2018年7月27日金曜日

片山家・第二十二回能装束・能面展 ~継承の美~

2018年7月27日(金) 最高気温34℃ 京都文化博物館6階

「装束とか能面というのは、人格をもっているんです。
だから妙な着方をすると先輩に怒られました。役者と同等に扱ってもらってきたということです。その人たちの前の、良い舞台を作ってきた同志なんです。
ですから、人と同じようにケアもし、敬意も払い……ということで、ずっと残っているんだと思うんです。」

    ━━十世片山九郎右衛門(Eテレ「美の壺・西陣織」より)




週末は面白能楽館も片山定期能も用事で行けなくなったため、せめて能装束・能面展はと思い、初日の金曜日にブンパクへ。

この日は片山九郎右衛門さんが在廊されていて、貴重なお話をたくさんうかがうことができ、憧れの人を目の前にして緊張しつつも、夢見心地の幸せな時間だった。

それにしても、これだけの面・装束の名品をひろく一般に無料で公開し、しかも、超多忙なスケジュールを割いて、御当主みずからが解説してくださるなんて!
すばらしすぎる!!! 
京都では毎年のことかもしれないけれど、東京ではありえないほど贅沢なことである。
(片山家、ほんとにすごい!)


能面の展示は、九郎右衛門さんが「美女特集」とおっしゃるように、世阿弥時代の龍右衛門作・小姫(こひめ)から、小面、孫次郎、若女、節木増、増女、増髪、深井まで、妙齢の女面がずらりと勢ぞろい。

しかも、どれも舞台で実際によく使われる「現役バリバリ」の能面ばかりという。

やはり能面は使われてこそ、生きてくる。
ここに並べられた能面たちも、美術館所蔵のものに比べると、どことなく生き生きとして幸せそう。九郎右衛門さんに舞台で使用され、物語のヒロインとして精気を吹き込まれるなんて、女面冥利に尽きるではないか。

女面に混じって、ひとつだけ翁面が展示されていた。

見覚えがある気がして「これは、もしや!」と思い、尋ねてみると、やはりセルリアンタワー能楽堂15周年記念の《翁》で使われたオモテだった。
目尻がやや吊り上がった表情と、黒式尉のように黒い膚が特徴的な翁面だったが、その黒さは面本来の彩色ではなく、もとは白い翁面だったのが、雨乞いの神事などで使われるうちに表面の塗りが剥落して黒い漆地が出てきたのではないか、ということだった。
その証拠に、翁面のシワの部分には本来の肌色の彩色が残っていた。
雨乞いの神事で降った雨で色が落ちたということは、この翁面にはそれだけの効力(霊力)があるということになる。

作者不詳だが、室町前期のものとされるこの古面には、神事で使われるたびに、人々の祈りの念が幾層にも塗りこめられ、それがさらに翁面の霊力を高めているのだろう。
セルリアンタワーの時も九郎右衛門さんのパワーとの相乗効果で、忘れがたい《翁》となった。
8月のチャリティー公演では、いったいどんな《翁》が拝見できるのだろう。


装束の展示のなかにも、見覚えのあるものがあった。
「白地金鱗ニ団扇舞衣」
これは、直接ご本人に確認しなかったけれど、以前、豊田市能楽堂で《吉野琴》を舞われた際に、後シテに使用されたものではないだろうか。
(そして使用面は、もしかすると、この日展示されていた大和作の増女だったのかも。)



装束のなかには、ほんとうにボロボロだったものが、手間暇かけて丁寧に修復されたものも展示されていた。
つぎ足した布やほころびを塗った色とりどりの縫い目。
それはまるで焼き物の金継ぎのように、独特の風情や味わい、ぬくもりを感じさせ、片山家の人々の面・装束に対する思いや愛情が伝わってくるようだった。



「(面や装束は)良い舞台を作ってきた同志なんです。ですから、人と同じようにケアもし、敬意も払い……ということで、ずっと残っているんだと思うんです。」


九郎右衛門さんのこの言葉どおりのものが目の前にある。
数々の名品とともに、片山家の人々の熱く、深い思いに触れた面・装束展だった。



追記:用事を繰り下げたおかげで7月の片山定期能、行ってきました!
すごく良かった!!
今夜から遠方に出かけるので、感想は戻ってきた時にアップします。





2018年7月19日木曜日

船鉾 ~前祭巡行最後尾

あいだに観能記事が入りましたが、前祭の宵山のつづき。

岩戸山の近くにあるのが、豪華絢爛な船鉾。
御神体は、妊娠中に海外出兵を指揮した神功皇后なので、航海安全と安産の御利益があるそう。(ほかに住吉明神、鹿島明神、安曇磯良も祀られています。)


