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2019年9月23日月曜日

中信美術館~錦秋の季節に

2019年9月21日(土)中信美術館

嘉祥閣でお能を観たついでに、近くにある中信美術館に立ち寄ってみました。
今の時期は「錦秋の季節に」と題して、秋をテーマにした京都中央信用金庫所蔵品展が10月11日まで開催されています。


住宅街の片隅にひっそりと佇むこぢんまりとした美術館。
私も初めて訪れたのですが、思った以上に充実した内容で、展示品の素晴らしさに比べて来館者は少なく、ゆっくり、ゆったり鑑賞できるので超穴場です。





印象に残った作品メモ

上村松篁《秋野》
野菊や芝草、イヌタデ(赤まんま)、露草など秋草が生い茂る野原に描かれた2羽の鶉。

『伊勢物語』に登場する深草の里の女の歌「野とならば鶉となりて鳴きをらむ狩りにだにやは君は来ざらむ」、そしてこの歌をカヴァーした藤原俊成の「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」、こうした和歌の世界がシンボリックに絵画化されている。

鶉の羽毛や秋草の葉脈は写実的に、芝草の配置や全体的な構図はリズミカルで文様的・装飾的に描かれ、画面全体は黄色いトーンでまとめられ、月光に照らされた秋の野の情緒が伝わってくる。

秋になって男に飽きられ、忘れ去られた我が身を鶉になぞらえた女の寂寥感が織り込まれた重層的な作品。


小田部正邦《秋桜花》
はじめて拝見するが、1939年生まれの現代画家らしい。
縦長の画面にはグレーを背景に、ピンクと白のコスモスが描かれている。
ちょうどゴッホがひまわりのように、このコスモスも蕾から満開、散りかけ、花びらが散って咢だけになったものまでがひとつの画面に描かれており、まるで人の一生、とくに女の一生を見るような気がした。

余白をたっぷり取り、配色も構図もシックで洗練されている。自分の部屋に飾るとしたらこういう絵がほしい。

ほかにも、澄んだブルーが美しい平山郁夫《薬師寺の月夜》、河合玉堂風の里山の秋を描いた堂本印象の《秋深む》など魅力的な作品に出会えた。




美術館の斜め前にあったレトロな飴屋さん




2019年9月11日水曜日

京博寄託の名宝~ICOM京都大会開催記念特別企画

会期:2019年8月14日~9月16日 京都国立博物館

ICOM京都大会を記念して、京博寄託品のなかから選りすぐりの名品を展示する企画展。宗達の《風神雷神図屛風》や狩野派初期の名品群、《伝源頼朝像》など、国宝・重文のオールスターが勢ぞろい。

午後から3時間半ほど鑑賞したけれど、あっという間に閉館時間に。こういう展覧会は一日がかりで観ないと、ぜんぜん時間が足りないものですね。



この日は閉館後に京博でICOM閉会式が行われたため、さまざまなイベントが催された。
画像はピアソラの「リベルタンゴ」の演奏、夕風のなかの音色が哀調を帯びて、素敵だった。




京博キャラのトラりんと、日本郵便のぽすくま「ぽすみるく」。
(残暑が厳しいのに、着ぐるみの中の人、おつかれさまです……。)





こちらは、三角縁神獣鏡のレプリカを実際にさわって、重さや大きさを実感できるコーナー。
持ってみると、ずっしりと重い。
銅だけではなく、錫や鉛も含まれる銅合金製とのこと。





重文《宝誌和尚立像》、鎌倉期13世紀、西往寺
かねてから観たかった《宝誌和尚立像》。
『宇治拾遺物語』の宝誌和尚説話「(和尚が)親指の爪を用いて、みずからの額の皮を裂き、その皮を広げると、金色に輝く菩薩の面相が現れた」というところを、造形化した彫像。
こういうハリウッド映画的な発想を聖像に彫り上げた鎌倉初期の仏師、驚くほど前衛的で、ぶっ飛んでる! ヒノキの一木造の像には全面にも粗削りな鑿跡が残され、そのアヴァンギャルドな作風に圧倒される。

なかから現れた菩薩の面相は十一面観音とされ、よく観ると、内側の菩薩面の頭上に化仏が付いているのがわかる。

作者は不明だが、この名もなき前衛仏師が誰なのか興味がある。
もしかすると、ほかにも同じ仏師による未発見の作品がどこかにあるのかも。






宗達の《風神雷神図屏風》を観るのは久しぶり(学生時代ぶり?)。
もやもやっとした黒雲を描いた「たらしこみ技法」もさることながら、風をはらんではためく襷を一気に描いた筆遣いにはため息が出る。
潔く、迷いのない、的確な線。
このひと筆で天空を吹きあがる凄まじい風の動きを感じさせる。
宗達の筆致を目で追うだけで、彼の呼吸と息づかいがありありと伝わってきた。


ほかにも、海北友松の《雲竜図》(建仁寺)や等伯の《山水図襖》(隣華院)、狩野正信、元信、永徳、山雪の屏風や襖絵もあったし、さらには、コンドルへ贈ったとされる暁斎の《大和美人図屏風》、東山魁夷の《年暮る》を思わせる与謝蕪村の《夜色楼台図》もあった。

そのなかで、とりわけ心惹かれたのが、狩野元信の《四季花鳥図》だった。

狩野元信《四季花鳥図》重文、室町期、大仙院(8幅のうち2幅)

大徳寺塔頭・大仙院の方丈に描かれた8幅大画面の元信の襖絵。
華やかな花鳥のみずみずしい色彩には、褪色しても往時のあでやかさが残り、豪壮華麗な画風が桃山絵画の到来を予感させる。

なによりも注目したいのが、天から真っ逆さまに流れ落ちる滝の描写だ。

轟音が聞こえてきそうなほど一直線に落下する瀑布。
そこに、鱗のような皮をまとう老松が飛龍のごとく身をくねらせながら、幹枝を伸ばしている。松の枝葉は鋭い爪を伸ばした龍の腕のように見え、滝を登って天をめざす龍の姿を思わせる。

