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2020年2月13日木曜日

鬼と芸能 古今東西の鬼大集合~伝統芸能文化創生プロジェクト

2020年2月8日(土)京都芸術センター講堂
岩手県・北藤根鬼剣舞《一人加護》
2020年2月8日(土)京都芸術センター講堂
第1部:シンポジウム
基調講演 小松和彦先生
パネリスト 横山太郎、川崎瑞穂、三宅流

第2部:芸能の公演
狂言《節分》鬼 茂山千五郎
 女 島田洋海
《母ケ浦の面浮立》佐賀県・母ケ浦面浮立保存会
《鬼剣舞》岩手県・北富士根鬼剣舞保存会

廃校となった小学校校舎を利用した京都芸術センター

今月は「民俗芸能月間」と称して、民俗芸能関連のイベントへの参加をいくつか予定している。

先週の壬生狂言につづく第2弾となるのが、個人的にめちゃくちゃツボの「鬼と芸能」というこのシンポジウム&公演。しかも司会は、敬愛する小松和彦先生だ。やっぱり小松先生のお話はおもしろい! 学生時代、なんでもっと先生の講義を受けておかなかったのだろう……。


第1部:シンポジウム
小松和彦先生の基調講演を要約すると;

鬼とは、過剰な「力」の象徴的・否定的な表現である。ここでいう「過剰」とは、秩序・制御からの逸脱を意味する。われわれ(あるいは個人)に恐怖や災厄を与えるとみなされたものに対して、「鬼」というラベルが貼られてきた。

「鬼」は「人間」の反対概念である。日本人が抱く「人間」という概念の否定形であり、反社会的・反道徳的「人間」として造形されたものが「鬼」なのだ。

神事などに登場する鬼は「祓われる」ために存在する。
鬼は、良くないものを集めた「器(うつわ」であり、人々のケガレを掃除機のように吸いとってから追い払われる。一年の禍を背負って退散してくれる鬼は、人々にとってありがたい存在である。

鬼は、平安時代までは姿の見えないものとされ、一説では「おぬ(隠)」が転じて「おに」と呼ばれるようになったとされる。だが、やがて鬼はしだいに可視化されていく。鬼が語られ、描かれ、演じられるなかで、信仰や美術や芸能が生まれていった。


以上が、小松和彦先生の〈鬼〉論だった。このあたりのことは、先生の著作『鬼と日本人』に詳しく述べられている。鬼にたいする興味がまたムクムクと湧いてきたので、馬場あき子さんの『鬼の研究』とともに『鬼と日本人』も時間を見つけて再読したい。



【第2部】鬼の芸能公演
東北と九州の鬼芸能を居ながらにして拝見できるという贅沢な公演。撮影OKだったので、少しだけご紹介します。

【北藤根鬼剣舞】
北藤根鬼剣舞
はるばる岩手県からお越しになった北藤根鬼剣舞保存会の皆さん。
演者のほとんどは若い方々で、跳躍したりしゃがんだりと激しいアクション。エネルギッシュで勇壮な舞だった。

地元では、鬼剣舞はジャニーズのパフォーマンスよりもカッコいいとされ、若い人にとっても憧れの芸能だとのこと。皆さん子どものころから習い覚えて、参加するそうだ。



鬼剣舞(重要無形民俗文化財)は1300年前からつづく念仏剣舞で、囃子方は太鼓1人、平鉦1人、笛3~4人で編成される。
もっとも巧い舞い手が白い面をつけるという。能でも白い面は位の高さを意味するが、民俗芸能の世界でも「白」は位の高さを意味するらしい。

それにしても、皆さん生き生きとしていて、熱いパッションがみなぎっていた。たんなる地元芸能の「保存」ではなく、人々の暮らしに息づいた「生きた」芸能なのだ、鬼剣舞は。


鬼剣舞《一人加護》
白い面をつけたリーダー格の演者が一人で舞う《一人加護》。大地を踏みしめる「反閇」を行い、五穀豊穣と鎮魂を祈る。

西日本の民俗芸能に比べると、東北の芸能は太鼓の音色に、背骨に響くようなどっしりとした重みがある。囃子の音質の違いは、西日本と東北の空気や大地の違いだろうか?


【母ケ浦面浮立】
母ケ浦の面浮立
佐賀県から来てくださった母ケ浦面浮立保存会の皆さん。

面浮立(めんふりゅう)とは佐賀県の代表的な民俗芸能で、母ケ浦(ほうがうら)の面浮立は、佐賀県鹿島市の鎮守神社の秋祭りに五穀豊穣を願って毎年奉納されるそうだ。

面浮立の「浮立(ふりゅう)」って「風流」の当て字かな?


