ラベル 謡曲史蹟めぐり の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 謡曲史蹟めぐり の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年9月17日火曜日

神泉苑観月会~能《鷺》の舞台

2019年9月14日(土)神泉苑
池に浮かぶ龍頭舟(左)と善女龍王社(右)
平安遷都にともない造営された神泉苑。
かつては天皇専用の禁苑でしたが、この日は特別拝観日になっていて、苑内全域が公開されていました。

824年の旱魃の際、東寺の空海と西寺の守敏が法力による雨乞い対決を行い、空海が善女龍王(龍神)を勧請して、勝利したことは有名ですね。以来、どれほど日照りが続いても、神泉苑の池だけは涸れることがなかったといいます。

863年に疫病が蔓延した時には、ここで御霊会が行われ、それが祇園祭の起源になったことでも知られています。

能楽愛好家のあいだでは、能《鷺》の舞台としてもおなじみの神泉苑。
そんな由緒ある苑で開かれた観月会に行ってきました。



龍頭舟
例年の観月会では龍頭舟が出て、池を周遊しながらお茶席が楽しめます。
でも、今年は舟が雨漏り(?)のため舟遊びができず、舟は池に浮かんでいるだけ。

お茶席(月見団子とお薄)は本堂前の野点席だけになってしまいました。(>_<)





肝心のお月さんはきれいに出てはりました!
この日は十六夜。
満月よりもほんの少し欠けた月輪が、詫びた風情で好いものです。




善女龍王さまに御供えされた秋の草花と月見団子。

どうかこれ以上、この国に暴風雨が吹き荒れることなく、慈雨をもたらしてくださいますように。




義経と静御前が出会った法成橋
本堂から善女龍王社にのびる法成橋は「一願成就」の橋。
願い事を一つだけ念じながらこの橋を渡って善女龍王にお参りすると、願いが叶うとされています。
家族のことをお祈りしながら渡ったのですが、さっそく良い兆候が!

またこの橋は、静御前が雨乞いの儀式で白拍子の舞を舞った際に、源義経と出会った場所ともいわれています。

お能の題材にもなりそうな運命の出会い。
ロマンティックな橋なんですね。





白い水干に紅長袴といった白拍子の舞姿が水面に移り、さぞかし美しかったことでしょう。義経が恋に落ちるのも無理はありません。

毎年5月には「静御前の舞」がこの橋の上で奉納されるそうです。




善女龍王社と拝殿
善女龍王社前の舞殿では、音楽演奏が奉納されました。





音楽療法士のMiseraさん(歌、琴、ライアー)とジャズピアニストのクイン・アルバイトマンさんによるセッション。

まずは、イザナギ・イザナミが歌った神代の歌「あわのうた」で、身体内部と外の空気とを調和させ、音の波動で身心を整えます。

その後、十六夜にちなんだ筝曲「十六夜日記」、アメイジング・グレイス、Jazzyなナンバーなど、1時間半ほどのライヴが続きました。

神聖なパワースポットと清浄な音楽が溶け合ったヒーリング効果の高い音の世界にどっぷりと浸るひととき。Miseraさんのクリスタル・ヴォイスが素敵で、めちゃくちゃ癒されました!




矢劔大明神
矢劔(やつるぎ)大明神は、神泉苑の鎮守稲荷社だそうです。
大正期に創建されたお社とのころですが、夕闇に浮かび上がってきれいでした。



恵方社
歳徳神(大歳神)を祀る恵方社。
歳徳神とは、その年の福徳を司る神さまで、福徳神のいらっしゃる方角がその年の「恵方」となります。
この恵方社は毎年大晦日の晩に、恵方に向きを変えるそうです。
回転するお社なんですね~。おもしろ~い!




鯉塚と亀塚
この池にすむ鯉と亀の霊を弔う鯉塚・亀塚。
神泉苑の池には、鯉や亀がたくさんすんでいて、観月会の最中でも生きのいい鯉がバシャバシャ跳ねる音が聞こえてくるほど。

鯉は龍の化身でもあります。

亀も亀塚の形状を見ればわかるように、中国の霊獣「贔屓(ひき)」によく似ています。「贔屓」は龍が生んだ竜生九子のひとつで、こちらも龍と深いつながりがある生き物。
龍神のすむ神泉苑で大切に祀られているのも肯けます。




