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2020年2月4日火曜日

壬生狂言《節分》~まれびとの来訪

「壬生狂言はパントマイムだから、見物が納得するまで同じ仕草をくり返してみせるが、その仕草がなんともいえず鷹揚で屈託がなく、浮世の時間など超越しているのが面白い」 ━━白洲正子


壬生寺の千本仏塔(1988年建立)
壬生寺本堂脇には、ひときわ人目を引く異様な建物がそびえたつ。1988年に建立されたこの千本仏塔は、ミャンマーのパゴダを模したとされている。



廃仏毀釈の難を逃れた仏さまたち
おそらく廃仏毀釈の影響もあったのだろう、塔には明治期の区画整理の際に市中から集められた石仏たちが安置され、しずかに身を寄せ合っている。

室町時代のものもあるというが、ずらりと並んださまはじつに壮観。一体、一体に民衆の祈りが塗りこめられ、風化して摩耗した素朴な造形には独特の味わいがある。近くでじっくり眺めてみたい。




本堂(延命地蔵尊)
壬生寺の御本尊は地蔵菩薩。壬生狂言は、この地蔵菩薩に捧げられる。


【狂言堂の舞台配置と楽器編成】
撮影禁止だったので舞台の画像は紹介できないが、狂言堂の舞台中央奥には地蔵菩薩が祀られていた。舞台上の地蔵菩薩を介して、本堂のお地蔵さまに狂言が奉納されるという。

狂言堂舞台の様子をもう少し詳しく説明すると、

舞台は3階建ほどの高さに設置され、観客席はその向かいの建物上階から見物するようになっている。観客席は階段状になっていて、舞台とほぼ同じ目線の高さで鑑賞することができる。

舞台左手は橋掛り。この日の演目では使われなかったが、「飛び込み」など奈落へ通じる仕掛けが装備されている。狂言堂の舞台が高所に設けられているのは、こうした奈落へ落ちる舞台装置が仕込まれているせいかもしれない。

舞台上手には大鉦が吊るされ、その横には太鼓台が置かれていた。太鼓の後ろ(お地蔵さまの横)には笛方が立ち、笛方の前には後見が控えている。

楽器編成は、鉦と太鼓と笛の計三人。
「カン(鉦)、デン(太鼓)デン・デン、カン、デンデン」という単調な演奏パターンが繰り返され、そこに笛が色づけしてゆく。

囃子方も後見も、十代だろうか。
太鼓方などは、まだ小中学生の子どもに見える。こんなに若い人たちが第一線で活躍しているとは、なんとも頼もしい。



【壬生狂言《節分》】
壬生狂言の《節分》は能狂言の《節分》とよく似ているが、念仏狂言らしい素朴で土俗的な魅力がある。鉦と太鼓の「カン、デン、デン」という単調な調べが、やわらかな眠気を誘い、α波が分泌されるような心地よさがある。

ストーリーは以下のような流れ。
(壬生狂言の雰囲気は、過去記事の嵯峨大念仏狂言の画像(こちら)を参考にして下さい。)

(1)「茶屋の女」の面をつけた後家が登場。
しなやかで細長い手が美しい。面をつけた無言劇なので性別は分からないが、女性が演じているのか、それとも、うら若き少年だろうか? この柔らかみのある淑やかな所作を男性が演じているとしたら、驚きである。こちらが見惚れるくらい美しい手の動きだった。

女は左右の柱にそれぞれ柊鰯(柊の小枝と焼き鰯の頭)を挿し、豆を紙で包んで節分の準備をする。


(2)「とくす」というヒョットコ面をつけた男が登場。
男は厄払いを行う呪術師で、「ヤック(厄)祓いまひょ」と身振りで示す。
そして、扇を口で咥えて両手でバタバタと鳥が飛ぶような真似をしたり、着物を頭からかぶって亀のようにぬうっと首を突き出したりと、不思議な所作をする。なにかのまじないだろうか?
杖を振り回しているのは、おそらく魔を祓う所作だろう。


(3)男が厄払いを終えると、女は紙に包んだ豆を男に渡す。

梅原猛&西川照子著『壬生狂言の魅力』によると、かつて京では、厄払いが来ると、煎った豆を小銭を紙に包んで渡したという。厄払いの男はこの豆の一部を川に流して厄を祓い、残りの豆は豆板(豆せんべい)にして売ったそうである。
いまでも関西で「煎餅」といえば、醤油煎餅ではなく、ピーナツなどの豆の入った小麦粉地の甘いせんべいがメインだが、この豆せんべいに厄除けの意味があったとは!