「鬼(かけうち)」たち
解説が物足りなかったので、ネットで調べた面浮立の説明を以下にまとめると;

面浮立は以下の3部構成になっている。
(1)奉願道(ほうがんどう):鬼が神社に乗り込むまでの道中
(2)神の前:神前での神との闘い部分
(3)法楽:神との闘いで負けた鬼が、その償いに法楽を踊って、神を楽しませる部分。

主役となる「鬼(かけうち)」は、シャグマのついた鬼面をかぶり、モリャーシと呼ばれる太鼓を腰につけ、打ちながら踊る。

面浮立は、大地に踏ん張る「力足」と、虚空に描く「力み手」を主体とし、悪霊を鎮圧する芸能だそうである。


右側が「かねうち」の女性たち
女性は「かねうち」を務める。
1つの鉦を2人の女性が持ち、拍子に合わせて2人同時に鉦を叩く。青い前だれの上から浴衣を着て、頭に花笠をかぶる。手ぬぐいで顔を覆っているのが特徴。

囃子は鉦のほかに、横笛1人(本来は数人)と大太鼓が1人。

東北の鬼剣舞でも、九州の面浮立でも、舞い手が鬼らしく「ウォーッ!」という獣のような掛け声をかけながら舞うのが印象的だった。祓われるべき鬼でありながら、全身から「気」とエネルギーを発散させて、邪気を追い払う。

鬼のなかに「祓う者」と「祓われる者」が混在しているのが、民俗芸能の鬼の特徴なのかもしれない。


【狂言《節分》茂山千五郎家】
狂言《節分》

壬生狂言の《節分》を観たばかりなので、比較しながら拝見できた。

大きな違いは以下の3つ。
(1)壬生狂言の《節分》で冒頭に登場した厄払いの呪術師が、能狂言の《節分》では登場しない。

(2)壬生狂言の《節分》では女は「後家」だが、能狂言の《節分》では女は夫のある身。夫は出雲大社に年籠りをしているという設定。

(3)壬生狂言の《節分》では鬼は衣服を着て人間の男に変装するが、能狂言の《節分》では、隠れ蓑と隠れ笠をつけて透明人間のように姿を隠して女の家に入り込む。


壬生狂言は無言劇なので、鬼と女の間でどのような言葉が交わされたのかはわからなかったが、能狂言の《節分》ではけっこうきわどい言葉が使われていた。

「一人で寝るか、二人で寝るか、この鬼が伽(とぎ)をしてやろう」とか、「毛抜きはあるか? (女の)眉毛があまりに深々として、この鬼が抜いてやろう」とか……。「眉毛」はおそらく別の箇所のヘアのメタファーだと思う。

生暖かく湿気を帯びた春の匂いがたちこめる節分。
季節の隙間は、心の隙間。
夫の留守に生じる女の気のゆるみ。そこに入り込もうとする鬼。そうした人間心理と春の気分が立ち込めるのが《節分》だ。
人間の心に生じた「魔」を鬼と呼び、季節の境目に生じた「魔」を豆で払いのける曲なのだろう、たぶん。




2019年7月29日月曜日

面白能楽館「恐怖の館」

2019年7月27日(土)京都観世会館
お話 林宗一郎
組曲「こんなはずじゃなかった」
《鉄輪》 浦田保浩
《善知鳥》杉浦豊彦
《恋重荷》井上裕久
 左鴻泰弘 曽和鼓堂 河村大 前川光範
 後見 味方團
 地謡 浦田保親 越智隆之
    吉浪壽晃 大江信行

能の体験
 謡体験その一・その二
 能面体験
 装束体験・ホラールーム

能《安達原》シテ片山九郎右衛門
 祐慶 小林努 山伏 有松遼一
 能力 茂山千三郎
 左鴻泰弘 曽和鼓堂 河村大 前川光範
 後見 大江信行 梅田嘉宏
 地謡 河村晴道 味方玄 分林道治
    浦部幸裕 橋本光史 吉田篤史
        河村和貴 大江泰正



その名の通り、と~っても面白くて、怖かった、面白能楽館「恐怖の館」。
京都の能楽師さんは皆さん親切で、フレンドリーな方ばかり。いつもよりお客さんの年齢層も若くて、見所もロビーも活気にあふれ、大人も子供も少女漫画みたいに目がキラキラしていた。
なにより企画力がすごい。ヴァラエティ豊かな内容を「これでもか!」ってくらいギュッと詰め込み、幅広い年齢層が楽しめる公演にアレンジされていて、よく考えられている。

夏休みのこういう体験型能楽イベントはお子さま限定がほとんどで、私などは行きたくてもいけなかったから、うれしい機会でした。



組曲《こんなはずじゃなかった》
《鉄輪》《善知鳥》《恋重荷》という怖い3曲の見せ場をピックアップして、リレー形式で上演。京都観世会を代表するシテ方お三方が、面・装束を着け、曲ごとに「祈祷台」「笠」「重荷」の3つのアイテムが出されるという、贅沢な組曲。