新時代を切り開いた狩野派の二代目らしいダイナミックで斬新な作品だった。




海北友松《雲竜図》重文、桃山時代、建仁寺




2019年8月10日土曜日

京アニ作品ポスター展

2019年8月10日(土)京都文化博物館

京都アニメーション作品のポスター展。



言葉にならないです。
画像だけ紹介します。






奇しくもこの日は、この別館ホールでトランペットのコンサートがあり、演奏を聴きながら『ユーフォニアム』のポスターを鑑賞。




舞台となったうさぎ山商店街は、出町桝形商店街がモデル。



来月には、ここ、ブンパクのフィルムシアターで、京都アニ作品の上映会があるそうです。




2019年8月4日日曜日

片山家能装束・能面展~継承の美

2019年8月3日(土)京都文化博物館

今年で23回を迎える片山家の能装束・能面展。

九郎右衛門さんの講演「片山家の能面と能装束」は、謡《鞍馬天狗》の稽古体験(口移しのお稽古)あり、能面・装束のお話あり、装束着付けのデモンストレーションありと、盛りだくさん。

終了後も、御当主みずから展示品についての解説があり、こちらの質問にも丁寧に答えてくださって、貴重なお話をたくさんうかがうことができました。ほんとうに驚くほど誠実な方。


展示品のなかには、能《大典》で使用した菊の冠や天女の鳳凰天冠、御大典記念扇なども。

能面は昨年は美女ぞろいだったので、今回は男面がずらり。
面打ちの見市泰男氏からエピソードを交えての解説もあり、興味深く拝聴しました。


以下は自分用のざっくりとしたメモ。

【能面】
《猅々(ひひ)》作者不詳:《鵺》の後シテに使われた。伊勢猿楽などでは、天下一河内《小癋見》と一対で阿吽の面として、《翁》の前に舞台を清めるために使われたとも。

《小癋見》天下一河内:《猅々》と一対で阿吽の面として、《翁》の前に舞台を清めるために使われたらしい。

《翁》石井三右衛門

《飛出》大光坊(井関家出身の幻の面打ち)の貴重な作例となった面。幽雪師が海外のオークションで落札し、箱を開けた時に、ボロボロと表面が剥落してしまったという。《船弁慶》の後シテに使用。剥落して表情が崩れたところが、海から現れた知盛の亡霊の雰囲気とマッチして、功を奏したようです。見てみたかった。

《阿波男》作者不詳、目に金具→神様役に使われる。

《釣眼》作者不詳:大飛出と同じような用途で、《国栖》の蔵王権現などに使われる。

《男蛇(おとこじゃ)》作者不詳、《竹生島》や《玉井》などの龍神に使われる。

《小癋見》赤鶴作

《小飛出》作者不詳、様式化されていない独特の造形

《黒髭》伝赤鶴、顰のようにかッと開いた口、こちらも《竹生島》の龍神などに使われる。

《大癋見》出目洞水満昆、《大会》のときに《しゃか》の面の下に掛けるので小ぶりの大癋見。
《しゃか》近江、《大会》のときに《大癋見》の上に掛ける。

《三日月》宮王道三、目に金具がついたこうした面は、かつては神様の役専用に使われていたが、江戸時代以降、面の解釈に変化があり、武将の霊にも使われるようになった。その結果《高砂》の後シテなどには《三日月》の代わりに《邯鄲男》が使用されるようになる。

《中将》洞白、目がキリッと引き締まった表情をしており、おもに平家の武将などに使われる。

《中将》作者不詳、こちらは甘くなよやかな表情で、《融》などの公達に使われる。



【装束】
・紺地金立湧浪ノ丸厚板唐織
・赤地金立湧浪ノ丸厚板唐織

色違い赤地・色違いの厚板唐織。オリジナルは紺地のほう。赤地と紺地の写しを新調したが、紺地の写しのほうはブンパクの所蔵になってしまったとか。
この紺赤の厚板唐織は、《渇水龍女》という、《一角仙人》の女性ヴァージョンのような復曲能を上演した際に、龍王と龍女の衣装として使用されたとのこと。
また、ぜひとも再演してほしいですね。


・紅・萌黄・黒紅段枝垂桜ニ御所車唐織
以前、九郎右衛門さんがEテレ「美の壺」の「西陣織」編でご出演された時に紹介してはった装束。300年くらい前のものですが、いちばん高価とされる黒紅の色がきれいに残っていて、見惚れてしまうほど。やはり《熊野》で使用することが多いとか。
間近で拝見できて感無量。


・濃萌葱地萩ニ山桃長絹(新旧)
江戸初期のオリジナル装束と、その写しが展示されていて、見事に復元新調された姿と比較できるのがうれしい。九郎右衛門さんは筋金入りの装束マニアで、織元や染色家の方々と装束をこだわり抜いて復元or新調されるのがとてもお好きなようです。装束のお話になると目がキラキラしてはります。

私も会場に3時間近くいたのですが、まだまだぜんぜん観足りない。お話をうかがいながら拝見すると、味わいもひとしお。もっとじっくり観ていたかった。


片山九郎右衛門さん、関係者の方々、ありがとうございました。



京都国立近代美術館・村上華岳・長谷川潔など

この日は今年度第3回コレクション展の最終日。
残念ながら村上華岳没後80年展は撮影禁止 (>_<)。
なので、それ以外で気に入ったものを掲載しますね。
ドミニック・ラビノ《三段階の形成》
こちらは世界のガラス工芸展。
透明で涼感のあるガラス作品は、猛暑の展示にぴったり。
紫がかったピンクの濃淡が三層になった凄い技術の作品。
香水瓶にこういうデザインがあれば素敵だな。




