2017年10月30日月曜日

大槻文蔵の《弱法師》~寺社と能〈四天王寺〉国立能楽堂企画公演

2017年10月28日(土)13時~15時50分 国立能楽堂
天王寺舞楽からのつづき

能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
      ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
      藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
      後見 武富康之 大槻裕一
      地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
         長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康



大槻文蔵師に対しては、観能の原体験ともいうべき、トラウマがあります。
大学時代、大槻能楽堂で文蔵師の鬘物を見て爆睡したことがあり、それを機に「能なんか症」に罹患。近年になるまで能の魅力に気づかずにいました。
(もちろん、爆睡したのはわたしが未熟だったせいなのです。)
ただ、相性の問題もあるのでしょうか、まちがいなく当代第一人者のおひとりだと思いますし、人間的にも尊敬できる方のようにお見受けするのですが、正直、ちょっと敬遠気味でした。

前置きが長くなりましたが、《弱法師》、良い舞台でした!


【一声の囃子→シテの登場】
とりわけ心を打たれたのが、一声の囃子。
源次郎師の小鼓は音色が美しいだけでなく、
俊徳丸の身に降りかかった不運、絶望、視力さえ失うほどの悲惨な境遇を切々と物語り、謡いあげる。
シテが出る前から、俊徳丸の気配が漂ってくる。

柿原崇志師の大鼓も冴えわたり、老いてますます盛ん、脂がエネルギッシュに乗り切っている。
後見には孝則さん。
若竹のように伸び盛りの孫に、芸の真髄を身をもって教えることができる現役バリバリの崇志師は、とても幸せな囃子方さんだ。


味わい深い囃子によって、与太者・あぶれ者がたむろする四天王寺界隈の猥雑さ━━弱法師の世界が醸成されたところへ、シテが登場する。

幕離れも美事。
弱法師の面も素晴らしい。
悲哀と諦観が入り混じる複雑な能面の表情が、さまざまな物語性を宿していて、こちらの想像力を掻き立てる。
この弱法師の面にもっともふさわしく、もっとも自然な、胴体と手足、姿勢と所作・挙動を、シテはほとんど理想的な形で表現している。
運命に苛まれた、細くやつれ、うちひしがれた身体。
そして、その内側に潜む若くみずみずしい生気と色気、名家育ちの気品。

《弱法師》の俊徳丸に必要なすべてがシテの姿と挙措に集約されている。


【終曲へ】
俊徳丸が石の鳥居から境内に入るところは、自分を保護する聖域に漂着したような安堵感が感じられ、梅の香を聞くところは、艶めく春の香りがふんわりと漂うよう。

地面に倒れ伏すところは、俊徳丸を押しのけて突き飛ばし、無神経にぶつかってくる群衆を、3D映像のようにリアリティ豊かに感じさせる。

シテは非の打ち所がないように見える。
それをどこか遠巻きに、左脳的に眺めている自分。




【元雅の意図】
《弱法師》を初めて見た時は、「満目青山は心にあり」の箇所がこの曲の眼目だと思い込んでいたけれど、実はそのあとの、群衆に突き飛ばされ嗤われて、「今よりは狂はじ」と心に誓う、その箇所こそが核心部分なのではないかと、この日の舞台を観て気づかされた。


元雅が描きたかったのは、「幸せは心の中にある」という、いかにも悟ったような綺麗事のではないのかもしれない。
俊徳丸が、「今よりは狂はじ」と固く心に決め、感情の発露を胸の内に封じ込めるところ、人の嘲笑を超然とはねつけられず、悟りきれない人間の心情を描いたところに、この曲の醍醐味があると思う。


高安通俊はみずから追放した息子を、夜陰に紛れて連れ帰る。
家に帰った後も、土地の名士である通俊は世間体を気にして、息子を奥座敷に隠し住まわせるような予感がする。
俊徳丸も過剰な期待は抱かず、なかば幽閉状態になることを覚悟で、「今よりは狂はじ」と感情を押し殺し、運命に身を任せて生きていくのだろうか。

孤独でいたいけな少年の姿のまま橋掛りを去っていくシテの後姿が、かつて観た《菊慈童・酈縣山の前場で深山の流刑地に赴く慈童の姿と少しだけ重なって見えた。






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