3人のシテの充実した芸が次々と披露され、お囃子が曲と曲をスムーズにつないでいく。この日は音響が良く、前川光範さんと河村大さんが華麗な音色と気迫のある掛け声にゾクゾクした。



謡体験
解説者で企画者のおひとりでもある林宗一郎さんのご指導。地取のお稽古というのが斬新だった。あの低く響く声をお腹の底から出すのはなかなか難しいけれど、地取って渋くてかっこいい。謡のお稽古を少し体験しただけでも、その味わい方が違ってくる。


鉄輪の「祈祷台」
ロビーに設けられた作り物体験コーナー。
鉄輪の「祈祷台」では後妻打ちのポーズで写真撮影。



安達原の「萩小屋」と打杖
担当の片山伸吾さんがていねいに説明してくださいました。
打杖、はじめて手に持ったけれど、意外に軽くてビックリ。
お茶の世界で「軽いものは重く」扱うよう教えられるように、舞台で役者さんが扱うと、もっと頑丈で重そうに見えます。

作り方は竹の棒に布を巻いていくのですが、このとき接着剤は使わず、先のほうを糸で縛るだけだそうです。《安達原》では画像のような紺地の布を使い、《道成寺》などでは赤地の布を使うとのこと。簡素な道具にも、細かい部分に工夫やこだわりが施されていて、能楽師さんから直接お話をうかがうのは着物の織元を訪ねるのに似ています。



能面クラフト・コーナー
公演チラシの裏面の般若を切り抜けば、紙の能面になるというなかなかのアイデア。
こういうの作るのは久しぶり。4才の甥にあげようかな。




装束体験
舞台では装束体験。
着付けチーム4組ぐらいで15人の装束付をしていきます。能楽師さんたちも汗だく。

2階はホラールーム。
私は申し込まなかったのですが、アミューズメントパークのアトラクション並みに「きゃあ~!」という叫び声が聞こえてきて、すごく盛り上がっていました。(^^♪




能面体験

お目当ては、この能面体験。
プロの能楽師さんが面をかけた時どんな感じなのかを体験するべく、本物の舞台の時と同じ強さで紐を締めてもらうようお願いしたのですが、これが私にとっての恐怖体験に。

「えっ! こんなに締めるの?!」と思うくらい、能楽師さんが面紐をグイーッと締めていきます。懲らしめられた孫悟空の頭の輪のような締めつけ具合とでもいうのでしょうか、意識が遠のきそう。

立ち上がって歩いてみましたが、視界は狭く、私は顎を引きすぎていたので、能楽師さんに舞台上のふつうの頭の角度に直してもらうと、足元がまったく見えず、おのずとスリ足的な歩き方になっていきます。

それにしても、面を掛けただけで、慣れ親しんだ自分の身体が、別のものになったような不思議な感覚でした。修練を積んだ能楽師さんはもっと深い憑依感覚を味わっていくのでしょうか。そういえばこの日の翌日、金剛家の能面展にうかがったときに、宇髙竜成さんが「能楽師は能面の依代になるために身体をつくってゆく」みたいなことをおっしゃっていました。能面は、お能の「核」なのかもしれません。




2階展示ケースの怖い能面たち
京都観世会の各御家が持ち寄った、怖い能面たち。
チラシの背景に映っていた能面たちは、この子たちの合成?
間近で拝見できてうれしい。

撮影OKだったので、以下に紹介していきます。

狐蛇




貴船女
変わった能面ですね。林家所蔵の「貴船女」だそうです。
きれいだなぁ。
この面を使った《鉄輪》を観てみたいと思ったのですが、実際は使いにくいとか。



野干




生成
素人目にはこちらのほうが使いにくそうに見えるのですが、使い込まれた跡があるので、意外とそうでもなさそうです。



河津(蛙)
私にとって、能面のなかでいちばん怖いのが蛙の面。
この子はわりと愛嬌があるのですが、日氷の蛙は、ほんとうに怖い。





橋姫



般若



鼻瘤悪尉


片山九郎右衛門《安達原》につづく


2019年7月17日水曜日

囃子Labo Vol.5

2019年7月15日(月)京都府立文化芸術会館
京都府立文化芸術会館(1969年、富家宏泰設計)
オープニング《船弁慶》より
 早笛・舞働スペシャルメドレー

太鼓流派の比較 光範×井上

一調《野守》井上敬介×竜成

居囃子《安宅》
 信太朗 大和 渡部 光範

居囃子《石橋》
 信太朗 大輝 渡部 光範

〔メンバー〕杉信太朗、林大和、林大輝、渡部諭、前川光範 〔ゲスト〕井上敬介、金剛龍謹、宇髙竜成


初参加の囃子Labo、お囃子と謡の魅力がギュッと詰まった密度の濃~い内容で、楽しかった~!
その名のとおり、ほかでは体験できない実験的試みが満載。お囃子好きの私は興味津々で聴き入ってました。
スギシンさんの噛み噛みのMCも可愛くて、アットホームな和室のなか、至近距離で聴く囃子と謡の生演奏は最高!(囃子方さんたちの地声は聞いたことがなかったから、こういう声なのか~、という意外性も。)


