2017年5月24日水曜日

ムットーニ・パラダイス~世田谷文学館リオープン記念企画展

会期:2017年4月29日~6月25日  世田谷文学館



リニューアルオープンしたセタブンの記念企画展第一弾は、自動人形からくり劇場アーティスト、ムットーニこと武藤政彦さんの大規模展覧会。
これは行かねば!と、帰京の折に訪ねてみました。
ムットーニ・パラダイスのサイトはこちら





文学館の外観はとくに変わらず、子供のためのエリアが拡張された様子。

コレクション展では、江戸川乱歩愛蔵の村山槐多の油絵《二少年図》や、横溝正史中期の異色作『鬼火』の竹中英太郎作・挿絵原画も展示。
お銀の毒気・妖美をあますことなく描いた英太郎の画は時代の空気を映し出していて、大昔に読んだ『鬼火』のドロドロした陰湿な世界の記憶がよみがえる。
たしか、『蔵の中』の文庫本に入ってたはず。久々に再読したくなりました。






さて、お目当ての企画展「ムットーニ・パラダイス」。

お馴染みの作品から、初めて見る作品まで多彩な内容。
どれも大好きな作品ばかりなのですが、とくに気に入ったものを紹介します。

まず、いちばんのお気に入りは、2016年作《題のない歌》
これは『青猫』に収録された萩原朔太郎の同名の詩にもとづく作品で、ムットーニの手にかかれば朔太郎の詩が哀愁漂うダンディな色彩を帯びて立体的に視覚化され、古い映画を観るような懐かしささえ感じさせます。

作品の着想減源となった詩は以下の通り、

題のない歌

南洋の日にやけた裸か女のやうに
夏草の茂つてゐる波止場の向うへ 
ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた。
ふはふはとした雲が白くたちのぼつて
船員のすふ煙草のけむりがさびしがつてる。
わたしは鶉のやうに羽ばたきながら
さうして丈の高い野茨の上を飛びまはつた。
ああ 雲よ 船よ どこに彼女は航海の碇をすてたか
ふしぎな情熱になやみながら
わたしは沈默の墓地をたづねあるいた。
それはこの草叢の風に吹かれてゐる
しづかに 錆びついた 
戀愛鳥の木乃伊(ミイラ)であつた。


ムットーニのからくりシアターでは、詩のなかの言葉「夏草の生い茂った波止場」「赤錆びた汽船」「沈黙の墓場」をキーワードに場面が展開する。

場末の酒場。男が独り、ウイスキーのグラスを傾けている。
アルコールが心地よく体内をめぐり、その幻想のはざまで酒場の扉が開き、
一人の女が入ってくる。

気がつけばそこは、夏草の生い茂る波止場。
街灯に明かりが点り、汽笛が鳴って、赤錆びた汽船の巨大な影が近づいてくる。

そして、沈黙の墓地。
いつしか女の肩から白い翼が生え、女は戀愛鳥のミイラに姿を変える。

次の瞬間、汽船は遠ざかり、女の姿も消え、夏草の生えた地面は酒場の床となり、
男はまた独り、グラスを傾ける。
汽笛だけが遠くで鳴っていたーー。


何十回路ものアナログスイッチが場面展開や光のコントロールに使われ、その緻密さ・精巧さには息をのむ。
とりわけ酒場の床から夏草がふさふさと生える、その芸の細かさが凄い!
劇場となるボックス・シアター(箱型劇場)の前にはカメラが設置され、箱のうえの天幕にモノクロームの場面が映写されます。



もうひとつ、今回はじめて目にして印象深かったのが、
2015年作《アトラスの回想》
これは天空を背負わされたアトラスの苦難に、中原中也の詩「地極の天使」に絡めて制作されたもの。

ムットーニの作品では、詩の一説「マグデブルグの半球よ、おおレトルトよ! われ星に甘え、われ太陽に傲岸ならん時、汝等ぞ、讃うべきわが従者!」の言葉のごとく、アトラスの背負う天空がパカッと二つに割れ、夜と昼に分かれた球体のなかから有翼の天使が現れる。
日常の象徴である木箱とレトルト(錬金術などで用いられたガラスの蒸留器具)を手にもつ天使は、足元のミラーボールを煌めかせながら、天空へと舞い羽ばたく。



わたしが訪れた日には、5月中旬までしか展示されない《エッジ・オブ・リング》、《プロミス》(ドラキュラの花嫁がテーマ)、《ビー・マイ・ラブ》の三作も展示されていました。
その光と陰影が織りなす世界にひたすら見入り、甘美な陶酔感にしばし耽溺。

こういう夢のような美しい世界は、魂の糧ですね。

6月3日から最新作《ヘル・パラダイス》も展示されるとのこと。
(現在、鋭意制作中らしい。)
来月、できればもう一度訪れてみようと思っています。



お庭の池には鯉がいっぱい!