弁天堂
水とゆかりの深い弁財天さま。
ここも強いパワーが感じられる場所でした。






2019年9月12日木曜日

源融の六条河原院と六条御息所の旧居


「あれこそ籬が島候ふよ。融の大臣、つねは御舟を寄せられ、御酒宴の遊舞さまざまなりし所ぞかし」━━世阿弥作《融》より


京都駅から徒歩15分。
五条大橋の西側、高瀬川沿いに源融の六条河原院跡があります。


かつては京都と伏見をつなぐ運河だった高瀬川。



2本のエノキの巨木が立つ「籬の森」
源融の六条河原院の池には「籬が島」と呼ばれる中島が浮かんでいました。
のちに現在の五条大橋の近くの森が、河原院の籬が島のイメージと重なり、いつしか「籬の森」と呼ばれるようになったといいます。



「此附近 源融河原院址」
鬱蒼と生い茂る2本の巨木。
森の名残りらしく、木蔭は昼間でも薄暗く、ひっそりとしています。
籬の森は、鴨川の氾濫により埋没したそうです。





巨木の背後には小さな祠が、洞窟のようにぽっかりと口を開けていました。





秘密基地のような、祠のなかに入ってみると……。

御神体の榎木の古株のうえに「榎木大明神」と刻まれた石が祀られていました。
キツネさんたちが守護しています。

伝承によると、源融の六条河原院で祭祀されていた稲荷社が起源だといいます。
いまも屋敷神として篤く崇敬されているんですね。





難波の浦から運んだ海水で塩焼きをして、陸奥塩竈の風景を写した六条河原院。
そのイメージは周辺の地域にも深く浸透していきました。

そうした影響の一端が「本塩竈町」という地名からもうかがえます。



塩竈山・上徳寺
付近の寺院が建ち並ぶエリアにも「塩竃山(えんそうざん)」の山号をもつ上徳寺があります。

光源氏の巨大邸宅・六条院が、源融の六条河原院をモデルに構想されたことはよく知られていますね。

東は現在の寺町通、西は柳馬場通、北は五条通のやや北、南は六条通のやや北に及ぶ広大な敷地が光源氏の大邸宅「六条院」だったとされますが、位置も規模も、源融の「六条河原院」とほぼ一致します。

また『源氏物語』には、光源氏の六条院が、六条御息所の旧宅(秋好中宮が母・六条御息所から相続した旧居近辺)の上に造営されたことが記されています。

「六条京極のわたりに、中宮の御旧き宮のほとりを、四町を占めて造らせたまふ」(「若紫」の巻)


源融と六条御息所。
古代ロマンの二大亡霊ゆかりの地。
それがこの高瀬川沿いの六条河原院跡といえるでしょう。

紫式部も世阿弥も、作品を書くにあたり、この地を訪れたのかもしれません。

後代、ここは色街として栄え、趣深い遊郭建築がいまも残されています。
(それについては別記事「五条楽園━━遊郭建築の宝庫」をご参照ください。)




高瀬川沿いの路上で涼んでいたにゃんこ。





2019年7月11日木曜日

源融ゆかりの寺~太融寺

2019年7月10日(水) 太融寺

お初天神をあとにして、近くの太融寺へ。
その名が示すとおり、源融ゆかりのお寺です。




太融寺は、嵯峨天皇の勅願により、821年に弘法大師が創建したといいます。

なぜ、この地が選ばれたのか?
その理由を僧侶の方にうかがったところ、次のような縁起を語ってくださいました。

平安初期のこと、この地に香木が落ちていたのを弘法大師が見つけ、その香木で千手観音を彫り、嵯峨天皇に献上。「香木が落ちているくらいだから、この地は神聖な場所に違いない」。そう考えた嵯峨天皇は、弘法大師に命じて開山させたそうです。

そして、この寺の七堂伽藍を建立したのが、嵯峨天皇の皇子である源融です。

彼の邸宅だった六条河原院や嵯峨野の別荘「栖霞観」のエピソードから想像するに、源融という人は、建築や作庭に優れたセンスを発揮した人なのかもしれません。



九山八海の庭
須弥山を取り囲む「九山八海」の庭。
なんと、借景はラブホテル。

この辺りはお寺が多いのですが、それを取り囲むのが無数のホテル。
人間界の縮図のように、聖俗入り乱れた風景が広がっています。




そういえば、同じく源融のゆかりの地である六条河原にも、のちに五条楽園(七条新地)という遊里が栄えました。

大坂の北(堂島)新地と京都の七条新地。色町に残る源融の旧跡。

源融には、在原業平のような恋愛遍歴は具体的には伝わっていませんが、正妻以外の女性たちとの間に何人も子をもうけていますし、光源氏のモデルとなった人ですから、業平のような「男女和合の神」的側面もあったのでしょうか。