神功皇后の神面の本面は室町期の作。
山鉾巡行時には、江戸期の写しが御神体につけられます。
7月3日には神面の無事を確認する「神面改め」の神事があり、テレビで観たのですが、能面の古態を残す名品でした。



船首に君臨する鷁(げき)、宝暦10(1760)年作

舳先には、金色に輝く鷁(げき)。
鷁は空想上の水鳥で、水難除けの意味があるとのこと。
見た目はグリフォンの上半身に似ている?





水引もおそらく飛龍の刺繍でしょうか。
玉を嵌め込んだ大きな目玉と長いひげが、海の怪物クラーケンっぽい。





船尾も、彫刻、見送、欄干、大舵ともに贅を凝らしたもの。
こうした精緻な美術工芸品を惜しげもなく使うのが祇園祭の凄いところ。




大舵のアップ


船尾の舵には、黒漆塗りの螺鈿細工でつくられた飛龍。




高欄下の彫刻にも立体的な飛龍。
麒麟の水引もユニーク。

ほんまに、動く美術館。
豪華すぎて、ため息が出ます。







祇園祭能 ~ 京都能楽養成会《杜若》など

2018年7月17日(火)17時30分~20時20分 最高気温38℃ 京都観世会館
夕風が涼しい白川

仕舞《賀茂》     辻剛史  《放下僧・小唄》 惣明貞助
  《金輪》     山田伊純
  《鵜飼キリ》   湯川稜

舞囃子《高砂》 大江広祐
   杉市和 吉阪倫平 河村裕一郎 前川光範
   地謡 梅田嘉宏 河村和晃 河村和貴 河村浩太郎 樹下千慧

舞囃子《百万サシクセ》 向井弘記
   杉市和 吉阪一郎 河村裕一郎
   地謡 宇髙徳成 山田伊純 惣明貞助 辻剛史 湯川稜

連吟《春日龍神》 小林努 原陸 有松遼一

狂言《附子》 茂山竜正 茂山虎真 井口竜也
   後見 茂山千五郎

能《杜若》 シテ 樹下千慧
   ワキ 岡充
   貞光智宣 成田奏 河村凛太郎 前川光範
   後見 河村和貴
   地謡 味方玄 分林道治 梅田嘉宏
      河村和晃 大江広祐 河村浩太郎



前祭の山鉾巡行が終わり、神幸祭が行われるなか、ひさしぶりに観世会館へ。

少しビックリしたのは、帰りに東山駅で地下鉄を待っていると宝生欣也さんにそっくりな人(というか、どう見てもご本人)が来られて、同じ車両に乗り合わせたこと。
あれ? なんで、ここにいはるのん? 
昼間に天河弁財天で片山家の奉納能があったから、ご出演後、九郎右衛門さんと一緒に観世会館でご覧になっていたのかな?と、勝手に推察。
欣哉さんのワキを拝見できるのは、今度はいつになるのだろう……。



養成会研究発表会へは遅れて行ったので、仕舞《金輪》から拝見。
金剛流の若手の方々は総じて一定水準以上のレベルの高さ、地謡にも素材の良さが生きている。
山田伊純さんの《金輪》が、恨みの中の悲しさ、女のあわれさ、自虐の念みたいなものがほのかに感じられて、印象に残った。



舞囃子《高砂》
湿度の高いこの日、吉阪倫平さんの小鼓の弾けるような弾力のある音色が小気味よい。声変わりが終わって声が安定してきたときが、さらに楽しみ。

前川光範さんは少し体調がすぐれないように見受けられ、打音にもそれがあらわれているように聴こえたけれど、この方は掛け声がほんとうに素晴らしい!
あの天高く突き抜けるような高音の掛け声を聴くのは、観世元伯さん以来。
掛け声の良さは芸力に比例すると思うし、舞台で座っている時の姿勢もとても美しく、今最も注目している囃子方さんのお一人だ。



舞囃子《百万サシクセ》
金剛流の芸風というのをまだよく分かっていないのだけれど、シテの向井弘記さんのハコビが驚くほどなめらか。
まるで特殊効果か何かのように、床から1センチほど浮き上がってそのまま平行移動しているように見える。頭の高さの位置がまったく変わらず、上下運動が少しもない。人間離れしたハコビだった。


