2015年9月12日(土) 豊嶋三千春師喜寿記念 セルリアンタワー能楽堂
能《小鍛冶》 シテ 社中の方
ワキ三条宗近 宝生閑 ワキツレ橘道成 野口能弘
ワキ後見 殿田謙吉
アイ 竹山悠樹 働 月崎晴夫
栗林祐輔 住駒匡彦 柿原弘和 大川典良
後見 豊嶋三千春 豊嶋晃嗣 重本昌也
地頭 豊嶋幸洋
一昨日、復帰直後の宝生閑師の御舞台を拝見。
彼の宗近は壮絶だった。
代役の可能性も高いと思っていたので、
揚幕から閑師の姿が現れた時には胸に熱くこみ上げてくるものがあり、
一秒たりとも目が離せなくなった。
閑師によく似合う、あの鶴模様の掛直垂をお召になっている。
ハコビはかつてのような独特の品格のある世にも美しいハコビではなく、
薄氷を踏むように一歩一歩、足元を確かめながら進んでいく。
やせ細った身体を運んでいるのは体力ではなく、気力のみ。
痛々しいし、なぜそこまで……と思うのだけれど、
彼を再び舞台へと導いた凄まじい気力が、
舞台上でも彼の身体を突き動かしているように見えた。
《小鍛冶》のワキは、シテの登場後、地謡前に下居するのだが、
このとき見所のわたしの席からちょうど閑師と対面する形となり、
あらためてこの日の閑師から発せられる鬼気迫る気を実感した。
片山九郎右衛門さんは閑師について
「生半可な力でぶつかっていくと跳ね返されてしまう」とおっしゃっていたけれど、
ほんとうにこちら(観客)が跳ね返されてしまいかねない。
否、それ以上の、対峙する者を射抜くほどの、鋭く、強力な気が発散されていた。
一畳台に上り下りするときは殿田さんに支えられながら。
ワキの謡と詞は全般的に弱かったけれど、
早笛の合図となる「謹上再拝」はしっかり、明瞭に。
そして、要となるシテと相槌を打つ場面は
以前の閑師に戻ったかのような美しく確かな所作で。
分野を問わず、一流のプロであれば
舞台(作品制作)に全身全霊で向かうのは当然のことなのだろう。
だからそれをわざわざ言葉で喧伝したりはしない。
彼らにとって舞台がすべて。
舞台人は言葉によってではなく、舞台(作品)によって語るものなのだ。
宝生閑師の舞台での姿こそが何よりも雄弁に語っていた。
彼の生きざまと、能楽師として生きるとはどういうことかを。
わたしはおそらく人生の節目節目に、
閑師のこの日の姿を思い出し、反芻するだろう。
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