光源氏の六条院のごとく、塩竈を移した六条河原院に多くの女性を住まわせていて、それが『源氏物語』の着想源になったのかも?などと想像するのは飛躍しすぎかもしれませんが、「融の大臣」の鬼のイメージといい、暗い影の部分をもつ謎の多い人物ですね、源融は。

聖と俗、善悪一如、煩悩即菩提。
境内の九山八海庭に美しく咲く蓮の花のような「泥中の清」を、この寺は体現しているようにも思えます。



本堂内部
本堂は1960年に再建されたもの。
飛龍の欄間彫刻と格天井の絵が見事。

あとで紹介する白龍大神・龍王大神からも分かるように、ここは龍が守護するお寺なんですね。
お初天神(露天神社)と同様、水と縁が深い聖域です。



宝塔
ビル群に囲まれた三層の宝塔には、大日如来が安置されています。



一願堂と不動明王
一願堂に安置された不動明王と矜羯羅・制吒迦童子は戦後に再刻されたもの。
一願成就の御利益があるそうです。




一願堂の奥の洞窟
一願堂の奥には、お滝の洞窟(奥の院)があり、こちらには古い不動明王が安置されていました。
凛とした空気が漂う神聖な空間です。



白龍大神
境外社に龍王大神が祀られていて、龍王が雄神、境内にあるこの白龍大神が雌神で、雌雄一対で太融寺を守護しています。

女性は白龍大神、男性は龍王大神をお参りするとよいそうです。




淀殿之墓
白龍大神の奥にあるのが、淀殿の墓。

大坂夏の陣のあと、淀殿の遺骨は弁天島に埋められ、淀姫神社として祀られていましたが、明治期に太融寺の境内に移祀されたそうです。

淀殿も戦乱の世の犠牲となった哀しい女性のひとり。
白龍大神が、そっとお守りしているのですね。





お初天神(露天神社)~曽根崎心中の舞台

2019年7月10日(水) お初天神(露天神社)

用事で梅田に行ったついでに寄ってみました。
曽根崎心中の舞台ということで前から気になっていたのですが、ここまで来る機会がなかなかなく、お初天神はじつは初めて。



露天神社
いかにも大阪らしい商店街を通り抜けると、ありました! 露天神社。

「お初天神」という呼称は、もちろん《曽根崎心中》のヒロイン・お初に由来するのですが、正式名称「露天神」の由来については諸説あるそうです。

ひとつは、菅原道真の歌にちなんでつけられたという説。
道真が大宰府に向かう途中、太融寺に立ち寄り、この付近で「露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを思い出ずれば」と詠んだ歌が社名の由来となったとされています。

ほかにも、入梅の時期に祭礼が行われることから「梅雨天神」と称されたという説や、梅雨の時期に境内の井戸から清水が湧き出したことにちなむ、という説などさまざま。

いずれにしろ、いまの梅雨の時期に訪れるのにぴったりの神社ですね。




境内にはたくさんの風鈴が。
色ガラスがカラフルで、目にも耳にも涼しげ。
「誰が告ぐるとは、曽根崎の森の下風音に聞え」という《曽根崎心中》の森の下の風音が聞こえてきそう。

ちなみに、お初天神の御祭神は少彦名命と大己貴命。
ほかにも天照大神や菅原道真が祀られていますが、出雲系の神様がメインなんですね。
また、源融ゆかりの難波神明社もあります。



そんなわけで主祭神は出雲系の神様ですが、今ではお初・徳兵衛がこの神社の主役。



お初・徳兵衛の像


三代目中村鴈治郎が奉納した手水一式
お初といえば、三代目鴈治郎(坂田藤十郎)。
奉納された手水台に刻まれた役者名にその残り香を感じます。



お初徳兵衛は心中して結ばれたのですが、恋愛成就・縁結びの御利益があるとか。
このあたりは〇〇ホテル街だし、男女和合の神社なのでしょう。



開運稲荷社
古くは皮膚病治癒を願って、鯰の絵馬が多数掛けられていたそうです。
今も、「美人祈願」「美肌祈願」と書かれた鯰の絵馬が正面に奉納されていました。




撫で牛
身体の弱いところと同じところを撫でる撫で牛さん。
ブロンズの塗料が剥落している部分を見ると、お腹(内臓)や足腰、目や口や頭に悩みを持っている人が多いんだなあと思います。私も撫でさせていただきました。




