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2018年12月1日土曜日

梅若万三郎の《井筒・物着》~松月会

2018年11月23日(金) 大槻能楽堂
松月会・能と囃子~大倉流小鼓の会からのつづき

能《井筒・物着》シテ 梅若万三郎 
    ワキ 福王茂十郎
    赤井啓三 社中の方 河村大
    後見 加藤眞悟 上田貴弘
    地頭 大槻文蔵



今年の個人的ベスト1はまちがいなく、6月に観た万三郎師の《大原御幸》だと思っていた。
でも、同じシテによるこの《井筒》が、同点一位か、それ以上かもしれない。

(曲趣が異なるので比べようもないけれども。それにまだ友枝昭世さんの《藤戸》があるから、順位が変動するかも。)

おそらくこの日の序ノ舞は、生涯忘れないだろう。
忘れたくない、何度も反芻して、何度も、何度も、心のなかに蘇らせたい舞だった。


【前場】
橋掛りをゆくシテのハコビに、足腰の衰えを強く感じる。

しかし、常座にスッと立つ姿は、さざ波さえ立たない、鏡面のような湖の静けさ。
ことばを絶する美しさで、女は、ただ、そこに立っている。

シテの姿も謡も、これまで観たどの井筒の女よりも抽象的だった。

そこには、シテ自身の作為や演出はなにも感じられず、「役になりきる」とか、「役の気持ちで演じる」などという要素は一切ない。

年齢や肉体の衰えに応じたさまざまな工夫も、かぎりなく自由な、無為自然のあり方のように見えた。

余計な要素をすべて排した高い抽象性ゆえに、シテの存在そのものが観る者の想像力を刺激する。

シテの佇まいから連想される、思いや、面影や、記憶のかけらが、無秩序に立ち現れては消えてゆく。

そして、それらがコラージュのようにわたしの心のなかで結合し、解体され、再構築されて、万三郎の《井筒》の世界を有機的に描き出していった。



【序ノ舞】
動きは最小限

無駄な動作、無駄な力を、かぎりなく、極限まで削ぎ落とした序ノ舞。
二段オロシでもシテは袖を被くことなく、袖をふわりと巻いただけ。

華麗優美な色彩に染まっていた芸が、時を経て、褪色に褪色を重ねた果てに、完全に色が抜け、最後に残った薄墨のゆるやかな線。

それは、真っ白な状態から描いた墨絵ではない。
あでやかな色彩が抜けたあとに残る、紗のかかったような色艶がうっすらと透けている。

美しい影、その気配だけが、残り香だけが、舞っている。


この精妙な舞は、言葉であらわすべきではないのかもしれない。
言葉であらわせばあらわすほど、この日の序ノ舞から乖離して、遠ざかってしまう。

妙なる花が風に舞う趣き、それを世阿弥は「妙花風」と名づけた。
言語も意味も及ばない世界。
この舞こそが、そうなのかもしれない。


シテが舞っているのか、それを観ている自分の魂が舞っているのか。
最後には、その区別さえつかなくなり、ただ、ひたすら、うすく滲んだ舞の美のなかに耽溺し、じんわりとこみ上げてくる幸福感に身を浸していた。








2018年6月17日日曜日

梅若万三郎の《大原御幸》~大槻能楽堂自主公演能 能の魅力を探る 洛陽の春

2018年6月16日(土) 14時~16時45分 大槻能楽堂

お話 六道を見た女院 馬場あき子

能《大原御幸》シテ建礼門院 梅若万三郎
   後白河法皇 塩津哲生
   阿波内侍 上田拓司 大納言局 青木健一
   万里小路中納言 福王茂十郎
   大臣 福王知登 輿舁 広谷和夫 喜多雅人
   供人 禅竹忠一郎
   赤井啓三 久田舜一郎 谷口正壽
   後見 大槻文蔵 赤松禎友
   地謡 浅井文義 多久島利之 山本博通 上野雄三
      寺澤幸祐 武富康之 齊藤信輔 大槻裕一



万三郎師の能を観ると、こういう舞台を観ることはもうないのだろうといつも思う。《定家》の時も、《朝長》も、《野宮》も、《当麻》の時も。
そしてこの日ほど、そうした思いを強くしたことはなかった。もう、こんな《大原御幸》を、建礼門院を、観ることは二度とないだろう。

大槻能楽堂を訪れたのは、学生時代に山崎正和先生の講座で文蔵師の御舞台を拝見して以来(ほとんど前世の記憶……)。なので所属能楽師の方々についてはごく一部しか存じ上げなかったが、その表現力の高さに感じ入った。
囃子と地謡が入ることで、いっそう深まる静けさ、侘しさ、閑寂な気配。
尋ねる人も稀な大原に時おり聞こえる斧の音、猿の声、梢吹く風……まるで効果音のように聞こえてくる囃子。その音色の精妙な響きが、山里のうら寂しく澄んだ空気を伝えてくる。鬱蒼と生い茂る、湿度の高い新緑の香りさえ漂ってくる。
とりわけ赤井啓三さんの笛、そして谷口正壽さんの大鼓に魅了された。

ワキの福王茂十郎さんの謡も見事。その存在感・品格の高さは当代ワキ方随一(この舞台を観て、好きなワキ方さんのひとりになった)。



【前シテ】
かくして舞台は用意され、大藁屋の引廻シが降ろされた。

作り物のなかに三尊形式で坐する三人の尼僧。
中央の建礼門院の顔が、なぜか一瞬、老女に見えた。
長い歳月を掛けて皺を刻んだ老いの顔ではなく、一夜にして白髪になった老女の顔に。
若く美しい女面をつけているにもかかわらず、どうしてそう見えたのかは分からないけれど、時の流れを飛び越えた人間の顔のような印象を受けたのだった。


【後シテ】
幕が上がり、後シテが現れる。
蜻蛉の羽のように薄い紫の水衣をまとったその姿の、尋常ではない美しさ、気高さ。

シテはただそこに存在するだけで、建礼門院のすべてを、魂そのものを具現化していた。
そこには、我というもの、作為というものが微塵もなく、
「私が悲しい」「自分が憐れ」なのではなく、この世の悲しみ、苦しみを一身に背負い、静かに引き受けている、端然とした優雅さ、高貴さがあった。

三島由紀夫は(おそらく銕仙会で観た)《大原御幸》についてのエッセイのなかで、「地獄を見たことによって変質した優雅」「屍臭がしみついている優雅」について語っているが、胸が強く締めつけられるほどのほんとうの美というものは、地獄を見て、屍臭がしみついたその汚点さえも、シミや汚れという景色として、美の一部に変換し、美をいっそう深めていくのだろうか。

そうして、かぎりなく深まった美の体現者が、梅若万三郎の建礼門院だった。
残酷な環境のなかで染み着いたくすみや濁り、そしてその果ての諦観がなければ、真の美などありえないことを、その姿が教えてくれた。
悲惨な記憶を抱えた彼女の内奥に沈澱する汚濁や不純物は、「褪色の美」を際立たせる翳りだった。

もう、シテから一瞬たりとも目を離したくはなかった。
地謡の謡も、囃子の音色も、後白河法皇の言葉も、そのすべてをシテの存在が吸収・媒介し、シテの存在を通して、わたしはそれらを感じていた。



【六道語り】
万三郎師の床几に掛かる姿は、気の遠くなるような修練の結晶。
翡翠のような半透明の輝きを放ちつつ、磨きこまれた鈍く艶のある声で、地謡と一体になりながら粛然と語り出す。

それは法皇に請われるままに紡ぎ出した語りだったが、いつしか死者への弔いとなり、鎮魂の祈りとなり、成道への請願となっていった。

語り進むにつれて、シテのおもてはおごそかさを増し、時として菩薩のような神々しさすら感じさせる。
性急に六道語りを求めた法皇の顔にも、どこか癒され慰められたような安らぎが漂っていた。

語る者、語られる者、そしてそれを聞く者に作用する、語りのちからがここにはあった。

法皇を乗せた輿が橋掛りをしずしずと遠ざかる。
常座に立つシテは静かにそれを見送り、
やがて、
果てしなくつづく寂寞とした山里の日常へと還っていった。



付記1:解説の馬場あき子さん、ますますご壮健で拝聴できたことに感謝。
解説では、その後も長く生き続けた建礼門院に言及し、女人の生命力の不思議さ、たおやかさのなかにある強さについて語っていらしたが、ご自身がそのお手本のような存在だと思う。

付記2:今回で大槻能楽堂自主公演能はなんと、祝650回を迎えたとのこと。
記念に文蔵師の《翁》のポストカードをいただいた。
このような素晴らしい舞台・配役を企画してくださったことに、深謝!

