2017年10月22日(日)12時30分~17時40分 国立能楽堂
解説 馬場あき子
能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
ツレ化女 八田達弥
ワキ旅僧 福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
アイ門前ノ者 野村万禄
槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
後見 清水寛二 山中迓晶
地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也
狂言《萩大名》シテ大名 野村萬
アド太郎冠者 野村万之丞 茶屋 野村万蔵
仕舞《葛城》 梅若万佐晴
《邯鄲・楽アト》中村裕
伊藤嘉章 遠田修 梅若久紀 根岸晃一
能《山姥》シテ女/山姥 青木健一
ツレ百万山姥 観世淳夫
ワキ大日方寛 舘田善博 梅村昌功
アイ里人 能村晶人
藤田次郎 古賀裕己 佃良太郎 小寺真佐人
後見 加藤眞悟 谷本健吾
地謡 青木一郎 八田達弥 梅若紀長 長谷川晴彦
遠田修 梅若泰志 古室知也 梅若久紀
タイトル通りのことを、ずっと経験したいと願っていた。
帰りは、「星が輝き、雨が消え残った夜道を歩いていた」わけではなく、台風接近中の土砂降りのなか、ずぶ濡れで帰宅したわけだけど、それでも「白い袖が飜り、金色の冠がきらめき、中将姫は、未だ眼の前を舞って」いた。
もちろん、万三郎は小林秀雄が観た万三郎ではなく、当代万三郎、わたしにとって、美しい「花」そのものの万三郎だ。
今年は秋から冬にかけて、このシテでこの曲を観たい!と切望していた舞台がいくつかあり、今、この時、能を観ていてよかったと心から思う。
【前場】
次第の囃子で念仏僧の一行が登場。
ワキは茶水衣に角帽子、ワキツレはブルーの水衣、青灰色の着流。
『一遍聖絵』には、鎌倉期に一遍上人が当麻寺に詣でた際、中将姫自筆の称賛浄土教一巻を寺僧から譲られた話が描かれているから、おそらくこのワキは一遍上人がモデルなのだろう。
ワキ僧が三熊野詣からの帰途に当麻寺に立ち寄るという設定も、熊野権現の本地が当麻曼荼羅に影向するという、当時の信仰が反映されているのかもしれない。
〈シテ・ツレの登場〉
シテとツレが一声の囃子で登場し、それぞれ三の松と一の松に立つ。
シテの出立は、クリームがかった白い花帽子に薄茶の水衣、桔梗などの秋花をあしらった古色の美しい段替唐織。手には杖。
シテの面が、印象的だ。
目じりが下がり、眉間にしわを寄せた通常の「姥」ではなく、
盲目のようなその目は横にスッと伸びる切れ長で、皺が少なく、かすかな若さの残滓が認められる相貌には聡明な輝きと神々しい品格が漂い、表情には慈愛よりも、毅然とした厳しさがある。
シテとツレが、名所教えのように当麻寺と染殿の井を紹介し、シテとワキとの掛け合いのあと、地謡が受けるくだり。
「掛けし蓮の色桜、花の錦の経緯に、雲の絶え間に晴れ曇る、雪も、緑も、紅も」と、錦の綴れのように風景を色あざやかに織り込んでいく詞章が美しい。
シテは、「西吹く秋の風ならん」で、西方浄土からの音信を聞くように、脇正を向いて風の音にそっと耳を澄またのち、
大小前で床几に掛かり、クリ・サシ・クセで、地謡を介して中将姫譚を語っていく。
〈クリ・サシ・クセ〉
当麻曼荼羅の縁起が強吟のクセで語られる。
いつもながら、万三郎の静止の姿はこのうえなく美しい。
水晶を刻んだ彫刻のように、静かに光を透過して、その時々でさまざまな色にきらめきながら、語られた物語を不動のまま紡いでいく。
水晶玉に占いの結果が映写されるように、観ているほうは、老尼の脳裏に浮かぶ映像をのぞいている気分になる。
そして、語られる物語をしっかり受け止めるのが、ワキの念仏僧。
福王和幸さんの下居姿は、万三郎の相手役にふさわしく、重心が天地を繋ぐ軸上に安定しており、シテの「気」を受け止め、見事に共鳴していた。
シテより先に登場し、シテの後に退場して舞台を終始見守るワキ。
その存在は、書類の隅を一カ所だけ留めるホッチキスのようなもの。
パラパラと書類をめくるように展開する物語を、舞台の隅の脇座でしっかり繋ぎとめ、舞台を継続して引き締める。
だからこそ、ワキの下居の佇まいは極めて重要で、物語の展開に即して、どこから見ても美しい姿勢を保つには非常に高い技術力・身体能力が求められる。
和幸さんは技と骨格のしっかりした、良いワキ方さんだと思う。
〈化尼化女(阿弥陀如来・観音菩薩)に変じて中入〉
老尼は物語るうちに正体を明かし、紫雲に乗って昇天する。
シテは「二上の嶽とは」で、床几から立ち上がって前進し、
「二上の山とこそ人はいへど」で、両手を杖の上に置く。
「尼上の嶽とは申すなり」で、脇正に進んだかと思うと、
「老いの坂を登り登る」で、
腰の曲がった老婆のように、腰をグッと低く落として杖を突き、
左、右と向いて、ジグザグに山を登るような特殊な足遣いをしたのち、
「雲に乗りて」で、杖を捨て、
「紫雲に乗りて上りけり」で、雲がたなびくように余韻を残しつつゆっくりと中入。
送り笛はなく、間狂言の途中から笛が入る演出だった。
《当麻》後場につづく
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