ハーヴィ・K・リットルトン《 抛物線のフォーム》
京都はこの時期が一年でいちばん人が少ない時期かも。
休日にもかかわらず美術館はガラガラ、ほとんど貸し切り状態。





トム・マックグロウクリン《上昇する赤いフォーム》





岩田久利《簾》
多層の色使いに優美なフォルム、見事な技法。
ガラスって好きだなあ。



長谷川潔《一樹(ニレの木)》、ポアント・セッシュ
大好きな長谷川潔作品もいくつか。
楡の木が、異様なエイリアンのよう。




長谷川潔《コップに挿した草花》、1848年、油彩
こちらは長谷川潔の油彩画。
いつまでも観ていたい。
心が傷ついたときにやさしく慰めてくれる絵。
いまがちょうど、そんな心境。




靉光《花(やまあららぎ)》、1942年
異色の画家・靉光が描く草花は、自画像と同じく、画家の内面が投影されているように感じてしまう。
たっぷりと水気を含んだ厚みのある葉と艶々の葉脈が、人間の首や腕のように蠢いている。




工藤哲巳《イヨネスコの肖像》、1971
反体制派の劇作家・イヨネスコをモデルにした作品。
細部を観ると、ちょっとここには書けないような、エロ・グロの象徴的アイテムがいろいろあって、何かを訴えてはるんやろうなあ。



【村上華岳】
肉感的で妖艶な観音図が多かった。

今回いちばん印象に残ったのが、《楊柳観音図・擬唐朝古石仏》。
淡彩でごく薄く描かれたこの楊柳観音は、官能的な要素が弱まり、柔和で優しい目をした柳の妖精のように見える。ほかの観音図のような豊満な肉体から離脱した、精神性の高い女神様に思えたのは、石仏を模したものだからだろうか。

また、白隠を思わせる、省略の効いた描線で描かれた羅漢図も面白かった。





2019年7月29日月曜日

金剛家 能面・能装束展観「宮廷装束と能装束」~御代替りによせて

2019年7月28日(日)金剛能楽堂


金剛家の能面・装束展へは初めて行ったけど、「面金剛」と言われるだけあって、垂涎ものの名品の数々……。
何度も来ている人に聞いたところ、今年はとくに金剛流でもトップクラスの面が数多く展示されているとのこと。改元記念?

メインとなる展示場は、能舞台と橋掛り。
ここの照明はやわらかみのある電球色だから、展示された能面たちもいちだんときれいに見える。
能面好きにはパラダイスすぎて、御宗家の対談や会場各所に待機していた能楽師さんたちから興味深いお話をうかがっているうちに、2時間半の滞在時間があっという間に過ぎてしまった。

(舞台中央には上村松篁筆の鳳凰長絹が飾られていたのですが、この日の夜にEテレ「古典芸能への招待」で放送された京都薪能では、お家元がこれをお召しになって《羽衣》を舞われていた。なんてタイムリー!)



【対談】
金剛流宗家と、衣紋道山科流若宗家・山科言親氏との対談。

事前に調べた情報によると、衣紋道とは装束着付けの方法のこと。
藤原時代の貴族たちは緩やかでゆったりしたフォルムの装束(柔装束:なえしょうぞく)を着ていたが、平安末期になると、鳥羽上皇の好みや新興勢力・武士たちの気風を反映して、かっちりした装束着付け(剛装束:こわしょうぞく)が好まれるようになる。
剛装束はごわごわとして着にくいため特別な着付けが必要となり、ここから「衣紋」という技術が生み出され、鎌倉・室町期に衣紋道の二流「高倉流」と「山科流」が誕生した。

この山科流の若宗家が、この日の対談相手・山科言親氏。
京都の御曹司を絵に描いたような物腰のやわらかい、品のある方。対談では気さくな感じで、金剛流御宗家のお話をうまく引き出していらっしゃった(金剛流宗家と山科流宗家とは、金剛流御令嬢の嫁ぎ先の御親戚、というご関係のようです)。


金剛流宗家のお話が、ちょっと他ではうかがえないことばかり。
以下は自分のための断片的なメモ。

〈明治の名人・金剛勤之助〉
宝生九郎と並び称された明治の名人・金剛謹之助(野村金剛家出身。その子息が金剛流宗家・金剛巌)は、蹴鞠や琵琶も習っていて、そうした素養を能《遊行柳》の蹴鞠の型や《絃上》の琵琶を弾く型に生かしたという。
謹之助が蹴鞠に使った鴨沓が野村金剛家に残っていた。その鴨沓には野村家の「沢瀉」の家紋、沓を入れる箱には金剛流の家紋が記されていて、弟子家だった野村家から金剛宗家となる過渡期的な当時の状況がうかがえる。


〈武家出身の野村金剛家〉
野村金剛家が御所の許されたのは、野村家がもとは佐々木源氏系の侍の家だったからである。豊臣秀次が金剛流を贔屓にしていため、家臣だった野村家も金剛流の能を習ったが、秀次失脚の際、野村家も失脚し、のちに能役者に転向したという。


徳川時代になって、能役者は名字帯刀が許されたが、身分制度上は士農工商の下に位置しており、「猿楽師」は禁中への出入りは許されなかった。そこで、武士出身の野村金剛家が御所に出勤し演能を行った(本来の金剛宗家・坂戸金剛家も猿楽師出身なので宮中への出入りは許されなかった)。


〈四座一流が残ったのは秀吉のおかげ〉
足利氏が贔屓にしたのは観世だけだったが、豊臣秀吉は大和猿楽をすべて残そうと応援した。
秀吉自身がパトロンとなったのは金春流だったが、他の大名たちにそれぞれ特定の流派を後援させて、大和猿楽各流派にパトロンをつけさせた。今日、能楽シテ方・四座一流が残っているのは、秀吉のおかげでもある。