付記3:三島由紀夫ついでに。彼の遺作『天人五衰』のラストシーンは、おそらく《大原御幸》をなかば意識して書かれたものだと思う(タイトルにもそのことが暗示されている)。『天人五衰』では、白衣に濃紫の被布を着た月修寺門跡・聡子に過去のことを語らせず、本多が人生の最後に訪れた寺を阿頼耶識の殿堂として、記憶もなければ何もない場所として描いている。








2017年10月24日火曜日

万三郎の《当麻》後場・橘香会~古代大和のレイライン

2017年10月22日(日)13時~15時5分  国立能楽堂
《当麻》前場からのつづき (台風接近のため1番のみ拝見)

能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
   ツレ化女 八田達弥
   ワキ旅僧  福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
   アイ門前ノ者 野村万禄
   槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
   後見 清水寛二 山中迓晶
   地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
      長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也



能《当麻》の舞台は、彼岸中日の二上山の麓。
二上山の真東には三輪山があり、この古代大和の太陽の道に沿って、春分・秋分の日には、三輪山から昇った太陽が、二上山へと沈んでいく。
 
小川光三著『大和の原像』(大和書房)によると、二上山と三輪山を東西につなぐレイラインの延長線上には、伊勢神宮の故地とされる伊勢斎宮跡があり、彼岸の中日には斎宮跡から昇った太陽が、三輪山を通って、二上山に沈むという。

ここからは私見だが、
能《三輪》で天岩戸伝説が再現されるのも、偶然ではないと思う。

《三輪》の時節とされる晩秋には、三輪山から見て日の出の方角が、ちょうど現在の伊勢神宮に当たることになる。

つまり、《三輪》の舞台の進行と呼応するように、シテが夜神楽を舞ったのち、「常闇の雲晴れて、日月光り輝けば」で、伊勢の方角から朝日が光輝き、アマテラスの象徴である曙光が三輪山をサーッと照らすと、三輪山頂にある「磐座」に降臨して、文字通り、「伊勢と三輪の神」(天照と大物主)が「一体分身」となるのだ。


大和申楽出身の《当麻》や《三輪》の作者は、先祖代々刷り込まれた古代大和の太陽信仰を無意識に感じながら、これらの名作を作曲したのかもしれない。

万三郎の《当麻》は、太陽の光と存在を感じさせる舞台だった。



【後場】
出端の囃子で、後シテが現れる。
「二段返」の小書を元伯さんの太鼓で観たのは3年前の銕仙会
もうずいぶん、遠い昔のような気がする……。
この日の太鼓は林雄一郎さん。音色が澄んで、研ぎ澄まされてきた。端正な居住まいもお師匠様の風を受け継いでいらっしゃる。

中将姫の出立は、白蓮の天冠にサーモンピンクの緋大口、唐草文を金で施した輝くような舞衣。
面は、佳麗無比の増。
もしかすると、2年前の《定家》の時と同じものだろうか?
いつまでも飽きることなく眺めていたいほど神々しい女面で、万三郎の中将姫にしっくり合う。シテを選ぶタイプの増の面だと思う。



〈称賛浄土教の伝授〉
中将姫の精魂は、ワキ僧に経巻を授け、経巻を広げたワキとともに称賛浄土教を読誦し、阿弥陀如来の教えを説く。

シテと地謡の掛け合いの箇所に特殊な節が入り、「令心不乱、乱るなよ」では「なよぉ~~」、「十声(とこえ)も」では「もぉ~~」と、高音の節でグンッと山をつくるような独特の謡い方をするのが特徴的。



〈早舞〉
森田流の破掛リの盤渉早舞。
菩薩の境地に至った中将姫が仏の教えを説く高貴で荘厳な舞のため、速度は速くなく、ゆったりしている。

まばゆい光の粒子をまき散らしながら、純白の袖を翻すシテの姿は、
かぎりなく軽やかで、自由で、天使のように無心に見える。

天冠の瓔珞ゆらめきが、陰翳のうつろいをつくり、
中将姫はうっとりとした法悦の表情を浮かべ、
極楽の世界を垣間見せるその舞姿に、阿弥陀如来の面影が重なり合う。

シテは舞うなかで、
中将姫になり、菩薩になり、阿弥陀仏になり、

さまざまに印象を変えながら、
やがてすべては一体となり、

「さを投ぐる間の夢の」と、常座で左袖を巻き上げ、

万三郎は、こちらに
まっすぐ視線を向けたまま、

一歩、二歩、三歩、
しずかに、おごそかに、後ろに下がりつつ

夕日のような金色の後光に包まれながら、

ゆっくりと、沈んでゆく
あの山の向こうへ

志賀津彦、大津皇子、隼別、天若日子、
俤人、
山越の阿弥陀……

すべては、シテのなかで溶け合い、
ひとつになって、

あの山の向こうへ
消えていった。







2017年10月23日月曜日

国立の能楽堂で、万三郎の当麻を見た ~橘香会《当麻》前場

2017年10月22日(日)12時30分~17時40分  国立能楽堂

解説 馬場あき子

能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
   ツレ化女 八田達弥
   ワキ旅僧  福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
   アイ門前ノ者 野村万禄
   槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
   後見 清水寛二 山中迓晶
   地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
      長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也

狂言《萩大名》シテ大名 野村萬
  アド太郎冠者 野村万之丞 茶屋 野村万蔵

仕舞《葛城》    梅若万佐晴
  《邯鄲・楽アト》中村裕
    伊藤嘉章 遠田修 梅若久紀 根岸晃一

能《山姥》シテ女/山姥 青木健一
   ツレ百万山姥 観世淳夫
   ワキ大日方寛 舘田善博 梅村昌功
   アイ里人 能村晶人
   藤田次郎 古賀裕己 佃良太郎 小寺真佐人
   後見 加藤眞悟 谷本健吾
   地謡 青木一郎 八田達弥 梅若紀長 長谷川晴彦
      遠田修 梅若泰志 古室知也 梅若久紀


タイトル通りのことを、ずっと経験したいと願っていた。
帰りは、「星が輝き、雨が消え残った夜道を歩いていた」わけではなく、台風接近中の土砂降りのなか、ずぶ濡れで帰宅したわけだけど、それでも「白い袖が飜り、金色の冠がきらめき、中将姫は、未だ眼の前を舞って」いた。
もちろん、万三郎は小林秀雄が観た万三郎ではなく、当代万三郎、わたしにとって、美しい「花」そのものの万三郎だ。

今年は秋から冬にかけて、このシテでこの曲を観たい!と切望していた舞台がいくつかあり、今、この時、能を観ていてよかったと心から思う。


【前場】
次第の囃子で念仏僧の一行が登場。
ワキは茶水衣に角帽子、ワキツレはブルーの水衣、青灰色の着流。

『一遍聖絵』には、鎌倉期に一遍上人が当麻寺に詣でた際、中将姫自筆の称賛浄土教一巻を寺僧から譲られた話が描かれているから、おそらくこのワキは一遍上人がモデルなのだろう。

ワキ僧が三熊野詣からの帰途に当麻寺に立ち寄るという設定も、熊野権現の本地が当麻曼荼羅に影向するという、当時の信仰が反映されているのかもしれない。


〈シテ・ツレの登場〉
シテとツレが一声の囃子で登場し、それぞれ三の松と一の松に立つ。
シテの出立は、クリームがかった白い花帽子に薄茶の水衣、桔梗などの秋花をあしらった古色の美しい段替唐織。手には杖。

シテの面が、印象的だ。
目じりが下がり、眉間にしわを寄せた通常の「姥」ではなく、
盲目のようなその目は横にスッと伸びる切れ長で、皺が少なく、かすかな若さの残滓が認められる相貌には聡明な輝きと神々しい品格が漂い、表情には慈愛よりも、毅然とした厳しさがある。


シテとツレが、名所教えのように当麻寺と染殿の井を紹介し、シテとワキとの掛け合いのあと、地謡が受けるくだり。
「掛けし蓮の色桜、花の錦の経緯に、雲の絶え間に晴れ曇る、雪も、緑も、紅も」と、錦の綴れのように風景を色あざやかに織り込んでいく詞章が美しい。

シテは、「西吹く秋の風ならん」で、西方浄土からの音信を聞くように、脇正を向いて風の音にそっと耳を澄またのち、
大小前で床几に掛かり、クリ・サシ・クセで、地謡を介して中将姫譚を語っていく。


〈クリ・サシ・クセ〉
当麻曼荼羅の縁起が強吟のクセで語られる。

いつもながら、万三郎の静止の姿はこのうえなく美しい。
水晶を刻んだ彫刻のように、静かに光を透過して、その時々でさまざまな色にきらめきながら、語られた物語を不動のまま紡いでいく。
水晶玉に占いの結果が映写されるように、観ているほうは、老尼の脳裏に浮かぶ映像をのぞいている気分になる。