新緑がまぶしい






2017年5月22日月曜日

《賀茂・素働》後場~国立能楽堂五月定例公演

2017年5月19日(金) 18時30分~21時  国立能楽堂
前場からのつづき
能《賀茂・素働》シテ里女/別雷神 片山九郎右衛門
   ツレ里女/天女観世淳夫
  ワキ室明神神職 則久英志 舘田善博 野口能弘
    アイ末社の神 石田幸雄
  杉市和 後藤嘉津幸 亀井広忠 小寺真佐人
  後見 観世銕之丞 清水寛二
  地謡 山崎正道 馬野正基 鈴木啓吾 谷本健吾
     川口晃平 内藤幸雄 小田切亮麿 山崎友正




間狂言】
小書「素働」では替合「御田」が演じられることもあるそうだが、この日は末社の神による三段之舞。
狂言らしくポツポツと切れる呂中干系の笛がコミカルで軽快。


後場】
〈後ツレ出端→天女之舞〉
後ツレの御祖神(みおやのかみ)は、朱色の舞衣に黄色がかった大口、天冠。
面は前場と同じ、近江作の小面。
この小面がほんわかして愛らしく、淳夫さんの雰囲気によく似合う。

達拝で始まる天女之舞は、豊穣を感じさせるまろやかな優しい光にあふれ、
細部まで丁寧に、丁寧に舞う後ツレの舞は、観る者を幸せな気分にさせる。
こういう丁寧さ、ひたむきさが、淳夫さんの最大の魅力です。



〈後シテ早笛→イロエ〉
舞い終えた後ツレは「別雷の神体来現し給へり」で、
彼方の雲を見やるように雲ノ扇。

ここから一転、早笛となるが、常の早笛とは違い、ゆっくりした重みのある位。

これがいかにも遠くの空でゴロゴロと雷が鳴り始めたような調子で、
雷雲が空の彼方から稲妻を光らせながらしだいに近づいてくるように、
後シテ・別雷神が登場する!

後シテは狩衣・半切、赤頭から稲妻型にジグザグに切った金紙「光」を垂らし、
手には白い幣をもつ。
面は、怒天神。
金具をはめた眼が鋭く、きりりと引き締まった表情の凛々しい面。

イロエでは、太鼓に合わせて踏むシテの足拍子が、
清涼殿の落雷もかくやと思わせるほどダイナミックな迫力!

上半身は不動のまま、地響きがするほどの足拍子を踏むとは!
自然の威力、神威の表現はさすがだった。



〈終曲〉
「御祖の神は糺の森に飛び去り飛び去り入らせ給へば」で後ツレが退場。
その前に、脇座に控えていた後ツレが立ち上がって橋掛かりに向かう際に、
シテが地謡前で軽く飛び返りをする。
この飛び返りが、九郎右衛門さんには珍しく精彩に欠けていた。
後ツレが正先を過ぎていく途中だったので、空間の安全性が確保できず、
とっさの判断でそうなったのかもしれない。
あるいは膝か腰に故障を抱えているように見えたので、そこが少し心配。

九郎右衛門さんはただでさえ過密スケジュールなのに、五月後半はとりわけ過酷だ。
心身の疲労がたまりにたまっていらっしゃるのかもしれない。

最後は、地謡と囃子の位が急に早まり、シテはタタターッと袖を被いて三の松に至り、留拍子。








2017年5月20日土曜日

国立能楽堂五月定例公演~《賀茂・素働》前場

2017年5月19日(金) 18時30分~21時  国立能楽堂
狂言《大般若》からのつづき
能《賀茂・素働》シテ里女/別雷神 片山九郎右衛門
   ツレ里女/天女観世淳夫
  ワキ室明神神職 則久英志 舘田善博 野口能弘
    アイ末社の神 石田幸雄
  杉市和 後藤嘉津幸 亀井広忠 小寺真佐人
  後見 観世銕之丞 清水寛二
  地謡 山崎正道 馬野正基 鈴木啓吾 谷本健吾
     川口晃平 内藤幸雄 小田切亮麿 山崎友正



発表当初からとても楽しみにしていた《賀茂・素働》ですが、
近年の東京での九郎右衛門さんの演能のなかでは、若干輝きに欠けた印象を受けました。
九郎右衛門さんに限っていえば、何処が悪いというところもありません。
総じて一定水準以上のクオリティの高さです。
強いて言えば、以前は配役の良し悪しにかかわらず、ぶっちぎりで独走して良い舞台にしていところを、今回はそちらに気を取られて余計なエネルギーを消耗し、いつもの光が曇って見えたのです。
観る側の問題かもしれません……。


【前場】
〈ワキ→シテ・ツレの出→同吟〉
真之次第で、室明神の神職・従者の登場。
脇能なので、幕際と常座・脇座前で独特の袖さばき&爪先立ちの型をする。

囃子は、大好きな杉市和さんと後藤嘉津幸さん。
後藤さんは良い小鼓方さんで掛け声にもハリがある。
爽やかなブルーの袴姿の広忠さんはいつもながら(いつもに増して)気合十分。


