2019年6月12日水曜日

四国五郎展 ~シベリアからヒロシマへ

2019年6月8日(土)大阪大学総合学術博物館


山崎正和先生のフォーラムに向かう途中、かつて医療技術短大だったところが博物館になっていたので、立ち寄ってみた。企画展「四国五郎展~シベリアからヒロシマへ」は、たしか日曜美術館のアートシーンでも紹介された展覧会だ。

シベリアに抑留されていた四国五郎は、帰国後、故郷広島で弟が被爆死したことを知り、反戦を訴えるべく、絵と詩の制作を決意したという。

シベリア抑留体験を描いた絵画としては、香月泰男の《シベリア・シリーズ》が有名だが、今回はじめて観た四国五郎の一連の作品も衝撃的だった。


なかでも印象深かったのが、1993年に描かれた《墓標建立(コスグラムボ)》だ。

この絵の構図と風景と配色は、ピーテル・ブリューゲルの《雪中の狩人》を思わせる。
画面左下の前景には、雪に埋もれたシベリアの森が大きくクローズアップされ、「日本人拘留者 鎮魂の墓標」と記された墓標が立ち、墓標の前には缶詰や花や菓子袋が供えられている。

墓標を取り巻くように、シベリア抑留者らしき防寒具に身を包んだ男たちが、巨大な斧や鋸を手にして立っているのだが、痩せ細った男たちのなかには、防寒帽の下にあるべき顔がない者や、死神のごとく髑髏のような顔をした者も混じっている。
画家のタッチは粗く、荒涼とした空気が漂う。


いっぽう画面右上の遠景には雪はなく、秋の野山のようなのどかな風景が広がり、そこに集った人々はまるでピクニックに来たようにリュックを背負い、それぞれが思い思いに腰を下ろしたり、楽しげに写真を撮ったりしている。


どうやら墓標のまわりに佇む一団は、抑留者たちの亡霊らしい。彼らの魂はまだシベリアに抑留されたまま、寒さと飢えにあえいでいる。

それにたいし画面右奥に描かれている人々は、かつての抑留地を訪れた、豊かで平和な時代の観光客だろうか。
過去と現在、あの世とこの世、地獄と平穏が、一枚の絵のなかで交錯し、折り重なる。

鎮魂と称して、墓標の前に花や缶詰を供えつつも、そこを訪れる行為自体が、人々にとって一種のレジャーとなっている。

過酷な環境に身を置いたことのない現代人に、その苦しみを分かれというのは無理な話だが、その「悪意のない無邪気さ・無感覚さ」を、画家は犠牲者の視点から描いたのかもしれない。



同様の制作意図を感じさせたのが、同じく1993年に描かれた《1946年埋葬者を搬ぶ私を写生する1993年の私》だった。

1946年のシベリア抑留時代に、犠牲になった仲間たちの遺体を運ぶ列。その列のなかの自分を、1993年の自分が描いている。

犠牲者の遺体を運ぶ列を傍観する人々のなかには、四国五郎のほかにも、1990年代の日本人や外国人も描かれ、みな観光地を訪れたツアー客のようにカメラを掲げて埋葬者の列を物珍しげに撮影している。

安全な「平和の高み」から、かつての過酷な現実を見下ろす人々。

画家は自戒と自責の念もこめて、この作品を描いたのだろうか。

いまでもサイパンなど世界各地で慰霊碑ツアーが行われ、自然災害の被災地でさえ観光地化している場所もある。悲惨な過去を持つ土地が娯楽化されていないだろうか? 訪れた人たちの思いは真剣でも、そこにさまよう亡霊たちの目に、その姿はどう映っているのだろうか? 


広島の原爆を描いた代表作の絵本『おこりじぞう』も、温かくて、残酷で、怖くて、悲しくて……多くの人に読んでもらいたい作品だった。

思いがけず、良い画家に出会えた。



全長7メートルのマチカネヤマワニの化石のレプリカ
(本物は3階に展示)



0 件のコメント:

コメントを投稿