そして、語られる物語をしっかり受け止めるのが、ワキの念仏僧。
福王和幸さんの下居姿は、万三郎の相手役にふさわしく、重心が天地を繋ぐ軸上に安定しており、シテの「気」を受け止め、見事に共鳴していた。

シテより先に登場し、シテの後に退場して舞台を終始見守るワキ。
その存在は、書類の隅を一カ所だけ留めるホッチキスのようなもの。
パラパラと書類をめくるように展開する物語を、舞台の隅の脇座でしっかり繋ぎとめ、舞台を継続して引き締める。

だからこそ、ワキの下居の佇まいは極めて重要で、物語の展開に即して、どこから見ても美しい姿勢を保つには非常に高い技術力・身体能力が求められる。
和幸さんは技と骨格のしっかりした、良いワキ方さんだと思う。



〈化尼化女(阿弥陀如来・観音菩薩)に変じて中入〉
老尼は物語るうちに正体を明かし、紫雲に乗って昇天する。

シテは「二上の嶽とは」で、床几から立ち上がって前進し、
「二上の山とこそ人はいへど」で、両手を杖の上に置く。
「尼上の嶽とは申すなり」で、脇正に進んだかと思うと、
「老いの坂を登り登る」で、
腰の曲がった老婆のように、腰をグッと低く落として杖を突き、
左、右と向いて、ジグザグに山を登るような特殊な足遣いをしたのち、
「雲に乗りて」で、杖を捨て、
「紫雲に乗りて上りけり」で、雲がたなびくように余韻を残しつつゆっくりと中入。

送り笛はなく、間狂言の途中から笛が入る演出だった。



《当麻》後場につづく





2017年9月16日土曜日

《楊貴妃・干之掛》~東京能楽囃子科協議会定式能九月夜能

2017年9月13日(水)18時~20時35分 国立能楽堂
舞囃子《絵馬・女体》 小舞《景清》一調《山姥》からのつづき

能《楊貴妃・干之掛》 梅若万三郎
  ワキ 森常好 アイ 山本則俊
  松田弘之 大倉源次郎 亀井忠雄
  後見 加藤眞悟 山中迓晶
  地謡 梅若紀彰 観世喜正 鈴木啓吾 伊藤嘉章
     角当直隆 小島英明 坂真太郎 川口晃平



楊貴妃が最高に似合うシテ。しかも、この囃子陣。
この日は舞囃子から感動の連続で、とどめを刺すように、この舞台。
もう胸がいっぱいで、いまでも余韻に浸っています。


〈ワキの出→蓬莱宮に到着→シテの出〉
「げにや六宮の粉黛の顔色のなきも理や」で、太真殿の作り物の引廻しが外され、まばゆく輝く天冠と豪華な壺折大口に身を包んだ楊貴妃が姿を現す。

生身の美女というよりも、仙女に還った楊貴妃が、華麗な外見とはうらはらに、深い憂いに沈んでいる。

「また今更の恋慕の涙」で二度シオル、あの白く美しい手の、情感豊かなシオリ。
透き通った水晶玉の涙が、きらり、きらりと零れ落ちるよう。

こんなに悲しそうな万三郎のシテを見たのは初めてだった。
定家の時よりも、野宮、朝長の時よりも。



〈イロエ→序之舞〉
悲しそうに見えた原因は、シテの佇まいだけにあるのではなく、
松田さんの笛、そして、スーパーコンビの大小鼓が、サブリミナル効果のように潜在意識に作用して、観客の心に、強くダイレクトに訴えかける。

梅若紀彰師率いる地謡は、シテの心の襞をメロディアスに優しくそっとなぞるように繊細で、高音の箇所が美しい。かなりゆっくりめなのはシテの要望だろうか、それとも曲の解釈・位によるものだろうか。


会者定離ぞと聞くときは、逢うこそ別れなりけれ


ここでシテは、方士を通して玄宗皇帝に語りかけるようにワキをじいっと見つめる。

「羽衣の曲」と、地謡が上音で謡い、それに呼応するように、笛が序之舞の序を高音で吹き出す。
楊貴妃の、言葉にならない悲哀、悲痛な叫び、むせび泣きのようなガラス質の音色を、松田さんの笛が奏でてゆく。

「干之掛」の小書のため、序を終えて地に入る前に、笛が干(甲)の調子の譜を吹く。
これにより、舞の哀切で女性的な、高貴な雰囲気が高められるように感じた。

この日はほかにも初段オロシなどに特殊な演奏が入ったのかもしれない(と、素人の耳に聞こえただけなので、違うかもしれません。いずれにしろ能の囃子って、ホントによくできている)。


最高の囃子陣が最高の技と特殊演奏で、《楊貴妃》という位の高い曲の品格をあますところなく表現する。
とりわけ詩趣に富む松田さんの笛が、楊貴妃の心のうちを代弁するかのよう。
風に乗って、貴妃のせつない声が聞こえてくるようだった。


そのなかで最高の舞手が、気品あふれる究極の序之舞を舞う━━。


その時間はもう、この世の時間ではないような、幽明の境で見た夢のような、幻のような、なにか途方もなく美しい世界が目の前に展開して、美しいなかにも、楊貴妃の悲しみと孤独が伝わってきて、胸が戦慄くようにふるえるのを止められなかった。

楊貴妃の悲しみと孤独が憑依して、自分も悲しいのに、このうえなく幸せだった。




2017年7月9日日曜日

万三郎の《二人静》後半~音阿弥没後550年特集・国立能楽堂普及公演

2017年7月8日(土) 13時~15時40分 国立能楽堂

能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
      ツレ静の霊 梅若紀彰
   ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
   松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
   後見 加藤眞悟 松山隆之
   地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
      長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一


《二人静》前半からのつづき

〈静の霊の憑依〉
怖ろしい体験をした菜摘女は、急いで戻り、この旨を神主に報告。
亡霊の存在を疑う言葉を女が口にしたとたん、静の霊が菜摘女に取り憑く。

ここでもシテが直前で絶句したため、見どころとなる「なに誠しからずとや」以降の憑依の瞬間の、声音や調子の変化がよくわからなかった。


ただ、「絶えぬ思いの涙の袖」でシオルときの、その手の美しさには比類がなく、
小指を深く曲げ、薬指と中指を軽くふっくらと折り曲げた白い手の優美な表情……
永遠の若さを宿したかのようなその手が語る、静の苦悩、恋慕、言葉にできない万感の思いに比べたら、絶句など取るに足りないことに思えた。



〈物着アシライ〉
神主に舞を所望されシテは、勝手宮に舞装束が納められていることを告げ、
神官は宝蔵から衣裳を取り出し、亡霊に憑依された菜摘女に手渡す。

後見座での物着を終えたシテの出立は、ほどよく褪色した紫長絹に静折烏帽子。

長絹の裾には銀杏の吹寄せと流水、上部には枝垂桜と扇があしらわれ、前半に登場した静の亡霊の唐織文様とリンクする。
義経と別れた際に舞った扇と、咲き誇る吉野桜。
それこそが、静の妄執と恋慕のモティーフなのだろう。

このモティーフが織り込まれた装束を身につけることで、静の亡霊が登場せずとも、霊が憑いて身体が乗っ取られたさまが視覚的に表現される。



〈クセ→序ノ舞〉
馬野さんが加わった、趣き深い研能会の謡。
金色の月光を浴びたシテの舞を、松田さんの笛が彩ってゆく。

相舞の縛りから解放されたシテが、自由に、虚心に、舞っている。
余分なもの、無駄なもの、余計なものがすべて削ぎ落された、宝石のような舞。

そこには、悲しみや懐旧の念を舞おうという作為はいっさい感じられず、
ただ何も考えず、型に忠実に、練磨された身体と魂のおもむくままに舞っているように見えた。

その無心の舞から、静の思いがおのずと滲み出て、観る者の心と響き合う。


なぜか、ひとりでに、涙が流れ出た。

美しいものを観たとき、どうしようもなく、心が揺さぶられ、身体が反応する。
あの感じ、
不可抗力の涙だった。







《二人静》前半・国立能楽堂普及公演~音阿弥没後550年

2017年7月8日(土) 13時~15時40分 国立能楽堂
狂言《入間川》からのつづき

能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
      ツレ静の霊 梅若紀彰
   ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
   松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
   後見 加藤眞悟 松山隆之
   地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
      長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一



初世万三郎と二世梅若実の兄弟がいかに気が合っていたかを示すエピソードとして、二人静の相舞のことが『亀堂閑話』と『梅若実聞書』にそれぞれ語られている。

万六時代の再来のような、両家の名舞手どうしの共演か!?
と思ったが、今回は相舞ではなく、《二人静》の小書「立出之一声」(静の霊が橋掛りから菜摘女の舞を操り、のちに二人の相舞となる演出)の祖型となった観世元章の試案を上演するというもの。

