2019年12月30日月曜日

味方玄《正尊 起請文・翔入》~片山定期能十二月公演

2019年12月22日(日)京都観世会館
片山九郎右衛門《邯鄲》からのつづき
京都府庁旧本館
《正尊 起請文・翔入》味方玄
義経 片山伸吾 静 味方慧
江田源三 分林道治 熊井太郎 大江広祐
姉和光景 大江信行
立衆 橋本忠樹 宮本茂樹 河村和貴
河村和晃 河村浩太郎
武蔵坊弁慶 宝生欣也
下女(くノ一?)松本薫
杉信太朗 吉阪一郎 河村大 前川光範
後見 片山九郎右衛門 味方團
ワキ後見 殿田謙吉 平木豊男
地謡 橋本礒道 橘保向 武田邦弘
青木道喜 古橋正邦 河村博重
田茂井廣道 清沢一政


さて、この日は番組自体が豪華なうえに、京都観世会の看板役者2人がシテを勤めるという「日頃のご愛顧に感謝して出血大サービス!」的なデラックス版。

早々に売り止めになったため超満員が予想され、いつもよりかなり早めの開場40分前に到着のに、すでにビックリするほどの人、人、人! 
これまで見たことないような長蛇の列に「今日は立ち見かなあ……クスン」と覚悟していたら、意外にもいつもの見やすい席を確保できました(o^―^o)ニコ。
東京圏からの遠征組も多かったようだし、今年は観世会例会もいつもの年より客の入りが多かったそうだから、盛り上がってますね、京都のお能は。


《正尊 起請文・翔入》
味方玄さんの正尊に、準主役の弁慶役が宝生欣哉さん。立衆が大勢出て、今年最後の観能にふさわしい華やかでにぎやかな舞台でした。

いちばんの見どころは、なんといっても起請文の場面。
シテの玄さんが「お~~じょぉ~~(王城)の鎮守」とか「驚かしたてまつぅ~るぅ~~」など、独特の節回しで読み上げる。お腹の奥底でメラメラと紅蓮の炎が燃えたぎっているような、気迫と熱気が感じられる。

味方玄さんの直面は、顔の皮膚から肉体の生々しさが消え去り、素顔そのものが無機質な能面に変化している。じっと目を凝らして見ていても、シテはまったく瞬きをしない。角膜が乾燥しないのだろうか?

役に完全に没入し、生理現象を超越した高い集中力が見てとれる。坐禅やヨガなどで瞑想が深まると脳内でシータ波が出るというけれど、もしかすると味方玄さんの脳波もそんな状態かもしれない。


斬り組の場面では、若手と中堅が大活躍!
飛び安座や仏倒れで、立衆たちがバッタバッタと斬られていく。なかには、本舞台と橋掛りでチャンバラ劇が同時に展開し、敵役2人が同時に斬られる「ダブル仏倒れ」という贅沢な演出も!

とくに欣哉さんの弁慶と、大江信行さんの姉和との一騎討は見応えがあった。どちらかというと欣哉さんが牛若丸で、大江さんが弁慶、もしくはダビデとゴリアテの戦いのように見えなくもない。
一の松で欄干から身を乗り出し、弁慶をグイッとにらみつける大江信行さんの鬼気迫る存在感は、主役の2人を凌駕するほどだった。来年も注目したい役者さんだ。


最後は捕縛された正尊が揚幕の奥に連れ去られ、ツレの義経(片山伸吾さん)が常座で留拍子。

片山一門の殺陣といえば、昔、NHKで一場面だけ再放送された《夜討曽我・十番斬》で、片山九郎右衛門さんと味方玄さんの斬組があったのを思い出す。九郎右衛門さん(当時片山清司さん)に斬られた玄さんの仏倒れが、超新星のようにピカッと光り輝いていた。今でもあれ以上の仏倒れは観たことがない。
あのとき彼は、恐怖心を完全に抹殺した「能の鬼」と化し、まさに立像が倒れるがごとく、直立のままバッタリと一直線に倒れてたのだった。そして、あのときも目をぐっと大きく見開いたまま、倒れきった後までまったく瞬きをしなかった。


この2人の御舞台を堪能できて、幸せな一年の締めくくりでした。


どうぞ皆さまも、良き新年をお迎えくださいませ。




2019年12月27日金曜日

片山九郎右衛門《邯鄲》~片山定期能

2019年12月22日(日)京都観世会館

《邯鄲》盧生 片山九郎右衛門
舞童 梅田晃熙 勅使 殿田謙吉
大臣 宝生欣也
輿舁 平木豊男 宝生尚哉
宿の女主人 茂山茂
杉市和 飯田清一 谷口正壽 前川光長
後見 小林慶三 大江信行
地謡 青木道喜 古橋正邦 河村博重
分林道治 味方團 宮本茂樹
河村和貴 大江広祐