【太鼓の流派の比較】
なかでも面白かったのが、太鼓の流派の比較。
あらためて比べてみると、へえ~、こんなに違いがあるんだ!と目からウロコの連続でした。
自分用の覚書として以下に違いを列挙すると(用語は曖昧です (;^_^A)

(1)バチの持ち方
観世:中指・薬指・小指の三本で持つ。スナップはあまり利かせない。
金春:親指・人差し指・中指の三本で持つ。

(2)バチの構え方
観世:両バチ均等にバチを構える
金春:右のバチは伏せて手のひらを下に向け、左のバチは起こして手のひらを上に向ける。

(3)ツケガシラ?
観世:カシラの前に「ツクツ」と打つ。
金春:「ツクツ」が入らない。

(4)オロシの掛け声が違う

(5)調べの掛け方や結び目
観世:縦締めを観客側、横結びを奏者のほうへ向ける。
金春:結び目を奏者のほうへ向ける。

(6)太鼓を横に立てておく時の撥革の向き
観世:外側に向ける
金春:奏者のほうへ向ける


と、こんな感じで、観世流の石井敬介さんと金春流の前川光範さんが実演を交えながら解説。
その後、「皆さんも打ってみましょう!」ということになり、全員でカシラの撥扱いをエア太鼓で練習したのですが、このエア太鼓、楽しすぎて、もっとやりたかったくらい。やっぱり、太鼓が好きだなぁ。

メモ:カシラを打つ時、観世流では左脇を締め(刀)、金春流では左脇を水平に上げる(弓)。



【太鼓+謡で観世・金春の太鼓比較】
次に、金剛流若宗家とタツシゲさんも加わり、光範さんと井上さんが《嵐山》を同時に打って、どれだけ二流派が違うのかを比較。
こうして聴くと、手組がずいぶん違う。全体的に金春のほうが手数が多い感じ?



【太鼓+謡+小鼓二丁で、太鼓の流派に合わせた時の小鼓の手組の比較】
太鼓が入ると、太鼓がお囃子を主導し、ほかのパートは太鼓の流派に合わせます。
そこで、太鼓の流派が違うと、小鼓の手組がどのように変化するのかを実験するべく、林大和・大輝兄弟が加わり、それぞれ観世流と金春流の太鼓に合わせて演奏。

観世・金春の太鼓と、太鼓それぞれに合わせた小鼓2丁が《鶴亀》を同時に演奏するのを聴いたのですが、なるほどー、小鼓の手組がかなり変わります。

おそらくシテ方の流儀が変わると、また違ってくるだろうし、お囃子・シテ方の流儀の違いや、曲によってはワキ方の流派の違いによって、いろんなヴァリエーションが生まれるのでしょう。それらをすべて把握して舞台に臨まなければならないなんて! 実際に聴いてみると、その凄さ、大変さをあらためて実感します。


一調《野守》
井上敬介さんとタツシゲさんの火花散るような熱い一調。

一調の前にお二人のお話があったのですが、井上敬介さんは恰幅といい、話し方といい、どことなく噺家さんっぽい雰囲気。
太鼓方観世流のお家元(元伯さんのお父様・元信師)が語ったというお話が興味深い。
それによると、終戦直後、少年だった元信師は、「これからは能の舞台なんてなくなるから、能の稽古はしなくていい」と言われ、一調のお稽古しかさせてもらえなかったとのこと。
のちに元信師は大鼓方の亀井俊雄(忠雄師のお父様)から太鼓を教わったと、元伯さんがインタビューで語っていらっしゃいましたが、その背景にはこういう事実があったんですね。



居囃子《安宅》
勧進帳+男舞の部分を中心に。
大小鼓の大和さんと渡部さんは、勧進帳(重い習物)の初役だそうです。
お二人ともめちゃくちゃ気合入ってました!
この日は演者全員が爽やかな白紋付だったのですが、その姿が、切腹を覚悟した白装束のサムライに見えたほど。
大鼓の渡部さんは、まるで短刀でハラを掻き切るように右腕を構え、脇に抱えた鼓を打っていて、鬼気迫るものがありました。
精悍な感じの大鼓方さん(師匠の谷口正壽さんが見守っていらっしゃっいました)。