〈秀吉は観世流を嫌った?〉
秀吉時代、徳川家康は観世流を贔屓にしていたから、秀吉にも観世の良さを認めてもらおうと、演能の機会を設けた。しかし秀吉は、当時観世流に組み込まれていた日吉(近江猿楽)のほうを評価し、観世には辛い評価をつけた。観世のほうも、秀吉の演能を観る「お能拝見」の折には、そっぽを向いていた。



〈染め分けの露〉
一般に長絹のツユは「一色」だけと決まっていて、「染め分け」を使うのは許されていない。しかし、野村金剛家だけはツユに染め分けを使うことが許されている。



〈金沢は金春流から宝生流へ〉
現在、金沢は宝生流王国だが、かつては金春流の地盤だった。それは、秀吉に仕えた前田家が、秀吉と同じく金春流を贔屓にしていたからだが、徳川時代に入り、徳川何代目かの将軍が宝生流を贔屓にしたため、当時の前田家城主も宝生流に乗り換えたからである。
とはいえ、贔屓にした役者は同じで、役者自身を金春流から宝生流に鞍替えさせたのだった。


などなど、「へえ~、そうなのか~!」という面白いお話がいっぱい。
まだまだ話し足りないような金剛御宗家でしたが、タイムキーパーの宇髙竜成さんから「タイムアウト!」のサインが何度も出て、残念ながら時間切れ。こういう研究者の著書には書かれない興味深いお話、もっと聞きたかったな~。




【能面・装束の展示】
若宗家にうかがったところ、もとの金剛宗家(坂戸金剛家)は、明治期にほとんどの能面・装束を手放してしまい、その多くが三井記念美術館に収蔵されているとのこと。
現在、金剛家が所蔵している名品の数々は、野村金剛家の金剛勤之助が、パトロンだった千草屋などの大坂の豪商の力を借りて集めたものだそうです。

目録などがなかったので、以下はざっとメモ。

(舞台右手に女面が年齢順に展示。女性の顔立ちの経年変化がよくわかる。)
雪の小面:龍右衛門作、室町時代
孫次郎:河内作、江戸時代 妖艶な女面。
増女:是閑作、桃山時代 深みのある美しさ。ずっと見ていたい。
曲見:河内作、江戸時代
檜垣姥:千代若作、室町時代


般若:夜叉作、室町時代。様式化されていない崩れや歪みが能面の恐ろしさを際立たせ、怨念がこもったような面。もっぱら《黒塚》に使われるそうです。とても怖いけれど、強く惹きつけられる。

般若:赤鶴作、室町時代
泥眼:河内作、江戸時代。悲しげで美しい表情。この泥眼で《海士》や《当麻》を拝見したい。
十寸神(ますがみ):増阿弥作、室町時代、古風で神秘的な面立ち。
野干:日氷作、室町時代

喝食:越智作、室町時代
鼓悪尉:赤鶴作、室町時代。悪尉のなかでも鼻が特大。その名の通り、《綾鼓》に使われるのかしら。

黒式尉:日光作、室町時代。
父尉:春日作、室町時代。うわあ、あの伝説的面打ち「春日」の作、神作じゃないですか! かつて神社などでの奉納の際に使われたのか、呪力の強さが伝わってくるよう。

中将:満照作、室町時代
蝉丸:満照作、室町時代
この満照という面打ちは三光坊の甥だそうだけれど、独特の作風。中将はエクスタシーに浸りきっているような、うっとりとしたエロティックな表情をしているし、蝉丸は夢見るような瞑想的な顔立ちで、半開きの口が今にも何かを語り出しそう。
優美でロマンティックな作風の面打ちですね、満照は。

平太:春若作、室町時代
三日月:徳若作、室町時代
大飛出:徳若作、室町時代

小飛出:福来(ふくらい)作、室町時代
猿飛出:赤鶴作、室町時代
大癋見:三光坊作、室町時代

装束も金剛流らしい華やかなものがいっぱい!



2019年6月12日水曜日

四国五郎展 ~シベリアからヒロシマへ

2019年6月8日(土)大阪大学総合学術博物館


山崎正和先生のフォーラムに向かう途中、かつて医療技術短大だったところが博物館になっていたので、立ち寄ってみた。企画展「四国五郎展~シベリアからヒロシマへ」は、たしか日曜美術館のアートシーンでも紹介された展覧会だ。

シベリアに抑留されていた四国五郎は、帰国後、故郷広島で弟が被爆死したことを知り、反戦を訴えるべく、絵と詩の制作を決意したという。

シベリア抑留体験を描いた絵画としては、香月泰男の《シベリア・シリーズ》が有名だが、今回はじめて観た四国五郎の一連の作品も衝撃的だった。


なかでも印象深かったのが、1993年に描かれた《墓標建立(コスグラムボ)》だ。

この絵の構図と風景と配色は、ピーテル・ブリューゲルの《雪中の狩人》を思わせる。
画面左下の前景には、雪に埋もれたシベリアの森が大きくクローズアップされ、「日本人拘留者 鎮魂の墓標」と記された墓標が立ち、墓標の前には缶詰や花や菓子袋が供えられている。

墓標を取り巻くように、シベリア抑留者らしき防寒具に身を包んだ男たちが、巨大な斧や鋸を手にして立っているのだが、痩せ細った男たちのなかには、防寒帽の下にあるべき顔がない者や、死神のごとく髑髏のような顔をした者も混じっている。
画家のタッチは粗く、荒涼とした空気が漂う。


いっぽう画面右上の遠景には雪はなく、秋の野山のようなのどかな風景が広がり、そこに集った人々はまるでピクニックに来たようにリュックを背負い、それぞれが思い思いに腰を下ろしたり、楽しげに写真を撮ったりしている。


どうやら墓標のまわりに佇む一団は、抑留者たちの亡霊らしい。彼らの魂はまだシベリアに抑留されたまま、寒さと飢えにあえいでいる。

それにたいし画面右奥に描かれている人々は、かつての抑留地を訪れた、豊かで平和な時代の観光客だろうか。
過去と現在、あの世とこの世、地獄と平穏が、一枚の絵のなかで交錯し、折り重なる。