プログラムによると、これは、観世文庫の「小書型付」にもとづく演出で、通常はシテとなる静御前は前半に少し登場するのみで、今回シテとなる菜摘女が後半(クセも序ノ舞)も一人で舞い通すとのこと。

つまり、本来の《二人静》は憑き物の曲だったが、のちに相舞が加わり、現在は相舞のほうがはるかにメジャーになっているのを、音阿弥特集にちなんで、おそらく音阿弥が舞ったであろう形(《二人静》の古態?)での上演を試みる、ということなのかもしれません。




〈ワキの神主登場→アイの神主の従者に呼び出されてシテの登場〉
若菜摘の神事を行うので女たちに申し付けよ、との神主の命を受けて、従者が菜摘女を呼び出す。

一声の囃子で登場したシテの菜摘女は、白水衣に縫箔腰巻の出立。
手には若菜を入れた籠。
面は出目満永の小面。
無垢な可愛らしさよりも、憑依体質というのだろうか、いかにも霊に魅入られ、その媒介者になりやすそうな「美しい器」を思わせる顔立ち。


幕から出たシテの姿には生気がなく、橋掛りをゆくハコビも小刻みで弱々しい。
以前よりも背中が屈んで見える。
不調なのだろうか。  それとも……。

この日のシテは絶句する場面も多く、前半は、生の無常を感じさせた。
(それでも、後半には万三郎師ならではの耽美的な世界が展開します。)


〈静の霊登場〉
女が若菜を摘んでいると、どこからともなく、呼びかける声が━━。

揚幕の奥に佇む静御前の霊。

紀彰さん、やっぱりきれいだ……。

見所のごく一部にしか見えない、鏡の間との境目くらいの揚幕の奥にいる段階から、ツレはすでに、まぎれもなく静御前の霊になっている。
いや、実際には美しすぎて、静御前以上になにか高貴な存在に見え、怖ろしいくらいの気品が漂ってくる。

幕から出ると、その気品がさらに香り立つ。

(たぶん)桜と扇の文様がちりばめられた豪華な唐織に、面は河内の増。
紀彰さんには玲瓏な増女がよく似合い、所作やたたずまいがその美しい顔にじつにふさわしい。
声や謡も、あの世から彷徨い出たような、深い思いのこもった愁いのある響き。

(面・装束も両家のものだろうか。こちらの競演もため息もの。)

静御前の霊は、我が身の罪業が悲しいので、一日経を書いて弔うよう社家の人や村人たちに頼んでほしいと菜摘女に言伝をして、かき消すように消え失せてしまう。


ツレの静御前の霊は、橋掛りだけのわずかな登場。
それでも、この時だけはシテの影が薄れるほどの神秘的な存在感を示し、忘れがたい印象を残したのだった。



《二人静》後半へつづく



2016年10月23日日曜日

橘香会~万三郎の《朝長》後場

2016年10月22日(土) 12時30分~17時10分  国立能楽堂
橘香会~《朝長》前場からのつづき

能《朝長》青墓ノ長者/大夫ノ進朝長 梅若万三郎
 ツレ侍女 長谷川晴彦 トモ従者 青木健一
 ワキ旅僧 殿田謙吉 ワキツレ則久英志 御厨誠吾
 アイ青墓長者ノ下人 野村萬斎
 栗林祐輔 幸正昭 亀井広忠 小寺真佐人
 後見 加藤眞悟 梅若雅一
 地謡 伊藤嘉章 西村高夫 八田達弥 青木一郎
    泉雅一郎 遠田修 永島充 梅若泰志

狂言《川上》シテ座頭 野村万作 アド妻 高野和憲

能《藤戸》漁師の母/漁師 古室知也
 ワキ佐々木盛綱 福王和幸 ワキツレ村瀬慧 矢野昌平
 アイ盛綱ノ下人 石田幸雄
 成田寛人 鳥山直也 柿原光博
 後見 梅若万佐晴 中村裕
 地謡 青木一郎 加藤眞悟 八田達弥 長谷川晴彦
    遠田修 梅若雅一 梅若久紀 根岸晃一



【後場】
〈後シテ登場〉
出端の囃子であらわれた後シテの出立は、左折梨打烏帽子、白地紋大口、紅白段替厚板、縹色の単衣法被(片脱ギ)には露草があしらわれている。

面は十六。
純真さ、清らかさを形にすればこんなふうになるのかと思えるような類まれな美少年の面。
あまりにも清らかすぎて、神々しさすら感じさせる。


万三郎の崇高な貴公子の姿を観た時、青墓の長者がなぜ生前にほんの少し接しただけの朝長をあれほどまでに憐れみ、弔い続けたのかがわかった気がした。


人間の卑劣さ、俗悪さ、荒々しさを嫌というほど観てきた長者(遊君)の目には、乱世では生きる術のない弱く儚い美少年・朝長が純粋さの象徴のように思われ、その死後に彼女の中でさらに美化され、ある意味、俗塵にまみれない存在として信仰の対象のようになっていたのかもしれない。

そんなふうに、出の姿だけで観る者の想像力をかき立て、物語に説得力を与えたのが万三郎の後シテだった。


〈クセ〉
前場の鬘桶に掛かっての語リと同様、床几に掛かる姿の美しさ。

同じ静止の姿であっても、前シテの年を重ねた青墓の長者から漂うムスクのような濃艶な香りとは異なり、後シテの朝長の亡霊から立ち昇るのは微かなシトラスの香り。
装束を通して、少年のみずみずしさ、やわらかさのようなものが伝わってくる。


舞の究極の形であるこの静止の姿。
万三郎の居グセ(床几クセ)は屈折率の高い宝石のように、無心にそこに存在し、観る者の視線を反射してさまざまな光を放っていた。



〈キリ〉
「膝の口をのぶかに射させて馬の太腹に射つけらるれば」で、扇を持った左手に袖を巻き上げ、扇を膝に軽く突き立て、
「馬はしきりに跳ねあがれば」で、馬が跳ねるように足拍子二つ、
「鐙をこして下り立たんとすれども」で、ほとんど立ちあがるように膝を浮かせて足を出し、
「一足もひかれざりしを」で、いったん床几にかかったのち、
「乗替にかきのせられて」で、床几から立ち上がり、
「(雑兵の手にかからんよりはと)思い定めて腹一文字にかき切って」で、脇正にて安座ではなく、下居して扇で切腹する型をする。

ここまで、朝長の最期を見事に表現しつつも、けっして芝居にはならない、純度の高い抽象的な型の連続による描写に終始していた。

じめじめしたところや悲壮感のまったくない、ひたすら儚く、美しい朝長。

こういうところがわたしが感じる万三郎の最大の魅力であり、
内実には途方もない精神力・集中力・身体能力・芸の技と力が働いているはずなのに、外から見えるのは、ゆとりと余裕、超然とした芸の「花」だけ。


俗塵にまみれない朝長のイメージは、そのまま万三郎の舞姿そのものだった。


おそらく、こういうタイプのシテ方があらわれることはもうないのかもしれない。

この先、万三郎の名を嗣ぐにふさわしい人があらわれることもないのかもしれない。

何もかもが儚く、美しい《朝長》だった。









橘香会~狂言《川上》・能《藤戸》につづく


2016年10月22日土曜日

橘香会~《朝長》前場

2016年10月22日(土) 12時30分~17時10分  国立能楽堂


解説 馬場あき子

能《朝長》青墓ノ長者/大夫ノ進朝長 梅若万三郎
 ツレ侍女 長谷川晴彦 トモ従者 青木健一
  ワキ旅僧 殿田謙吉 ワキツレ則久英志 御厨誠吾
  アイ青墓長者ノ下人 野村萬斎
 栗林祐輔 幸正昭 亀井広忠 小寺真佐人
 後見 加藤眞悟 梅若雅一
 地謡 伊藤嘉章 西村高夫 八田達弥 青木一郎
    泉雅一郎 遠田修 永島充 梅若泰志

狂言《川上》シテ座頭 野村万作  アド妻 高野和憲

能《藤戸》漁師の母/漁師 古室知也
 ワキ佐々木盛綱 福王和幸 ワキツレ村瀬慧 矢野昌平
  アイ盛綱ノ下人 石田幸雄
 成田寛人 鳥山直也 柿原光博
 後見 梅若万佐晴 中村裕
 地謡 青木一郎 加藤眞悟 八田達弥 長谷川晴彦
    遠田修 梅若雅一 梅若久紀 根岸晃一



元雅作と推定される能二番に狂言《川上》という、攻めの橘香会。
ある意味、似ているところがあるからこそ違いが際立つ二つの曲を続けて観るのは面白い趣向だった。

馬場あき子さんの解説は《朝長》についてのみ。
前場の「女語り」の特異性と重要性が強調された。
また、能に登場する中世の遊君(青墓長者、静香御前、千手、熊野)と武人との精神的類似性(平穏な明日が約束されておらず、そのためブレない潔さがあったこと)を述べていらっしゃったのも興味深い。


