2019年9月8日日曜日

片山九郎右衛門の《融》~京都駅ビル薪能

2019年9月1日(日)京都駅ビル室町小路広場
橋掛りはなく、幕から出るとすぐに本舞台

能《融》片山九郎右衛門
 ワキ福王知登 アイ茂山忠三郎
 森田保美 吉阪一郎 谷口正壽 前川光範
 後見 青木道喜 梅田嘉宏
 地謡 古橋正邦 浦田保親 河村博重
        分林道治 橋本光史 田茂井廣道
        橋本忠樹 大江広祐



夢を見ていたのかと思うほど、詩のように美しい舞台。この日は眠りにつくまで、魔法にかけられたようにぽ~っとしていた。

片山九郎右衛門さんはこの一週間あまり、シテを5回も勤め、東西合同養成会や御社中ゆかた会を主催するという、想像を絶するようなハードスケジュールをこなされてきた。にもかかわらず最後の最後にトドメのように、これほどまでに人を感動させる《融》を舞われるなんて……あまりにも偉大すぎて言葉が見つからない。

ステージでは黄色いライトを効果的に使って、月の光に照らされた廃墟らしい舞台空間を創出。地謡、囃子、ワキの謡も、「後見道」を極めた後見の働きもすばらしく、京都能楽界の底力を実感させた。


【前場】
〈名所教え〉
ここ京都駅は、源融の六条河原院跡から徒歩15分ほどの近距離にある。
だから名所教えの場面でも、音羽山、中山清閑寺、今熊野、稲荷山、深草山、伏見の竹田、淀、鳥羽、大原、小塩、嵐山と、京の名所が放射状に広がるまさにその中心に、この京都駅ビルの舞台が位置していることになる。

もちろん、演能上は舞台上手が東、下手が西という決まりになっているから、シテ・ワキの向く方角は実際の方角とは異なるが、京都駅のこのステージほど源融が君臨した六条河原院を、臨場感をともなって実感できる舞台はないのではないだろうか。


「こっちが音羽山で、あれが今熊野、ほら、嵐山も見えるよ」とシテが教え、ワキが視線を向ける。そのたびに名所の位置と映像がリアルに浮かんできて、まるで自分も河原院の廃墟に佇んでいるように思えてくる!



〈汐汲み〉
秋の月を愛でていた老人は汐汲みを忘れていたことに気づき、ハッと両手を打ち合わせて天秤桶を担ぎ、正先でサブンッと桶を水につける。

シテはまず、左に担いだ桶で水を汲み、次に右の桶で汲んでゆく。最初に汲んだ桶にはタップタップと水があふれ、まだ水が入っていないカラの桶とは明らかに重さが違うように見える。
水の重量、質感、桶のなかで揺れて波打つ水の動き。桶に汲まれた水の存在をたしかに感じさせる。


中入前の「老人と見えつるが、汐雲にかきまぎれて跡も見えずなりにけり」でシテは、はらりと着物を脱ぐようななめらかな所作で、肩に担いでいた天秤桶を後ろに落とす。
この肩関節・肩甲骨のやわらかさ。

そして、音を立てないようにそっと、天秤の紐の半分を短く持ち、先に桶が地面に着いた手応えを感じてから、両手に持っていた紐を放す。素早い所作のなかの、繊細な動きと心くばり。



〈間狂言のカット→早替わり〉
驚いたのが、間狂言がカットされたこと。
(番組にはアイに茂山忠三郎さんの名前があったから、当初は間狂言が入る予定だったと思う。)

シテの中入後、ほとんどすぐにワキが待謡を謡い出し、出端の囃子が奏された。
はたしてシテの着替えが間に合うのかハラハラしてしまったが、通常のタイミングで幕があがり、シテはみごとに融の亡霊に変身して登場した。

主後見の青木道喜さんをはじめ片山一門の完璧な「後見芸」に脱帽!




【後場】
後シテの出立は、立涌白地狩衣に唐草模様の白地大口、黒垂。頭には初冠ではなく風折烏帽子。面は、憂いを帯びた中将。

「あら面白や曲水の盃」で、正先で身を乗り出し、
「受けたり受けたり遊舞の袖」と、水面に映った月影を曲水の宴の盃に見立て、扇で月影を汲みあげる。

白皙の貴公子がギリシャのナルシスさながらに水面をのぞき込み、優雅な所作で月影を汲む。この耽美の極致に、私も周りの観客たちも魂を抜かれたようにうっとりと見入っていた。



〈早舞〉
さらにシテは初段オロシで正先へ向かい、ふたたび水面に映った月影を扇で汲み、空を見上げて、月を愛でる。
そのまま融の亡霊は、しばし甘美な追想に耽るように、恍惚とした表情を浮かべていた。

やがて月に雲がかかるように中将の面に翳がさし、哀しげな愁いを帯びてくる。
この時の、なまめかしく紅潮した中将の表情が今でも忘れられない。


クライマックスではナガシの囃子が入り、シテは懐かしい過去を搔き集めるように、またもや扇で水を汲み上げる。

このころになると私はほとんど陶酔状態になり、融の世界に浸って、夢とも現ともつかないような酩酊感に酔っていた。

京都駅ビルという現代的な高層空間に、廃墟となった六条河原院が出現し、そこへ融が追懐した風雅な幻想世界が折り重なる……。

気がつくと、シテは袖を巻き上げたまま幕のなかへ、月の都へと還っていった。

ああ、名残惜しい。
私も、周囲の人たちも、ため息。
そして、たがいに満足げな笑顔。

この感覚、この余韻、
これこそ私が求めていた《融》だった。

東北鎮護・奥州一宮「塩竈神社」
画像は大震災の1年後に訪れた時のもの。

塩竈神社から見下ろした塩竈港


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