鎮魂と称して、墓標の前に花や缶詰を供えつつも、そこを訪れる行為自体が、人々にとって一種のレジャーとなっている。

過酷な環境に身を置いたことのない現代人に、その苦しみを分かれというのは無理な話だが、その「悪意のない無邪気さ・無感覚さ」を、画家は犠牲者の視点から描いたのかもしれない。



同様の制作意図を感じさせたのが、同じく1993年に描かれた《1946年埋葬者を搬ぶ私を写生する1993年の私》だった。

1946年のシベリア抑留時代に、犠牲になった仲間たちの遺体を運ぶ列。その列のなかの自分を、1993年の自分が描いている。

犠牲者の遺体を運ぶ列を傍観する人々のなかには、四国五郎のほかにも、1990年代の日本人や外国人も描かれ、みな観光地を訪れたツアー客のようにカメラを掲げて埋葬者の列を物珍しげに撮影している。

安全な「平和の高み」から、かつての過酷な現実を見下ろす人々。

画家は自戒と自責の念もこめて、この作品を描いたのだろうか。

いまでもサイパンなど世界各地で慰霊碑ツアーが行われ、自然災害の被災地でさえ観光地化している場所もある。悲惨な過去を持つ土地が娯楽化されていないだろうか? 訪れた人たちの思いは真剣でも、そこにさまよう亡霊たちの目に、その姿はどう映っているのだろうか? 


広島の原爆を描いた代表作の絵本『おこりじぞう』も、温かくて、残酷で、怖くて、悲しくて……多くの人に読んでもらいたい作品だった。

思いがけず、良い画家に出会えた。



全長7メートルのマチカネヤマワニの化石のレプリカ
(本物は3階に展示)



2019年5月13日月曜日

神館 ~御即位奉祝特別拝観

2019年5月6日(月) 住吉大社・神館
大正天皇の即位大礼を記念して大正4年に建立された神館(しんかん)。
国の登録文化財に指定されています。
設計は池田實。

現在は皇族の御休憩、供進使の参籠、神事の式場などに使用され、ふだんは非公開ですが、この日は新天皇即位奉祝として特別公開されていました。



唐破風造の玄関車寄。
正面だけでなく、各面に破風をみせる複雑な屋根構成をしています。
ゆったりとした品格のある優美な建物です。


建物内部では御即位記念として、神武~仁徳~聖武から平成まで歴代天皇の肖像画や、『住吉大社神代記』(天平期のレプリカ)などが展示されていました。
住吉明神が和歌の神様だけあって、古今伝授や御所伝授の展示も。


神館内部でいちばん興味深かったのが、広間中央に設けられた「玉座」です。

御簾の向こうの一段高い上段に設けられた玉座は、折上げ格天井の畳敷き。そこに、金の革張りのハイバックチェアと簡素な木製の机が置かれ、両脇には阿吽の狛犬が控えていて、玉座を守護しています。


大正天皇や昭和天皇がご休憩された時は、ここに座られたのでしょうか。
いかにも現人神が座ったであろう玉座でした。
(内部は撮影禁止だったため、残念ながら「玉座の間」の写真はありません。)



廊下や欄干、欄間や窓の桟が織りなす直線のデザインが、どことなくアールデコ風。

庭には高さ18メートル、樹齢800年を超えるクスノキ。
この土地の精霊が宿っているのを感じます。








2019年4月17日水曜日

「北野天満宮信仰と名宝」展&フィルムシアター

2019年4月13日(土) 京都文化博物館
北野天満宮の神輿(桃山-江戸期)

会期終了間近、いつもながら滑り込みセーフで展覧会場へ。思ったよりもすごい人。予想以上に充実した内容だった。

目玉は何といっても、《北野天神縁起絵巻》(承久本)。これは、北野天満宮で御神体のように扱われる国宝の絵巻物であり、全9巻のうち、1~6巻は菅原道真の一生と怨霊になるまで、7~8巻は日蔵像上人の六道めぐり、9巻は7~8巻の裏面に張り込まれていた白描下絵をまとめたものとなっている。


《北野天神縁起絵巻》(承久本)といえば、天満天神の眷属である火雷火気毒王が清涼殿に禍をもたらす第6巻が有名だが、この巻の展示は前期のみ。
後期の展示は、無間地獄を描いた第8巻と、白描下絵の第9巻だった。

北野天神縁起絵巻・第8巻

第8巻に描かれた地獄が迫力満点。
尻尾が三叉になった幻獣や真っ赤な口の大蛇たちがまるでビームのように炎を吐き、亡者たちは炎に焼かれ、蛇に呑み込まれ、八つ裂きにされている。


つづく餓鬼道では、ガリガリに痩せて骨と皮だけになった亡者たちがお腹を巨大な球体のように膨らませ、仲間の餓鬼たちをむさぼり喰うカニバリズムの世界が展開する

餓鬼のなかには、お腹を破裂させて水を噴き出す者や、背中に石をのせられて火あぶりにされている者もいる。


恐ろしく、残酷な世界。だけど、どこかコミカル。劇画チックなユーモアがそこかしこにあふれている。

生き物のようにグルグル逆巻く炎には、まるで岡本太郎の絵のような強烈なインパクトがある。アヴァンギャルドな絵巻物だ。


後代の北野天神縁起絵巻には見られない洗練されていない粗削りなパワーとプリミティブな生命力が画面全体に躍動する。この絵巻を手掛けた絵師たちは、きっと心底楽しみながら、ノリにノッて描いたのではないだろうか。



《太刀 銘・安綱 号・鬼切丸》(別名・髭切)11-12世紀・平安期
坂上田村麻呂が鈴鹿山で鈴鹿御前との戦いに使用。
伊勢神宮に奉納されたのち、源頼光の手に渡り、家臣の渡辺綱が一条戻橋で美女に化けた鬼に遭遇し、その腕を斬ったことでも知られる。