(4)男が去ると、いよいよ鬼の登場。
鬼は笠を被り、蓑をつけ、赤い腹巻をしている。腰には打ち出の小槌。赤い髪は河童のような髪型だ。面は「赤鬼」という面だらしいが、能面の獅子口に似て、口をかッと開いている。

折口信夫風にいえば、蓑笠は他界から来訪する霊的な存在の象徴であり、「まれびと」のシンボルである。

その「まれびと」たる鬼は美しい女を見そめ、抱きつこうとするが、女に逃げられてしまう。


(5)鬼は柱に挿した鰯を杖で払い、外してしまう。(→鰯の魔除けって効きめがないのかな?)

そして打ち出の小槌で出した黒紋付きを着て、人間に変装する。
(舞台上の物着なのだが後見は手伝わず、自装。)


(6)色男に化けた鬼は、女の家に上がりこみ、打ち出の小槌で豪華な着物や帯を出して、女に贈る。
女は欄干に華やかな着物をかけて、うっとり。酒宴のひらいて、鬼を酔わせる。


(7)女は、酔いつぶれた鬼の着物を剥ぎ取り、盗もうとする。

着物を剥ぎ取って、相手が鬼だとわかった女は「鬼は外!」と豆をまいて、鬼を追い払う。鬼はほうほうのていで逃げ帰って、おしまい。


鬼は愛敬があって、どこか憎めない。
後家の女はおしとやかで、か弱そうなのに、腹黒&強欲。
いつの時代も怖いのは、男の鬼よりも人間の女、ですね (^_-)-☆

壬生狂言、楽しかった~!
愛好者が多く、若い演者がたくさん参加して、長くつづいているのも分かる気がする。嵯峨の狂言も面白かったし。念仏狂言、はまりそうです!




2020年2月3日月曜日

壬生寺の節分会

如月初旬になると、節分会が京都各地で催される。
ほんとうは「四方(よも)参り」といって、邪気の入り込む方角にある吉田神社、八坂神社、壬生寺、北野天満宮を順番に参拝するのがいちばんの厄払いになるらしい。
体力も気力もない私は、とりあえず裏鬼門にあたる壬生寺を訪ねてみた。

壬生屯所旧跡・八木家
壬生は新鮮組ゆかりの地であり、参道にはかつての屯所が建ち並ぶ。芹沢鴨が暗殺された場所として有名な八木家もそのひとつ。現在も八木源之丞の子孫が継承されているという。




京都鶴屋
その八木家が営む御菓子司・京都鶴屋。
店内は参拝客でぎっしり。名物は壬生菜入りの餅で粒あんを包んだ「屯所餅」。

壬生の誠せんべいや壬生の誠最中もあって、どれにしようか迷ってしまう。




旧前川邸
こちらも屯所だった旧前川邸(現・田野製作所)。
商家というよりも、武家屋敷らしい立派な門構え。




旧前川邸は個人の住居となっているため、通常は非公開。土日祝のみ玄関先の土間で新選組のグッズ販売されている。

なかは天井が高く、梁のしっかりした堅牢なつくり。築百五十年以上の古い建物なのに、昔の木造建築の技術の素晴らしさには感動してしまう。
(壬生は湿地帯なのに、24時間換気などないであろう古民家、湿気・白アリ対策はどうされているのだろう?)



前川邸間取り図
前川邸内には、小高俊太郎の拷問が行われた東の蔵や、野口健司が切腹した場所、山南敬輔が切腹した時の刀傷、原田左之助が殺害された場所など、血なまぐさい歴史の痕跡がいたるところに残されている。

そういう場所が今も住居として現役で使われているのが、京都の凄いところ。





幸福堂の焼き立てきんつば
露店でにぎわう参道。
幸福堂さんの節分限定「焼きたてきんつば」や厄除け幸福餅が大人気で、長蛇の列ができていた。職人さんもかき入れ時で大忙し。



壬生延命地蔵尊
人ごみに揉まれながら、ようやく壬生寺に到着。
ここから先もすごい人。
京都というか、関西は信仰心の篤い人が多い。




ほうらくの露店
壬生寺では、炮烙(ほうらく)という素焼きの皿に、厄除け祈願と家族の名前・年齢を墨書して寺に納める「ほうらく奉納」が節分会のならわしとなっている。

奉納された炮烙は、春と秋に催される壬生狂言の《炮烙割り》という演目の最後に、舞台から落とされて粉々に割られてしまう。炮烙が割られることで、厄除け・開運が叶うとされている。