《腹不立》出家 茂山七五三
アド 茂山逸平 茂山千之丞

仕舞《巻絹》河村博重
  《車僧》橋本忠樹
武田邦弘 古橋正邦
田茂井廣道 清沢一政

《正尊 起請文・翔入》味方玄
義経 片山伸吾 静 味方慧
江田源三 分林道治 熊井太郎 大江広祐
姉和光景 大江信行
立衆 橋本忠樹 宮本茂樹 河村和貴
河村和晃 河村浩太郎
武蔵坊弁慶 宝生欣也
下女(くノ一?)松本薫
杉信太朗 吉阪一郎 河村大 前川光範
後見 片山九郎右衛門 味方團
ワキ後見 殿田謙吉 平木豊男
地謡 橋本礒道 橘保向 武田邦弘
青木道喜 古橋正邦 河村博重
田茂井廣道 清沢一政


【邯鄲】
忘れもしない、私が能を観はじめた5年前、初めて感動した舞台が片山九郎右衛門さんの《邯鄲・夢中酔舞》(国立能楽堂企画公演)だった。
あのときのクライマックスの光景は、いまでも胸に焼きついている。

盧生がゆっくりと身を起こしたあと、時間が凝固したような長い沈黙がつづいた。
はたしてシテは無事なのか? 
もしかすると一畳台に激しくダイヴしたせいで、脳震盪でも起こしたのではないだろうか……?

緊迫した静寂ののち、シテはようやく沈黙を破り、「盧生は、夢醒めて……」と謡い出した━━「永遠の一瞬」ともいえる絶妙な「間」だった。

観世寿夫があの名舞台で井筒をのぞいた時のような、計算され、洗練しつくされたあの美しい「間」が、観能ビギナーだった私を能の世界へ引き入れてくれた。

この日の《邯鄲》でもあの時の「間」が再現され、盧生が身を起こしたあとに長い沈黙がつづいた。
ただ、5年前の《邯鄲》では舞台も見所も水を打ったように静まり返っていたが、この日は見所の物音で、あの「永遠の一瞬」が惜しくも乱されたのだった……。


一畳台での〈楽〉も、5年前とよく似た感覚を抱いた。
シテは、空気中とは異なる重力空間に存在していた。手足に水圧のような抵抗を受け、まるで水中で舞っているかに見える。引立大宮の四角い箱型空間が透明なアクアリウムと化し、シテは夢の中でゆらめくように遊泳していた。
生死の境で魚になって泳ぐ夢を見る『雨月物語』の「夢応の遊鯉」がふと頭に思い浮かび、《邯鄲》の世界と折り重なっていった。


ほかにも、とりわけ印象深かった箇所が2つある。

ひとつは〈楽〉を舞い終えて興に乗ったシテが、橋掛りで至福の境地に浸るところ。
昼夜・四季のすべての美しさが目の前に展開し、この世の頂点を極めた盧生は「面白や、不思議やな」とまばゆい栄華に酔いしれるのだが、この時シテは橋掛りの欄干にゆったりと腰をかけ、甘美な悦楽にしばし耽溺する。

橋掛りの欄干に無造作に腰をかけるという、大胆な型を観るのはこの時が初めてだった。
シテの創意だろうか?
クタッとくつろいだ姿勢から、いかにも圧倒的な幸福に浸りきって我を忘れた青年らしい、どこか生ぬるく隙のある、ぽわ~んとした脱力感が伝わってくる。


もうひとつは、盧生が夢から醒めて「何事も一炊の夢」と悟ったのち、「南無三宝南無三宝」と唱えるところ。
この時シテはおもむろに一畳台から立ち上がり、正中に出て、急に激しい調子で「南無三宝! 南無三宝!」と歓呼する。「なんだ! そうだったのか! そういうことだったのかぁ!!」と、全身から熱い感動がほとばしるように。

ここも、青い果実のようなちょっとベタな感情表現が、どことなく若者らしさを感じさせた。盧生のつかの間の「悟り」の先にあるのが何なのか、あれこれ想像をめぐらせたくなる。


アイの宿屋の女将は、5年前の《邯鄲》と同じ茂山茂さん。はまり役だ。ハコビがなんとも女らしく、婀娜っぽい。
笛も5年前と同じく杉市和さん。囃子方は俊英ぞろい。推しの大鼓方・谷口正壽さんがこの日も冴えていた。そして、端然と下居した大臣役の宝生欣哉さんの不動の佇まいが、ひたすら美しかった。


片山定期能《正尊 起請文・翔入》につづく