(連吟と狂言も観たかったのですが、休憩タイムにしました。)



能《杜若》
公私ともにますます充実している樹下千慧さん。
やっぱりこの方、うまいなあ。京都観世の期待の星。
5月に観た《野守》の塚の中からの「なうなう」も良かったけれど、この日の《杜若》にもシテの出と物着の後に「なうなう」があり、それぞれに声の太さ・奥行き・響きが違っていて、曲趣に合わせた雰囲気を醸し出し、観客を物語の世界に引きこんでいく。
舞や所作にも、ふんわりとした花の色香とみずみずしさがあり、間の取り方もセンスがいい。
謡のうまいワキの岡充さんとの掛け合いも聴き応えがあった。

装束をつけない袴能(?)なのだけれど、「袴能」として上演される形式のものとは違い、装束をつけた時のままの所作で、袖を巻いたり翻したり被いたりするのが興味深い。
ふだんは装束の袖に隠れて見えない部分がよく見えるので、ああ、こんなタイミングで、こういう力の入れ具合で、こんなふうに腕を返して袖を巻いたり、被いたりするのかと、なんだか舞台裏を見ている気分。

大阪能楽養成会の成田奏さんと貞光智宣さんもご出演されていて、もしかするとこれは、来月末の東西合同発表会の稽古能なのかな?

成田奏さんには成田達志さんが最後まで後見についていて、真剣な面持ちで見守っていらっしゃる。
いまや絶頂期を迎えつつある当代屈指の小鼓方を父に持ち、その背中を見ながら、乾いた砂が水を吸い込むようにその芸をどんどん吸収し、めきめきと腕をあげてゆく成田奏さん。前回拝見した時からまだ1か月も経っていないのに、掛け声がさらに御父上のそれに似てきた気がする。
東京で言うと柿原孝則さんのような意欲と情熱とひたむきさを成田奏さんにも感じて、来月末の東西合同にお二人が揃うのだろうと思うと今からわくわくしてくる。










2018年7月18日水曜日

《放下鉾》《菊水鉾》~山鉾能楽シリーズ2

《芦刈山》からのつづきです。

【放下鉾】
放下鉾の名称は、能《放下僧》でもおなじみの僧形の遊芸者・放下僧が天王台(真木中央)に祀られていることに由来します。
別名「州浜(すはま)鉾」と呼ばれるのは、日月星の三光を象徴する鉾頭が州浜の形に似ていることから名づけられたそうです。

稚児人形・三光丸

放下鉾の目玉は、三人の人形方で操られ、まるで生きているかのように稚児舞を舞う稚児人形「三光丸」。
昭和4年(1929年)から祇園祭で使われているといいます。
会所に祀られた三光丸は、たんに可愛いだけでなく、優艶な妖しさをもつお人形。お稚児さんは神の依代なので、そういう独特の神秘性が稚児人形にはあります。




稚児人形用天冠(重要有形民俗文化財)。



天冠と鞨鼓をつけるとこんな感じ。




見送「バグダッド」

懸装品の見送は、染色家・皆川泰蔵作のフクロウが印象的なロウケツ染め「バグダッド」。異国情緒と中世の美意識がミックスされているのが祇園祭の魅力です。

放下鉾は、伝統的なしきたりを守って女人禁制。
女性は会所の2階まで上がることができますが、鉾への搭乗は男性のみ。
神事には聖域が絶対に必要だと思うので、伝統的なしきたりを守る放下鉾のこうした姿勢には大いに賛成。いろいろ圧力があると思いますが、貫き通してほしいです。




【菊水鉾】


菊水鉾の名は、町内にある菊水井に由来します。
菊水井は武野紹鴎の大黒庵にあったとされていることから、宵山の期間にはお茶席が設けられています。



豪壮な唐破風屋根
菊水鉾は唐破風屋根をもつ唯一の鉾。
破風下部の懸魚は、絢爛豪華な金色の鳳凰。
鉾全体に風格が漂います。





菊の御紋が入った車軸。
細部にも贅が凝らされています。

山鉾に使われている車は、源氏車(御所車)のように金輪を嵌めない木造の車輪。現在では、こうした木造車輪の制作・修理に携わる人はごくわずかしかいないといいます。需要自体が少ないため商売が成り立たたないのは致し方ないのかもしれないけれど、なんとか補助金制度などを設けて存続してほしいですね。