居囃子《石橋》
シメは石橋。
お囃子も謡もエネルギッシュでかっこよかった!
露之拍子の小鼓が、まるで時間が止まったかのように「間」を長~くとったのが印象的(一瞬、忘れてるのかと思ってしまった (^-^;)。
上から落ちてくる露が谷底にたどり着くまでの長い時間。大輝さんがとった長い「間」が描いた、とほうもなく深い渓谷の気配。

次の土曜日に開かれる林木双会では、今度は大和さんが番外居囃子で《石橋》を打つ予定だそうです。こちらも楽しみ。



2019年7月7日日曜日

七夕に京観世の謡を聴く ~伝統文化の源流に触れる

2019年7月7日(日)国立文楽劇場

第1部「朗読劇としての謡曲の魅力」
京観世の歴史など 吉浪壽晃
《高砂》の謡体験
素謡《井筒》シテ 吉浪壽晃
 ワキ 寺澤幸祐 寺澤拓海

第2部「劇としての能、夢幻能と現在能」
お囃子の解説と実演 MC 上田敦史

能《橋弁慶》シテ弁慶  吉浪壽晃
 子方牛若丸 吉浪絢音
 赤井要佑 上田敦史 森山泰幸
 寺澤幸祐 寺澤拓海



文楽劇場で能の公演はめずらしい。
「謡よし、舞よし」の京都観世の実力派・ 吉浪壽晃さんのイベント、とっても楽しかった!

冒頭、七夕にちなんだ《楊貴妃》の一節「その初秋の七日の夜、二星に誓ひしことの葉にも、天に在らば願はくば比翼の鳥とならん、地に在らば願はくは連理の枝とならんと誓ひし事を密に伝へよや、私語なれども今洩れそむる涙かな」を 吉浪壽晃さんが謡うと、会場がシーンと水を打ったように静まりかえる。
いい声……聴き惚れてしまう。

謡でグッと観客の心をつかんだあとは、吉浪さんによるお能や京観世の歴史などの解説。京観世の歴史が興味深かった。


江戸初期の観世太夫・九世左近身愛(黒雪)の甥が京都に隠居して、服部宗巴と名乗り、観世屋敷を拠点に素謡の教授をはじめる。このときの5人の弟子たち(岩井七郎右衛門・井上次郎右衛門・林喜右衛門・浅野太左衛門・薗九兵衛)が京観世五軒家と称され、立方である片山家のもと、地謡方を勤めるようになる。

五軒家で今も残っているのは、林喜右衛門家のみ。
現在の井上家は、五軒家の井上七郎右衛門家ではなく、薗家の親戚筋だった井上嘉介(嘉助?)が芸系を受け継ぎ、当代裕久師へ至ったもの。

岩井家の芸系は、門弟の大西家と大江家に継承された(大西家と大江家は京観世系だったんですね)。

しかし、大正昭和に入ると、観世流の全国統一の動きが加速され、京観世の謡はしだいに廃されてゆく。戦後になると継承者がなく、ほとんど消滅したという。

京観世の謡の特徴は、素謡としての自律性が強く、拍子よりは旋律と情感本位の謡だった点にある。また、「イロ」「アタリ」などの装飾的なフシを比較的重視し、ツヨ吟が現行謡よりも旋律的でヨワ吟に近かったという。
部分的な節扱いに宝生流および下掛りと同じ技法がみられ、吉浪さんが昔の京観世の謡のテープを聴いても、まるで他流の謡のように聴こえるとおっしゃっていた。

現在は、宗家系の謡に統一されたとはいえ、私などが聴くと、京都観世の謡は東京の観世流の謡とは違うように聴こえる。

とくに息づかい。
たとえば、片山九郎右衛門さんが地頭に入った時と、京都観世のみで構成される地謡とではずいぶん違う。

九郎右衛門さんの息づかいは東京の銕仙会風で、息づかいが力強い。息の強弱をはっきりと意識して歌っているのがよく分かる。いっぽう京都観世の地謡は、たおたおとした嫋やかな情感にあふれていて、息づかいは繊細でさりげない。

関東の荒々しい気候と坂東武者の気風が東京の謡に反映されているとすれば、京都の謡には、なだらかな山々に囲まれた穏やかな気候と公家や町人の和やかな気質が溶け込んでいる。


素謡《井筒》
吉浪さんのシテと、寺澤幸祐さんのワキ。
かねてから謡がうまいなぁと思っていたお二人の組み合わせ。とても素敵な《井筒》だった。井上門下の謡は自己主張がなく、純粋に美しい。ひたすら聴覚にやさしい謡だ。私は肩の力を抜いて美しい謡に身をゆだね、心地よさに浸りながら聴いていた。



お囃子の解説と実演
小鼓の上田敦史さんがMCをされていて、テンポのいい軽妙なトークに大爆笑。
たぶん、私が今まで聞いた囃子方さんのなかでいちばんトークがうまいんじゃないかな。副業でMCタレントをしてもいけるかも?