さて、肝心の能《朝長》。
【前場】
まず、次第の囃子が好い!
笛の栗林さんはここ1~2年で芸の格がグングン上がり、今やあちこちで引っ張りだこの売れっ子に(音色も豊かだしヒシギや早笛も吹き損じがないので、聴く側もゆとりをもって舞台に集中できる)。
幸正昭さんはいつものように手堅い職人芸。好不調の波がない安定感。
広忠さんは、先日の紀彰の会ではまだ打音がきつく、音の濁りを感じたが、この日はやわらかく、繊細な音色。掛け声はもちろん申し分ない。


〈面・装束〉
人目を忍ぶように、密やかな足取りで、前シテが幕から登場する。
出立は菊花などの花・木をあしらった落ち着いたゴールドの精緻な唐織。
水桶も木の葉も持たず、右手に数珠だけを握りしめている。

面は、奥ゆかしげな気品のある曲見で、慈愛のようなむくもりを感じさせる。

前シテは侍女と従者を引き連れて本舞台にあがり、朝長の墓の前で亡き少年への思いを語るのだが、ここは本来ならば「御面影の見えもせで」で、墓の前で下居して合掌するところを、この日はほとんど立ったままで下居をなるべく省く演出。


〈静止の美〉
とはいえ、万三郎の立ち姿の美しいこと!
たしか『梅若実聞書』に、能のなかでただ立っている時は必ずどちらかの片足にのっている、という言葉があったが、片足に重心が載っているのがよくわかる立ち姿。
身体がやや片側に傾いているものの、「静止の美」、「不動の美」を象徴するかのような、呼吸さえ止まっているのではないかと思わせるほどの、不動の美しさがそこにはあった。



〈初同〉
初同になり、青墓の物寂しい風景を地謡が切々と謡い上げていく。
「荻の焼原の跡までも」で、シテは何かに思いを馳せるように脇正を向き、
「げに北邙の夕煙の」で、しみじみと辺りを見回し、
「雲となり消えし空は色も形もなき跡ぞ」で、ちぎれた雲を目で追うように空を見上げる。

朝長の亡骸を焼いた煙が立ち昇り、一片の雲となって、やがて空の彼方に消えてゆく。

現実の景色に重ねられたシテの心象風景が、観客の心にもノスタルジックな映像のように映しだされ、長者のせつない思いが観る者にひしひしと伝わってくる。



〈シオリの美しさ〉
「なき跡ぞあはれなりける」でシオルときの、万三郎の手の美しさが忘れられない。

指先をそろえるのではなく、親指以外の四本の指先を微妙にずらして折り曲げることで、女らしい嫋やかさ、繊細さ、情の深さが表現される。

唐織からわずかに出た手の甲と指先。
どうみても女のものとしか思えない白く美しい、まだ色香の残るその手が、長者という地位にある遊君として背負ってきたいくつもの重く暗い過去さえも物語るかのよう。



〈語リ〉
前場の極めつけは、なんといっても語リ。
鬘桶にかかった万三郎の語リは微動だにせず美しい静止の状態にあるけれど、じっと硬直して固まっているのではない。
静止の内奥に、やわらかい生動、有機的な流動性が宿っていて、それが得も言われぬ香りとなって滲み出てくる。

世阿弥はせぬひまの要諦として、「心を糸にして、人に知られずして、万能をつなぐべし」といっているけれど、無心になるほどの高度な集中の持続によって実現されたせぬひまは、こんなふうに香木のような薫りを放つのだろうか。



橘香会~《朝長》後場につづく







2016年10月6日木曜日

万三郎の《野宮》後場~国立能楽堂十月定例公演

2016年10月5日(水)13時~15時45分  国立能楽堂
梅若万三郎の《野宮》前場からのつづき

能《野宮》シテ六条御息所 梅若万三郎
   ワキ殿田謙吉 
   アイ茂山七五三
   赤井啓三 久田舜一郎 亀井忠雄
   後見 中村裕 加藤眞悟
   地謡 西村高夫 伊藤嘉章 八田達弥 馬野正基
      遠田修 長谷川晴彦 梅若泰志 青木健一



後場は小林秀雄風に、「千駄ヶ谷の能楽堂で、万三郎の《野宮》を見た……美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」と綴りたくなるほど閑麗な名舞台だった。


【後場】
ヒシギが鳴り、大小鼓が冷え寂びた一声の音色を響かせてゆく。
重い過去が絡みついた牛車に乗る風情で、後シテの御息所が登場する。

長絹は茶色に見えるほど退色した紫長絹。
薄柿色の大口も裾が少し擦り切れている。
薫香焚きしめた上質の古い装束が、色香の褪せつつある御息所の姿をあらわしている。


しかし、加茂祭の車争いの再現から御息所に変化が訪れる。
前場では深井のように老けて見えた増の面が、にわかに生気を帯び、冷たい美しさをたたえながら、みるみる若返ってゆく。


「(パッと寄りて)人々、長柄に取りつきつつ」で、シテは脇正で伸ばした右腕に左袖を掛け、
「人だまひの奥に押しやられて」で、身をよじるように後ずさり、
悄然とした面持ちで舞台を二巡りする。


ここの地謡も最高に素晴らしく、御息所の受けた屈辱が身に迫るよう。

いや、屈辱を受けたというよりも、彼女は深く傷ついたのだ。
どうしようもないほど深く傷ついて、底知れぬ孤独の中で途方に暮れていた。
気位は高いけれど、心が脆く、傷つきやすい繊細な女性。
万三郎の後シテはそんな慎み深く、嫋やかな素顔の御息所だった。




〈序ノ舞〉
万三郎の序ノ舞には、無駄なもの余分なものがことごとく削ぎ落とされ、能の精髄・芸の神髄だけが舞っているような不思議な軽やかさ――物理的ではなく、精神的な軽やかさ――があった。

物理的法則や肉体的限界を超越した、何物にもとらわれない自由な軽やかさ。

それは、東宮妃時代の御息所の心の軽やかさ、華やぎにも通じていた。



〈破ノ舞〉
「野宮の夜すがら、なつかしや」で、源氏の面影を重ねるように鳥居に駆け寄り、後ずさりした御息所は、ここで初めて涙を見せ、抑えに抑えていた思いがほとばしる。

熱く、静かな二度のシオリ。

そこから九月七日の最後の夜を追懐する破ノ舞へ。

この破ノ舞は、熱情に駆られたわが身を俯瞰するような、どこか醒めたまなざしを感じさせる。
もしかすると御息所は僧侶の法力を借りずともすでに自己昇華していて、彼女にとって妄執を晴らすなどということは、もはや大した問題ではないのかもしれないとも思わせた。

万三郎の破ノ舞は、ドロドロした情念や妄念とは無縁であり、
ただ甘美な痛みを噛みしめて、陶然と舞う美しい女がそこにいた。



〈終曲〉
「伊勢の内外の鳥居に出で入る」で、左足を鳥居から出して引く型はなく、
代わりにシテは鳥居に向かってためらいがちにジグザグに前進し、鳥居に触れることなく後退して通り過ぎる。

そのまま橋掛りに行き、一の松で「また車にうち乗りて」と左足拍子で車に乗り込み、しばらくこちらをじいっと見つめた。

凄絶なまでに美しい高貴な女性。
わたしはこの瞬間、万三郎演じる御息所にほとんど恋をしていた。


そして二の松で、「火宅の門をや出でぬらん」と鳥居を振り返り、憂いをふくんだまなざしで再び見所を見込む。

ゾクッとするほどの美しさ。

これほどまでに美しいひと、愛しいひとが行ってしまう、わたしを置き去りにして。


シテの姿が幕の奥へと消える時、
御息所に去られたあとの光源氏の気持ちがわかる気がした。










2016年10月5日水曜日

梅若万三郎の《野宮》前場~国立能楽堂十月定例公演

2016年10月5日(水)13時~15時45分 最高気温25℃ 国立能楽堂
茂山千五郎家の《合柿》からのつづき

能《野宮》シテ六条御息所 梅若万三郎
   ワキ殿田謙吉 
   アイ茂山七五三
   赤井啓三 久田舜一郎 亀井忠雄
   後見 中村裕 加藤眞悟
   地謡 西村高夫 伊藤嘉章 八田達弥 馬野正基
      遠田修 長谷川晴彦 梅若泰志 青木健一




いま、このときの三世梅若万三郎にしか表現しえない《野宮》。
老後の初心という言葉どおり、磨き抜かれた洗練の極致といえる芸の力と、身体の衰えとのせめぎ合いのなかで探り当てたギリギリの境界線上に、これまで見たこともない透徹した美しい花が咲いていた。