ちなみに、宇高徳成さんのブログで知ったのですが、菊水鉾の稚児人形・菊丸さんの着付は金剛流能楽師さんがされているようです。






2018年7月16日月曜日

《芦刈山》~山鉾能楽シリーズ1

宵々々山で奉納舞台「天岩戸のカミあそび」を観たあと、山鉾会所めぐりへ。

祇園祭の山鉾には能楽に取材したものが多く、これから掲載する芦刈山、放下鉾、菊水鉾(《菊慈童》)のほかに、木賊山、黒主山(《志賀》)、橋弁慶山などがあります。
また、廃絶した山鉾のなかにも、氷室山、自然居士山、天鼓山、西行山(《江口》)があり、当時の京の町衆のあいだに能楽が浸透し、親しまれていたのが分かります。

狂言《籤罪人》でも、祇園会の山鉾の出し物について町衆が寄り集まって頭をひねり、毎年の趣向を決めていた様子が描かれています。中世のころはそうやって毎年趣向を変えていたようですが、(おそらく予算や時間の都合もあって?)しだいに出し物が定着し固定化していったのかもしれません。

足利義満が少年時代の世阿弥(藤若)とともに桟敷から祇園会の山鉾見物をしたことは有名な話ですが、今でも御神体の着付けの多くを観世流能楽師が担当されていることもあり、祇園祭と能楽との古くからのつながりを感じます。


芦刈山
5月の片山九郎右衛門後援会能で《芦苅》を観たばかりなので、芦刈山は、今回もっとも観ておきたかった山鉾のひとつ。
感動した舞台にちなんだ山鉾には、なんとなく思い入れがあります。

夫婦がめでたく再会してよりを戻した《芦刈》にあやかり、芦刈山には縁結びと夫婦和合の御利益があるそうです(なので、特に若い女性に人気らしい)。



山口華楊《凝視図》1986年
前懸は、山口華楊原画の段通《凝視図》。
繊細な色彩に写実的な描写。
蛇に睨まれた蛙になりそうなライオンの鋭い目。
原画を忠実に再現した段通の精緻な技術。
補助金が出ているとはいえ、こうした名品を新調する町衆の情熱と心意気が作品から伝わってきます。



山口華楊《鶴図》1985年
こちらも山口華楊原画の綴織《鶴図》。
この絶妙な色彩感覚! しかも日本画ではなく、綴織!




尾形光琳原画《燕子花図》1994年
胴懸は尾形光琳原画の《燕子花図》。




荷茶屋

荷茶屋(にないちゃや)とは、天秤棒の両端に箱型水屋を提げた可動式道具のこと。かつては荷茶屋で商売をする売茶商人が山鉾巡行の際に同行して、辻回しなどの待ち時間にお茶を供したといいます。

芦刈山では2011年に蔵の奥から、「芦刈山」と記された荷茶屋が見つかったそうです。
江戸時代らしい風情。



前掛《欧風景毛綴》天保3年(1832年)

金の欄干彫刻の「雁(かり)」は「芦刈」の「刈」に掛けている?




芦刈山の御神体
能《芦刈》の芦刈男・日下左衛門は、(おそらくイケメンの)比較的若い男性だったと思うのですが、芦刈山の御神体はなぜか老翁。




康慶作・初代御神体(1537年の銘)
明治期の生人形さながらに、リアルで生々しく、怖い気がしますが、こちらが康慶作の初代御神体。

苦労が滲み出ている顔立ちなので、恋女房と復縁する喜びもひとしお、そのぶん、御利益もひとしお、と考えられていたのかもしれません。



重文の小袖




《放下鉾》と《菊水鉾》につづく




2018年7月15日日曜日

天岩戸のカミあそび ~ 祇園祭奉納舞台

2018年7月14日(土)18時30分 祇園祭奉納舞台・岩戸山

演目《国生み》   イザナギ・イザナミ
  《天岩戸開き》 アメノウズメ

舞 林宗一郎 篠笛 森田玲&香織 太鼓 植木陽史


京都の夏の暑さはハイレベル! しかも湿度がめちゃくちゃ高い!
この日は最高気温38.5度、夕方のこの時刻でもおそらく35,6度はあったでしょうか。宵々々山とはいえ、かなりの人出で、バテバテになりながらも行ってきました。