小ホールの最前列で観ていたので、めっちゃ至近距離でお囃子の演奏を拝見。
目にも耳にも、ド迫力!

ヒシギをこんなに近くで聴いたのもはじめて。隣の小鼓が難聴になったりするって聞いたことがあるけれど、納得するくらい、すごい音。鼓膜が破れるかと思った。
赤井要佑さんの笛、好きだから、間近で聴けて良かった。

あと、森山泰幸さんは観世流の大鼓方なんですね。
大鼓に観世流があるのをはじめて知った。たしか、東京にも京都にも大鼓方観世流はなかったと思う。大阪・奈良にしかないのだろうか? どういう歴史があって、現在、どういう人たちが大鼓方観世流なんだろう? 興味津々。いつか訊いてみたい。
ほかの大鼓の流儀とどう違うのか、ちょっと聴いただけでは分からないけれど、打ち方や掛け声など、上品な印象。観世流の太鼓と合いそう。



半能《橋弁慶》
吉浪さん、去年のチャリティー公演の《葵上》を観た時から注目していたけれど、やっぱり能の舞台もいい!
通常よりも狭い舞台なのに、薙刀さばきも鮮やかで、キレと品がある。ご息女・絢音さんとの立ち回りも息が合っていた。いつかじっくりお舞台を拝見したい。



こちらは、文楽劇場展示室の《勧進帳》の弁慶



2019年4月28日日曜日

平成最後の観能と本願寺伝道院

2019年4月28日(日)西本願寺南能舞台・書院
「降誕会祝賀能をより楽しむために」片山九郎右衛門
修復のため南能舞台の塀が撤去されていた。
画像は、橋掛り越しに書院を眺めたところ
(1)本願寺と能の歴史と関りについて

(書院にて)
(2)本年の演目解説
・開演前の”触れ”について
・能《田村》について
 能面「童子」「平太」の紹介
・狂言《延命袋》について
・能《百万》について
 能面「曲見」「深井」の紹介

(南能舞台にて)
(3)仕舞《田村キリ》

(書院にて)
(4)《田村》謡の稽古
「今もその名に流れたる」から「おそかなるべしや」

(舞台と書院で)
(5)参加者の連吟で仕舞《田村》を実演

国宝・浪之間玄関の檜皮葺の屋根も無残な状態に
 前日まで観世会例会に行くつもりだったのですが、翌日からGW中盤のハードスケジュールに入るため5時間以上の長丁場の観能は体力的にちょっと自信がなく……急遽こちらに変更。

能《歌占》や《船橋》を見逃したのはとても残念でしたが、平成最後に九郎右衛門さんの仕舞を南舞台で拝見し、謡のお稽古を国宝・対面所(鴻之間)で体験できて、めっちゃ幸せ♪ 一生の思い出になりそう。

わたしの隣に座った女性はお能を観るのははじめてだったそうですが、終演後、とても楽しまれた御様子で「素敵な方ね」と九郎右衛門さんについてもおっしゃっていて、なんだかこちらも嬉しい気分。


それにしても、昨年の降誕会祝賀能の際の拙ブログ画像と比べると、文化財建築物の塀や屋根など、あちこちで地震・台風・大雨の爪痕が生々しく残っていて、復興の大変さをあらためて実感します。檜皮葺などは原皮師が減少して、檜油を含んだ上質の檜皮を得るのさえ困難だろうし。。。


九郎右衛門さんのインタビュー記事が載った冊子

さて、いつもながら楽しいお話が満載だったのですが、いちばん印象に残ったのが、能《田村》の前場についての解説。要約すると;

前場で使われる「童子」の面は、少年の風貌に大人の知謀を兼ね備えた不思議な存在というイメージ、護法童子のようなイメージであらわされる。
前場で童子が箒をもって現れるのは、桜の橋で天と地をつなぐことのできた少年が玉箒を掃きながら向こう側に渡ってゆく伝説がその背景にあるからではないか。
坂上田村麿はほんとうは心優しい人なので、蝦夷の指導者・アテルイとの約束を破ったことについても心を痛めている部分があったのだろう。だから、伝説の少年のように玉箒で清めながらいつかそれを橋に見立てて向こうへ行ってしまいたいという願望を抱いていて、それが前場のような形で表われたのではないだろうか。