壬生狂言の《炮烙割り》。
そう、能楽の狂言《鍋八撥》の類曲です。

狂言《鍋八撥》では、最後に浅鍋が割られ「おおっ! 数が多なってめでたい!」というオチで終わるが、おそらく念仏狂言の《炮烙割り》も「炮烙が割られることで数が増える=おめでたい=厄除け」という意味が込められているのかもしれない。





大護摩祈祷
壬生狂言とともにこの日のメインは、山伏たちによる大護摩祈祷(星祭)。

まずは、山伏が八方に矢を放ち、護摩場を浄めて結界を張る。次に、四方で剣を振り、魔を祓う。さらに大斧を振って、檜葉を刈らせてくださった山の神々に感謝を捧げる。最後に僧侶と山伏が祝詞を読み上げ、檜葉の山に火がともされる。

蠢く生き物のようにモクモクと煙を上げて燃えさかる炎を前に、山伏たちが呪文を唱えてゆく。

「東方に降三世明王、南方軍荼利夜叉、西方大威徳明王……」

まさにお能の祈祷です!
過去と現在、虚構と現実が交錯する季節の境目。その隙間に入り込む邪気を祈祷と炎のパワーで祓ってゆく。春を呼び寄せる壬生寺の節分会は磁場のような熱気に包まれ、人々の集団的熱狂さえ感じさせた。



壬生塚
境内には、新選組隊士の墓とされる壬生塚も。


お参りと護摩祈祷見学を終え、いよいよ壬生狂言を観に狂言堂に向かいます。

壬生狂言《節分》につづく



2020年1月3日金曜日

京都能楽会 新年奉納2020~平安神宮

2020年1月1日(水)平安神宮神楽殿

《翁 日吉式》浦田保浩
 千歳 林宗一郎 三番三 茂山忠三郎
 森田保美 林吉兵衛 大和 大輝
 渡部諭
 
仕舞《高砂》今井克紀
  《八島》廣田泰能

仕舞《田村クセ》片山伸吾
  《東北クセ》吉田篤史
  《岩船》  大江信行

狂言小舞《三人夫》網谷正美
 松本薫 丸石やすし

装束付舞囃子
《猩々》金剛龍謹
 ワキ 小林努
 杉信太朗 吉阪一郎
 谷口正壽 前川光範
平安京大内裏応天門の縮小版・平安神宮の應天門

本年もお参りさせていただきました。

昨年は金剛流の《翁》「神楽式」でしたが、今年は観世流なので「日吉式」です。

2年前にも書きましたが、もう一度おさらいすると、「日吉式(ひえのしき)」というのは、日吉大社のひとり翁にちなんでつくられた小書だそうです。

この小書では、翁も三番三も面をつけず、三番三は揉ノ段だけで、鈴ノ段はカットされます。また、通常は翁だけが正先で拝礼しますが、日吉式では、翁・千歳・三番三の三人で礼をします。

翁(父尉)・千歳(延命冠者)・三番三という、三人翁の要素もあるかもしれません。民俗芸能の翁舞と伝統芸能の《翁》の色彩が折衷された神事能らしい《翁》でした。


林宗一郎さんの千歳がなんとも魅力的で、個性を生かした爽快で清涼感のある舞でした。
もう名門の御当主となられたので、おそらく今後は翁を舞う機会が増え、千歳役は徐々に少なくなっていくのでしょう。そう思うと、宗一郎さんの千歳舞が貴重なものに感じられます。

林吉兵衛父子の小鼓は、さすがに息が合ってますねぇ。
そして2年前にも感じましたが、渡部諭さんの揉み出しがなんともカッコいい。平安神宮の三番三では、渡部諭さんと、お師匠様の谷口正壽さんが年替わりで交互に大鼓を勤められるようですが、お二人とも好みの芸風なので、彼らの三番三を聴くのも楽しみのひとつです。



狂言小舞《三人夫》
平安神宮新年奉納での狂言小舞は毎年《三人夫》なのかな?
昨年は茂山千作さんが舞われていました。御簾の蔭で転倒されたのを昨日のことのように思い出します。病を押してのご出演だったのでしょう。ふらつきながらも、年輪を感じさせる風格のある舞姿でした。なつかしいです。時は移り変わっていきますね……。