岩戸山の奉納舞台も凄い人だかり。いろいろ撮影したのですが、お顔を掲載していいのかわからなかったので、以下の画像のみアップしておきます。
(宗一郎さんのブログにきれいな写真が載っているのでそちらをどうぞ。)


祈りを捧げるアメノウズメ

《国生み》
日本の創世神話を表現した《国生み》では、古代装束に見立てた単狩衣肩上+袴姿に天沼矛をもった宗一郎さんが登場。
イザナギ・イザナミが天浮橋から鉾の先を振り下ろし、海原を「こをろ、こをろ」とかき混ぜて、矛を持ち上げると、滴り落ちた潮から島ができるさまを仕方話風にあらわし、それに森田玲さんの笛のアシライが入ります。

国産み神話を題材にした能《淡路》とも違っていて、民俗芸能の神楽で上演される「国生み」に近い内容ですが、能楽師さんがやると、ビシッと一本筋が通っていて洗練された感じ。
一瞬一瞬がフォトジェニックで、絵になります。


《国生み》が終わると物着となり、舞い手は衣の肩上を下ろし、矛から笹に持ち替え、イザナギからアメノウズメに変身。


《天岩戸開き》
《天岩戸開き》は内容が重なることもあって、詞章は《三輪》と同じ。「とても神代の物語」から始まります。

最初にシテは正を向いて笹を弊のように左右左に振り、次に左を、さらに右を向いて、舞台三方にいる観衆にお祓いをするように、巫女のような所作で笹を振ります。
この間、篠笛は雅楽のような優雅な旋律を奏で、観ているこちらもお祓いされて清められているような、心地よさ。
涼やかな風が吹き抜けるような清々しさを感じます。

面白かったのは、神楽の舞に入る前に、能楽囃子の神楽の唱歌をシテが謡うこと(これがないと気分が盛り上がらないから?)。

神楽の舞に入ると、篠笛も太鼓も能楽囃子の神楽ではなく、民俗芸能的な囃子音楽になり、シテの舞も能の神楽の要素を取り入れつつも、少し違ったアレンジ。

(能のお囃子に慣れているシテがこの音楽で舞うのはけっこう調子が狂ってふつうは大変だと思うのですが、そこはさすが! 何の違和感もなく舞と囃子が見事に調和していました。この暑さなのに、涼やかな表情で舞うところもプロフェッショナル。)

神楽の舞は、まだ神楽と猿楽・散楽が未分化だった時代の純粋な神事を見るような、不思議な感覚。

篠笛も舞もとても美しく、このときだけは暑さを忘れ、気持ちよく奉納舞台に見入っていました。




森田玲さんは、「道調べの儀~神輿洗」の記事の追記でも紹介したように、篠笛玲月流家元で、在野の祭礼研究者でもあり、わたしが愛読している『日本の祭と神賑』の著者でもある方。

この日、はじめて生演奏を聴いたのですが、民俗囃子や雅楽などの要素を取り入れた透明感のある音色で、お人柄があられているのか、人の心を癒す魅力のある笛でした。








2018年7月14日土曜日

祇園祭ぎゃらりぃ

八坂神社近くの漢字ミュージアムに併設された「祇園祭ぎゃらりぃ」。
ここでは「山鉾の構造がよく見える・手で触れる」というコンセプトで、実物大の山鉾が常設展示されています。

重さ6トン、高さ7メートルの実物大の鉾

実際の山鉾は祭りが終わると解体されてしまうのですが、ここではいつでも実物大の山鉾を観ることができます。




通常、山鉾下層の骨組み(櫓)は、このような胴懸などの懸装品で覆われているのですが、展示では胴懸が片面だけ外されているので、櫓の構造がよく見えます。




釘を一本も使わずに、「縄がらみ」という伝統技法で組み立てられた櫓。
四方転びで筋交いがあり、上から縄がらみをします。
その際、たんに縄で結んだだけではすぐに緩んでくるため、「樽巻き」という特殊な結びで直角方向に巻き付け、縄で接合部分を固定するそうです。

樽巻きにはさまざまな結び方があり、特徴的なものを以下に紹介します。



雌蝶

もっとも大きな両側面の縄がらみを「雌蝶(女蝶結び)」というそうです。
その名の通り、巨大な蝶が羽を広げたような華やかさ!



