第九回広忠の会~序からのつづき
能 《定家》 シテ味方玄
ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
アイ野村萬斎
杉信太郎 大倉源次郎 亀井広忠
後見 観世銕之丞 山崎正道
地謡 片山九郎右衛門
観世喜正 坂真太郎 谷本健吾
坂口貴信 林宗一郎 鵜澤光 観世淳夫
装束付 川口晃平 お運び 安藤貴康
橘香会の万三郎の《定家》には冷たい虚無感が漂っていたのに対し、
味方玄の《定家》には、昏い情念のようなものが静かに燃え続けていた。
どちらも甲乙つけがたい名舞台。
同じ曲でも、役者の個性・解釈や地謡・囃子・ワキなどの配役によって
まるで別の曲のように異なる味わいが楽しめることを今回再確認できた。
山より出づる北時雨、ゆくえや定めなかるらん。
欣哉さんはもともとハコビの非常にきれいな人だが、
角帽子・水衣・無地熨斗目着流の出立で銕仙会の橋掛りを進む時は
場の霊気と溶け合って(この能楽堂には霊気が立ち込めている)、
その美しさがいっそう際立ち、
物語のきっかけとなる雨の質感や空気感を感じさせる。
冬枯れの景色なか、にわかに降りはじめた細かい時雨の向こうに
僧たちの姿がかすんで見える。
ゆくえ定まらぬ僧たちがふと見つけた東屋にひととき身を寄せ、
雨宿りをしていると、どこからともなく女の声が呼びかけてくる。
なーうなーう御僧、何しにその宿へ立ち寄りてこそ候へ
「なうなう」をかなり長く引き延ばしたシテの声は、
幕内から舞台に響きつつもすでに粘着性を帯び、
ワキの心に絡みつくように言外に何かを訴えかけている。
「それは時雨の亭とてよしある所なり」で幕から出たシテの出立は、
紅葉のようにも見える色とりどりの桔梗柄の渋い金地の唐織。
手には数珠。
面は増だろうか。
一見、地味で古風な顔立ちだが、これがシテの芸の力によって
驚くほどさまざまに表情を変えていく。
たとえば、ワキとの掛け合いに続く地歌の「庭も籬もそれとなく」で、
シテがじつに精妙に、ほんの微かにゆっくりと辺りを見回した時。
このとき増の面の硬質な肌は柔らかな潤いを帯びるのだが、
かといってそれは現実の人間でもなく、人形でもない。
美しい女の幻影が目の前に立ち現れたような錯覚を見る者に抱かせる。
(面使いの魔法は、後場でさらに発揮される。)
さて、定家が建てた時雨の亭の名の由来となった和歌を説明するくだりから
シテは舞台に入って常座に立ち、今日は弔いの日だからと
蔦葛が這いまとっている石塔に僧を案内する。
「定家の執心葛となって御墓に這いまとひ、互いの苦しみ離れやらず、
ともに邪淫の妄執を」で大鼓が入り、シテは塚前に、ワキはワキ座に下居。
ここから地クリ、シテサシ、居グセとなるのだが、
シテ「昔は物を思はざりし」、地「後の心ぞはてしもなき」で
シテとワキが見つめ合うそのまなざしが、まるで恋に落ちた二人のよう。
視線を交わすシテとワキのあいだで不思議な化学反応が起きているのが見てとれる。
僧が相手を受けとめ、女が心を許せる相手に出会えたことを
二人の視線が物語っている。
味方玄と宝生欣哉という名コンビが織り成す「視線の妙」。
そして、シテとワキの心の化学反応を触媒するのが、
九郎右衛門さん率いる地謡の「息扱いの妙」。
「あはれ知れ」と、せつないため息のように謡い出し、
いにしえの定家と式子内親王との恋のいきさつを語り、
その息扱いで、ある時は彼女の嗚咽を、ある時は彼女の慟哭を表現しつつ、
禁断の恋の苦しみをあざやかに描き出していく。
(同じ観世流とはいえ、銕仙会、九皐会、観世会、片山家、林家の
超混成部隊だったにもかかわらず、驚くほどまとまりの良い地謡。
強吟・弱吟、緩急を変幻自在に操る地頭と、
それに一糸乱れず順従する副地以下の方々に
地謡の醍醐味をあらためて教えていただいた気がする。)
「妄執を助け給へや」と、シテの女は僧に向かって合掌。
そして、「我こそ式子内親王」と正体を明かすと、
いったん塚の作り物に背中をぴたりとつけたのち、
「苦しみを助け給へ」ともう一度懇願して僧に歩み寄り、
右に向いて塚の右手に進み、くるりと時計回りに身体を回転させ、
後ろに進んだあと、再びくるりと身を翻し、
そのまま塚の中へと姿を消して中入り。
中入の物着では、
作り物の奥に川口晃平さん、外に山崎正道さん、お運びに安藤貴康さん。
この三人の連携がじつに見事で、かなり早い段階で物着が終了し、
後シテの装束も美しく決まっていた。
間狂言は橘香会の時と同じく萬斎さんだが、
橘香会の時よりも位を高め、《定家》にふさわしい間狂言になっていた。
数カ月単位で変化し、進化するのはさすが。
第九回 広忠の会《定家》後場につづく
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