帰りに、大切な人のためにお守りをいただいてきました。
平安神宮といえば、左近の桜に右近の橘。その桜色をした美しい勾玉のお守りです。病気平癒の御利益があるそうです。
どうか病が癒えて、平穏で安らかな日が訪れますように。





2019年9月17日火曜日

神泉苑観月会~能《鷺》の舞台

2019年9月14日(土)神泉苑
池に浮かぶ龍頭舟(左)と善女龍王社(右)
平安遷都にともない造営された神泉苑。
かつては天皇専用の禁苑でしたが、この日は特別拝観日になっていて、苑内全域が公開されていました。

824年の旱魃の際、東寺の空海と西寺の守敏が法力による雨乞い対決を行い、空海が善女龍王(龍神)を勧請して、勝利したことは有名ですね。以来、どれほど日照りが続いても、神泉苑の池だけは涸れることがなかったといいます。

863年に疫病が蔓延した時には、ここで御霊会が行われ、それが祇園祭の起源になったことでも知られています。

能楽愛好家のあいだでは、能《鷺》の舞台としてもおなじみの神泉苑。
そんな由緒ある苑で開かれた観月会に行ってきました。



龍頭舟
例年の観月会では龍頭舟が出て、池を周遊しながらお茶席が楽しめます。
でも、今年は舟が雨漏り(?)のため舟遊びができず、舟は池に浮かんでいるだけ。

お茶席(月見団子とお薄)は本堂前の野点席だけになってしまいました。(>_<)





肝心のお月さんはきれいに出てはりました!
この日は十六夜。
満月よりもほんの少し欠けた月輪が、詫びた風情で好いものです。




善女龍王さまに御供えされた秋の草花と月見団子。

どうかこれ以上、この国に暴風雨が吹き荒れることなく、慈雨をもたらしてくださいますように。




義経と静御前が出会った法成橋
本堂から善女龍王社にのびる法成橋は「一願成就」の橋。
願い事を一つだけ念じながらこの橋を渡って善女龍王にお参りすると、願いが叶うとされています。
家族のことをお祈りしながら渡ったのですが、さっそく良い兆候が!

またこの橋は、静御前が雨乞いの儀式で白拍子の舞を舞った際に、源義経と出会った場所ともいわれています。

お能の題材にもなりそうな運命の出会い。
ロマンティックな橋なんですね。





白い水干に紅長袴といった白拍子の舞姿が水面に移り、さぞかし美しかったことでしょう。義経が恋に落ちるのも無理はありません。

毎年5月には「静御前の舞」がこの橋の上で奉納されるそうです。




善女龍王社と拝殿
善女龍王社前の舞殿では、音楽演奏が奉納されました。





音楽療法士のMiseraさん(歌、琴、ライアー)とジャズピアニストのクイン・アルバイトマンさんによるセッション。

まずは、イザナギ・イザナミが歌った神代の歌「あわのうた」で、身体内部と外の空気とを調和させ、音の波動で身心を整えます。

その後、十六夜にちなんだ筝曲「十六夜日記」、アメイジング・グレイス、Jazzyなナンバーなど、1時間半ほどのライヴが続きました。

神聖なパワースポットと清浄な音楽が溶け合ったヒーリング効果の高い音の世界にどっぷりと浸るひととき。Miseraさんのクリスタル・ヴォイスが素敵で、めちゃくちゃ癒されました!




矢劔大明神
矢劔(やつるぎ)大明神は、神泉苑の鎮守稲荷社だそうです。
大正期に創建されたお社とのころですが、夕闇に浮かび上がってきれいでした。



恵方社
歳徳神(大歳神)を祀る恵方社。
歳徳神とは、その年の福徳を司る神さまで、福徳神のいらっしゃる方角がその年の「恵方」となります。
この恵方社は毎年大晦日の晩に、恵方に向きを変えるそうです。
回転するお社なんですね~。おもしろ~い!