さまざまな伝説を孕んだこの霊刀は、最終的に北野天満宮に奉納された。

刀の中ほどに小さな瑕がいくつかついているのは、希代の英雄たちが魔物や鬼と闘った跡だろうか? 鬼の血を吸った妖刀が目の前にあるなんて、ロマンティック。


それにしても、なんて美しいのだろう。
名工・安綱の研ぎ澄まされた技と、最高品質の出雲産砂鉄から作られた最高純度の玉鋼のもつ霊気、平安時代のものとは思えないほどの鋭利なみずみずしさ。
刀剣女子ではないけれど、彼女たちの気持ちがわかるような気がした。



《雲龍図屏風》17世紀・桃山期、海北友松
こちらも、「文道の太祖・風月の本主」たる天神さんに奉納された社宝。
右隻の龍は、雲中というよりも、昏い深海の泥のなかで蠢くような不気味さ。左隻の龍は、直線的な雲の層から鋭い爪と恐ろしい顔をのぞかせる、どこか飄々とした風情。

力強く無駄のない描線と大胆な筆致は、江戸中期の絵師・曽我蕭白を思わせ、時代を先取りしている。





《十一面観音立像》(12世紀・平安期、曼殊院門跡)
縁起文では、菅原道真(北野天神)は十一面観世音菩薩の垂迹とされる。この立像はもとは、神仏習合の聖地だった北野天満宮に安置されていたが、明治の神仏分離によって曼殊院に移されたという。

いかにも平安仏らしい、ほっこりしたやさしいお顔。お姿も輪郭がやわらかく、和やかなオーラをまとっている。お腹がぽっこりしているのも、微笑ましい。

若いころは、鎌倉初期の慶派による仏像の、凛とした精緻な造形が好きだったが、最近は平安初期・中期のおっとりしたお顔の仏像に惹かれる。わたしも少しは人間が丸くなったのかな?



《北野遊楽図屏風》(17世紀・桃山期、狩野孝信筆)
狩野永徳の次男・孝信の筆。
1・2扇には右近馬場あたりで酒宴や遊戯、歌舞音曲を楽しむ人々が、3・4扇には調理・配膳の様子が、5・6扇には経王堂前で輪舞する人々が描かれる。茶店の屋台や、北野名物・みたらし団子を焼く店も見え、生き生きとしたにぎわいが伝わってくる。

女のように美しい若衆や男装した遊女など、当時の倒錯的な美意識も垣間見える。群集の一人ひとりに、その人ならではの生活・人生・個性が感じられ、いつまで見ていても、見飽きない。




展覧会を見た後は、フィルムシアターで黒澤明の初期の作品『素晴らしき日曜日』を鑑賞。
同館の今月のテーマは「映画が伝える 名もなく、貧しく、そして美しい生活」。なので、『素晴らしき日曜日』も終戦直後の貧乏カップルの極貧の生活を描いた作品だ。

クロサワにもこんな時代があったんだ。。。という内容だったが、ヒロインに抜擢された中北千枝子の演技が光っていた。
最初は、平凡な顔立ちの小太りの女性に見えていたのが、映画が進むにつれて、しとやかで献身的な日本女性に見えてくる。うつ伏せになって泣きじゃくるところや、相手役の男性を物問いたげ見つめるまなざしなど、『羅生門』の京マチ子を彷彿とさせる。監督の演出とカメラワークによって新人女優が磨かれていく、その過程がつぶさにわかる作品だった。

この時代の女優さんって、しぐさや物腰の端々に女らしさが滲み出ていて、顔が十人並みでも、観ているうちに美人に見えてくる。男性を立てる気配りや、ずけずけとモノを言わない奥ゆかしさが、昔の日本女性を美しく見せていた。





2019年3月17日日曜日

「梅若六郎家所蔵の能面と能装束」幽玄の世界への誘い ~香雪美術館

2019年2月26日~5月6日 御影・香雪美術館

梅若六郎家の名品中の名品が勢ぞろいした四世梅若実襲名記念特別展。

あこがれの「逆髪」に出会えただけでも感激なのに、かつての名舞台で使われた面も数多く展示され、あのときの感動が蘇ってくる。
当代梅若実師による18年前の《道成寺》の映像も上演され、いつしか子どものように夢中になっていた。会場には3時間近くいただろうか。


朝日新聞の創業者・村山龍平のコレクションを収めた香雪美術館

梅若家の優れた能面の多くは、明治期に能楽名家や大名家から放出された名品を、初代梅若実が精力的に買い求めたもの。かけがえのない面・装束の散逸や海外流出を防いだのが、初代実だった。


本展覧会でも、13代喜多流宗家が明治初期に手放したものが、土佐藩藩主・山内容堂の手に渡り、その後梅若実が入手した優品の数々が展示されていた。


また、三遊亭円朝と白洲正子からそれぞれ贈られた「喝食」(河内大掾家重)や「増女」(出目是閑吉満)なども展示され、初代梅若実の幅広い交友関係の一端がうかがえる。

これらの能面には、贈った人の人柄や趣味も反映されていて面白い。

円朝の「喝食」はアクのある個性的な顔立ち。たんなる正義のヒーローではない、一癖も二癖もありそうな「喝食」だ。いっぽう、白洲正子が贈った「増女」は洗練された気品を備え、素直でひたむきな雰囲気をもつ。これを初代実が掛けることで、かえってシテ自身の個性が引き立つことを白洲正子は狙ったのだろうか。


【蝉羽(せみのは)】(伝出目友閑満庸・江戸中期)
この日、思いがけない出会いとなったのが、孫次郎系の女面「蝉羽」だった。下ぶくれの顔立ちに、豊かでぼってりとした唇。コケティッシュな笑みを浮かべているが、うるおいのある切れ長の目は、どことなく寂しげだ。みずみずしい表情、やわらかな肌の質感は、生身の女性を思わせる。