そこへ、里女のシテ・ツレが水桶を持ってやってくる。
唐織姿のシテの面は、潤いに満ちた肌質の増。
同吟の箇所は舞台を観ているというよりも、シテがツレに口伝えで謡を教えている稽古風景をのぞいているよう。
九郎右衛門さんはもとより、淳夫さんも好きだし、一生懸命さが伝わってくるだけに、観ているほうも辛い。

ツレの淳夫さんは、将来地頭になられる方。
地謡前列にいる時の佇まいに凛とした筋が通っていて、じつに良い顔つき・目つきで舞台を注視していらっしゃる。
地頭には謡のうまさや統率力、曲への高い理解力が求められるのはもちろんだけれど、舞台への向きあい方・気の込め方、観客の反応を肌で感じてそれに応えようとする真摯な姿勢も大切だと思う。
そうした大切な要素を持っておられる淳夫さんだけに、今の努力が将来報われ、何十年か後に、「この方にもこんな時期があったんだ!」と思われるくらいになっているといいな。



〈ロンギ〉
有名な賀茂のロンギの謡。
山崎さん地頭・馬野さん副地頭の地謡は、骨太で男っぽい。
このメンバーだとこういう地謡になるのかと、意外性があって新鮮。


このあたりから舞台がぐっと引き締まり、初同の立廻りで行きわたった気が、「神の御慮汲まうよ」の合掌に収束する。

品位とみずみずしさの際立つシテの所作と姿。



〈中入来序の足遣い〉
やがてシテは「神隠れになりにけり」で廻り込み、来序で中入する。

このときシテが、一ノ松で立ちどまり、太鼓に合わせて序之舞の「序」のように爪先を上げ下げする特殊な足遣いをしていたようだ。

松の影と観客のアタマであまりよく見えなかったが、中入来序でシテがこんな足遣いをするのは初めて観た。
わたしが知らないだけでわりとスタンダードな型なのかもしれないけれど、興味深いところなので、もっとよく観てみたかった。



《賀茂・素働》後場へつづく





国立能楽堂五月定例公演 狂言《大般若》

2017年5月19日(金) 18時30分~21時  国立能楽堂

狂言《大般若》シテ住持 野村萬斎
   アド神子 高野和憲 小アド施主 野村万作
    狂言神楽 杉市和 後藤嘉津幸

能《賀茂・素働》シテ里女/別雷神 片山九郎右衛門
   ツレ里女/天女観世淳夫
  ワキ室明神神職 則久英志 舘田善博 野口能弘
    アイ末社の神 石田幸雄
  杉市和 後藤嘉津幸 亀井広忠 小寺真佐人
  後見 観世銕之丞 清水寛二
  地謡 山崎正道 馬野正基 鈴木啓吾 谷本健吾
     川口晃平 内藤幸雄 小田切亮麿 山崎友正




久しぶりの東京。 久しぶりの能楽堂!
行く前は、ヘトヘト・ボロボロになっていたけれど、観終わった後は自分でも驚くほど元気になっていて、やっぱり能楽セラピーってすごい。
「気」のチャージができたというか、自分のなかの弱りきった「気」が入れ替えられ、活性化された感じ。
凄いリフレッシュ感!
現代人にとって、こういう場や機会を持つって大事だと思う。



さて、初めて観る狂言《大般若》。
和泉流のみにある曲だそうですが、これが曲も役者も良い出来だった。

まずは施主と神子(みこ)が登場。
高野さん扮する神子は直面だけれど、鬘や鬘帯をつけた巫女らしい厳かな出で立ち。
ハコビも粛々として、美しい。


その後、萬斎さん演ずる僧侶も出てくるのですが、《泣尼のときと同様、萬斎さんの僧はいかにも聖職者然と気取りながらも、強欲さや俗臭を声の調子にコミカルににじませる味のある面白さ。
こういう役をやらせると、萬斎さんはほんとうにうまい!


神子が神楽を舞う隣で、僧が読経をあげるという奇抜な設定が、この曲の醍醐味。


高野さんの狂言神楽がとてもよく、以前、美保神社で見た巫女舞を思い出す。

毎日朝夕に奉納される美保神社の巫女舞



狂言巫女舞も、本物の巫女舞のようにヒーリング効果が高く、鈴をシャンシャンを振りながら、単調な舞を繰り返す、その素朴な調べと動きを観ていると、こちらも揺りかごに揺られているように心地よい気分になる。

僧侶がチラチラと神子が気になり、しだいに釣り込まれて一緒に舞い出す、その過程も秀逸だし、僧が惹かれるだけの魅力的な舞を舞う高野さんの神子も好演だった。




能《賀茂・素働》前場につづく