鯉塚と亀塚
この池にすむ鯉と亀の霊を弔う鯉塚・亀塚。
神泉苑の池には、鯉や亀がたくさんすんでいて、観月会の最中でも生きのいい鯉がバシャバシャ跳ねる音が聞こえてくるほど。

鯉は龍の化身でもあります。

亀も亀塚の形状を見ればわかるように、中国の霊獣「贔屓(ひき)」によく似ています。「贔屓」は龍が生んだ竜生九子のひとつで、こちらも龍と深いつながりがある生き物。
龍神のすむ神泉苑で大切に祀られているのも肯けます。




弁天堂
水とゆかりの深い弁財天さま。
ここも強いパワーが感じられる場所でした。






2019年9月15日日曜日

市比売神社

源融の六条河原院跡から河原町通を渡ったところにある市比売神社。
その名の通り、平安京の「市」の守護神として創建されました。


御祭神は宗像三女神をはじめ、すべて女神さま。
交易・商売繁盛の守護神である以外にも、女性の守り神とされ、女性の願い事を叶えてくださるそうです。

近くの色街の娼妓たちも信仰していたのかもしれませんね。





びっくりしたのは、マンションに組み込まれるように神社が建っていたこと。
これも時代の趨勢、神社経営も大変だろうから、致し方ないのかな……。






市比売神社は、桓武天皇の平安遷都に伴い、右京・左京の市座を守る神社として795年に創建されました。
もとは、東市座内の七条坊門にあったようすが、秀吉の都市改造計画によって五条南のこの地に移されたそうです。





手水台に刻まれた「瀞(すがすがしい)」は、「清」と「浄」が組み合わさった文字で、「心をすがすがしくしなさい」という意味を表しているとのこと。

最近、ストレスがドス黒く渦巻いてるからなあ……。禊のつもりで、手と口を清めさせていただきました。





本殿もどことなく女性らしい雰囲気。




御神井「天之真名井」
この井戸の水は、洛陽の七名水のひとつ。
市比売神社の神宝・天目碗「天之八塩(あめのやしお)」で汲み出された若水が、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残っています。
現在も名水として、茶会や花展、書道展に使われているそうです。

飲むのは控えましたが、手を清めると、冷たくて気持ちいい。美肌効果を期待して、頬にもパタパタ。
心のもやもやが洗い流されて、少しはリフレッシュした……かな?




カード塚
クレジットカードやポイントカードなど使い終わったカードは、このカード塚で祓い清めることができます。

クレジットカードなんて人間の欲望や「念」がしみつきやすいものだから、穢れを祓うのにいいのかも。カード破産とかもあるものね。
現代的な発想だけれど、おもしろい。




2019年7月11日木曜日

源融ゆかりの寺~太融寺

2019年7月10日(水) 太融寺

お初天神をあとにして、近くの太融寺へ。
その名が示すとおり、源融ゆかりのお寺です。




太融寺は、嵯峨天皇の勅願により、821年に弘法大師が創建したといいます。

なぜ、この地が選ばれたのか?
その理由を僧侶の方にうかがったところ、次のような縁起を語ってくださいました。

平安初期のこと、この地に香木が落ちていたのを弘法大師が見つけ、その香木で千手観音を彫り、嵯峨天皇に献上。「香木が落ちているくらいだから、この地は神聖な場所に違いない」。そう考えた嵯峨天皇は、弘法大師に命じて開山させたそうです。

そして、この寺の七堂伽藍を建立したのが、嵯峨天皇の皇子である源融です。

彼の邸宅だった六条河原院や嵯峨野の別荘「栖霞観」のエピソードから想像するに、源融という人は、建築や作庭に優れたセンスを発揮した人なのかもしれません。



九山八海の庭
須弥山を取り囲む「九山八海」の庭。
なんと、借景はラブホテル。

この辺りはお寺が多いのですが、それを取り囲むのが無数のホテル。
人間界の縮図のように、聖俗入り乱れた風景が広がっています。




そういえば、同じく源融のゆかりの地である六条河原にも、のちに五条楽園(七条新地)という遊里が栄えました。

大坂の北(堂島)新地と京都の七条新地。色町に残る源融の旧跡。

源融には、在原業平のような恋愛遍歴は具体的には伝わっていませんが、正妻以外の女性たちとの間に何人も子をもうけていますし、光源氏のモデルとなった人ですから、業平のような「男女和合の神」的側面もあったのでしょうか。

光源氏の六条院のごとく、塩竈を移した六条河原院に多くの女性を住まわせていて、それが『源氏物語』の着想源になったのかも?などと想像するのは飛躍しすぎかもしれませんが、「融の大臣」の鬼のイメージといい、暗い影の部分をもつ謎の多い人物ですね、源融は。