『能を旅する』という本に、当代実師がこの「蝉羽」を《松浦佐用姫》に用いた時の写真が掲載されている。最高の舞い手を得た能面「蝉羽」はこのうえなく幸せそうに、生き生きと輝いている。能面は、舞台で使われてこそ生きてくる。




【童子】(伝石川龍右衛門・室町末期)
これは忘れもしない、梅若紀彰師が《菊慈童・酈縣山》で使った面だ。
「酈縣山」の小書がつくと、菊慈童が深山へ流刑されるシーンが前場として復活する。

ひとり深山に置き去りにされる慈童の、寄る辺のない、打ちひしがれた様子。赤子を抱くように、さも大事そうに枕を抱く、あの悄然とした姿が、いまも胸に強く焼きついている。思わず駆け寄って抱きしめたいほど、胸が強く締めつけられたのが懐かしい。




【蛙】(伝河内大掾家重。江戸前期)
【真蛇】(伝赤鶴吉成・室町期)
昨年、Eテレで放送された復曲能《大般若》。前シテに使われた「蛙」と、後シテの「真蛇」が展示されていた。

《大般若》の前シテ・深沙大王の化身に「蛙」の面が使われているのを観た時は、軽い衝撃を覚えた。当代実師の卓越した美的感覚がここにも現れている。「深沙大王=沙悟浄=河童=蛙」という連想に由来するのかもしれないけれど、ふつう思いつかないよね、「蛙」を使うなんて。


喜多家旧蔵の「蛙」は、通常の「蛙」の面とはちょっと違う。ふつうの「蛙」は、上からジトーッと恨みがましく見下ろす表情をしているが、この「蛙」は上目遣いで、どこか飄々としていて、つかみどころがない。深沙大王の化身の「得体の知れなさ」を表現するのには最適だと思う。


「真蛇」の面は、復曲能《大般若》の要。
深沙が転じて「真蛇」と表記されることが多く、能面の「真蛇」は《大般若》の専用面だったという仮説からこの能が復曲された。

梅若家所蔵の「真蛇」はそれほど恐ろしい感じはなく、どちらかというとアニメチックでコミカルだ。

目や歯・牙には金輪や金板がはめ込まれ、鋲で打ちつけられている。文字通り、耳まで避けるほどカッと開かれた大きなアゴには、両サイドに大きな亀裂が入っているのが見て取れる。まさにアゴが外れた状態だったのではないだろうか。

大きく亀裂の入った「真蛇」を掛けて、さらに巨大な輪冠龍戴(これも展示)を被って舞台で舞うというのは至難の業である。これを当代実師は事もなげに演っておられた。黄金期のハリウッド映画を思わせるスペクタクルな構成・演出も見事。
余談だけど、ツレの龍神役で出ていた川口晃平さん、以前にも増してうまくなっていた。




【逆髪】(大宮大和真盛・江戸前期)
この「逆髪」の写しを使って喜多流某師が《道成寺》を舞ったのをテレビで観たことがある。その時は、面だけが妙に浮き上がり、なんとなくちぐはぐだった。能面の顔立ちがあまりにも現代的で、どこか深みに欠けるような印象を受けたのかもしれない。

ところがこの日、展示された「逆髪」の本面からは、まったく別の感じを抱いた。

凄みのある美貌・美形に変わりはないが、それは表層的で浅薄な美しさではなく、もっと内省的で深い精神性を感じさせる奥行きのある美しさだった。妖艶な官能性よりも狂気を秘めた神秘性を感じさせた。

写しと本面の違いだろうか。それとも。。。

それにしても、不思議な面である。
この面をしばし眺めてたあと、ほかの能面を鑑賞していても、強い磁石に引かれるようにまたこの面の前に戻ってしまう。2階の展示室に行っても、どうしても「逆髪」の面のことが気になって、また舞い戻ってしまうのだ。しかも見るたびに表情を変え、受ける印象が違ってくる。憂いに沈んでいたり、氷のように冷たく取り澄ましていたり、驕慢な笑みを浮かべていたりと、まるで生きている女性のよう。

おそらく舞台では、ほんの少し角度を変えるだけで、あるいは、観る側の精神状態を微妙に反映して、一瞬ごとに表情や雰囲気を変えるのだろう。

この面は、能《逆髪》以外に《道成寺》や新作能《智恵子抄》にも使われたという。すでに使われたことがあるのかもしれないけれど、《鷹姫》はどうだろう? 《鷹姫》こそ、この謎めいた面にふさわしい気がする。《野宮》でも観てみたい。



このほか、伝日永相忠の「老女小町」(室町末)や、斜めに描かれた二本の毛筋が特徴的な出目洞水満矩「白般若」、下間少進仲孝の花押のある「痩女」、美しく茶色に褪色した黒紅唐織など、ここに書ききれないくらいの凄い名品ばかり。


18年前の《道成寺》の映像が感動的だったので、黄金期の梅若実玄祥の《道成寺》につづく。








2019年1月19日土曜日

先斗町歌舞練場~京都日本画新展・記念シンポジウム

209年1月19日(土)14~16時 先斗町歌舞練場
先斗町歌舞練場、武田五一設計、1927年

今月25日から「えき」KYOTOで開催される日本画新展2019のシンポジウムへ。

会場となった先斗町歌舞練場は、建築的にも興味深い場所です。



屋根の上には、舞楽面「蘭陵王」の像

歌舞練場入口の屋根の上に鎮座している謎の像。

一瞬、ロマネスクの怪物? ゴシック建築のガーゴイル? と、思ってしまいますが、これは舞楽面の「蘭陵王」を象ったもの。
蘭陵王は歌舞音曲の神様なので、歌舞練場の守護神にぴったりです。

蘭陵王の両脇に、小さな太鼓があるのが見えますでしょうか?