雄蝶

こちらは正背面筋交い交点の縄がらみ、「雄蝶(男蝶結び)」といいます。
雌蝶よりも少し粗っぽく小ぶりな感じですね。



海老

これはわかりやすい! 見た目通り、海老です。
おめでたい生き物に見立て、実用性と装飾性を兼ね備えた結び方。
よく考えられています。




櫓と筋交いの隅との交点上部の縄がらみは「鶴」。
鶴が翼を広げて飛翔しているイメージなのですが、どうでしょう?




同じく、櫓と筋交い炭との交点下部にある縄がらみは「亀」だそうです。

近くで観ると、精巧な結び目の見事さには目を奪われます。
縄で結ぶだけで、何トンもの山鉾を組み立て、大勢の人々を乗せて通りを長時間巡行するという優れた機能性と、鑑賞に価する高い芸術性。
しかも、巡行中は懸装品に覆われて見えないのに、隠れた部分にもこれほどまでにこだわり抜いた細工が施されているという敬虔な精神性。
加えて、これだけ手の込んだものが祭の終わりとともにすべて解かれて「無」に還っていくという一回性。
この櫓の構造と技法に、日本人の美学と美意識が集約されている気がします。
こういうところが、祇園祭の凄さだと感じます。



櫓の構造



デジタルサイネージ屏風「平成の洛中洛外図屏風」

祇園祭の見どころを六曲一双屏風に見立てた大型モニターも展示。


《小鍛冶・白頭》も登場!

初代長刀鉾の長刀を打ち上げる三条小鍛冶宗近と白狐。
(シテは金剛流の方らしいです。)







190年前の大雨で懸装品が汚損したため現在は「休み山」ですが、復興に向けて動き出す鷹山鉾の新法被。

祭を支える人々にとって法被や浴衣は、とても大切な装束。
とくに神輿を担ぐ男衆は、自分たちは神々に仕える者だという意識が強くあるため、神輿渡御で着用する装束は他のものとは一緒に洗わず、みずから丁寧に手洗いし、箪笥の一番上に大事にしまうそうです。









2018年7月12日木曜日

道調べの儀~神輿洗

2018年7月10日(火)19時から夜遅くまで 八坂神社~鴨川・四条大橋

「祇園祭・お迎え提灯」からのつづきです。
日も暮れかけた19時ころ、2本の大松明(長さ5m)を担いだ男衆が、八坂神社から出発します。



これは、神輿洗いのために神輿の通る道を松明の炎で清める「道調べの儀」。
祇園祭の中でも、男気や勇壮さが際立つ神事です。





一力茶屋の横を練り歩く男衆。
松明の火は、大晦日に焚かれた「おけら火」を絶やさず灯しつづけた神火から移されたものだそうです。






燃えさかる大松明はそうとう熱くて重いはずですが、「神々に仕える身」として真摯でひたむきな気持ちで担いでいらっしゃるのがこちらにも伝わってきます。

こういうニッポン男児の姿って、普段はあまり目にする機会がないので、たまに見るといいものです。








大松明から燃え殻が落ちているのが分かりますでしょうか。
この炭は魔除け・厄除けになるそうで、氏子さんのなかには割り箸で拾って持ち帰る方々もいらっしゃいました。






道を祓い清める大松明が四条大橋から往復して戻ってくると、八坂神社の南楼門から一基の神輿が出発します。

神輿洗では、三基の神輿のうち、主祭神・素戔嗚尊の神霊を乗せる中御座神輿だけが代表で四条大橋に向かいます。







法被を着ていて画像では見えにくいのですが、担ぎ手さんたちの背中には、ソフトボールからハンドボール大の巨大な「担ぎ瘤」ができていて、ビックリ!





四条大橋から戻ってきた御神輿

神輿が四条大橋に着くと、榊で神用水が降りかけられ、洗い清められます。

このとき、身体に水がかかると一年間無常息災で過ごせるとされ、担ぎ手や氏子さんたちがこぞって浴びていらっしゃいました。
(わたしは人混みで移動できず、八坂神社付近で待っていたので神輿洗の現場は見ていませんが、翌日の京都新聞ニュースで放送されていました。)


