2018年9月16日(日)12時30分~16時30分 京都観世会館
能《野宮・合掌留》里の女/六条の御息所の霊 河村博重
ワキ 江崎欽次朗 アイ 山口耕道
杉市和 林吉兵衛 河村大
後見 橘保向 梅田嘉宏
地謡 青木道喜 味方玄 分林道治 田茂井廣道
大江信行 橋本忠樹 宮本茂樹 河村浩太郎
仕舞《女郎花》小野頼風の霊 大江広祐
《蝉丸》 逆髪 梅田嘉宏
《天鼓》 天鼓の霊 橋本忠樹
地謡 片山伸吾 田茂井廣道 河村和貴 河村浩太郎
狂言《文荷》 シテ太郎冠者 茂山忠三郎
アド主 山口耕道 アド次郎冠者 山本善之
後見 岡村宏懇
仕舞《富士太鼓》富士の妻 井上裕久
地謡 橋本礒道 青木道喜 古橋正邦 清沢一政
能《熊坂・替之型》赤坂宿の僧/熊坂長範の霊 片山九郎右衛門
ワキ 福王和幸 アイ 茂山忠三郎
森田保美 曽和鼓童 河村眞之介 前川光長
後見 小林慶三 味方玄
地謡 武田邦弘 古橋正邦 分林道治 片山伸吾
大江信行 宮本茂樹 河村和貴 大江広祐
仕舞と狂言、観たかったのですが、胃痛のため休憩しました(開演前にロビーでお菓子を食べすぎたのかも?)。モニターで拝見した最初の仕舞三番ともよかった。
能《熊坂・替之型》の感想
【前場】
ワキの福王和幸さんを関西で久々に観ると、その洗練が新鮮に見える。
贅肉を削ぎ落された漂泊の僧らしく、胸の補正も勅使などの時よりも控えめ。風を呼ぶようなハコビや、シテのことばを泰然と受けとめる佇まいに、この僧だからこそ熊坂の亡霊が現れたのだという必然性を感じさせる。
九郎右衛門さんと福王和幸さんの組み合わせは初めて拝見するけれど、洗練×洗練はとても見応えがある。
ワキとシテが立ち姿から同時にスーッと下居するところの、間合いとリズム、その美しさ。よく似た僧形の二人の完璧なまでに息を合わせた所作が、旅僧と赤坂宿の僧(熊坂長範)の悪人正機説的な「救うべき存在」と「救われるべき存在」の対比を逆説的に暗示させる。
前シテは直面。
素顔という点では仕舞や舞囃子と同じなのに、この翌日に大江能楽堂で拝見した仕舞《通小町》の時とは、本質的な部分でずいぶん違う。
感情や体調といった役者の素の部分を仕舞のほうがカバーしやすく、直面のほうがカバーしにくい、つまり、直面のほうが素の部分が透けて見えやすいように感じる。
面をつけているほうが苦しいけれど、役者は面に包まれ、守られている。
「直面」という面は、役者が野ざらしに、無防備になった印象を与える。
シテは時おり瞑目し、気を充満させて、見えない面を顔につける。いつもより暗い影がシテの顔を覆う。
【後場】
九郎右衛門さんはこの2週間で5つの舞台のシテを勤め、地頭でもいくつかの舞台に出演。加えて、この三連休の前日に何気なくローカルTVを観ていたら、京都の文化と未来についての会議に委員としてご出席されていた。ほかにもさまざまなお仕事をされているのだろう。とにかく、想像を絶するほどの多忙さだ。
そのなかで、多くの人を感動させるだけの舞台をつねに創出している。これは驚異的・超人的なことだと思う。
心身の疲労が時おり垣間見えるものの、かえってそれが満身創痍で弔い合戦に挑む熊坂長範の姿と重なり、熊坂の心の内にこちらを引きこんでいく。
アクロバティックな型の連続のあざやかさは言うに及ばず、まるで「舞う落語」のように一人二役を演じ、熊坂の長刀さばきによって義経の影が、義経の飛翔によって熊坂の姿が、面白いように立ち現れてくる。
この舞台でとりわけ印象的だったのは、足拍子。
九郎右衛門さんの舞台を観ていると、足拍子の位取り、使い分けにいろいろと気づかされる。
「打物わざにてかなふまじ」での、疲れた感じの足拍子。
そこから深手を負い、徐々に弱っていく熊坂長範の姿、「なぜそこまで?」と思わせるほど戦い抜くダーティーヒーローの暗い影を描いたところに、九郎右衛門さんらしい味わいがあった。
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