こんぴらさんと水天宮。
「水関係職種の守護」だそうです。
なるほどー、この界隈は水商売が多いですし。



難波神明社
源融が西天満伊勢町付近の孤島に祀られたお社が、この難波神明社(夕日の神明)の起源だとされているそうです。

次に向かう太融寺もそうですが、この辺一帯は、源融ゆかりの地でもあるんですね。







2019年5月13日月曜日

大海神社の「玉井」~潮満珠が沈められた井戸

2019年5月6日(月)住吉大社摂社・大海神社
住吉造の社殿(重要文化財)
住吉の別宮とされる摂社・大海(だいかい)神社。
祭神は、海幸山幸神話の龍王・豊玉彦とその娘・豊玉姫。
龍王と豊玉姫は、能《玉井》にも登場します。


通りかかった神職の方が、立派なお魚を三方にのせて運んでいました。
道を訊ねたついでにうかがってみると、この大海神社にかぎらず、住吉大社内のすべての神様には鯛とハマチを毎日お供えしているとのこと。

なるほど、やっぱり、海の神様なんだ。

活きのいい供物の魚を見ていると、かつてこの神社の目の前に広がっていた海の存在や、神話や能の世界との時間的・空間的なつながりが感じられて、ちょっと感激でした。



社殿の内部は、手前に渡殿と幣殿があり、その奥にさらに鳥居があります。
南京錠のかかった扉の向こうが本殿。

ゴージャスで重厚な金の扉には、大海原とそこに浮かぶ帆船のようすが描かれています。松林も色鮮やか。
能《高砂》の世界が映像として脳の中にぱあーっと広がってくるよう。この扉絵のように、阿蘇友成たちが播磨国の高砂浦から帆船にのって、この摂津国の住吉浦まで渡ってきたイメージが思い浮かびます。



「玉の井」
社殿の前には「玉の井」と呼ばれる井戸があります。山幸彦が海神から授かった潮満珠を沈めたとされるのが、この井戸です。




彦火々出見尊と豊玉姫が出会ったあの玉井のように、「海辺の井戸は海底の世界(龍宮)とつながっている」という感覚がいにしえの人にはあったのでしょうか。

井戸は冥界にも通じる道でもあり、異空間につながる出入口でもありました。

関西にはそういう場所がたくさんあります。







2019年5月7日火曜日

能の聖地 ~住吉大社!

2019年5月6日(月) 住吉大社
もう、何年ぶりやろ? 住吉大社、めっちゃ久しぶり。
今でも路面電車が走ってるなんて、ビックリ。新緑に赤が映えて、鳥居の前を走る電車は風情ある~。



狛犬、デカッ! さすがは摂津国・一の宮。
お能を知ってから訪れると、感慨もひとしお。




太鼓橋(反橋)
最大傾斜48度の太鼓橋。
勾配がめっちゃ急やから、欄干につかまりながら上る人もいるくらい。上るのはまだいいけど、下りるのがちょっと怖い。
この橋を渡るだけで、お祓いになるとか。



住吉大社といえば、真っ先に思い出すのがこの太鼓橋。きれいやね。




住吉造の社殿
神明造(伊勢神宮)や大社造(出雲大社)とともに、神社建築の最古の様式とされる「住吉造」の社殿。
屋根は切妻造の檜皮葺。妻入りの出入口(この写真ではわかりにくですが、入口の奥には細長い棟が続いています)。
内部は、内陣と外陣の二間に分かれ、廻廊がないのも特徴。柱は朱塗り。板壁には胡粉が塗られているため発光するような白い輝きがあります。





卯の葉の玉串
この日は、住吉大社の御鎮座記念祝祭「卯之葉神事」の日。

神前には榊ではなく、みずみずしい卯之葉の玉串が捧げられます。背後には「令和」の「令」の屏風。御即位奉祝と重なって、清々しくおめでたい空気が漂っていました。




重要文化財の石舞台
厳島神社の板舞台、四天王寺の石舞台と並ぶ「日本三舞台」のひとつ。
現在の石舞台は豊臣秀頼が寄進したそうです。
毎年、卯之葉神事のあとには、この石舞台で舞楽が奉納されますが、今年は天皇御即位奉祝のため特別に吉祥殿で奉納されました(注)。

ちょっと狭いから2人舞くらいならちょうどいいけれど、4~6人での舞には狭そう。今度来たときは、この舞台で舞楽を観てみようっと。


*注:吉祥殿での舞楽奉納と奉祝能《大典》については、別記事に書きますね。