2018年7月16日月曜日

《芦刈山》~山鉾能楽シリーズ1

宵々々山で奉納舞台「天岩戸のカミあそび」を観たあと、山鉾会所めぐりへ。

祇園祭の山鉾には能楽に取材したものが多く、これから掲載する芦刈山、放下鉾、菊水鉾(《菊慈童》)のほかに、木賊山、黒主山(《志賀》)、橋弁慶山などがあります。
また、廃絶した山鉾のなかにも、氷室山、自然居士山、天鼓山、西行山(《江口》)があり、当時の京の町衆のあいだに能楽が浸透し、親しまれていたのが分かります。

狂言《籤罪人》でも、祇園会の山鉾の出し物について町衆が寄り集まって頭をひねり、毎年の趣向を決めていた様子が描かれています。中世のころはそうやって毎年趣向を変えていたようですが、(おそらく予算や時間の都合もあって?)しだいに出し物が定着し固定化していったのかもしれません。

足利義満が少年時代の世阿弥(藤若)とともに桟敷から祇園会の山鉾見物をしたことは有名な話ですが、今でも御神体の着付けの多くを観世流能楽師が担当されていることもあり、祇園祭と能楽との古くからのつながりを感じます。


芦刈山
5月の片山九郎右衛門後援会能で《芦苅》を観たばかりなので、芦刈山は、今回もっとも観ておきたかった山鉾のひとつ。
感動した舞台にちなんだ山鉾には、なんとなく思い入れがあります。

夫婦がめでたく再会してよりを戻した《芦刈》にあやかり、芦刈山には縁結びと夫婦和合の御利益があるそうです(なので、特に若い女性に人気らしい)。



山口華楊《凝視図》1986年
前懸は、山口華楊原画の段通《凝視図》。
繊細な色彩に写実的な描写。
蛇に睨まれた蛙になりそうなライオンの鋭い目。
原画を忠実に再現した段通の精緻な技術。
補助金が出ているとはいえ、こうした名品を新調する町衆の情熱と心意気が作品から伝わってきます。



山口華楊《鶴図》1985年
こちらも山口華楊原画の綴織《鶴図》。
この絶妙な色彩感覚! しかも日本画ではなく、綴織!




尾形光琳原画《燕子花図》1994年
胴懸は尾形光琳原画の《燕子花図》。




荷茶屋

荷茶屋(にないちゃや)とは、天秤棒の両端に箱型水屋を提げた可動式道具のこと。かつては荷茶屋で商売をする売茶商人が山鉾巡行の際に同行して、辻回しなどの待ち時間にお茶を供したといいます。

芦刈山では2011年に蔵の奥から、「芦刈山」と記された荷茶屋が見つかったそうです。
江戸時代らしい風情。



前掛《欧風景毛綴》天保3年(1832年)

金の欄干彫刻の「雁(かり)」は「芦刈」の「刈」に掛けている?




芦刈山の御神体
能《芦刈》の芦刈男・日下左衛門は、(おそらくイケメンの)比較的若い男性だったと思うのですが、芦刈山の御神体はなぜか老翁。




康慶作・初代御神体(1537年の銘)
明治期の生人形さながらに、リアルで生々しく、怖い気がしますが、こちらが康慶作の初代御神体。

苦労が滲み出ている顔立ちなので、恋女房と復縁する喜びもひとしお、そのぶん、御利益もひとしお、と考えられていたのかもしれません。



重文の小袖




《放下鉾》と《菊水鉾》につづく




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