見だし、仕舞で観るのもはじめて。
友枝真也さんは舞う前から気焔がメラメラとあがり、天下分け目の戦いでの項羽の壮烈な最期を骨太な舞で表現していてよかった。
面白そうな曲なのに、稀曲なのはなぜ?
狂言《咲嘩》
万蔵さんの濃緑地の肩衣に描かれた兎が3羽。
ウサ、ウサ、ウサの、うさ子たちが可愛すぎて、思わずニンマリしてしまう。
(東次郎さんのふくら雀と同じくらいキュートな肩衣だ。)
それにしても、 野村万之丞さん、以前観た時よりもうまくなっていて、さすが。
発声とか、間の取り方とか、自然で親しみやすく面白い怒り方とか、落ち着きのある佇まいとか。
やっぱり襲名は脱皮や羽化のようなもの。その名にふさわしい役者になるべく飛躍する、大きな起爆剤になる。
能《楊貴妃》につづく
仕舞《天鼓》 大島輝久
《項羽》 友枝真也
佐藤寛泰 金子敬一郎 内田成信 塩津圭介
狂言《咲嘩》 太郎冠者 野村万蔵
主人 野村万之丞 咲嘩 能村晶人
能《楊貴妃》 楊貴妃ノ霊 佐々木多門
ワキ方士 宝生欣哉 アイ常世国ノ者 河野佑紀
槻宅聡 森澤勇司 亀井広忠
後見 友枝真也 粟谷浩之
地謡 塩津哲生 大村定 長島茂 狩野了一
金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 大島輝久
九月は忙しかったから、今月は趣味の時間が持てるといいな。
久々の燦ノ会は、唐物尽し。
仕舞《天鼓》
喜多流の《天鼓》といえば、昨夏の袴能をどうしても思い浮かべてしまう。
あの月夜の湖面を飛び跳ねるような清らかな透明感は、生涯忘れられない。
心の奥底にしまっている大切な宝物だ。
喜多流のキリの謡は美しく、とくに「月にうそむき水に戯れ」の箇所が好き。
大島さんの舞はいつもながら技術的に巧い。
仕舞《項羽》
《項羽》は能でも未見だし、仕舞で観るのもはじめて。
友枝真也さんは舞う前から気焔がメラメラとあがり、天下分け目の戦いでの項羽の壮烈な最期を骨太な舞で表現していてよかった。
面白そうな曲なのに、稀曲なのはなぜ?
狂言《咲嘩》
万蔵さんの濃緑地の肩衣に描かれた兎が3羽。
ウサ、ウサ、ウサの、うさ子たちが可愛すぎて、思わずニンマリしてしまう。
(東次郎さんのふくら雀と同じくらいキュートな肩衣だ。)
それにしても、 野村万之丞さん、以前観た時よりもうまくなっていて、さすが。
発声とか、間の取り方とか、自然で親しみやすく面白い怒り方とか、落ち着きのある佇まいとか。
やっぱり襲名は脱皮や羽化のようなもの。その名にふさわしい役者になるべく飛躍する、大きな起爆剤になる。
万蔵さんの太郎冠者が生き生きとしていて、面白かった。
(萬師との共演の時よりも、御子息との共演の時のほうが顔が若返って見える気がする。)能《楊貴妃》につづく
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