という趣旨のことを九郎右衛門さんはおっしゃっていた。
登場人物の内面に深く入り込んだ、ロマンティックな解釈。愛があるよね。能の主人公や登場人物にたいして、身近な存在のように優しいまなざしでみつめている。九郎右衛門さんが語ると、そのキャラクターが自分と同じ悩みや苦しみをもつ血の通った存在として息づいてくる。


講座は70分だけど、物凄く濃い内容。
《田村》の仕舞を二度も舞ってくださった。
最初はキリ。書院から南能舞台まで(けっこう離れている距離)を往復し、橋掛りを歩きながらもいろいろ解説して、さらに舞台では、一人で舞って謡って何役もこなす、というハードさ。


二度目は、清水寺縁起の箇所の謡のお稽古のあと、書院にいる参加者全員が習ったばかりの謡を連吟。それに合わせて、九郎右衛門さんが南能舞台で舞う、というもの。

簡単には覚えられなかったけれど、とにかく、仕舞を舞う九郎右衛門さんまでどうか届け!!と念じながら、渾身の力を込めて謡いました! 全身で謡うのは気持ちいい!
自分たちの謡で、あこがれの方が舞ってくださるなんて夢のよう。

平成最後の素敵な思い出。
九郎右衛門さんと西本願寺さんに感謝!

(このあと、九郎右衛門さんは観世会館に舞い戻って《熊野》の後見を勤められたのでしょう。ほんと、ハードだ。。。)

西本願寺の門前には仏壇関係のお店が軒を並べる。
その先にある特色ある建物が、本願寺伝道院。



本願寺伝道院、明治45(1912)年竣工、伊東忠太設計
 中国、インド、トルコを旅した伊東忠太がその経験をもとにデザインした東洋趣味にあふれる建築。

大きなドームの下には、イスラム建築風の窓。こういうところは、同じく伊東忠太設計の築地本願寺に似ている。ドームのまわりを欄干が取り囲む装飾も特徴的。




ロマネスク風の幻獣たち。



こちらはグリフォンっぽい。



羽根の生えたゾウさん。




2018年11月15日木曜日

誓願寺と誠心院 ~和泉式部ゆかりの寺

新京極通りには、和泉式部ゆかりの2つのお寺が建っています。

こちらは、能《誓願寺》の舞台となった誓願寺。

和泉式部が帰依したころの誓願寺は奈良にあり、宗派も三論宗だったようです。
その後、鎌倉時代に京都の一条小川に移転し、さらに秀吉時代に現在の三条寺町に移され、宗派も鎌倉期に浄土宗になったとされています。

和泉式部が御本尊に教えを受けたころとは大きく様変わりした誓願寺ですが、能《誓願寺》ではすでに念仏の大道場として描かれ、現在とそう変わらないお寺だったのかもしれません。



行ってみると、なんと、「リレー説教大会」なるものが催され、門前では若い僧侶の方々がビラ配りをしていて、「どうぞ! どうぞ!」と本堂へ案内されました。


本堂には立派な阿弥陀如来像が。

誓願寺のもともとの本尊は、天智天皇の勅願により、名仏師・賢問子・芥子国父子が造立したものでした。

賢問子と芥子国は、夜になると地蔵菩薩と観音菩薩に姿を変えて勅願仏を彫っていたという伝説が残されています。
両菩薩は春日大明神の本地であることから、阿弥陀如来は春日大明神がつくられたものとして崇められてきたといいます。

和泉式部が帰依したのも、この賢問子・芥子国が彫った阿弥陀如来でした。

しかし残念ながら、天智天皇勅願の仏像は焼失し、現在安置されているのは、明治期の神仏分離により、石清水八幡宮から移されてきた阿弥陀如来(鎌倉~南北朝期作)だそうです。

とはいえ、八幡神の本地仏として石清水八幡で大切に崇拝されてきただけあって、現在の阿弥陀様も素晴らしい仏像です。


美しいので、仏像のアップ。
(こちらのお寺は太っ腹で、本堂の中も写真撮影OKとのこと。)

「リレー説教大会」というのは、落語の元祖で、優れた説教師でもあった誓願寺第55世策伝上人の遺勲を受け継ぐべく開催されている大会だそうです。

策伝上人は、滑稽な話を集めて『醒睡笑』を著しました。
その『醒睡笑』をもとにして、《子ほめ》《牛ほめ》《唐茄子屋政談》《たらちね》などの落語作品がつくられたというから、たしかに落語の元祖、誓願寺が落語発祥の地と言われるのもうなずけます。

僧侶の方々がやわらかい京都弁で語る説教は、なんとなく落語っぽい。

こちらに来て感じるのは、とくに関西の浄土宗・真宗系の僧侶の方々は、皆さん、噺家なみにお話がうまいということ。
親しみやすい話術のうまさは、ここでは僧侶の必須条件なのかも。