八坂神社の石段下まで戻ってくると、担ぎ手たちは「ホイット! ホイット!」という掛け声とともに、神輿を高く上げる「差し上げ」を披露。

また、神輿を激しく揺らして、鐶という環状の金具を鳴らす「鐶鳴らし」を行うなど、祭は最高潮に盛り上がります。

神輿が、本来の正門である南楼門から八坂神社に入って行くと、舞台は境内に。




夜の境内は、灯籠が点って良い雰囲気。




拝殿では、櫛稲田姫と八王子(8人の王子)が乗る東御座と西御座、そして東若御座が待機しています。
黒塗りの中御座とは違って、こちらは女性らしい優雅な佇まい。






中御座神輿が拝殿の中央に安置されたのち、拝殿前では鷺踊などが奉納され、三基の神輿には飾り具が取り付けられていきます。



【追記】
篠笛玲月流家元で、在野の祭礼研究者でもある森田玲さんの名著『日本の祭と神賑』(創元社)に示唆に富む記述があります。
それによると、祇園祭の神輿洗(特に還幸祭の神輿洗)は、かつて疫神としての性格が強かった牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を鎮めて送った、御霊会の名残ではないかというのです。

神輿を洗うのに、松明の炎で道を清めたり、大勢で舞奉納や行進をして迎え提灯を炊いたりするなど、なぜこれほどまでに入念な手続きが必要なのか不思議に思ったのですが、森田玲さんの説はまことに納得のいくものです。

また、お迎え提灯についても、「現在では神輿洗の神輿を迎えるため、と解されているようであるが、本来的には、祭全体の中でのカミ迎えの意味があったと考えられる」とあり、この考察もなるほどと首肯できるものでした。








2018年7月11日水曜日

お迎え提灯

2018年7月10日(火)16時30分~20時 最高気温35℃ 八坂神社

馬長稚児(うまおさちご)

7月1日から1か月にわたって数々の神事が行われる祇園祭。
この日は神幸祭の1週間前にあたる「神輿洗」の日で、16時30分には、神輿洗から戻る御神輿をお迎えする「お迎え提灯」の行列が、八坂神社から出発します。

ルートは、八坂神社清々館→四条通→河原町通→本能寺(舞踊奉納)→寺町通→御旅所→四条通、そして、八坂神社石段下で提灯を掲げて御神輿を迎えます。







白塗りの化粧を施し、平安装束に身を包んで、太刀を佩いて騎乗する凛々しい姿のお稚児さん。
西日をまともに浴びて気絶しそうなほど暑いのに、健気で、なんとも可愛らしい。
少女や青年にはない、独特の愛らしさと神々しさ。
中世にお稚児さんがもてはやされた理由がわかる気がします。





四条通は通行止め。警察の方々も大変!





本能寺で舞踊奉納して、御旅所をまわり、戻ってきた一行。
そろそろ夕暮れにさしかかるころ。
(早めの夕食を摂りながら涼んでたので、本能寺での舞踊奉納は観ずじまい。)





お囃子


笛と鉦と太鼓で構成されるお囃子隊。





少年武者

ちょっとピンボケですが、少年武者たち。
なるべく顔が写らないよう、後ろから撮ったものを掲載しています。
前から見た写真のほうが、可愛くてかっこいいのだけれど。






頭に飾りをつけているのは、たぶん小町踊の少女たちかな?




鷺踊

鷺踊の少女たち。
白装束に、鷺の被り物(?)をつけて、どこか妖精っぽい。
(ハロウィーンっぽくもある。)





赤熊(しゃぐま)

赤熊(しゃぐま)という赤頭をつけた子供たち。
めっちゃかわいい!







京都では浴衣でも半幅帯ではなく、名古屋帯の太鼓結びに足袋を履くのが一般的。

わたしもこの日は浴衣+太鼓結び+足袋という着方にしたのですが、もともと半幅帯を結ぶのが苦手だし、太鼓結びのほうが着崩れしにくいので、このほうがいいかも。




馬長稚児さんたちも帰ってきました。

おとなしく行進していた神馬さんたちも、さすが!





一同勢ぞろいして、八坂神社の石段下で、神輿洗から戻る御神輿をお迎えします。


それにしても、まだ神霊が遷されていない御神輿を、これほどまでに丁重に扱い、お迎えするとは。
(素戔嗚尊の荒御魂は、神幸祭のある17日の午後に神輿に遷されます。)

疫神であり守護神でもある素戔嗚尊(牛頭天王)が、どれほど畏れられ、崇められているのかが伝わってきます。

こういう神事を見ていると、京都が千年以上も都として栄え、いまも憧憬の的となって繁栄し続けているのも、武力ではなく、呪力の強さ、人々の祈りのパワーによるところが大きかったように思われてくるのです。



道調べの儀&神輿洗式につづく