先斗町が鴨川と高瀬川に挟まれている、つまり「川」と「川」に挟まれているのを、「皮」と「皮」に挟まれた太鼓に見立て、太鼓が「ポン」と鳴ることから、「ぽんと町」と呼ばれるようになった、という名前の由来の一説を図像化したもののようです。

なんだか、遊び心がありますね。 



レトロすぎるほどレトロな外観
内部もけっこう老朽化が進んでいます。
それでは、なかに入ってみましょう。




シンポジウムのプログラムは以下の通り。

オープニング:先斗町の舞妓さんによる舞
  《梅にも春》
  《祇園小唄》《鴨川小唄》
   地方 かず美さん
   舞妓 市結さん、市すみさん、市愛さん

パネルディスカッション
   原田マハ(小説家)
   林潤一(日本画家)
   野地耕一郎(泉屋博古館分館長)
   丸山勉(日本画家)
コーディネーター 田島達也(京都市立芸大教授)



冒頭の舞妓さんの舞が素敵でした。
この日は最前列に座っていたので、間近で拝見できてラッキー。

この時期にぴったりの春らしい演目で、舞妓さんたちのお着物も、水色やラベンダー色、菜の花のような明るい黄色など春らしい色合い。

「ぽっちり」の帯留めもゴージャスにきらめき、髪には正月らしい松竹梅の簪。
日本の女性美の結晶のようなあでやかさ。

腰や肩の動きがなんとも優美で、手の表現がしなやかで、やわらかい。
美酒に酔ったように、うっとりと見惚れてしまう。美しいものって、どうしてこんなに人を幸せにするのだろう。

地方さんの声にも、凛としたなかに艶っぽい色気があって、素敵だなぁ。

それにしても、舞妓さんだからお稽古歴もそう長くないと思うのですが、やっぱりプロって凄い! これだけ人を惹きつける魅力があるのですもの。
プロとしての心構えを持ち、厳しい稽古を重ねた人のもつオーラ。人に見られて、憧れられて、輝きを増す独特のオーラを彼女たちはまとっている。
たおやかで、露のようにきらりと輝く美しい舞。いつまでも観ていたかった。



パネルディスカッションでは、パネリストそれぞれが好きな日本画を3点ずつ紹介して、その良さを語るというコーナーがあり、紹介された作品を以下に挙げるとこんな感じ。

原田マハ氏は、竹内栖鳳《若き家鴨》、福田平八郎《淪》、上村松園《序の舞》。
林潤一氏は、菊池芳文《小雨ふる吉野》、西村五雲《日照雨》、山口華楊《鶏頭の庭》。
野地耕一郎氏は、池大雅《竹石図》、柳原紫峰《蓮》、村上華岳《春泥》。
円山勉氏は、村上華岳《峯茂松》 、長谷川等伯《楓図》、雪舟《天橋立図》。
田島達也氏は、狩野山雪《籬に草花図》、円山応挙《牡丹孔雀図》、岡本神草《口紅》。

このなかで、とりわけこだわりポイントの解説が面白かったのが、野地耕一郎氏。

柳原紫峰の《蓮》はわたしは未見なのですが、朝もやに包まれた湖に浮かぶ睡蓮の花が描線を使わずに、しっとりとした水気とともに描かれていて、是非見てみたいと思った。
千總が所蔵していて、時おり千總ギャラリーに展示されるようなので、チェックしてみよう。

村上華岳の《春泥》は、華岳がぜんそくを患ってから描いたもの。通常、線を引くときは息を詰めて描かないといけないが、喘息を患った華岳にはそれができない。《春泥》に描かれた線は、華岳の呼吸に合わせて、脈動している、それがこの絵の醍醐味だと野地氏は言う。
残念ながら、この絵は個人像なので、めったに見ることができないそうだが、何かの折に出展されていたら、味わってみたいと思った。



ロビーからは鴨川が一望できる。


歌舞練場の窓から眺めた鴨川の風景

冬のカップルには寄り添っている雰囲気があって、絵になります。




冬の三条大橋と春を待つ桜の木。





2018年10月14日日曜日

文楽人形衣裳の美

会期:2018年9月15日~12月2日 国立文楽劇場展示室

用事で近くまで来たので、図書室で名人の舞台映像を観てからこちらへ。
贅を凝らした刺繍、染めの美しさ。装束の素晴らしさもさることながら、櫛や簪のコレクションも国立博物館級の逸品ぞろい。これだけでも一見の価値あり。

振袖打掛「赤花紗綾形鎮図芝垣花霞繍振袖打掛」


黒繻子瀧桜紅葉繍打掛(「壇浦兜軍記」阿古屋など)


かしら 傾城

黒繻子牡丹繍俎板(まないた)帯


(左)紫繻子槍梅染繍半素襖(寿式三番叟「千歳」)


↓以下に紹介する櫛や簪は文楽人形用のものではなく、日本舞踊の演者に化粧を施す顔師だった故人のコレクション。コレクターの没後に文楽劇場に寄贈されたそうです。

黄楊や象牙、鼈甲に精巧な蒔絵や螺鈿細工が施された櫛は、どれも思わず見入ってしまうような名品ばかり。
きっと女性美に徹底的にこだわり、研究されていたのでしょうね。



柳に初冠に弓かな? 判じ絵でしょうか?



掛け軸に矢筈、書物に勾玉。。。? これも判じ物?



精緻な蒔絵。



手の込んだべっ甲細工。芝露のキラリと光る露は、ガラス玉or真珠?




繊細で可憐な秋の花々。




ボリュームのある大輪の菊を高度な蒔絵技法で表現。



象嵌と彫金でしょうか。



筥迫(はこせこ)

解説によると、筥迫とは、懐に入れてもつ箱型の紙入れで、懐紙や鏡などを入れたそう。ポーチのようなものだったんですね。
チャームのように下に垂らしているのは、香り袋。

そういえば、花嫁衣装を着たときに、着付けの人がわたしの懐中に忍ばせたのが、たぶん、筥迫だったと思う。懐剣を胸元に挿して……。