この本堂では落語の奉納以外にも、《誓願寺》の能楽奉納も行われているそうです。




さて、そのまま新京極商店街を歩いていくと、誠心院の山門が見えてきます。

誠心院の初代住職が、和泉式部です。
和泉式部は、藤原道長の娘・彰子に仕えていました。
彰子の勧めにより、藤原道長が和泉式部のために建てた東北寺境内の小御堂が、誠心院の起こりとされています。



山門の右横には、魔尼車(マニ車)の一種「鈴成り輪」がありました。

お寺の解説によれば、和泉式部の古い灯籠の竿と台座を使ったもので、一回廻せば経典を一回読誦した功徳が得られ、さらに知恵授けや恋授けの御利益があるとのこと。



誠心院には、江戸時代の和泉式部縁起絵巻が伝わっており、境内には絵巻のパネルが飾られています。

絵巻の上巻には、娘の小式部に先立たれた和泉式部が、書写山円教寺を訪ねて、そこで性空上人の教えを受け、さらに誓願寺に籠り、本尊の教えによって六字名号を日々唱え、女人往生するまでの物語が綴られています。

↑の図は、和泉式部が誓願寺に参拝したときの様子。



下巻は、能《誓願寺》を絵巻物にしたような内容で、最後は、歌舞の菩薩となった和泉式部が二十五菩薩とともに一遍上人の前にあらわれるさまが描かれています。

↑の図に描かれているのは、和泉式部の墓(宝篋印塔)。




こちらが現在の誠心院。


本堂の脇から裏手にまわると、


式部千願観音像がビル群の前に安置されていました。

和泉式部の面影を偲ぶ、千人の願いを込めた、万人に利益を施す聖観音菩薩という思いでつくられたそうです。


和泉式部誠心院専意法尼の墓所(宝篋印塔)

能《誓願寺》の詞章に、シテ「わらはが住家はあの石塔にて候」、ワキ「不思議やな、あの石塔は和泉式部の御墓とこそ聞きつるに、御住家とは不審なり」というくだりがあります。
誠心院によると、この誠心院境内にある宝篋印塔こそ、能《誓願寺》に登場する石塔だということです。

能の舞台は誓願寺だけれど、石塔(和泉式部の墓)は誠心院にあるということ?




二十五菩薩像
江戸期のものということですが、おそらく色が黒ずんでいる彫りの浅いものが江戸期の作で、彫りが深く石が白い像は、もう少し時代が下るのかもしれません。


実際の誓願寺は大きく様変わりして、和泉式部の気配が感じられなかったのですが、こちらの誠心院では、和泉式部信仰がいまなお深く根づいていて、能《誓願寺》の世界を味わうことができたように思います。







2018年9月3日月曜日

京都美風「古典芸能を楽しもう! 能・狂言の世界へようこそ」

2018年8月25日~9月21日 京都駅ビルインフォーメーション前


先月末から、京都駅にお能の展示コーナーが設けられています。

囃子の御道具や能面の陳列、お能の歴史や説明のパネル展示などがあり、能舞台の模型も、子供たちに人気でした。

飛び出す能楽師の舞を鑑賞するAR体験もできます。

会場は、老若男女、海外の人たちでにぎわっていました。

わたしが釘付けになったのが、九郎右衛門さんのお舞台の映像。



《嵐山》《班女》《忠度》《松風》の映像がダイジェストで流れていました。

《忠度》と《松風》がとりわけ美しい。うっとり、ため息。
お舞台、観たかったなー。




先日亡くなられた藤田六郎兵衛師が、《班女》《忠度》《松風》の笛を勤めていらっしゃって、まだなにか悪い夢を見ているよう。
(これほどの名手を、花の盛りに失うなんて。次期人間国宝を次々と狙い撃ちする病魔……ぜったいに今年か来年には国宝になられると思っていたのに。)

昨夏、霞が関で大倉源次郎さんと六郎兵衛さんが、揉ノ段や獅子を演奏されたことを思い出す。
人通りの多いコモンゲートで喧騒にまぎれながら、ストリートミュージシャンのように行われた、笛と小鼓のライヴセッション。
昔はよく二人で飲みに行っては、「流し」のように笛と小鼓で演奏してね……などと、若かりし頃のエピソードをはさみながらのセッションは、能楽堂とはまた違った味わいで、アットホームな楽しさがあった。
そして、お二人の演奏の素晴らしかったこと!

六郎兵衛さんの笛を最後に聴いたのは、九郎右衛門さんの後援会能の《龍田・移神楽》(シテ観世銕之丞)だった。
少しの衰えも感じさせない、あの五段神楽は一生の宝物です。



小鼓と大鼓



中将




大癋見


駅の一角にこういう展示があるなんて、京都はほんとうに素晴らしい!