【前場】
〈ワキの位取り〉
いつもにも増して、殿田さんの位取りが素晴らしい。
ワキの出で――おそらく幕に掛かった瞬間から――御息所の思いを受け止めるだけの深い器と精神性を備えた旅僧になっていて、顔つきや佇まいに寂び寂びとした品格がある。

ワキが鳥居に向かって、「われこの森に来て見れば、黒木の鳥居、小柴垣、昔にかはらぬ有様なり」と謡うと、下村観山の描く『木の間の秋』のような、うら寂しい秋の森の情景が鳥居の周囲に立ち現れてくる。


〈シテの工夫〉
そこへ次第の囃子で、前シテが登場する。

唐織は金茶とプラチナシルバーの秋花模様の段替。
面は、前場・後場とも同じ河内作の増なのだが、前シテの出と後シテの終曲部とでは、わたしにはまったく異なる表情に見えたばかりか、二十歳くらい年の違う女に見えた。

実際、前シテの登場時には、一年前に橘香会で《定家》を観た時から経過した時間の長さと、シテの身体の衰えを感じた。
それが一時的な不調のせいか、年齢によるものかはわからないが、いずれにしろ自然の摂理は避けられない。これまでのような年齢による衰えを感じさせない完璧に美しい舞姿こそ、芸の力が起こした奇跡だったのだ。


しかしこの日の舞台にはそうした自然の摂理を受け入れたうえでの工夫が随所に凝らされ、型を削ぎ落とし、所作を抑制することで、かえって御息所の心が美しいタペストリーのように重層的に織り込まれ、観る者に多様な解釈を与えていた。



(以下、わたしが「工夫」と感じたのはもともとあった型なのかもしれません。)
この日の舞台では、下居が徹底的に排されていた。
「野宮の跡なつかしき」で下居して榊を置くところはカットされ、榊は「あらさみし宮所」で後見に手渡された。
その他、居グセなど正中下居の箇所はすべて床几に掛かる箇所となり、下居してワキに合掌するところもなくなっていた。


また、クセやロンギでシテのシオリが一切なく、御息所がシオルのは、破ノ舞に入る前の一度だけ。
「風茫々たる野宮の夜すがら、なつかしや」で、鳥居に駆け寄りしばし懐旧の念に浸ったのち、後ずさりして、そこで堰を切ったように思いがとめどなくあふれ出て、たまらなくなって二度シオル。

それまでシオリが一度もなかったからこそ、御息所の孤高、気高さ、そして破ノ舞を舞う契機となる内に秘めた激情の奔出が生きてくる。


シテの動きが極端に少ない前場。
床几に掛かって冷たく一点を見つめるシテの姿は、光源氏に対して十分に心を開けずに煩悶し、激しい思いを抑え続けた御息所そのものだった。


赤井啓三師の送り笛と間狂言の途中で入るアシライ笛が、秋の野を吹き抜ける木枯らしのような寂寥感を漂わせ、御息所の言葉にできない胸の内をそっと語っていた。



万三郎の《野宮》後場につづく








国立能楽堂十月定例公演・茂山千五郎家の狂言《合柿》

2016年10月5日(水)  13時~15時45分 国立能楽堂

狂言《合柿》シテ柿売り 茂山千五郎
      アド都の者 茂山千作
    都の者 茂山茂 茂山宗彦 丸石やすし 松本薫

能《野宮》シテ六条御息所 梅若万三郎
   ワキ殿田謙吉 アイ茂山七五三
   赤井啓三 久田舜一郎 亀井忠雄
      後見 中村裕 加藤眞悟
   地謡 西村高夫 伊藤嘉章 八田達弥 馬野正基
      遠田修 長谷川晴彦 梅若泰志 青木健一




「定例公演で、い、いいんですか?」と思うほど特別感のある豪華な公演。

開場前、図書室に立ち寄ってから1階にあがってくると、ちょうど万三郎師が楽屋入りするところだった。舞台の外でも往年の銀幕スターのような、端正なオーラと品格のある方だ。

その後、この日から始まった「宇和島伊達家の能楽」の特別展示をのぞいてから、能楽堂へ。
この特別展示については、別記事で紹介します。


まずは先月襲名したばかりの茂山千作・千五郎さんによる《合柿》から。
(おそらく実質的には東京での襲名披露になるのかな?)


千五郎家の狂言は観能最初期に2回ほど観ただけで、これまではあまり意識してこなかったけど、やはりお豆腐狂言というだけあって、関西なまりがやわらかく、軽妙で、少し甘みのある木綿豆腐のよう。

同じ大蔵流でも武骨で重々しい(それはそれで良い持ち味の)山本東次郎家とは、別流派かと思うくらい発声も節回しも違うように感じる。
こんなことを言ったら怒られるかもしれないけれど、吉本新喜劇の元祖、原点のようにも思えてくる。


新・茂山千五郎さんは声量がとても豊か。
最後の謡のところなどは、身体全体が楽器になっているのがよくわかる。

名前が人を育てるという言葉があるけれど、これからが楽しみな役者さんだ。

渋柿を食べて口笛が吹けなくなるのは、渋(タンニン)で口の中がしびれるからかな?
わたしも食べたことがあるけれど、なんともいえない感覚。
それを干し柿にして、羊羹のような甘さにするのは昔の人の知恵ですね。
柿売りも美味しい干し柿にしてから売れば、普通に高値で売れただろうに。


茂山家や山本家は、家族・親族が一致団結して舞台を創り上げていて、そういう情熱やぬくもりが観る側にも伝わってくる。
(すみません、大蔵家や善竹家についてはほとんど知りません。)

逆に、不和がある家だとそれが舞台にもあらわれてマイナスの気がたちこめ、その家・その人の舞台や芸がいまひとつ好きになれなかったりする。
確固たる技術が基礎としてあるのは当然だけど、最後の最後に人の心を動かすのは演者の人間性ではないかしら。



梅若万三郎の《野宮》前場につづく







2015年10月26日月曜日

橘香会 《定家》

2015年10月25日(日) 13時半~18時20分     国立能楽堂
解説    馬場あき子

能《定家》 シテ里女/式子内親王の霊 梅若万三郎
      ワキ旅僧 福王和幸  アイ 野村萬斎
       松田弘之 久田舜一郎 亀井忠雄
    後見 野村四郎 山中迓晶 青木健一
    地謡 伊藤嘉章 西村高夫 清水寛二→柴田稔 加藤眞悟
       八田達弥 長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也
  (休憩20分)

仕舞《盛久》   青木一郎
  《芦刈》   梅若紀長→お休み
  《七騎落》  中村 裕
        地謡 梅若万佐晴 泉雅一郎 伊藤嘉章 青木健一

狂言《蝸牛》 シテ山伏 野村萬斎 アド主 月崎晴夫
       アド太郎冠者 石田幸雄

仕舞 《清経キリ》 梅若志長
   《駒之段》   梅若万佐晴
   《笹之段》  野村四郎
           地謡 梅若万三郎 伊藤嘉章 長谷川晴彦 梅若紀長

能《石橋・大獅子》   シテ尉/白獅子 遠田修
               ツレ赤獅子 梅若泰志・ 梅若久紀
             ワキ寂照法師 野口能弘
                   アイ山の精 竹山悠樹
                  栗林祐輔 鵜澤洋太郎 大倉正之助 徳田宗久
            後見 梅若万佐晴 中村裕 泉雅一郎
            地謡 青木一郎 加藤眞悟 八田達弥 長谷川晴彦
               古室知也 青木健一 根岸晃一 若林泰敏



「好きなお能の曲は?」と聞かれて、真っ先に答えるのが《野宮》、その次が《定家》。
でも、禅竹物のこの二曲は上演回数が少ないうえに、
納得できる舞台にはなかなか出会えない。
この方ならば……と期待を込めて、この日、万三郎師の《定家》に臨んだ。

結果は、良い意味での「裏切り」と意外性に満ちた、
いかにも万三郎さんらしい、万三郎さんにしか実現できない《定家》だった。


【前場】

山より出づる北時雨 行方や定めなかるらん

禅竹が「雨の能作者」と言われるように、物語は晩秋の冷たい時雨で始まる。
木々に紅葉の残る冬枯れの京の夕暮れ。

冒頭から見所を酔わせて《定家》の世界へグイグイ引き込む次第の囃子。
とくに笛のすすり泣くような物悲しい音色に、全身がしびれるような陶酔感を覚える。
囃子の響きとともに、舞台が黄昏色に染まっていく。


旅装たちが一軒の古い庵に目をとめ雨宿りに向かうと、
背後(幕の中)から女の声がして、
ワキとのしばしの問答の後、シテはようやく幕から姿を現す。

前シテの面は増。 
この増女は不思議な面だ。
氷のように冷たく整った美しい顔は、憂いを帯びたり、悲哀に沈んだり、
恥じらいを含んだりと、一瞬ごとに微妙に表情を変えていく。
その伏し目がちな瞳はまばたきしているようにさえ見えることもあった。