聖と俗、善悪一如、煩悩即菩提。
境内の九山八海庭に美しく咲く蓮の花のような「泥中の清」を、この寺は体現しているようにも思えます。



本堂内部
本堂は1960年に再建されたもの。
飛龍の欄間彫刻と格天井の絵が見事。

あとで紹介する白龍大神・龍王大神からも分かるように、ここは龍が守護するお寺なんですね。
お初天神(露天神社)と同様、水と縁が深い聖域です。



宝塔
ビル群に囲まれた三層の宝塔には、大日如来が安置されています。



一願堂と不動明王
一願堂に安置された不動明王と矜羯羅・制吒迦童子は戦後に再刻されたもの。
一願成就の御利益があるそうです。




一願堂の奥の洞窟
一願堂の奥には、お滝の洞窟(奥の院)があり、こちらには古い不動明王が安置されていました。
凛とした空気が漂う神聖な空間です。



白龍大神
境外社に龍王大神が祀られていて、龍王が雄神、境内にあるこの白龍大神が雌神で、雌雄一対で太融寺を守護しています。

女性は白龍大神、男性は龍王大神をお参りするとよいそうです。




淀殿之墓
白龍大神の奥にあるのが、淀殿の墓。

大坂夏の陣のあと、淀殿の遺骨は弁天島に埋められ、淀姫神社として祀られていましたが、明治期に太融寺の境内に移祀されたそうです。

淀殿も戦乱の世の犠牲となった哀しい女性のひとり。
白龍大神が、そっとお守りしているのですね。





お初天神(露天神社)~曽根崎心中の舞台

2019年7月10日(水) お初天神(露天神社)

用事で梅田に行ったついでに寄ってみました。
曽根崎心中の舞台ということで前から気になっていたのですが、ここまで来る機会がなかなかなく、お初天神はじつは初めて。



露天神社
いかにも大阪らしい商店街を通り抜けると、ありました! 露天神社。

「お初天神」という呼称は、もちろん《曽根崎心中》のヒロイン・お初に由来するのですが、正式名称「露天神」の由来については諸説あるそうです。

ひとつは、菅原道真の歌にちなんでつけられたという説。
道真が大宰府に向かう途中、太融寺に立ち寄り、この付近で「露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを思い出ずれば」と詠んだ歌が社名の由来となったとされています。

ほかにも、入梅の時期に祭礼が行われることから「梅雨天神」と称されたという説や、梅雨の時期に境内の井戸から清水が湧き出したことにちなむ、という説などさまざま。

いずれにしろ、いまの梅雨の時期に訪れるのにぴったりの神社ですね。




境内にはたくさんの風鈴が。
色ガラスがカラフルで、目にも耳にも涼しげ。
「誰が告ぐるとは、曽根崎の森の下風音に聞え」という《曽根崎心中》の森の下の風音が聞こえてきそう。

ちなみに、お初天神の御祭神は少彦名命と大己貴命。
ほかにも天照大神や菅原道真が祀られていますが、出雲系の神様がメインなんですね。
また、源融ゆかりの難波神明社もあります。



そんなわけで主祭神は出雲系の神様ですが、今ではお初・徳兵衛がこの神社の主役。



お初・徳兵衛の像


三代目中村鴈治郎が奉納した手水一式
お初といえば、三代目鴈治郎(坂田藤十郎)。
奉納された手水台に刻まれた役者名にその残り香を感じます。



お初徳兵衛は心中して結ばれたのですが、恋愛成就・縁結びの御利益があるとか。
このあたりは〇〇ホテル街だし、男女和合の神社なのでしょう。



開運稲荷社
古くは皮膚病治癒を願って、鯰の絵馬が多数掛けられていたそうです。
今も、「美人祈願」「美肌祈願」と書かれた鯰の絵馬が正面に奉納されていました。




撫で牛
身体の弱いところと同じところを撫でる撫で牛さん。
ブロンズの塗料が剥落している部分を見ると、お腹(内臓)や足腰、目や口や頭に悩みを持っている人が多いんだなあと思います。私も撫でさせていただきました。




こんぴらさんと水天宮。
「水関係職種の守護」だそうです。
なるほどー、この界隈は水商売が多いですし。



難波神明社
源融が西天満伊勢町付近の孤島に祀られたお社が、この難波神明社(夕日の神明)の起源だとされているそうです。

次に向かう太融寺もそうですが、この辺一帯は、源融ゆかりの地でもあるんですね。