万三郎によって生気を吹き込まれた能面は、生身の女性とは異なる、
現実には存在しえない高貴なヒロインとして息づき、見る者を幻惑する。

里の女は旅の僧に、庵の名称「時雨の亭」の由来について、
その昔、藤原定家が建てて、時雨にまつわる歌を詠んだと説明し、
僧と目を交わす。

秋の時雨のこの時期に、時雨に降られて、時雨の亭に雨宿りに訪れた旅の僧。

ともに何かの因縁を感じたらしく、シテとワキは見つめ合い、
女は、供養したいお墓があるので一緒にお参りしてほしいと僧を誘う。


このシテとワキの交流には、人間らしいぬくもりはない。

彼らのあいだにあるのは安易で甘ったるい感傷ではなく、
禅竹の曲、そして歌人・定家の作品の根底にある冷たい虚無感。

この醒めた虚無感のようなものが、
シテとワキのあいだをゆるやかに流れ、それがこの舞台の基調をなしていた。
(福王和幸師がワキに起用された理由もここにあるのかもしれない。)



二人が向かった先には、蔦葛の這いまとう古塚があった。
女は定家と式子内親王の悲恋を語り、二人の歌を引きながらその辛さを僧に伝える。


玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする(弱るなる)
                  式子内親王

死ぬほどつらい忍ぶ恋に耐えられず、二人の心も弱り、


歎くとも恋ふとも逢はむ道やなき君葛城の峰の(白)雲
                   藤原定家



逢えない苦しみは定家を妄執へと駆り立て、式子内親王亡き後、
定家葛となってその墓に這いまとわり、恋の炎のように紅葉するという。


定家の妄執を解くよう僧に頼んだ女は、「我こそ式子内親王」と名乗って立ち上がり、
塚に寄り添い、その壁に吸い込まれるように、塚の中へ消えていく。

(一瞬、引廻をすり抜けたのかと錯覚するほど、万三郎師はスルリと塚へ入っていった。)



中入】
萬斎さんの間狂言。 なんとなく、ここだけが萬斎ワールド。

(そういえば、広忠の会の《定家》の間狂言も萬斎さんなんですね。
行こうかどうしようか迷い中。出演者を見るとチケット自体取るのが難しそう。
味方さんの《定家》はそれこそ粘着質の情念の世界、
感情表現豊かな《定家》になると予想←《砧》の時もかなり情感豊かだった。)



後場】
中入りのあいだに大鼓は焙じたてのものに交換されたのだけれど、
焙じ方か良くなかったのか、前場のお道具よりも音質が下がっていて、
打音が響かず、こもってしまう。
(忠雄師のいつもの澄みきった純度の高い音色ではなかったのは、
もしかすると意図的にそうしたのだろうか?)


また、ワキの待謡のあと、シテは塚の中で謡い、しばし地謡との掛け合いとなるのだが、
このときのシテの詞「花も紅葉もちりぢりに」が、「花も嵐もちりぢりに」になっていた。
(万三郎さんの言い間違い?) 
たぶんこの詞は、定家の有名な歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり」を暗示している
箇所だと思う。


こんなふうに、後場の冒頭にはやや弛緩した空気が流れたけれど、
「外はつれなき定家かづら」で引廻しがはずされると、
シテの意表を突く姿が見所を惹きつけ、舞台はふたたび求心性を帯びていく。

塚の中から現れたその姿――。
後シテの面は痩女か泥眼を予想していたが、(嬉しいことに)期待を裏切って
前場と同じ増女。
そして枝垂れた風情が定家葛を思わせる、柳模様の緑地の長絹(露は紫)に
オレンジシャーベットカラーの色大口。



ワキによる薬草喩本の読誦のおかけで、塚に這いまとっていた定家葛が
ほろほろと解け、式子内親王の霊はよろよろと立ちあがって塚から出る。
そして僧に合掌し、お礼として、華やかなりしころ宮中で舞った舞をお目にかけましょう
と言う。

そして、万三郎の《定家》の序ノ舞。
通常の《定家》に期待される暗さや陰鬱さとは無縁の、ひたすら美しい舞。

そこには「力み」や「努力の跡」というものが一切見えない。
あるのは、洗練の極みと品格の高さだけ。

皇女として斎宮を十年勤め、
斎宮を辞してのち、十歳年下の才気あふれる貴公子と恋に落ち、やがて別れる。
元斎宮という特別な身分とプライド。
婚期を過ぎた年上の女という負い目。
生涯で一度だけ味わった束の間の恋。

そうした女性の内に秘めた思いを舞で表現すると万三郎のこの序ノ舞になるのだろうか。

悲しみや苦しみといった負の感情は極限まで抑制され、
舞のなかに見え隠れする深い翳りに、シテの思いの断片をうかがうことができる。

昔を今に返す花の袖。
ひるがえす袖は甘美な羞恥心に震え、焚きしめた薫香と男の移り香を運んでくるよう。

僧の読誦によって定家葛を解かれ、成仏するかと思えたシテは、
舞っているうちに過去の記憶がよみがえり、ふたたび過去の恋に埋没していく。


夜の契りの夢のうちにとありつる所に帰るは、葛の葉の元の如く


もとの如く、
シテはいったん塚に戻り、ふたたび塚から前に出て、
定家葛の這いまわる様子を再現するように、
作り物の右前柱のまわりを一度だけ時計回りにまわってから、
再び塚に入り、左手に持った扇を顔前にかざしながら夢見るように座り込み、終焉。

万三郎のこのエンディングも予想外だった。

他のシテならば、定家葛が再び這いまわるのを強調するために、
塚の作り物の柱を八の字を描くように回ったり、同じ柱を何度も回ったり、
あるいは塚の中で座り込む時も、両腕で自分の身体を抱くように演じたり、
扇を持った左手で身体を覆うようにしたりすることもあるけれど、
万三郎師の演出はじつに淡白。


おそらく万三郎師は、クドさやドロドロした粘着性を好まないのだろう。
凝った演出や豊かな感情表現を好む玄祥師とは対照的だ。

なんとなく、万三郎師の芸風には、
理知的・技巧的・耽美的な歌人としての定家の作風に通じるものがあるように思う。


定家葛とは、定家の妄執ではなく、
式子内親王の妄想の中で生み出されたものではなかったのか。

浮世離れした元聖女の倒錯した妄想こそ、
万三郎師が描きたかったものではないだろうか。


と、それこそ勝手な妄想をしてしまったが、
いずれにしろ万三郎師ならではの優雅な倦怠と冷たい官能性を秘めた、
美の極致とでもいいたくなる《定家》だった。


彼以外のシテで、このような《定家》を観ることはもうないのかもしれない。




追記:
橋掛りを帰る時、通常、シテがシテ柱を過ぎるとすぐにワキが立ちあがり
その際に余韻を台無しにしてしまうことが多いのだけれど、
この日のワキは、シテが一の松を過ぎるのを待ってから静かに立ち上がり、
その後も、余韻を乱さないよう配慮している様子がうかがえた。
ワキの福王和幸師にも拍手を送りたい。


橘香会《石橋・大獅子》などにつづく

2015年7月30日木曜日

裕月会

2015年7月30日(木) 11時~18時    国立能楽堂

番外独鼓  《羽衣》  松山隆之  清水和音
        《高砂》  鵜澤光    飯冨孔明

番外素囃子 《天女之舞》
       竹市学 田邊恭資 原岡一之 梶谷英樹

舞囃子
  《鶴亀》 梅若紀長→梅若万三郎 
       一噌康二 社中の方 高野彰  吉谷潔
  《熊坂》 山中迓晶 
       竹市学 社中の方 安福光雄 梶谷英樹
  《羽衣》 北浪貴裕
        一噌康二 社中の方 原岡一之 梶谷英樹
  《定家》 清水寛二
        竹市学  社中の方 安福光雄 

(休憩)
能 《橋弁慶》 シテ 武田文志  トモ 佐川勝貴
      アイ 野村又三郎 野口隆行
      笛 帆足正規 小鼓 社中の方 大鼓 大倉栄太郎
      後見 松木千俊 坂井音晴

(休憩)
番外舞囃子 《石橋・獅子》  馬野正基
           竹市学 大山容子 原岡一之 吉谷潔

独鈷(小鼓は社中の方)
   《鵜之段》  佐久間二郎
   《松虫》    山中一馬
   《敦盛》    宇高竜成
   《融》      工藤寛

舞囃子
   《百万》   坂井音晴
          帆足正規 社中の方 高野彰 吉谷潔
   《二人静》  鵜澤久  鵜澤光
          一噌康二 社中の方 高野彰
   《当麻》   岡久広
          竹市学 社中の方 安福光雄 吉谷潔

独鈷
   《巴》     辰巳満次郎
   《蝉丸》    前田親子
   《半蔀》    津村禮次郎
   《笠之段》   高橋章


舞囃子  《邯鄲》  浅見慈一
            竹市学 社中の方 安福光雄 吉谷潔
       《三井寺》 津村禮次郎
             一噌康二 社中の方 安福光雄
       《歌占》  松木千俊
              一噌康二 社中の方 高野彰

番外一調   《善知鳥》 観世銕之丞   大倉源次郎
         《勧進帳》 岡久広      古賀裕己

(地謡出演シテ方)
佐川勝貴 桑田貴志 小島英明 伊藤嘉章 長谷川晴彦 長山桂三 
佐久間二郎 松山隆之 浅見慈一 馬野正基 観世銕之丞 清水義也 
北浪貴裕 藤波重孝 下平克宏 岡久広 上田公威 鵜澤久 山中迓晶 
清水寛二 津村禮次郎 坂井音晴 鵜澤光





能楽公演の少ない渇いた真夏に恵みの雨ような小鼓方・古賀裕己師の社中会。

舞囃子のシテ方では麻の紋付き率が高く、見所の女性客では紗の着物率が高かった。
目で涼を感じる日本人ならでは。
暑い夏を楽しもう!

盛りだくさんだったので、印象に残ったことなどを以下にメモ。


舞囃子《鶴亀》
近眼なので見間違いかと思ったけれど、
舞台にいらっしゃるのはどう見ても梅若紀長師ではなく万三郎さん。
代役(?)なのかしら。
(うれしいサプライズだけれど、紀長師、どうされたのだろう。)
光源氏が年を重ねたらこんなふうに舞うのかと思わせる典雅な舞姿。
生まれや育ちからして常人と違うような気がする。

一噌康二師も復帰されていてひと安心。


舞囃子《熊坂》
迓晶さん、キレのある長刀さばき。
激しい動きの中にも華やかな品があり、好みの芸風です。



舞囃子《羽衣》
北浪師、ふわりとまとった真っ白な麻の紋付きは羽衣を思わせ、清々しい天女だった。


能《橋弁慶》
シテの武田文志さん、一段とグレードアップされていて、
素人の子方さん相手の難しい役をうまくこなされていた。
又三郎さんの存在感の大きい間狂言も面白い!

そして個人的に大注目は、京都森田流笛方の帆足正規(ほあしまさのり)師。
おそらく80代だと思うけれど、高齢でこれほど姿勢のきれいな囃子方を見たことがない。
肺活量もそれほど衰えず、ややかすれ気味のヒシギを除けば美しい音色。
プロフィールを拝見すると、貞光義次に師事したとのことだけれど、芸系がよく分からない。
田中一次系でもないし、強いて言うと、京都の杉家と東京の寺井家を足して二で割って、
プラスαで何かを加えて、何かをさらに引いたような?
とにかく、現在の東京でよく聴く笛方では近い人はいない。
京大出身で狂言作家でもあるという異色の笛方さん。
中谷明師もたしか東大出身だったかな。
森田流には異色の笛方がいらっしゃるのですね。
東京ではめったに聴けないので、貴重な体験でした。



番外舞囃子《石橋・獅子》
大好きな笛方・太鼓方が抜きんでた《獅子》。
元伯ファンがこんなことを言ってはなんだけど、
こと《獅子》(石橋)に関しては、
笛は藤田流、太鼓は金春流がより華やかでダイナミックになると思う。
竹市さんの笛はシャープでエッジが効いてて、ただただ、かっこいい!

露ノ手の小鼓の静謐な間が美しかった。


独鼓
前半・後半合わせると、四流が出そろった豪華な独鼓。
利き酒ならぬ、「利き謡」を堪能した。

《鵜之段》の佐久間二郎師、うまいですね!
九皐会系というか、観世喜之・喜正系の少し鼻にかかったような独特の謡。

金春流の《松虫》。語尾が少し伸びるようなところが特徴的なのかな。


金剛流の《敦盛》。
宇高竜成師、上手い! 凄すぎる!

思いを須磨の山里のかかるところに住居して
須磨人になりはつる一門の果てぞかなしき

聴き惚れてジーンとくる。
彼の謡から発せられる一言一句が透明な珠のように美しく、
それがひとつひとつ響きながら弾けて、《敦盛》の世界を丁寧に描きだしてゆく。
若いのに、恐るべき実力派。
京都だけでなく、ぜひぜひ、東京でも公演をしてください!



満次郎さんの《巴》と《笠之段》(高橋師と連吟)。
やっぱりこの人の謡はいい!
一時期ちょっと離れていたけれど、また満次郎さんの舞台を拝見しようと思った。


舞囃子《二人静》
鵜澤母子の相舞。
ふつう、若い人のほうが早くなってしまうのに、
こんなにそろった相舞見たことない、っていうくらいそろっていた。
こうやって相舞のお稽古をしながら、師匠の間の取り方や緩急のつけ方を
身体で覚えていくのかしら。



舞囃子《邯鄲》
クリームイエローの麻の紋付に若草色の袴という爽やかな出立の浅見慈一さん。
吉谷&竹市コンビが冴える、冴える!
ただ、盧生が夢から覚める前後の拍子が急転するところが
社中の方には難しかったようで、テンポが遅れて、プロの囃子方と合わず、
吉谷さんがしきりに社中の方のほうを見ながら打ってらっしゃったのが印象的だった。



番外一調
銕之丞氏の大迫力の気合の入った熱唱。
源次郎さんの音色のクオリティが高い!
やはり別格です。

初めて聴く古賀裕己さんの一調。
性格のまっすぐな方なのでしょうか、力みや衒いのないまっすぐな鼓。
心に響く掛け声と岡久広師の渋みのある謡が響き合う……。


楽しい社中会、ありがとうございました!




2014年9月24日水曜日

国立能楽堂企画公演・能を再発見するⅤ――観阿弥時代の百万

仕舞 百万 クセ 梅若万三郎
 地謡 加藤眞悟 伊藤嘉章 山崎正道 角当直隆
対談 馬場あき子 天野文雄
観阿弥時代の能 百万  シテ梅若玄祥 子方松山絢美
  ワキ 福王茂十郎 福王知登 喜多雅人 村瀬慧 
  アイ 高澤祐介
  笛・杉信太朗 小鼓・鵜澤洋太郎 大鼓・安福光雄 太鼓・林雄一郎
  後見 山崎正道 松山隆之
  地謡 川口晃平 梅若紀長 角当直隆 山中迓晶
     伊藤嘉章 梅若万三郎 梅若紀彰 加藤眞悟



清々しい秋晴れの休日。 和服日和で、能楽堂は着物率が高かった。


まずは、万三郎さんの現行の《百万》クセの仕舞から。
光源氏が年を重ねたらかくありなん、
と思わせるような、格調高く、品位のある舞姿。
70代半ばとはとても思えない優雅さとほのかに漂う色気。
なぜこの方が人間国宝ではないのか不思議なくらい。
この仕舞を拝見できただけでも来てよかったと思う。


対談はなんと40分! 
お二人のお話は面白いけど、いくらなんでも長すぎと思う。
(対談や解説はパンフを読めば済むことなので不要だと思うけれど、国立だとそういうわけにもいかないのだろう……。)
対談の内容は『能を読む①』に書かれていたこととほぼ同じ。


観阿弥が演じた「嵯峨の大念仏の女物狂の物まね」から《百万》への変遷プロセスは以下の通り;

(1)女芸能者・百万(実在の人物)ではない普通の母親をシテとした子探し物狂能
         ↓
(2)芸能者・百万がシテ(母親)となり、「地獄の曲舞」をクセで舞う物狂能
         ↓
(3)「地獄の曲舞」のクセの部分を、百万がわが子を思う内容のクセに入れ替えた現在の《百万》


学会での定説では(1)が観阿弥時代の《百万》だったとされているが、
天野先生は(2)が観阿弥時代のものと考え、
今回の演能では(2)の「地獄の曲舞」が現行のクセの部分に挿入されている。

ちなみに、「地獄の曲舞」とは、作詞・山本某、作曲海老名南阿弥による
南北朝時代の謡い物のことで、現在は《歌占》のクセに入っている。


つまり、観阿弥が《百万》の原曲に取り入れ、世阿弥が《百万》から取り去った「地獄の曲舞」を、
その息子・元雅が再び取り入れて《歌占》をつくったことになる。


「地獄の百万」の詞章を読んで見ると、とても素敵で
特に前半の「魂は籠中の開くを待ちて去るに同じ、
消ゆるものはふたたび見えず、去るものは重ねて来たらず」
など、名文が多くて、心に響く。


世阿弥が捨て去ったものを拾い上げて新たな曲を創った元雅って、
やはり世阿弥にはないセンスと才能があったんだなと思う。

(別記事につづく)